【外堀物語】   作:Halnire

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紗寿叶と健星の番外編、〆です


辛辣女と粗忽者 その9(終)

 

 

 

 

      ⅩⅨ

 

 店を出て、再び寒空の中に踏み出すと、紗寿叶は森田健星を呼び止めた。

 彼の姉も、紗寿叶の家族も見ていたが、もう躊躇うことはない。

 

「森田健星」

 

 紗寿叶は彼を呼ぶ。

 彼は紗寿叶を振り向く。

 

「はい。なんですか」

 

 紗寿叶は紙袋を胸の前で抱えている両の手のひらに力を入れた。

 

「すっかり遅くなってしまって申し訳ないのだけど、貴方にこれを返さないといけないわ」

 

 一歩前に進み、ぐっと手にした紙袋を彼のほうに押し出す。

 思った以上に踏み込み過ぎたようで、彼がのけぞりながら受け取った。

 

「これ、俺のセーターっすね」

「そうよ」

「本当にありがとうございます……わざわざクリーニング出してもらって」

「お礼なんていいのよ。私の不始末だもの」

「こっちのセーターも選んでもらって、嬉しかったなあ」

「……そう。良かったわ」

「姉ちゃんのマフラーも喜んでもらえたし」

「……そうね」

 

 森田健星はにこにこと笑みを浮かべながら、感謝と喜びの言葉を繰り返す。

 紗寿叶はその彼の顔を見ながら、早まっていく自分の鼓動を抑えつけようと努力する。

 深呼吸する。

 その結果逆にどんどん呼吸が早まる。脈も早まる。

 

「お姉ちゃん、だいじょ――」

 

 姉の様子を心配して声をかけようとした心寿と、同じく手を差し伸べようとした紗寿叶の父親を同時に遮ったのは、森田健星の姉と紗寿叶の母親だった。

 

「しーっ」

 

 二人の女性はそれぞれに、取り押さえた相手の唇に人差し指を当てて制止した。

 視界の端で、紗寿叶はそのやりとりを見ていた。

 もう、二人の女性は気づいている。紗寿叶が森田健星にどんな思いを抱いているのかを。これから紗寿叶が何をしようとしているのかを。

 紗寿叶は両手の拳を握った。

 

 ――堂々とあれ、私よ。決して退くな。

 

「森田健星。袋の中を、確認してほしいの」

 

 彼は短く、はい、と答えて中を覗き込んだ。

 

「確かに俺のセーターです。マジありがとうございます……って、あれ?」

 

 森田健星は同じ紙袋の中から、もう一つの紙包みを取り出した。

 それは偶然にも彼が着ているダウンジャケットと同じオレンジ色のリボンを施された、純白の紙包みだった。

 快活な森田健星の雰囲気によく合っている。そう思って紗寿叶が選んだリボンだ。

 

「……開けて、見せて」

 

 森田健星は言われるままに、彼らしくもなく大変慎重に袋を開けていった。

 やがて中から落ち着いた発色のボルドーの毛糸玉のようなものが現れ、彼はそれを目の前に掲げて見せた。

 

「うわあ……」

 

 嘆声を上げたのは森田健星の姉だ。

 その隣で心寿も、紗寿叶の両親も称賛の眼差しで見守っている。――父親だけは、多少嫉妬の感情が混ざっているようにも見えたが。

 

「貸して頂戴」

 

 紗寿叶はそれを森田健星の手から受け取った。

 化繊の芯にウールとアルパカを混ぜて織られた毛糸。

 それが斜めのラインを美しく浮き上がらせた背の高い筒状に編み込まれている。

 

「屈んでもらえるかしら。私、貴方の頭に手が届かないもの」

 

 彼は素直に膝を折り、紗寿叶の方に頭を下げる。

 それは周囲にはまるで姫の前に跪く騎士の如く、女神の手づから執り行われる王の戴冠式の如く見えているのかもしれない。そう思えるほどに周囲は言葉もなく見守っていた。

 心寿も健星の姉も、紗寿叶の両親も、行き交う見知らぬ街人たちさえも。

 紗寿叶の心は高揚した。

 

 ――貴方の髪、思ったよりもさらさらなのね。

 

