唐可可という人物は、音羽に酷く懐いていた。そこには、音羽生来の優しさや男性が携えてるとは思えない癒やし力もある。だがしかし、それだけではクラスの友人や他のLiella!の面々も一緒である。可可が音羽に懐いている特に懐いている理由は、他にあったのだ。
「音羽♡」
「ふふっ。どうしたの、くぅちゃん」
「いえ、音羽に呼んで貰いたかっただけデス」
「もぉ~、なにそれ」
クスクスと笑う音羽に、可可が頬をすり寄せる。最初のうちはそれだけで酷く赤面していた音羽であったが、今では慣れたモノだった。
可可が音羽に懐いている理由、それは呼び名であった。音羽はLiella!の中で唯一、可可の事を渾名呼びしている。可可本人たっての希望だが、可可は自分が思っていた以上に音羽が呼ぶ“くぅちゃん”という響きを気に入った。そして何より、そんな渾名呼びを継続してくれている音羽を、また酷く気に入っていたのだった。
「音羽、これ期間限定のお菓子デス。一緒に食べマショ!」
「うわぁ、とっても美味しそう! ありがと、くぅちゃん!」
そして音羽もまた、可可に懐いているのだ。無邪気な可可と純粋な音羽。この2人の織り成す空気は部室を浄化し、癒やし空間へと変貌させているのであった。
「なんかさ、おとちゃんと可可ちゃんを見てるとさ……心の毒が抜けていく感じがするよね」
「ふふっ、言い得て妙だね」
「そうかしら?」
「えぇ。楽しそうなお二人を見てると、そんな気がしてきませんか?」
「いや、別に……」
例外的に約1名、この2人が発するマイナスイオンを感じ取れない人物もいたが、それは些末な事であった。こんな平穏が、いつまでも続くと思っていたのだが……。
「おはようっ、くぅちゃん」
「つーん」
「……くぅちゃん?」
「つーん!!」
「あ、あわわ……」
ある日を境に、マイナスイオンは突如としてイガイガとしたオーラへと変貌を遂げてしまったのだった。音羽がどう声をかけても可可はツンケンとした姿勢を崩さない。いつも遠目に2人を見守っていたかのん達も、心配そうに2人の様子を見ていた。
「可可ちゃん、機嫌悪いね」
「えぇ。あんな可可さんは、初めて見ます」
「あんまり絡まれると癪だったけど、あれはあれで調子狂うわね」
「おとくん、チョイチョイ。何か心当たりはないの?」
千砂都が音羽を呼びつけ、可可の機嫌を損ねるような事をしたのかと訪ねるが、音羽は黙って首を横に振るばかりであった。
「ん~……どうしようかなぁ。2人の仲がこのままだと、練習にも支障が……」
「そ、そんなぁ! くぅちゃん、僕が何かしちゃったのなら正直に言って欲しいな。僕に出来る事だったら、なんでもするから……」
「むーっ……」
一触即発、眉尻を下げた音羽と頬を膨らませた可可が向かい合う。そんな張り詰めた空気を壊すかのように、部室に新たな訪問者が現われた。
「こんにちはっす~! あれ、きな子が最後だったっすか?」
「あ、きな子ちゃん……うん、2年生は恋ちゃんも早くホームルームが終わったみたい」
「ひぇ、後輩が1番最後に来るなんて……どつかれるっす~!」
「私達をなんだと思ってるのよ」
やって来たのは、つい先日入部した1年生のきな子であった。立場故に自分が1番最後に来た事を憂いていたが、当然この部にきな子が言ったような事をする人間はいない。こんな風にややズレた感性を持ったきな子であったが、2年生にとっては初めて出来た大切な後輩であった。勿論、それは音羽にとっても例外ではなく。
「あ、きなちゃん。こんにちは」
「っ」
「音羽先輩! こんにちはっす……えぇっと、可可先輩と何を話してるんすか?」
「ん、ちょっと待ってね。えぇっと、くぅちゃ」
「~~~っ!!! やっぱり音羽なんて知らないデス! 你太麻木不仁了!」
突如として顔を真っ赤にして激昂した可可は、音羽へと何やら中国語で捨て台詞を放った後、カバンを持って部室を出ようとした。
「あっ、可可ちゃん! この後練習だよ!?」
「今日は休むデス! 自主練はちゃんとしマスので!」
「そういうところは真面目!」
かのんらが引き留める間もなく、可可はプリプリと部室を出て行ってしまった。部室に取り残された面々はと言うと……。
