【外堀物語】   作:Halnire

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新菜(現物)が登場します!


喜多川さん その6

 

 

      Ⅶ

 

〝お父さん。あたし、とうとう彼ピができました!〟

〝もーね、最&高! 最高しかない!〟

〝あたしは別にいーよって言ってたんだけど、彼ピがどうしても、お父さんに挨拶したいって〟

〝お父さんが九州から帰ってきたら、挨拶来ます! よろしくね!〟

 

「とうとう来ちゃったねー、この日が……」

「めちゃくちゃイケメンじゃないですか? この男の人」

「娘さんも全然負けてない、っつーかまんま芸能人ですね、喜多川さんの娘さん」

 

 職場にもかかわらず僕がスマホ片手に呆けているのを見て、同僚たちが理由を訊いてきたのだ。だからスマホのメッセージを見せてやったら、この反応だ。

 

「でも、写真の美容師がその彼氏さんだって書いてないよね?」

「ここまで状況証拠そろったら、この人しか居ないでしょ」

 

 同僚たちがわいわいと騒いでいる。だけど正直あまり耳に入ってこない。

 僕と海夢の大切な日々が走馬燈のように脳裏を駆け巡る……。

 自分は、海夢が僕の前に彼氏を連れてきても、みっともなく取り乱したりしないと思っていた。冷静に、大人の男として話を聴いてやろうなんて思ってた。

 実際はまったくの逆だった。

 『この馬の骨が!』と罵りたくなる世の中の父親の気持ちがよぅく解った。いや、『馬の骨』なんかで済むものか。一人娘と二人三脚でやってきた僕の気持ちが解ってたまるかっ……

 

「あー、これもう喜多川さん、使い物になんないから早く埼玉帰そー」

「そうですね。どっちにしろ明日から休みにはいるから、午後から有給取ってもらいましょうよ」

 

 例の報告以降、海夢と連絡をあまり取り合っていない。でもこのままでは、逃げてるみたいでもっとみっともない……。父親として、堂々と相手の前に立たないといけないのだ。

 

「はいはい、じゃあ喜多川さん、仕事納めしましょーね」

「良いお年を!」

 

 気づけば僕は、東京行きの飛行機に乗っていた。

 

 

 

 

 ピンポーン。

 あれこれと頭の中で会話のシミュレーションをしているうちに、玄関のベルが鳴った。

 とうとうこの時が来てしまった。

 シミュレーションなどと言っても、結局のところ堂々巡りをしてただけだ。この苦境を乗り切る突破口など何も見当たらない。

 海夢からは、とくに交際相手の詳細などは聴いていない。情報が欲しいとは思ったが、僕が最初に、

 

『とにかく一度会ってからだ』

 

 なんてカッコつけてしまったもんだから、その後、僕からは何も言えなくなった。海夢はと言えば、

 

『そーだね! 会えば絶対わかるよ! ちょーいい人だから!』

 

 と逆に納得してしまって、いまは満面の笑みで後ろに控えてる。

 来客確認用のカメラモニターを見ると、短髪の若者が緊張した面持ちで立っている。宅配便だろうか? 少なくとも僕が覚えている海夢の交際相手の美容師の顔ではない。

 とりあえず玄関に向かおうとすると、海夢がモニターを見て声を上げた。

 

「あっ、ごじょー君だ!」

 

 上ずった、甘い声。我が娘からそんな声を聴いて胸にぎゅっと痛みが走るが、いまの言葉にはそれ以上の衝撃があった。

 僕は立ちくらみをこらえつつ、海夢に訊いた。

 

「海夢、ごじょー君、ってどういうこと?」

 

 海夢はきょとんとした顔で答えた。

 

「んっ? ごじょー君はごじょー君だけど? あたしの彼ピ! つか、スパダリ!」

 

 頬も耳も真っ赤にして、デレデレな我が娘の顔は見るに堪えない。しかし僕は盛大な勘違いをしていたらしい。しかも致命的かつ破局的な。

 

「ごじょー君、って男の子だったの?」

「そーだよ? 言ってなかったっけ?」

新菜(わかな)って名前だから、てっきり女の子だと思ってたよ」

「ずっと、ごじょー(くん)って呼んでたのに?」

「いまの子って友達の女の子、くん付けで呼ぶことがあるんでしょ……」

「ある、っちゃーあるかも……。とりま、中入ってもらおーよ! 外寒いしごじょー君カワイソーだよ!」

 

 玄関ドアを開けて海夢が家に迎え入れた。僕は家の(あるじ)らしく、リビングのソファで待っている。

 

「おっ、お邪魔いたします!」

 

