別冊星達のミュージアム 第2号   作:苗根杏

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2作目は、ホシさんの作品です。
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僕と君

「知ってるとは思うけど、私は平安名すみれ。よろしく」

 

 大学生としてそれなりの生活を送っていた僕にとって、彼女との出会いはまさしく奇跡と言っていい。

 小学校、中学校、高等学校と通い、努力が実ってか某有名大学に受かることができた。友人ともそれなりの付き合いをして、それなりに遊んでいた僕。けれどその生活には所謂"華"というものが存在しなかった。僕が女性と遊ぶ確率は限りなくゼロ。理由は多々あれど、僕が女性と一緒に遊ぶための人脈やら方法を持っていなかったから……という面が大きい。加えて話もそんなに続かないし……。そんな僕に神様は救いの手を差し伸べてくれたのだろうか。ゼミで一緒の班になったのは平安名すみれ。お日様をその長い髪に落とし込んだのかと思うほど……眩しいブロンドの髪が目を惹く。そして少し吊り目の瞳は、鮮やかな緑で僕をまっすぐと見つめていた。

 アーティストや世間一般の芸能人について疎い僕でも彼女のことは知っている。彼女は昔、スクールアイドルグループ「Liella!」の1人として名を轟かせていた。当然その頃の活躍も知っているし、その後芸能界に引っ張りだこであることも知っている。誰もがポーズをとって「ギャラクシー!」と叫んでいるのは日常茶飯事だ。まさしくスーパースター。そんな彼女が今、僕に話しかけている。

 

 僕は今日、死んでしまうのだろうか。

 

 幸福の度合いが過剰になる時……というものが稀にある。例えばガチャで排出率の良くないキャラが連続して当たったりとか、いつもは賭けを外すのにその日だけは外さなかった。しかも連続でとか、当てずっぽうの解答が偶然当たっていたとか……挙げればキリがない。そういった運の天秤が普段以上に傾く時がある。でも、幸運と不運は釣り合うもの。過剰な幸運の後に来るのは過剰な不運だ。よって考えうる最大級の不運……一般的にはそれを死と定義しているのだが、僕は今、その死が舞い込むのではないかと不安になっているわけだ。

 

「は、はい! ぼ、僕は───です。よろしくお願いします」

「なに緊張してんのよ。同い年でしょ?」

 

 僕の上擦った声と緊張した表情に気を遣っているのか、柔らかい声音とともに、これまた柔らかい笑みを見せてきた。

 途端、既に早い心臓の鼓動がより早くなっていく気がした。

 

「そ、そりゃそうですけど、やっぱり有名人の平安名さんと話すとなると緊張しちゃいますよ」

「まあ、それもそうね」

 

 幾度となく同じ反応を見てきたのだろうか。あっさりと僕の反応に理解を示してくれた。彼女は細かな気遣いのできる優しい人……それが話した僕の印象だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「へぇ……───、あなたって物知りなのね」

 

 平安名さんと発表の内容を詰める傍ら、彼女は僕の話をしっかり聞いてくれた。面白いと思った部分には笑みを見せ、自分が知らない部分には驚きを……その表情ひとつひとつが美しかった。

 極め付けは先の言葉。彼女にも知らないことがあるんだと言う驚きよりも、平安名さんが褒めてくれたことへの喜びが大きかった。彼女の一言は、普段女性と話さない僕が舞い上がるには十分だったのだ。もっと話したい。もっと驚いて、僕を褒めて欲しい……。僕の承認欲求は刺激され、この数十年で蓄えた知識の中から、彼女が知らなそうなことを抜き出し、言葉にして伝える。

 

「へ、へぇ……そんなことも知ってるのね」

「そうなんだよ! でもこの話には続きがあってね!!」

 

 普段なら言い淀む筈の言葉がスラスラと出てくる。平安名さんは熱心に聞いてくれている。なら大丈夫だ。脳がまだまだやれると訴える。伝達された信号は喉を振動させ、舌や上顎、下顎を動かすのだった。

 

「……そろそろ時間ね」

「え? あっ、本当だ。平安名さんと話しているとあっという間に過ぎちゃったね」

「そうね。あんたの話が面白いおかげで私も退屈しなかったわ」

 

