海夢が中学二年生の頃を振り返っています。
Ⅱ
背中がぞくぞくっとして、目が覚めた。
窓から滲み込む冷気が、カーテンの下をくぐり抜け、パジャマ越しとはいえ直に背中に触れている。同じベッドで熟睡しているパートナーが布団を自分のほうに巻き寄せてしまったらしい。学は腹側を毛布に覆われているだけで寝ていたようだ。
――まったく。昨日もそうだったじゃない。
学は百八十センチほどある大柄の男性――戸籍上は――だ。
パートナーも学より二つ歳下だが、上背は自分とそれほどかわらない、やはり男性である。
――ダブルに二人寝るのは手狭かなあ。上掛けだけでもキングサイズ買おうかな。
スマホの時計を見た。〝2017.02.25 5:52AM〟。もう起床の時間である。
パートナーは土曜日の今日、仕事が休みだ。学は一人で起きて出勤の支度をはじめることになる。すやすやと気持ちよさそうに寝ているパートナーに軽い嫉妬を覚え、心持ち強めに横に押しのけながら学はベッドを下りた。
朝食は昨夜の残りの
マンションの駐輪場に向かい、学生時代から愛用している青いクロスバイクに
いつもどおりゆったりとペダルをこぎ、ときおり建物の間から顔をだす朝日の光を正面に浴びるように自転車を走らせてゆく。身を切るような冬の朝の空気と、ほの温かい日差しを両方味わえるこの時間が学は好きだ。
【美容室 AIRS】の看板が掲げられた店内には照明がついている。今年一年目のアシスタントが早朝練習に来ているのだ。
「学さん、おはようございまーす」
「おはようございます!」
階段を上がり、ドアをあけると、アシスタント一年生たちが挨拶をしてきた。学は、おはよう、と挨拶を返し、練習を続けるように促した。新人の二人は女性。もう一人が男性だ。三人とも昨年の四月に入社したばかり。二十一歳のはずだ。
美容学生は学校を二年間で卒業後、国家試験に合格して美容師免許を得ることができる。この免許があれば理屈の上ではすぐ接客できることになるのだが、実際のところ、美容学校で練習し、国家試験で課されるカット技術など、とてもではないがそのままでは現場で使わせることはできない。カットを一人で任せられるようになり、学のようなスタイリストと呼ばれるようになるには、サロンにもよるが三年程度はかかる。
今、新人たちはそのカットの練習中だ。
学はアシスタントの練習を見てやる約束をしていた。だが、三人のうち一人は、今日の朝練に来る予定ではなかったはずだ。
「あら、アナタ、昨日の夜練に出てたのよね? 通常出勤で良かったのよ」
声をかけられたアシスタントの子は、苦笑いしながら答えた。
「あの、学さんが教えてくださるって聞いたので、出てきちゃいました……学さん、すごくわかりやすく教えてくださるし、悪いところを的確に指摘してもらえるから見ていただきたくて……ダメですか?」
こんどは学が苦笑する番だった。しかし、努めて厳しい顔で返す。
「あら嬉しい、って言いたいところだけど、皆がそれをやっちゃうと、遅れがちな子は全部の練習出なきゃいけない雰囲気になっちゃうわね。結局、皆が全部の練習出て当たり前、って流れになって、カラダがもたなくて潰れちゃう子が出るの。そんなサロンはいっぱいあるわ。店長はそういうサロンには絶対にしたくないって説明してたの、覚えてるかしら? アタシも同じ。そんなサロンにはしたくないわ。今日は仕方ないから見てあげるけど、優先はしてあげないわよ? あと、次回からは絶対ダメ。いい?」
新人の子は、はい、とうつむいて返事をし、練習に戻った。
やる気があって
美容師は離職率の高い職業で、とくに新人は激務の割に接客で出来ることも少ないため自己肯定感を保つことが難しく、入社後一年未満で辞めてしまう子も多い。早く現場に立ちたいという個人の想いもあるし、職場からもさっさと稼げるようになれというプレッシャーも強く、同期の成長速度に追いついていけない子は早々に脱落してしまうのだ。
