時間は少し遡り、町の外れでリムルがミリムと友達になった頃のこと。
町ではシュナが食事会に出す料理を作るために厨房へ向かっていた。
足取りは軽い。
マツリからのご指名ということで、上機嫌なのだ。
そんな折、ソウエイから思念伝達が入る。
(本日お食事会に来られるマツリ様のお友達なのですが……魔王ミリムとのことです)
(なっ、それは本当ですか!?)
(事実です。不興を買えば町が滅びかねません。是非とも最大限のもてなしをお願いしたく)
(……分かりました)
楽しいイベントが一転、緊急事態である。
シュナは大いに悩んだ。
魔王ミリムの好きな食べ物は何?
食に関するタブーはある?
お忍びに適した個室を用意するべき?
考えることは無数にあった。
細やかな気配りの出来るシュナであれば、猶更だ。
さらに少し後にリムルからの思念伝達も入った。
その内容は、『適当で良いよ。子供だから』というアドバイス。
これが余計にシュナを混乱させることになる。
適当で良い?
魔王をもてなすのに?
町の存亡がかかっているのに?
いいえリムル様のおっしゃることです。
きっと何か深い意味があるに違いありません。
何か……私の気づいていない何かが……
必死に考えるシュナだが無駄な努力である。
リムルの言う通り、本当に適当で良いのだ。
しかしミリムの人となりを知らないシュナは、到底そのようなことは信じられないのだった。
結局、シュナは悩みに悩んだ末にカレーを出すことに決めた。
部屋は普通の客室。
マツリと二人きりでギャラリーは無し。
お忍び個室デートとでも言うべきセッティングだ。
そして結果は……
「うまーっ!! この『かれー』という食べ物はめちゃくちゃ美味いのだ!!」
「でしょ!? シュナは凄いんだよ!」
「ありがとうございます、ミリム様、マツリ様。慌てず、ゆっくり食べてくださいね」
美味しそうにカレーをかき込む様子を見て、シュナは胸を撫でおろす。
大きなプレッシャーから解放された瞬間だった。
(この様子なら、何を出しても美味しく食べてくれたのでしょうね)
作り笑いではない、本物の笑顔を浮かべるシュナ。
目の前に広がるこの上なく微笑ましい光景を見て自然と口角が上がってしまう。
既に出入口の扉と食器が一つ壊れているのだが、そんなことはどうでも良い。
敬愛する主とそのお友達がこんなに素晴らしい笑顔を見せているのだから。
いざ魔王ミリムを迎え入れてみれば、実物は腕っぷしが強いだけのお子様だった。
今も口の周りをカレールーで汚しながら一心不乱に食べている。
真剣に考えていたのがバカバカしくなるほどに無邪気である。
楽しいお食事会になりそうだ。
しかし平和なだけでは終わらない。
シュナが安心しかけたその時、マツリの皿を見たミリムが顔色を変えた。
「マツリ、その可愛い花は何なのだ?」
「ニンジンだよ」
花の形に切られたニンジン。
いわゆる飾り切りである。
シュナがマツリに野菜を出すときは飾り切りをすることが多い。
喜ぶ顔を見るたびに創作意欲をかき立てられ、今では非常にレベルの高い包丁さばきを見せるようになっている。
当然、今日のカレーにもシュナの力作の野菜たちが入れられていた。
しかし、それはマツリの分だけ。
ミリムのカレーにはごろっと大き目のニンジンが入っている。
「マツリだけずるいのだ。なんでワタシのカレーは可愛くないのだ!」
……失敗である。
ミリムのカレーにもマツリと同じく飾り切りのニンジンを入れるべきだったのだ。
シュナに強烈なプレッシャーが襲い掛かる。
怒りによりミリムの強大な妖気があふれ出しているのだ。
あまりに強い魔力に身も心も硬直してしまう。
「私だけ除け者は嫌なのだ!」
ああマズい。これはマズい。
このままでは魔物の町は滅亡してしまう!
シュナは大いに焦る。
(どどどどうしましょう! 子供扱いするのは不敬だと思っていましたが、まさか魔王ミリムがこんなお子様だったなんて……!)