「おとちゃん、えぇっと……」
「あっ。おとくん、ショックで抜け殻になってる」
「はぁ……早く起こして。話ができないじゃない」
「えぇっと、これどういう状況っすか」
「説明しますので、きな子さんも腰掛けて……」
各々が可可の取った行動に戸惑いながらも、ひとまず全員着席して緊急会議という事になった。事の顛末を知らないきな子にも、恋が丁寧に説明を施す。
「成る程……よくわからないけど、可可先輩が不機嫌って事だけはわかったっす」
「さてさて、ではおとくん。改めて聞くけど、本当に可可ちゃんに何もしていないんだね?」
「うんっ……これまでと何かを変えたってワケでもないし。くぅちゃんだって何も変わってないと思うけどな」
「そうね……ヘアスタイルとかアクセとか特に変えてた様子はないし、そもそもあの子は気づいて欲しいって言うよりは、自分から言って褒めて欲しいタイプの子だものね」
普段可可の事をよく見ているであろうすみれの見解からも、音羽と可可の間に何かわだかまりがあったようには思えなかった。では何故、可可はあんなにも機嫌を悪くしてしまったのだろうか。
「そもそも、可可さんがあぁなったのって……きな子さんが正式に加入した頃からですよね」
「ひぇ。もしかしてきな子、本当は可可先輩に嫌われているとか……」
「それは無いと思うな。可可ちゃん、誰よりもきな子ちゃんの加入を喜んでいたもん」
「それとおとちゃんに何か関係がある?」
一同腕を組んで頭を働かせる。そうして、1番最初に頭の上の電球が灯ったのはすみれであった。
「あ……わかったかも」
「ホント!? すみれちゃん、何でもいいから僕に教えて!」
「わ、わかったから。近い近い……こほんっ。まず、音羽は可可の事をなんて呼んでる?」
「え、“くぅちゃん”って……」
「そう。それで、きな子の事は?」
「“きなちゃん”だけど……」
「成る程。ふふっ、可可ちゃんってば可愛いなぁ」
すみれに次いで今回の事件のタネに気づいたのは千砂都だった。残りの面々はと言うと、未だに頭の上にハテナが浮かんでいる様子、何よりも急に名前が出てきたきな子は、頭の仲に謎という謎が往来しており、目を回していた。
「ひえぇ、一体きな子が可可先輩に何をしたって言うんすか……?」
「安心して、きな子ちゃんは何もしてないよ」
「ほっ、よかったっす~……」
「じゃあ……やっぱり僕が、何かしちゃってるんだ?」
「まぁ、やらかしてるわね」
「やらかしてる!?」
「ま、それで機嫌を損ねる可可も可可だと思うけどね」
「えぇ……どういう意味?」
音羽のハテナを回収するべく、すみれは口を開く。
「前まで音羽は、可可“だけ”を渾名で呼んでいたじゃない。その特権が、きな子が来て無くなっちゃって……それで、悲しんでいたのよ」
「そっか……でも、どうすれば」
「きな子の渾名呼び、止めるっすか?」
「ん~……それだと、根本的な解決にはならないと思うんだよね」
「わかった。明日、もう一度くぅちゃんと話してみる」
「よしっ。それじゃ、今日はこれで解散にしよっか」
そうして、明日には事態が解決しているようにと皆で願いながら、それぞれ部室を後にした。
***
翌朝。今日は朝練だが、昨日の会議にて、音羽が先んじて部室に赴く事となっていた。音羽は恐る恐る、部室のドアをノックする。
「ハーイ、誰デスか~? まったく、今日は皆遅いデ……」
向こう側からガチャリ、とドアが開けられたかと思うと、ドアを開けた主……可可は、目を丸くする。
「お、おはよう……くぅちゃん……」
「……音羽デシタか。皆さんは?」
「見てないよ。もう少し、2人で待っていよっか」
「むぅ……ハイ」
昨日の今日だからか、あからさまに可可の態度が悪い。いつもなら音羽の肩を持ってルンルンとしているであろうところを、自分の席に戻ってポチポチと携帯を弄り始めていた。
「えぇっと……くぅちゃん、少しお話があるんだけど」
「可可は音羽と話す事なんてありマセン」
「うぐっ。で、でもっ。僕はくぅゃんに話したい事があるから、よかったら聞いてて」
「……」
可可のつっけんどんな態度に多少堪えながらも、音羽は話し始めた。
