原作では文化祭のシーンで何度か登場しただけで、他に登場シーンはありません。
アニメ一期でも、期末試験で「はい、終了~」しかセリフがありません。
立派なモブキャラだと思いますが、それでも二人の担任です。ちゃんと二人のことを見守ってくれているはず。そう考えてこのお話を書きました。
花岡先生の担当科目は世界史にしています。これは原作設定ではありませんが、アニメで一年生での開講科目に世界史があったため、矛盾はしていないと思います。
初掲載: 2022年7月22日
花岡先生 その1
Ⅰ
優しい風に揺らめくカーテンが、窓の外の桜の色に映えて薄紅色に染まっている。その隙間から射し込む光を照り返して、年代を重ねて磨かれた床がきらめいた。居並ぶ四十六の瞳も、また。
「担任の
教壇から挨拶をすると、よろしくお願いいたします! と元気な返事が返ってきた。入学初日、初挨拶。毎回のことだけど、この瞬間は一番ドキドキするわ。そして、とってもワクワクする。
今年の一年五組はあまり緊張もしてなさそうで、期待に満ちたキラキラした目をしてる。どの子もうちに入ることをとっても楽しみにしていたって顔をしてて、それを見てる私も楽しみになっちゃう。
あの子、髪色を入れ始めたのね。春休み中に一生懸命美容室に通ったんだわ。
あの子はファーストピアスを空けたばかりかしら。耳たぶが気になっちゃうのね、時々触ってる。
あの子は黒髪に
あの子の名前は覚えてるわ。入試成績二番の
みんな高校デビューって感じで初々しい! 可愛い!
うちの学校は、制服は決まっているけどピアスもヘアカラーもまつエクも自由で、感染症対策上、ボディピアスとタトゥーは禁止しているくらい。
制服着用は義務だけど、破損汚損しなければ着崩しても問題なし。自主、自律、自学。自分で弁えられる子じゃなければ、うちではやっていけないわ。
今日は式典なのできちんとネクタイして、ボタンも一番上までしっかり留めて、ジャケットも前ボタン留まってて、でも髪色は金色、茶色、赤色。いろあざやかで素敵。
一年間、この子たちと一緒なんだ。みんないい子だといいなあ!
Ⅱ
入学式から一週間が経った。新入生への教材配布やオリエンテーションなどが続いていて、私は今もその作業中。新入生たちはまだ緊張もしていて、ほとんどのクラスは大人しくしている。……ほとんどのクラスは。
「花岡先生ー!」
遠くから私を呼ぶ生徒の声。いやーな予感。
「花岡先生、すいません。ちょっと教室に戻っていただけますかー!」
視聴覚室で生徒二人に手伝ってもらいながら英会話の配布教材の片付け作業をしているところに、息を切らせて五組の女子が入ってきた。また教室で何かあったんだろうな。
「何かあったのでしたら、先生、あとはやっておきますから、教室行って頂いていいですよ」
手伝いを申し出てくれた
「何が起こったん? また
一緒に手伝ってくれていた
「ううん、今日は
女子が柏木君に答えたら、柏木君は、やっぱり、って顔で天を仰いでる。
「まーた
「いいよ、大丈夫。残りは大したことないからやっておく。花岡先生、終わったら職員室に報告しておきますね」
柏木君に頼まれた五条君は、嫌な顔ひとつせず了承してくれた。というか、心配そうな顔はしているから、教室のこと、気にしてくれてるんだわ。
「助かるわ。ほんと今年の五組はいい子ばっかり」
教室に向かって廊下を歩きながら、生徒たちにお礼を言った。そしたら、『あの子以外はねー』っていう女子の声が聴こえたから、ダメよ、特定の子だけ悪いなんてないの、とたしなめておく。
あの子こと、喜多川
あのときは職員室に生徒が私を呼びにきて、教室に行ってみるともう話は終わっていたんだった。仲裁に入った柏木君が言うには、森田君が喜多川さんのカラコンに興味をもって、話しかけたんだとか。