学が新人だった頃は、原宿や表参道などの激戦区では、そういうふるい落としも込みで新人をたくさん採用するサロンが多かった。脱落する新人に向けて冷ややかに後ろ指をさしたり、酷い所だといじめのように追い落とすところもあった。
表面の華やかさとは裏腹に、昭和の価値観が根強く残っている業界。
それが美容界だった。
しかし今はそういう時代ではなくなってきている。自身も辛酸を舐めてきた学は、新人を使い潰すような真似は絶対にしたくなかった。とくにAIRSはあまり美容学生に有名なサロンではなく、最近は新卒採用がゼロの年も続いた。新人は大切にしたい。
「ほら、いつもの癖が出てるわよ。耳まわりが全然オンベースで取れてないわ。左バックサイドを取るときにどうしても目線が上がっちゃうのね。意識して腰を落として目線そろえなさい」
「はい! ありがとうございます」
しょげていた新人は、指導をしてもらって嬉しそうに返事をした。
学は、自身も日課の練習を行い、残り二人の新人にも指導をしつつ、今日の売上目標に目を通し、薬剤や消耗品のチェックをして営業前の準備を進めた。
新人三人は練習を終えて店内の清掃を黙々と行っている。
そのうち九時近くになり、スタッフが続々と出勤してきた。
「学ちゃん、おはよー! あれ、一番セット面の鏡の下、ちょっと指紋が目立つよ! ちゃんと磨かないと!」
店内の清掃に細かいチェックを入れているのは、学とほぼ同じタイミングでこのサロンに中途採用で入った男性スタイリストの
「おはよう、
やたらと細かくてお節介なところが玉に
「やだ、学ちゃん⁉ 新人いびりとか言いがかり酷い! ボクはお客様の目は厳しいってことを教えてるんだよ!」
噛みつく
「掃除ありがとうね。
はわっ、そうなんですか、と新人の女の子は口を手で覆う。
「余計なこと教えないでよ! 逃げられたんじゃなくて、趣味じゃなかっただけなんだからね!」
学は、この地獄耳、と軽くあしらう。
「おはよう、学くん。今日は朝番、ありがとう」
声をかけられたのは、
「あ、りほさん。おはようございます。こちらこそ昨日はだいぶ早く帰してもらってありがとうございました」
りほは、このサロンに移籍する以前からの学の知り合いで先輩だ。現在はチーフスタイリストとして活躍している。学と組んで仕事をすることも多い。
「いいんだよ! ここ最近忙しかったから。でも今日もご指名、結構入っているじゃない? それに結局、新人の朝練見てもらっちゃったんだねぇ。甘えちゃってごめんね?」
「その代わり、アタシ、明日遅番になってます。大丈夫ですからね~」
「あ、そっか。でも今日も早上がりでお願いね? ほんと少し休んで!」
りほに
「おーい、ミーティング始めるぞー」
店長がスタッフ一同をあつめて、日課のミーティングが始まった。
予約情報の共有と、施術内容、配慮しなければならない項目の確認。そこから担当スタイリストとアシスタントの組み合わせの確認。混雑予想時間も見積もる。
あとはそれぞれチームにわかれて細かい打合せを行う。
「学君、今日十一時に予約入ってる中学生さんなんだけど」
りほが、自身の指名客の施術について相談したい、と学に言った。
「カットのあと、ネイルもやりたいって書いてたじゃない? 時間的に学君に入りそうだけど、頼める? 中学生だから薄い色のポリッシュしかできないみたいだけど」
「いいですよ~。でもウチに中学生が来るの、久しぶりですね」
「そうだね。ウチ、隠れ家的なサロンだからねー。高校生はときどき来るけど、敷居高いよね」
AIRSは、代官山の外れの裏通り、しかも二階に構えている美容室で、目につきにくい。
