Ⅳ
夏休みが終わり、二学期が始まった。
五組は二十三名、誰ひとり欠けることなく新学期をスタートできてとても嬉しかった。夏休み前から仲の良いクラスだったけど、休暇を経て、ますます親密度を高めてきたみたい。
あれからもクラス全員の生徒と雑談ついでに話を聴いてきて、五組は押しも主張も強めだし人と違う見方をする子が多いこともわかった。それでもお互いをきちんと尊重できている
もう一つ珍しいことといえば、五組は私が知っている限り、男女カップルがいない。四月のあの一件をきっかけに、不思議な友情関係が男女間で成立してしまったようだ。耳に入ってきたクラスの子たちの雑談は『五組相手につきあうとかなくね?』『友達感強すぎて恋愛感情とかマジ無理だわ』『年上に限るな』という感じだった。最後のは夢見がちだけど。
しかしそんな中で、唯一の例外っぽいのが、この二人。
「ごじょー君! ご飯、いこーぜ!」
「はい。購買でいいですよね」
昼休み前の授業の終鈴がなり、教室で私が授業の後片付けをしていると、五条君と喜多川さんのこんなやりとりが聞こえた。
どうも、二人はかなり仲良くなっていたらしい。
喜多川さんは相変わらずぐいぐい距離を詰めていくのだけど、前より幾分、男の子っぽさが抜けたような? そんな感じがする。というか女子っぽい。そして五条君がそんな喜多川さんにまったくたじろがない。ニコニコと受け答えしている。だけど五条君の口調はこちらも相変わらずの敬語で丁寧。なんだろう、彼氏彼女って感じではないよなあ……先輩後輩? 主従関係? 教師としてあまり詮索はしないようにしているんだけど、担任経験上、恋愛関係からトラブルになるケースをたくさん見ているのでついつい目が留まってしまう。うん、これはあくまで仕事、仕事なのだ。
で、二人は放課後も仲良く帰っていった。『買い物いこーぜー』『いいですよー』ってやりとりだった。場所も目的語も抜きで会話が成立するレベル。高校生らしいカップルとかいう感じはまったくない。ほんとなんだろこれ。
「なんなんあれ、付き合ってん?」
「海夢が引っ張り回してるだけに見えるけど」
「従者?」
「でも、五条君のこと海夢が追っかけてるよーにも見えるよね」
「喜多川、犬っぽいよな」
「健星、おま相変わらず命知らずなことゆーな……」
「喜多川を従えるとか五条すげーな」
「ほんそれ」
柏木君や菅谷さんたちの呟きが聞こえる。私の印象を代弁してくれてありがとう……
九月はあっという間に終わり、十月も過ぎ去っていった。
生徒みんなが期待していた体育祭は大盛況に終わった。
五組は惜しいことに二位だった。一位は同じ一年の三組。今年の一年生はすごい、五組も例年なら優勝だったぞーってみんなから声援を贈られたのだけれど、五組の生徒たちは全然喜べずに、みんな悔し涙流してた。
勝ち気で団結力の強い五組は、ひとりひとりがクラスのために一生懸命練習したし、クラスTシャツ揃えたりして準備も気合が入っていた。
本番も競技はもちろん応援も声が枯れるまで叫んでいたけど、個人の力量に優る三組には勝てなかったのだ。私も悔しかったなあ。泣いているみんなの姿みたら涙が止まらなかったもの。
ちなみにクラスTシャツには私の似顔絵イラストがデカデカと描いてあり、おっきく〝花ちゃん組〟とロゴがデザインされている。ちょっと恥ずかしいけど可愛い。私も二枚買っちゃった。
そういえばこのときから私、花ちゃん呼びオーケーしちゃったのよねえ。今では五組で私を花岡先生って呼んでくれるの、五条君くらいだわ。
そして次は、文化祭。
今日はクラスで何をやるのか決める日だ。
意見をまとめ、仕切るのが上手い柏木君と古賀君が中心になって進めてくれた。賑やかでいろんな意見がとびかう活発な五組だけど、この二人は実に手際よくまとめてくれる。クラスメイトもみんな協力してくれる。信頼関係が目に見えるみたいでほんとうによいクラスになった。嬉しいなあ私。
話し合いは順調に進み、五組の出し物は【ロシアンルーレットたこ焼き】に決まった。
加えてもうひとつのイベント【ミスコン】も、クラス全員の期待を受けて喜多川さんが出場することに決まった。
彼女は【生徒会長はNo.1ホスト】の主人公〝
うちの学校のミスコンは、男子なら女装、女子なら男装をする決まり。