喜多川さん、まだブリーチもしてない自然な栗色の髪だったし、ピアスも穴あけたばかりで少し地味だった。だから森田君としては、『全体的に奇麗で落ち着いた雰囲気なのに、目だけ目立ってるから、しばらくカラコン無しでもいいんじゃない』というようなことを言いたかったらしい。でも出ちゃった言葉が、『チョー赤いじゃん! 目だけスゴくね⁉』だったらしく、喜多川さんが、『は? 話しかけてくるなり目ぇだけとか何⁉ いきなりディスられるとかマジないんだけど』みたいな反応になってしまい、あわてて森田君がフォローしようとしたけど泥沼になってしまったらしい。後からやってきた柏木君と菅谷
「柏木君は森田君と同じ中学よね。仲が良かったのかしら?」
回想を中断して柏木君に
「はい。っつーか小一からずっと同じクラスです。家族ぐるみで知り合いですし。あいつ昔からクソバカで言葉のチョイスよくミスるんすけど、絶対に本音で人をディスるやつじゃないですからね」
堅い信頼関係をさらっと言ってのけるのが柏木君の良いところっぽいわね。マブダチってやつかしら。柏木君は入試成績もかなり上位。森田君はぎりぎりラインだった。多分、森田君は、柏木君と同じ学校行きたくて受験も必死で頑張ったのね。いいわねぇ。
そういえば、喜多川さんと菅谷さんも同じ中学だったわ。こちらは菅谷さんが入試成績二位で喜多川さんは真逆の下から二位。
喜多川さんも菅谷さんにべったりだし、そういうことよね。面白いクラス分けにしたものねぇ。
さて、困ったことに、この喜多川さんと森田君の衝突はそのあともう一回あった。
クラスの女子が初めてつけてきたピアスについて、森田君がまた言葉のミスチョイスをしてしまったのだ。その子も言われっぱなしの子じゃないんだけど、その日〝人生初ピアスがフープピアス〟っていう冒険でドキドキしてたみたいで、森田君の言葉にたじろいでしまったらしい。
で、その場にいた喜多川さんが見てみぬふりをするわけもなく、再び言い合いになった。このときは私も教室の外で生徒と話をしていたからすぐ仲裁に入れた。
直接本人の話を聞いて見ると、喜多川さん、人の好きなものを馬鹿にすることは絶対に許さないっていう信条があるみたい。筋が一本通ったところがあるのね。見た目奇麗な子なんだけど、硬派な男子学生相手にしてるみたいな感覚だったわ。
今回で三回目。また同じような理由かなあ。こういうのが続くと服装面の校則を強化すべきだーみたいな意見が職員会議で出てくるからなあ。第三次で終わってほしいなあ。ポエニ戦争じゃないんだけど。
教室前に到着。って、あーあ、他のクラスの生徒まで見にきてる。
「なにケンカ? 怖っ」
「こないだもやってなかった?」
「入学したばっかなのにヤバっ!」
「五組って治安悪くね?」
やめて。そんなことないわよっ。ちょっと元気がいいだけよ! たぶん……
教室内から、何か大きな声で言い合っている声が聞こえてくる。ふーっ。よし。
深呼吸して、覚悟を決めて教室へ入った。
「――なんなんこれ」
おもわず出た言葉は、柏木君のもの。でも私も同じ心境だった。
黒板を前にして、二人の男女が立って言い合いをしている。
男子のほうは古賀
黒板を見ると、板面全部を使って、女性の胸部、そう、おっぱいが大きく図解されている。しかも、大、中、小みたいに三パターンのサイズで描かれているのだ。
いままでうちの学校だとあまりこういう落書き、する子いなかったんだけどなぁ。
「えっと、古賀くん? 学校の教室でこれはちょっと……」
年頃の男子とはいえ、さすがに黒板にこういう絵はやめてほしい。
「ちっ、ちち、違いますって! 先生‼ 俺じゃないっす!」
古賀君はすぐさま否定した。別の声が続く。
「それ、描いたの海夢ですよー」
黒髪に赤のインナーカラーのツインテールが特徴の、菅谷さんだ。そして、私たちのやりとりが一切、耳に入っていないかのように、一人早口でまくしたてている女子が――
「だから