 紗寿叶の手は自然と彼の頭を撫でるようにしていた。

 彼の前髪をそっと上げて顔を見る。

 意志の強そうにきりりとした眉。

 切れ長の二重目蓋の瞳。

 意外と長く伸びたまつ毛。

 男らしく多少太くしっかりしているけれども通った鼻筋。

 強く結ばれた唇。

 思えば前回会ったときはこうして彼の顔をまじまじと見つめることは無かった。

 今みたいに上から見下ろすような場面が無かったからかもしれない。

 

 ――あたたかい。

 

 冠をかぶせるように彼の頭を左右から優しく挟んだ紗寿叶の手は、今はその下の頬を撫でるところまで下がっている。

 肌にほんのりと熱を感じた。

 さらにその下の首へと降りてゆき、少し広めに開いたVネックのセーターから覗く彼の肩の筋肉に触れたところで止まった。

 紗寿叶の腕に導かれた毛糸の編み物は森田健星の首周りをふんわりと包み込んでいて、彼の頬の一部と唇までを覆った。

 

「これは……?」

「スヌードよ。ネックウォーマーって呼んでもらってもいいわ。しっかりしたマフラーを作る時間は無かったの。ごめんなさいね」

「いえ、そうじゃなくて……」

 

 森田健星は驚きをそのまま表情に(あらわ)して呟いた。

 紗寿叶はつい『皆まで言わせる気?』と口から出かかったが、それを飲み込んで別の言葉をはっきり口に出すことにした。

 照れ隠しは無しだった。今日はそうすると決めた。

 

「貴方、手編みに憧れてるって言ってたじゃない」

 

 彼の首を包むスヌードの向きと形を直しながら、紗寿叶は続けた。

 

「言っておくけど余りの糸なんかじゃないわ。貴方に合いそうな色と素材を選んだの。気に入ってもらえると嬉しい」

 

 それに答えようとする森田健星が口を開く前に、さらに紗寿叶は言葉を紡ぐ。

 

「これはお礼。私の気持ちよ」

 

 彼が少し戸惑った表情をした。

 それを見て紗寿叶の小さな胸がどくんと跳ね、ずきりと痛む。

 

「これでも心を込めて編んだのよ。だから、せめて一度だけでも身につけてもらいたいと思って勝手に首に巻かせてもらったわ。――強引なことをしてごめんなさい」

 

 森田健星は紗寿叶の首元の方に目を向けている。

 その顔がはっとした表情になった。

 次いで意を決したように口元を結ぶ。

 紗寿叶もちらりと自分の首元に視線を動かし、気づいた。

 紗寿叶は無意識のうちに自分の髪をぎゅっと握っていた。

 受け取りを拒否されたらどうしようという怖れが仕草になってしまっていた。

 それを森田健星は見ていた。

 彼の姉が不安なときに見せるのと同じ、その仕草を。

 森田健星は跪いたまま、しっかりと紗寿叶と目を合わせて口を開いた。

 

「マジで嬉しいです。これを、俺のために編んでくれたなんて信じらんねーってなって、一瞬脳がバグってました。俺のほうこそごめんなさい!」

 

 彼はそう言って深々と頭を下げる。

 そして再び顔を上げると彼らしい朗らかな笑顔になっていた。

 

「ありがとうございます。一度だけなんて言わずに、一生、大切に使わせてください!」

 

 紗寿叶は一気に顔が熱くなるのを感じた。

 火でも出たかのようだった。

 『一生だって!』と声が聞こえ、横目でちらりと見えたのは、心寿と彼の姉、そして紗寿叶の母親までもが手をとりあってはしゃいでいる姿だった。

 父親は一人、唖然とした様子にも見えた。

 

「でも……なんで、〝お礼〟なんですか? 俺、何かしましたっけ?」

 

 紗寿叶は握っていた手を下ろし、森田健星をただ見つめている。

 その自分に向かって彼が問いかけてきた。

 ここからだ。

 きちんと自分の気持ちを、口にするときが来た。

 

「私は、貴方に助けてもらったの」

 

 祈るように両手を重ね、告白する。

 

「あの日の私の気持ちを、ここでは全部言えないわ。でも、貴方が居なかったら、私、自分を許せなくなっていたかもしれない。自分が惨めで仕方なくなっていたかもしれない……そうならなかったのは、貴方のおかげ」

 

 妹の心寿が驚いた顔をしているのが視界の片隅で見える。

 

 ――ごめんね、心寿。

 