文化祭はポイント制で、模擬店とミスコンのポイントで順位が決まると説明してあげたら、こんどこそ三組に勝つぞー! という熱気でホームルームは大騒ぎになった。そんな中でも喜多川さんは大好きなコスプレを学校で公然とできるとわかって、誰よりも盛り上がっていた。
ただ、意外だったことがひとつあった。
喜多川さんはミスコン出場者に決まるとすぐさま、みんなの前で五条君に協力を呼びかけたのだ。
喜多川さんとは仲良くなった五条君だけど、他のクラスメイトとの距離感は以前と変わらないらしく、急に注目を集めて萎縮していたみたい。
私も喜多川さんが急に五条君に声をかけた理由がわからなかったし五条君の様子を見て少し心配になった。でも菅谷さんたちが話しているのを聞いて理解できた。
五条君は喜多川さんのコスプレ衣装をこれまで何着も作っているみたい。それでこれまでの二人のやりとりがなんとなく腑に落ちる感じがした。衣装製作のつながりで、あそこまで親密になったんだと思う。
それと同時に、五条君は大丈夫なのかなとやっぱりちょっと気になった。
五条君はその日から着々と衣装作りを進めていった。
もともと教師たちからの頼まれごとや生徒会の依頼なども、速くて丁寧な仕事で応えてきてくれていたから信頼は
けれど、五条君が衣装を縫っているところを生徒たちと一緒に見たとき、私の想像を遥かに超える速さと正確さにびっくりした。ほんとにすごいとしか言いようがなかった。
あらためて彼に聞いてみれば、小学校一年生くらいから今まで、ほとんど人形作りの練習ばかりしてきたのだという。
人形職人を夢としてすべてを捧げてきた高校一年生。
どれほどの決意でここまで頑張ってきたのかしらと思うと、目頭が熱くなってしまった。
でも、そんな覚悟で磨き上げてきた技術を、彼はいま、一人のクラスメイトのために揮おうとしている。
喜多川さんに感謝しているということは前に五条君からも聞いた。
でもその感謝の気持ちに盲目になっていない?
喜多川さんを責めるわけじゃないけど、押されるがままになっていない?
荷を進んで引き受けるタイプの人は、自分でその荷の重さに気づかないものよ。
文化祭まであと一週間を切ったある日の放課後。彼がたまたま被服室に一人で作業をしているとき、私は差し入れを口実に、彼に話しかけてみた。
「五条君、お疲れ様。衣装の進み具合はどう?」
私はペットボトルのお茶を差し出しながら訊いた。
「先生、お差し入れ、ありがとうございます。そうですね。八割方出来上がったところです。あとは縫い合わせて喜多川さんに試着してもらい、調整ですね」
さすが早い、と感心してしまった。でも今日の本題はそっちじゃないのだ。
「ところで、五条君。今回、衣装の作製を一人で請け負ってもらっちゃって、有り難いんだけど大変じゃない? ちょっと心配になっちゃって。負担じゃないかしら?」
「ご心配くださってありがとうございます。全然、負担じゃないですよ。体育祭のときは何もクラスに貢献できなくて寂しかったので、今回少しでも役に立てるかもしれないと思うと、むしろ嬉しいです」
五条君は即答した。すっきりした爽やかな笑顔だった。本当に楽しんでいるんだな。
「クラスの子が言っていたけど、五条君、喜多川さんに頼まれて、これまでも衣装、たくさん作ってあげたんでしょう? すごいわね」
「すごくはないです。けど、六、七着、作りましたね。とても勉強になりました」
うわ、根っからの求道者。この歳で『勉強になりました』はなかなか出てこないフレーズよ。
「前に、喜多川さんに感謝しているって言ってたわよね。衣装を作ってあげているのは、そのお返しなのかしら?」
ちょっと踏み込みすぎかもしれないけど、訊いてみた。
五条君は、やや警戒するような表情を浮かべたけれど、すぐに以前と同じく、真剣な顔で口を開いた。
「先生は、僕が喜多川さんの頼みを、無理をして応えているのでは、と心配してくださっているんでしょうか?」
やはり察しがいい。私はごまかしても仕方がないので、そのまま頷いた。
「――」
五条君は、すこし無言になったあと、宙を見上げながら、思い出すように話し始めた。
「一学期、連休のあと、先生とこうしてお話をしましたよね。実は、あの翌日くらいに、喜多川さんとまた、話をする機会があったんです。僕はたまたま、雛人形の
