【外堀物語】   作:Halnire

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五条薫編 結びです。


五条薫 その3(終)

 Ⅲ

 

 チチッ、チチッと頭上から響く音に誘われるようにして、薫は二週間ぶりに庭に降りた。軒下には二つ、ツバメの巣が出来上がっており、もう雛たちの鳴き声が聴こえてくるのだ。

 花壇の様子をみてみると、新菜は大変な中でも水やりを欠かさずやってくれており、苗の高さはもう腰の高さを大きく越えていた。薫は支柱に紐をくくり、8の字を作って苗とつなげた。

 

 その日の夜も海夢が来た。手土産に水ようかんを携えてきた。海夢は元気に挨拶をして居間に上がると、薫に向かって尋ねた。

 

「あたしも、お仏壇、お線香上げさせてもらってもいいですか。昨日はできなかったんで、今日はちゃんとご挨拶したいし」

 

 薫は喜んで仏壇の扉をひらいた。

 まず薫が仏前に座り、海夢から受け取った水ようかんを仏前に供え、線香を上げて心の中で海夢のことを報告してから、海夢に座布団を譲った。

 海夢は仏壇に三つ並ぶ遺影に順に目をやり、小声で何か呟いた。ろうそくから線香に火を点け、仏前に立てると、お鈴(りん)をチンと鳴らした。居間に澄んだ音が沁みわたった。海夢は目を瞑りしばらく手を合わせていた。

 薫は、頭を垂れる海夢の背中越しに、遺影の三人へ自慢げに心の中で語りかけた。

 

 ――どうでぇ、いい子だろう。

 

 それから平日は毎日のように海夢がやって来た。

 アルバイトをしているらしく、そういった日は夜になってから来るが、それ以外は新菜と一緒に学校から直接来る。

 

「ただいま」

「お邪魔しまーす!」

 

 今日は駅前のスーパーに寄って来たようで新菜が手提げを持っている。

 

「おう、お帰り」

 

 新菜と海夢は玄関を上がると、早速台所へ入っていった。

 

「じゃあ、炊き込みご飯の準備を始めちゃいますね」

「うん、楽しみ!」

「お、今日は炊き込みご飯か」

「うん、喜多川さんが食べたいっていうから」

「だって、おじーちゃん、お惣菜コーナーに鶏飯おにぎりがあって、めっちゃ美味しそーだったから、ごじょー君に買って! ってゆったんですよ。そしたら出来合い買うの勿体ないから俺が作りますって。怒られちゃった!」

「はっはっは、新菜に怒られたか」

「そんな、怒ってなんか……」

「でもごじょー君が作る鶏飯のほうが絶対おいしーし、いっか、って! 楽しみにしてるね! ごじょー君」

「はい。頑張りますね」

 

 薫は二人のやりとりを微笑ましく眺めた。まるで兄弟のようにも見えてくる。新菜が物静かな兄で、海夢が元気な弟だ。海夢にはさすがに失礼なので言えないが、二人をみているとついついそんな思いが浮かんで笑みが溢れてくる。

 とはいえ薫は海夢が新菜に抱く気持ちには見当がついていた。表情も振る舞いもあからさまなので、薫からすれば判らないでいるほうが難しい。ただ、肝心の孫が海夢の気持ちを判っているのか、海夢と同じ感情を抱いているのかはちっとも見えてこない。

 それでも、新菜が海夢を追いかける視線には、憧れ、尊敬、信頼と慈しみがある。憎からず想っていることは間違いなかった。

 

「海夢ちゃん、じいちゃんには敬語、使わなくていいからな」

 

 夕食を囲みながら、薫は海夢にそう言った。

 

「えー、いいんですかー」

「いいんだよ、毎日夕食を囲んでるんだし家族みたいなもんだ。堅苦しいのはナシでいいよ」

 

 海夢は、家族、と呟き、顔を少し赤らめながら、即答した。

 

「うん! じゃあ遠慮なく! おじーちゃん、ありがと!」

 

 

 

