「さて、ミリム歓迎祭も終わった事だし、打ち上げだな!」
「待ってました!」
町を調査に来た人間達との会談も終わり、待ちに待った宴会の時間である。
今日はミリム歓迎祭の当日なのでその打ち上げという立派な名目がある。
別に理由など無くても宴会はやるのだが、名目があると気分が乗るのだ。
「じゃあ皆、宴会場に行こう。ヨウムやフューズ達も来ると良い。俺達の事を知りたいんだろ? だったら宴は外せないぞ」
「は、はあ。それは有難いのですが……良いのですか? 今日来たばかりの良く知らない人間を酒の席に案内するなど……」
「良いんじゃないですか? 初めてここに来た時もリムルの旦那が肉をごちそうしてくれたんですよ。悪いスライムじゃないよって言ってましたし問題ないですって」
「ギルマスは固すぎるのよぅ。リムルさんが良いって言ってるんだから行けばいいでしょ? リムルさん、私は絶対に行くからね!」
「そうでやすよ。今日はお祭りみたいですし、雰囲気を壊すようなことは言わない言わない」
「ふむ……」
エレン達3人は行く気満々だ。
フューズも渋る様子を見せたが、なんだかんだ言ってリムルとの会話でかなり打ち解けたらしくそこまで強く拒否はしなかった。
「まあ、酒を入れて本音で話し合うのも相互理解につながるか。リムル殿、俺も参加させてもらいます」
あくまで打算的な考えで参加するフューズ。
ちなみにリムルは毒無効によって酔わないので、酒の力で本音を漏らすのはフューズだけだ。
「オッケー、席を用意しとくよ。で、ヨウム達は?」
「行かない選択肢はなさそうだが? アンタを抱えてるオレンジのガキがめっちゃ目を輝かせてこっち見てるぞ」
「マツリだよ」
「おう、マツリちゃんか。好きなのか? 宴会」
「好きに決まってるでしょ! なんたって俺はテンペストのお祭り大臣なんだから!」
「そりゃあ結構な事だな。俺達も参加したほうが良いか?」
「うん!」
「じゃあ行くしかねぇな」
ヨウム達ファルムス王国からの調査団も参加だ。
ということで人と魔物の相互理解の第一歩は、宴会という形で踏み出される。
いつもの宴会場は既に準備が整っていた。
飛び入り参加となる人間達の席や食事も完璧に用意されており、宴会の開催を陰で支える裏方の練度の高さが伺える。
「悪いねリグルド。急に34人も増やしちゃって」
「なんのなんの。この程度、このリグルドにとっては大したことではございませんぞ!」
そう言って力強く、しかし丁寧に客人を案内するリグルドにはリムルも感心しきりだ。
日ごろからリムルとマツリの無茶な要求に応え続けた結果である。
「じゃあミリム歓迎祭が無事に終わった事を祝して……乾杯!」
「乾杯なのだ!」
マツリとミリムによる元気いっぱいな乾杯の音頭で宴会は始まった。
魔国の幹部たちは慣れた様子で、人間たちはおっかなびっくりにグラスを掲げる。
脅すつもりは無いのだが、流石の冒険者たちも多くの上位魔人に囲まれれば委縮してしまうのも無理のないことだった。
ミリムは早速シュナの御馳走にうまーうまーと夢中になっている。
シュナはそんなミリムの口元をぬぐいながらリムルへと目配せする。
『ミリム様は私が見ますので、どうぞ人間の皆様とお話なさってください』と視線で語り掛けているのだ。
さすがの気配りである。
シュナの視線の先にはリムルとフューズ。
そしてリムルを挟んで反対側にエレン、ギド、カバルが並ぶ。
フューズも多少は警戒が解けて来たのか酒と食事を味わう余裕があるようだ。
そしてヨウム達だが、リムル達から少し離れた場所で、ファルムス王国の調査団30人が固まって座る形となっていた。
