ブチャラティ率いる護衛チームは、現在ヴェネチアのサン・ジョルジョ・マジョーレ島に到着していた。
ここはボスの最後の指令の場所にして、トリッシュの受け渡し場所だ。
この小さい島には大鐘楼があり、その上に娘を連れてきた時点で任務は終了。
おそらく近くにいるであろうボスかその部下が、トリッシュを回収するのであろう。
島に寄せた舟は護衛チーム全員とトリッシュ、花京院がギリギリ乗れるだけのサイズしかない。
狭苦しい空間に男ばかりすし詰めで、陸地に降りたトリッシュはほっと一息ついたようだった。
退屈そうに舟の上でぶらぶら手を揺らしながら、ナランチャが半目でぼやいた。
「ほんと、なーんにも無かったなぁ」
「ナランチャ、気ぃ抜けたこと言ってんじゃねーよ。ここは何もなくて良かった、だろうが」
フーゴがそういうも、皆多かれ少なかれ気が抜けたのは間違いないことであった。
ボスからの情報にあった例の裏切り者のチームの襲撃もなかったし、あったとしても敵対組織の使いっぱしりが鉄砲玉じみた突撃を仕掛けてきた程度。
熟練のスタンド使いたるメンバーの敵ではなかった。
「亀もすげーけど使いどころ無かったな」
と手の中でワタワタ暴れる亀を転がしながら、ミスタが言う。
急成長するパッショーネを快く思わない古参ギャングの一味が電車で爆破テロを仕掛けたが、その時追手の非スタンド能力者を撒くために使っただけだ。
それもその場でミスタが処分すればよかっただけなので、本当に「お試し」で使ったに過ぎない。
「お前たち、気を抜くな。任務はまだ終わっていないんだぞ」
ブチャラティが申し訳程度に声掛けするも、どうも空気に張りというのは戻ってこなかった。
目の前にたたずむサン・ジョルジョ・マジョーレ教会はすでに夕方で、歴史的建造物たちが濃く暗い陰影を映し出している。
ここはかつてベネディクト会の修道院として用いられていた歴史ある建物だ。
その鐘楼からの絶景は、父娘の再会にはぴったりだろう。
「指令では一人で来いということになっている。ここはリーダーである俺一人で、トリッシュを送り届けることにする」
ジョルノから渡されたブローチを意味深に見つめた後、ブチャラティは振り返って全員に確認を取った。
花京院の淡い笑みの浮かぶ視線とかち合う。
「貴方もそれでいいな、カキョーイン」
「ええ。これ以上はあなた方の領域だ。付いていくとは言わないさ」
あっさりと引く花京院にどうにも怪しいものを感じながらも、ブチャラティは追及するのはやめておいた。
舟から降り、トリッシュを伴ってサン・ジョルジョ・マッジョーレ教会を目指す。
道のりは女の足でもそう遠くないものだった。
真っ白な外観に美しい彫刻、高い天井、斜めに差し込む夕日がアクセントになって無人の館内を広く大きく見せている。
夕暮れの教会内を歩く道すがら、ブチャラティは不安に震えるトリッシュを安心させるようゆったりと話しかけた。
「カキョーインとは知り合って長いのか?」
「ええ。五年前だったかしら。彼とは街のカフェで知り合って。ゴロツキに絡まれていた母を助けてくれたのが始まりよ」
「そうか」
「それからは、私の兄代わりで父親代わりとして、私たちを支えてくれたわ。このイタリアで女の母と私が裏社会に関わらず汚い仕事に手を染めず生きてこられたのは、彼の支援があったからよ」
「……優しい人なんだな」
「ええ」
エレベーターに乗り、上階へ。
震えながらも気丈にふるまうトリッシュに敬意を表し、ブチャラティはその怯えを見なかったことにしてまっすぐに前を見つめる。
つないだ手は緊張に冷たくなっていたが、………緊張に?