目を見開いて、標的であろう古賀君すら通り越して宙空を見上げて熱弁をふるっているのは喜多川さん。すらっとした背格好でハイブリーチしたばかりの長髪が目立つ。スタイルも抜群なのに、今は自分の形の良い胸を、黒板の絵に合わせて下から持ち上げたり左右に寄せてみせたりと完全に無駄づかい。リアルとアニメの違いは何か、それこそ全身を使って説明をしている。おっぱいの説明を。
「カラコンとかピアスとかはさー、海夢そこまでこだわりないからいーけど、そっち方面、海夢ガチのガチだから。古賀君、ヤベーの踏んじゃったねー」
この中で喜多川さんのことを一番良く知っているであろう菅谷さんが、やれやれという顔で古賀君に同情を示している。打つ手なし、って感じだ。
私は我に返った。担任だし打つ手なしなんて言ってられない。柏木君と菅谷さん、そして呆気にとられてなりゆきを見守るだけだった他の子たちにも声をかけ、なんとかいったん落ち着かせる。そのうえで古賀君と喜多川さんから事情を聴くことにした。
ふたりと、ほかのクラスメイトから聴いたことをまとめると、こうだ。
まず喜多川さんが、ミシンや裁縫が得意な人がいないか、声がけをはじめた。目的は、コスプレ衣装の製作。喜多川さんは大好きなゲームキャラクターの衣装を作ってほしかったらしい。
そのキャラクターは、タイトルが長くて覚えてられないけど、とにかくアダルトゲームの登場人物っぽい。私も喜多川さんのスマホの写真やゲームのホームページで画面をみせてもらった。というか喜多川さんの説明の際に無理やり見せられた。『先生はリョージョク系、大丈夫ですか?』って一応気づかってもらったんだけど、まさか自分のクラスの女子から〝凌辱〟なんて言葉が出てくるなんて思わなかったから、彼女の言うリョージョクが何かよくわからないまま肯いちゃった。
で、そのキャラクターは胸のおっきな、というか現実ではありえないくらいの巨乳の女の子で、いわゆるゴスロリ系の服を着ていた。喜多川さんはその衣装を着たいのだといって、クラスメイトに裁縫の腕をきいてまわっていたわけだ。さっきの写真とか、資料が必要な人にはゲームを貸すからプレイしてみて、と言いながら。って、あれ?
「喜多川さん、そのゲーム、学校に持ってきているの?」
念のため喜多川さんに訊いてみると、案の定、元気いっぱいの返事が返ってきた。
「はい! 当然です! もし興味もってくれて、やってみたい! って人いたらすぐ貸してあげたいじゃないですか? えっと、これです! ヌル女のワンとツー!」
そう言って、カバンからゲームのパッケージを二つ、取り出して見せてくれた。パッケージの表は可愛い感じの女の子のイラストが描いてある。〝聖ヌルヌル女学園ナントカ〟というタイトルも読める。裏をひっくり返して見ると、あられもない格好をした女の子キャラがあんなことやこんなことをしているイラストがいっぱい載っている。これゲーム画面なのかな……まあいいや。目的の表記は見つけた。
「喜多川さん、これ、18禁って書いてあるわよ?」
「はい――あっ? うっ……」
あ、喜多川さん、真っ赤になって目をそらした。よしよし。畳み掛けるチャンス。
「喜多川さん、まだ十五歳よね? これは良くないんじゃないかな~?」
「えっ、あの、校則には書いてなかったー、みたいな?」
「校則じゃなくて、もっと上。青少年保護条例違反かな~。主義も主張も大いに結構だけど、それはさておきまず法令遵守よね。わかるかしら? 喜多川さん?」
「でっ、でも、
「シズクタン? 登場人物のことかな? なおさらダメなんじゃないかなっ。とにかく、ダメ。少なくとも学校に持ってきちゃいけないものだってことは解ってもらえるかしら? き・た・が・わ・さん? はいかイエスで答えて」
「はっ、はひ……」
喜多川さん、うつむいて小さくなった。とりあえずここまでにしておいてあげよう。
「花岡先生、笑顔めっちゃ恐い」
「詰め方えっぐ」
「海夢、涙出てるし。……花岡先生ガチだわ」
五組の子たちがなにかささやきあってる。何? 私、優しいわよ?