 彼女の言葉が世界を戻す。囲われていた甘い空間は、いつもの退屈でうるさい空間に変わっていた。どうやらゼミもそろそろ終わりの時間だ。気が付けば普段のつまらない90分が嘘のように過ぎていた。これも平安名さんのお陰だ。逆に彼女は僕のお陰で退屈せずに済んだと笑顔を見せている。

 

「そうだ! みんな夜暇か? 暇だろ! 飲み行こうぜ!!」

 

 すると突然、ゼミ長の───くんが声を上げた。彼はポジティブの化身かというくらい明るく、積極的な人物だった。彼の誘いに乗らないゼミ生は居らず、僕もなんとなくで同行することが多い。

 今日も通常運転で、唐突に僕たちゼミ生を飲みへ誘う。周りの反応もいつもと同じだ。

 

「あの……平安名さんは……どうする?」

 

 この時の僕はどうかしていたのか、平安名さんも行くのかと尋ねてしまった。彼女はスマホを触りながら「何に?」と聞き返してきた。

 

「だ、だからゼミの飲み会だよ」

「あー……ちょっと考えておくわね」

 

 スマホをスクロールしながら少し考え、僕にはそう答えてくれた。無理強いはできないが、できれば来て欲しいなと思ってしまっていた。

 

「そ、そっか。だよね。突然なら仕方ないよ。平安名さんにも予定があるし」

「音羽から連絡……ごめんなさい。私もう行くわね」

「あ、うん」

 

 テキパキと準備を終え、彼女は教室を後にした。音羽……名前からして同性の友達だろうか。それにしても綺麗な名前だ。何にしても、去っていく時に揺れたブロンドの髪が綺麗だったのは確かだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────-

 

「私は〜音羽ちゃんのこと可愛いって思う〜」

「ええ〜? 音羽さんはカッコいいでしょ」

「てかさてかさ、付き合ってると思う?」

「東音羽は付き合ってるとしても騙されてそうだよね」

「それそれ」

「俺はしっかりと誠実に付き合いたいけどなー」

「いやいや、あんたは色んな意味で無理」

 

 僕はグラス片手に周囲の話を聞いていると、しきりに「音羽」という名前が出てきていた。可愛かったりカッコよかったり……人によってそれぞれ印象が違うみたいだ。さぞかし魅力的な女性なんだろう。けど騙されそう……というのはどういう意味なのだろうか。素直すぎる……ということなのだろうか。

 

「俺もあんな風になってみたいよな」

「あれだけ凄けりゃ引く手数多だろうし」

「モテモテで羨ましいよ」

「私も同じクラスだったら毎回話しかけに行っちゃうかも〜」

 

 引き続き話を聞く。随分とその音羽という人物は凄い人のようだ。

 

「ん……? もしかして……平安名さん?」

 

 考えを巡らせつつ辺りを見回すと、なんと彼女の姿があった。突然の提案で来ないのかと思っていたが、どうやら来てくれたようだ。僕はすぐさま彼女の元へと向かう。

 

「へ、平安名さん……!」

「あんたも来てたのね」

「まぁね。それにしても平安名さんが来るとは思わなかったよ。だって色々忙しいでしょ?」

「今日は偶々フリーだっただけ。単なる暇つぶしよ」

「フリーだなんて、なんかカッコいい響きだね。僕も使ってみたいよ。今日はフリーだった……とか」

「そんな大層なことでもないでしょ?」

 

 話しをしていくと、どことなく気分が落ち込んでいるように聞こえた。

 

「なんか……あった? 僕でよければ聞くけど……」

 

 漫画よく見る台詞だななんて思いつつ、僕は尋ねた。けど、これで彼女が少しでも気が紛れて、元気になってくれるのであればと思ったのは本当だ。芸能界と大学生……‥二足の草鞋は大変だろうし、少しでも力になってあげたい。僕は彼女に笑っていて欲しいんだ。

 

「別に何もないわ。ただ……私が勝手に怒っているだけよ」

「勝手に?」

「ええ。あの子は……努力して……傷ついて……それでもやり抜いて……そんな姿を知らないからあんなことが言えるんだって思うと、無性にね。子供っぽいわねこれ……今のは聞き流しなさい?」