いわゆるカリスマ美容師やインフルエンサーと呼ばれる、メディアやSNSでの露出が多いスタイリストが居るわけでもない。だがその割に値段設定は高い。店長をはじめ、古参スタッフの技術力と人柄に定評があって、芸能人のリピーターもついているほど一部では評判になっているからだ。
ネイルやアイラッシュのサロンも併設していて、総じて客層が高めなサロンなのである。
「どんな子なんでしょうね」
「ちょっと楽しみだよね」
学はりほとそんな軽口を交わして、接客の準備にとりかかった。
十一時、少し前。
「こんにちは~!」
元気のよい挨拶で入店してきた女の子に、学は施術中のトリートメント塗布の手を少し止めて、目を
茶味がかった長い髪をポニーテールにまとめていて、背はやや高い。色白の細面に、
休みの日だからお洒落に気合を入れてきたのかな、と学は思った。しかし、着ている洋服はお世辞にもお洒落といえるものでもない。限りなく男の子っぽく、スポーティなファッションだ。
ど派手なファイヤーパターンのパーカーにボトムはスカイブルーのスイムジャージを合わせていて、全身のすべての色彩が存在感を主張し合っている。
学は興味を持った。
「いらっしゃいませ!」
「いらっしゃいませ~」
他のスタッフたちと一緒に挨拶を返す。
受付で予約の確認を終えて待合所に案内されていったその子の後ろ姿をすこし見つめた。
ずいぶんと堂々としているのが印象的だった。初めての渋谷エリアの美容室に来た中学生らしい気後れはない。
「今日はようこそお越しくださいました! 私が今日担当させていただくスタイリストの〝りほ〟です。よろしくお願いいたします」
「あたし、
受け答えがとても清々しくて気持ちいい。
りほが笑いながら接客に入った。
学はふたたび自分の受け持ち客の施術に意識を戻す。
トリートメントが終わったら、パーマのワインディングは他のスタッフに回し、りほのカットとシャンプーが終わるのを待って、さっきの中学生のネイルに入る予定だった。
――面白そうな子ね。
学は自然と出そうになる鼻歌をこらえてサロンワークを続けた。
「ネイル、お願いします」
学がネイルブースで準備をしていると、りほが女子中学生を連れて入ってきた。
「こちら喜多川海夢さん。中学二年生ですって。髪は地毛でこの
りほはそう紹介して、次の準備のために戻っていった。
ネイルブースは溶剤が揮発するのでドアで美容室とは仕切られている。今はネイルブースは学と、中学生の客だけだった。
「はじめまして。アタシ、学っていいます。美容師だけどネイリストもやっているの。海夢さんってお呼びしていいかしら?」
学は接客のときにも、女性口調で話す。
これは前に勤めていたサロンでは『接客時は直せ』とかなり厳しく注意されていた。しかし今の店長やスタッフは理解が深いどころか、むしろありのままで居るように求められている。有り難いことに常連客も自然に受け入れてくれている。
しかし、新規の客がどのような反応をするかはまちまちで、最初の頃は恐れもあった。だが今は余裕も出てきて、ワクワクする気持ちが強くなってきている。とくに今回、この子がどんな反応をするかは楽しみだった。
「はい! よろしくお願いします! 初めてのネイルだからとっても楽しみなんです」
海夢はとくに気にした様子もなく、普通に挨拶を返してきた。はやく施術をしてもらいたくて仕方がない、という感じだ。
学はちょっと
「海夢さん、アタシがこんな話し方で、気にならないのかしら?」
「何がですか?」
「男なのに、とか、思わない?」
「あー。全然です! 指長くてめっちゃ器用そーとか、優しそーだなーとかばっかり思ってました。それに男とか女とかで話し方決められる必要、なくないですか? 自分の好きな話し方で良いってゆーか」
学はゾクゾクした。
学の属するカテゴリーを察して、それに合わせて自然と配慮してくれる女性客は多い。でもこの海夢という子はそれを軽やかに超えてきた。
