ゼンドリック漂流記   作:逃げ男

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3-7.塔の街:シャーン7

設置された罠を解除し、閉じられた扉を打ち壊し、配置されていた大量の異形の軍勢を蹴散らして俺とメイは最下層に到達していた。

 

チラスクは自らの存在を誇示するかのように要塞内を自分の思考波で満たしており、自身が最下層にいることを伝えてきている。俺たちは誘いと知りつつも彼の異形を討つべく下へ下へと降りていった。

 

触角で触れた金属を一瞬で腐食させるラスト・モンスター、蜘蛛と人を掛け合せたようなエター・キャップ、麻痺させた生物を捕食する巨大蟲キャリオン・クローラー、アメーバーに多数の眼球を埋め込んだようなジバリング・マウザー。

 

ゾリアットの秘術によって生み出された異形の種族達が、扉を潜る度に俺たちへと襲いかかってきた。

 

押し寄せるラスト・モンスターの大群などは普通の冒険者であれば涙目かもしれない。だが術者である俺たちにとって金属を腐食させる攻撃は戦士達ほど恐れるものではない。

 

大量のエリクサーによりリソースの消耗を度外視することができる術者の火力は圧倒的である。メイと俺が紡いだ呪文により生み出された火球が、雷撃が、氷嵐が、密閉された空間を蹂躙してそれらの異形に死を振り撒いた。

 

数多の屍を築き上げついに到達した両開きの重厚な扉を、待ち伏せを警戒して《アンシーン・サーヴァント》に開けさせるするとその先には不気味な緑色の光に満たされた空間が広がっていた。

 

時折不気味な影を映し出す培養槽と思わしき液槽が立ち並び、その液体を透過する照明の光がこの部屋の中を染め上げているようだ。

 

直径3メートルほどの液槽が立ち並ぶ部屋の上方にはキャットウォークのように中空に足場が張り巡らされており、その中央にはこの要塞の空間転移を制御する巨大なカイバー・ドラゴンシャードが浮かんでいる。

 

そしてその脇に立つ、異形の影が一つ。その異形の足元には部屋の向こう半分を埋めるほどの巨大な培養槽が配置されている。あの中に、おそらくは奴の言う"特別製の"ドラゴンマークがあるのだろう。

 

 

───大願成就の時は来た。蒐集せしめたか弱き地下竜の力は、シベイの結晶を喰らってその力を増した。

 

汝の器をカイバーで満たし、その力を以て我らが王が封じられている暗黒への道を開くのだ

 

 

腕を広げ、触手を蠢かせながらマインドフレイヤーの司祭は高らかにそう宣言した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゼンドリック漂流記

 

3-7.塔の街:シャーン7

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

戦闘の口火を切ったのはメイの《スコーチング・レイ》だ。高い術者としての技量に裏付けされた三本の閃光が空中を走り、異形の怪物に殺到した。

 

だがその火閃はチラスクに触れる瞬間、水面に触れたかのような波紋を空中に残して消失する。高次生物の有する呪文に対する抵抗力───呪文抵抗が、その肉体に達する前に術式を掻き消したのだ。

 

 

───地上の生物の紡ぐか弱い呪文など、我が身には通じぬ

 

 

強力な精神力を有する彼らはその肉体の外側まで意思の力で覆っている。そうやって形成された一種の力場が、他者の具現化した魔法という現象を拒絶するのだ。

 

返礼とばかりにチラスクの触手が蠢き、その延長線上にイリシッドの意志力によって不可視の鞭が編み上げられる。《エゴ・ウィップ》、打ち据えることで自我を喪失させ魅力に直接ダメージを与えるサイオニックのパワーだ。

 

だがその不可視の攻撃をメイは召喚術士特有の"にわかの移動"によって液槽の影に隠れることで回避した。3メートルほどではあるが自身を任意の位置に転移させる技術で、術者の生存性を高めるという点においては非常に有用な能力だ。

 

目標を見失った不可視の鞭は空しく床を打ち据え、精神力を無駄に消耗させられたチラスクの苛々した感情がこちらに伝わってくる。通常必中である攻撃を回避されたのが気に喰わないのだろう。

 

一方その攻防の最中を縫って、《フライ》の効果を得た俺は中空のキャットウォークへと飛び上がる。不安定な足場を蹴り、彼我の距離を一気に詰めて剣を振るう。

 

彼らゾリアットの係累は見た目に反して強靭な皮膚と構造を有しており、バイシュク山脈で発掘される特殊な金属、"バイシュク鉱"以外による攻撃で傷つけるのは難しいとされている。

 

俺が今振るっているコペシュには、そういったあらゆる素材の特性を模倣することで敵の持つダメージ減少効果を貫通する魔法効果が付与されている。見た目からはバイシュク製には見えない金属武器による攻撃であれば、チラスクの隙を突けるかもしれない。

 

二本のコペシュを構えた俺は転がるような低姿勢で前進すると、間合いに捕えたチラスクへその緑鋼製の刀身を掬い上げるようにして見舞った。

 

だが、俺の考えは想像だにしていなかった手段により無効化される。今まで閉じていたチラスクの左の眼が開かれ、その不釣合に大きな瞳に映し出された空間に存在するあらゆる魔術的効果が抑止されていく。

 

魔法により極限まで鋭さを高められた俺の武器はただの高品質の刃物に成り下がり、それはチラスクの肌に触れるも硬質な音を発して弾き返された。《アンティマジック・フィールド》だ!

 

 

───かつて傷を負い敗北した我が身に、"千眼の王"は力を与えてくださったのだ。

 

さあ、絶望を受け入れよ。我が内側にて久遠を感じるがいい

 

 

"千眼の王"ベラシャイラ! 1万年前にコーヴェアを蹂躙したゾリアットの指導者たち、今もカイバーの地下深くに封じられている6体のデルキールのうちの1体の名であり、ビホルダーを代表とする凶悪なクリーチャーの生みの親だ。

 

どうやら別種の生物の特徴を移植することを得意とするこの司祭の技術の対象には、自身の身すらも含まれていたようだ。小説で登場した際に弓で射られ失った左の眼窩に、魔法抑止空間を生み出すビホルダーの瞳を植え込んでいるとは!

 

だがそれらの情報に驚いている暇は与えられなかった。間合い深く踏み込んでいた俺を狙い、チラスクの触手が伸びる。四本の触手の根元、その中心にはヤツメウナギのようなグロテスクな口が覗いている。

 

触手で絡めとった対象の脳を一瞬で摘出し、喰らう。これがマインドフレイヤーが忌み嫌われる最大の特徴だ。

 

その上、かつてのラピスのように脳の代替物質を秘術的に封入する儀式を行うことで"ヴォイド・マインド"と呼ばれる自我を持った人形を産み出すことも出来るのだ。この秘儀には三体のイリシッドが必要と言われているが、目の前の規格外の存在に対しては何の慰めにもならない。

 

脳を有する全ての生物にとって必殺とも言えるその触手から逃れるべく、全神経を集中して回避に専念する。普段であれば掠めることすら許さない体捌きを可能にしている数々のマジックアイテムがその効果を抑止されており、体の動きが非常に鈍く感じられる。アイテムでドーピングすることに慣れきっていることの弊害だ。

 

まるで粘度の高い液体の中を進んでいるかのような感覚の中、間一髪で触手の間合いから逃れることに成功する。

 

普段であれば無条件で組み付きから逃れる効果を与えてくれるブーツもその力を失っている今、一度囚われればそれは即、死を意味することになる。これでは迂闊に斬り込むことも出来ない。

 

幸いブレスレットの効果は抑止されておらず装備の入れ替えはできるようだが、敵の外皮を抜く効果を今手にしている武装に頼り切っていた俺はバイシュク製の武器を持っていない。

 