さて、途中になってしまったけど、喜多川さんが怒った理由だ。
喜多川さんがクラスメイトにゲームのキャラクター――喜多川さんいわく〝雫たん〟――の画像を見せてまわっていたとき、やっぱりみんなは引いてしまっていたらしい。喜多川さんも空気が読めない子ではなく、しかも受け入れて貰いにくい趣味であることも理解していたそうで、ダメそうだと判った時点でそれ以上アプローチをかけるのはやめたのだとか。
ところが、古賀君が思わぬ反応を示してしまった。
古賀君は顔が広いうえに結構面倒見がいいらしく、誰か服飾ができそうな人が居ないか知り合いに聞いてあげようと思い、喜多川さんに声をかけてくれたのだ――まだ画面を見てもいないうちに。
当然のごとく喜多川さんは再び歓喜して古賀君に画面を見せながら熱弁をふるった。古賀君は〝雫たん〟の画面と、それを早口でまくしたてる喜多川さんにドン引きしてしまい、つい、画面一杯の巨乳に対して、『アニメよくわからんし、こんな乳なくね? マジ奇形じゃん』と口走ってしまったのだという。あとは先程見たとおり。
古賀君は、今はその発言を大変深く反省している様子。いやでも、これについてはどっちかというと喜多川さんが猛省すべきだなぁ――
「古賀君、ごめんね? せっかく手伝ってくれよーとして声かけてくれたのに、あたし雫たんバカにされたのかと思って勝手にキレてさ。ほんとごめん」
――なんて思ってたら、喜多川さん、自分から謝りに行った。
「いや、俺も悪かったわ。つい口から出ちまったけど、奇形とか言うのは自分でもねーわって思ったし。そーゆーの気にしてる人だって居たかもしんねーしな。みんなもホントゴメン。不快に思ってたら謝る」
「あたしも謝る! みんな、メーワクかけてごめんね? あたしの趣味ゴリ押しして。これからはちと自重するわ」
あらあら、二人とも自分をよく客観視できてるのね。とりあえず教師としてこれ以上踏み込む必要はなさそうかな。
すっかり和解して再び衣装製作の相談をしている。でも古賀君の知り合いもアニメやゲームは疎いし、わざわざゲームやりながら衣装を創作するほどの熱意は無いだろうから、手伝ってあげるのはムリだ、という結論になったらしい。
「すまねーな。あんまそっち系に詳しいヤツ、知んなくてよ。俺もアニメまったく知らねーわけじゃねんだけどな。最近はみねーけど」
古賀君がそう言うと、喜多川さんは目を輝かせて古賀君に聞いた。
「え、なになに? どんなの見てたの? 教えてよー」
「ダブルクラッチとかは見てたぜ。俺、小学校んときからバスケだし、みんなで毎週盛り上がってたわ」
「マジで⁉ あたしもめっちゃ見てた‼
「あー、俺も竜胆好きだった! 髪切って覚醒したあとのスリーの撃ち方がガチでカッコよくってよー! 割りと本気で真似して練習したわ!」
「普段無口で何考えてるかわかんないキャラが、実は心の中でアツい想い秘めてるとか、夢を追いかけ続けてるとかめちゃすこ。もーね、リアコしてたわー」
