担当ウマ娘になったトレーナーのお話 作:Cutterruin
「トレーナーを持って帰ろうかと思って」
エアグルーヴのやる気が下がった。
なんとなく、そんな文言がその場の全員の頭をよぎる。
ファインモーションがアグネスタキオンのラボを訪れたのは半時ほど前の話である。彼女は白衣姿で、フラスコに入れた液体をしきりに振っていた。
「ん、おや、殿下」
どこかおどけたような呼び方で、タキオンが応じる。ファインモーションは暗幕の張られたラボに目を輝かせながら、
「ここではどんな実験をしているんですか、タキオン博士? 何かお手伝いできることはあるかしら?」
アグネスタキオンはトレーナーにしかわからないような、ちょっと動揺したような顔でトレーナーの方を窺ったが、トレーナーが肩をすくめたのを見て、
「皆の髪の毛をもらってね、DNAの解析を少々」
それを聞いたトレーナーは心中穏やかではない。なまじタキオンが薬学に精通しているから、小学生の理科の実験程度では済まないことをよく知っているからだった。しかし我らがファインモーション殿下は、さっと髪の毛を一本抜いて、ニコニコ笑顔でタキオンに差し出した。
「殿下?」
わざとらしくかしこまった呼びかけに、ファインモーションは不思議そうに首を傾げ、
「だって、タキオンさんは悪い人じゃないでしょう?」
と、一言。
確かに、タキオンに悪意はなかった。薬が偶発的に、異なるものを生み出すのもまた科学の真理である。
しかし、ファインモーションの髪の毛を含んだフラスコが、突発的な地震によって吹っ飛び、それの直撃を喰らったトレーナーが、ファインモーションそっくりになるなど、何かしら、誰かの悪意を感じずにはいられないのだった。
「……で、ファイン? 俺は君にとっての、ドリアン・グレイの肖像画か何かか?」
「まさか。キミのような人材を屋根裏に押し込んでおくのは、あまりにももったいないじゃない?」
「噂になるだろ」
「噂をされるよりも悪いのは、噂すらされないことでしょう?」
「サロメのように破滅するってわかってるのに?」
「キミの首を求めたりしないよ」
「やれやれ、アイルランドは、俺にとっては文学的すぎるな」
ゆるゆると首を振る姿は、とてもファインモーションに似つかわしくないもので、エアシャカールに似ていなくもなかった。
しかし、本当に。俺は今後どのような身の振り方をすればいいのだろう、とトレーナーは考える。王族のそっくりさんというのは、芸人であれば天職だろうが、さすがにファインモーションのそっくりさんが本物のファインモーションのトレーナーをしている、というのは、不正疑惑やら奇異の目やらを向けられかねない。
さすがの理事長も腕を組んだまま固まっている。
「アイルランドはね、とってもいいところだよ!」
「俺にはまだ、ケルトの薄明は早すぎる」
「だったらダブリンの市民になる?」
「悪かったから、もう文学的な返しはしてくれるな」
ため息をつけば、ぷっと頬を膨らませたファインモーションに対面する。
「私の姿形になったことが、そんなに不満?」
「不満というより、逆にファインはどうなんだ?」
「うーん……キミならいいかな?」
「殿下、もう少し自重してください」
「ふふ、それ、鏡に向かって言ってみる?」
アイルランドは妖精の国だという。
ということは、この姿になってしまったのも妖精の悪戯によるものか。そんなわけない。
「大丈夫? 私とレースしてみる?」
「ファイン? ふざけてる場合じゃ……」
「名案!」
固まっていた理事長が、突如として再起動した。
「二人が入れ替わって成績を収める、という疑惑を持たれてしまうなら、いっそメイクデビューするのもありかもしれない!」
「いや……理事長?」
「とりあえず、走ったら悩みも消えるのではないでしょうか?」
「……たづなさん?」
「ふふ、自分と競争かぁ! 面白くなりそう!」
「……ファイン?」
遠からず、ファインモーションのトレーナー兼影武者兼、そっくりさんアスリートという立場に置かれる光景を幻視し、トレーナーは、ファインモーションらしくもないため息をつくのであった。