『映画はもう終わった頃かしら? 入るわよ』
お姉ちゃんだ。二人ともはっとした表情をして距離をとった。五条さんもあわててココアを一気飲みしている。私はドアを開けてお姉ちゃんを迎え入れた。
「乾さん、お気を使わせてしまいすいません」
「……いいのよ。こちらこそありがとう、五条新菜」
五条さんとお姉ちゃんがお互いを労いあった。今の会話だけで解り合えちゃうんだ……なんだかすごい……。
横を見ると海夢さんが少し頬をふくらませていた。
「――なんか二人で通じ合ってる、みたいなカンジじゃない⁉ ちょっと新菜君? ジュジュサマ?」
お姉ちゃんは呆れたように手を振りながらさらっと答えた。
「安心しなさい、喜多川海夢。私は人のものを横取りするような趣味はないし、そもそも五条新菜は貴女以外の女性など眼中にないわよ」
五条さんもまりんさんも口を開けたまま真っ赤になった。わあ。さすがお姉ちゃん格好いい!
「それで? 何を盛り上がってたのかしら。部屋の外まで聞こえたわよ」
そうだった。ムー創刊号表紙の女の人のコスプレをしたい、って話だった。
私はお姉ちゃんに表紙イラストをスマホで見せながら説明した。お姉ちゃんは目を瞠った。
「この衣装を……」
お姉ちゃんはしばらくじっと考え込んだ後、私の目をしっかり見つめて質問を投げてきた。
「心寿がコスするの?」
「うん……憧れだったから、してみたいな、って。まりんさんのほうが絶対似合うと思うんだけど、私も似合うよって言ってくれたの」
「ガチで似合うよ!」
そこでふたたびまりんさんが力強く断言してくれた。私の心が暖かくなる。まりんさんはきらきらとした瞳のままさらに続けた。
「ねね、心寿ちゃん。それならあたしも一緒にやるよ! どう?」
「えっ……まりんさんも⁉」
予想外の提案に思わず言葉が詰まっちゃった。まりんさんと一緒のコス……確かに心強いかもしれない……でも。
ちらりと五条さんを見る。比べられたら、イヤだな。恥ずかしい。なんて思っていたら。
「……海夢さん。衣装はもちろん手伝いますが、二人が衣装を着たところに俺は一緒にいられませんよ」
五条さんがまるで私の考えを読み取ったかのように、私の方を横目で見ながらまりんさんに言った。
「――なになに? やっぱ恥ずかしーの?」
「……それはそうですよ。海夢さんはともかく、妹さんだって俺に見られていたら恥ずかしいと思います。とはいえ……」
まりんさんが悪戯を思いついた子供みたいな顔で五条さんに言うと、五条さんも少しだけ顔を赤くして答えた。
あれっ、さっき五条さんがちょっと困り顔になったのって、ひょっとして恥ずかしかったから……?
五条さんはその顔のままスマホをちょっといじると、画面を私たちに見せながら言った。
「俺がいてもいなくても、当然ですが素肌じゃなくてこういう感じの全身タイツを使います。そうじゃないとほとんど素肌になってしまいますし、その、大切なところだってちゃんと隠れるかどうか判りませんから……」
まりんさんが『ちぇー』って言いながら口を尖らせている。でもこれは私も五条さんに賛成だ……。
「そこに金色の布や光沢素材を縫い付けていけばそれほど時間をかけずに作れると思います。他の造形品やアクセサリーなどはちょっと調べてみます」
五条さんはやっぱりすごい。今の短時間で、どうやって作るかもう段取りを考えていたんだ……。
そういえば、お姉ちゃんはどうなんだろう。一緒にやってくれないかな。
「ジュジュサ――」
「先に言っておくけど私はやらないわよ、心寿」
私がそう考えていたら、お姉ちゃんが私に顔を向けて言った。まりんさんが何かを言いかけて止まっている。たぶんまりんさんはいつもどおり、お姉ちゃんを誘おうしたのだろう。それをお姉ちゃんがいつもどおり出鼻をくじいた。でも、なんで私に向かって?