 大きな声が玄関から聞こえた。海夢が迎え入れる声が聞こえ、まもなくリビングのドアが開いて、背の高い男が入ってきた。着ている服は、学校の制服のようだ。

 

「お父さん、ごじょー君です!」

 

 海夢が紹介すると、背の高い彼は、折り目正しく気をつけをして、名乗った。

 

「きっ、喜多川さんのお父さん、初めまして! おっ、僕は喜多川さんのクラスメイトで、五条新菜と申します」

 

 〝五条君〟はきちんと一言断りを入れて、床に正座した。

 

「この度、喜多川さん、いえ、海夢さんとお付き合いをさせていただきたく、ご挨拶に参りました! 何卒よろしくお願いいたします!」

 

 そして深々と頭を下げた。

 緊張で最初言葉に詰まったものの、礼儀正しく挨拶をしてきた。敬語も使い慣れている様子だ。姿勢もよく礼をする姿も堂々としている……。

 くっ、なかなかやるじゃないか。先手をとるつもりかもしれないが、そう容易くはいかせないぞ。

 海夢はと見ると、彼の口上を聞いて茹で上がったように真っ赤になっている。

 

「はぁぁああぁぁぁぁ……! お付き合いの申込みしてるごじょー君! 尊すぎて無理ぃぃぃ……」

 

 すっかりのぼせ上がっている。援軍にはなりそうもない。――いや、そもそもこういう時、父親というものは孤立無援なものだ。娘が敵の戦力にならないだけ、良しとしよう。今がチャンスだ。

 

「君が五条新菜君、か。いつも娘が世話になっているようだね」

「いっ、いえ! お世話なんてとんでもないです! ぼ、僕が助けられているんです!」

 

 ふむふむ、謙遜から入るか。よく心得ている。しかし、行き過ぎた謙遜は、卑屈すぎてあまり好印象じゃないぞ。

 

「ところで、なんで今日は制服なのかな? ここは面接会場じゃないよ?」

 制服で真面目な印象を得ようとしても、ちょっとやりすぎだぞ、と牽制を入れてみる。

 

「あ……実は、僕、私服が作務衣(さむえ)甚平(じんべい)しか無いんです。ちゃんとした格好でお伺いしようと思ったら、制服しか思い浮かばなくて……お気に障ったら、申し訳ありません」

 

 そう彼は頭を下げた。それを聞いていた海夢が眉を立てて僕に向かってきた。

 

「お父さん! 前にもLIMEで送ったじゃん!」

 

 いや、見た記憶ないよ……?

 

「これだよ!」

 

 海夢が見せてくれたのは、確かに前に送ってくれた写真だ。

 時代劇の暗殺者かと見間違う、顔に血糊のついた彼だった。

 

「これ、スタジオのスタッフかと思ってたよ! 他の写真送ってくれればよかったのに」

「だって、ごじょー君、写真に写るのあまり好きじゃないからさー。よく考えたらこれしかなかったんだよね」

「それに、この写真の彼が、ごじょー君、だなんて言ってなかったじゃないか」

「あれ? そーだっけ?」

 

 肝心な情報が抜けていた。とはいえ、海夢は別に隠すつもりは無かったらしい。今の状況は、いろいろと不幸な偶然が重なった結果なのだ。

 

「とにかく、ごじょー君はさ、似合ってるしいつもの作務衣でおいでよ! ってあたしが言ったのに、ちゃんとした格好じゃないとお父さんに失礼だからってわざわざ制服着てきてくれたんだよ! なんでそんないじわるなことゆーの‼」

 

 海夢がまくし立てる。その目尻にじわじわと涙が(にじ)み始めていた。

 しまった。戦況は大変(かんば)しくない。

 

「いえ、印象を良くして良いお返事がいただけたらいいな、と考えていたのは事実です。すいません。でも……僕は、海夢さんと、どうしてもお付き合いをさせていただきたいんです」

 

 それはさっきも聞いた。しかし、そもそもこの挨拶って、結婚とかじゃなくて〝お付き合い〟の挨拶だったよなあ……。僕の世代でもここまで折り目正しくやる人間、居ないよなあ……。

 

「五条君。君は、海夢とはいつから交際しているんだい?」

 

 疑問が口から出たらこうなった。

 しまった、交際開始を過去形にしてしまった。これじゃ認めてるようなもんじゃないか。

 

「いえ……? まだです」

「いや、実際、その、なんだ……何もしてないのかい?」

 

 ここで五条君が顔を真っ赤にした。聞いていた海夢も真っ赤になった。

 

「ししし、してません!」

「まだなんにもしてないよ‼」

 

 まだ、ってなんだ。これからするつもりみたいじゃないか。

 

「本当に?」

「お父さん、しつこいよ! もうあたしキライになっちゃうから!」

「いえ、本当に……あ」

 

 五条君が、何かひっかかったような顔をした。これは何かある!

