別冊星達のミュージアム 第2号   作:苗根杏

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5作目は、度近亭心恋さんの作品です。
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夏の音色、僕らの音楽。

 からん、という音が、静かな店内によく響いた。

「あっ」

 それが自身のアイスコーヒーの氷が溶けてグラスにぶつかった音だと気づき、東音羽は慌ててストローに口をつけた。

「あははっ、話しこんじゃってたね」

 音羽の傍で、澁谷かのんは朗らかに笑うと自身も静かにアイスカフェオレに口をつけた。

 澁谷かのんの家は、カフェを営んでいる。音羽が初めて来店した時は偶然選んで足を運んだに過ぎなかったが、それが今では一番の友人であり理解者であるかのんの家だった────というのは、今思い返しても運命的なものを感じる。

 先日の屋上での一件から、かのん達との距離がより縮まったのを感じていた。

 今日は今後の活動方針や練習について、色々と話そう……というのを口実に、単に二人で話し込む形になっていた。

 知ることとはとても重要だ。

 相手の人柄を知る。相手の境遇を知る。相手の嗜好を知る。

 それらの知識を基に、人は相手への理解を深めていく。そのためにはどうすればいいか。

 

 まずは、兎にも角にも相手と会話をすることなのだ。

 

 既に音羽の来店から二時間が経っていたが、二時間前よりも彼らはお互いへの理解を深めていた。

 眼鏡をかければ世界の解像度があがるように、会話によって得た相手への知見が、相手の心の解像度をあげてくれるのだ。

「ごめんね、お母さん」

 ここでかのんは、カウンターに立つ店主────自身の母へと申し訳なさそうな表情を向けた。今日は一応夏休みなこともあり、かのんは店の手伝いという体でここにいるのだ。

「いいわよ。ほかにお客さんもいないし」

 かのんの母はそう言いつつ、娘の傍の少年へと笑いかけた。

 年頃の娘が夏休みに異性を連れ込んでくるというのは、実際のところ親としてはだいぶ気になるところではある。友人という形で紹介されたし、会話の内容もスクールアイドル活動とやらに絡んだ内容が主でまあなんというか……安心ではあるのだが。

「ありがとうございます」

 少しばかり弱々しさのある声色ではあるが、丁寧な所作で礼を言える辺り育ちも良い。

 お父さんは何て言うかなあ、などとかのんの母が考えていたその時、

「……! いらっしゃいませ!」

 かのんが慌てて立ち上がる。扉が開き、三人連れの客が店へと入ってきていた。音羽は邪魔をしては悪いと思い、だいぶ氷が溶け込んで薄くなりつつあるアイスコーヒーをまた口に含んだ。

「サンドイッチとハンバーグ、アイスクリーム……ですね。皆様コーヒーセットで、サンドイッチのお客様はガムシロとミルクなし。かしこまりました」

 かのんは素早くオーダーを取ると、それらをカウンターの母へと伝える。母は軽く返事をすると、手慣れた手つきで準備に入っていった。

「僕は、お邪魔かな」

「いいのいいの、おと……音羽くんはお客様でもあるんだから、ゆっくりしてて」

 遠慮がちに言う音羽にそう言うと、かのんは自身もアイスコーヒーの準備に取り掛かっていった。慣れた手さばきは流石のもので、いよいよアイスコーヒーが三つ仕上がろうとしていたその時、