 

 十中八九「音羽」という人のことだろ。どうやら彼女も知っているらしい。みんなが話していることと、平安名さんのことから、同じ芸能界の人間なのだろう。確かに、平安名さんは彼女の苦悩なりなんだりも見てきているのだろう。だからあれ程強く思っている。

 

「尊敬しているんですね。その……音羽さんを」

「そうね。私にとっては眩しい奴だから。今でも」

「なんかいいですね……そういうの。僕なんかは眩しい人なんて沢山います。例えば……」

 

 僕と平安名さんが話していると、お開きの時間だとゼミ長の声。ここからは二次会に行ったり帰ったり……。僕は当然後者だ。ただ、今日は平安名さんがいる。場合によっては二次会もアリだ。

 

「帰るわ。今日はありがとね」

「……っ! ぼ、僕も帰るんだ。よ……よかったら途中までどうかな?」

 

 少し考え、彼女は「途中までなら」と言ってくれた。正直飛び上がりそうだった。だってこんなに綺麗な人と帰れるとは思っていなかったのだから。急いで帰り支度をし、僕らは外へ出た。

 

「少し寒いね……」

「そうね」

 

 秋から冬へと移り変わろうとしている今。外に出た瞬間、僕たちの頬を冷たい風がそっと撫でる。平安名さんも僕もそれなりに着込んではいるが、見通しが甘かったみたいだ。彼女は僕よりも寒そうだった。デキる男ならここで上着でも掛けてあげるのかもしれないが、僕にはまだできそうも無い。

 隣を歩く彼女を見る。女の子と一緒に歩くなど、これまでに無い経験だ。

 

 

 

 ────デートってこんな感じなのかな。

 

 

 

「……っ!」

「……?」

 

 そう思うと、途端に鼓動が早くなった。そして内側から熱い何かがせり上がってくるのを感じる。

 

「平安名さん……」

 

 ゼミで一緒の班とはいえ、何故僕なんかの話に耳を傾けてくれたのか。何故あの場所に居たのか。何故僕と一緒に帰ってくれるのか。

 

「どうしたの?」

 

 答えなんて見えているようなものだろう。平安名すみれは恐らく────

 

「あ、あの……」

 

 確信に近いものを得た僕の行動は早かった。でも……声が震え、言葉が出てこない。だってもし"あの言葉"を言われたら? 僕はもう立ち直れないかもしれない。そう思うと息ができなくなる。身体が締め付けられる。

 

「なに? 急に立ち止まったりなんかして」

 

 ……けど、まだそれは確定していない。あり得るかもしれない可能性でしかない。2つの道を……まだどちらにも進んではいない。なら、明るく眩しい道を進む可能性だって残っている筈だ。その可能性があるのに、暗い道だけを見て引き返すのか? 答えは否。まだ何も決まっていない。だからこそ踏み出さなければ。ここで声をかけなければ……僕は一生後悔する。僕は覚悟を決め、平安名さんに向かってある言葉を投げかけようとした。

 

「平安────「すみれちゃん!」

 

 途端、声が割り込んできた。

 しかも、平安名さんの下の名前をさも親しげに呼んで。

 

「音羽、早かったのね」

 

 

 

 ────は? 

 

 

 

 僕の思考は停止し、幾秒かのフリーズの後に再起動した。

 僕と"音羽"とやらの違いに困惑する。だってそいつを呼ぶ時、平安名さんの声が嬉しそうだったんだ。僕と喋る時とは明らかにトーンが違ったのだから。

 平安名さんのもとにやってきた人物を睨む。明るい茶髪に、中性的な容姿。けど、目元はキリッとしていて凛々しい雰囲気を覚える。

 

「うん。もう少し掛かる筈だったんだけど、お父さんが早く迎えに行けって」

「湊人さんの言う通りったら言う通りよ。ショウビジネスの世界で生きる私を長く待たせるものじゃ無いわ」

「もしかして凄い待たせちゃった……? ごめん、すみれちゃん!」

「こ、言葉のあやってやつよ。まったく、いつになっても素直に受け取りすぎよ!」

「ごめん」

「それと謝りすぎ。わ、私と音羽の仲なんだから……そんなに謝らなくても……いい……」

「自分で言って赤くならないでよ」

「ギャラッ!?」

 

 なんだこれは? 

