Ⅻ
『乾先輩は、初詣行く予定ですか?』
森田健星は質問を続けてくる。
この男、どういうつもりで自分を誘っているのだろうか。例によって何か言葉足らずなのだろうか。
さすがに紗寿叶も防御力が向上している。簡単にぐらついてたまるか。紗寿叶は腹に力を込めた。
「〝家族〟と行くわよ」
紗寿叶は、家族、を強調した。
『どこに行くんですか?』
森田健星はまったく動じた様子はない。
「近くのお伊勢様よ」
『お伊勢様? ってなんですか?』
「
この年中行事を紗寿叶はとても大切に考えている。家族と行く予定を崩すつもりはない。
するとそれが伝わったのか伝わっていないのか、森田健星はすぐに問いかけてきた。
『そこ、俺も行っていいっすか?』
彼は想像以上に物怖じしない性格だった。
「……いいけど、貴方、ご家族と行くんじゃないの?」
『行きますよ』
「じゃあ貴方がいつも参拝しているお
『モチ、そっちも行きますよ』
「ご家族は平気なの? 家によっては他の神様にお参りすることはタブーだったりするわよ」
『神様がヤキモチ焼いたりするっていうアレっすか? でも神様はそんな小さいこと気にしないっておかんには教わりましたし、ウチはへーきだと思いますよ』
紗寿叶は安心した。
世の中には複数の社寺に参拝すると神仏の怒りを買う、と心配する家もあるから念のため確認したのであるが、どうやら森田健星がこちらの神社に初詣に来ることに支障は無さそうだ。
「……元旦の午前に行くわよ。出店とかは無いし、地元の人しか来ないけどそこそこ混むところなの」
紗寿叶は森田健星と待ち合わせの場所を決めた。
「じゃあそのときセーター持っていくわ。荷物になってしまうけど、いいかしら」
『全然問題ないっすよセーターくらい』
こうして、紗寿叶はなし崩し的に森田健星と初詣に行く約束をしてしまった。
――なし崩し?
――嘘だ、自ら望んで結んだ約束だ。
そうだ。さきほど彼のほうに支障がないことを聞いて、紗寿叶は安堵した。
それだって自覚していたのだ。
もう誤魔化すのはやめだ。
紗寿叶は、彼に、会いたいのだ。
ⅩⅢ
紗寿叶は年末最後の料理教室のアルバイトを終え、片付けをしていた。
他のアルバイト従業員はすべて業務を終えて帰宅した後である。
「はいっ、お姉ちゃん、じゃなくて紗寿叶さん。これお給金ね。今年もありがとうございました」
紗寿叶は恭しく受け取った。といっても料理教室のオーナー兼室長は紗寿叶の母親である。
彼女は元々プロの料理人だったが、結婚を機に退職、二人姉妹が大きくなってからはこうして料理教室を開いている。
同じ住宅街の主婦層から大きな支持を得ていて繁盛しているが、今日はとくにバレンタインメニューがテーマだったので若い未婚女性の参加者も多く大変盛況していた。
「お母さん、このキャニスターこっちに置いておけばいい?」
「そこで大丈夫よ。ありがとう、しーちゃん」
てきぱきと動いているのは妹の心寿だ。
彼女はまだ中学生のためアルバイトとしては働いていないが、お手伝いを積極的に引き受けている。
テストを頑張ったり、お手伝いを頑張ると彼女のお小遣いが増える。
以前は心寿の趣味といえば家族と一緒に洋服や小物を買ったりとか、父親のカメラを借りて姉の写真を撮ることだった。
両方とも心寿自身が出費することはほとんど無く、そこまでお小遣いが必要ではなかったのだが、今は心寿もコスプレをするようになった。
コスプレ衣装やウィッグ、化粧品は自身で購入したいと本人も願っていて、お小遣いが以前にも増して重要になってきたのだ。
「今日は予想通りだったけど忙しかったわねぇ。お姉ちゃんも疲れたでしょ」
「そうねお母さん。毎年のことだけど、秋のハロウィンからバレンタインまでは生徒さんがすごい増えるから忙しいわ」
「そこから常連さんになってくださる方もいらっしゃるから、ありがたいのよね」
「私もいろいろな料理覚えられるから嬉しいわ」
今日のメニューは女性が男性に作ってあげることが前提だったので結構ボリュームがあった。
