原宿、表参道。結ヶ丘からほど近いこの場所の人通りは途絶えることは無い。
すでに明かりが灯った晩秋の街には冷たい風が吹き抜け、行きかう人々の歩みを速くする。
「神宮外苑でのイベント開催の影響により、人手は普段より約30%増。この混雑は予想外」
「でも、四季ちゃんが道を調べてくれたおかげで早く着けたじゃない。さすがだよ」
しかし、今二人がいる場所は屋外の喧騒とは無縁のゆったりとした時間が流れている。
時間帯もあってか原宿駅から少し離れた路地裏に佇むこぢんまりとしたカフェには音羽と四季以外の客の姿はない。加えて落ち着いた音楽と奥の厨房からかすかに聞こえる調理器具がぶつかる音がより一層雰囲気を掻き立てる。
「それにしても四季ちゃんはすごいね、こんなお店中々入れないよ」
「No problem. 今日の目的のためには多少の心理的抵抗は問題ない」
店内の雰囲気を一言で表すならば、モダンシックという言葉がふさわしい。
音羽にとってカフェというと真っ先に思い浮かべるのが澁谷かのんの自宅であるが、今いるのは同じカフェながらも気軽におしゃべりできるような雰囲気ではなく、自然と背筋が伸びるような場所である。
しかも今2人が座っているのはカウンター席の一番端2つ。ゆったりと座れるテーブル席もあったのにもかかわらず四季はあえてこの席を選んだ。
2人の間を遮るものはないが、少し首を動かさないとお互いの横顔が視界に入らないこの距離感が彼女にとってはちょうどよかったのだ。
「音ちゃんは、本当にここでよかったの?」
「うん、四季ちゃんが選んでくれたのなら間違いないと思って」
一方音羽から見る四季の印象は、「ミステリアス」という言葉がふさわしい。
自己主張が強く個性的すぎるといってもいい一年生の中でも常に一歩引いたような態度を示し、データに基づいた冷静的確な判断をして周囲を纏めるLiella!のブレーン的存在。
パフォーマンス面でも申し分は無く、とりわけダンスに関しては先輩であるかのんたちにも劣らない抜群の切れ味を誇っている。
しかしながら時折自作らしい奇妙な機器や薬のようなものを取り出して周囲を騒がせ、化学やとりわけ米女メイの以外の事に関してはあまり興味を示す素振りを見せず言及することも多くない。
しかしそれが音羽にとってより一層彼女に対する興味を引く所以でもある。
「僕もちょうど甘くておいしいものが食べたいな~、って思ってたところなんだよね」
「脳性疲労に効果的なのは、適度な休息と糖分補給。脳へのブドウ糖の補給と適量のカフェイン接種によるリラックス効果という観点から、この選択は最も合理的」
「僕が四季ちゃんの言う研究のお役に立てるかどうかはわからないけどね」
「そんなことない。被験者として十分な要素が複数ある」
今日こうして2人で出掛けているのは意外にも四季からの誘いであった。
来たる東京地区予選に向けての曲作りに勤しむ音羽の姿は、頼もしくもあった半面、自身の肉体的、精神的な負担を顧みていないのではないのか、四季の目にはそう映っていた。
そんな時偶然にもこの店を知り、『疲労度合が味覚に及ぼす』という『研究』という体で出かける約束を取り付けた。これが人付き合いに不器用な彼女なりの感謝の表し方であった。
「……あっ、四季ちゃん、来たみたいだよ」
会話が途切れたと同時に、2人の前に注文したものが運ばれてきた。
「おおっ、これが……」
「……綺麗」
それを見た瞬間、2人にそれ以上言葉が出なかった。
2人がこの店を訪れた目的こそ、この期間限定発売のモンブランケーキである。
綺麗な栗色と山吹色の二色のマロンクリームが交差するようにあしらわれており、その上にはひときわ印象に残る美しい黄金色をした大粒の栗が据えられている。