「だよなー。その想いをちゃんと安道先生が判ってるってのもアツいんだよ。うちの監督マジ理不尽しかなかったし、替わってくれー! っていつもみんなで叫んでた!」
「わかるわ! 俺も四季んちで見せてもらってた! やっぱメガネ部長だろ!」
「お前、テレビ見せてもらえないからって毎回俺んち来てたしな……」
「みんな誰推し⁉ あたし鳴神高全推し!」
気がつくと男子が集まってバスケ漫画の話題で盛り上がり始めていた。雨降ってなんとやら、ってことなのかしらね。
「古賀君、今回の件は水に流して、仲良くしようぜ⁉」
「おう、こちらこそな。岳琉って呼んでくれよ。よろしくたのむぜ!」
「あたしも海夢って呼んでよ! あたしはいきなり岳琉って呼び捨てはハードル高いから、岳琉君って呼ぶね!」
「じゃあこっちもとりあえず喜多川って呼ぶわ!」
古賀君と喜多川さんはがしっと握手して、それを男子たちが歓声で盛り上げている。えっと、これ、男同士の友情のシェイクハンド……? 女子は遠巻きに生暖かい目で見守ってる。
ま、いいか。クラスは完全に落ち着いたようだから、私は来週の予定を黒板に書いておこう――
「先生は推し、居ないんですか⁉」
って作業してたら、喜多川さんに声をかけられた。
「推しって言葉にあてはまるか解らないけど、好きな歴史上の人物ならいっぱいいるわよ」
「あ、先生、世界史ですもんね。教えてくださいよー!」
んま、嬉しい。特別講義のオファーいただきました!
「先生、語っちゃうわよ! 先生、古代から中世のイタリアが好きなの! ローマ皇帝とか大好き。一番好きなのはユリアヌス皇帝! 不幸な境遇の生い立ちだけど、哲学好きで勤勉で、一途で融通利かないもんだから政治的な駆け引きも下手で辺境にとばされるの。でもそこで現地の人たちの心からの信頼を受けて皇帝として名乗りを上げるのよ。熱い展開よね~。でもいまいち小物っていうか、同じ哲人皇帝でも憧れのマルクス・アウレリウス帝ほど偉大になれないっていう苦悩がまたいいのよね~。あと先生、ルネッサンス期も大好きなのよぉ。フィレンツェのメディチ家とか全員好きだけど、まずロレンツォ・デ・メディチ! かっこいいわよねえ。ダ・ヴィンチとかボッティチェッリとか天才をたくさん囲っててハーレム状態なのよ。政治的にはもう汚くて手段選ばなくて容赦なくて、敵対者皆殺しなんだけど、そもそも溺愛していた弟を殺された悲しみと憎しみがそうさせたという可哀想なところがあるの。そうそう、ダ・ヴィンチとボッティチェッリといえば、ボッティチェッリはダ・ヴィンチの兄弟子なんだけど、ダ・ヴィンチの天才性には敵わず、晩年はフィレンツェの衰退とともに落ちぶれていくのよ。この人間臭さが先生好きなのよぉ~」
「あ、先生もヤバい系だった」
「これ、止まんない感じ?」
「海夢、嬉しそーじゃん。内容解んの?」
「推しは全力で語るっしょ! わかりみ深すぎるー」
「あー、そっちかい」
生徒相手に語れるって幸せ~! 授業だと勝手に好きなところばかり話すわけにいかないもの。五組の子たち、いい子だわ~!