 

「どうしたんだい? 何か心当たり、あるんじゃないのか?」

 

 五条君が、観念したように、口を開いた。

 

「……手を、つなぎました」

「……なんて?」

「海夢さんと、手をつなぎました!」

 

 海夢も両のこぶしに白銀の指輪をきらめかせ、肯定した。

 

「ごじょー君と手つないだよ! つなぎたかったからさ! それくらいいーじゃん!」

 

 二人とも真っ赤になってるが、こっちのほうが真っ赤になりそうだ。

 本当なのか。今どきの高校生が、付き合う付き合わないのところまで行っていて、手をつないだだけなんて、そんなことあるのか。しかもその程度のことで真っ赤になってるなんて、もっと親密なこと想像してた僕のほうが恥ずかしくなるじゃないか!

 

「……わかった。それくらいは、いいよ」

「いいんですか⁉ ありがとうございます!」

「いーの? お父さん、ありがと!」

 

 二人とも無邪気な笑顔でこちらに礼を言ってくる。なんだろう、物凄い敗北感だ……自分の心のほうが汚れきっているような……。

 それにしても、疑問点がある。それをまず聞いておきたい。

 

「五条君は、海夢とは以前から知り合いではあったんだよね?」

 

 五条君はこれにはすんなり答えた。

 

「はい。今年の五月くらいからです。喜多川さんの――いえ、海夢さんのコスプレ衣装製作を頼まれたのがきっかけです」

 

 いろいろ確認する前に、まずは言わなきゃいけないことがある。

 

「五条君、まず、お礼を言わせてほしい。あれだけ凝った衣装を作ってくれたなんて、本当に大変だったと思う」

 

 しっかりと頭を下げた。すると五条君は顔を真っ赤にして手を振って否定した。

 

「ととと、とんでもないです! 頭を上げてくださいっ……! 僕は、海夢さんに衣装製作を頼まれて、それまで知らなかったたくさんのことを知ることができました。ほんとうに、楽しかったんです! お礼を言わなきゃいけないのは、俺、いや、僕の方です!」

 

 彼は逆に、必死で頭を下げてきた。謙遜ではなく、本心からそう思っている様子だ。

 

「そうは言っても、海夢は夕食や、朝ごはん用のお弁当まで頂いているというし、海夢が風邪をひいたときは、わざわざお粥を作りに来てくれたとも聞いている。その上、食費もお支払いしてないとか。本当に、お恥ずかしい。申し訳ない」

「お父さん、そこは申し訳ない、じゃなくて、ありがとー、ってゆーところじゃん!」

「いや、だって本当に申し訳なくって……親戚でもないのにそこまでしてもらって」

 

 それを聞いていた五条君は、真剣な顔で僕に言った。

 

「一緒に食べてくれて、僕のほうが嬉しかったんです。同世代と食事をすることなんて、無かったですから。それに、うちのじいちゃん――祖父も、海夢さんと一緒に夕食を囲むことをすごく楽しみにしてます。だから、祖父も食費は要らない、って」

「しかし、それじゃこちらが困る……」

「いいえ、海夢さんには衣装製作代金、いつもかなり多めに頂いてます。だから、僕がつくる献立なんて幾らもかからないんで、多すぎるくらいですよ」

「それは別だよ! あれだけの衣装、技術料だけで本当ならお金がとれる! そこはちゃんと対価をもらうべきだ!」

「そんな! 僕なんか、人形用の衣装すらまだまともに作れない半人前です! 人間用の衣装でお金をとるなんて、烏滸(おこ)がましいです!」

 

 不思議な方向に言い争いが発展しそうだ、と思っていたら、海夢が五条君のほうに向かって反論した。

 

「ちょっとごじょー君⁉ 〝俺なんか〟とか、〝烏滸がましい〟とか、言わないって約束したじゃん‼」

「あっ、すいません、駄目ですね、まだ癖が……」

 

 どういうことだろう。海夢のほうを見ると、僕の疑問を察してくれたのか、ふうと息を吐きながら言った。

 

「お父さん。ごじょー君はね、自分のことをつまらない人間だ、ってずっと思ってたんだよ」

 

 自己評価が低いってことか。そういう子はいる。しかし……

 

「十年間、雛人形の職人さんになるために毎日毎日練習して。男の子がそんなことに夢中になってるのは気持ち悪い、って思い込まされて。お人形の世界しか知らないから誰とも友達になれない、誰からも相手にされないって」

