【外堀物語】   作:Halnire

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この話数は、海夢が主役です。


雛人形 その2

 

 

      Ⅲ

 

 この日を境に、新菜が〝きたがわさん〟と呼ぶ娘は頻繁に訪れるようになった。

 薫もこの娘を快く迎え入れており、夕餉(ゆうげ)を共にすることを申し入れたそうだ。

 五条の家の中はしばしば明るい笑い声が響くようになった。

 薫の妻が他界してからは(しばら)く無かった響きであった。

 

 新菜の部屋を訪れる娘の(まなこ)は、いまやすっかり新菜へ恋する女の()れであった。

 しかし新菜は気づいた風も無いようであった。

 だが無理もなかろう。

 新菜は己の願いも生きる意味も一度、同い年の女子(おなご)(したか)かに否定されておる。新菜にとっては同い年の女子(おなご)は長らく怖れの対象であったのだ。

 この〝きたがわさん〟という心根の真直ぐな女子(おなご)だからこそ、新菜はここまで心を開くことができておる。

 これ以上は、娘が根気よく新菜と時を積み重ねていくしかあるまい。

 ここまで思うて、(われ)は己自身の心の動きをようやく悟った。

 (われ)はすっかり、いずれこの娘に新菜を託すことを願っておるのであった。

 

 

 長月(9月)のある日、(われ)は珍しく五条の家の客間におった。

 (われ)は胴と衣裳を着けてもらい、小さな壇の上に置かれていた。

 隣には内裏(だいり)の人形も()るが、これには魂は入っておらぬ。

 薫が作った人形をこれまで何度も見てきたが、(われ)と同じく生きた人形はおらぬようだった。

 居間からは庭が見える。

 日は傾きはじめておるようで、影が長い。

 遅目覚めの(ひぐらし)の声が聞こえてくるから、夕暮れも近いであろう。

 居間には薫と娘がおった。

 新菜は買い物に出ていて留守のようである。

 二人は(われ)を見て話をしている。

 (たまたま)壇が構えられているのを娘が見て、雛人形のことを知りたいと言い出したのを薫が説明してやることになったものである。

 

「しかし、どうして急に雛人形のことを知りてえ、なんて言い出したんだい? 海夢(まりん)ちゃん。雛人形なら、ショールームで何度も見たこと、あったろ」

 

 薫が娘に問うた。海夢というのが娘の名前である。

 

「うん。いつもありえんくらいきれーだなーって思いながら見てる! ……でも、今日はね、このお雛様を見て、もっと知りたい、って思ったんだよねー」

 

 それを聞いた薫が驚いた顔をした。

 

「海夢ちゃん、このお雛さんが何か、判ったのかい」

「うん、いつもごじょー君が大切にしてる、あの頭だけのお雛様だよね? お目々やお顔の感じがそんな感じだったから」

 

 薫が息を呑んだ。

 (われ)も驚いていた。

 

「――よく、判ったな。胴も衣裳も工房で作ったもんだけどよ、お頭は新菜がいつも大切にしている、あのお雛さんで間違いねえ」

「このお雛様、すっごい目がきらきらしてるんだよね。他のお人形と違うの?」

「たしかに、このお雛さんは桐塑(とうそ)を練り上げて作った細工のもんだ。他所の店じゃ作れねえところも多いな。といってもウチにゃ同じ作りの雛人形は幾つも置いてあるから海夢ちゃんは何度も見てるだろうなあ。海夢ちゃんはそれとも違う、って言ってんだろ?」

「うん。お値段の高いお人形も見せてもらったけど、それとも違うかなー。このお雛様はー、なんだろ、〝生きてる〟って感じがする」

 

 (われ)に動く目があれば、目を丸く開いていたであろう。

 薫は己の顎に手を()って思案している様子だ。

 

「……海夢ちゃんには、何か判るのかもなあ。このお雛さんはな、じいちゃんが作ったもんだが、お口に(べに)()すのは新菜もやったんだ」

「へー! ごじょー君もお顔、塗ったんだ。何歳のころやったの?」

「六歳くらいの頃だよ。人形に興味を持ってまだすぐの頃だな。でよ、その時に新菜のやつ、お雛さんに〝生きてて欲しい〟って願ったらしいんだな。ひょっとしたらよ、本当に魂が宿っているのかもなあ」