一息つき、今度は私の目を見た。私は黙って頷き、続きを促した。
「些細なことに思われるかもしれませんが、僕は、救われた気がしました。今まで、自分の夢、自分が好きなものを、同世代に受け入れてもらえる訳がないと、頑なに思い込んでいたんです。実際に、強く否定されたこともあって、長年、そのことが僕を苦しめてきました。僕が同世代を苦手なのは、それが大きな原因だったと思っています」
「でも、喜多川さんは、たった二言で、僕を頑なな思い込みから解放してくれました。そのあとだって、彼女の言葉、彼女の願いを聞いているうちに、俺はそれまで考えたこともない新しいことや、見たことのなかった、たくさんの知らない世界を見ることができました」
彼はもう私のことを見ていない。
その目に見えているのは。
「今だって、俺はクラスのみんなに頼ってもらえてる。便利だって使われているんじゃなく、期待してくれているのがわかります。その機会も、喜多川さんがくれた。俺は、喜多川さんのおかげで、俺を信じることができた。俺自身を受け入れることができた。喜多川さんは――」
五条君は、自分が
息切れをしてやっと我にかえったらしく、ひと呼吸してからふたたび私を見据えた。
「僕の、恩人です」
ふっ、と息が漏れた。
私も、いつの間にか息を止めていたらしい。胸の奥がじんとする。
五条君の偽りのない真っ直ぐな想い。喜多川さんに向けた心からの感謝。なんでこの告白――そう、告白だ――を、担任教師である私が聴いてしまったのかしら。
五条君も五条君だ。聴かせるべき相手は他にいるのに。
「五条君、それは、先生じゃなくて喜多川さんに直接言う言葉よねぇ」
そう、ため息交じりに伝えた。
五条君はぐっ、と言葉に詰まり、それから私に謝った。
「先生、申し訳ありませんでした。つい勢いにまかせてとんでもないことを……」
「いいのよ、先生をそれだけ信頼してくれていた、と思うことにするわ」
そう片目をつぶって言ってあげると、五条君は苦笑いし、そしてふたたび真剣な顔で口を開いた。
「でも、喜多川さんに言うことはまだ、できません。今はまだ、言葉が薄っぺらいものになってしまうと思うんです。僕は、喜多川さんが望むものを全て叶えたい。それができたとき、自分の気持を、自分のために、喜多川さんに言いたい。そう、決めています」
さっきの言葉よりももっと熱い言葉を、贈るというのね。
「五条君、まるで喜多川さんの守護天使みたいね。しっかし先生、まさか恋愛相談にのることになるとは思ってなかったわぁ」
担任として一回やってはみたかったのよねぇ。まさか五条君相手でこんなタイミングとは思わなかったけど。
「れっ、恋愛っ⁉ ちっ、ちちち、違います! 喜多川さんには、あくまで感謝をっ!」
「それね、世界史の授業で出てくるわよ。アガペーって言うの」
――そう、それは無償の愛。神の愛なのよ。
Ⅴ
文化祭が始まった。
初日の模擬店では、またもや一年三組に水をあけられるかたちになった。
放課後の今、教室では内装担当の生徒たちが、二日目のミスコンにむけてアピールタイムの打ち合わせをしていた。全員が逆転優勝を目指していて、ミスコン一位獲得を信じて疑っていないみたい。
五条君は最後の仕上げのため、一人で被服室にいるらしい。
「みんな、お疲れ様〜! 応援してるわよ~」
差し入れを持って教室に入ると、みんながわっと歓声をあげた。
「花ちゃんありがとー!」
「五条君、ハンパないクォリティのスーツ仕上げてたよー!」
「ぜってぇー勝つ」
「喜多川、頼むぜ!」
「あったり前なんだけど! みんなもシャンコ、ついてこいよー! その場のノリでアドリブ入れっから!」
喜多川さんはみんなの声援に胸を張って応じた。
喜多川さんからは物怖じや緊張は微塵も感じられない。絶対勝てると信じ切っている顔だ。
その自信はどこから出てくるんだろう。五条君は神経質なまでに作品のクォリティ管理に気をつかっているのに。やっぱり喜多川さんが持っている生来の身軽さなのかな。物事を重く受け止めないですむタイプの。
「喜多川さん、絶対勝てるって信じてるのは、どうして?」
私が質問すると、喜多川さんはそれこそ即答だった。
「花ちゃん、とーぜんですって! みんなこんなに頑張ってるし! ごじょー君が本気で衣装とメイクやってくれてるし! 負ける要素なくない⁉」