 

 一つの道にとことん打ち込むことができるのは、才能だ。でも、そこに負い目を感じる人だって、世の中にはいる。

 

「そんなわけないじゃん。だってごじょー君、あたしの好きなもの、あたしより真剣に見てくれたし。みんな『おもしろそー』とかゆってはくれるけど、マジで見てくれた子なんて、今までいなかったのにさ。ごじょー君は誰よりもあたしの気持ち、解ろうとしてくれたんだよ」

 

 海夢は、自分の気持をはっきり言う。だけど、それが受け入れてもらえないことだって、今までいっぱいあった。

 その海夢を、五条君は、正面から受け止めてくれた。

 

「あたしだけじゃない。どんな人から頼まれても、ほんのちょっとゆっただけの願いだったりしても、ごじょー君は一生懸命、叶えよーとしてくれる。その人の気持ちを、本気で大切にしてくれる」

 

 海夢も、そんな五条君を理解している。

 

「それに、雛人形の職人さんになる夢だって、ずっとずっと追いかけてる」

 

 海夢は、夢追い人を誰よりも応援する子だ。それは、僕が一番解ってる。

 

「そんなごじょー君が、つまらないなんて、気持ち悪いなんて、絶対ないじゃん!」

 

 海夢は五条君への想いを、叫んだ。

 

「あたし、ごじょー君のこと、めっちゃ憧れてた。ずっと好きだった!」

 

 声はだんだん涙声になってきて。

 

「ごじょー君が、はじめてあたしを〝奇麗〟って言ってくれたとき。ごじょー君にとってすごく特別な〝奇麗〟って言葉を使ってくれたときから、ずっと」

 

 そして五条君のことを見つめた。彼もまた、海夢を見つめ返していた。 

 

「でもごじょー君はどんな人でも、真面目に、大切にする人だから。あたしはそのうちの一人で、ただの友達としか思われてないのかなって。特別な言葉は、あたしに向けられてたんじゃ、ないのかなって」

 

 五条君は、首を横に振る。決してそんなことはない、と。

 

「あたし、言うのが怖かったんだ。『ごじょー君のことが好き』って」

 

 ぽつりと海夢が言う。

 

「でも、応援してくれた人たちがいた。ごじょー君は、あたしのことを、誰よりも大切に思ってくれてるよって」

 

 五条君が僕を見た。意思のこもった、強い目だ――ここから先は自分が言う――そういうことだろう。

 

「僕はずっと、海夢さんを手の届かない、憧れの人だと思っていました。自分とは住む世界が違う人だと」

 

 五条君は、眩しそうに海夢を見た。

 

「でも海夢さんは、僕を狭い世界から連れ出してくれました。衣装製作だけじゃない。それまで見たことのない世界を、たくさん見せてくれた。太陽のように、導いてくれました。僕は本当に、本当に、海夢さんに感謝しています」

 

 そんな五条君を、海夢も眩しそうに見つめている。

 

「僕は、ただ恩を返せればいいと、思い込もうとしてました。海夢さんが僕だけを見てくれるなんてありえない。誰からも好かれて、誰のことも大切にする海夢さんが、たまたま、僕が持っている技術を上手く活用してくれたんだと……そうやって、自分を抑え込んでいました」

 

 でも、と彼は続けた。

 

「先日のあるイベントで、ようやく気付かされました。海夢さんは本当に――奇麗です。僕の心の中にある、一番奇麗なものよりも」

 

 彼にとって一番奇麗なものは、彼の夢の原点――祖父の雛人形だ、と海夢から聞いていた。

 

「僕はそれに気づかないようにしてきました。気づいたら抑えが効かなくなる――たぶん僕は無意識にそれが解ってたんだと思います。でも、気づいてしまった」

 

 海夢が彼の原点を、上書きしてしまったと。

 

「奇麗な海夢さんに、手を伸ばしたい。海夢さんを一番、奇麗にしたい――自分自身の欲に。いつも海夢さんの(そば)にいるのは、俺じゃなきゃ嫌なんです」

 

 彼は、今までの柔らかい雰囲気を一変させて、鬼気迫る目で僕を見た。

 たぶん彼の人生の中で、ここまでエゴをむき出しにしたことが無かったんだろう――その(たたず)まいにはぎこちなさがあったから。

 

「やっと、自分の願いに気づいた……これまで自分を誤魔化していたんだって、わかりました」

 

 ひときわ大きく息を吸い込んで、彼は言った。

 

「俺は、海夢さんが、好きです」

 

 真剣な目のまま、五条君は僕から一旦視線を逸し、海夢を見た。

 

