傀儡国ジスターブの中心にある王城。その一室。
豪華絢爛という言葉が相応しい広々とした部屋の中、品の良いソファに腰かけワインの香りを楽しむ神経質そうな男が一人。
配下の魔物を意のままに操る
ジスターブの王であり、この世の頂点たる十大魔王の一角である。
「──首尾はどうだったのかしら」
静まり返った部屋に、美しい女性の声が響く。
魔王――この世の頂点の一人であるクレイマンに対して掛けられたその声はごく自然で、緊張は感じられない。
この声の主もまた、この世の頂点の一角なのだろう。
すなわち、魔王。
「上手く行ったようですよ。カリュブディスはミリムによって倒されました。これで貴方の心配事も消えたでしょう──
十大魔王の一角で、種族は
天翼国フルブロジアの女王である。
密室の中に、魔王が二人。
ある重要な取引を取りまとめる為の密談が今まさに行われている。
その取引とは、カリュブディスの討伐依頼。
魔王フレイの要請により、魔王クレイマンがカリュブディスの討伐を請け負っていたのだ。
天空の覇者と名高い
しかしカリュブディスは彼女たちにとって天敵だった。
もし復活したカリュブディスが天翼国を襲えば、被害は甚大なものとなるだろう。
早急に対策が必要だった。
そこに手を差し伸べたのが、クレイマンである。
――私が代わりに何とかして差し上げましょう。心配しないでください。策はありますので。
ところがこれは、マッチポンプである。
ミリムに恨みを持つフォビオを欺き騙し、カリュブディスを意図的に復活させたのが他ならぬクレイマンの仕業なのだから。
復活したカリュブディスが魔国に住むミリムを襲う事も、返り討ちにされることも全て彼の計略の内だ。
しかしフレイはそんな事情は知らない。
いや、知っていたところで他に選択肢など無い。
クレイマンに借りを作ることに抵抗はあったものの、カリュブディスと正面から戦って自国の戦力を消耗するよりはマシだろう。
彼女は迷わずクレイマンの手を取った。
そして今、目的は達成され、今度はフレイがその対価を要求される番というわけだ。
「それで、私は貴方に何を支払えばいいのかしら」
「特には」
「……そう。何が目的?」
その豊満な体でクレイマンにすり寄り、美しく輝く瞳を向けて、フレイが問う。
対するクレイマンは冷静なものだ。
「そんな警戒しないでください。何も企んではいませんよ。ただ一つ……お願いを聞いて欲しいだけです」
「お願い?」
「ええ例えば……
「いいわよ、私に出来る範囲ならね」
カリュブディスを倒す見返りとして、来たる
何を企んでいるのかまでは分からないフレイだが、カリュブディスを始末してもらった以上は従うしかない。
「ありがとう、この借りは必ず返すわ。それじゃあ――」
「おっとフレイ、まだ話は終わりではありませんよ?」
「……何かしら」
「フフ、大したことではありません」
そう言ってクレイマンが指を鳴らす。
すると何もなかったはずの床に机が現れ、その上には
どれも禍々しい魔力を秘めている。
「随分なシロモノじゃない。これを私にどうしろって言うの?」
「貴方はこれを私の指定する人物にプレゼントしてくれれば良いのです。その首飾りを身に着けたが最後、死ぬまで私の言いなりになるように術を籠めてありますので」
「……悪趣味。で、相手は?」
「まずはミリム。そして、例のスライムの子供二人です。くれぐれも失敗のないように」
「そう。気は進まないけれど……あなたには恩があるものね。引き受けたわ」
フレイは首飾りを懐にしまうと、音もなく消えるようにその場を立ち去った。
一人残されたクレイマンはソファに深く座り直し、思案する。
ミリムという切り札を手に入れれば、もはや他の魔王を恐れる必要は無い。
魔王間での私の地位はゆるぎないものとなるだろう。
数万の魂を刈り取り、真なる魔王へ覚醒することも容易い。
そしてジュラの森だ。
あの子煩悩なスライムは子を人質に取れば何も出来まい。
魔物の管理だけを任せ、森の資源を丸ごと掻っ攫う事が出来れば……
ああそうだ。
改めて順調に事が運んでいることを確認したクレイマン。
自然と笑みがこぼれる。
「ククク、作戦は順調。これでようやく魔王レオンを始末できます」
☆
「さてマツリよ、今日は何処へ遊びに行くのだ?」
「えっと今日はね、カイジンの工房に行くよ!」
「分かったのだ! ウタゲもそれで良いな?」
「うん、楽しみ!」
今日も今日とて子供たちは元気である。
姉貴分のミリムに、この町の案内役であるマツリ。
そして生まれたばかりの妹分のウタゲの3人組で町を探検するのがここ最近の遊び方となっている。
しかし今日は少し様子が異なるようで。
(ウタゲ、バレてないね?)