「ごめんね、僕気づけなかった。くぅちゃんが、“くぅちゃん”って呼び方を大切にしている事。くぅちゃんにとって、それって凄く特別な事だったんだよね。なのに、僕……」
「……いいデス。別に、音羽が誰をどう呼ぼうかなんて、知ったことありマセン」
「だったら! だったら、そんなに悲しい顔をしないでよ。僕、イヤなんだ。僕のせいで、くぅちゃんが悲しむのは……」
音羽は、見抜いていた。怒りとも、無関心とも取れるその仮面の下で流れている、ひとしずくの涙を。音羽の言葉を受けて、可可は溜息を一つ、それと同時に仮面は割れて、キラリと可可の目の下を伝う光があった。
「……違うんデス。音羽は悪くない。可可は、可可自身に怒っているんデス」
「え?」
「可可は、音羽の“くぅちゃん”って呼び方、大好きデス。音羽が可可だけ渾名で呼んでくれてる事、とっても嬉しかった。でも、きな子が来てから、音羽はきな子も渾名で呼び始めマシタ。それは、本当は嬉しい事だってわかってマス。きな子と音羽が仲良くなるの、可可だって嬉しい。それなのに、可可は可可だけの特別がなくなったって、1人で勝手に拗ねて……そんな自分に、腹が立ったんデス」
「くぅ、ちゃん……」
「イヤデス。こんな、こんな可可の気持ち、音羽に知られたくなかった……」
最初に流れた涙に続くかのように、堰を切った涙は次々と可可の頬を伝って流れ落ちていった。そうして涙を拭う可可の手を、音羽はそっと掴んだ。
「ふぇ、音羽……?」
「くぅちゃん、僕は……僕はね、くぅちゃんの事、今でも特別だって思ってる。皆が皆、僕にとって特別な存在だけど……くぅちゃんだって、同じなんだ。だから、くぅちゃんへの特別がなくなっただなんて、言わせない」
音羽は可可の手を下ろし、そっと可可に抱きつく。まるで、いつものお返しと言わんばかりに。
「これからもくぅちゃんにはくぅちゃんへの、特別をあげ続けたいんだ。くぅちゃんが欲しい、僕からの特別があったら……教えて欲しいな」
音羽の言葉で、可可の目からは益々涙がこぼれ落ちる。嗚呼、音羽という人物はここまで自分を思っていてくれてるのに、何をそんなに憂いていたのかと。自分が情けないと同時に、音羽の優しさに触れて、ただでさえ臨界を超えていた心がますます膨れ上がった。
「では……では、2人の時はたまにこうして、ギュッてしてクダサイ」
「うん、わかった。ちょっと恥ずかしいけど……それが、可可ちゃんのして欲しいことなら」
音羽はそっと、可可の腰に回した手の締め付けをキツくする。
「……可可、どうしマショウ。きな子に嫌われちゃったかもしれません」
「う~ん、きなちゃんがそんな風に思う子じゃないと思うけど……あっ」
「どうしマシタか、音羽?」
「くぅちゃんときなちゃんが仲良くなれる方法、思いついちゃった。僕とくぅちゃんが仲良くなったのと、同じようにすればいいんだよっ」
「……成る程! 音羽、天才デス!」
そうして2人、顔を合わせて笑い合った。しばらく待っていると、残りの面々達も部室にやって来る。きな子はというと、まだ可可の事を気にしているのか、かのん達の後ろに隠れてプルプルと震えていた。
「おはようございマス、皆さん!」
「おはよっ、可可ちゃん。なんだか元気そうだね?」
「ハイッ! 可可、すっかり元気になりマシタ!」
力こぶを作ってアピールする可可に微笑む一同の様子を見てか、かのんの肩からひょっこりときな子が顔を出す。
「あの、可可先輩……? きな子の事、特に気にしてたりとかは……」
「無問題デスよ! えぇっと……急に不機嫌になったりして、ごめんなさいデス。皆も……」
「いいわよ。そんなにたいした理由じゃないだろうし、皆気にしてないわ」
「たいした事ないとはなんデスかぁ!」
「くぅちゃん、どうどう……」
「こほんっ……おとくん、ありがとね。さぁ、今日こそ皆で練習するよ!」
千砂都がパンッ、と手を叩き一同屋上へ移動する。部室に残ったのは、可可と出遅れたきな子だけであった。
「え、えぇっと……」
「……ほら、“きなきな”も」
「えっ、今、きな子の事……」
「えへへっ。さぁ、行きマショウ!」
「……! ハイっす!」
可可の差し出した手を、きな子が握る。そんな2人の様子を、音羽は部室のドアからこっそりと伺い、そうして微笑むのであった。