お仲間同士で集まった方が安心でしょうというというリグルドの気遣いなのだが、何となく魔物側と人間側で空気感が分かれてしまい、心の壁が出来てしまっている。
そしてマツリはいつも通りのフリースタイルである。
酒瓶を抱えてとことこ歩く姿が愛らしい。
「こんにちは、人間さん達。俺はマツリ。よろしくね!」
ファルムス王国の調査団へ突撃である。
強面の屈強な男たちなど全く意に介さず、マツリはヨウムの隣へしゃがみ込む。
心の壁などお構いなしである。
「なんか変なとこある? いつどおりの宴会だけど」
「ああ、マツリちゃんか、さっきぶりだな。いやまあ、おかしいっちゃおかしいんだがそういう事じゃないんだ。魔物の町の飲み会、というかこれだけの魔物に囲まれること自体初めてでよ」
「そうなんだ。俺も実は人間は初めてなんだよね。よろしく」
「あ、ああ。よろしくな」
誰とでもすぐに仲良くなれるのは子供の特権である。
「フューズは魔物が嫌いみたいだけど、ヨウムも嫌いなの?」
「まあ、襲ってくるような奴は嫌いだな。けどここに居る奴らは良い奴だと思うぜ。ここのボス……リムルってやつは仲間に慕われてるようだしな」
「俺のパパだから当然だね!」
ヨウムは教養のない男だ。
しかしそれは、裏を返せば柔軟な思考の持ち主とも言えた。
『魔物は悪』という考えに固執することなく、目の前の魔物の態度や人柄をありのまま見る事が出来るのだ。
「リムルさんと話してるフューズとかいうおっさんはまだ警戒心が抜けきってねぇみてえだな」
「怖がることないのにね」
ヨウムとは対照的なのがフューズである。
冒険者として長年活動し今ではギルド長を務める彼はその経験から、『魔物は危険な存在』という確たる信念を持っていた。
過去の経験と生来の真面目な性格からどうしても慎重になってしまう。
「ねえねえ、人間の国ってどんなところなの?」
「どうって……ここと比べれば大したことはねえな。俺の国は大国だが、端っこの方の町に住んでたからな。そこは領主も適当な奴だしあまり良い町じゃなかったぜ」
「お祭りは月に何回やるの?」
「年に2回くらいだ。って月に何回は聞き方がおかしいだろ」
「え、年に2回? 月にじゃなくて?」
マツリにとっては衝撃の事実である。
思わず聞き返すが、ヨウムは冗談を言っているような雰囲気ではない。
カルチャーショックにマツリの顔が驚愕に染まる。
言うまでもないが中央都市リムル以上にお祭り好きな都市は存在しないので、今後もマツリは新たな町の存在を知ってはお祭りの少なさに落胆する羽目になる。
「つまんない所なんだね」
「ここと比べりゃそうだろうが、それが俺の故郷だ。なんだかんだ言って好きな町だぜ」
そう言ってヨウムは笑った。
「はいお酒。じゃあ俺は行くねヨウム」
「おう。ありがとな」
マツリは立ち上がり、酒瓶を抱えてまた別の席へと移動していった。
「
「俺を見て怖がらねぇガキは中々居ないんだよ。これでも結構子供好きでよ、あんな可愛いガキが向こうから話しかけてきたからはしゃいじまった」
「んだよそれ! 似合わねーな!」
わはははとガラの悪い男たちが豪快に笑う。
部外者には入りづらい空気である。
一方その頃、リムルとフューズは酒を飲み交わしつつ共にマツリの様子を観察していた。
シオンのお酌に照れるフューズをエレンが茶化すような場面もあったが、しかしフューズの表情は未だに硬いままだ。
「マツリ君と言ったか。彼は随分とお人よしというか……人懐っこいのですね」
「まあな。それが可愛いんだが、ちょっとは警戒心を持って欲しいと思うよ」
「ははは。その気持ち、良く分かりますよ」
フューズの鋭い視線がエレン達3バカに突き刺さる。
この町に来るまでの道中、フューズはこの3人のせいでひどい目に遭ってきたのだ。