 

 娘は不思議そうな顔をして薫に問うた。

 

「雛人形の職人さんって、ひとつひとつ、魂こめて作るんでしょ? そしたらみんな生きてるんじゃないの?」

 

 薫は娘に雛人形には普通、魂を込めないことを説明した。

 そして続けた。

 

「仮にじいちゃんが魂を込めて〝生きてくれ〟って願っても、このお雛さんのようには作れねえだろうなあ。多分あの時、新菜の願いが届いたんだろうよ」

「あの時、って、――あっ、そーか」

 

 この娘も、新菜の親が小さい頃に事故で死んだことを聞いているようであった。

 全てを問わずとも合点したようだ。

 娘は天真爛漫(てんしんらんまん)(たち)ではあるが、察しは良い。

 

「おじーちゃん、ごじょー君ってこのお雛様のこと、本当の家族みたいに大事にしてるんでしょ?」

 

 薫は優しい笑みを浮かべて答えた。

 

「そうだな。新菜は未だにお雛さんに話しかけてるからなあ。そうかもしんねえな」

「マジで⁉ あたしだってぬいちゃんに話しかけるよ! おんなじだ」

「はは、そういうもんかねえ。新菜も小さい頃はよく、ぬいぐるみみたいにしてたなあ」

「え、一緒に寝たりしてたの?」

「ああ、そうなんだよ。あぶねえからダメだぞって言っても、気づいたら布団の中で抱きしめて寝てることもあったなあ」

「マジであたしと同じじゃん!」

「海夢ちゃんもお人形さんと寝てるのかい。可愛いねえ」

「えへへ。まあ、あたしん()お母さん居なかったし、お父さんも帰るの遅い日とかあったからね。ぬいちゃん抱いて寝る癖ついちゃったんだよなー」

「――そうかい」

 

 驚いたことに、この娘にも親の居ない日々があったようだ。

 日の光のように明るい(たち)でありながら、存外苦労をしてきたのかもしれぬ。

 娘は再び(われ)を見て、言うた。

 

「――そっか。お雛様はごじょー君のこと、お父さんやお母さんの代わりに、抱きしめてあげてたんだね」

「そりゃ逆だろうよ。お雛さんには動かせる腕はねえんだからな……って、目には見えない腕で、ってことかい?」

「そーそー! お雛様は動けないけど、もし動けたら絶対そーしたかっただろーなって」

 

 そう口にして、娘は(われ)を見つめ、微笑んだ。

 そのまま暫く、娘は(われ)の目を(じつ)と見続けた。

 薫は娘を優しく見守っている。

 そのうち娘がふと呟いた。

 

「きれー、〝奇麗〟か」

 

 薫が問いかけた。

 

(やぶ)から棒に、どうしたんだい。海夢ちゃん」

 

 娘は薫を振り返って口を開いた。

 

「ごじょー君にとっては〝奇麗〟って言葉がマジで特別なんだって。簡単には口にできない、ってゆってた」

「そうなのかい? そりゃ知らなかったな」

「おじーちゃんにも教えてなかったんだ」

「まあ年頃の男子なんてそんなもんだ。で、海夢ちゃんには打ち明けることができたんだな」

「そ、そーなのかな……。それでね。あたし、ごじょー君に〝奇麗〟な衣裳、たくさん作ってもらってるのに、ごじょー君がイメージした通りにちゃんと着てあげられてるのかな、って」

「心配してるのかい」

「うん。ちょっとね。だから、ごじょー君のゆってる〝奇麗〟って言葉を、あたしもちゃんと解りたい」

「それで、新菜のやつが毎日飽かずに見てるそのお雛さんが気になったって訳かい」

「そそ。そーなの」

 

 娘は真顔でそう答えると、再び(われ)(じつ)と見た。

 新菜にとって〝奇麗〟という言葉が特別だということは初めて知った。

 何故ならば(われ)は毎日のように新菜からその言葉をかけてもろうておる。

 だが娘の言葉でよく解った。

 新菜は(われ)に対して特別な思いを抱いておる。

 この上ない親愛の情であり、憧憬(しょうけい)の念であり、敬慕である。

 しかし、娘は新菜を想うておる。

 さすればかつての〝のばら〟という童女のように、特別な情を向けられている(われ)に娘が妬いておるのかもしれぬとも思うたが、すぐにそれは無いことが判った。(われ)の目を見る娘の目に、全く曇りが無いからだ。

