【外堀物語】   作:Halnire

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第五章:喜多川さん
喜多川さん その1


 

      Ⅰ

 

 

喜多川(きたがわ)さん、お願いです」

 

 無理。

 

「喜多川さんしか居ないんです」

 

 嫌だ。

 

「あなたじゃないと、駄目なんです」

 

 熱烈なラブコール。

 

「どうか考えて欲しい! 喜多川さん!」

 

 でも心がちっとも沸き立たない。

 

「喜多川さん以外、考えられないんだ!」

 

 むしろ急激に気温が下がったみたいだ。

 

「あなたが欲しい」

 

 寒気すら感じてきた。

 

「喜多川さん!」

 

 どんなに頭を下げられても、無理なものは無理だ。

 

 喜多川さん。喜多川さん。喜多川さん。喜多川さん……。

 

 もうやめてほしい。

 そんなに。

 うんざりなんだ。

 

 もう、僕の名前を……。

 〝喜多川さん〟を、気安く連呼しないでくれ。

 

 

 

 

      Ⅱ

 

「喜多川さん、例の報告書、よく出来てるよ」

 

 部長に呼ばれて行ってみると、褒められた。

 大手ゼネコンをクライアントとする、埼玉のとある里山近くを造成する計画。その環境調査報告書のことだろう。

 

「そうですか、ありがとうございます」

 

 つい、気のない返事をしてしまう。幸い、部長には気づかれなかったようだ。でも同席していた同僚はすぐに勘づいたらしい。退室後に声をかけてきた。

 

「喜多川さん、やっぱり気に入らないんですね、あの調査」

「……そんなことないよ」

「バレてますよ、顔にでやすいんですから」

 

 僕は思わずため息をついた。

 造成計画のある土地は、湿地はないし沼沢地でもないから、希少な水棲(すいせい)生物は居ない。

 水棲生物は今かなり環境省も神経質になっているから調査書も念入りなものを求められるが、今回の土地は、そこまで厳しい目は向けられなかった。

 だから、調査としては〝楽〟だった。

 

「〝クビヨツ〟助からないだろうね」

「――でしょうね」

 

 その土地には〝クビナガヨツボシゴミムシ〟などの甲虫類が生息してたはず……埼玉ではかなり生息域が限られている希少種だ。

 今回の造成で、あそこは根こそぎやられてしまうだろう。

 

「喜多川さん、仕方ないですよ」

「……わかってるよ」

 

 ラムサール条約などで水棲生物は国際的にも目が厳しいが、それ以外の昆虫などの小動物は環境保全のときに軽視されやすい。一般市民が興味をもたないからだ。むしろ嫌悪される。居ないほうがいいとまで言われる。地球上で人間が生きることを許されているのは、彼らの営みがあるからだというのに。

 でも、僕はそれを解っていて、今の仕事に就いている。

 自分の選択だ。できることをするだけだ。

 

「また本音言いますけど、喜多川さんにはウチなんかに来ないで、自然環境局にそのまま居て欲しかったですね!」

「同僚になった人間にそんなこと言う? しかもそれ言うの何回目?」

「喜多川さんが毎回、調査書褒められるたびに悲しそうな顔するからじゃないですか」

「……民間の仕事なんだし、納得した上で転職しているさ」

「頭では理解していても、気持ちはどうにもならない、ってことですよね。喜多川さん、根っからの〝湿地オタク〟なんだから」

「君だってそうだろ」

「私は、入省できるような頭の出来、してませんでしたしねー」

「君は〝環技〟、とってるじゃないか。その知識と経験なら公務員試験くらい、楽に受かったでしょ」

「嫌味ですかーそれー。喜多川さんだって、同じ〝技術士・環境部門〟あっさりと合格してるじゃないですか。それに私は中央省庁なんて面接で落ちますよ。ウチの大学じゃ箸にも棒にもかかんないかな。現実は厳しいんですよ?」

「――(かすみ)(せき)に居たって、必ずしも思い通りの仕事ができるわけじゃないよ」

「それでも、クライアントの意向で〝調査内容〟が大きく変わる民間よりはマシだったでしょーに」

「――」

 

 そうだ。僕は自分の都合で今の仕事に転職した。

 環境省・自然環境局から、民間の〝環境コンサルタント〟会社へ。

 建設会社などが新しく土地を開発するとき、必ずそこには自然環境の破壊が伴う。環境保全の観点から、生息する生物の種類や生態、地質や土壌などを調査しなければ開発に取りかかれない。

 開発が与える自然環境負荷が〝適当〟かどうか判断するためのデータを提供することが、僕たちの主な仕事だ。

 建設会社は基本的に開発を進めたい。一方で調査はクライアントの意向に叶うものでなければならない――そういう仕事だということは、転職前から百も承知していた。

 