彼等の不用意な行動のせいで何度魔物に追い回されたか分からない。
「しかしマツリの奴、ヨウムの事が気に入ったみたいだな」
「そうなんすか? リムル様」
リムルのつぶやきに、ゴブタが応えた。
「ああ。マツリとあんなにフランクに話せる奴は少ないからな。俺とミリムと……あとお前もか? 町の皆はマツリ様マツリ様と有難がるばかりで対等な友達には中々なれないんだよ。そういう意味じゃお前の気楽な態度は良いのかもな」
「マツリ様は師匠やリグル隊長と違って怖くないんだから普通に話せばいいんすけどね。礼儀がどうとか言わないですし、気持ちが通じれば良いんすよ」
「まあゴブタはもう少しマツリを敬ってくれても良いと思うが」
「ちょ、急に梯子を外さないでくださいよ」
「あはは、悪い悪い」
リムルがこんな軽口を叩けるのもゴブリンの中ではゴブタくらいである。
軽い態度をウザいと感じることもあるが、そんなゴブタとのやり取りで心が和むのもまた事実。
リグルドのようにリムルを敬い丁寧に接してくれるのも良いが、そればかりでは息苦しいと思う事もあるのだ。
それはマツリも、そしてその風貌から畏怖の対象になりがちなヨウムも同じだろう。
強面のヨウムには警戒心の無いマツリが、そして崇拝の対象としか見られないマツリには物を知らないヨウムがぴったりなのだ。
仲良くなるのも当然だった。
「ところでフューズさん、実は近々マツリが剣の訓練を始めるんだが、エレン達によると君も相当な腕前だそうじゃないか。お手本としてウチの訓練に参加してみないか?」
「え、俺なんかが魔物の訓練に? 良いのですか? それは軍事機密の漏洩につながるんじゃ……」
「ははは、わざわざ忠告してくれるってことはそのつもりはないんだろ? ウチの戦力やら防衛体制やらをこっそり国に持ち帰ったりするつもりなら話は別だが」
「いえいえ、わが国ではどうあがいてもあなた方には敵いませんし、そんな情報を持ち帰るよりもあなたの信用を得ることの方が重要です。良いでしょう、私もその訓練とやらに参加しますよ」
フューズが了承し、戦闘訓練に参加することになった。
かつて冒険者としてA-ランクにまで登り詰めたフューズ。
的確な判断力と剣士としての技量でここまでやって来たのだ。
兵士たちやマツリの良い見本になるだろう。
そんなこんなで、深夜まで宴会は続いた。
そろそろお開きの時間である。
「さてもう時間だな。名残惜しいがまた次の宴会を楽しみに待とうじゃないか」
「ははは、もう次ですか。やはり愉快な方々だ。あれですな、私もいつまで滞在するかは分かりませんが、こんな大規模な宴会がまたあるなら是非お邪魔したいところです」
初めの方こそ緊張していたフューズだったが、上質な酒とうまい料理、そして場の雰囲気にあてられたのかリラックスした様子。
やはり宴会の力は凄いのだ。
これにはマツリもどや顔を決める。
そして次があればと言うフューズだが、これについては心配いらない。
何故ならここは
「おいおい、何を言ってるんだフューズ君? 次の宴会は明日やるに決まってるだろ?」
「え?」
「明日はフューズ達の歓迎会、そして明後日はヨウム達の歓迎会だ。皆、派手にやろうな!」
「はあ!?」
「それと、ここ最近忙しかったせいで夏祭りの予定を消化できてなかったよな。もう夏は終わってるが、これは絶対に遂行する。これから忙しくなるぞ!」
「いやいやいや、ええっ!?」
驚くフューズ。
しかし魔物の国とはこういう場所なのだ。
慣れてもらうしかない。
「良かったねフューズ! また明日も楽しもうね!」
「はあ……全く呑気な連中だ」
マツリを見てため息を吐くフューズだが、その表情は明るいのだった。