お、すごい信頼。
「五条君のこと、マジで信じてるんだね~。絶対の信頼感じゃな~い?」
「瑠音もそう思う? あたしもそれすっごい感じる! 海夢、どーなん?」
感じたことはみんな同じで、クラスメイトが冷やかし半分で訊いた。だけど喜多川さんは照れも恥じらいもせず、堂々と真正面から返した。
「そりゃガチで信頼しかないっしょ。だってごじょー君、あたしの好きなものを、あたしより本気になって深く解ってくれる人なんだよ? ごじょー君、妥協しないし、こだわりハンパないじゃん? みんなもスーツの直しで見たじゃん? メイクもポージングだって、マジのマジで一番いいものを生み出してくれる。あたしはごじょー君の解釈が世界で一番だって信じてる」
みんなが静まり返る中、喜多川さんは続けた。
「ごじょー君の衣装を着て、ごじょー君にメイクやってもらったら、ごじょー君の中で生まれたキャラがあたしに入ってくる。降臨ってやつ? 今まで、雫たんもネオンおねーたまもリズきゅんもありしゃも、ぜんぶカンペキなイメージで入ってきた」
そして言い切った。
「だから、ごじょー君の麗様になったあたしは、無敵に決まってる」
目を輝かせて、喜多川さんは五条君への
私は、軽い気持ちで聞いた自分を恥ずかしく思ってしまった。五条君の一途な想いは、喜多川さんにとっくに届いていたんだ。不器用な彼は、言葉ではなく作品で、自分の技術だけでそれを伝えてきたんだろう。喜多川さんは純真無垢な気持ちでちゃんとそれを全て受け止め、今は何の迷いもなく五条君に全信頼を寄せている。
「ありがとう、喜多川さん。よくわかったわ。明日のミスコン、ステージの上で活躍する喜多川さんを見るのを楽しみにしています。みんなも頑張ってね!」
そうエールを送って教室を出ようとすると、喜多川さんが私を呼び止めた。なんだろう。
「花ちゃん……明日、ミスコン直前の時間をください。ごじょー君があたしにメイクするとこ、絶対、見てあげてほしい」
なんて真剣な目。
自分じゃなくて、五条君を、見て欲しい。喜多川さんはそう言ってるのだ。私は、必ず行くわ、と答えて教室を後にした。
翌日、文化祭二日目。
職員室での業務を片付け、存分に五組の活躍を観覧する準備は整った。
ライバルの一年三組の担任の先生とも、勝ちますよ、負けませんよ、と軽口を叩きあった。
そのうち、最後のミスコンにむけて準備をしているお互いのクラスを
三組の担任は一眼レフカメラを持ってきて、記念写真を撮ってあげようと提案してくれた。
まず三組。こっちもミスコンの準備がたけなわだった。
体育会系が多い三組は、屈強な男子が女装すると聞いている。クラスメイトも一致団結して声援を送る練習をしていた。こういうところ、五組とよく似ていて、思わず応援したくなっちゃう。
「三組のみんな、頑張ってね~!」
エールを送る。
「ありがとうございますー!」
「五組の担任の先生、負けませんよー!」
「ぶっちぎりで勝ちますからね!」
うおお、と勝つぞコールが巻き起こっちゃった。
五組も負けてないわ。でもそれは、私が言わなくても、すぐにわかることだものね。
五組の教室に行きましょうか、と三組の担任が促してくれた。五組は被服室に集まってるって聞いていたので、別棟へ向かって移動する。さぞかし盛り上がってることだろう。
ところが、被服室に近づいても、まったく歓声や、話声すら聞こえてこない。教室を間違っちゃったのかな、と
「あっ」
被服室に広がる光景が目に入った瞬間、私は金縛りにあったみたいになった。
目が離せない。目蓋を閉じられない。
そのうち、視界が滲んで、もっと見たいのに見れなくなった。
私、泣いてるんだ。
だって、あまりにも神々しい。
あれだけお祭り好きで賑やかな五組が集まっているのに、皆一点を見つめて物音一つ立てていない。その視線を集めた先には、二人の生徒――五条君と、喜多川さん。
五条君が
筆を伝って、五条君から感謝が、尊敬が、そして無償の愛が、喜多川さんに流れていく。
喜多川さんは、ゆったりと腰掛けていながら身じろぎもせず、すべてを委ねて、ひとしずくのかけらも零さぬかのように受け止めていく。