「澁谷さァァァ~~ん……ちょっとォ……」

 店の裏口を叩く音と、中年の女性の声がした。

 かのんの母はその声に素早く反応し、裏口の方へと向かっていった。少しの間だけ話す声が聞こえた後、

「ごめん! ちょっとだけ町内会の会議に出てくるから」

 かのんの母は戻るなり、かのんへとそう頭を下げつつ外に出る準備を始めていた。

「えっ!? 明日でしょ!?」

「公民館に入る予定だった業者さんの工事日が早まるんだって。というわけで急だけど……よろしく!」

 困惑するかのんを尻目に、母は慌てて準備をし、二言三言キッチンの状況を伝えると出ていってしまった。

 後に残されたのは、かのん一人のみ。

「だ、大丈夫なの……?」

 音羽はキッチンの奥の焼く直前のハンバーグ、盛りつけ前のサンドイッチ等を見やりながら心配げに声をかける。

「まあ、お手伝いはたまにするし」

 かのんはと言えば、急なんだよなあ、と困った顔をしつつも、何とかできるというだけの自信はありそうな様子だ。

「じゃなくてそのほら、調理師免許とか」

「カフェや喫茶店では食品衛生責任者がいれば大丈夫なんだよ。お母さんが食品衛生責任者だから、その監督でやってるーって形」

 なるほど、と音羽が得心したその時、

「スミませェ──ん、アイスコーヒー5つでェェ~~ッ」

 中学生らしい男女入り混じった五人の客がどかどかと入ってくると、席に腰を落ち着ける。

「えっ……」

 ヒュッ、と予想外の状況にかのんが息を呑んだ時、

「先生っ、ここですよ! 静かで落ち着いてて、打ち合わせにはぴったりィィ~~っ! って話題のカフェで……」

「……『静か』で『落ち着いてる』? 学生のたまり場じゃないか……」

 開口一番随分と賑やかな、壮年の男性と若い女性の二人組が入ってくる。一気に店内の客が音羽を入れて十一人になったことで、

「11人いる!」

 かのんの口からはそんなSF漫画を思い出すツッコミが漏れ、またヒュッ、と息を呑んでいた。

「オーダー取りに行って……それから……ありあは出てるし……」

 現状を前に進めようとかのんは高速で行動プランを組み立てていくが、やはりすぐにはまとまらない。その間にも学生五人組の方は「聞こえてますゥ~~ッ?」と圧をかけてくるし、男女二人組は女性の方が「よろしいですかぁ?」とよそいきの甘ったるい声で聞いてくる。

 その状況に、

「澁谷さん!」

 音羽は思わず立ち上がっていた。

 

 ☆ ☆ ☆

 

「お、お待たせしました。こちらが……ハンバーグ。こっちが……いや、こちらが、サンドイッチ。です」

 最初の三人組の頼んだオーダーが、席へと運ばれてくる。運ぶ側の様子は、ずいぶんとぎこちない。それもそうだろう。

「そしてこちらが、アイスクリームです」

 東音羽にとって、それは初めての経験なのだから。

 三人組は表情には出さないが、少しばかり困惑というか苦笑いするように見守っているところはあった。彼らは音羽が普通に客としてアイスコーヒーを飲んでいたところを見ている為、一番事情がわかっている。故に思うのだ。

「知り合いだからって手伝うことになって大変ッスね」

 と。

 しかし音羽にしてみれば、これは大変なことでも何でもなかった。

 確かに経験の無いことをするのには戸惑いも伴うし、常に勇気がいる。

 だが。だが、それでも。

 困っていた自分に手を差し伸べてくれた相手が困っている時に、何かしたいと思うのは当然じゃないかと。

「……!」

「……?」

 料理を置いたがまだ何か言いたげな……というよりも、何か言うべきことがあると言わんがばかりの音羽の様子に、三人は何だなんだと待ちの姿勢に入っている。そこに、

「……『ごゆっくりどうぞ』」

「! ごゆっくり、どうぞ……!」

 かのんが小さな声で正解をカウンターから投げ、音羽はやっと給仕の流れを終わらせることができた。

 例えるならば、文末のピリオド、映画の『fin』、打ち切り漫画の『ご愛読ありがとうございました! 書き下ろし大増のコミックス××巻は○月×日発売です! △△先生の次回作にご期待ください!』。