淡い暖色系の照明に照らされたその姿はまるで精巧な金細工の彫刻の様で、その息を飲むほど芸術的な美しさは味わうために注文した2人にさえ、自らの手でその形を崩すことに罪悪感を覚えさせるほどである。
加えて単に目の前に置かれただけですぐさま芳醇な香りが二人の嗅覚を刺激し、口に入れずともいかに素晴らしいものがよくわかる。
2人はゆっくりとフォークを指して、一切れを口に含む。
「「ッッ!!!」」
そしてその瞬間、芳醇な栗の風味とクリームの甘すぎない程よい甘みがが口の中に広がった。
そして2口目にはクリームに隠れていた薄いカラメル層に包まれた柔らかなスポンジ層が現れた。柔らかな2層のスポンジのふわっとした口当たりが先ほどのクリームの余韻を増幅させ、味わうものを飽きさせない。
見た目に違わず、その味も芸術的と言って差し支えない。
その素晴らしい味に音羽は思わず感嘆の声が漏れ、普段は感情を表立って表すことの少ない四季でさえも、目を見開き頬が大きく緩む。
それに続くコーヒーも、ケーキの味を打ち消さない程よい苦みとほのかな酸味が口直しにはちょうど良い味わいで、一口飲み終えてしばらくすると外が寒かったのもあってか体中が温まるような心地の良い感覚に包まれる。
「ふぅ、やっぱり甘いものっていいよね。疲れた体に染み渡るよ」
「そう言ってくれてよかった。これから経過観察を……」
四季の言葉が途中で途切れ、二人の間に一瞬の間が生まれる。
「四季ちゃん……?」
そして四季はおもむろに傍らの紙ナプキンを手に取って音羽へ差し出した。
「鼻先と口元に結構大きなクリームついてる」
「えっ!」
「右の口角の下約4センチ」
「あ、ありがとう!」
「そっちじゃない、反対」
音羽は分かりやすく動揺を示しながらもクリームを取り除く。
「ありがとう四季ちゃん……四季ちゃん?」
その言葉に四季は何も言わずただ、じっと音羽を見つめている。
「えっ、もしかしてまだクリームが」
「やっぱり、とってもかわいい『音ちゃん』」
「し、四季ちゃん!」
突然の『かわいい』に動揺を隠せない音羽とは対照的に四季は何も言わずただ、にやり、と笑う。
この『音ちゃん』という呼び方に、音羽はぞわっとするようなむず痒さを覚える。
四季を含め普段から同じように呼ばれているし、日常の中では特に気にはなっていない。
しかし、一種の「非日常」ともいえるのこの空間では全く違う印象を受ける。
落ち着いた店内の淡い暖色系の照明に照らされる四季の姿は、美しく、大人びていて、艶やかと言ってもいい。
言わずもがな音羽にとって四季は自分より年齢も学年も下であるが、そうとは思えないほどのまるで年上のお姉さんに弄ばれているような、言葉に表しようがない感覚。
このまま彼女と目を合わせていると、そのガラス玉のような澄んだ美しい瞳に吸い込まれてしまいう、そんな風にさえ思えてしまうな形容しがたい感覚。
その独特の雰囲気に耐えかねた音羽は手元へ視線を落とし、コーヒーの刺激で心を落ち着ける。
「今の音ちゃん、とってもかわいい」
四季がどういう意図なのかはわかりかねるが、『かわいい』と言われるのはやはりどうしても慣れない。
「ぼ、僕なんかより四季ちゃんの方が全然かわいいよ」
「かわいい……? 私、が?」
一転してキョトンとした表情に変わる。
「そうだよ。さっきケーキ食べてる時なんか特にさ」
「かわいい……私がっ……」
四季の思考の内に一瞬の空白が生まれ、その次に強烈な感情がどっと波の如く押し寄せてくる。そして考えるよりも先に自らの頬を抑えていた。
音羽からかけられた『かわいい』という言葉。