普段だったら紗寿叶はあまり興味をもたなかっただろうが、今回はきちんとレシピを控えておいた。
紗寿叶は『活用する日が来るかどうかは不明よ』と浮つく自分自身に釘をさす。
それに料理とは別に、紗寿叶には急いで作りたいものがあった。
紗寿叶はそちらに時間を多く割きたかったので、片付けが終わると母親と心寿にお疲れ様を告げ、足早に自宅へと向かう。
自室の収納ケースから、父親に作った時の余りと、昨日雑貨屋に寄ったときに買い足した毛糸を取り出す。
編み針も取り出して作業に取り掛かろうとしてふと、紗寿叶は初めてプリンセスリリィのコスプレ衣装を購入し、着替えたときの高揚感を思い出した。そして気恥ずかしさも。
あの時とおなじように、家族にも、心寿にも見られたくなくて部屋のドアをそっと施錠した。
紗寿叶は自分の世界へと埋没した。
ⅩⅣ
明けて二十四日も、紗寿叶は自室でかなりの時間、作業に没頭していた。
とはいってもクリスマス・イブである。
乾家はクリスマスをきっちり楽しむため家族の皆が準備に手を抜かない。
紗寿叶だけが自分の部屋に籠もり切りで作業をするという訳には全くいかないのだ。
ツリーはもっぱら父親が飾り付けをしていた。
電飾やイルミネーションはすでに何日も前から点灯していてリビングを彩っている。
今日はそこにサンタクロースをもてなすためのクッキーやメッセージカードを飾っていく。
クッキーは父親と心寿が焼く。心寿はとくに熱心だ。
彼女は中学三年生だが未だサンタクロースの実在を疑っていない。だから毎年、サンタクロースからのプレゼントもちゃんと受け取っている。
紗寿叶は現実を知ってしまっているが、妹の夢を壊さぬよう同じようにサンタクロース宛にクッキーとメッセージをツリーに下げ、プレゼントを受け取ることにしている。
心寿へのサンタ・プレゼントは毎年、紗寿叶が選ぶ。
自分に向けたものは心寿へのプレゼントに並べて違和感の無いものを優先して選ぶようにしている。
サンタの贈り物は心寿が就寝した後、紗寿叶がツリーの下に置くことにしていた。
料理はロブスターがメインだ。
父親がモントリオールでの長い駐在生活でオマール海老をすっかり気に入っていたことも理由だが、紗寿叶が小学生のころ、初めて丸ごとの生の七面鳥を見て卒倒したことが一番大きい。以来、丸鶏やターキーは紗寿叶のトラウマ料理である。
七面鳥以外であれば紗寿叶もレシピはいくつか伝授されているから、キッチンでの仕事はそれなりの比率を任されている。それが終われば飾り付けだって手伝う。紗寿叶は一日を忙しく過ごした。
そして夜、紗寿叶は家族とともに、色とりどりの料理の並ぶ食卓を囲んだ。
クリスマスを祝う挨拶を交わした後、両親は早速オマールの弾力のある身を楽しみはじめた。二人ともシャンパンを次々と干して上機嫌だ。
紗寿叶はさすがにまだシャンパンの銘柄は判らないが、時折ただよってくる香りとグラスの中の金色のきらめき、何より両親が幸せそうにグラスを合わせる姿に心惹かれる。
飲めるようになったら楽しいだろうなとは思う――誰かと。
「メリー・クリスマス、心寿」
「メリー・クリスマス、お姉ちゃん」
紗寿叶と心寿は両親の真似事でペリエのグラスを合わせた後、ほうれん草とホタテのキッシュに夢中になった。
柔らかく甘いほうれん草がたっぷり入っていて、濃厚なベシャメルソースの中でも歯ざわりや香りが確りと主張している。
ホタテの歯ごたえはほどよく残っていて旨味もじゅわっと滲み出てくる。このホタテは北海道産の大粒な刺身用を使ってると聞いた。何よりソースの仕上がりが絶妙だ。
このベシャメルソースの作り方は母親に習っているがまだ全然再現できない。
どうやって作るのだろう、紗寿叶はキッシュとにらめっこをする。
「お姉ちゃん、またどうやったら作れるのか考えてるんでしょ」
心寿が紗寿叶を見て苦笑した。
これは紗寿叶が料理教室を手伝うようになってからの癖になっていて、家族は皆よく知っているのだ。
今日はとくにレシピが気になって仕方がなかった。――自分以外の誰かが食べてくれると考えたら。