『ごゆっくりどうぞ』は、給仕のエンドマークだ。

 なるほどね、とやっぱり苦笑いで見守るような目線を送りつつ、三人組はようやく運ばれてきた料理の味に満足気な様子だった。

「ありがとう、音羽君。ごめんね、お客さんなのに」

「気にしないでよ。それに……」

「『お客さん』じゃなくて……『友達』?」

「!」

 自分の答えをかのんが先に答えたことに音羽は少しばかり目を見開く。彼が何か言うよりも先に、

「いいよね。そーゆーの」

 ひひっ、と笑い、かのんは人差し指を立てた。

「スミませェェ~~ん、追加いいスか?」

「あっ、はい!」

 中学生達のテーブルに呼ばれ、音羽は飛んでいく。

「これと……コレッ!」

「あっ、はい。サンドイッチと、クッキープレート……」

 オーダーは口で言ってくれると助かるんだけどなあ、などと思いつつ、音羽はそれを書き留めていく。

「それからアイスって何味があるんスか? おネーさん!」

 学生の一人が、半笑いでメニューのアイスクリームを指しながら聞いてくる。

「えっ」

 音羽は一瞬思考が止まった後に、自分のことか? とおずおずと彼らを見る。

「ばァァーかお前、おニーさんだろ」

「マジ? いやー声高いからさァ」

 何気ない会話。しかしそれらの言葉に、音羽の心臓が少しだけ拍動を強めた。

「ほーら店員さん困ってんじゃん!」

 男子二人のそんな会話に、中学生グループの中の女子が素早く二人を諫める。彼女に何味のアイスがあるか伝えると、音羽は注文を確認しかのんの下へと戻っていった。

「えっと、澁谷さん……オーダーが」

「ごめんね」

「えっ」

「お客さんは、色々な人がいるから」

 音羽の心情を察したのか、かのんは心底申し訳なさそうに彼を見ていた。

「う……ううん! 気にしてない……から!」

「私が気にするの。あっちのお客さんは私が行くね」

 しばしの沈黙の後、

「ごめんね」

 先程のかのんと同じ謝罪を、今度は音羽が口にしていた。

「何で、音羽くんが」

「手伝ってるつもりが、澁谷さんに気を使わせてばっかりだ」

 思わず無力感が襲ってくる。自分の力で立ち上がりたい。力になりたい。その想いは確かにあるのに、現実はなかなかに厳しい。かのんは少しばかり何を言うべきか考えていたが、

「今はさ」

 ゆっくりと、

「一歩ずつ、やっていこうよ」

 言葉を、紡いだ。

 まだ彼らは、一歩を踏み出し、道を歩み始めたばかり。

 ここからの歩みは、彼ら次第だ。

「すいません!」

 今度は男女二人組の方だ。二人は一瞬見つめあうが、

「僕が行く」

 音羽は意を決し、動きだしていた。テーブルに着くと、

「ペリエ、いただいてよろしいですか?」

 女性の方が聞いてくる。男性の方はといえば終始無言で、女性の方を「よく喋るな」といった表情で見つめていた。

「ぺ、ペリエ?」

 聞き慣れない単語に、思わず聞き返してしまう。その直後に「しまった」と自省が内心を支配する。

「ああほら、ここです」

 女性がメニューを示す。飲み物のところに、確かに〝ペリエ〟の文字が書かれていた。フランス産の炭酸ミネラルウォーターだ。

「かしこまりました」

 知らなかったこととはいえヘンな人だと思われたかなと考えつつ、音羽はそれを伝票に書き留める。その後にテーブルを見ると、

「……サンドイッチのお皿、お下げしてもよろしいですか?」

 二人へと確認した。先程までと同様に女性の方が答えるかと思ったが、

「ああ。ありがとう」

 意外にも、終始無口な壮年男性の方が礼を述べた。さりとて驚くのも失礼であり音羽はさっと皿を下げたがその瞬間、

「君」

 男は音羽の方へと目線を向けた。無口な印象と同様、表情にあまり感情がが出ないタイプらしく、無機質な怖さを感じさせる。

「はっ、はい」

 音羽は思わず萎縮する。カウンターのかのんも恐々とそれを見守り、静かな緊張が走った。

「……声が良いな」

「え?」

「素材がいいんだ。もっと堂々とするといい」

「は、はあ」

 音羽は困惑しつつ皿を持って戻ろうとしたがその時、

「……褒めてるんですよ。不器用ですけど」

 連れの女性の方が、くすっと笑いながら音羽にフォローを入れた。音羽にはただ一礼をすることしかできなかったが────

 

 心は、どこか満たされていた。

 

 ☆ ☆ ☆

 