最悪の事態に気が動転するシュナ。
しかし仮にも魔国の幹部。ここで意地を見せた。
しどろもどろになりながらも、精一杯の悪あがきを試みる。
「あの、えーっと、すみません、ミリム様。ニンジンですね? 今から私が厨房で……」
「嫌なのだ! 待てないのだ!」
「そ、そうですか。じゃあ……えーっと」
胃はキリキリと痛み、冷や汗がだらだら流れる。
ああリムル様、何故この場におられないのですか……!
早くその柔らかなスライムボディを抱きしめて冷静にならないと……!
とうとう現実逃避を始めるシュナ。
もう明らかに限界であった。
打つ手なし。
これにてジ・エンド。
魔物の町は終焉を迎えるのだった。
……という事には勿論ならない。
「ミリム、これあげるよ」
「いいのか?」
マツリがひょいとミリムの皿へニンジンを移す。
一番大きくて綺麗な、星の形をしたニンジンだった。
「可愛いのだ! ありがとうなのだ!」
魔王ミリム、一瞬にして満面の笑みである。
(あ、それで良いのですね)
シュナ、何かを察する。
やはりこの魔王に関しては真面目に考える方がバカを見るらしい。
ただの子供、ただし途轍もなく強い。
その程度の認識で十分なのだ。
気を取り直し、お食事会はつつがなく続行。
シュナも動揺を悟られることなく復帰した。
大したものである。
「なあマツリ、お前はいつもこんな美味しいものを食べているのか?」
「そうだよ。ミリムは違うの?」
「私のいるところは生の野菜ばっかりで美味しくないのだ。あ、でもサンドイッチは生の野菜がいっぱいだけど美味しかったのだ」
「じゃあいいじゃん」
「違うのだ! サンドイッチは特別なのだ!」
素晴らしく平和である。
そして、魔王ミリムがどういう存在かも大体理解できた。
もうシュナがミリムを恐れることは無い。
「ここに住むことにして正解なのだ! 毎日ここで美味しい料理をたべるのだ!」
「はいはい、明日も美味しい料理を作りますから楽しみにしていてくださいね」
「分かったのだ!」
「でも悪い子はご飯抜きです。良い子にしているのですよ?」
「わ、分かったのだ……」
胃袋をガッチリ掴まれたミリムは、もはやシュナには逆らえないのだった。
☆
食事が終われば、風呂である。
リムルはドワーフ3兄弟と知恵を出し合って作った自慢の露天風呂へとミリムを案内する。
シオン、シュナ、ミリム。
そして水面に浮かぶスライムが2匹。
魔国には風呂にリムル様人形を浮かべる文化があるが、こちらは本物だ。
幹部の特権である。
「広いのだ! 泳げるのだ!」
「こらこら、お風呂で泳いではいけません」
「リムルとマツリは泳いでいるのだ!」
「違います。あれは浮かんでいるだけです」
「じゃあ私も浮かんでいるだけなのだ!」
「全くもう……」
ばっしゃばっしゃと水しぶきが舞う。
ゆっくり湯船につかりたいシュナとしては迷惑である。
しかしこうも嬉しそうにされては強く叱る気も失せてしまう。
魔王ミリムは、可愛いのだ。
シュナがミリムに世話を焼いている一方で、リムルはマツリに話しかけていた。
ぷかぷかと風呂に浮かびながら他愛もない会話を楽しんでいる。
「マツリ、お食事会はどうだった?」
「喜んでくれたよ。やっぱりシュナは凄いんだ」
「ははは、だろうな。次はパパも」
「それはミリムに聞いてよ」
そこへミリムが泳いでやってくる。
「丁度いい浮きがあるのだ!」
ビート板2枚確保である。
両手にリムルとマツリをガッチリとホールド。
そして容赦のないバタ足で水面をぶっ叩きながら広い湯船を泳ぎ回る。
風呂場でも元気なミリムであった。
「さあ、もう風呂から上がるぞ。風呂の後には牛乳が美味いんだ」
「まだ美味いものがあるのか?」
「ああ。だがすぐに上がらないと無くなっちゃうかもな~」
「すぐに上がるのだ!」
リムルもミリムの扱いにだいぶ慣れて来た。
美味いものを餌に、ミリムを意のままに操るのだ。