「心寿。私はこのコスはしないわ。身長とか体型とかじゃないの。これは私がなりたいものじゃない。それだけよ」
お姉ちゃんがはっきりと『私がなりたいものじゃない』と言った。お姉ちゃんにこういう断られ方をされるの、初めてだ。少し、怖くなる。
「乾さん……」
五条さんが驚いた表情でお姉ちゃんの名前を口にした。まりんさんも目を見開いている。
お姉ちゃんは私の手元を見た。私の手は自分の髪をぎゅっと握っている。不安なときに無意識に出てしまう癖。
お姉ちゃんは口元を緩め、柔らかく微笑みを浮かべると言った。
「私には、私自身がなりたいものがあるの。でもそれは心寿、貴女が見たいものとは違うことだってあるわ」
そんなことはない。私はお姉ちゃんがどんなコスをしても見たい。それが私の見たいものと違ったことなんてない。
でもお姉ちゃんは少し寂しそうな顔になり、続けた。
「そして、心寿が見たいものが、必ずしも私がなりたいと思っているものじゃない、ということなの」
頭をハンマーで殴られたように、一瞬思考が真っ白になった。
今までちゃんと、考えたことが無かった。
――そういえばお姉ちゃんは今まで、私が見たいと思ったコスはいつも、絶対にやってくれた。嫌な顔一つせずに。あれは、あれは……全部、お姉ちゃんの我慢だったの?
「そうじゃないわ。……私は貴女の姉よ。妹が見たいと思ったものに自分がなってあげられる。その姿を見て妹が喜んでくれる。それは姉である私にとって何よりも誇らしくて、嬉しいことだった――そうよ心寿。私は本当に嬉しかったの」
じゃあなんで。お姉ちゃん、なんで今、そんなことを言うの? まるでどこかに行ってしまうみたいに。
お姉ちゃんは五条さんを見た。さっきまで驚いた顔でお姉ちゃんが話すのを聞いていた五条さんは、真剣な顔になって軽く肯くと、口を開いた。
「――自分の好きなものを人に言うのは、怖いものです。勇気が要ります」
そう言って五条さんは私を見た。
私は再び、初めてのコスを彼に手伝ってもらった時のことを思い出した。
なりたいものになれるわけがない――私のそんな臆病な気持ちに五条さんは気づいてくれて、怖がりで面倒くさい私の願いを大切に大切に扱って、実現まで導いてくれた、あの時の気持ちを。
「同じように、自分が苦手なものを人に伝えることだって、勇気が必要だと思うんです。……いや、好きなものを伝えるよりも、もっと難しいかもしれない。それが、大切な相手が大切にしているものであれば、なおさら」
そこでお姉ちゃんが前に出た。
「五条新菜、ありがとう。ここからは私が話すわ」
お姉ちゃんは私の目をしっかりと見つめた。いつもどおり強く、でもとても優しい瞳。
「心寿。本当は私、怖いものが大の苦手なのよ」
一瞬、何を言われたのか解らなかった。怖いもの、ってなんだろう? お姉ちゃんに怖いものなんてあったかな?
「――私はお化けが苦手。幽霊が苦手。暗いところがとっても怖くて、今だって部屋を真っ暗にしては眠れないわ」
えっ、そんな……。でも、そう言えばお姉ちゃん、いつもナイトランプ点けてた。お洒落な雰囲気が大好きだからだと思ってたけど、本当は……暗いところが怖かったの?
「血を見るのも苦手よ。血が直接見えなくても、生き物が切られたりしているのを見たりするとすごく怖くなってしまうの。……うちって、クリスマスにターキーやチキン、出ないでしょう? ……あれはね。私が小さいとき、生の丸鶏をお母さんが捌いているのを見て気絶したからなのよ」
そんな理由があったの……。ずっとお父さんがロブスター大好きだからだって聞いてたけれど、それだけじゃなかったんだ。
「ゾンビ映画とか殺人鬼ものとか、もう大の苦手。小さい頃、アニメで人を襲うモンスターとかが出てくると『はやくやっつけて!』って小さく縮こまっていたものよ」
お姉ちゃんは『だから強くて可愛い魔法少女に憧れたの』と締めくくった。まりんさんが驚いた顔で言った。
「うっそ……ジュジュサマ、ホラー苦手だったんだ……。でも【棺】合わせ、やってくれたじゃないですか⁉ あれ、へーきだったんですか?」
そうだ。お姉ちゃんは【棺】合わせでクレアちゃんのコスだってやってくれた。私の大好きなホラーゲーム。私がコスしたミラちゃんにナイフで殺されちゃう役で、血のりだっていっぱいかけられたはずだ。あれは、大丈夫だったの?