「海夢さん。あんな大勢の観客の前で言わせてしまって、ごめんなさい――そして、本当にありがとう。俺、ちゃんと言います。自分の気持を、自分のために」

 

 僕は、息を呑んだ。

 (かのじょ)の言葉。海夢に受け継がれた言葉。その言葉が、彼にも託されている。

 海夢はもう、ぼろぼろと大粒の涙をこぼしている。言葉も出ないみたいだ。

 五条君はそんな海夢を慈しむように見つめたあと、再び僕に振り返った。

 

「海夢さんのお父さん。俺はもう、海夢さんが居ない人生を想像できません。ですから、どうかお願いです」

 

 おいおい、それは――

 

「海夢さんと、お付き合い、させてください」

 

 もう高校生の交際の話じゃなく――

 

「一生、大切にします」

 

 生涯を捧げる言葉――

 

「――」

 

 僕はしばらく、言葉に詰まってしまった。

 これが何を意味する言葉か、当然この子は解ってる。法律で許される年齢すら満たしていないが、それを指摘するほど僕は野暮じゃない。僕はただ、呆気にとられていただけだった。

 でも、海夢はその沈黙を否定と捉えたのだろうか、真っ赤に腫らした目で僕を(とが)めた。

 

「お父さん! ごじょー君、こんなに一生懸命、ゆってくれてるんだよ! あたしと付き合いたい、一緒になりたい、って。なんで一言も返事しないの!」

 

 海夢は止まらない。

 

「いままでごじょー君、ワガママ言ったことなんてないんだよ! 無欲? ってゆーの? そんな人なんだよ。それが、こんなにマジになって、あたしを欲しい! ってゆってくれてるのに! 叶えてあげてよ! ごじょー君、人の願い叶えてばっかりで、自分のこと叶えてもらえないの、可哀想すぎる」

 

 海夢が興奮しすぎて、言っていることが段々、滅茶苦茶になってきた。

 ……いや、違うか。本心なんだろうな。

 自分が五条君を欲しい、というよりも、自分を欲してくれた五条君の想いを、心底、大切にしたいんだな。

 

「お父さん! ごじょー君に、あたしと付き合うこと、許してあげて。ごじょー君のために。あたしからの、一生のお願い!」

 

 僕は五条君を見る。

 

 彼はただ純粋に夢を追い続け、その道程(みちのり)で蓄積してきた優れた技量を、同世代の誰かに見せびらかしたりすることは無かった。むしろ、(さげす)まれ、嫌われると思い、ずっと隠してきた――

 そんな技量を、自分の夢を受け入れ、称賛してくれた恩に報いるためだけに、彼は全力で(ふる)った――

 だけど、そこには隠された彼自身の欲があった。娘は彼の原風景をいつしか上書きしてしまっていた。彼は、娘をもっと奇麗にしたいと願い続けてきた。自分自身の手で――

 恩義は願いと忠義になり、希望と愛になり、一生を賭けた誓いになって、今日初めて言葉として形になった――

 

 彼と海夢は半年間、お互いを敬い、信頼し、慈しみ、高め合ってきながら、一度もお互いへの想いを伝え合ってこなかった。容易い接触を拒むように。それこそ、ついこの間やっと手のぬくもりが繋がったくらいに。

 

 そもそも〝付き合う〟なんてことは、今の世の中、わざわざ相手の親に断ってするようなことじゃない。単なるお試し期間だ。

 ここまで親密になっていた二人なら、この半年間でなし崩し的に行く所まで行ってしまっていても全然不思議じゃなかったのだ。なんなら、これから既成事実を作ってから僕のところに挨拶に来ても、今の世の中だったら誰も責めはしなかっただろう。

 

 でも彼は正々堂々と、誠実に、誓いを口にした。

 なんて潔いのだろう。清々しいまでにまっすぐな、愛の誓い。

 おそらくはその誓いを、言葉通り命を賭けて守るだろう。彼ならば。

 正直なところ、僕は羨ましかったし、誇らしかった。

 自分の夢にまっすぐに打ち込む精神。

 謙虚で誠実で、人の心を大切にする人格。

 僕もかくありたい――そう思わせてくれるほど、清々しいその在り方。

 そんな若者に、僕の自慢の娘が求められている。彼のそれまでの人生の原動力をも超える、唯一無二の存在として。

 

 それに、この半年間、初めての一人暮らしで勝手の解らない海夢を、彼はまったく下心もなく支え続けてくれた。それこそ食生活から、風邪の看病、そして勉強まで。

 それだけで、信用するには十分だった。

 