敵の防護を貫通する術を失った以上、取り得る手段は"ソード・オヴ・シャドウ"のような大火力で防護ごと叩き斬る事だ。

 

だが組み付きに対する保険を失った今、接近戦は二の足を踏んでしまう。だが呪文は《アンティマジック・フィールド》によって無効化され、例え視界外に逃れて発動させたとしても呪文抵抗を貫くことは出来ないだろう。

 

俺が接近してチラスクの注意を引いている今この瞬間にも、メイは立て続けに呪文を放っているがそれらは全てチラスクの防御フィールドの前に掻き消されている。彼女に大きく劣る俺の技量では、奴の呪文抵抗を貫くことは出来そうも無い。

 

後方へ下がって距離を取りながら次の手を模索する俺に対し、チラスクは余裕の現れかその左眼を閉じると思念波を送ってきた。どうやらメイについては後回しのようだ。

 

 

───抵抗は終わったか? ならば儀式を始めるとしよう

 

 

その言葉が合図だったのか、階下にある培養槽の一つから羽の生えた人影が飛び上がってきた。ハーピーと思わしき翼を背中に移植され、目と鼻を縫い合わされた人体実験の犠牲者が空中を舞いながらその口を開く。

 

だがその口によって紡がれたのは人の心を惑わす歌などでは無かった。喉を中心に移植された特異型ドラゴンマークが輝き、伝わってきたのは冒涜の歌──《ブラスフェミイ》だ。

 

強力な悪の呪力が歌声に乗せて叩きつけられ、格下の生物の生命力そのものを揺るがす。即死と麻痺は免れたものの体に浸透する波動が全身の神経を遮断し、平衡感覚と筋力を奪った。翼持つ者の歌は1コーラスでは終わらず、初撃の影響で朦朧としている俺へ追唱がさらに叩きつけられた。

 

取り落としそうになったコペシュを握り締め千切れ飛びそうになる意識を繋ぎとめようとするが、再び開かれたチラスクの瞳が俺を捉え魔法効果が抑止されてしまう。

 

辛うじて意識を失うことは避けたものの、今の俺は自分の体を支えるだけで精一杯な有様だ。もはや握りしめたコペシュは武器の役目を果たさず、ただ俺の崩れそうな体を支える杖にしかならない。

 

そんな俺の体に異形の者が空中から乗り掛かり、組み伏せる。既にチラスクの瞳は閉じられているが、《ブラスフェミイ》で弱体化されたためにこの程度の非力な連中を振り解くことも出来ない状況だ。

 

レベルで劣る対象を一方的に蹂躙する《ブラスフェミイ》のパワーに、チート装備の数々を全て無効化する《アンティマジック・フィールド》。俺がこの世界で特に注意すべき呪文、その筆頭を争う二つが的確に浴びせられたことで一気に劣勢に立たされた。

 

 

───もはや満足に動くことも叶うまい。さあ、心を静めよ。

 

儀式を行うには感情が波立っていてはならぬ。お前の魂に狂気を受け入れさせてやろう

 

 

もはや自分の勝利を疑っていないのだろう。懐から奇怪な形状のカイバー・シャードが嵌め込まれた短杖を取り出し、チラスクは歓喜に満ちた思考波を周囲に撒き散らす。

 

だが、その宣言に異を唱える者がいた。

 

 

「それが我が同胞の魂を喰らいし凶ツ石か。二度とこのような真似が出来ないよう、ここで砕かせてもらうぞ」

 

 

その声は、突如暗闇から響いてきた。凶悪な魔力が吹き荒れたかと思うとその力は生命を喰らう顎の力を具象化して男の左腕に宿った。

 

いつの間にこの場に現れたのか。その姿を隠す漆黒のローブを纏った男が俺を組み伏せていた異形に左手をかざし指先で触れると、その恐るべき異能が発動し触れたハーピーもどきを絶命させた。

 

《スレイ・リヴィング/生者抹殺》、その名の通りクリーチャーの生命を奪う凶悪な呪文だ。

 

 

「道に迷いカイバーより這い出てきたか。ここは貴様等の存在すべき場所ではないぞ。

 

 どうやらその目が自慢のようだが我が賜り物と比べてみるか? なぁ、ゾリアットの申し子よ」

 

 

突然現れた人影は、《カイバーズ・ゲート》で見失った"腐れの"バルだった。彼は物言わぬ亡骸となった有翼の異形を階下に蹴り飛ばして俺とチラスクの間に立ち塞がった。

 

常人では正しく効果を発揮させることも難しい特異型ドラゴンマーク、その上級マークの力を揮って微塵も乱れを感じさせない。

 

先程俺がかけた《チャーム・パースン》の効果は既に抜けているようだ。その強い意志の力を感じさせる瞳がマインドフレイヤーを睨みつけている。

 

 

───これはこれは。我らの刈り入れを免れた獲物が自ら籠の中に入ってきてくれるとは。

 

歓迎するぞ、地下竜に触れられしものよ。その聖痕を捧げ、我が作品はさらに高みに登るだろう

 

 

その視線を向けられたチラスクはむしろ喜悦に表情を緩めながらその思考を迸らせる。そして閉じられた左の瞼が持ち上げられ、再びその視界にとらえられた魔術回路が抑止されていく。

 

だが、バルはそんなことなど気にならないとばかりに軽やかなステップでチラスクとの距離を詰めた。あまりに気配のないその動きで、彼はチラスクの背後へと回っていく。

 

鍛え上げられた"軽業"技能によるフットワークは狭いキャットウォーク上でもいささかも陰りを見せず、傍からはバルがチラスクの体を通り抜けたかのように見えたかもしれない。

 

いつか戦った時と同じように、その手にはいつの間にか小振りな金属片が握りこまれている。背後から延髄に向かってその紫色の輝きが突き出され、ぬめりとした皮膚へと吸い込まれる。

 

異形の声によらない絶叫が広間を埋め尽くす。痛みを伝播させる思念が爆発し、まるで自分の首に金属片が差し込まれたかのように感じる。

 

色からしておそらくはバイシュク製の暗器だったのだろう、ゾリアットに仇なすこの金属はその硬質の外皮を容易に貫通し、急所を穿った。

 

だが、その一撃で倒れるほど甘い敵ではない。この異形の凶司祭は双方の眼から血涙を流しながらもその生まれ持った強靭な精神力で空間をねじ曲げ、部屋の天井近く、5メートルほどの高さへと自身を転移させた。

 

自らの身体を一時的にアストラル界へと移し、その後物質界の僅かに離れた場所へと顕現させたのだ。《ディメンジョン・ドア》の呪文、そのサイオニック版といったところか。

 

自らはその能力によって空中に留まり、魔法によって飛翔する存在は眼によって呪文を解呪され墜落させる。翼を持たない俺たちを相手にするには有効な位置取りだと言えよう。

 

 

虫けら風情が、よくもやってくれたな───気が変わったぞ、貴様は生きながらにその聖痕を剥ぎ、決して狂えぬようにしながら生き地獄を味あわせてやろう

 

 

ビリビリと空気を震わせてチラスクの怒りが伝わってくる。どうやら奴の注意は完全にバルへと移ったようだ。無論その隙を逃す俺たちではない。

 

メイが準備していた呪文を解き放つ。繰り返した呪文攻撃と《アセイ・スペル・レジスタンス/呪文抵抗分析》によってチラスクの纏うフィールドの弱点を看破した彼女から《ディメンジョナル・アンカー/次元移動拘束》による緑色の光線が飛び、チラスクを撃つ。

 

狙い違えずチラスクの呪文抵抗を貫通したその光は、チラスクの体を覆うと彼の体をこの物質界へと固定した。これで最早、先程のように瞬間移動で逃れることは出来はしない。

 

 

「トーリさん、今です!」

 

 