「とにかく、僕の前職について、あまりあれこれ詮索しないでくれよ。あまり思い出したくないんだ」

「もうっ。海夢(まりん)ちゃんのためなんでしょ。そんなしみったれたこと言ってたら、海夢ちゃんに怒られますよ?」

 

 わかってる。

 僕は、たった一人の娘のために転職したんだ。

 あの子の笑顔を護るために。

 だから、僕がこんな顔をしてちゃ、いけない。

 

 

 

「お父さん、おかえりー!」

「ただいま、海夢」

 駅前マンションの玄関ドアを開けると、娘の海夢が出迎えてくれた。

 ロケットのように僕の胸に飛び込んでくる。

 だいぶ背が伸びた。頭のてっぺんが僕のあごに届きそうだ。栗色の髪が鼻をくすぐって思わずくしゃみが出そうになった。

 

「風邪ひーたの?」

「ちがうよ、海夢の髪の毛が鼻に入ったんだよ」

「あは、おっかしー!」

「くしゃみしたら海夢のあたま、洟(はな)水だらけだよ」

「いーよ、別にお父さんのハナミズくらい」

「父さんはいやだよ、きたないよ」

「どーせお風呂入るじゃん」

「まあね」

「お父さん、今日も野外調査? だっけ、無かったの? あまり汚れてないね」

「そうだね、最近は会社の建物からあまり出ないなあ」

「でも、なんか疲れてるみたいだよ。はやくお風呂はいろ?」

「一緒にかい?」

「モチ! お父さんのあたま、洗ったげる」

「海夢に洗ってもらうと、ごっそり汚れがとれる気がするよ」

「でしょでしょ! だからはやく!」

「ついでに髪の毛もたくさん抜けるような気もするけどね……」

「お父さんがハゲになってもあたしはずっと大好きだからへーきだよ! 安心して!」

「いや、まだハゲたくはないよ!」

 

 海夢に押し切られて、浴室に向かう。

 もう小学校五年生になった海夢は、いい加減父親とは風呂に入らない年齢だと思う。だけど、海夢には長いこと、仲の良い友達もいなかったし、親切にしてくれる近所の人もいなかった。夜になるまで学童でひとり、僕を待っていることも多かった。そして、母親のぬくもりを失ってから長かった。

 この時間がどれだけこの子に大切か、僕は長いことわかってあげられなかった。

 

「ねー、聞いてー! 今日も男子がウザかったんだよー」

 

 海夢に髪を洗ってもらっている時に、海夢が憤慨した声色で言った。

 

「いつもの子?」

「そーそー、ホントあいつムカつくー!」

 

 僕は海夢の学校生活には気をつけているつもりだ。

 クラスの中では、女子よりは男子のほうが仲の良い子が多い。海夢がウザいと言っている子も、海夢が風邪をひいたときなんかはプリントとか届けてくれた。面と向かうとわざと海夢を怒らせることを言うらしいが、それは、アレだ。年頃の子によくあるヤツだ。彼氏とか考えるのは海夢にはまだ早すぎるから、敢えて海夢には教えないが。

 

「別に悪気があるわけじゃないと思うよ。親切なところもあるし」

「ん、まー、そーなんだけどさー。なんであたしが怒るよーなこと、ゆーかなー」

「つい、口から出ちゃうんだろうね。そういう年頃なんだよ」

「あたしも同じ年なんですけど! そんな気持ちになったことないよ!」

「海夢はすごく素直だからね。お母さんの子供だからな」

「お父さん、いつもそーゆーよね。お母さんが素直だったって」

「そうだよ。お母さんは絶対に嘘を言わない、素直な人だったんだ」

「お父さんだって嘘言わないじゃん。素直だよ」

「海夢に素直って言われると、なんだか変な気分だね」

「あたしももう十歳だよ! 人を見る目、ちゃんとあります!」

「人を見る目、か。大きく出たなあ」

「あっ、バカにしたでしょ! もう、こうだー!」

「うわっ、痛いよ! 爪たてちゃだめだよ!」

「ハゲちゃえ!」

「いやだよ!」

 

 いつものこととはいえ、ゆったりと風呂に入る暇もない。なんせ、風呂場の中が家の中でいちばん賑やかだ。それでもこの空間がいちばん、僕の疲れを取り去ってくれる場所なんだ。

 

 

 海夢はアニメの録画を何本か観たあと、自分の部屋のベッドへ向かった。

 幸い、海夢は寝付きが良くて夜更かしもしない。しっかり食べてしっかり寝る。寂しい思いだって何度も味わっただろうに、あの子は本当に真っ直ぐに育ってくれた。

 僕はリビングのソファに体をゆだね、デッキに入れてあった昔のDVDを再生する。ここ毎晩、少しずつ見進めているデンマークの映画。

 