やけに軽い手の感触に、汗と違う液体が垂れ、ブチャラティは何気なしに振り返って。
瞬間。
ぽとりと、手だけになったトリッシュが血をぶちまけていることに、気が付いたのだった。
「………ッ、!!!?」
ブチャラティはそこでようやく気が付いた。
ここまでブチャラティたちに娘を護衛させたのは、娘を大事に思っているからではない。
間違いなく己の手で始末をつけるために、病的な慎重さがゆえにここまでトリッシュを連れてこさせたのだと。
ブチャラティの判断は素早かった。
スティッキィ・フィンガーズでエレベーターに穴をあけ、恐らく攫われた方向であろう1階へ向けて走り出す。
そこで、激しい戦闘音が1階中央の広間から聞こえてくるのにブチャラティは気が付いた。
「トリッシュ!」と一言叫び、彼女自身が自らのスタンドで必死で抗っているのを想像し、血の気が引く。
そう大きくもない教会だ。
全力疾走すればすぐにでも広間にたどり着く。
そうしてたどり着いた広間は。
緑色の触手がいたるところに張り巡らされていた。
攫われたはずのトリッシュは失った腕を触手で代用して凛と立ち、目をつむったままであるのにもかかわらず柱の陰に隠れたボスをじっと見つめている。
教会内はショットガンでもばらまいたかのように傷だらけで、そのスタンド能力が彼女本来のもの──物体を柔らかくするスパイスガールとは違う力であることを示している。
トリッシュは聞き覚えのある男の声、花京院の声で鋭く叫んだ。
「撤退だ、ブチャラティ!奴は恐らくわが友と似たタイプの、時へ干渉するスタンド!正攻法では近づくことすらできない!」
「まさか、トリッシュの体内にあらかじめスタンドを潜ませていたのか!?」
「こんなことじゃないかと初めから危惧していてね。ギャングのボスを手放しで信じるなんぞバカのすることですよ」
「………、ひとまず安全圏まで逃げるぞ」
「ええ。言われなくとも!」
言いたいことは数あるが、ひとまずは撤退が先だ。
ブチャラティは花京院に操られているのであろうトリッシュの手を引き、教会入口へ走り出す。
後を追って、見知らぬ人型のスタンド像が足を踏み出した。
トリッシュがチラリと振り返り、目を細める。
「発動時間はおよそ十秒前後、時の停止ではない。特定の秒数、範囲内の人間の意識を停止させる……?いや、違う、これはやはり…数秒間だけ時を『無効化』している、といった方が正しいか」
素早く距離を取り、触手を前後左右360度に張り巡らせる。
その早業、まるで触手そのものが意思を持っているかのような動きだった。
「僕のエメラルドスプラッシュを察知したのは何らかの敵意感知か、それとも未来予知の類か……先ほどの攻撃が時への干渉と考えれば、未来予知の類と考えたほうが納得がいくな」
そして経験に基づく恐ろしいまでの観察眼。
もし敵であったならと思うとぞっとするほどやり手のスタンド使いだ、とブチャラティは改めて思う。
パチン、とトリッシュが軽やかに指を鳴らした。
「少し試すか。ハイエロファントグリーン!」
外まで半径80メートル近く張られたハイエロファントの結界は、その中腹に不意に現れた謎のスタンド像をからめとった。
反応したエメラルドスプラッシュの一斉掃射をスタンド像は両こぶしではじくが、幾つか受けきれず出血している。
その後方に、結界のツタに阻まれて見えないが本体らしい人影が見えた。
「ハイエロファントの結界に反応しないという事は、やはり単なる意識停止じゃない。時を飛ばしているんだ。加えてかなりハイレベルな近距離パワー型。だが近距離戦の経験が少ないのか?あのスペックなら無傷で防げると踏んだんだが……」
「っ、カキョーイン!これ以上接近されるのはまずい!」
「ええ。この体はトリッシュの物。無理するつもりはありませんよ。さぁ、飛ぼうか!」
「飛ぶ?っ、なるほど、遠距離操作型はこういうこともできるのか」
勢いよく射出された触手を二人でつかみ、身を任せる。
多くの触手を建物の間に張り巡らせてあるようで、二人はまるでスパイダーマンのように大脱出を決めた。
向かうは仲間の待つボートだ。
これをどう説明するか、仲間にどう選択を迫るか。ブチャラティはハイエロファントの触手に掴まりながら、事の深刻さに暗く目を伏せていた。
そんな一部始終を鏡の中から観察していたイルーゾォは、ボスが流した血液を無事採取した後、飛んで行った二人の後姿を改めて見送っていた。
「凄まじいな、われらがボスの友人ってのは。手を出す暇もなかったぜ」