 あの子を心配させてしまったな、と思う。

 でも、このこと全てを心寿に説明することは、少なくとも当分の間はできないだろう。

 紗寿叶はその後ろめたさを飲み込んで告白を続けた。

 

「だから、私の気持ちを受け取って欲しかった」

 

 森田健星はその言葉を聞き届けると立ち上がり、満面の笑みで答えた。

 

「そーゆーことなら間違いなく受け取りました! でも正直言って俺が何をしたのか全然解んないんで、またお話させてください。今度は俺がおごります! ――どうっすか?」

 

 紗寿叶はこくんと頷く。

 『デートよ!』『デートの約束だ!』と例の三人がささやき合っているのが聞こえる。父親の方は敢えて見ない。

 自分の心臓が鼓動を早めていくのが感じられる。

 今日こそ主導権を取ろうと思ったのに、やっぱり彼には振り回されてしまう。

 だけど、それは不快じゃない。

 

「よかった。オーケーしてもらって嬉しいっす! あ、そだ」

 

 もうすっかり彼のペースだ。それでいいんだと思った。

 紗寿叶は彼が口を開くのを夢見心地で待っている。

 彼は紗寿叶が編んだスヌードを上まで引き上げて、彼らしい純粋な瞳で紗寿叶に問いかけた。

 

「俺、似合ってますか?」

 

 真摯な問いには、真摯な答えを。

 紗寿叶は心からの賛同を、言葉に込めた。

 

「とても似合ってるわ。――本当に、素敵よ」

 

 その返事を受け取った彼の笑顔は、真夏の太陽が輝くように、暖かく、眩しく映った。

 

 

 

 

      ⅩⅩ

 

 参拝客でまだ人混みができている中、帰り路を行く。

 紗寿叶は妹の心寿、それに両親とともにゆっくりと歩を進める。未だ夢見心地のふわふわとした気持ちのままに。

 その紗寿叶の前には、彼の姉にからかわれながら歩く森田健星の背中がある。

 その背中をぼんやりと見ていると、心がますます浮つくのを自覚する。

 

「あっ」

 

 気づくと紗寿叶は前のめりにバランスを崩していた。

 気もそぞろだったためか、石段の出っ張りを見落として躓いたらしい。

 眼前に彼の背中が広がって避けることもできないまま、そこにしがみつく格好になっていた。

 ダウンジャケットの弾力に顔全体が包まれる。

 両手は彼のお腹のあたりをしっかりと掴んでいる。

 

「きゃあ」

 

 悲鳴を上げたのは森田健星の姉だ。

 にやつく顔を抑えきれない、といった様子だ。

 紗寿叶は羞恥心で一杯になり、急いで彼の背中から離れてうずくまる。

 

「大丈夫っすか」

 

 森田健星も、赤い顔で心配そうに声をかけてくる。

 

「べっ、別になんともないわ……。うっかりしてたの、ごめんなさい」

 

 彼が手を差し伸べてくれる。

 紗寿叶は手を取って立たせてもらった。

 男子とそんなやりとりをしている自分自身がなんだか不思議で、現実感が乏しく思えた。

 脈もかつてないほど早い。視界がまた少し傾く。

 

「――っと。やっぱ大丈夫じゃなさそーっすよ。それじゃ」

 

 すかさず森田健星が再び紗寿叶の前に背中を向けて回り込み、しゃがむ。

 気づくとひざ裏を押さえられ、彼の背中に倒れかかる状態になる。

 咄嗟に伸ばした手は彼の首に回す形になった。

 

「ほい、っと」

 

 紗寿叶の視点が急に高くなった。

 ふと横を見れば男性の耳と頬――森田健星の横顔があった。

 

「お姉ちゃん……!」

「まあまあ……!」

 

 心寿と母親の声が聞こえる。

 父親の悲鳴も聞こえた気がした。

 その声も徐々に後ろに遠ざかってゆく。

 紗寿叶は足を動かしていないのに、視点がどんどん前に進んで行く。

 紗寿叶もようやく、何をされているのか解った。

 

「健星! いきなりおんぶなんて、平気なの⁉」

 

 森田健星の姉が驚いて弟に訊く。

 彼は平然と答えた。

 

「ちっちゃくて軽いから全然へーきだって!」

 