メイがその呪文を成功させたことを伝える掛け声を挙げ、それに応じて俺はチラスクの左眼の範囲外へ転がり出ると未だ力の十分に入らない左手でブレスレットから取り出したダーツを握りしめて呪文を構成した。

 

右手に握りこんだ物質要素が俺の呪文を受けて変化を起こす───ダイオウの葉がクサリヘビの胃袋を活性化し、自らを溶かす程の酸の塊となる。そしてその酸は一直線にチラスクへ向かって飛んでいく。

 

チートにより最大限まで威力を強化された《アシッド・アロー》はチラスクの胴体に命中するとあっという間にその表皮を溶かし、内臓まで侵食した。再びマインドフレイヤーの声によらない絶叫が室内を満たす。

 

この《アシッド・アロー》は酸の創造と矢弾として打ち出されるところまでが魔法としての効果であり、一度そうやって射出された後は単なる物理現象にしか過ぎない。故に異形の持つ呪文抵抗を無視してダメージを与えることが出来るのだ。

 

そしてこの呪文が飛び交う最中にも、タルカナン氏族の誇る暗殺者は動きを止めていなかった。蜘蛛の巣のような刺繍を施された外套が翻り、着用者に超常の歩行を可能とさせた。

 

 

「無様だな。貴様が同胞に齎した災いの万分の一にも満たぬところではあるが……

 

 これで幕引きとしてやろう。再びカイバーのはらわたへと還るがいい」

 

 

蜘蛛のように壁伝いに天井へと歩を進めたバルは、そう呟くとその足を天井から離した。重力に引きずられて落下するその先には侵食を続ける酸によって苦しむチラスクがいる。

 

両者が空中で交錯する一瞬、再び紫の光が走った。その閃光は既に巨大な空洞を抱えていたチラスクの腹部を横一線に薙ぐ。キャットウォークに音もなく着地したバルが立ち上がったのを合図に、チラスクは上下に分割された。

 

その一撃が止めになったのか、イリシッドの体は浮力を失うと落下していく。自らの研究成果を閉じ込めた培養槽へ派手な水柱を立てて沈んだために姿はすぐに見えなくなったが、緑色の溶液の中にたなびく様に赤い血の色が広がっている。

 

明らかに致命傷だ。即死ではないだろうが、もはや指一本動かすことも出来ないだろう。その上、転移を封じられたとあっては最早助かる術はない。

 

それを見届けながらも《レストレーション/回復術》のスクロールを使用し、《ブラスフェミイ/冒涜の声》で与えられたダメージを取り除く。全身に癒しの光が染み渡り、ダメージ以外の疲労などを消し去っていく。

 

 

「トーリさん、大丈夫でしたか?

 

 結果的には作戦通りでしたけど、私はドキドキしっぱなしでしたよ~」

 

 

決着の切掛となった呪文を放ったメイが、キャットウォークにふわりと舞い降りてきた。彼女の《ディメンジョナル・アンカー》の呪文がチラスクを縛り付けなければ、どれだけ致命傷を与えてもあの異形を逃がしてしまう恐れがあった。

 

超常の力を操る連中は逃げ足がとても早く、ともすれば別の次元界にまで逃げていってしまう。チラスクを確実に仕留めるために、まずはその逃げ足を封じてから攻撃に移る必要があったのだ。

 

まずその逃げ足を封じ、そして可能であれば一気に仕留める。それがこの世界での戦闘の鉄則だ。準備に時間をかけることで戦闘能力が飛躍的に向上するこの世界では奇襲は圧倒的有利を生む。厄介な敵を逃げ落ちさせることで後の憂いとなることを避けるのはとても大事な事なのだ。

 

予めそのことが判っていた俺たちは、まずチラスクの注意をメイから引き剥がすことに注力することにしたのだ。チラスクの左眼や《ブラスフェミイ》という想定外の要素によってプロセスに変化は生じたが、結果的には予定通りだと言える。

 

コルソスの頃から彼女に指導していた敵の呪文抵抗を突破する方法についてもきっちりと運用出来ており、文句の付け所がない。

 

 

「メイの仕事は完璧だったよ。俺のヘマで心配かけたみたいだね」

 

 

メイに労いの言葉をかけつつも、視線は反対の方向へと向けられている。そちらには想定外の要素の一つ──"腐れの"バルの姿があった。メイを背後にしたこの立ち位置は、奇しくも初対面の場面を思い起こさせる。

 

 

「そのように怯える必要はないぞ、冒険者よ。確かに俺の心に詐術をかけた返礼はいずれさせてもらうが、今はその時ではない。

 

 『顔無し』どもからの依頼は果たした。後は囚われの同胞を連れて帰るだけだ」

 

 

バルはこちらを向きながらそう言った。『顔無し』とは、おそらくチェンジリングの事だろう。俺たちの動向は把握していたはずだから、建物が崩れた時点でフォローに動いたということだろうか。

 

あの崩れた建物の中からバルがどうやって脱出したかはこの際どうでもいいだろう。抜け道や脱出手段くらいはいくらでも用意が利く。

 

こちらを見据える彼の表情は上半分がフードに覆われ、口元も腐食によって爛れており真意を読み取ることは難しい。

 

 

「……いいだろう。確かにここでアンタと争うことに利は無いしな」

 

 

バルが俺と"タイランツ"の関係を知っていたとは考えづらい。そういう意味でも彼の言葉には一定の信用がおけるだろう。

 

警戒を解く証として武器を納める。バルを送り込んできたということは、"タイランツ"側が現状に対応した行動を取っているということだ。この要塞は『クローズド・サークル』の秘宝が収められた宝の山だ。

 

俺は無視してきたが上層フロアにも色々なアイテムは眠っているだろうし、この下層フロアも多くの隠し扉が存在した。ここを根城にしていた連中の規模から考えると、相当な財産が貯め込まれていると見ていいだろう。

 

それは"タイランツ"が欲している情報についても言えることだ。彼らがこのことを見逃すとは考えられない。既に何人かのエージェントが送り込まれていても不思議ではないだろう。

 

とはいえ俺はそのどちらにも大して興味がない。ゾリアット由来のユニークアイテムに心当たりはいくつかあるが、ゲーム上ならともかくこの世界でそんな曰く付きの装備を使う気にはなれない。

 

さっさとシャードと同調を行い、テレポートで脱出しよう。そう考えた俺は何の気なしに部屋を見回し、そのおかげで視界の片隅に映った異物に気がついた。階下の巨大な培養槽、その中に満たされた溶液が不自然に波打つと中から何かが物凄い勢いで飛び出してきたのだ!

 

咄嗟にメイを《ディメンジョン・ホップ》で突き飛ばし、自身もキャットウォークの上を転がって飛来したその"異物"を避ける。

 

俺の射程内にいなかったバルはどうしようもなかった。たとえ手の届く範囲内にいたとしても、シャードとの同調を行っていない彼は次元間移動を妨げられて転移することは出来なかっただろう。

 

俺の視界には今、その胸部を尖った柱の先端のようなものに貫かれた男の姿が映っていた。赤黒く複雑な紋様をそのまま実体化したような不自然な物体が階下から伸びている。

 

バルを貫いたその物体は、俺とメイを狙ったものと一緒に培養槽へと引っ込んでいく。同時に階下では培養槽を囲っていたクリスタルの壁面が砕かれる音が連鎖する。おそらくはあの大きな培養槽の中から伸びたものが、他の培養槽を貫いているのだ。

 

無論その行為によって、巨大培養槽を覆っていたクリスタルも砕け散る。内部を満たしていた溶液が溢れ出し、階下には一瞬で緑色の海が現出した。急激な撹拌により霧が生まれ、その直後に強風が吹き荒れると"それ"が姿を現した。

 

鋭いひっかき傷を幾重にも重ねたかのような赤く輝く紋様は曲線を主体として空色に輝く真正ドラゴンマークのものとは明らかに異なっており、それが特異型ドラゴンマークであるということを示している。