「本当にありがとね」

「僕の方こそ」

 客がすべてはけ、また静かな時間が訪れたところで、二人は片づけをしながら言葉を交わしていた。

「片づけってさあ、いいよね」

 かのんは何気なく話題を振ってくる。

「片づけが?」

 真意がつかめないといった様子で、音羽は首を傾げる。

「うん。最後はきれいにする、って目標があって、その為に全体を見通して、ひとつずつ……。お皿洗う、とかテーブルを拭く、とか、ひとつひとつ、片づけていく感じがね。ここまでやったー、あとこのぐらいー、ってのがわかりやすい、っていうか」

「なるほど……」

 成果が目に見える、ゴールが見えやすい、というのはモチベーション・アップにもつながりやすく嬉しいものだ。万里の長城の建設のエピソードを思い出し、音羽は得心する。

「……歌はさ、そうじゃないから」

「!」

 それは本質だ。歌に、芸術に、創作に、明確なルールとゴールは無い。何をどれだけどうすれば、どこまで辿り着けるのか。彼らの行く道は、暗中模索が常に付きまとうのだ。

「澁谷さん……」

「だから! もっと頑張ろうって……皆と一緒に、頑張っていこうって、思えるんだ」

 そう告げたかのんの表情はさわやかだった。暗中模索に五里霧中、先の見えない道だからこそ、今いる仲間を大事にして進んでいきたい。そういう強い決意だ。

 無謀な賭けに、勝ちに行くのだ。

「もちろん、音羽君も一緒に」

 かのんの眼は、強く、優しく、音羽を見据えている。

「改めて、これからよろしく!」

 その言葉が、心にじんと響いた。

「僕も……ありがとう」

 音羽は思わず、自身も感謝を口にしていた。

「今日、お手伝いしてみて……思ったんだ。今まで関わるのを避けていた世界には色んな人がいて……受け取り方もさまざまで」

 客の一人一人にも人生があり、価値観があり、意志がある。それらは決して、音羽に、彼らにとって優しいものばかりではない。

 けれど、厳しくつらいものばかりでもない。

「でも、良い音楽を聴いた時に感じる気持ちはきっと、みんな同じなはずだから!」

 音楽のすばらしさを思い返しながら、音羽の言葉に熱がこもる。

「僕達で響かせようよ……! あの人たちにも、この町にも、みんなに届くような!」

 

「僕達の、音楽を!!」

 

 一瞬、熱のこもった言葉に空気がしん、となる。だがすぐに、

「……うんっ!」

 かのんもその言葉に応えるかのように、強く返事をした。

「あと」

 音羽はそういえば、と思い出すように目線を宙に泳がせ、

「……君づけ、しなくていいよ」

 思っていたことを口にした。

 友人としてこれから共に歩むにしては、どうも「音羽君」「澁谷さん」では壁がある気がしたのだ。

「えー、じゃあ何て呼ぶ? 音羽様?」

「距離感がむしろ遠くなってる気がする」

「音羽」

「今度は近すぎる気がする……」

「オットー・フォン・ビスマルク」

「鉄血宰相……!!」

 あははっ、とかのんは笑った後で、

「じゃあ……『おとちゃん』」

 そう、提案した。

「ちぃちゃん、可可ちゃん、すみれちゃん、だしさ。一番良い感じの距離感じゃない?」

 〝おとちゃん〟。

 その呼び方が生まれた瞬間、またひとつ彼らは、自分達の目指すものへの一歩を踏み出せたような気がした。

「良いね……! いいと思う!」

「でしょ? 『おとちゃん』。……それで?」

「そ、それで?」

「まさか私にだけ『おとちゃん』って呼ばせといて、自分は『澁谷さん』ってことはないでしょ?」

 ひひ、と少しばかりいたずらっぽい笑み。音羽は少しばかり照れを感じながらも、

「よろしく! 『かのんちゃん』!」

 かのんの優しさに応えるべく、自身もまた勇気を出した。

 窓の外では、蝉が〝夏の音色〟を奏でている。

 この音色に負けないよう、強く、強く響かせようと────

 

 二人は、笑いあっていた。

 

 ☆ ☆ ☆

 

 最高の友は、私の中から最高の私を引き出してくれる友である。

 ヘンリー・フォード(1863~1947)

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