☆
ミリム歓迎祭の打ち上げに始まり、フューズの歓迎会とヨウムの歓迎会。
リムルの宣言通り、3日連続で宴会は行われた。
来客たちはすっかりテンペストの風呂と食事に魅了されたようで、森を行軍してきた疲れをゆっくりと癒している。
魔物達と人間達の関係も良好なようでリムルとしても一安心である。
特にマツリはヨウムによく懐いているようだ。
そして3回目の宴会もいよいよ終わりの時間がやってきた。
宴もたけなわだが、これにてお開きである。
「もう時間か、早いもんだな。よし、撤収」
「ええー、リムルさぁん、もっと飲みましょうよー」
「おいエレン、飲み過ぎだぞ」
「ったくお前ら……。すみません、こいつらは俺が連れて行きます」
すっかり町の一員となったエレン達。
少々羽目を外しすぎな気もするが、中央都市リムルではこれくらいで丁度いい。
「ははは、建物の中で吐くなよ? じゃあ俺はこれで」
リムルはスライム形態のマツリを抱きあげ、リムルの庵へと向かう。
しかしそこへリムルを呼ぶヨウムの声。
「リムル……さん、ちょっといいか。オークロードの件なんだが」
「ああ。構わないよ」
リムルが振り返ると顔を引き締めて立つヨウムが居た。
真っ直ぐにリムルを見据えて語り始める。
「ここは大した町だ。どいつもこいつもリムル様マツリ様の為と幸せそうに働いてやがる。あんたはあの伯爵とは違うってのが良く分かった」
「そうか。お褒めにあずかり光栄だね」
「俺は調査団の
ヨウム達はファルムス王国ではお尋ね者であり、国に戻ればまた更生施設に叩き込まれる未来が待っている。
オークロードの調査で自分達を死んだことにして別の国へ移住し、綺麗な身になってイチからやり直そうというのが彼のビジョンだったのだ。
お目付け役のロンメルも既に彼の味方であり、調査の報酬は受け取った上で国を抜け、また合流する算段だったという。
しかしこの町に滞在すること3日。
彼はリムルが信用できる魔物であり、自分と部下たちの将来を預けられる相手だと納得したらしい。
ヨウムは片膝を床につけ、リムルと目線を合わせる。
「……決めたぜリムルさん。いや、リムルの旦那。俺はアンタを信用することにした。英雄でも何でもなってやろうじゃねえか」
「ああ、引き受けてくれて嬉しいよ」
「ヨウムならきっと凄い英雄になれるよ!」
「はは、マツリちゃんが言うならそうなのかもな」
ヨウムが決心したことにより、ヨウム英雄化計画は本格的にスタートすることになった。
「となると、色々準備が必要になる。まずは明日の朝、俺と一緒に訓練場に来てくれ。英雄に相応しい人物になってもらう為に、まずは戦闘訓練から始めてもらう」
「おう。キッチリ強くなって名実ともに英雄になってやるぜ」
「その意気だ。じゃあまた明日な」
この時はまだ、ヨウムもやる気に満ち溢れていた。
魔物の町で修行して強くなるのだと意気込んでいる。
しかしこの先ヨウムに降りかかるであろう
☆
早朝、まだほとんど魔物の姿が見えない静かな町をハクロウは訓練場へと歩く。
訓練場にはまだ誰も居ない。
今日もハクロウが一番乗りだ。
誰も居ない訓練場の真ん中へやってくると、ゆっくりと剣を抜く。
目を閉じ、ひとつ息を吐いて気を整え……一閃。
ため息が出るような美しい剣筋が空を切る。
それからしばらく素振りが続く。
その動きは水のように滑らかで自在。
しかし同時に、良く研いだ刃物のように鋭利でもある。
正しく達人の技だった。
「ふう……こんなものかの。今日はマツリ様、そしてヨウムの朧流への入門の日。弟子が増えてめでたいことじゃ」
生き生きと独り言を漏らす。
この町にやってきた魔物の中で最も充実した生活を送っているのは間違いなくハクロウだろう。