 

だが、そのサイズが尋常では無かった。オージルシークスを上回る全長は20メートルほどだろうか。本来ならば皮膚の上に浮き出る二次元上の存在であるはずのその紋様が、実体を持ち俺の眼下で蠢いている。

 

周囲に翼のように広げたその紋様の先には、他の培養槽に沈められていた実験体達が貫かれていた。そしてこの巨大なマークが脈動したその瞬間、哀れな実験体達の姿は消滅する。取り込まれたのだ。バルの姿も既に見えない。

 

だが、そんな中でも吸収されずに残っている異物の姿が一つ。マークの中央上面に、上半身だけとなったチラスクが埋まっている。見ようによってはチラスクの腰から下にドラゴンマークが生えているように見えなくも無い。

 

その体表は特異型ドラゴンマークに覆われ、まるで全身が瘡蓋か刺青で覆われたかのようだ。もはや残された面影はその触手を含めた輪郭だけではあるが、あの特徴的なシルエットは間違ようもない。

 

そこまで観察したところで動きがあった。周囲の存在を取り込んだことでさらに力を増したのか、震えるようにその体積を増しながらこの巨大な特異型マークはその力を解き放った。

 

 

────────────────────────ガァァッ!!

 

 

チラスクの思念波による雄叫びとともにその核となった中枢、数多のシベイの結晶を取り込んだドラゴンマークが強く激しく輝き、放出された力が要塞を強く揺らした。局地的な地震が壁や床を引き裂き、要塞全体が軋んで構造物が擦れる音が叫び声のように木霊する。

 

俺はキャットウォークから投げ出され、落下してくる瓦礫を《フライ》の呪文による空中機動で回避しながらこの謎の物体から距離を取った。

 

今発動したのは《アースクウェイク/地震》の呪文だ。他にも宙に浮かんで広がる紋様の先端では、様々な呪文が発動されている。

 

ある紋様は周囲の水分を蒸発させ、ある紋様からは際限なく蟲の大群が産み出されている。他の紋様の先端は緑色の光を放っており、触れている壁面を分解している。

 

《ホリッド・ウェルティング》に《インセクト・プレイグ》に《ディスインテグレイト》。いずれも強力無比な呪文のパワーだ。他にも炎や氷、電撃と言った様々なエネルギーが紋様の先端から放出されている。

 

《デイ・オブ・モーニング(悲嘆の日)》などの呪的災害に見舞われた土地には、呪文のエネルギーが実体化した『リヴィング・スペル/生きている呪文』というモンスターが生まれることがあるという。

 

さながらこいつは『リヴィング・ドラゴンマーク』と言ったところか。複数の異なる紋様が繋ぎ合わされて形成されたツギハギの紋様竜。その節目にもシベイの結晶が輝いている。

 

 

「トーリさん!」

 

 

そしてそのリヴィング・ドラゴンマークはまだ食い足りないのか、こちらへとその紋様の先端を向けてきた。竜の翼指骨のように幾重にも分かれたそれぞれの紋様から、その先端が伸びてこちらを貫こうとしてくる。

 

メイが《フォッグ・クラウド/濃霧》の呪文によって霧を発生させ敵の視界を遮ったが、どうも視覚とは異なる超感覚でこちらの位置を把握しているようで霧を貫いて幾条もの紋様が中空を疾る。

 

 

───渇く。足りぬ、満たされぬ。この飢えを満たす水を、肉を、いや、血を、脳を、狂気を!

 

 

もはや正常な思考も残っていないのか、千々に乱れた思考波を撒き散らしながらチラスクを起点に紋様が乱舞する。大人の胴体ほどもある紋様の先端が針千本のように伸ばされていく。

 

俺とメイはそれらの合間を掻い潜るようにして飛び回る。紋様の伸縮は単調なためそれ自体を回避することは容易だが、問題はその紋様に秘められた特異型ドラゴンマークの能力だ。

 

紙一重で回避しようものなら、触手が展開しているそれらの呪文効果に巻き込まれてしまう。そのため、紋様がそれらのエネルギーを解き放つ瞬間には大きく余裕を開けて回避する必要があるのだ。これが非常に厄介だ。

 

無論その合間にも立て続けに本体のドラゴンマークの力は発揮され続けている。度重なる《アースクウェイク》によって既に要塞の外壁は大きく欠けており、その隙間からは赤熱した溶岩の海が垣間見える。

 

今ならカイバー・ドラゴンシャードとの同調を行わずともあの裂け目から要塞の外に脱出し、その後に《テレポート》で脱出することは容易だろう。

 

しかしその先にまであの化物が追ってこないという保証はない。あんな高度の呪文を乱発しているのだ、放っておけば遠からず自壊すると思いたい。だがもし俺がシャーンへ転移したところにこの化物が追ってきた場合。塔の街は1,500年前と同様の大崩壊を起こすことになるだろう。

 

そしてこの地下にこの化物を放置出来たとしても、やはりこの化物が地上に現れる可能性は否定できない。同じようなこともメイは考えているだろう。そして彼女がその危険に目を瞑ってこいつを放置して逃げ出すとは考えられない。

 

 

「仕方がない、こいつはここで倒すぞ。 メイ、力を貸してくれ!」

 

 

俺のその声を契機に再び要塞内に攻撃呪文が咲き乱れた。俺が接近することで紋様竜の注意を引きつけた隙に、遠目に陣取ったメイが砲台となって攻撃魔術を展開する。

 

先程チラスクの防御を突き破った鋭い構成の呪文が火線を描いて降り注ぎ、体幹の当たる紋様の中枢部に向かう。だがその放たれた《スコーチング・レイ》は赤黒く輝く紋様に触れることなく掻き消された。

 

続いて円錐状に広がった冷気の放射が紋様竜を包みこむが、撒き散らされた冷気も紋様竜の表面に届くことなく霧散していく。床に微かに残っていた培養液が氷結した直後に踏み砕かれ、氷の擦れる音が響く。

 

 

「ダメです、さっきのとは段違いの呪文抵抗です!

 

 私の構成力じゃ抜けそうもありません!」

 

 

メイの呪文が不発に終わったのを見て俺も呪文を投射する。先程チラスクの胴を焼いた《アシッド・アロー》に火のエネルギーを追加し、万物を融解させる熱と酸が混合された滅びの矢を形成して紋様竜へと放った。

 

だが巨人すら瞬時に絶命させるであろうその魔弾を持ってすら、このモンスターにダメージを与えることは出来なかった。粘度をもった酸がナパームのように燃え上がりながら持続的に巨体を灼いているものの、全く動きが鈍らない。

 

規格外のエネルギーに対する抵抗力──おそらくは完全耐性に近いものを有しているのだろう。どうも呪文による攻撃は効果を期待できそうも無い。

 

そうなると残った手段は物理攻撃。俺は左右の手に構えたコペシュをブレスレットに格納し、替わって"ソード・オヴ・シャドウ"を呼び出してその黒く輝く柄を握り締めた。

 

──狙うは、ただ一箇所。紋様の中心、数多のシベイの結晶が作り出す円環の中央部に座すチラスクの本体だ。末端の紋様部分をいくら攻撃しても効果があるとは考えづらい。長期戦では擂り潰される恐れがあるし、頭を潰しての短期決戦を狙うべきだろう。

 

幸い敵はその巨体も相まって動きは非常に鈍い。単調な紋様先端部の攻撃を掻い潜って接近することは可能だ。最も危険な《ブラスフェミィ》の効果を、武器に《サイレンス》を付与することで無効化した後に俺は紋様竜の中枢目掛けて飛び込んでいった。

 

横を通りすぎていく主要な紋様が一部枝分かれし、ランクの低い特異型ドラゴンマークの能力で俺を迎撃してくるがそんなものは全く脅威にならない。俺は《フライ》の呪文が与えてくれる飛行機動性の限界に近い速度をもってチラスクに肉迫した。