 やがて梅雨に入った。

 今年ははっきりしない梅雨で、降ったと思ったら翌日はカラっと晴れていたりする。

 今はそんな梅雨晴れの昼時前だ。花壇の苗は日ごとに目に見えて大きくなっていった。そろそろ薫の背丈に届く。もうさすがに苗とは呼べない。

 今日は新菜の高校は土曜授業の日で、午前中に終わる。もうすぐ新菜たちが帰ってくるだろう。さきほど新菜から電話があり、スーパーに海夢と寄ってから帰ると言っていた。昼間から海夢が来るのは初めてだ。

 

 六月になって、新菜は学校帰りに海夢の買い物に付き合ったり、週末に出かけることが増えた。

 先日、土砂降りの日に家を訪ねてきた子がいた。その子からまた新しい衣装を頼まれたため、その準備をしているようだ。海夢たちとは違う高校の学生で、海夢の憧れの人らしい。海夢がネットに掲載した新菜の衣装を見て、依頼しに来たとのことだ。

 新菜は今回は一度に二着作ると言っていた。また無茶するのではと懸念を新菜に伝えると、居合わせた海夢が真剣な顔ですかさず言ったものだ。

 

 ――おじーちゃん、ごめんなさい。あれは、あたしが悪かったの!

 ――絶対、あんなことはもうさせないから!

 ――あたしが、ちゃんと見てる! 約束する!

 

 真っ直ぐな目で、少し涙を浮かべながら、薫に約束した。薫はもう余計な口出しをしないことにした。

 それにしても、海夢という友達が出来てからというもの、新菜は頻繁に外出するようになった。とはいえ夜はあまり遅くならない時間に帰ってくるし、週末も遠出をする様子はない。せめて週末くらいは気兼ねなく外出できるようにしてやりたいと薫は思った。

 薫は以前交わされた、週末は晴美の家に厄介になる話を再び相談しようと考えた。

 新菜の面相書きも最近はすこぶる良くなった。筆づかいに柔らかさが加わった。衣装作りの経験で、誰かを喜ばせたいという想いが筆に宿ったようだ。海夢を相手に化粧もしたというが、その経験も生きているだろう。

 もともと海夢は目鼻立ちのはっきりした奇麗な顔をしている。それを引き立ててもっと奇麗にしたいと一筆一筆、まごころを込めて眉を描き、(べに)を挿したに違いない。

 新菜は、薫に見えている世界から、大きく踏み出そうとしているのだ。薫にはそれが誇らしく思えた。

 

「ただいま」

「お邪魔しまーす」

 

 そんなことを考えていると、新菜と海夢が帰って来た。

 居間に上がってくると、庭にいる薫に気づいたらしく、縁側でサンダルを履いて二人とも降りてきた。

 

「おじーちゃん、何してるの?」

 

 海夢が訊いてくる。薫は花壇を指さして、答えた。

 

「ちょっと水やりだよ。あと、くくり紐も足さなきゃなんねえ」

 

 海夢は花壇をみると、わっと歓声を上げて駆け寄った。

 

「うわぁ、デカっ! これ、ひまわりだよね? 小学校のとき育てたし! 近くで見んの久しぶり。ごじょー君ち、いつも暗くなってから来てたから、お庭こんなんなってんの知らなかったなー」

 

 無邪気にはしゃぐ海夢を見て薫の頬もほころんだ。

 

「そろそろ草むしりもしなきゃいけないね」

 

 庭や花壇に伸びてきた雑草を見て、新菜が言った。

 

「暑くなる前にやんねえとなあ」

 

 薫がそう答えると、海夢が言った。

 

「じゃ、今日やっちゃう? あたしもやるし」

 

 薫は少し驚いた。

 

「海夢ちゃん、草むしりなんてやんのかい? マンション住まいだって言ってたろ?」

「むかし、お母さんのおじーちゃん家でよくやってたみたいな? あたし草を根っこから引っこ抜くの上手だねっておじーちゃんによく褒められてた!」

「思い切りがいいんだなぁ。じゃ、頼むとすっか。新菜、いいだろ?」

「喜多川さん、制服しかないし、汚れたり怪我したら大変ですよ。やめておきましょう」

「手袋もしてムキになんなきゃそうそう怪我はしねえよ。作業着も何かあんだろ。ほら、ばあちゃんが着てた作務衣が仕舞ってあっただろ?」

「作務衣⁉ ごじょー君やおじーちゃんみたいなの? 着たい! 絶対着る!」

 