「……本当ね。浮ついてるんだわ」
「浮ついてる? 何かいいことあったの?」
「……どうかしら」
「あっ、お姉ちゃん、誤魔化した! 顔赤いよ!」
きゃいきゃいと心寿がはしゃぐ。紗寿叶もそんな妹の顔を見て心が躍った。
今日は楽しむことに集中しようと思った。
食事を終えるとプレゼントの箱を交換し、ツリーの下に置く。
プレゼントを開けるのは明けて二十五日の決まりだ。
二十五日になればサンタクロースもプレゼントを置いてくれるだろう。そして代わりにたくさんのクッキーを持っていくのだ。――もちろん、プレゼントを置いてクッキーを預かるサンタは、紗寿叶の姿を借りることになる。
紗寿叶は心寿の喜ぶ顔を想像し、自分の頬が緩むのを感じた。
そしてふと思った。
紗寿叶が選んだあのプレゼントは、喜んでもらえるのだろうか。
世の家族の中には、二十四日にプレゼントを渡し、その場で中身を確認するところもあると聞く。
森田健星の家がどっちだったか、紗寿叶は聞いていない。
家族がリビングで寛いでいる間、紗寿叶は自室へそっと戻り、スマホで彼にLIMEを送った。
〝ご家族で
前回と同じく、秒速で通話が入ってくるかもしれないと紗寿叶は身構える。しかししばらく既読もつかない。
スマホから離れたところにいるのかもしれない。
リビングに戻ろうかとも思ったが、通話が来たらすぐ出られるようにしたい。
紗寿叶は収納ケースを開けてアルパカ混の糸玉を二つ取り出した。
しばらくちまちまと縫い針の手を動かしていると、スマホが振動した。
森田健星からのメッセージが入っている。
〝すいません、夕飯でした〟
〝何かありました?〟
紗寿叶もすぐ返信した。
〝こちらこそ急にごめんなさい〟
〝マフラー、喜んでもらえたのかしら〟
〝ちょっと心配になっちゃって〟
すると、通話の着信が入った。
『もしもし、こんばんはっす』
「こんばんは。今大丈夫なの?」
『食後にのんびりしてただけっすよ。大丈夫っす。プレゼントはこれから渡そうと思ってたんでちょうど良かったっす』
「あら、邪魔しちゃったわね」
『ちょっと待っててください、渡してからまた連絡します』
「解ったわ。ちょっと緊張するわね」
『大丈夫っすよ! あんなサイコーなプレゼント、絶対喜ぶに決まってますって!』
そう言って森田健星は一旦通話を切った。
紗寿叶はそわそわしながら毛玉を取り出して作業を続けた。
普段ならしないようなミスを何度かやらかしたところで、溜息をついて手を止めた。
ちょうど着信が鳴った。
『乾先輩、おまたせしました!』
「いいえ、大丈夫よ、あの」
森田健星がすこし声を張り上げている。どうやらスピーカー通話のようだ。
どうしてだろう、と尋ねようとして、スマホ向こうからの声に割り込まれた。
『――あっ、貴女が乾さん?』
女性の声だ。若い。
『ああー姉ちゃん! いきなり話しかけるなよ、乾先輩驚くじゃん!』
『じゃあ早く紹介して! 私、早くお礼を言いたいわ!』
『い、乾先輩、これ、うちの姉ちゃんです』
『これって何よ! まあいいわ。乾さん、お礼を言わせてください!』
紗寿叶が呆気にとられている間に相手の女性――森田健星の姉――は、自分の名前を名乗って、プレゼントのチョイスにお礼を述べた。
『見てすぐに健星のチョイスじゃない、って思ったのよ。健星、私の好みは知ってるけどセンスは壊滅的に無いし』
『なんで俺ディスられてんの⁉ でもま、確かに俺のセンスじゃ無理だったわ!』
『絶対センスのいい女の子が選んでくれたんだと思ってー! ひょっとして彼女かな? って思ったらお話したくて!』
『まっ、まだかっ、彼女じゃねーって言ってんじゃん!』
「はい、彼女じゃありません。これっぽっちも」
『こっ、これっぽっちも……』
『全否定されてるじゃない、健星。まあイブの今日で別々にいるわけだし、そこまで期待はしてなかったけどねー』
スマホを手にしている紗寿叶の頬は絶賛加熱中であるが。