 女手ひとつで息子を育てる女性の物語だ。

 女性は移民で貧乏でおまけに生まれつき視力が低下していく病気にかかっている。しかも息子までその病気が遺伝しているという事実が判明してしまう。息子の将来の手術費用を貯めるために必死で働く女性主人公は、激務の中でどんどん視力を低下させていく――

 救いの無い映画だと、(かのじょ)は言っていた。だけどとっても好きな映画だとも。

 だから、気が重いけれど、僕は結末を見届けなければ。

 映画を観るのは、僕が僕に課した、義務のようなものだから。

 

 僕はもともと映画にはあまり興味が無かった。

 僕は、里山や湿地帯を探索することが何より好きだったから、それ以外のことに興味を示そうともしなかったんだ。

 そもそも、(かのじょ)と出会ったのも、僕が雑木林で夜通し落ち葉をひっくり返していたところを、職務質問されたからだ。

 (かのじょ)は警察官だったから。

 あのときは恰幅(かっぷく)のいいショートカットのお姉さんにスゴまれて、焦ったっけなあ。

 でも(かのじょ)は何故かさっさと僕を交番に連れて行かずに、落ち葉の下に何が居るのか見せてくれと言った。

 僕は嬉しくなってあれこれと説明しながら見せてあげたっけ。

 嫌な顔一つせず、ふんふんと聴いてくれる(かのじょ)に、僕はあっという間に魅了されてしまったんだ。

 

 テレビ画面では、主人公が大好きなミュージカルを空想しながら唄っているシーンが映っている。

 この女性主人公を演じているのは、アイスランドの歌姫だと聞いた。声がとても特徴的で、音楽にあまり興味が無かった僕でも印象に残っている。

 (かのじょ)はこの唄が大好きだった。

 全体的に色褪せた映画だし、カメラワークも不安定で、まるで素人が撮った映画じゃないか、と思っていたけど、今日観ているシーンでやっと映画のねらいがわかった。主人公の空想の中、不自由な視力から解放されたミュージカルの世界だけはものすごい色彩とカメラワーク、そして歌姫の圧倒的な歌唱力に引き込まれそうになってしまう。これは、好きになるかもしれない。

 愛するもののために、本当に大好きなものさえも投げ売ってしまう女主人公。でも、大好きだ、という気持ちさえあれば、決して不幸ではない。

 心さえあれば、人間は好きなものを追い続けられる――

 

 

 観ていたらなんとなく小腹が空いてきて、カップラーメンを食べようかと思い立って、やめた。

 海夢はヤカンの音に耳ざとい。

 この間もヤカンが鳴る音を聞きつけて、結局僕のラーメンをほとんど全部食べてしまったっけ。

 無性に食べたいわけでもない。あの子の目を覚まさせないほうが大事だ。

 僕は映画を観続けることにした。

 

 (かのじょ)と付き合うようになって、(かのじょ)の趣味が映画鑑賞だと知った。

 非番のときは映画館にもよく行っていたらしいが、僕とは休みが合わずほとんど一緒に観に行ったことはない。それに僕は自分の好きなことしか眼中になくて、(かのじょ)の映画談義もあまり聴いてあげられなかった。

 (かのじょ)の遺品を整理しているとき、遺された沢山の映画DVDを目の前にして初めて、結局(かのじょ)の好きなものを何一つ解ってあげようとしなかった馬鹿な自分に気がついた。

 (かのじょ)は僕を理解しようとしてくれたのに、僕は一方的にその好意にあぐらをかいていただけだったんだ。

 

 画面の中では、女主人公が息子の手術費用を守るために、男と揉み合いになっている。

 記憶の中でおぼろげに残っている(かのじょ)の映画談義を呼び起こすと、このあとはひたすら苦しい展開が待っていたと思う。

 主人公は子供を守るためにただ必死なだけなのに、救われないのだ。観ていて苦痛かもしれない。

 でも、僕は観続ける。

 これが、僕の罪ほろぼしだから。

 

 

 夢をみた。

 疲れていた上に、あんな映画を観たからかもしれない。

 五年ほど前の、あの日のこと。

 僕が一生胸に刻み続けると誓った、あの日の(かのじょ)の顔。

 病院のベッドの上。

 シリコンチューブと最先端機器が、あと数刻の命を必死につなぎとめていた。

 天使のような笑顔。

 もともとふっくらとしていた顔は、長い闘病生活ですっかり肉が落ちてしまっていたけれど、すべてを悟ったようなその眼差しに、僕は泣くことも忘れて魅入られた。

 看護師がそっと酸素吸入器を外し、(かのじょ)は言ったんだ。

 

 ――喜多川さん。

 ――夢を追いかける君のこと、あたしは大好きだよ。

 ――一緒に見たかったな、君が奇麗(きれい)にしてくれた世界を。

 ――先に逝っちゃって、ごめんね。

 

 (かのじょ)の奇麗な顔を、僕は一生、忘れない。

 

 

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