 結局、昼食の後に三人で草むしりをすることになった。

 昼食はなめこおろしの冷やしうどんにした。海夢はどんぶり二杯をぺろりと平らげた。二人が後片付けをしている間に、薫は自室の奥の箪笥から、妻の作務衣を引っ張り出した。薫や新菜が着ている藍染の物ではなく、あずき色に染められた女物の作務衣だった。

 

「海夢ちゃんは背がすらっとしてっからな、脚がつんつるてんになっちまうかもしれねえが、ま、入るだろ」

「つんつるてんって何? ってか、赤い作務衣⁉ かわよ~‼」

 

 海夢は早速脱衣所に着替えに行った。新菜は肌着代わりに自分の体操着を貸した。着替えて出てきた海夢は袖が少しと、(すそ)が十センチほど短いものの、これはこれで似合っていた。

 

「おお、少し短ぇがいいんじゃねえか? これならばあちゃんも喜ぶわ」

「わあ~! あたし的にありよりのあり! どうどう? ごじょー君、よくない?」

 

 新菜は海夢の作務衣姿を目にした途端、頬を染め、しどろもどろになった。

 

「そっ、そ、そうですね。喜多川さん、ばあちゃんみたい、じゃなくてばあちゃんより似合って、じゃなくて! いや、と、とても似合ってます!」

 

 海夢は吹き出した。

 

「ぷっ、何それ! でもいいなーこれ! 動きやすい! ね、ごじょー君、髪上げてくんない? せっかく作務衣着たんだし、邪魔になんないようにまとめて欲しい!」

 

 髪を上げてもらった海夢が庭に出る。手袋を渡してやると、嬉しそうに草むしりを始めた。よっぽど作務衣が気に入ったらしい。

 

「海夢ちゃん、そんなに気に入ったんなら、作務衣(それ)持って帰りな」

 

 海夢は振り返って答えた。

 

「ううん、これは、ごじょー君ちで着たいの。この家で着るほうが絶対似合うし。だから次も貸して!」

「もちろん構わねえよ。洗っておくから遠慮なく着なさい。あとムキんなって草引っ張っちゃだめだぞ。細っこいんだから、腰傷めちまう」

 

 二人がそんなやり取りをしている間、新菜は草むしりをしながらも、髪を上げた海夢のうなじをちらちらと盗み見ては一人で赤面していた。海夢は気づいていないようだった。

 

 ――満更でも、ねえみてえだな。

 

 薫は思わず目を細めた。

 

 

 小一時間であらかた作業は終わった。今は縁側で三人、新菜が淹れた冷茶を飲んでくつろいでいる。

 

「じいちゃん、後、やることないの?」

 

 新菜が尋ねた。

 

「草むしりもして、追肥も撒いて、くくり紐も足したからしばらくやることはねえな。いや、助かったよ。海夢ちゃんもありがとうな」

「いーよ、楽しかったし! ひまわり、きれーに咲くといいね」

 

 海夢が優しい眼差しを花壇に送りながら答えた。

 

「結局、ひまわりだったんだね、あの種。なんだよじいちゃん、俺には勿体ぶって教えてくれなかったのに」

 

 新菜がすこし浮腫(むく)れた振りをした。それを海夢が見逃さなかった。

 

「はえっ、スネてるごじょー君、はじめてみた‼ 激レアじゃない⁉ もっかいやって! ね! ごじょー君、お願い!」

 

 ねえねえと新菜にねだる海夢の姿を見て笑いながら、薫は言った。

 

「いや、小学生が育てるような花だと思ったら恥ずかしくなってよ、つい言いそびれちまった。悪ぃな。でもここまで大きくなると、なかなか立派なもんだなあ」

「まだ大きくなるんでしょ? 早く咲かないかな! めっちゃ楽しみ!」

「そうですね。楽しみです」

「そうだな、まだまだ、大きくなるさ」

 

 西に傾きかけた陽が、花壇に立ち並ぶひまわりの葉を金緑色に照らしていた。

 

 

 

 

 

      Ⅳ

 