 紗寿叶は慌てて森田健星の頭をぽかぽかと叩く。

 耳が熱い。

 心臓の鼓動がうるさい。

 たぶん顔じゅう真っ赤になっていることだろう。

 高まる脈拍に合わせて頭を叩く回数も上がる。

 そのうちたまらず森田健星が紗寿叶を下に降ろした。

 

「痛いっすよ、先輩……⁉」

 

 紗寿叶は仁王立ちして彼を睨みながら口を開いた。

 落ち着いて言葉を紡ごうとしても心臓につられて口調も早く強くなってしまう。

 

「そこまで許した覚えはないわ! それに何よ、ちっちゃいって! 私を誰だと思ってるの!」

「えっと……俺の、か、彼女?」

「なっ……!? だっ、誰が彼女よ!! 私がいつそんなものになったのよ!! 身の程を知りなさい!!」

「――えぇ……辛辣すぎる……」

 

 森田健星が両手を地面につくように崩折れる。

 彼の姉がお腹を抱えて笑う。

 紗寿叶の父親がしきりに頷く。

 母と妹はおろおろと成り行きを見守る。

 

「いやー、笑った笑った。でもホント、粗忽な弟でごめんね、紗寿叶さん」

 

 笑い涙を手の甲で拭いながら森田健星の姉が謝ってきた。

 紗寿叶は紅潮した顔のままむっつりと答えた。

 

「本当です。これでは心臓がいくつあっても足りません」

 

 起き上がった森田健星がそれに対して頭を下げた。

 

「ごめんなさい……。でも足とか挫いてないか心配だったもんで……」

 

 紗寿叶はその顔を正面から見ることができず、横を向いて小さく口を開く。

 

「……それは判ってるわよ……ありがとう……」

 

 彼の姉はそのやりとりに明るい笑い声を投げると、やがて空を見上げて呟いた。

 

「私、もう心置きなく関西に行けるわあ」

 

 彼女は紗寿叶を振り返り、よろしくね、と微笑む。

 

「長女としては安心だわ」

 

 爽やかな笑顔だった。

 紗寿叶は敢えてむっとした表情を作って答える。

 森田健星も顔を赤らめて、同じようにむっとしていた。

 

「私、彼のお姉さん代わりになるつもりはありませんよ」

「そーだぜ。もう中学のときみたいなことはしねーよ」

 

 そう反論する二人に森田健星の姉は悪戯をする子供のような笑顔で向かい合うと言った。

 

 

「そのうち本当になってくれるかもしれないじゃない」

 

 

 そしてにっと口角を上げた。

 

 

「私の妹に、ね?」

 

 

 辛辣な少女と粗忽な少年は、二人並んでひどく赤面した。

 

 

 

 

 

     〈了〉

 

 

 

 

 

 

 

 




あとがき:

 森田健星はアニメではまだまともな登場シーンのないキャラですが、
 原作では明るくて屈託のない男子クラスメイトとして何度も登場します。
 声がでかくてあっけらかんとした物言いをします。たぶん失言も多いでしょう。
 でも根がまっすぐでいかにも「いいヤツ」です。
 逆ナンねらいで渋ハロで女装したりもしますが、年上好きなので海夢を含むクラスメイトにはまったく興味がなさそうです。
 海夢も健星にはまったく興味がないと原作でも書かれてました。
 海夢と健星はとても性格が似ていそうなのにお互い魅力を感じないし、むしろぶつかり合ってる感じなのは、たぶん磁石の同極みたいなもんなのかもなあ、と思ったところから、このお話は着想しています。

 それとは別に、ジュジュが付き合うとしたら誰? なんてやりとりがツイッター上で交わされました。
 そのときは、相性としては姫野あまね君がベストじゃないか、って感じの結論だったと思います。
 でも、海夢がジュジュを振り回しているシーンが印象的なように、男版海夢みたいなキャラと一緒のほうが幸せなんじゃないか、という話にも展開していきました。
 自然な流れで「いるじゃん、男版海夢」となりまして、「紗寿叶と健星」というカップリングが誕生しました。


 そんなわけですから、この二人のカップリングは本誌イベントが何もないので、100%捏造のお話になりました。
 人物を借りただけのほぼオリジナル展開です。ここまで我慢してお読みくださった方には感謝しかありません。

 本当に、ありがとうございました。

 拙作はまだ続きますが、どうぞよろしくお願いいたします。
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