 

 

「(間合いに捉えたっ! 《トゥルー・ストライク/百発百中》!)」

 

 

エレミアとの模擬戦闘で浮き彫りになった俺の近接打撃能力の不足を補うために習得した呪文が、《サイレンス》による静寂の中で音声要素を省略して発動される。

 

効果を発揮した占術が、俺に一種の未来予知に近い洞察力を与える。肥大した空間認識力は周囲の空間の様子をコマ送りにし、その停滞した時間の中で自分の思考だけが加速する。

 

自身の意志によって起こされる体の動作が引き起こす結果を完璧に把握し、現在発揮できる最大の殺傷力を一本の武器へと注ぎこむ。呪文によって与えられた速度と加速を、全身から"ソード・オヴ・シャドウ”へと伝達させる。

 

筋繊維の一本一本をコントロールしたかのような最適な動作で運動エネルギーが黒の大剣へと収束され、空気どころか空間そのものを切断するかのような勢いで致死の魔力で打ち鍛えられた黒いアダマンティンの刃が疾った。

 

胸元に輝く血色の宝石──ブラッド・ストーンと呼ばれる特殊な魔力を帯びたエベロン・ドラゴンシャードの結晶が付与するエネルギーがさらにその勢いを加速させる。

 

チラスクの首に黒刃が吸い込まれ、奴の体表を覆う特異型マークの歪な紋様に"ソード・オヴ・シャドウ"が衝突し───そしてそこで静止した。

 

《サイレンス》の呪文が無ければ、部屋中に硬質の物同士が衝突した大音響が響いていたに違いない。かろうじて剣を取り落とすことは免れたものの、俺の腕には最大威力の斬撃を放った反作用が返ってきており肘から先の感覚が麻痺している。

 

おそらくはあのオージルシークスの鱗をも両断したであろう斬撃を受け止めた紋様は、膜のようにチラスクを覆っておりまさに鉄壁の防御を形成しているようだ。

 

俺が《トゥルー・ストライク》で得た洞察以上の堅牢な防御。最も年経た真竜の鱗に匹敵するほどの硬さを有している。呪文とエネルギー攻撃に対する高い抵抗力に加え、接近戦においても鉄壁の防御!

 

だが、その難攻不落ぶりに驚いている暇はやはり与えられなかった。俺の意識が紋様へと引きつけられている間に、チラスクの触手がこちらの腕を伝うようにして頭部へと向かってきたのだ。

 

一本一本がのたうつ蛇のような動きをしたその触手の根元には、鋭い歯が並んだ真円の口が広がっている。脳を喰らうその必殺の顎から逃れるべく、剣を支えに自身の体を後方へと勢い良く後退させた。

 

中枢部分から離れたことで、こちらに狙いをつけた翼指骨の紋様たちが俺へと殺到する。迸る秘術エネルギーの奔流に押し流されながらも、その勢いを利用するように宙を飛び安全圏まで離脱する。

 

"ソード・オヴ・シャドウ"を消したことで周囲の空間が音を取り戻し、それと同時に俺の腕にも感覚が戻ってきた。

 

 

「痛っ!」

 

 

感覚の戻ってきた腕に、引き攣れたような痛みが走る。視線をやると、先程チラスクの触手が這いずった痕に紋様が残されている。タトゥーシールのようにローブの上から張り付いたそれは、痛みと熱を俺に与えながら腕へと侵食してきた。

 

 

「トーリさん!」

 

 

俺の異変に気付いたメイが、《ウォール・オヴ・フォース》の障壁で紋様竜とこちらを遮断して飛び寄ってきた。不可視の障壁は伸びてくる紋様とその呪文エネルギーを遮り、一時的に安全地帯を部屋の一角に創り出した。

 

 

「大丈夫ですか、トーリさん。腕が……!」

 

 

既に熱と痛みは収まったが、薄手のローブを透かすように特異型ドラゴンマークの赤く輝く光が漏れている。あの僅かな接触の間に、俺の腕は二の腕付近まで刺青を入れたような姿になってしまった。

 

意識をステータス画面に移すと、各キャラクターが習得していた特技枠が特異型ドラゴンマークに塗り替えられているのが解る。今は最下級のマークを上書きされただけに留まっているが、接触が長引けばより高位のマークへと上書きされていくのだろう。

 

ゲームではシベイ・ドラゴンシャードを使用することで特技の取替が行えた。それを考えればシベイの結晶を媒介にドラゴンマークを付与・強化するというのは筋が通っているように思える。

 

なるほど、確かにそう考えれば俺の器は通常の冒険者の七倍は大きいと考えられる。試してはいなかったが、複数のキャラクターに別々のドラゴンマークを習得させることで俺ひとりに複数の真正ドラゴンマークを発現させるという通常ありえないことも出来るかもしれない。

 

 

「……大丈夫だ。このくらいならまだ戦闘に支障はない。メイはまだ大丈夫か?」

 

 

メイにエリクサーを渡しながら、自分のステータスを確認する。1Lv時に選択していた特技が食われてしまった影響でそれらを前提とするいくつかの別の特技も効果を失っているため、能力を著しく制限されているとはいえそれは決定的なダメージではない。

 

 

「はい、どちらかというと敵の注意がトーリさんに向いているようですから私はまだ平気です。

 

 けど、あれだけ強固な呪文やエネルギーへの抵抗があるとなると私の用意している呪文じゃ効果的なダメージは与えられそうもないです」

 

 

メイの術者としての練度は相当なものだ。シャーンに戻っても、彼女以上の術者は五人といないだろう。その彼女で有効打が与えられないとなれば、やはり物理攻撃でダメージを与えるしか無い。

 

問題はあの紋様の尋常ではない防御なのだが……。

 

 

「メイ、すまないが奴の注意を引きつけてくれ。30秒で構わないから」

 

 

そう言ってもう一本のエリクサーを彼女に渡したところで、彼女の展開した《ウォール・オヴ・フォース》による壁が突き破られた。《ディスインテグレイト》のパワーを持つ紋様がついにその力場を文字通り『分解』したのだ。

 

 

「わかりました! トーリさんには指一本触れさせませんから!」

 

 

俺にそう答え、メイは再び俺を中心に《ウォール・オヴ・フォース》による障壁を張り巡らせた。そして彼女はこの力場を砕き得る唯一の紋様の動きを制限すべく、召喚術を展開し始めた。

 

彼女の手元から小さな銀製の輪が消え去ったかと思うと、よく似てはいるがもっと大きな輪が彼女の手から放たれ、紋様へ向かっていきそれを締め付けた。《バンズ・オヴ・スチール/鋼の帯》と呼ばれる拘束呪文だ。

 

紋様の先端に近い部分は即座に《ディスインテグレイト》の効果により分解されていくが、そのパワーの影響が及ぶ範囲は限られている。紋様の中央から根元にかけての部分は押さえつけられており、可動部の根っこを押さえつけられたことで分解の紋様は事実上動きを封じられている。

 

無論そうやっている間にも他の紋様は蠢いている。だが俺に向かった紋様は《ウォール・オヴ・フォース》により遮られ、メイは《レッサー・セレリティ》による高速機動により敵の攻撃範囲内から逃れている。

 

メイはその後も次々と紋様の動きを制限していく。判断力を失っているように見えたチラスクも流石に彼女のことを煩わしいと感じたのだろう。今や紋様竜の意識は彼女に集中している。

 

数本の紋様の動きを封じたとはいえ、十を超える別の紋様が次々にメイへと殺到する。だがメイはその攻勢を呪文による神経加速により全て凌いでいた。

 

