黒潮皐月賞も終わり、梅雨の季節がやってきた。6月、黒潮ダービー。ハルノナナクサの目標であるGIに進む為には、絶対に勝たなくてはならない登竜門。ここを勝つ事で、中央主催のレースであるジャパンダートダービーへの招待を受ける事が出来る。
「そういえば、イブキちゃんは出なくて良かったの?全日本ジュニア」
「ええ。私の目標はあくまで高知の三冠ウマ娘。下手に遠征を行って調子を崩してはたまりませんもの」
「そっかぁ……私なら出るのになぁ」
「……そうですわね。貴方なら出ると言うでしょうね」
そう言って、彼女は先に走っていってしまう。なんだか不思議そうに後ろを追いかけて行く。ちなみに、二人は合同トレーニング中。今の高知世代で最強の二人ということもあってか、高知の学園中が二人のトレーニングに注目していた。
「(……本当は、出た方が良い事は分かっていました。けれども)」
トレーナーは言った。出た所で勝てる可能性は低い。高知のレベルは他とは比べ物にならない程に低い。現実を突きつけられても耐えられるなら一緒に行こう。と。
「(……私は逃げ出してしまいました。だからその分……せめて!高知で結果を出さねばなりません!)」
更に速度を上げていく。ハルノナナクサも置いていかれないように必死に脚を動かす。これが高知最強の競り合いか、と周りが固唾を飲む中、二人の心境はてんで違う方向に向いていた。
三冠を目指す女王。
GIを志す勇者。
今日も、高知トレセンの夕日はゆっくりと沈んで行った。
「それで、一緒にトレーニングをしてみて何か分かったか?」
「何も分かりませんでした!」
ずこー!と転ぶ一同。彼女の弱点を探る為に合同トレーニングを申し出たのだが、特にこれといって分析できた訳では無いようだ。
「まあ、お前に期待しすぎた俺が間違ってたよ。それよりオータム、シラユキ。説明してやってくれ」
「はい。ナナクサが目指す次のレースは高知優駿、通称黒潮ダービー。ダートの1900mのレースで、普段より長めの距離が特徴である」
「地方にしては……ですが。スタミナ勝負が得意なあなたには有利なコースと言えます。ここで勝てなければ、GIは当分難しいですね」
「うんうん……ありがとう二人とも。そうなると、いつものロングスパートが今までより有効なコースって事になるのかな?」
「その通りだ。君の強みが存分に発揮されるコースと言っても良い。クラシックでカミノイブキに勝つなら、このコースしかない」
間違いなく、千載一遇のチャンスと言えるだろう。ハルノナナクサはいよいよ現実味を帯びてきた勝利に、ワクワクと胸を踊らせる。
「ただし。それでも君の方が不利な事には変わりない。幾つも策を投じて必ず勝利を掴みに行くぞ」
「……はいっ!」
対する陣営も、このレースが最も鬼門になることは理解していた。元々マイラー気質が強い彼女に、やや延長気味に近い距離。更に相手はステイヤーの気質が強い。三冠を目指すのであれば、ここからの二戦が一番の難関であることは明白だった。
「大丈夫。スタミナは努力で補える。必ず君が勝つ事が出来るよ」
「……ありがとうございます」
「……不安?」
「はい。……正直に言いますと」
「そっか……君はやれるだけのことをやってきた。大丈夫。必ず勝てるよ」
「……はい」
それでもやはり、恐ろしい。彼女が三冠の夢を破るのでは無いだろうかと。怯えるような彼女に、トレーナーはそっと優しい抱擁を与えた。
「……大丈夫。自分を信じて」
「……はいっ…!」
ついに迎えた、黒潮ダービー。世代最強の二人がぶつかり合うという事もあり、高知にしては珍しく大盛り上がり。お祭り騒ぎとなり、夜にも関わらず観客席は満席。地元の人達が総出で応援することになった。
「うわー……人がいっぱい!お母さんも来てるかなぁ!」
「来てるかもしれませんね。さて、それよりナナクサさん。作戦の方は覚えていますか?」
「もっちろん!中盤までは抑えて、いけると思ったタイミングでバーン!でしょ?」
「ま、まあ、おおよそソレで合ってはいますが……」
とはいえ、彼女に詳しい説明をした所で、頭が爆発して覚えていられないのは明白だ。この程度の暗記で大丈夫とトレーナーは付け足す。
「今回はライズベリーが引っ張るかは分からない。なんせ、全員が距離延長だからな。故に今回は、スローペースが想定される」
「スローペースだとどうなるの?」
「全員が『仕掛けたい、仕掛けたい』と思いながら、ゆったりと走る事になる。そこで君の得意のスタミナ勝負に持ち込めればベストだが……」
だが……と彼女の紫色の瞳を見つめる。それが出来るような子なら苦労はしない。
「とにかく、早く仕掛けると損だ。行きたいと思っても、約束の場所までは我慢できるか?」
「うん!出来るよトレーナー!……難しいかもしれないけど…」
「ああ。実際に我慢できるかどうかは難しい。タイミングを見極めて、先に仕掛けて勝利するんだ」
「はいっ!分かりました!」
「…良い返事だ!行ってこい!」
「はい!」
…
『さあ今年も高知代表が決まります。黒潮ダービー。一番人気はやはり彼女。やはり、気合いの乗りが違いますね』
『目標は高知三冠ですからね。でも対抗も負けていませんよ。2着続きのハルノナナクサ。今日も気合いを入れてパドックを歩いています』
他に対抗もいないのか、既にこの二人の2強ムードと言った感じ。二人のファンの応援を受けながら、ハルノナナクサはゲートへと収まっていく。
「イブキちゃん。今日こそ負けないよ!GIに行くのは私だ!」
「私も、負けるつもりはありません。三冠を掴むのは私だ…!」
『さあ始まります。高知優駿、黒潮ダービー。さあ全員ゲートに収まって…』
────ガコンッ!