 しとしとと、雨が降る。

 やっと梅雨らしい雨続きの時期に入り、そして早々に六月最後の週を迎えていた。

 テレビでは、この時期としては珍しく台風が九州地方に上陸するかもしれないと報じていた。埼玉からは大きく進路をそれる予想だ。

 ところが数日後、台風の進路が少しかわり、関東に影響を及ぼす可能性も出てきた。

 薫は庭のひまわりが心配になった。ひまわりは地面から水を吸ってすくすくと育ち、今では新菜の背丈を超えている。台風となれば支柱を足し、くくり紐を強く結びつけて囲いのように立て、風で倒れないようにする作業が必要だ。

 そして今日、風が強くなってきて、いよいよ台風の気配が感じられた。

 ここまで背が伸びたひまわりの側に支柱を立て、紐に結ぶ作業は脚立が要る。雨で滑りやすくもある。腰をやった薫には不安な作業だ。新菜の助けが欲しい。しかし今日明日は新菜の帰りは遅くなると言っていた。夜の作業は危ない。明後日まで待つと風がどうなるかわからない。

 

 ――ひまわりを、あきらめるのも仕方ないか。

 

 たかが一年生の草本である。今回ダメでもまた蒔けばいい。ケガをしてはもとも子もない。そう自分に言い聞かせようとして目を瞑った。

 

 しかし目蓋の裏に浮かんだのは、眩しそうに海夢の姿を追いかける新菜の笑顔だった。

 それが太陽を真っ直ぐに見上げる大輪のひまわりの姿に重なった。

 

 ――咲かせて、やりてえ。

 

 薫は雨合羽を着込むと、物置から低めの脚立と、支柱を引っ張り出した。

 まずひまわりの横に、根を傷つけないように鉄杭で穴をあけ、支柱を立てていった。根本のほうから紐でつなぎ、横と斜めにかすがいを渡して囲いの形にしていく。時折風であおられ、結んでいない支柱が少し傾く。元の位置に戻し、手で支えながら紐で結ぶ。そしてひまわりの茎を、傷つけないように注意しながら、風に揺さぶられない程度に強く支柱に結び、固定していく。根気のいる作業が続いた。

 次に上のほうを結ぶ作業にとりかかる。

 脚立を立て注意深く登って天板に腰掛けた。ひまわりの一番上の葉のすぐ下に紐をくくり、支柱に結んでいく。風に煽られ、眼鏡に雨滴がつく。作業をやめ、視界をぬぐう。これの繰り返しだった。

 そうして、折しも最後のひまわりをつなぐ紐を結び終わったとき、強い横風が吹いた。煽られた薫は濡れた脚立で足を滑らせた。

 

 ――落ちる。

 

 どっと冷や汗が出た。無意識に手が脚立の脚をつかんだ。危うく踏みとどまり、転落こそ防いだものの、腰から鋭い痛みが走った。

 歯を食いしばり、脚立を降りる。這うようにして縁側に戻った。合羽をぬぎ、居間に転がる。腰を捻ったのは間違いない。薫は、晴美の家に電話をかけた。

 

 

「おじーちゃん、大丈夫⁉」

 

 翌日、新菜と一緒にやってきた海夢は、居間で横になっている薫に駆け寄った。

 

「ああ、海夢ちゃん、昨日は心配かけてすまねえなあ」

 

 薫は心底申し訳なく思い、そう答えた。

 

 あの後、薫は電話を受けて急ぎやってきた美織の車に乗せられ、晴美の家の近くの整形外科で各種検査を受けた。

 結果としては幸いなことに今回も入院の必要はなく、軽い痛み止めと外用薬の処置で済んだが、晴美の家ではこっぴどく注意を受けた上、週末は晴美の家に泊まり、日曜は晴美家近くの整骨院に寄ってから仕事にいく生活を半ば強制的に勧められた。

 ちょうど再び相談しようと考えていたことでもあったし、薫は返す言葉もなく承諾した。

 新菜と海夢はその時、買い物を終えて新菜の家に向かう途中だったが、美織から連絡を受けた新菜の話を聞いた海夢は邪魔をしてはいけないと自宅に帰ったようで、新菜は晴美の家に薫を見舞いに来てくれた。

 海夢はずっと心配していたらしく、晴美の家に泊まった新菜がLIME(メッセージアプリ)で無事の報告を送ると、すぐ安堵の返信を返してきたという。

 