二人の間に言葉はない。目配せもない。表情すらない。まるで彫刻のよう。なのに二人の間の空気は慈しみに満ち満ちていて、お互いがお互いを信頼しきっているのが伝わってくる。
五条君の言葉が脳裏に蘇った。
――僕は、喜多川さんが望むものを全て叶えたい。
守護天使が捧げる、見返りを求めぬ神の愛。
その愛を受肉させ、この世に顕現せしむる
それはまさに、レオナルド・ダ・ヴィンチもサンドロ・ボッティチェッリも追い求めた永劫のモチーフ。
大天使ガブリエルと聖母マリアが織り成す一枚の
――
眼前に
私は今、神の降り給う、聖地に居る。
それが限界。
私はそのまま廊下に泣き崩れてしまった。
「えっ、えぐっ、ひぅ……」
一緒に来ていた三組の担任も、目を見開き立ち尽くしていたように思う。
やがてシャッターを押す音が聞こえた。
三組の先生は、我知らずといった風で一眼レフを構え、何かに突き動かされるようにシャッターを切っていた。そのうち、魔法が解けたように、三組の先生が口を開いた。
「なんて……
そのあとに続く言葉はわかる。
あの子たち、本当にみんながみんな、一つになって。二人のために。みんなのために。
「Unus pro omnibus, omnes pro uno……」
思わず呟いていた。世界史に何度も出てくる成句。
「〝一人は皆のために。皆は一人のために〟ですか……本当に、その体現ですね。正直言って、指導者として羨ましい。いいクラスです」
三組の先生がそう言ってくれているのに、私は涙で頷くことしかできなかった。
滲んだ視界のむこうでは、すべてが止まった中で、筆をもつ五条君の腕だけが、時を刻みつづけていた。
Ⅵ
その後の結果は言うまでもなかった。
喜多川さんの言い方を借りれば〝五条君の麗様〟が降臨した喜多川さんはほんとうに無敵だった。圧倒的な存在感と徹底的な完成度。五組の皆の声援を一身に受け、ステージ上を支配した。体育館全体に感嘆とも絶叫ともつかぬ歓声が響きわたり、当然のごとくそのすべてを独占した。
一日目のビハインドを軽々とひっくり返し、一年五組は一気に総合トップへと躍り出た。
体育館での結果発表では、歓喜の五組と悔恨の三組、それぞれの悲鳴で埋め尽くされた。悔しがる三組の生徒たちの側で、自然と敗北を受け入れ拍手をする三組の先生の柔らかな笑みが印象に残った。
成績発表を終えると、ホームルームでささやかな祝勝会を開いた。
開会にあたって一言! とメッセージを求められたので、私は五組の生徒たちに惜しみない拍手と共にエールを送った。
「本当におめでとう、五組のみんな。言葉にできないくらい、素晴らしかったわ」
五組のみんなが嬉し涙を流し、晴れやかな笑顔でお互いを称え合うのを私は幸せな気持ちで見つめながら続けた。
「先生は勇気と感動を、みんなから貰いました」
入学してから今まで、ぶつかり合いながらもお互いを尊重し合ってきた素敵な五組のことが、掛け値なしに誇らしかった。
「みんなの担任を受け持てて、先生、心の底から嬉しいの。ほんとうにありがとう」
最後は私も涙声になっちゃった。五組のみんなだって流れた涙や
私は教室全体に向けて笑顔を返した。古賀君と森田君が口笛を吹いた。菅谷さんたちが泣き笑いでそれに便乗した。窓際の明るい方にも目をやると、そこには太陽のような笑みで拍手をする喜多川さんが見えた。そしてその隣に、心からの喜びを顔に浮かべた五条君も。
ひとり、五組というモザイク画に
五組のみんなが打ち上げに行った放課後。祭りの後の職員室。
三組の担任の先生が、私に写真のデータを送ってくれた。ほかでもない、あの一枚。
化粧を施す神秘的な五条君と、信じて受け入れる慈愛に満ちた喜多川さん。それを見守る天使のような二十一名の生徒たち。ビザンティン美術の宗教画のような奇跡の一枚。
その写真はその後長いあいだ、校長室の壁面に飾られることになる。クラスの団結と、信頼と友愛を象徴する写真として。
〈了〉
コミック8巻の『見開きの化粧シーン』への思いの丈がそのまま小説になりました。
あの見開きの私の解釈はそのまま〝宗教画〟です。
とくに、着せ恋展で飾られていた原画。私はあれを観て、観客の前にもかかわらず膝からくずおれそうになりました。
花岡先生の気持ちは、そのまま私の気持ちを綴っただけです。
私と同じ気持ちになってくださる方がいらっしゃることを願っています。