――私とまりんさんのその疑問に答えてくれたのは、五条さんだった。
「乾さんは【棺】合わせ、最初から最後まで怖かったんです。それでも最後までやり切ってくれました。その理由は――」
五条さんはお姉ちゃんを見た。お姉ちゃんは五条さんを見つめたまま、こくんと肯いた。
「――お姉さんだから、ですよ」
お姉ちゃんは頬を赤くして、恥ずかしそうに私を見上げた。
五条さんは続けた。私の希望。『お姉ちゃんの可愛い姿を見たい』という願い。お姉ちゃんはいつだってそれを叶えようとしてくれた。その願いを叶えられるのは自分だけだからだと。だからとっても苦手なホラーゲームのキャラでもコスしてくれた。私の願いだという、ただそれだけの理由で。
お姉ちゃんはホラーやその他の苦手なものを私には敢えて言わなかった。私が優しいからだと。もし私がお姉ちゃんの苦手なものを知ってしまったら、気をつかった私が自分の好きなものを堂々と言えなくなってしまっただろうと。
「じゃあジュジュサマ、今日【怨電3】一緒に観なかったのも」
「そうよ。ああいうのは大の苦手だもの。気絶するかもしれないし、夜眠れなくなるのは勘弁だわ。それに――」
お姉ちゃんは私を見て続けた。
「心寿に、私の苦手なものがバレると思ったからよ」
でもお姉ちゃんは今、自分でそのことを打ち明けている。それは何故――。
「今日、私が映画を一緒に観たくないということを、五条新菜は察してくれたわ。実はね、廃病院スタジオのときも【棺】のときも、彼は察して動いてくれていたのよ」
その言葉に私だけじゃなく、まりんさんも驚いていた。
「新菜君、そーだったの⁉」
五条さんはまりんさんを真っ直ぐ見つめて返事をした。
「はい。俺は長い間、自分が雛人形を好きだということがバレないように、怯えて過ごしてきました。だから人が不安に感じていることにも敏感になっていたのだと思います」
お姉ちゃんが五条さんに続いた。
「五条新菜がそうやって気づかってくれていることを、正直に言えば私は心地よく感じていたわ。でも同時に思ったの、心寿。……貴女に堂々としていなさい、なんて言っておきながら、私自身が自分の本心を隠して、他の人も巻き込んで気づかわせてしまっている、この状況に。私自身が一番、堂々としていないじゃないかって」
前にお姉ちゃんは私に言った。好きなもの、やりたいことは堂々とやりなさい、と。その言葉は私をとても強くしてくれた。だけど。
「貴女がその表紙の女性のコスをしたいと……そんなにも堂々とした姿になりたいと言っているのを聞いて、私はショックだったの」
お姉ちゃんは少しだけうつむいた。そして再び私の目を真っ直ぐ見た。
「心寿。貴女は私が思っていたよりもずっと、自分のやりたいこと、なりたいものに真っ直ぐ向かい合っている。私よりも、ずっと堂々としてる」
お姉ちゃんは続けた。お姉ちゃんはずっと、私の姉であることが誇らしかったと。私をいつも守ってくれたけど、姉の責務としてだけではなく、私に頼ってもらえることが嬉しかったのだと。そんな自分自身が好きだった、と。
でも、とお姉ちゃんはさらに続けた。
「心寿。もう貴女は、守られている必要なんて、ないわ」
お姉ちゃんは強く、きらきらとした瞳で私を見た。そこにはもう寂しさは感じられなかった。
「貴女はもう、私のコスを見たかっただけの貴女を、とっくに卒業してるじゃない。自分が憧れたものに、自分自身でコスすることができるわ。――もちろん一人だけではまだ出来ないかもしれないけど、貴女自身が助けを求めていくことができる。それだけの人間関係を、貴女自身の力で広げていったじゃない」
そして、いつもどおりの優しい笑顔になった。
「心寿。貴女は貴女自身のためにコスを見て、貴女自身のためにコスをしなさい。私は、私のためにコスを続けるわ」
その笑顔のまま、お姉ちゃんは私に力強い言葉をかけてくれた。
でも。お姉ちゃん、私、一人になるの? お姉ちゃんと一緒にいられないの?