この子は人が作ったカテゴリーを最初から意識してもいないのだ。
「ありがとう、海夢ちゃん。アタシ、なんか嬉しくなっちゃったわ。――あ、ちゃん付けで呼んじゃった。ごめんなさい」
「ちゃん付けでいいですよー。ってかそっちのほうが嬉しいです」
「そうね、じゃあアタシも学君って呼んでね」
「はい! 学君、って似合ってるー」
社交辞令ではなく、心からそう思って自然と口にしていることが伝わってくる。学の目尻が下がった。
「うふふ、ありがとう。そうそう、カット、奇麗にしてもらえたわね。前髪作って可愛くなったわ。顔まわりだけレイヤー入れたのね。海夢ちゃんは顔が小さくて形が良いから似合ってるわよ~」
「嬉しー! ありがとうございます。ありえんくらいキレーでスゴ! ってなりました。りほさんのカット鬼ヤバいですね」
「そうですね~。りほさんはカットだけじゃなくてヘアケアもカラーも上手なのよ~。あ、カラーはまだ中学生だから駄目かしら?」
「はい、カラーは校則的に絶対ダメなやつなんで……でもヘアケアはしてもらいたいなー。あたし、ドライヤーとかアイロンとかクッソ下手みたいで……」
「それなら、次はりほさんにトリートメント、やってもらいましょうよ。海夢ちゃんは自然な髪色でも奇麗だから、そんなに大掛かりなことはやらなくても大丈夫よ」
「はい。是非。でもあたし、自分の髪色、あんまり好きじゃないんですよね。真っ黒が良かったなー。むしろどーせなら金髪か」
「その色はその色で素敵だし似合ってるわよ。でも髪色変えたいなら、その時は相談乗るわよ」
「そーですね。頑張ってカラーがオッケーな高校入って、また相談します」
「高校まで待つなんて偉いわね。で、海夢ちゃん。ネイルはどうする? ネイルも校則、あるんでしょう?」
「派手な色のついたエナメルとかダメっぽいです。とーぜん、ジェルとかスカルプとかもNGみたいな」
学は、今どきの子の口調にも関わらず、真っ直ぐな受け答えを続ける海夢を見て、またすこし悪戯心がわいた。そこでちょっと意地悪な質問をしてみた。
「海夢ちゃん、校則は守る派なの?」
質問を聞いた海夢は、とくに考える様子もなく、返事をした。
「はい。ふつーに守りますよ? どーしてですか?」
逆に質問を返されて、思わず学のほうが焦る番に回った。
「……そうね、なんとなく、喋り方も今どきの子っぽいし、お洒落優先なタイプかな、って思っちゃって。ごめんなさい、決めつけて。謝ります」
学は深々と頭を下げた。
海夢は、あははと笑い、口調が雑ってよく言われます、と言いつつ、質問に答えた。
「あたし、人の好きなものや大切なもの、バカにしたりするのが一番、嫌いなんです。好きなこと優先したいって気持ちはありますけど、校則とか、ルールを大切に思ってる人だって大勢いるワケじゃないですか? だから、人としてそれはちゃんと守らないと! って。そんだけですよー。ストレートに聞いてもらってむしろ嬉しーです。謝らないでください」
本心から言っていることがすんなりと受け入れられる言葉だった。
学はありがとう、と答え、ネイルの施術相談を続けた。
「それなら、今日はネイルケアだけやってみましょうか? 海夢ちゃん、指の形も爪の形もとっても奇麗だから、きちんと磨くだけでも見違えるわよ?」
「ほんとですか? 嬉しい! 是非お願いします!」
「じゃあ、やり方がわかるようにゆっくりやってみるから、覚えてってくださいね」
それから、二人だけの静かなネイルブースで会話を楽しみながら、学はネイルの施術をした。
「海夢ちゃん、そういえばカラコンは校則、大丈夫なの? 学校でも着けてるのかしら?」
「着けてますよ。うちの校則、ふつーのコンタクトとあまり区別つけてないんです。でも、学校だともっと薄い色の着けててー。ガチ目の色だと先生困るだろーし?」