リムルから預かった弟子達との修行の日々は楽しくて仕方がない。
ゴブタを筆頭に自分に一泡吹かせようと躍起になる者も多くいるが、それもまた可愛いものである。
自分を超える弟子が現れれば本望。
そうでなくても弟子との気の抜けない戦いの日々は楽しい余興なのだ。
「おっすハクロウ。今日も朝から精が出るな」
「これはリムル様にマツリ様。お待ちしておりましたぞ」
リムル、マツリ、ミリム、ヨウム、フューズの5人組が訓練場へやって来た。
今日はマツリとヨウムの初訓練の日なのだ。
「じゃあヨウム。そこの木刀を持ってハクロウの前に立ってくれ」
「おう」
ヨウムはリムルに言われるまま訓練場に用意してある木刀を持ってハクロウの前に立った。
「じゃあハクロウ、早速始めてくれ」
「言われずとも分かっておりますわい」
「は? おいちょっと待っ」
「ほれ何をぼーっとしておる。早く打ち返してこんか」
有無を言わさずヨウムへと木刀で斬りかかるハクロウ。
対するヨウムは否が応でも対応せざるを得ない。
やることは極めて単純。
ハクロウと戦い、生き残る事。
それがこの町における訓練なのである。
まずは小手調べと言った様子で、ヨウムの力量を計るハクロウ。
徐々に剣速を上げつつヨウムの動きを観察する。
ふむ、それなりの剣士ではあるが技術は我流。
しかし体は頑丈で身体能力も高い……
これは伸びしろが大きそうじゃ。
幸か不幸かヨウムはハクロウのお眼鏡に適ってしまったらしい。
ハクロウはニヤリと笑い、さらに激しい攻撃を仕掛けていく。
本当に楽しそうである。
10分程度でヨウムは地に倒れ伏した。
初めてにしては良く持った方だろう。
ミリムがヨウムの頬っぺたをつんつんするが、死んだように反応がない。
「さて、ヨウム殿の初訓練はこんなものじゃろう。さぁ、マツリ様、木刀をお持ち下され」
「この木の棒の事? 木刀って言うんだ」
ヨウムの次はマツリ、今日の本命である。
マツリは木刀を持ってハクロウの前へと歩いて行き、見よう見まねで木刀を握る。
そしてハクロウはマツリが構えるのを待ち──
脳天へと切り込んだ。
「……なぜ防がないのですか」
直撃。
ハクロウが振り下ろした木刀はマツリの頭に数センチほど沈み込んでいる。
「あ、防いだ方が良かった? こっちの方が良いかなと思ったんだけど」
「むぅ……確かにスライムであるマツリ様は受け太刀よりも相手の刀を絡めとってしまう方が得策ではありますがのう」
少しは怖がってくれというのがハクロウの正直な気持ちだった。
傍で見ていたリムル達(倒れたヨウムを除く)も同じ気持ちだろう。
確かに対剣士の戦いにおいて、マツリの取るべき戦術はこれで間違っていないのだ。
相手の斬撃を体で受けてそのまま刀を捕食すれば良い。
剣だろうが槍だろうが、あるいは拳や脚でも同じこと。
マツリがスライムである以上、物理攻撃主体の相手は捉えた時点で勝ちなのだ。
しかしそれは、
「では、これならどうですかな?」
「うあ!?」
再び振り下ろされたハクロウの木刀を肩に受け、マツリの顔が
「それが痛みじゃ。嫌なら防ぎなされ。木刀に当てれば痛みはありませぬ」
ゆっくりと、しかし確実にハクロウはマツリへと木刀を振る。
マツリは先ほどとは打って変わって怯えた表情になり、必死にハクロウの攻撃を木刀で受け止め始めた。
ハクロウが繰り出すこの特殊な斬撃は、
痛覚無効を持つマツリもこの攻撃には痛みを感じるのだ。
「痛い! 痛いよハクロウ!」
「痛いのが嫌ならご自分で防いで下され。敵は待ってはくれませんぞ」
涙を流して後ずさりながら必死に攻撃を防ぐマツリを、ハクロウが打つ。
打つ、打つ、打つ。
何度も何度も。執拗に。