(うん、バレてない。パパとカイジンにもちゃんと言ってあるから、準備はばっちりだよ!)
(よし、行こう!)
マツリとウタゲがこっそり思念伝達で会話する。
今日の遊び場はカイジンの工房なのだが、ここに連れて行くのには理由があるのだ。
「カイジン、来たよ!」
「来たのだ!」
「おう、マツリ坊にミリム様、ウタゲの嬢ちゃんも。いらっしゃい」
「来たか」
出迎えたのはカイジンと、工房に居るはずのないリムルであった。
「む? なぜリムルがここに居るのだ?」
「ミリム専用の武器を作ってやるって前に言っただろ? それがようやく完成したんだよ」
「なにぃ!? それは本当か! 早く見せるのだ!」
「まあ待てって」
「やったねウタゲ。ドッキリ成功!」
「うん、お兄ちゃん!」
喜ぶミリムを見て、マツリとウタゲはハイタッチを決める。
カイジンもリムルも満足気だ。
リムルがミリム専用の武器を手に取って見せる。
それは一言で言えばドラゴンの腕を模した籠手なのだが……武器とは名ばかりのやわらかいミトンのような代物だった。
色はピンクでまとめられており、非常に可愛らしい見た目となっている。
「この武器はドラゴンナックルと言って、腕にはめて使うんだ。ミリムが殴っても皆が怪我しないようにパンチの威力を抑える効果があるんだぞ」
「嬉しいのだ! こんなものを用意してくれるという事は、リムルはワタシと戦いたいということだな!?」
「ああ、うん、えっと、間違ってはいない……かな? 俺も戦闘訓練は必要だと思ってるし。ただ本気で殴り合うって言うのはちょっと遠慮したいって言うか――」
「こうしては居られないのだ! さっそくこの武器を試すのだ!」
「おいちょっと待てミリム! うわ引っ張る力つよ」
おい待て一旦落ち着けぇぇぇ…………というリムルの叫び声が遠ざかって行く。
下手にパンチの威力を抑えると言ってしまったために、ミリムの心理的ストッパーが外れてしまったようだ。
リムルの制止の声ももはや耳には入っていない様子だった。
果たしてリムルは生きて帰ってこれるのか。
そんなミリムとリムルに楽しそうに手を振って見送るのが、マツリとウタゲである。
「仲良しさんだね」
「うん。ミリム嬉しそうだったね」
「お前らは呑気で良いなぁ。父親の命の危機だぜ?」
相変わらず危機感のない子供二人に、冷や汗をかきながらカイジンがぼやく。
マツリが恐怖という感情を持っていないのは幹部以上の者なら皆知っていることなのだが、どうやらウタゲも同じらしい。
スライムと雪スライムの生態にそれほど大きな違いが無い以上、これは当然の事だった。
「なあ嬢ちゃん、命は大事にしろよ? 坊もな」
「うん分かった」
「はーい」
頼り無い返事である。
「まあいい、そんな事より実はお前ら二人にもプレゼントがあるんだ」
「何?」
「これよ」
そう言ってカイジンが工房の棚から取り出したのは、4つの丸い物体。
メロンくらいの大きさで、色は白とオレンジが二つずつ。
異世界人なら、真っ先にボクシンググローブを思い浮かべる形状だ。
「さっきミリム様にドラゴンナックルを渡しただろ? お前達二人にも同じものを作ってあるんだよ」
「それがこのまるいやつ?」
「おうよ。これはスライムナックルって言ってな。まあ見ての通り籠手なんだが、こいつは防御力に特化してる。ゴブリンたちが素手で格闘術の練習をするときに手を痛め無いようにってな。ドラゴンナックルを設計した時に閃いたんだよ」
「おおー」
「なんか凄そう」
スライムの拳なら打撃をしても痛めることが無いだろうというカイジンのアイデアだ。
マツリとウタゲは本体がスライムなのでこのスライムナックルは無用の長物であるが、マツリとウタゲは全力で喜んでいる様子。
「はやく着けさせて!」
「おうおう、そう慌てるなって。ほらよ」
相談することも無くマツリは白の、ウタゲはオレンジのナックルを手に嵌めた。
仲の良い兄弟だ。
「手がお兄ちゃんになった」
「雪スライムが2匹いるみたいで可愛いね!」
ぽよんぽよんと可愛い殴り合いを始める二人。
えいっ、やあっ、と楽しげな声が工房に響く。
喜んでもらえたようでカイジンも一安心なのだった。