 娘と見つめ()うているうちに、さらに多くのことが(うかが)えた。

 娘は新菜を深く知りたいのだ。

 肌身を離さぬほど身近に置いている(われ)を通して、新菜を感じ取りたいのだ。

 願わくば(われ)を手元に置きたいのであろう。

 (われ)は思うた。

 この娘であれば、(われ)自身を預けることに何の不満も無いと。

 それに、(われ)は兼ねてより思うていたではないか。

 いずれ新菜も、(われ)を手放す時が来なければならぬ、と。

 

「確かによ、そのお雛さんは新菜にとっちゃ、親代わりってだけじゃなく、面相書きの師匠みたいなもんでもあるしなあ」

 

 薫は(われ)を眺めながらそう口にした。

 確かに新菜は長らく(われ)を手本に面相書きの練習をしておった。

 

「――」

 

 娘は黙っている。

 薫はそんな娘に一度目を()り、次いで(われ)の目を(じつ)と見た。

 無言ではあったが、薫の思案が(われ)には解るような気がした。

 薫は親の心で思案しておるのだろう。

 (われ)も人形の身ではあるが、同じ思いである。

 

「――そろそろ、親も師匠も、卒業の頃合いだな」

 

 薫のその小さな声は、おそらく娘には聞こえまい。

 己に向かって呟いたものか、(われ)に向かって呟いたものかは判らぬ。

 だが薫の(かお)は慈愛を(たた)えておった。

 存外、新菜と娘、二人のことしか考えておらぬのかもしれぬ。

 

「新菜はそう先にならねえうちに、自分の満足できるお人形さんは自分で作れるようにならあ――そう思わねえか? 海夢ちゃん」

 

 出し抜けな言葉ではあったが、娘は意を(つか)んでおったようで、直ぐに答えた。

 

「うん、絶対なれる。あたしは信じてる!」

 

 薫は微笑んで言うた。

 

「それなら、訊いてみな。このお雛さんをくれ、ってな」

 

 娘は薫の言葉に目を見開いた。

 

「――ごじょー君がちっちゃい頃から、お守りみたいに見守ってくれた大切なお雛様を、あたしが」

 

 薫は頷いた。

 

「だからだよ、海夢ちゃん」

 

 微笑みを浮かべ、薫は続けた。

 

「そのお雛さんを貰ってやれる人は、海夢ちゃん以外にいねえと思うぞ」

 

 娘は口を両の掌で押さえ、(ふる)えていたが、やがて口を結んで、確りとした眼差しで薫に強く頷いた。

 

 

 

 秋は(たちま)ちのうちに過ぎ去って行った。

 新菜は娘を通じて、世間を大きく(ひろ)げた。

 人の繋がりが増え、新たな知見を得て、体験を重ねた。

 まだ見ぬ物を見たいという欲も芽生えた。

 それらが皆、新菜の人形作りの技に幅と奥行きを与えた。

 何より新菜自身が、己の人形好きを誇らしげに公言できるように為ったことが何よりも大きな成長であった。

 

 一回り大きく為った新菜は、己を変えてくれた娘への感謝を片時も忘れず、娘の願いは何であれ必ず叶えて恩義に報いようとしていた。

 新菜は娘のことを心底大切に思うていた。

 以前であれば欲情の対象でもあり、しばしば男欲の(たかぶ)りを鎮めるべく娘を想い描くこともあった新菜であるが、今やそのような対象として娘を見ることを己に禁じていた。

 最早その存在を崇拝しておるようであった。

 新菜の中には娘を欲する気持ちが間違いなく在るが、己自身の手で其処(そこ)に重く頑強な蓋をしておった。

 

 娘のほうは、五条の家には毎夜の如く訪れておるようであったが、(われ)の居る二階の新菜の部屋に来ることはほとんど無かった。

 それ故娘の気持ちは(われ)は聞いてはおらなんだが、足繁く通うその姿勢で娘の恋心の高まりが解るというものであった。

 