マツリに捌ききれるような生易しい剣撃ではない。
ハクロウの木刀は何度もマツリの体に食い込み、その度に精神ダメージと共に痛みを与えていく。
予想していた光景だが、実際に行われると眼を背けたくなるほど悲痛であった。
これがゴブタならさほど心が痛まないのだが*1、怯えるマツリが相手では抱く印象も全く違う。
事情を知らないフューズがリムルに問う。
「リムル殿、良いのですか? 部外者の俺が言う事ではないでしょうし、魔物の世界の常識など分かりませんが……子供相手にここまで厳しく指導しなくても」
「そうか、フューズさんは知らないんだったな。これはマツリの特別メニューなんだよ」
「特別メニュー?」
「ああ。実はマツリは……生まれつき恐怖の感情が無いんだ。これは俺の想像だが、食欲以外の本能は持ってないじゃないかと思ってる。アイツはスライムだからな」
スライムという魔物はただ魔素を喰らうだけの生き物だ。
目は見えないし音も聞こえない。味も感じない。
当ても無く動き回り、その体に触れた物が魔素を含んでいれば溶かして吸収する。
それがスライムの思考の全てである。
「フューズさんはスライムを倒したことがあるか?」
「そりゃあ、当然あります。森での冒険では良い非常食に……って貴方の前でこんなこと言って良いのですか?」
「いいよ、聞いたのは俺だ。で、そのスライムは逃げようとしたか? あるいは立ち向かって来たりは?」
「いえいえ、私に食われるその時まで全くの無抵抗で……なるほど。彼もスライム。痛みは勿論、死や危険という概念も本能的に理解できず、身を守る行動をとることが出来ないという事ですか」
「ああ。だからこそ恐怖や危機感というものの重要さを身をもって学んでもらわなきゃならない。今までマツリが無事だったのはマツリが強いからだが、それ以上の強者に狙われないとも限らない。そんなときに無抵抗で殺されるようじゃ困るだろ? そうならないためには一度痛い目に遭う必要があるんだよ」
「そうだぞ。ワタシが最初に来たから良いが、他の魔王だったらマツリはただでは済まなかったかもしれぬ」
話に割って入ったのはミリムだ。
リムルの横で、いつになく真剣な眼差しでマツリの訓練を見ていた。
普段のミリムからは想像しづらいほどにシリアスな雰囲気を纏っている。
「……ミリム?」
「この世界では弱い者は簡単に淘汰されるのだ。それがどんなに大切な存在であっても関係ない。悪意を持った存在に相対した時、今のままのマツリではきっと酷い目に遭うのだ」
普段はお子様なミリムだが、しかし悠久の時を生きて来た最強最古の魔王でもある。
その言葉には豊富な経験から来る重みがあった。
確かにマツリは、運が良かったのだ。
最初にマツリを見つけたのがミリムだったのは幸運だった。
もし他の魔王が先に接触を図っていればマツリがどうなっていたかは分からない。
例えば、魔王クレイマン。
もしそうなれば、マツリは一生クレイマンの操り人形である。
あるいはマツリを人質としてリムルはクレイマンに不利な交渉を強要されるかもしれない。
ミリムがこの町に来ていなければ、あり得た未来である。
「自分の身は自分で守る。それがこの世界のルールなのだ」
「そっか。お前も色々考えてくれてたんだな」
「うむ。マツリは私の大事な友達だからな」
ミリムはハクロウに打ち据えられるマツリを見つめながら言った。
両手の拳をぎゅっと握り、助けに入りたくなる衝動を堪えながら。
「強くなるのだぞ、マツリ。誰にも殺されない位に」
喪失の悲しみを知る少女は、祈るようにそう呟くのだった。
心を鬼にしてマツリくんを虐めてみましたが、これは書いている私への精神ダメージが大きい……