「それじゃなんでカラコンしてるの? 目立ちたいからじゃ、ないってことでしょ?」
学は左手の爪の甘皮を取り除きながら訊いた。
海夢は、恥ずいんですけど、と前置きして、話し始めた。
「そのほーが、女子っぽいかなって……笑うでしょ?」
「笑わないわよ。目大きく見えるしね。でも、女子っぽいってあんまり聞かない理由よね。裸眼だと女の子っぽくないって誰かに何か言われたのかしら?」
学がそう訊くと、海夢は、はじめて曇った表情をした。
「言いづらいことなら、無理して言わなくていいのよ?」
「ううん、大丈夫です……。あたし、小学校んとき、結構男子にイジられてて。高学年のときはクラスで一番背高くて、手脚も首も長いからって、カマキリとか言われてたんですよねー。自分でもデカすぎて女子っぽい服も似合わないなーって思ってたし」
確かに、小六くらいだと女子のほうが背が高いこともよくある。海夢も背は高いほうだ。
それに海夢のように手脚が長く小顔であれば余計その印象を強める。そういうこともあっただろうと想像できる。着ている服がメンズっぽいのも、それが理由だろう。
「カマキリって、あの虫の?」
「そう、それです。あたし別にカマキリ嫌いじゃないけど、男子に言われて、バカみたいに気にしちゃったっつーか。カマキリって目がコワっ、とか思ってたから、カマキリカマキリって言われつづけてるうちに、鏡の自分の目も気にしちゃうよーになっちゃって。ちょうどコンタクト入れようと親と相談してた頃だったんで思い切ってカラコン入れてみたら、黒目が大きくなって少し安心した、ってカンジです」
照れ隠し笑いをしながら、海夢は話し終えた。
純粋な悪意でそれを言っていたのならその男子はかなり性格が悪い。が、そうでない場合もよくある。学は訊いてみた。
「その男子って、一人? 幼なじみ?」
海夢はちょっと考えて、答えた。
「あー、言われてみれば一人だったかも。小学校ではクラスがよく一緒になってたやつ、みたいな?」
どうやら海夢にとってあまり興味のある男子ではなかったらしい。印象に残ってないようだ。
面白可笑しく話したとしても、時効扱いだろう。
学はちょっとからかってみた。
「それって、その男の子が海夢ちゃんのこと好きだったんじゃないの?」
「はえ⁉」
海夢は驚いて立ち上がろうとした。
ちょうどキューティクルニッパーでささくれた甘皮を切ろうとしていたときだった。
「ちょっと、海夢ちゃん、手、動かしちゃダメよ!」
「あっ、ごめんなさい……! でも学君がそんなことゆーから超ビビった! んなことある⁉ 好きなのに意地悪するとかなくない?」
「それくらいの年の男子だとよくあるわよ~」
「……あー、ツンデレってヤツかぁー。でも、しつこい男って昔からマジ無理で。あたし、絶対ときめかなかったしなぁー。なんなら毎回、一発蹴り入れてたし」
ご愁傷さま、と過去のツンデレ男子に向かって祈りつつ、学はアルカリ性の薬液で甘皮をふやかしながら質問を続けた。
「海夢ちゃんはそれから、気になる男の子とかいなかったの~?」
「ぜんっぜん。仲良くなるメンツはいても、あくまで友達ってゆーか、コイツを好きになるのはないでしょ、って。それにあたしだって男子からすればフツーに無理だろーし」
「そんなことないわよー。海夢ちゃん奇麗だし、モテるわよ絶対」
「えー、そうですかぁー! ありがとうございます! そーいえば、前に美容部員さんにメイクしてもらったときは、
学は、あれっ、と思った。
「海夢ちゃん、女の子が好きなの?」
「はい! カワイイ子めっちゃ好きです‼ 最近学校で仲良くなった子、ガチで惚れそーなくらいカワイくって! ――つってもあたし、そーゆー系とは、ちょっと違うかも? ――あっ」