「先生、遅くなってすいません」
気持ちよく話していたら、ガラっという戸を開ける音とともに、五条君が戻ってきた。
「他のクラスの配布物がいろいろ混ざっていたみたいだったので、職員室の先生方と一緒に整理していました。一回報告に来れば良かったのですが、作業が始まってしまい……」
しまった、ずっと作業してもらっていたのを忘れていた。担任ともあろうものがなんたる体たらく。
「ごめんなさい、五条君。すっかり任せっぱなしにしちゃったのね。本当に申し訳ないわ」
「いえ、そんな大したことはありません。ところでこっちは落ち着いたんですか?」
教室のトラブルは収拾したのか、と心配してくれた。
「ええ、おかげさまで。もうこういうことはなさそうよ?」
そう言いながら喜多川さんを見ると、苦笑いして、ダイジョーブですっ、と答えた。そしてすぐに、教室に入ってきた五条君に向き直って訊いた。
「ねえ、えっと、ごじょー君だっけ? ごじょー君は、推しって居る? ごじょー君の好きなものって何⁉」
訊かれた五条君の反応は、少し気になるものだった。目を丸くして、次いで無表情になった。凍りついたような顔だった。
「――いえ、特に何も、ないです」
五条君は固い表情のまま、自分の席にもどっていった。
Ⅲ
ゴールデンウィークが終わって、初登校の月曜日。
五組のみんなはファッションも髪色もメイクもだいぶ固まってきた。それとともに、人間関係も。
連休中に親睦を深めた人も結構多いらしく、四月中はあまり喋っていなかった生徒同士が、すっかり打ち解けて会話している。
喜多川さんはハイブリーチの髪をしっかりトリートメントして、毛先のほうにかけて淡い赤色をグラデーションで入れている。ツヤツヤでとても奇麗。美容室できっちりやってもらっているみたい。ピアスも、インダストリアルって言うんだったかな? 長いのをつけてきて、かなり目を惹く。もともと容姿も人並み以上に整っているし、今や喜多川さんは学年で一番人目を惹きつける子だと思う。
「
「海夢、ちょっと待てって! 次の時間のプリント配っといてって花岡先生に言われただろー」
大空って呼ばれた子は、両耳の黒いフープピアスが目立つ子。瑠音と呼ばれた長身の女の子とは入学時から仲が良かった。喜多川さんとはあのピアスの一件から仲良くなったみたい。誤解とはいえ森田君からピアスをけなされたと思ってたじろいでいた子だ。喜多川さんがあのとき
「古賀、四季、ドクターペッパー買ってきたぞー!」
「森田おま、なんで俺のまでペッパーにすんだよ!」
「柏木ー、帰りマックいこーぜ」
「村上、お前マックしか行くとこねーんかい」
男子は男子ですっかり打ち解けている。五組はあれから小さないざこざを積み重ねてきた。その度に仲裁したり雑談を装った個人面談をもちかけたり、担任としてそれなりに忙しかったけど、その甲斐もあって今はみんな仲良くやっているようだった――ただ一人を除いて。
五条君は窓際の席で、休み時間はいつも一人、外を眺めて過ごしている。誰かと親しげに話しているのを見たことがない。教師と話すときはしっかりした敬語で堂々と話すし、生徒同士で話し合いが必要なときも、ちゃんとはっきりした声で喋っている。女子に話すときは何故か敬語だけど、別に話せないわけではない。
ただ、人から注目を集めるのは酷く苦手な印象があって、何か頼まれごとがあっても、目立たず一人で片付けてしまう。敢えて孤立しようとしているのではないかと心配になってしまうのだ。
連休明けの数日間、私は彼に目を配っていた。やっぱり一人で休み時間を過ごしている。
木曜日の朝、私は五条君に声をかけた。放課後、少し話ができないかしら、と訊いてみた。五条君は、掃除当番なのでいいですよ、と返答してくれた。
放課後、職員室で雑務を片付けてから教室に向かうと、ちょうど掃除当番が解散するところだった。
喜多川さんが『雫たーん雫たーん』と歌いながら元気に教室を飛び出していった。彼女には月曜から被服室のミシンの使用許可を出してあげている。たぶん、例のコスプレ衣装とやらを自分でがんばって作ってるんだと思う。立ち止まらない行動力があの子の良いところだわ。