 目の前で繰り広げられるやり取りは、今までのやり取りでは見せなかったもの、感じ取れなかったものだった。その様子に、僕は疎外感を覚える。要は2人の世界が展開されているということ。僕は堪らず、平安名さんに声を掛ける。

 

「平安名さん……そ、その人は?」

 

 顔を真っ赤に染めていた彼女が僕に向き直った時、先の表情は消え、いつもの平安名さんの姿に戻っていた。そして……信じられない事を告げるのだった。

 

「彼は東音羽。私の彼氏よ」

「……え?」

 

 

 

「だから彼氏よ。彼氏ったら彼氏」

 

 

 

 ────胸元に穴をあけられた気分だ。

 

 

 

「え、あ、いや……彼氏? え?」

「すみれちゃん、彼氏だなんてそんなストレートに……」

「事実なんだから良いじゃない」

「そうだけどさ……もうすみれちゃん」

 

 これまでのやり取り、そして僕の抱いた決心が、音を立てて崩れていく。

 そういえば音羽って……さっきゼミのみんなが話していた人のことじゃないか。女性かと思っていたのに、実際は違うじゃないか……なんてことはどうでも良くなる程、僕は失意の底にいた。そしてその失意は、理不尽な怒りへと変わる。

 

「じゃあ僕を────「あの!」

 

 平安名さんの前に出てきたのは音羽。何の用だ。お前には関係ない。邪魔だ。

 押し除けようと一歩踏み出す僕より先に彼は……なんと頭に下げた。

 

「すみれちゃんをここまで送ってくれてありがとうございます」

 

 動きを止めてしまう。何故僕なんかにお礼など言うのだろうか。

 

「……どうしてお礼を?」

「すみれちゃん1人だと危ないと思って、付き添ってくれたんですよね?」

 

 そんなわけない。最初はただ一緒に帰りたかったから誘った。その後僕は自分の気持ちに気付き、想いを口にしようとした。だから彼の言うような善意で動いた訳じゃない。

 

「僕は……」

「なんとなくですけど、僕には貴方が優しい人なんだってわかりますから」

 

 その声、その表情は嘘偽りのないもの。彼にとって僕は"優しい人"として映っている。こんな下心しか無いような僕を、彼はそう認識している。

 

「────、ここまで送ってくれてありがと。私たちもう行くわね?」

 

 歩き出そうとした瞬間、音羽は平安名さんを支えた。

 

「ダメだよ、歩けなくなるまで飲んじゃ……」

「お見通しってわけ? ごめん……なんだか今日は飲み過ぎちゃったみたい……」

「すみれちゃん、彼に迷惑かけてない?」

「大丈夫よ。なんとか耐えてたから」

「もう……ほら、僕の腕に掴まって?」

 

 その気遣いに僕はハッとさせられる。ここまで歩いてくる中で、平安名さんはずっと我慢していたのか。酔いが回ってしっかり歩けないとわかっていて、それでもなんとかして歩いていたのか。僕は気付かなかった。僕が鈍いのか、平安名さんの隠し方が上手いのか……。どちらにせよ、音羽はすぐに見抜いた。それ程2人でいる時間は長いのだろう。そして、彼女の些細な変化に気がつき、手を差し伸べられる程……彼は優しいのだ。

 そう思うと、自然と納得がいくような気がした。何故平安名さんがあそこまで彼に心を許し、僕には許していないのか。何故、あの時彼女が不機嫌だったのか。

 

 

 

 そして僕はこの時、負けを悟ったんだ。

 

 

 

「じ、じゃあ僕はこの辺で」

「────、ありがとう」

「────さん、すみれちゃんをここまで送ってきてくれてありがとうございました」

 

 僕は会釈だけして、その場を離れた。

 1人涙を流して歩く夜道。頬を撫でる風が、一層冷たく感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────-

 

「あの人……大丈夫かな……」

 