音羽からすれば今の言葉は単に気恥ずかしさを紛らわすために咄嗟に口から言われたにすぎない。
しかし四季にとってはまさかこうなるとは予想だにしていなかった分、その反動は強烈だった。
「四季ちゃん?」
「Overheat……」
そうして四季もまた、手元のコーヒーに手を付けたのだった。
「ね、ねえ四季ちゃん、これから時間ある?」
コーヒーの最後の一口を飲み終えた音羽はおもむろにそう問いかけた。
先程よりお互いをちらちらと横目で見るような何とも言えない時間が続いていた。しかし四季にとってはこの不思議な時間は今までに感じたことのない新鮮なものであり、この状況を興味深く感じつつも心の底で楽しんでいた。
「この後の予定は……未定」
「実は僕もなんだよね。だから、散歩でもどうかなって? なんだか話し足りなくなっちゃってさ」
「……散歩? 話し足りない?」
「あっ、もちろん四季ちゃんに何か用事があるなら全然……」
「私は大丈夫」
会計を終えて扉を開けて一歩踏み出した瞬間思わず声が出てしまう程、外はより寒さを増していた。
「ううっ、さぶっ」
陽が落ちたにもかかわらず未だ大勢の人が行きかう原宿の街をはぐれないよう普段よりもゆっくりと進んでいく。
うっすらと白い息を吐きながら二人でとりとめのないようなことを話しながら歩いている時間は、四季にとっては自分でも意外に思えるくらい話題が尽きなかった。
話すペースを合わせてくれてどうしても簡潔で愛想が無いように捉えられがちな言葉でも、それをやさしく拾ってまた返してくれる。
音羽がどうして先輩たちから信頼を寄せられるのか、四季には昨年どんなことがあったのかを詳しく知る術がないのだが、彼のさりげない優しさに触れたことでその一端を垣間見たような気がした。
そうしているうちに気づけば二人は神宮外苑にまで足を延ばしていた。特に目的地を決めていたわけではないので、自然に流れ着いたという表現が一番近いかもしれない。
外苑の木々は都会の喧騒を遮り、整然と立ち並ぶ銀杏並木はここが大都会の中心部であることを忘れさせるほどである。
「やっぱりここはいつ来ても綺麗だよね」
「目の錯覚を利用して実際よりも距離があるように見せている。言うなれば100年前から計算された美しさ」
淡い照明で照らされた銀杏並木は黄金色に輝くアーチのようであり、二人は幻想的な下を絵画館の方に向かってゆっくりと歩いていく。
「それにしても、この間はすごかったね」
「かのん先輩が選んでくれたこの場所と、おとちゃんの曲、千砂都先輩のダンスによる相乗効果の結果。私はまだまだ」
「四季ちゃんだってすごくよかったよ」
四季にとって先日のライブは学外で行った初めてのパフォーマンスで、その時に皆で経験した思い出はしかと胸に刻み込んである。
しかし今は過去を振り返っている猶予はない。
視界の先に見える『皆で目指す場所』はひときわ大きく輝いて見えた。
神宮競技場、ラブライブ決勝大会が行われるその場所を二人はじっと見つめていた。ライトアップされた競技場は遠くにあるはずなのに今の二人には普段の何倍も大きく見える。
だがそこに立つための道はまだ開けていない。
次に控えた東京予選では楽曲・パフォーマンス共に地区予選よりもさらに高いレベルを要求され、強力なライバルも存在している。それに現状自分たち一年生と先輩たちの間で実力差がある事は四季自身も痛いほどわかっていた。
「音ちゃん」
「ん?」
「私は、あの場所で歌いたい。絶対」
しかし四季にとってそこで悔んだり立ち止まっているわけにはいかない。ただひたすら先輩たちの背中を一途に追いかけ、そしていつの日にか追い越せることを信じて日々走り続ける。