風呂から上がり、浴衣に着替える。
人型になったリムルとマツリも浴衣姿である。
湯上りの美少女が5人。
脱衣所はまさに天国のような空間であった。
着替えが終わると、一人のゴブリナが静かに歩み寄る。
手には木の箱。
その中には瓶に詰められた牛乳があった。
「リムル様、マツリ様、こちらをどうぞ」
「おー冷えてるねぇ」
「冷たいねー」
リムル達の為だけに魔法で冷やされた
風呂上がりに冷たい牛乳が飲みたいとリムルが呟いた結果、いつの間にか毎日用意されるようになっていた。
なんとこの牛乳、冷えた状態を保つための専門の職業が存在する。
リムルとマツリが風呂に入るのを確認すると係の者が刻印魔法に魔力を流すのだ。
現代人の感覚からすれば冷蔵庫代わりの雑な扱いである。
しかしジュラの森の文明レベルを考えれば、夏に冷えた飲み物を飲めるのはとんでもない贅沢だ。
そんな贅沢な品をリムル様とマツリ様の為に御用意するのだから、これは魔国でも非常に名誉ある仕事なのだ。
係の者から冷えた瓶詰の牛乳を受け取り、スライム親子が横一列に並ぶ。
目の前にはミリム。
テンペスト流、風呂上がりの牛乳の飲み方を実演して見せるのだ。
「いいかミリム。風呂上りはこうやって牛乳を飲むんだ」
「よく見ててね」
風呂で火照った体に、浴衣をゆるく纏う。
左手は腰に当て、右手に牛乳瓶。
脚は肩幅。背筋は伸ばす。
大きく息を吸って……
グイッっと流し込む!
「ぷっはー! やっぱ風呂上りはコレだよな!」
「冷たい牛乳が気持ちいいんだよね!」
うんっっっま*1……
とはならず、普通のリアクションであった。
「早く! 早く私にも飲ませるのだ!」
「大丈夫だよ、ミリムの分もあるから」
手渡された瓶を握りつぶさないようそっと受け取るミリム。
そして教えられた通りのポーズで牛乳を流し込む。
ごくごくと喉を鳴らし、あっという間に飲み干してしまった。
「美味いのだ!」
ミリムのはじけるような笑顔。
口には白い髭が付いている。
「飲み終えた瓶はこちらへ」
「おう、サンキューな」
「明日もよろしく!」
「はい、お待ちしております。リムル様、マツリ様」
牛乳係のゴブリナは手際よく瓶を回収し、主たちの邪魔にならぬよう速やかにその場を後にした。
「美味しい料理に加えて泳げるほど大きなお風呂……そして冷たい牛乳。この町はとんでもないのだ」
「そうなの?」
「そうなのだ。ここで生まれるなんてマツリはずるいのだ」
「ずるいって言われてもなぁ。あれ、ミリム眠いの?」
「眠くないのだ。まだ遊ぶのだ……」
ミリムはいつの間にか眠そうに目をこすっていた。
昼間にはしゃぎまわった興奮と温泉のリラックス効果が眠気を誘うのだろう。
しかし今寝るのは嫌なのか、少し不機嫌そうな表情だ。
寝ない寝ないと駄々をこねる子供が一人。
リムルの出番である。
「今日はもう寝ろ。また明日でいいだろ?」
「嫌なのだ……まだ寝たくないのだ……」
「あーもったいない、明日朝早く起きれば美味しい朝ごはんを用意してやるんだけどなー。このまま夜更かしして寝坊したら朝飯抜きになるかもなー」
「……寝るのだ」
これにて任務完了。
ミリム様係がすっかり板についたリムルであった。
☆
夜、リムルは幹部を集めて宴会を開いた。
今日一日のミリムの様子を幹部たちに伝え、今後の方針について話す……というのが一応のお題目だが、実際はリムルが愚痴を言いたかっただけである。
ちなみにミリムは客用の寝室で寝泊まりすることになり、シュナが寝かしつけに行っている。
畳モドキの床に、寝具は布団。
魔国では一般的なスタイルの部屋である。
もちろん魔王なので最高級の個室を用意した。
一方マツリは寝る必要がない。
リムルが宴会への参加を確認したところ、こんな返事が返って来た。
「宴会? いく!」
聞くまでもないのだった。
いつもの宴会場に夜食と酒を並べ、すでに準備は整っている。