通常であればありえない反応速度と移動速度を発揮したことによる"加速酔い"は、彼女の胸に輝くドラゴンマークによって抑えられている。メイは普通の術士であれば意識を朦朧とさせてしまうような連続呪文行使にも耐え、戦闘を続行している。《豪胆のマーク》という、真正ドラゴンマークの発現者に時折現れる稀有な才能の一つだ。

 

だが、いくら術の反動に耐性があるといっても高度な呪文を連発することは出来ない。エリクサーと指輪による補助があるとはいえ、先程の30秒という条件がギリギリだろう。俺は彼女が稼いでくれたその貴重な時間の間に"仕込み"を終えなければならないのだ。

 

脳裏に展開した複数のキャラクターデータを操作し、次々とレベルアップのプロセスを進めていく。特異型ドラゴンマークによる侵食とチラスクの防御力が、予定していなかった成長を俺に強いることになったのだ。

 

7キャラクターの成長を確定させ、俺の体をレベルアップの白いエフェクト光が覆った。それを受けて俺の腕の紋様も剥がれ落ち光の粉になって消える。特技の取り直しで特異型ドラゴンマークを排除しようとしたのだが、上手くいったようだ。直後ジャスト30秒が経過し、メイの展開した力場の壁が消滅する。

 

今や部屋の反対側に移動しているメイを追い、紋様竜は完全に俺に背後を見せている。その隙を突いてチラスクへと直進する俺に気づいて何本かの翼指骨がこちらに向き直ろうとするが、メイが唱えた《エヴァード・ブラック・テンタクル》によって産み出された黒い触手に縛られてそれらの動きは封じられた。

 

俺の手に握られたのはツルハシのような得物だ。強力なシャーマンが自らの肉体に生やした凶悪な刃、その頭部を加工して作られた"デスニップ"という武器だ。頭蓋骨の口腔から生えた鋭い刃はその見た目に違わぬ殺傷力を有しており、ヘビーピックという特化した火力を持つ武装をさらに研ぎ澄ませた殺傷力を誇っている。

 

俺の付加した呪文により一層その殺傷性能を高められた狂気の一刺しが、こちらに向き直ったチラスクの頭部を襲う。

 

《トゥルー・ストライク》によってお互いの動きを洞察することで攻撃の軌道を最適化し、『魔術的防護貫通』の効果がチラスクを覆っていた魔力による反発の力場を外皮へと減退させ、《レイスストライク/幽鬼の打撃》の呪文によりその体表をすり抜けた必殺の刺突がチラスクの額を穿った。

 

 

────────────────────────!!

 

 

直前に使用したバーバリアンの"激怒"能力により増幅された筋力は、本来はバイシュク鉱以外からの攻撃を許さない強靭な異形の骨を易々と穿った。武器に飾られた頭蓋骨がチラスクのそれと衝突するほど深く刃が突き刺さり、異形の声ならぬ叫びが空間を満たす。

 

まるで"デスニップ"に飾られた頭蓋骨がチラスクの頭部に噛み付き、その脳を喰らっているかのようにも見える。『魔術的防護貫通』の一撃を受けたことによりこの異形を覆っていた紋様は粉々に砕け散って剥がれ落ち、粘液に光る肌が露出した。

 

だが明らかに致命傷であるその攻撃を受けてなお、チラスクは反撃を繰り出してきた。消え行く命の灯火の最後の輝きか、その細腕からは考えられないような膂力を持って"デスニップ"を握っている俺の腕を掴むとその触手を寄せてくる。

 

紋様が剥がれ落ちたことで開かれた左眼から発される《アンティマジック・フィールド》が俺の体から機敏な動作を奪い取り、組み付きから逃れる呪文効果を抑止する。その上浮力を失った足元、紋様竜に触れている面からは俺を覆い尽くそうとしているのか、紋様がせりあがって来る。

 

だが、そのペースは遅い。敢えてその触手の射程に留まった俺は"激怒"により強化された筋力でそれらを振り払い、もう一方の手に構えた鈍器を振りかぶるとチラスクの頭部に埋まった"デスニップ"の頭蓋骨へと叩きつけた。

 

オーガメイジの脚の骨を加工して作られた棍棒が"デスニップ"の先端をさらにチラスクの頭蓋へとめり込ませ、さらにその特殊な能力を発動させる。

 

強く叩きつけられたその棍棒に刻まれたルーンが妖しい輝きを放って明滅し、その光でチラスクを包み込んだ。"アンチ・マジック・ルーン"と呼ばれるこのルーンは、打撃された対象の呪文行使能力を抑制する効果があるのだ。

 

続けざまに攻撃を浴びせられ、弱ったチラスクにもはやその体を包む薄い光の膜を振り払うことは出来なかったようだ。

 

後はトドメを刺すだけだ、と棍棒を両手で握りしめた俺だったがその役目は別の者に譲ることになった。チラスクから剥がれ落ちた紋様が奴の背後で形を成したかと思うと、人型を取ったそれは強烈な勢いでマインドフレイヤーに攻撃を放ったのだ。

 

 

「この力は我が同胞たちの魂の力。貴様が奪ったもの、全て返してもらうぞ!」

 

 

先程までのチラスクのように全身を刺青で覆われたその姿は、紋様竜に取り込まれたバルのものだった。全身に特異型ドラゴンマークの輝きを宿した彼は、その鍛え上げられた鋭い手刀で背後からチラスクを袈裟懸けに切り裂く。

 

如何なる呪文の効果によるものか赤い光を纏った手刀は豆腐を切り裂くようにこの異形を再び切断し、紋様から切り離した。さらに周囲の紋様の翼の先端が次々とチラスクに殺到して貫いていく。

 

その攻撃を受け、足元の紋様竜本体が硬直したかのように動きを止める。直後、それぞれの紋様に込められたパワーを撒き散らして崩壊が始まった。

 

断末魔のように最後の《アースクウェイク》が放たれ、それに耐えかねたのか中央に浮かんでいたカイバー・ドラゴンシャードが砕け散り要塞そのものが崩落を始めた。構造物の底が抜け落ち、巨大な石のブロックが下に広がる溶岩湖へ次々と落下していく。

 

足場となっていた紋様竜が崩壊したことで、俺やバルの体も投げ出される。無論俺には《フライ》の呪文が掛かっており、"激怒"状態とはいえ既に付与されている呪文効果を使用するのは何ら問題はないはずだ。だが現実には俺の体は重力に引かれて自然落下を行っている。

 

その原因はすぐに判明した。首から上だけの存在となったチラスクが、その左眼を見開いて俺の直上を落下しているのだ。その周囲には紋様竜に取り込まれていた数多のシベイ・ドラゴンシャードが星のように輝いている。

 

あのような状況でも左眼から放たれる《アンティマジック・フィールド》は健在のようだ。"デスニップ"の一撃を頭蓋ではなくあの左眼窩に叩き込まなかったことが悔やまれる。

 

魔法抑止空間にいるため、もはや奴がどのような思考をしているのかは伝わってこない。だがその顔を見れば俺を道連れにしようとしているのは一目瞭然だ。流石の俺も、魔法が抑止された状態で溶岩の海に放り出されては長くは保たない。

 

落下までは5秒ほど。魔法の効果が抑止される以上、上空にいるメイの呪文による助けは期待できない。数メートルとはいえ頭上に浮かぶチラスクを今すぐ排除しなければ地獄の釜で茹でられる羽目になる。

 

無理を承知でブレスレットから弓を取り出して、ふと気づく。今まで鈍い灰色に染まっていたブレスレット八番目の宝石───"レンジャー"のデータを収めたそれが、青い輝きを放っている!