 薫はケガの翌日である今日、整骨院であらためて診てもらったあと、美織にそのまま自宅に送ってもらった。新菜は晴美の家から直接登校し、海夢と一緒に帰宅したのである。海夢は見舞いの菓子を持参していて、新菜が茶を淹れていた。薫は、居間で床に座るのは避けて、普段つかっていない台所のテーブルで茶菓子を食べることにした。

 海夢が寝ている薫をゆっくりと起こし、台所まで肩を貸して椅子に座らせた。新菜が茶と菓子を並べながら口を開いた。

 

「本当にじいちゃん、無茶をしすぎだよ。進路からそれてるとはいえ台風の風の中で庭仕事なんて。どうしてもひまわりが心配だったら、俺が帰ってきてから頼んでくれればよかったのに」

 

 薫は反論するつもりもなかった。

 

「いや、面目ねえ。風に煽られて倒れちまうひまわりを想像したら、居ても立ってもいられなくってな。気の短い年寄りの性分ってことで堪忍してくれ。もうこんな年甲斐のねえことはやらねえって。本当すまんかった」

 

 項垂(うなだ)れる薫を見て、海夢が思わずと言った様子で助け舟を出した。

 

「でも、おじーちゃんのおかげで、ひまわり倒れなそう! まだ結構風強いけど、ぜんぜんへーきじゃん? すごいね、あの囲い、おじーちゃん一人でやったんでしょ?」

 

 薫は微笑んだ。

 

「ああ、そうだよ、海夢ちゃん。上出来だろ?」

 

 それを聞いた新菜は珍しく、語気を強めて海夢をたしなめた。

 

「喜多川さん! じいちゃんあまり調子に乗せちゃだめですよ」

「でもさ、大切なもの守り抜くってすごくない? ヒーローじゃん。あたしおじーちゃん大好き!」

 

 海夢は真顔でそういい放ち、その迫力に圧されたのか新菜は一言、『大切なもの』と呟いて黙った。そして一度唇をぎゅっと結んだあと、また口を開いた。

 

「俺にはじいちゃんが一番大切なんだ。お願いだから、身体を大事にしてよ」

 

 今度は薫と海夢が押し黙る番だった。

 有難い言葉だと噛みしめながらも、薫は胸のうちで言った。

 

 ――一番の場所は、もう譲っていいんだぞ、新菜。

 

 

 

 

 

      Ⅴ

 

 ジージーと油が焦げるような音が庭にひびきわたる。

 ツバメの雛たちは巣立ちを終え、賑やかだった軒下はすっかり静かになった。今はその代わりとばかりに、庭の桜の梢でセミの合唱がはじまっている。

 短かった梅雨が去って、関東は抜けるような晴天の日が続いていた。昼時はこうして縁側に腰かけているだけで汗が次から次へと滲んでくる。

 

「ただいま」

「お邪魔しまーす。外あっつーい!」

 

 新菜と海夢が帰って来た。今日は一学期の終業式で午前解散と言っていた。新菜は買い物袋を下げて台所へ入っていった。

 

「おじーちゃん、今日のお昼はそうめんと蒸し鶏のサラダだって!」

 

 冷えた麦茶のコップを盆に乗せ、薫に差し出しながら海夢が話しかけてきた。

 

「お、ありがとうよ、海夢ちゃん」

 

 海夢は自分のコップを持って、縁側の薫の隣に腰掛けた。

 

「ひまわり、きれーに咲いたね!」

 

 海夢が陽射しを手でさえぎりながら庭の花壇を眺めた。そこには明るい黄色を太陽の光に輝かせた大輪の花々が、満開に咲き誇っている。

 ひまわりはあれから背丈をぐんぐん伸ばして、軒先を越える高さにまで成長していた。あの風の日、薫が苦心して立てた支柱は、今は花のはるか下に見おろされている。

 

「あっという間に、追い越しちまうもんだな」

 

 薫は支柱の囲いを見つめながら思い返していた。

 あの時の台風は結局進路を北に向けて逸れていったため、ひまわりは風害を無事に乗り切った。新たな台風も近づいてこない。その間にひまわりはすくすくと育ち、支柱を越えたところで新たな葉をつけ、(つぼみ)をつけた。

 そして今、ひまわりは囲いに邪魔をされることなく、大きく葉をひろげ、大輪の花を咲かせた。

 薫は庭に降りて花壇に近づいた。

 

「支えがなくても、もう大丈夫だなあ」

 