「よくわかったよ……。五条君。海夢をこんなにも大切に想ってくれて、本当にありがとう」

 

 海夢が目を輝かせた。

 

「お父さん! じゃあ……」

 

 しかし僕は続けた。

 

「少し、考えさせてくれないか……。何より、五条さんのお宅にお礼を申し上げに行かないと。……答えは、それからだ」

 

 どうしてだか、僕自身にも解らなかったけど。

 僕は彼に『いいよ』と即答ができなかった。

 

 

 

 

 僕は、海夢と、五条君と一緒に、岩槻(いわつき)駅の改札を出た。

 海夢が、『それならすぐにごじょー君のウチにいこ! おじーちゃんにちゃんとお話しよ!』と言い、僕も引き伸ばすつもりは全く無かったので頷いた。

 幸い、五条君のお祖父さんはご在宅で、お仕事もなく、僕の急な訪問も快く受け入れてくれるとのことだった。

 僕はすぐに身支度をして、菓子折りを携えて、五条さんのお宅のある岩槻までやってきたのだ。

 岩槻駅を出るとすぐ、そこが人形の町であることがわかった。

 たくさんの雛人形店の看板と人形工房の案内。通りに立つ街灯には雛人形のモチーフがあしらわれている。

 

 駅から少し歩いたところに、【五条人形】の看板が見えた。工房と小さなショールームを兼ねた、彼に似合った実直な作りの一軒家だった。

 海夢が真っ先に玄関をくぐって挨拶した。

 

「ただいまー!」

 

 すでに〝ただいま〟が当たり前なのか……その後に五条君――いや、新菜君と呼ばないといけないな――が奥に声をかけた。

 

「じいちゃん。喜多川さんのお父さん、お見えになったよ」

 

 すると、待っていらっしゃったのだろう、すぐに廊下の奥から作務衣姿の男性がやってきた。

 穏やかな笑みを浮かべた、短い白髪のよく似合ういかにも職人という佇まいのご老人だ。

 

「わざわざお越しくださって、すみませんなあ。狭いところですが、どうぞお上がりください」

「こちらこそ、急に押しかけて申し訳ございません。私は海夢の父です。娘が本当にお世話になっております」

「おお、申し遅れましたな、私は新菜の祖父で五条(かおる)と申します。海夢ちゃんには新菜が本当に世話になっています。さあ、こんなところで立ち話もなんです、どうぞ奥へ」

 

 居間に通されると、まず目に入ったのが小さなちゃぶ台だった。

 海夢の写真では、いつもこの上に色とりどりの料理が並べられていた。

 三人の団欒(だんらん)の象徴を見て、つい頬が緩む。

 

「つまらないものですが……」

「お気づかいなど結構でしたのに……」

 

 手土産に携えた菓子折りをお渡しすると、五条さんはお仏壇に菓子折りを供え、お線香を上げてお鈴(りん)を鳴らし、手を合わせた。

 

「僕も、よろしいでしょうか」

「ええ、ありがとうございます」

 

 海夢と並んで、お線香を上げさせていただくことにした。

 お仏壇には、写真が三つ並んでいるのが見えた。銀髪の女性と、まだ若い男女の写真。二人の面影は今の新菜君に重なって見える。

 僕は思わず目を(みは)った。

 

「ごじょー君のおばあちゃんとね、お父さんと、お母さんだよ」

 

 海夢がそう教えてくれた。

 そう言えば聞いてなかった。新菜君のご両親のことを。

 まさか、お二人ともお亡くなりになってたなんて。

 お仏壇に手を合わせ、ちゃぶ台の前に薦められた座布団に座ると、五条さんがお仏壇を見ながら、口を開いた。

 

「あいつも、小さい頃に両親を亡くしましてなあ」

 

 事故でした、と。

 五条さんの亡くなった娘さんが、新菜君の母親だったという。

 

「新菜は、こんな人形しか知らない年寄りだけで育てて来ましたもんで。広い世間のことも教えてやれなかった。世の中を渡っていけるのか不安もありました……。でも」

 

 五条さんは、お台所で新菜君と一緒に楽しそうにお茶の支度をしている海夢を見た。

 

「海夢ちゃんが来てくれて、新菜の世界は一気に広がった。言葉も、姿勢も、見違えました。それこそ太陽に照らされてのびのびと葉を広げる夏草のように」

 

 次いで、僕のほうを見た。

 優しい、柔和な眼差しだった。

 この方は、奥様を亡くし、大切な娘さんとそのご主人を亡くして、一人遺された孫を見守ってこられたのだ。

 歴史ある雛人形職人を継いで、後世に伝えるというお仕事の重責もあっただろう。苦悩で悶々と過ごした日々だって、あったに違いない。

 なのに。

 