 

俺がそちらへ意識を移すと周囲のシベイ・ドラゴンシャードが光を放ち、俺の体へと吸い込まれていく。同時に体の芯から溢れてくる活力。どういう理由かブロックされていたレンジャーのデータへのアクセスが解除され、その装備や能力が俺の身に宿る。

 

即座に実体化させた矢筒には様々な種類の素材の矢が納められている。無論、その中にはバイシュク鉱の鏃を持つものも存在した。

 

半ば反射的にその矢を二本番え、立て続けに放つ。"レンジャー"の有する特技、《速射》により時間差をおいて放たれたそれらの矢は狙いを過たずチラスクを貫いた。

 

1本目の矢はチラスクの左眼を穿ち、《アンティマジック・フィールド》を消し去る。そしてその直後に放たれた二の矢はチラスクの触手を掻い潜ってその口腔に突き刺さり、魔法抑止空間が消えたことで弓によって付与されたパワーを解き放つ。

 

突如地底の空間に閃光が走り、どこかから放たれた雷光が彼の異形を打ち据えた。《ライトニング・ストライク》。ゲーム中でも最大の破壊力を誇ったその付与効果は地底空間にすら雷を呼び寄せ、過剰なまでの火力でチラスクを焼き払った。

 

炭化した異形は落下の勢いでその原型を留めずにボロボロに崩れていく。その燃えかすは浮力を取り戻した俺の横を通りすぎて、眼下の溶岩へと降り注いだ。

 

赤熱した溶岩へと吸い込まれた灰は一瞬でその姿を消す。今度こそ、間違いなくチラスクの最後だ。彼の遺骸を追うように、大量の瓦礫が降り注ぐ。俺の頭上にも巨大なトラックほどのサイズの岩塊が迫ってきている。

 

だが間一髪、絶好のタイミングで駆けつけたメイに抱かれ、俺は彼女の唱えた《テレポート》の呪文でこの地下空間から離脱したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……なるほど」

 

 

ベッドに横になったまま、束ねられた紙に目を通す。今読んでいるのは、タイランツが纏めた『赤き手』に関する報告書だ。《イリューソリィ・スクリプト/幻の文》で記述されたこの文章を読めるのは、文の書き手が指定した人物に限定される。

 

現在も彼の軍勢はニューサイアリに向けて進軍中。そのうえ何やらモーンランド───謎の魔法災害で崩壊した、かつてのサイアリ国───に展開しているウォーフォージドの軍勢、"ロード・オヴ・ブレード"が白炉廠で何やら怪しい動きをしているとか。

 

公式シナリオの死霊王が"剣の王"に置き換わっているということだろうか。他人事だからこそこうして平気な顔で読んでいられるものの、実際に自分が巻き込まれていたらこのシナリオを演出した脚本家に呪いの言葉を吐いているに違いない状況である。

 

街の全人口を超えるホブゴブリンの強兵達に、巨人やドラゴンをも擁したティアマトの尖兵達とロード・オヴ・ブレード。いかに故国サイアリを愛する勇士が今も集まりつつあるとはいえ、「それなんて無理ゲー」と言わざるを得ない。

 

 

「僕がこうして横にいるっていうのに、随分とその紙束に御執心みたいだね。そんなに気になることが書いてあるのかい?」

 

 

そう言って俺の耳をそのたおやかな指でひっぱる女性は、シーツの隙間からそのスレンダーな体を覗かせている。先程まではノックダウンしていたことにより閉じられていた翠色の瞳がこちらを覗き込んでいる。

 

肩よりわずか上で切りそろえられた赤茶色の髪、その合間からは猫のような可愛らしい耳が姿を見せている。シーツに隠れていて見えないが、きっと腰には綺麗な毛並みの尻尾も生えているのだろう。

 

そう、彼女の姿は今このシャーンには居ないはずの女性、ラピスの姿そのものである。

 

 

「……いい加減その姿は勘弁してくれないか。なんというか、心臓に悪い」

 

 

無論、実際にラピスが今俺の横にいるわけではない。昨晩の一件が片付いた後に"タイランツ"に赴いた俺はネレイドに誘われるがままに客室へと案内され、そこで彼女の歓待を受けたのだ。

 

今の姿は劣勢になった彼女が、とっておきと称して見せたものだ。確かにその効果は抜群で、俺は一瞬自分の心臓が止まったかと思った。実際にこの状況を知られれば、別の意味で俺の心臓は動きを止められてしまうに違いない。

 

そう思うと病気に完全耐性があるはずの俺の胃がシクシクと痛むように感じてしまう。モンクの"無病身"は変則的能力なのでたとえ《アンティマジック・フィールド》の中でさえも効果を失わないはずなのだが、一体どうしたことだろうか……。

 

 

「フフ、どうやら一矢報いることができたようですし、このあたりにしておいてさしあげますわ。

 

 それにしても本当にラピスとは仲がよろしいようで、驚きましたわ。あの針鼠みたいな子をこんな短期間で懐柔するなんて、一体どんな手を使われましたの?

 

 よろしければ後学のために教えていただけませんか?」

 

 

俺の様子に満足したようで、ネレイドはあっという間に見慣れた姿へと変貌した。チェンジリングの持つ変身能力だ。身長であれば30センチほどの範囲で、体格などはほぼ任意と言っていい範囲で自身の肉体を変化させる能力である。

 

しかもこの能力は幻術ではなく、実際に彼女の肉体自体を変貌させているのだ。本人の口調や癖といったものは自身で真似る必要があるため完全な成りすましとはいかないが、体格すら変化させられるというのはとんでもない能力であることに違いない。

 

彼女たちの商売のことを考えれば、まさにその能力を最大限に活かす事ができる天職だといえる。

 

 

「何度もお互いの命を任せるような危険な山場を超えてきたからね、信頼も生まれるってもんだろう。

 

 それより俺は君たちが知り合いだったってことのほうに驚いたよ」

 

 

本当のことを言えるはずもないので、当たり障りの無いことを口にして誤魔化す。彼女たちはその情報網を活用して、このブレランド国の王室直属エージェントであるキングス・シタデルとも友好的な関係を築いている。

 

俺がお得意様になったとしても彼らが情報屋であることには変わりないし、チートについての情報は決して漏らせない。

 

 

「あの子は昔、南行きの船に乗る前にはこの街で暮らしていたのはご存知かしら。その頃縁があって彼女も私と一緒に働いていたの。

 

 といっても彼女はお客を取っていたわけじゃなく、用心棒としてだけれど」

 

 

確か"タイランツ"は『変身生物』に類するものしかメンバーに受け入れないというルールがあったはずだ。そういう意味ではラピスはライカンスロープであるためにその制限をクリアしている。

 

とはいえ普通はチェンジリングとドッペルゲンガーくらいしかメンバーとは考えないだろうし、想定の範囲外だ。そういう意味では秘匿戦力として都合が良かったのかもしれない。

 

 

「ダースク達が活発に動き始めた頃に、私達の領分にちょっかいをかけてきたことがあるの。その際にはボロマール・クランの連中も裏で手を回してきたりで厄介な事になってきて、未熟だった私は何度か彼女にフォローしてもらって助けられたことが何度がありますの。

 

 でもラピスはその時、派手に立ち回り過ぎてしまって。幹部連中が大勢死んだことで体制の立てなおしが必要になって抗争どころじゃなくなったんだけど、流石にシャーンに留まるのはリスクが高いと考えて新天地に向かったの。

 

 妙なところで縁って繋がっているのね」

 

 

そうラピスの事を話す彼女の顔はどこか物憂げである。かつての友人との別れを思い出しているのだろうか。

 

ダースクはドロアームの支援を受けている犯罪組織だし、ボロマール・クランはアーラムとの深い繋がりもあるシャーン最大の犯罪結社だ。その両方を敵に回したのであれば、確かにこの街で暮らしていくことは難しいだろう。

 

 

「なるほどね……しかし俺が君たちのところ訪ねて大して日数も経っていないのに、よくそんな事まで調べ上げたな。全く、恐れいるよ」

 

 

『赤い手』に関する情報も、秘術呪文によって永続的な精神的リンクを構築している現地のスタッフからリアルタイムで情報を吸い上げているらしい。彼らのネットワークはシャーンだけではなく、コーヴェア中に広がっている。

 

そしてそれはストームリーチも例外ではないということなのだろう。だが俺のそんな考えはネレイドの次の言葉で若干覆されることとなった。

 

 

「フフフ、ちょっとこれについては別の事情がありますの。

 

 実は貴方が私達のところへ来る前に、ラピスからシヴィス氏族の伝達所経由でメッセージが届いていたんですわ。『トーリという男がそっちで厄介ごとに巻き込まれるだろうから、程々に面倒をみてやってくれ』と。

 

 そっけない文章でしたけれど、あの子にこんなメッセージを送らせるなんてどんな人なのでしょう? って当時のラピスを知っている友人たちと話していたところだったんですのよ」

 

 

……これもまた予想外の展開である。俺が抱える厄介ごとを予知したルーあたりの言葉を受けてラピスが動いてくれたのか?