ちなみにミリムに連れ去られたリムルだが、町から離れた平野で行われた過酷な戦闘をなんとか生き延び、2日後に無事生還を果たすことになる。
精も根も尽き果て、ボロボロの状態で庵に帰ったリムルを、マツリとウタゲが出迎えた。
「あ、パパやっと帰って来た! 遅いよ!」
「ミリムはどこ?」
「……お・ま・え・ら~~!!」
労うどころか、パパだけミリムと遊んでズルいという感情が言外に伝わってくる。
流石のリムルもこの時ばかりは我が子に対して青筋を立ててキレたという。
☆
数か月が経過したある日の事。
「雪が無くなっちゃう!」
「我慢してよウタゲ。雪が融けたらヨウムが来るんだから!」
「ヨウムなんて知らない! 雪が無くなっちゃやだ!」
冬も終わりが近づき、森を吹き抜ける風も少しづつ温かくなってきた。
日ごとにその量を減らしていく雪を見てウタゲは危機感を募らせ、マツリは歓喜するというのがここ数週間のスライム兄弟の姿である。
「私は雪スライムなの! 雪が良い!」
「ヨウムは雪が融けたら帰ってくるんだからね! 早く融けてくれないと困る!」
「
「あーっ、またパパが雪融かした!」
「わはははっ、どこを狙っておる!」
「パパもっとやって!」
実は今、戦闘訓練の真っ最中である。
リムルがミリムに向けて放った
その炎を目くらましに利用したリムルが刀を構え、背後からミリムに切り込むが――
「そこに居るな?」
「のわーっ!!」
――死角からの攻撃にも関わらず普通に振り向いて構えたミリムに、ドラゴンナックルによるジャブをお見舞いされるのだった。
単なるジャブ、しかも弱体化した状態だが、素の力量が違い過ぎて一撃必殺の威力である。
思い切りぶっ飛ばされて仰向けに転がるリムルにミリム、マツリ、ウタゲが駆け寄る。
「なかなか良くなって来たぞ! リムルが魔王になると言い出してもワタシは反対しないのだ」
「……ならないって」
ミリムは事あるごとにリムルを魔王にしたがる。
余程リムルの事を気に入っているのだろう。実力も申し分ないとお墨付きもくれている。
素直に嬉しいと思うリムルだが、しかしどう考えても面倒なので誘われるたびにお断りしているのが現状であった。
ちなみにリムルと同等の力を持つマツリとウタゲは勧誘を受けていない。
本人たちは面白がって魔王になりたがるのだが、今度はミリムが断るのだ。
「じゃあ俺がなる!」
「私も!」
「お前たちにはまだ早いのだ。魔王は楽しいが、弱い者が名乗ればすぐにやられてしまうのだぞ? お前たちはリムルと違ってすぐに殺されそうだから絶対に魔王を名乗っては駄目なのだ」
こう見えてミリムは経験豊富で思慮深い一面を持つ。
それなりの力を持った魔人が魔王を名乗り、すぐに他の誰かに殺されるという事件も、彼女の生きる時間軸で考えればそれほど珍しいものではない。
和を乱す者、自信過剰な者、身の危険に疎い者は、特に早死にする傾向にある。
魔王は栄光ある肩書だが、同時に危険な立場でもあると深く理解しているのだ。
今のマツリとウタゲでは、到底生き残れない。
二人を心から大切に思うミリムは、姉貴分としてこの事実を優しく諭す。
「良いか二人とも。自分の身は自分で守らなければならぬ。リムルはそれが出来るが、お前達二人は出来ない。私はお前たちに死んでほしくは無いのだ」
「死ぬから駄目なの?」
「なんで死んじゃいけないの?」
「何故って……死んだら終わりなのだぞ? 本当に分からないのか?」
スライムであるが故に理解が難しい、死という概念。
どんなに分かったつもりになっても、本能から来る恐怖心が欠落した彼等には実感が湧かないのだ。
なぜ死んではいけないかなど、普通の生物なら疑問にすら思わないのだが。
そんな二人の様子を眺めながら、寝ころんだままのリムルが呟く。
「何かあってからでは遅いんだけどな……。けどこいつらは本当に何かが無いと理解しないんだろう。自分が死ぬか、あるいは大切な誰かが死んだ時にやっとその意味が分かる」
「うむ。いずれやってくることなのだ。長く生きていればな」
地面に寝転がるリムルをミリムが見下ろせば、その顔に影が落ちる。
顔は笑っているが、リムルはその笑顔にどこか寂し気な印象を受けた。
「……そっか」
一言だけ返し、ミリムを見上げたままリムルは考える。