「海夢ちゃんが小さい頃に奥様を亡くされたとお聞きしました。でも海夢ちゃんは本当に真っ直ぐで、明るい。いじけたところがまるで無くて、一緒にいるとこっちまで清々しい気持ちにしてくれます。辛いこともあったでしょうに、そんなことこれっぽっちも感じさせない。本当に太陽のような娘さんだ」

 

 そんな苦悩をそれこそ、これっぽっちも感じさせない、暖かく、慈悲にあふれた笑顔で、僕に語りかけてくれた。

 

「お父様の、ご尽力のたまものだ」

 

 胸の奥に染み渡る言葉を。

 

「男手一つで。並々ならぬご苦労があったことでしょうに」

 

 あった。あったよ。本当に苦しい時期もあったんだ。

 毎日、育児と仕事に追われて寝る間もなかったことも。

 それでも職場で居場所を失っていったことも。

 小学校の保護者と対決したことも。

 学校と戦うために多方面に手を回し、結果みんなから厄介者扱いされたことも。

 

 

「よくぞここまで、頑張ってこられましたなあ」

 

 

 その一言で、僕の心の奥で凝り固まっていた何かが溶け出してしまった。

 柔らかく笑みを浮かべる五条さんの顔が滲んで見えなくなった。

 声も詰まって出せない。鼻も息ができない。

 

「――っく、うっ……」

 

 こんなにも僕の境遇を解ってくれる人に、ただ認めてもらいたかった。

 思いを共有したかった。

 それがやっとわかった。

 自分自身の心を、僕も、長いこと蓋をして封じ込めてきていたんだ。

 

 

 やがて視界が戻った。

 気づけば目頭に溜まっていた涙がこぼれ落ちたらしい。下を向くと、白い座布団カバーが盛大に濡れていた。涙と(はな)水が止まらなかった。

 

「……もっ、申し訳ありません。なんてことを……お見苦しい」

 

 五条さんは何も語らず、優しい目をしたまま、そっと手ぬぐいを渡してくれた。

 僕はしばらく顔をぬぐったまま、下をうつむいていた。

 

「あれ? お父さんどーしたの?」

 

 台所から海夢がやってきた。遅れて、新菜君もついてきたようだ。足音でわかる。

 さすがにこのままじゃ、娘の想い人に顔を合わせられないな。

 ずるいとは思ったが。僕はしばらく下を向いたままでいた。

 

 結局、なんのことはない。

 僕がマンションで、新菜君の願いに答えられなかった理由。

 それはただ単に、僕のこれまでの苦難を誰かに認めてほしかったから。

 僕がどれだけ必死に海夢を育ててきたのか、せめて誰かに労ってほしかったから。

 たったそれだけのことだったんだ。

 

 ――喜多川さん、子供っぽいところあるんですよねえ。

 

 職場で誰かが言ってたっけ。

 ほんとうだ。

 僕は、小さな子供みたいに。〝頑張ったね〟って、褒めてもらいたかっただけなんだ。

 

「――待たせて、すまない」

 

 ようやく目元のほてりが治まって、僕は顔を上げた。

 目の前には海夢がいて、新菜君がその隣で、心配そうに僕を見ている。

 僕は新菜君、と名前を呼んだ。

 はい、と答えて彼がまっすぐに僕を見た。

 さあ、ちゃんと大人の努めを果たせ、僕。

 

「新菜君。海夢は小さい頃から、男の子と一緒になって悪戯したり、気づいたらどこか行っちゃったり、目まぐるしい子なんだ」

 

 トカゲやカエルを追いかけ回していた海夢を思い出す。

 

「際どい格好も平気でするし、自分が周りからどう見られるか、無頓着すぎて心配になるときもいっぱいあった」

 

 下着姿で家の中を歩き回ったり、僕をからかってきた海夢を思い出す。

 

「ケンカをしたり、先生を困らせたりしたことだってある。ひょっとしたらクラスメイトの中にだって、苦手に思う人だっているかもしれない」

 

 海夢がいじめの疑いをかけられた、あの辛かった時のことを思い出す。

 

「だけど本当は、とても優しくて、人の心を大切にする子なんだ」

 

 僕を一人にさせまいと必死だった海夢。

 

「一人ぼっちにしたら、すごく寂しくても、心細くても、それを周りに打ち明けずに一人で抑え込んで、大切な人を迎えるときはいつも笑顔でいようとするだろう」

 

 一人で待っていた家の中から、帰ってきた僕の胸にまっすぐ飛び込んできた海夢。

 