 そして師走(12月)の頃、(つい)に娘は己の恋心を新菜に打ち明けた。

 新菜は娘の気持ちを明かされて(ようや)く己の中に封じておった本当の願いに目覚めたらしく、彼もまた、娘に己の恋心を告げたという。

 晴れて二人は相思相愛の仲に為ったのだ。

 

 その後は娘も度々、新菜の部屋に上がるようになった。

 だが目的は衣裳の相談のようで、身を寄せ合っては居たがそれ以上密に近づくことは無かった。

 新菜も以前のように娘への欲を思い出したようで、夜はたびたび娘の名を口にしながら己を慰めていたが、決して直接、娘へ手を出そうとはしなかった。

 新菜も娘も、まるで何か節目を待っている様であった。

 

 如月(2月)のある日のことであった。

 新菜と娘の二人は弥生(3月)初めの桃の節句に向けて人形屋の手伝いをしておった。

 この平成の世では桃の節句に雛人形を数多く陳列する習わしがある。

 五条の家は桃の節句の日に、この家とは別の大店(おおだな)で多くの雛人形を展示する。

 余(われ)其処(そこ)に並んだことはかつて無いが、今年は(われ)も展示されるそうだ。

 二人は手伝いを終えた後、未だ(われ)が置かれたままの新菜の部屋に戻って来ると、娘が新菜に向かって口を開いた。

 声色に緊張がある。

 

「新菜君……お願いがあるんだ」

 

 新菜は振り返り、優しい目で娘を見た。

 新菜は娘の願いであればすべて聞くつもりでおる。

 当然の如く続きを促した。

 

「三月五日ね。……あたしの誕生日じゃん?」

 

 娘の生まれた日は、桃の節句の二日後らしい。

 新菜は春分の頃、二十と一日だった(はず)だ。

 二人とも存外、近い日に生まれて()ったのだな――その様なことを(われ)が思うておると、娘が(われ)の方に向かって言うた。

 

「三月三日に、このお雛様、お店に飾るんだよね」

 

 新菜が頷いた。

 薫が新菜に言うていたらしい。今年は新菜が(われ)の衣裳を作って店に飾れ、と。

 新菜はその準備をしておった(ところ)だ。

 

「お店で飾った後にね、新菜君……。このお雛様を……あたしにくれないかな?」

 

 新菜は理由も訊かないうちに、優しく肯定の頷きを返した。

 その顔を見て娘は嬉しそうに微笑みながら、以前、薫と話した時のことを新菜に説明した。

 そのうち己の想いを新菜に打ち明けはじめた。

 

「このお雛様は、新菜君をずっと守ってきたでしょ」

 

 新菜に承諾を得て娘は(われ)を手に抱いた。

 

「これからは、あたしが新菜君を守る。だから、ちゃんとあたしが出来てるか、お雛様に見守ってて欲しいんだ」

 

 娘は(われ)を見つめながら続ける。

 

「それにね、新菜君が言う〝奇麗〟って言葉も、新菜君の思い描く夢も、これまで新菜君が大切にしてきたこと全部、全部ちゃんと知りたい」

 

 娘は振り返って新菜の目を真直に見つめ、言うた。

 

「あたしの未来は新菜君のもので、新菜君の未来はあたしのものだけど――あたしは、これまでの新菜君も欲しい」

 

 新菜は驚いたように口を開きかけたが、すぐに真一文字に口を結び、続いて優しく目を細めながら、承諾した。

 娘はそれを微笑みで返しながら、続けた。

 

「嬉しい。ありがと――代わりに」

 

 そして暫く口を(つぐ)んだ。

 次の言葉は娘にとって大きな覚悟の要ることのようであった。

 娘の大きな瞳には澄んだ決意が宿っていた。

 

「――新菜君の誕生日に、あたしのこれまでを、貰ってください」

 

 一体何を、と新菜は問わなかった。

 二人は深く信頼し()うておる。

 娘の目を見て、その意味が判ったのであろう。

 新菜は、ただ一度、強く頷いた。

 

 

 

 

 

 




続きます。
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