 彼が去った後、すみれと音羽は並んで道を歩く。勿論、すみれは音羽の腕に掴まって。

 音羽は1人別の方向へ歩いて行った彼のことを案じている。さっき会ったばかりで、赤の他人であることに変わりない。しかしすみれを送ってくれた人物であることは確かだ。そして音羽は彼が悪い人では無い事を感じ取っていた。彼の声……それを"色"として見た時に。歌を聴く時とは違い精度は落ちるものの、音羽には確信があった。

 

「なんで会って数分も経たない人のことを心配しているのよ」

「心配するよ。だってすみれちゃんを送ってきてくれたでしょ? それに……なんだか悲しそうな色をしてたし……」

「まあ……彼には悪い事しちゃったわね」

 

 すみれも己の行いを反省する。彼の反応はすみれの行動故の部分もあるのだから。

 

「もうあの人にも迷惑かけちゃダメだよ?」

「わかってるわよ」

 

 語調を少し強めにしてしまった。音羽の言う通りなのだが昔の癖か、ついつい言葉を強くしてしまう。

 

「すみれちゃん、何かあった?」

 

 言葉の裏に隠れる何かを察したらしい。音羽がそういった感情の揺れに機敏なのは昔からだ。

 

「まあね……けど音羽が気にすることじゃないわ」

 

 音羽の気にすることじゃない。あんな心もない言葉。過去に一度、同様の凶器が彼に振り翳された事をすみれは知っている。傷ついた彼を知っている。そのせいで己の顔を声を……心を閉ざしていた時を知っている。

 それを知った時、自分の発した言葉の無責任さに、原因を作った彼らにも腹が立った。でも音羽はそれすら受け入れていたのだ。その出来事がなかったら今の僕はない……と。知らぬところで彼は過去から目を背けず、正面を見据えて受け止めていたのだ。そんな彼の成長に一抹の寂しさを覚えると同時に、嬉しさを……憧れを覚えていた。

 けど、もうあんな思いをわざわざする必要もない。

 

「でもすみれちゃんが辛そうなのは見ていられないよ」

「……辛くなんかないわ」

 

 嘘だ。いまだにあのキンキンした声が脳裏に響いている。彼の苦悩も何も知らないで、言いたい放題だったあの声が。

 

「すみれちゃん」

 

 彼の優しい声に負け、彼女は話してしまう。

 無論、全てではない。内容を端折り、要約して……ではあるが。

 

「音羽に心無いことを言う人がいるってだけよ。ほんとに……何も知らないでお気楽に言ってくれちゃって」

「ふふっ……」

「何もおかしなところはなかった筈だけど?」

 

 すみれは音羽を睨む。昔であれば怯む様子を見せていたが、今ではそれすらも愛おしく思っている様子で微笑み、彼は続ける。

 

「違うよ。すみれちゃんが僕のことで怒ってくれるんだって思うと嬉しくて」

「あ、当たり前でしょ!? あんたとはマブダチで……恋人なんだから……」

「大丈夫だよ、すみれちゃん。僕は周りの言葉じゃなくて、みんなの言葉を信じてるから。僕は……僕を信じてるから」

 

 自分は何者にもなれないと知り、壁を作った時……自身が普通ではないと知った時……それを壊してくれた人がいた。暗闇を照らしてくれた人がいた。背中を押して、時には濡れたその身体を包み込んでくれた人がいた。そのお陰で今がある。あの3年間で彼には強い芯ができた。折れることも、曲がることもない芯が。誰の言葉を信じるのか、そして最後に信じるものは何か……もう音羽はわかっている。

 

「そうよね」

「でも……ありがとね、すみれちゃん」

 

 向けてくれる笑顔が眩しくて、嬉しく、愛おしくて……すみれは抱きついた腕により体を預けた。いまだに中性的な容姿だが、体はやはり男。自分1人が寄りかかったところでふらつくこともなかった。

 

「このままでいい?」

「勿論だよ」

 

 2人は帰路を進む。

 過去、2人がバラバラになってしまうことがあった。互いが互いを尊敬していた故のすれ違いなのだが……お互いが涙を流した苦い記憶なのは確かだ。それを知っているからこそ、彼の隣に……彼女の隣にいる事を諦めないと決めたのだ。例え明日に何が待っていたとしても。

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