『乾さん、改めてお礼を言わせてください。私が自分で買いにいったら選ばないようなタイプのデザインだから、最初驚いたんだけどね。鏡の前で身につけてみたら、なんで今までこういうのチョイスしなかったんだろうって、感動しちゃった。乾さん、何かそういうお勉強とか趣味、やってるの?』
どうやら森田健星は紗寿叶のコスプレ趣味のことは話していないらしい。紗寿叶は答えた。
「そうですね。編み物とか、簡単な裁縫は趣味でやっています」
『えーっ、凄いなー。私全然できないし、尊敬しちゃう』
「そんな大したことはできないですよ。尊敬だなんて」
『乾先輩、うちの姉ちゃんにとっては尊敬するようなことなんすよ』
『健星、余計なこと言わないでくれる?』
『ゆーて姉ちゃんは手先が壊滅的だからんっごお!?』
通話の向こうで何かが倒れる音がした。苦悶のうめきが遠く聞こえてくる。
『ごめんなさいね、弟が
何があったか想像はつく。
本当にこの姉弟、仲が良いのだろうかと紗寿叶は不安になった。
「あの、大丈夫なんですか?」
『健星のこと? 大丈夫よ、いつものことだから』
姉妹喧嘩一つしたことが無い紗寿叶にとっては、こんなやりとりが日常茶飯事で交わされている姉弟というのは想像の
紗寿叶が面食らっていると、森田健星の姉は意外なことを質問してきた。
『それでね、健星が乾さんのご家族と一緒に初詣行くって言ってたんだけど、本当かしら?』
森田健星の話では彼の姉は相当なブラコンだったらしい。
濡れ衣で嫉妬の対象にされては困る。紗寿叶は言葉を選んだ。
「はい。そちらのご家族にご迷惑をおかけしないと言うことでしたので、了承しました」
紗寿叶の返事を聞いた森田健星の姉は、明るい声で、良かった、と呟き、続けた。
「それなら私もご一緒していいかな⁉』
紗寿叶は息を呑んだ。そのまま少し考える。
彼一人だけが会いに来たような印象を家族に与えると、変な誤解を生む。
彼の姉が一緒に来てくれるほうが都合がいいかもしれない。
それに紗寿叶自身の
「特に差し支えはありませんが、姉弟喧嘩だけはお止めくださいね」
『ありがとう! 大丈夫よ、喧嘩なんてしないし。でも健星が大人しくなるように躾けておくわ。――そうだ、乾さんは何を着ていくの?』
「普段着です」
『私も普段着だから、良かったわ。振袖って言われたらどうしようかと緊張しちゃった』
「振袖は美容室の予約がもう間に合いませんしね」
『そうよね。うちだとレンタルも間に合わないわ。乾さんは振袖は持っているの?』
「はい、母の振袖を仕立て直したものがあります」
『いいなー。着付けも自分でできるんじゃない?』
「そうですね、やってみましたけど難しいです。襟も
『乾さんの美的センスだと、着付けの仕上がりもこだわりがありそうよね』
「こだわり、というほどのものではないですけど。でも本来素敵なものはちゃんと素敵に見せたいとは思います」
『さすがね。乾さん格好いいわ。はやく会いたいな!』
「……あまり期待なさると、がっかりしますよ」
結局その後しばらく、森田健星の姉と通話を続けた。
はきはきとした口調が耳に心地よかった。喜多川海夢とはまた別の清々しさがあった。
最後に森田健星と待ち合わせの時間を再確認した。
森田健星が通話を切ろうとしたとき、紗寿叶はスマホ越しに呼び止めた。
『どうしたんすか?』
森田健星が不思議そうに訊いてくる。
紗寿叶としては、ある程度親しくなった相手に対して、今日という日にこの挨拶を交わさないことは主義に反する。
これは義務だ。そう自分に言い聞かせる。先手必勝だ。
「めっ、メリー・クリスマスっ」
『――』
スマホの向こうは無言である。
よく聴くと息を呑む音が聞こえた気がした。
『……メリー・クリスマス。良い夢を、乾先輩』
「っ――」
森田健星の声は、いつもの快活な大声ではなく、落ち着いた、優しい声だった。
紗寿叶は目眩を起こす前に急いで通話を切った。
結局、心を振り回されたのは相変わらず紗寿叶のほうだった。
ずっとメリー・ゴー・ラウンド森田のターン。
紗寿叶はもう、ぐるんぐるんです。
続きます。明日投稿します。