ミリムにどんな過去があるかなんて俺には分からないが、長い年月の中で親しい者を亡くすこともあっただろうな。
そしてそれは、いずれ俺や子供たちが間違いなく通る道だ。
もしそうなった時、マツリとウタゲの心にも消えない傷が刻まれるんだろうか。
ミリムがそうであるように。
短い黙考を終え、再びリムルが口を開く。
「まあ、これも経験と言えば経験、か。楽しいだけじゃ暮らして行けないもんな」
「随分と達観しているではないか。オマエもまだ子供のくせに」
「ミリムにだけは言われたくねーよ」
「でもパパよりミリムの方が長く生きてるじゃん」
「違うんだよマツリ、こういうのは年齢じゃなくてどれだけ精神が成熟してるかって話であってだな」
「じゃあムキになって言い訳してるパパは子供だね」
「ウタゲ!?」
そんな他愛もない会話で盛り上がる、何でもない冬の昼下がりであった。
さらに数日後。
食堂で朝ごはんを食べてごちそうさまをした直後、突然ミリムがこう言った。
「ワタシは今から仕事に行ってくる!」
ミリムがする仕事と言えば一つしかない。
魔王としてお呼びがかかったという事だろう。
突然の仕事宣言にリムル、マツリ、ウタゲは揃って驚いた顔だ。
「え、仕事って……」
「心配するなリムル。終わったら帰ってくるのだ」
「突然だな、今すぐか?」
「うむ! 他の魔王達にもこの地に手出しせぬよう言い聞かせておくのだ」
「お、おう……。という事は他の魔王に会いに行くのか?」
「うむ! 仕事だからな。じゃあ行ってくる!」
「すぐ帰ってきてねー」
「また遊ぼうね!」
ドレスチェンジで服を着替え、挨拶もそこそこにミリムは飛び去ってしまった。
「去るのも唐突だな。ミリムの監督役もこれでひとまず終了か」
「何するんだろうねー」
「魔王様のお仕事ってなんか凄そう!」
ミリムの姿は既に見えず、上空に伸びるピンク色の光に手を振る3人。
「そういえばいつ帰ってくるか聞いてなかったな。魔王の仕事ってどれくらいかかるんだ?」
「2日!」
「いや2週間くらいじゃない? ねぇパパ」
「俺が知るかよ」
ちょっとした会談や、あるいは敵対勢力を潰すといった簡単な用事であれば、往復の時間も合わせて一週間程度と言ったところか。
オークロードを育て、新たな魔王を擁立するといった長大な計画なら数か月以上はかかるだろう。
しかし魔王の仕事とはリムルにとって、全く未知の領域だ。
あるいはそれ以上にスケールの大きい仕事があるのだとしたら。
「いやそもそも、俺達が生きてるうちに帰ってくるんだろうな……」
なにせ、彼女は数万年以上生きているのだ。
ちょっと出かけると言って、数十年帰ってこないなどということも考えられる。
このリムルの呟きに、マツリはとんでもないことに気付いたかのような顔になる。
「え? もしかしてすぐ帰ってこないの!? ずっと会えないって事!?」
「いや、可能性の話だぞ? ただミリムってすごく長生きしてるから、ちょっとのつもりで何年も留守にするとか普通にやりそうなんだよな……。というか元々住んでたところに半年以上帰ってなかったわけだし、そもそもここに戻るかどうかも怪しいぞ?」
「そんなぁ! 行ってらっしゃいのお祭も宴もしてないのに!」
「落ち着けって。出会いがあれば別れもあるんだ。ミリムだって帰ってくるって言ってたし、心配し過ぎ。そんなに慌ててたらウタゲに笑われるぞ? ……ウタゲ?」
騒ぐマツリとは対照的に、先ほどからウタゲはおとなしい。
しかしリムルがウタゲを改めて見てみると、その頬には涙の跡が。
「ミリムぅ……」
マツリとリムルが騒いでいる横で、ウタゲは静かに泣いていたのだった。
「ウ、ウタゲ!? お前まで!」
「だってパパが帰ってこないとか言うからぁ……」
「言ってない言ってない! そういう可能性もあるってだけでな? 別に帰ってこないって決まったわけじゃなから!」
「パパがウタゲ泣かせた!」
「ミリム……ひっく」
「お、お前ら一旦落ち着けぇ!」
マツリは怒り、ウタゲは泣いて、リムルは場の収拾に大慌て。
何事かと野次馬まで集まってしまい、食堂は大騒ぎだ。
登場も派手だが、去る時も波乱を巻き起こすあたりがとてもミリムらしいなとリムルは思うのだった。