「そんな心配そうな顔をしないで……。大丈夫。私は心寿の姉よ」
お姉ちゃんは、たぶん泣きそうになっている私の顔に、今日いちばん暖かい眼差しを向けてくれた。
「――きょうだいは一生、きょうだいなんだから」
◇
その後、【ムー創刊号】表紙コスの打ち合わせは順調に進んだ。
私はまりんさんと一緒に表紙の女性のコスをすることになった。
「撮影場所は乾さんのお部屋をお借りしていいんですか?」
「当然じゃない。心寿が希望したことなんだもの」
「ライティングの機材はお父さんが持っているのを借りれそうです」
「背景は全く同じものを用意することは難しそうですね……」
「でも宇宙っぽいのとか、ピラミッドが印刷された背景布ならネットでも安く買えそーだよ」
「本当だ……。これなら雰囲気ぴったりですね。三パターンくらい用意しておきましょうか」
「立ち姿とひざまずいているポーズは撮影したいです」
「せっかく二人で撮るんだから、ポーズ組み合わせたいね」
「いいですね!」
撮影の方針はすんなりと決まり、二週間後の週末に私の家で撮影することが決まった。そこでお姉ちゃんが提案をした。
「私が撮影するというのはどうかしら? 心寿がコスするのだもの、私だって写真を撮ってみたいわ」
お姉ちゃんが私を撮ってくれるの⁉ 初めてだ。すごい嬉しい……‼
「うわあー! ジュジュサマがカメラ持ってる姿、あたしも見たい! そんなの絶対可愛いが過ぎる……‼」
まりんさんが大はしゃぎだ。その気持ち、よく解る! お姉ちゃんにカメラ、似合うだろうなあ。私も撮りたいなあ。
「喜多川海夢……貴女のことももちろん撮ってあげるから、被写体としてちゃんと集中してよね。私はカメラにあまり慣れてないのだから、よそ見されると困るわよ」
「あたしのことも撮ってくれるんですか⁉ ファンサが過ぎる……‼ どーじよ、涙ででぎだ……」
「……相変わらず大げさなのよ」
そのやりとりを見ていた五条さんが笑顔でお姉ちゃんに話しかけた。
「乾さん、ありがとうございます。乾さんに撮影をお任せできるなら、安心です」
お姉ちゃんはその言葉を聞いて軽く眉をしかめた。呆れた顔にも見える。
「何を言っているの、五条新菜。貴方も撮影協力してもらうわよ」
五条さんは意表をつかれた顔で声を上げた。
「おっ、俺もですか⁉ でも俺が撮影現場にいたら妹さんが困るのでは……」
「貴方が作る衣装だし、近くに居てもらわないとこっちが困るでしょ。撮影まではクロスを纏ってもらえば心寿もそんなに恥ずかしくないでしょう。それに」
お姉ちゃんは私の方を振り返りながら続けた。
「心寿。衣装を作ってくれた人に見て貰わなくていいの?」
私ははっとなった。
そうだ。五条さんは物作りにとても真剣な方だ。私がちゃんとその姿になれているか自分の目で見たいはずだ。
これからは人に見てもらうことだって増える。それにこれは私が望んでなりたいと言った姿なんだ。堂々としよう。お姉ちゃんみたいに。
「――はい! 五条さん、撮影もよろしくお願いします!」
五条さんは困惑した顔を微笑みに変えて、しっかりと肯いてくれた。
次、〆です。
コスと撮影です!