海夢は手のひらで自分の口を覆い、申し訳無さそうな顔をした。おそらく、〝そーゆー系〟が目の前にいることを思い出して、言葉が適切だったか気にしているのだ。
学は意識して微笑みで返した。
海夢はそれを見てほっとした様子で続けた。
「さっき、りほさんとは話したんですけど、あたし漫画とかアニメが大好きなんで。だからリアル男子はワリとどーでもいーけど、男キャラだったら推しめっちゃいます!」
「あら、二次元専門っていうの?」
「そうそう、今んとこ、そんなカンジなんですよねー」
学は漫画やアニメには詳しくないので、この話題を続けても海夢に気まずい思いをさせてしまうと思った。
ふやけた甘皮を綿棒でこすりながら、話の流れを思い出して言った。
「それで話戻すけど、カラコン、ピンク色とか似合うんじゃないの?」
海夢は目を輝かせた。
「同じこと、さっきりほさんにも言われた! クッソ女子だしカワイすぎてあたしには絶対無理! って言ったんだけど、学君も推してくれるんならやってみよーかな?」
それでも少し不安なようで、似合うかな、と小声で呟いていた。
「海夢ちゃんの肌の色、白くて奇麗だし、ほっぺたも血色良くて可愛いから、パーソナルカラーだとウィンターかしらね。マゼンタとか合うと思うわよ」
「あ、デパートとかでやってもらえるヤツですよね! 学君出来るの? すっごーい!」
学は苦笑して言った。
「美容学校ならたいてい、授業で勉強するわよ。ちゃんとカウンセリングをするには資格をとったほうがいいんだけど、アタシは持ってないからできないわ。りほさんは持ってるわよ~」
海夢は目を輝かせて、前のめりになった。
「やってもらいたいですっ!」
ファイルで爪の形を整えていた学は、ほら、またズレちゃうわよ、とたしなめながら返事をした。
「次に海夢ちゃんがいらっしゃるときにやってもらいましょうか。あ、でも次回の予約もしてもらえるかまだわからないかな~?」
学が少し意地悪な笑みを浮かべて訊くと、海夢はあっけらかんとした笑顔で答えた。
「絶対また来る! すっごい楽しかったし。ネイルケアのやりかたもちっともアタマ入ってないから、またやってもらわないと!」
「もう、全然ダメじゃないの、せっかくゆっくりやってるのに~」
「ゴメンなさいー。だって学君としゃべるのめっちゃ楽しくて。ついつい見るの忘れちゃってー?」
学は思わず吹き出した。
その後も雑談を交わしながら、学は自分でできる簡単な手法の説明をまじえてネイルケアを仕上げていった。
「すっごーい! ピカピカだし形もちょーキレイ! あたしの爪じゃないみたい!」
海夢は指を広げて眼の前にかざし、惚れ惚れと見つめた。
「色塗らなくても、薄ピンクでキラキラしてるわね。肌も爪色も奇麗で羨ましいわ~」
「ううん、学君にやってもらえたからだよ! ガチで嬉しい! ホントありがとうございました!」
「今日、アタシのやったとおりにやれば、ある程度は自分でできるわよ。ネットの動画もあるだろうし、是非やってみてくださいね」
「でもあたし、不器用なんですよー。爪の切り方とかヤスリの使い方とか雑っぽくて、毎回、形が絶対コレじゃないってカンジになって笑うパターン。だからー、また来るから学君にやってもらいたい!」
学は頷いて言った。
「いいわよ~。海夢ちゃんとお話してると、アタシもとても元気をもらえるわ。りほさんと一緒に待ってるから、いつでもいらっしゃい」
「うん、また来る! このサロンを選んでよかった!」
海夢は会計を済ませると、満面の笑顔で帰っていった。
立ち去った後も清々しい気持ちにさせてくれる子だった。
――次はいつ来てくれるのかな。
学は、まだ中学生の少女に胸踊らせる自分に少し驚きながらも、自分の技術を存分に揮ってあげられる日が来ることを願った。
続きます。
「美容師・学」の章については、とくに断りがなければ今後「中3日」で更新します。
よろしくお願いいたします。