メイと、結ヶ丘に入学して、スクールアイドルを始めて出逢えたかけがえのない仲間たちと共にあの場所に立ちたい。そして勝ちたい。
簡潔ながらも力のこもったその言葉には普段感情を表に出さない四季の強い意志がにじみ出ていた。
「Liella! なら、四季ちゃんなら、できるよ。絶対」
二人はもう一度競技場に視線を移す。
先ほどまではるか彼方に有るように感じられた競技場がずっと近くなったような気がした。
二人はその後暫く外苑を歩いたが、時計を見ると店を出てから小一時間程経っており、お互い帰路につくことになった。
「今日はありがとね、お陰で明日からまた頑張れるよ」
「私の方こそ」
「楽しかったよ。四季ちゃんと一瞬に過ごせて」
「でも、私はあまり上手く喋れてない」
四季にとって、ここまでの長い時間音羽と二人きりで話すのは今日がほぼ初めてだった。そのせいか幾分かぎこちなくなってるのは自分でも感じていた。
「んー、何だろう、僕もうまく説明できなくて申し訳ないんだけど、僕にとっては四季ちゃんと一緒にいるってこと自体がすごく楽しかった」
「一緒にいることが……」
「そう。同じ時間と、同じ経験を共有できるってことが僕にはとても楽しく思えたんだ」
自分がメイと一緒にいる時に感じているものと同じようなものなのか、四季には音羽の言う意味のすべては分かりかねていた。
だが、その純粋な優しさがとても嬉しかった。
「あと、四季ちゃん、これ」
その言葉とともに音羽は今まで身につけていたマフラーを脱ぎ、マフラーをさっと四季の首元に掛けた。
「お店出たときから寒そうにしてたからさ」
「マフラーを忘れたのは体感温度の予測を間違えた私のミス。だから……」
「いいのいいの、僕家近いし。それに、うちの大切な四季ちゃんに風邪でもひかれたら大変だよ。東京予選も近いしね」
少しはにかんだような笑顔を見せる音羽に四季はそれ以上何も言えず、ただぽつりと感謝の言葉をつぶやくのみだった。
「それじゃ、四季ちゃんまた学校で」
「また明日……」
そう言って少し駆け足の音羽の背中は晩秋の雑踏の中に消えていった。
徐々に小さくなっていく音羽の背中を見て四季は自分でもよく分からない気分になった。
ここから音羽の家までそう近くないことも、音羽がマフラーをつけていても寒がる素振りをしていたことも知っていた。
それなのに、自分を犠牲にしてまで人を支えることに徹する彼の姿は四季にとって特別に見えた。
音羽から受け取ったマフラーにそっと触れる。
高級品でもないどこにでも売っているような何の変哲のない赤いマフラー、極論を言えば言ってしまえば他人が持っていた繊維の塊であるはずのそれが、今の四季にとっては何かとても特別なものに思えた。
ふと、四季の頭の中に先程までの光景がフラッシュバックしてきた。
頬にクリームをつけながら楽しそうにケーキを食べる様子、少しはにかんだ笑顔、そしてマフラーをかけてくれた時の優しい顔。
それを意識しだした時、今まで経験したことのない感覚と共に瞬間的に顔に熱感が走り無意識に頬に手がいった。
難解な実験に成功した時でも、ライブで納得のいくパフォーマンスができた時でも、メイから同じことを言われたとしても生じえない、著しい思考の乱れと高揚感を伴うこの未知の感情を、持てるものをすべて使って理解しようとするがあと一歩のところで頭の中でブレーキがかかる。
今はまだ、知ってはいけない、探求心という理性を通り越して本能的にそう感じた。
糖分摂取による一時的な興奮状態を『sugar high』という。今夜は寝つけない、少し平常心を取り戻した後四季はそう思った。
しかしその原因が先程食べた甘い甘いケーキのせいなのか、コーヒーなのか、はたまた別のことなのか、今の四季にとって知る由はなかった。