『スタートしました!おっと!ハルノナナクサ出遅れたか?他はまずまずのスタート!』
「嘘だろ!?」
「ナナクサが出遅れた!?」
緊張からの出遅れか。僅かに出が遅れてしまった。しかしレースは待ってはくれない。ガンガン突き進んでいくメンバーを前に、彼女は最後方からのレースとなってしまった。
「(しまった……緊張しすぎたぁ…でも大丈夫……全然巻き返せる…!)」
それでもと、体制を立て直す。ライズベリーが先頭を走り、カミノイブキは変わらず中団の位置。そして最後方にハルノナナクサだ。
『予想通り、ややゆったりとしたペースで流れております。お互いに牽制し合っている様ですね』
「(イブキちゃんが先に仕掛けたら絶対に届かない。約束のタイミングはまだかな……っ!)」
「(ナナクサさんは必ず中団で仕掛けてくる。焦って前に出る必要は無い……!)」
複数人のレースだと言うのに、まるで1対1で競っているかのような不思議な緊迫感。ピリピリと張り詰めるような空気をいちはやく破ったのはハルノナナクサの方であった。
「(……もう我慢できない。約束より早いけど……行っちゃおうっ!)」
───ダンッ!!
と力強い蹴りこみ。なんと、前半の1000mを通過した時点で、ハルノナナクサは勝負を仕掛けに行ってしまった。これには約束をしていたトレーナーも驚き、思わず愕然とした表情を浮かべた。
「お、おいナナクサ!?仕掛けるのはもう少し後だって……!?」
「いや……もしかしたらアレは……」
「ええ……ありえますね」
「二人は分かるのか……?ナナクサが仕掛けた意図が……!?」
したり顔のチームメイトは、こくこくと頷いた。そうこうしている間にも、ハルノナナクサはグングンと加速していく。メンバーをどんどん抜き去り、あっという間に先頭に立って逃げる形になった。
『さあ!ハルノナナクサが仕掛けて既に先頭!残り600m!ダービーを取るのは果たして誰だ!』
「……行かせない…!」
カミノイブキは息を入れると、一気に加速を開始する。信じられないスピードで、ハルノナナクサが開いたバ身差をぐんぐんと詰めていく。
「(やっぱり来た…!でも抜かせないよ!)」
ハルノナナクサも息を再び入れ、最後のラストスパートに入る。残り400m。既に3ハロンも全力で走り抜けた彼女が、落ちない。まだ伸びていく。その信じられないスタミナが、強さが、ついに本格的に発揮されていく。
「はああああああああああああっ!」
「……っ……行かすかぁぁぁぁっ!!」
後ろからは、更に加速するカミノイブキ。ゴールまで残り200m。段々と距離が迫っていく。詰まっていく。どちらが勝つのか。どちらが先にゴールするのか。二人が重なったタイミングで、彼女達はゴール板を一気に駆け抜けた。
「はぁ……はぁ……はぁ……!」
「はっ……はっ……!」
掲示板には、写真の文字。ほとんどハナ差でゴールしたため、どちらが先にゴールしたのか分からないのである。あまりのマッチレースに会場は大盛り上がりとなり、結果発表を今か今かと待ちわびている。
『……結果が出ました!勝ったのは三番!ハルノナナクサだ!高知ダービーウマ娘の誕生です!!』
「「「「ワアアアアアアアアアア!!!!!」」」」
会場のテンションは遂にクライマックスを迎える。観客は立ち上がって拍手を送り、高知とは思えない程に盛り上がりを見せた。優勝したハルノナナクサは嬉しそうに瞳を輝かせて、大歓声に応えた。
「勝った……私が勝った……勝ちましたー!」
「……おめでとうございます…」
「……ありがとう。イブキちゃん。君がいたから、きっと私はここで勝てたんだと思う!」
「……それは僥倖ですわ」
「えへへ。……また一緒に走ろうね」
「…はいっ!」
…
「ただいまー!トレーナー、勝ってきたよー!」
「ナナクサ……お前って奴は……」
おめでとー!と言われるかと思っていたら、何やってるんだと思いっきりお叱りを受ける。それもそうだ。確かに今回はギリギリで勝つ事が出来たが、彼女は作戦通りにレースを運ばなかったのだから。
「なんであのタイミングで仕掛けたんだ……もし途中で失速したら、ダービー勝てなかったんだぞ……」
「あそこで仕掛けないと、多分最後までイブキちゃんに追い付けないって思ったんだ」
「……そうか…」
トレーナーは気付かされた。彼女は無意識にだが、自分の出遅れ分を自分でカバーしていた事に。サマーローズ達は気が付いていたのに、トレーナーである自分は気が付けなかった。情けないことである。
「……わかった。今回はそれで勝てたんだからよしとしよう。よく判断した。偉いぞナナクサ」
「えへへぇ、ありがとうございます〜」
今回の件を経て、トレーナーはついに自信を確信に変えた。この娘ならば、GIに出ることはもちろん、勝つことだって可能かもしれない。この天才的なレースセンスをもってすれば、届くかもしれない。彼女の目標である頂へ。