しかし、五条君がそんな喜多川さんの後ろ姿を、焦点の定まらぬ目で追いかけていた。それがとても気になった。
そして教室には、私と五条君だけになった。あえて席をすすめず、私も立ったまま口を開いた。
「五条君、いつも先生のこと手伝ってくれてありがとう。細かいところまで気を配ってくれて、ほかの先生たちもみんな助かるって言ってるわ」
五条君はすこし微笑んで答えた。
「いえ、大したことはやっていませんので――ところで、お話というのは、そのことですか?」
ストレートにきた。緊張をほぐしてからと思ったけど、要件に入っちゃったほうがいいかな。
「ううん、実はね――五条君、クラスに馴染めてるのかな、って思って。ごめんなさい、緊張しないで。あのね、五条君は先生たちと話しているときは気楽に受け答えしているように見えるし、意見も率直に言ってくれるから話しやすくて気の利く生徒だな、って思っていたの。でもクラスメイトとは距離を置こうとしているような気がして。五組で何かあったのかなぁって思ったの。私の気のせいならいいけど」
五条君は無表情になり、下をうつむいて黙った。ごくり、と唾を飲む音が聞こえた。ああ、追い詰めてしまっている。少し方向を変えなきゃ。
「五条君、先生たちと話すのはつらかったりする?」
「いえ、全然そんなことはないです」
即答だ。続けよう。
「そうよね、五条君、大人と話すのはとても慣れている感じがするの。物腰は丁寧だし、敬語も上手だし。何かそういう経験があるのかしら?」
五条君は少し考える様子は見せたけど、さっきのような緊張もなく、自然に答えてくれた。
「そうですね、先生のおっしゃる通りだと思います。僕の家は、人形店をやっているんですが、祖父が店主なんです。両親は――僕が小さいころ、事故で亡くなりました。それ以来、僕は祖父と一緒に暮らし、祖父のような職人になるために、大人に混じって練習させてもらったりしていました。接客も手伝っていたので、大人たちと話したり相談したりするのは、あまり緊張しないんだと思います」
「――辛い話をさせてしまって申し訳なく思います。保護者欄がお祖父様なのは、そういったご事情があったのね。でも、差し出がましいことを訊いてごめんなさい、大人の世界に小さいときから入って仕事を手伝っていたなんて、大変ではなかったの?」
「いえ、自分で望んでやっているので、全然そんなことはありません。祖父のような職人になることは、僕の夢ですから」
五条君は、まっすぐに私の目を見て、そう答えた。彼のこんなに強い眼差しを見たのは、はじめてだった。
「でも、これも先生のおっしゃる通りですね。僕は、大人と関わることに慣れている分、同世代とあまり関わってこなかったというか、同世代の人と、趣味や娯楽について話すことに緊張してしまうんだと思います」
五条君はそう打ち明けてくれた。その時脳裏に浮かんだのは、喜多川さんが〝推し〟を五条君にたずねたあの一件のこと。五条君が喜多川さんを目で追いかけていたこと。
「クラスメイトに趣味のこととか、好きなことを訊かれるのが嫌なの? 喜多川さんとか、ぐいぐい来るでしょう? ああいうの、つらいのかしら?」
五条君は目を
「――いいえ。喜多川さんは、自分の好きなものをはっきり主張できる強い人だと思います。実は、このあいだの放課後、喜多川さんに言われた言葉があるんです――『自分の気持ちは、自分のために言わなきゃダメだよ』って。目を醒まさせられる感じがしました。もし、あの言葉がなかったら、今日、僕はこうして先生に打ち明けることもなかったと思います。自分の気持を、僕は言いたい、と思えたので」
そうか、五条君は、喜多川さんの在り方を、嫌じゃなく、むしろ好ましく思っているのね。そう訊いてみると、
「はい――感謝、しているんだと思います」
そう、はにかみながら答えてくれた。それは彼がはじめて見せてくれた、素敵な笑顔だった。
次へ続きます。