「君は、誠実な人間だ。自堕落なことは決してしないだろうし、海夢を悲しませるようなことは絶対しないと約束してくれるだろう」

 

 僕は、海夢の両手をとる。

 

「だから、お願いだ――君には、自分自身を蔑(ないがし)ろにせず大切にしてほしい。そして、決して海夢を一人ぼっちにしないと、約束してほしい」

 

 僕は、二つの指輪が護る海夢の手を、新菜君の両の手に重ねる。

 

「海夢のこれからを、頼みます」

 

 僕は、二人の手を固く握りしめた。

 

 

 

 

 

 

 

「――知らない天井だ」

 

 僕は気がつくと、灯りの消えた和室で天井を見上げていた。

 しばらくすると意識がはっきりしてきて、ようやくここが五条さんの家であることを思い出した。

 隣を見ると、もう一つ布団が敷いてあり、海夢がすやすやと眠っていた。

 どうやら僕たち親子は、一室をお借りしてしまっているらしい。

 

「あれは、夢じゃなかったんだな」

 

 夢であれば良かった、とも思う。でも決して悪夢なんかじゃない。考え方によってはこれ以上ない最高の夢だ。大切に育ててきた愛娘が、限りなく誠実で有能な男と将来を約束しあうなんて。

 それにしても、ただの交際の報告を聞くはずだったのに。

 気づけば娘の結婚の約束を聞く羽目になっていた。

 

「まだ十五歳だぞ……」

 

 もう少し娘との生活を噛み締めさせてほしかったと、未練が湧き出てきてしまい、思わずため息をつく。本当に同僚たちの言うとおり、僕はいちいち未練たらたらだ……と。

 すると、ちょうど隣の布団から声が聞こえた。

 

「んぅ……。わかなくぅん、ふひひ……」

 

 海夢の寝言だ。夢の中でも『新菜くん』と呼びはじめたのか。

 

「幸せそうで、何より、か」

 

 僕はひとり言を呟き、昨夜のことを思い返した。

 僕が新菜君に海夢を託す言葉を伝えた後のことだ。

 それを見守っていた五条さんが、夕飯を食べていってほしい、と提案してくれた。

 新菜君が台所で和食の腕を余すところなく揮ってくれるとのことで、気づけば新菜君は普段着の藍色の作務衣を着て台所に入っていた。

 驚いたことに海夢もあずき色の作務衣を借りて一緒に着ており、まるで新妻のために最初から用意されていたみたいだった。

 そんな二人の様子を眺めながら五条さんとお互いの家族の馴れ初めや、海夢や新菜君の学校生活などを話し合っているうち、五条さんからお酒をすすめられた。

 五条さんご自身は胆石のせいで呑めないということだったけど、頂き物の日本酒があるからぜひ呑んでいってほしいと言われた。なにより、

 

 ――二人のために祝い酒をあげてやりたくてなあ。

 ――仏壇に猪口(ちょこ)を供えるんで、一献(いっこん)、つきあってやってくれませんかねえ。

 

 と、亡くなったご両親に盃をささげられてしまっては断る術がなかった。

 ちょうど新菜君の料理も運ばれてきて、店を出してもお金が取れるんじゃないかという逸品の数々に舌鼓を打っているうちに、気づけばお酒がだいぶ進んでしまっていた。

 なんとなく覚えている限りだと、こんなやりとりをした記憶もうっすらとある……。

 

 ――ごじょー君が困ってるよ! からみすぎ! お父さんウザすぎ!

 ――海夢! ごじょーくんごじょーくん、ってなんだそれは! 新菜君が〝海夢さん〟って呼んでいるのに、ダメじゃないか! わかなくん、って呼びなさい!

 ――なっ、お父さん! そ、そーだね、ごっ、ごめんなさい! わかな、くんって呼ぶ! 

 ――そうだ! 堂々としなさい! お母さんにも言われてきただろう!

 ――あい! わかなきゅん、わかなきゅん! これでいい?

 ――海夢さん、無理しなくていいですよ……

 ――ダメだ新菜君! これはケジメだ! さあ呼べ海夢! わかなくん、だ! わかなきゅんじゃない!

 ――海夢ちゃんの父御さん、いろいろ溜まってたんだねえ……

 

 あああ、なんてことを……。

 他にもいろいろクダを巻いていた気がする。

 今日はもう寝よう。すっきりと忘れるんだ。そして明日はやく起きて、ちゃんと五条さんと、新菜君に無礼をお詫びしよう……。

 そうしたら……これからもよろしくお願いします、と、改めてご挨拶申し上げなければ。

 

 

 

 

 

 

 




海夢パパ編、次回で〆です。
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