早く酒を開けたいとソワソワするリムル達。
そこへミリムを寝かしつけに行っていたシュナがやってきた。
開始の合図だ。
「乾杯!」
「「「乾杯!」」」
乾杯の音頭は、お祭り大臣の役目である。
そしてマツリはふらっと席を立ち、お酌とお喋りをして回る。
いつものスタイルだ。
リムルはどっしり腰を落ち着けて酒を飲む。
その隣にはシュナ、反対側にはシオンが座り、交互に酒を注ぐのだ。
「シュナ、ミリムの様子はどうだった?」
「ぐっすり眠っていらっしゃいますよ。疲れていたのでしょう」
「まぁ、あれだけ騒げばな……」
というか、ミリムって寝るんだな。
眠そうに目をこするミリムを見てリムル抱いた感想がそれだった。
「睡眠を必要としない奴だったらいよいよ手に終えなかったかもな」
「ははっ、その時はリムル様が付きっきりですね」
「おいベニマル、お前楽しんでないか? こっちの身にもなってくれよ」
「まあ眺めてる分には面白いですよ」
「ったく気楽なもんだな……こっちは重労働だよ。俺の傍を離れないって約束も速攻で破られるし、言う事を全く聞かないし」
「子供なんてあんなものですよ。むしろ何故あんなに上手く扱えるのか不思議なくらいです」
「子供……というかミリムは分かりやすいだろ。餌をぶら下げれば食いつく。それだけだよ。何ならベニマルが面倒をーー」
「謹んで遠慮しますよ」
さりげなくベニマルに押し付けようとするリムルだったが食い気味に拒否された。
ベニマルもまた、リムルの扱いが上手いのだった。
「そういえばマツリ様についてはそんな愚痴は聞きませんが、実際どうなんです?」
「ああ、マツリは不思議なほど手がかからないな。ほとんど何もする必要が無いくらいだ。昼はどっかに遊びに行って、夜はちゃんと帰ってくるし」
「ミリム様のように暴れたりしないですしね」
「ああ。流石は俺の子だな」
隙あらばマツリを褒めるリムル。
これにはベニマル以下幹部一同、苦笑いである。
リムルの親バカはともかく、マツリは本当に手のかからない子供だ。
大人しく、器用。
睡眠も不要でお腹も空かない。痛みも感じない。
凡そ生物が感じる不快な感覚とは無縁なので、機嫌を悪くすることがないのだ。
しかし問題もある。
どうやらマツリは恐怖の感情を持っていないようなのだ。
あの魔王ミリムを目の前にして戦いも逃げもせず、平然と微笑んだという。
これは生物として明らかに間違っている。
リムルは声を張り、酒瓶を持って歩くマツリへと話しかける。
「なあマツリ、ミリムに聞いたんだがお前ミリムに脅かされたんだって?」
「脅かす?」
「えーと、つまりだな、わざと怖がらせるって事なんだが……」
「?」
「やっぱり何でもない。気にしないでくれ」
この反応が全てを物語っている。
本人は何かされた自覚すらないらしい。
「……ベニマル、どう思う?」
「主にこんなことを言いたくはないですが、アレはマズいですね。恐怖は魔物……いや全生物にあって然るべき感情です」
「そうですじゃ。この世界で生き残りたくば、危機を察知する能力は必要不可欠。それが全く感知できないとなると厄介ですな」
ベニマルに続き、ハクロウが答えた。
「ハクロウ、そのあたりは
「たしかに敵意を察知することは剣士としての基礎技術ではありますじゃ。しかし本能に根差した恐怖心すら無いとなるとどう修業したものか……」
難しそうである。
マツリの身の安全のためにも危機を察知できるようになって欲しい。
リムルは勿論、幹部一同が同じ思いなのだが。
「まあ、その辺は修行を始めてからだな。ガゼル王とも約束した通りマツリは俺と一緒に剣の修行をするから、その時に考えてみよう。今日は飲もうじゃないか」
結局、解決策は分からずじまいだ。
魔王ミリムとの邂逅によっていよいよ浮き彫りとなったマツリの欠点。
恐怖心の欠如。
手のかからないマツリにリムルが抱く、ほとんど唯一と言って良い悩みだった。