 ひまわりを見上げ、言った。後からきた海夢が訊いた。

 

「支柱、もう要らないんだ。とっちゃうの?」

「いや、外しゃしねえけどな。でも、ほらよ、支柱がない所のほうが葉が広がってんだろ? 花だって支柱の邪魔がないほうが奇麗に開くしな」

 

 海夢はひまわりを見上げ、呟いた。

 

「囲いがないほうが、花は嬉しーのかな。放っといてほしー的な?」

 

 それを聞いた薫は、思わず声を上げて笑った。

 

「わっはっは! そうかもな。さんざん心配させといて、手ぇ焼かせて、勝手なもんだが」

 

 いつだって育てられる側は身勝手なものだ。自分もかつてはそうだった。

 薫の笑う姿につられたのか、海夢も吹き出した。

 

「ぷっ、ひまわり、マジでおじーちゃんの子供じゃん!」

「違えねぇ」

 

 二人で笑っていると、部屋のほうから新菜が呼びかけてきた。

 

「じいちゃん、喜多川さん、サラダのほうはもう出来たから、あとはそうめん茹でるだけだよ」

 

 海夢が逆に呼び返した。

 

「ねえ、ごじょー君! ひまわりの写真撮りたい! そうめん茹でる前にみんなで撮ろーよ!」

 

 海夢は思い思いのアングルや構図で写真を撮りまくった。

 薫と二人で撮ったり、ひまわりを背景に新菜と薫を撮ったり、二階に上がって撮ったりもした。しまいには薫が脚立を引っ張り出し、海夢はその上にスマホを固定して、セルフタイマーを設定した。花壇いちめんのひまわりを、全部画面に収めて三人一緒に写りたいと海夢が言い出したからだ。

 笑顔が足りないと新菜も薫も何度となく海夢に駄目出しをされて、やっと撮れた写真を海夢は満面の笑みで薫に見せた。

 

「なんか、家族写真みたいじゃん⁉ ね、おじーちゃん」

 

 薫は、満開のひまわりを背景に三人が笑顔で並んでいる写真を見て、胸に熱いものがこみ上げて来るのを抑えられなかった。

 海夢と新菜の巡り合せも、亡き妻の花壇にひまわりが咲き誇る姿も、全てが奇跡のようだった。

 濡れる目元を見られないようにひまわりを見上げているうちに、種を蒔いてからこれまでのことが思い起こされた。

 ちゃんと芽が出るか心配もした。双葉を広げる姿にほっとした。すくすく育ちはじめてからはまっすぐ伸びてくれるかと不安もあった。嵐に負けて折れぬよう必死で支えもした。大きな空に向かって葉をひろげ、花を咲かせてほしいと強く願った。そして――

 

「じいちゃん、泣いてるの?」

 

 問いかける孫の顔が滲んで見えた。

 薫は涙をごまかしもせず、新菜の横に立っている海夢に頼んだ。

 

「海夢ちゃん、ひまわりの写真を、一枚、撮ってくれねえか」

 

 望んだアングルは花の正面からでも、上からでもない。ひときわ背の高いひまわりを、ただ一輪。海夢は下から見上げるようにして、薫の願いに応えシャッターを押した。

 

「――めっちゃ、いいじゃん」

 

 海夢は画面に広がる写真に目を(みは)った。

 

 それは、燦然(さんぜん)と輝く太陽と、見上げて映える、ひまわりの横顔だった。

 

 

 ――ひまわりは、太陽と出会えた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

     〈了〉




 着せ恋アニメで薫じいちゃんの慈愛あふれる言葉や表情、しぐさに涙腺をやられました。
 アニメ1話のシーンを振り返ると、薫の庭に盆栽があり、仏壇ではおそらく奥さんと思われる初老の女性の遺影が見えました。ここから『庭いじりが趣味の薫が、亡き妻の花壇に何かする』という序破急の物語を考えました。
 ヒマワリを選んだのは、私が大好きなシンガーソングライターの「川村結花」さんの「ヒマワリ」という曲が、わかまり二人にぴったりだと常々思っていたからです。一度聴いていただければと思いますが、新菜が海夢を見つめる視点そのもので、歌詞に出てくるヒマワリと太陽を二人の象徴として物語を書きたいと思いました。
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