 

 

「なるほど。カロンや君の俺に対する態度が最初から友好的だったのはそういう訳だったのか。

 

 容疑者扱いもあり得ると思ってたんだが、話がすんなり通ったのはラピスが根回ししてくれてたんだな」

 

 

これはストームリーチに戻ったらお礼をせねばなるまい。冤罪からの監獄コースなんてパターンも有り得ただけに、有力なコネに繋いでくれた彼女には頭があがらない。

 

メイを経由したマーザという有力者もいるのだが、シャーンでも有数の富豪である彼女に借りを作るというのも少々厄介だ。その点、"タイランツ"とビジネスで友好的な関係を築けたのは僥倖だと言えるだろう。

 

 

「ま、それはいいとして。あのデカイ要塞はあの後どうなったんだ?

 

 少しでもシベイ・ドラゴンシャードが回収できてるなら嬉しいんだが」

 

 

案の定、"タイランツ"は数名のエージェントを俺の後を追わせる形であの要塞に潜り込ませていた。設置されていた《シンボル》などの罠の解除には難渋したようだが、敵のほとんどは俺とメイが掃除していたし楽な仕事だったのではないだろうか。

 

 

「そうですわね……結局あの構造物の下半分は貴方との戦闘で崩壊、修復の目処は立っておりませんわ。

 

 どうも構造体の四隅それぞれに要となるカイバー・ドラゴンシャードが設置されているみたいで上半分は無事、やや高度を下げたものの今は安定してまだあの溶岩湖の上を飛んでおります。

 

 シベイの結晶は溶岩湖に落ちる前に拾い上げた僅かな数しか取り戻せておりません。タルカナン氏族と共同で周辺にあったノールの集落を制圧したのですけれど、そちらにも奴隷として攫われた人達がいただけでしたわ」

 

 

なるほど。俺は《テレポート》で道中の障害をスルーしたので気づいていなかったが、あの溶岩湖の周辺にはノールの集落があったのか。おそらくは地下竜を信奉するノールの部族達なのだろう。

 

あの空賊やタルカナン氏族の拠点で出会ったノール達はそこの連中だったということだろう。

 

 

「随分と大掛かりな仕事だったんだな……。まぁバルをこっちに回してくれたおかげで助かった事もあるから俺としては問題ないんだが、よくそんな作戦にタルカナン氏族の連中が乗ったな?」

 

 

事前に入念な打ち合わせをしていたわけではなく、ドルガントの僧兵たちがタルカナン氏族の拠点を崩壊させてからの交渉だったはずだ。組織としての戦闘能力が高いわけでもない"タイランツ"との共同戦線をよく受け入れたものだと思う。

 

 

「まぁ、そのあたりをどうにかするのが私達の得意とするところですし。

 

 彼らも身内の多くが連れ去られていたことで利害も一致していましたし、そう難しいことではありませんでしたわ。

 

 そういえばトーリ様が気絶させた氏族の方々は、ちゃんとノールの集落に到着する前に保護しておきました。彼らも作戦には快く協力してくれましたし、その点はご安心くださって結構ですわ。ただ……」

 

 

そこまで話してからネレイドは言いづらそうに口をつぐんだ。俺は読み終えた紙束を丸めて彼女に渡し、その先の言葉を待った。

 

 

「ただ、あのバルだけは今も意識の戻らぬ重体だそうですわ。溶岩湖に落ちる前に拾い上げることは出来たのですが、全身を覆う特異型ドラゴンマークのために治癒の呪文すら通じず、タルカナン氏族の癒し手達では手に負えないとか」

 

 

おそらくバルの体は紋様竜に取り込まれていたことで、あの巨大なドラゴンマークを体に宿してしまっているのだろう。肉体があのマークを受け入れることが出来れば意識も戻るだろうが、それが出来なければ待っているのはおそらく死だ。

 

あの強大なマークの持つ呪文抵抗では並大抵の術者の呪文ではその効果を届けることは出来ないだろうし、要塞が崩壊した今となっては人工的に安定化を行うための技術は失われたと思っていい。バルの運命は、自身の生命力だけにかかっているのだ。

 

 

「そうだな……ま、お守りがわりにはなるだろうし彼にコレでも届けておいてくれないか」

 

 

そう言って俺が取り出したのは瑪瑙に似た輝きを放つ"ストーン・オヴ・グッド・ラック"。その名の通り、所持者に幸運を与える石だ。

 

仕事とはいえ2度助けられたわけだし、そのまま放置しておくのも後味が悪い。ゲームで入手したアイテムとはいえ俺はこの上位互換のアイテムをいくつも持っているし、この宝石自体がこちらの世界にも存在する品だからそれほど問題にはならないはずだ。

 

呪文が通じない以上、このアイテムの与える幸運くらいしか役立ちそうなものがない。バルの生命力が高ければ、この石による一押しで生き延びる可能性も高まるだろう。

 

 

「分かりましたわ。このお預かりしたものはすぐにでも届くように手配しておきますわね」

 

 

ネレイドがサッと手を振ると空中から1体の透明な従者が出現し、石と書類を受け取ると部屋の外へと出て行った。その淀みのない呪文行使はやはり彼女が有能な術者であることを示している。

 

そんな彼女を横目に、俺は後頭部を柔らかな枕に埋めるようにしてベッドに横たわった。あの"トワイライト商会"を発端とする一連の事件はこれで終息したと考えていいだろう。

 

シベイ・ドラゴンシャードを大量に入手するという目的を果たすことはできなかったが、カロンの主導でコルソス周辺にてオージルシークスが沈めた船をサルベージが計画されており、近いうちに不足分の供給を受けることが出来るはずだ。

 

もう一方の目的であった"三つの願い"の指輪は十分な数を手に入れることが出来た。本当にどうにもならなくなったのであれば、この指輪を使ってシベイ・ドラゴンシャードを創りだすことも出来るわけだし今回のシャーン訪問は成功だと言えるだろう。

 

 

「ま、なにはともあれこれで一段落だな。これからもよろしくな、ネレイド」

 

 

俺に不足しているコーヴェアに関する情報もネレイド達に依頼することで集めやすくなるだろう。リナールを初めとするチュラーニ氏族のコネと使い分けることで、この世界の現実と俺の知識の差分を埋めることができる。

 

強力なマジックアイテムを大量に卸してくれるということは、ある程度の信頼関係が築けたということでもある。下手な情報を流すことは出来ないが、お互いにプラスになる関係を築けるはずだ。

 

 

「こちらこそ、トーリ様。ラピスにもよろしくお伝え下さいな」

 

 

そう言って笑う彼女の顔は本当に楽しそうだ。対して俺は帰ってからの事を考えてまるで今日のシャーンの空模様のように憂鬱な気分になるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして三日間が経過した。カロンやネレイドにはあの後何度か会ったが、どうも事後処理で色々と忙しいようだ。アンダーシャーンで確固たる勢力を築いていた勢力の一つが消滅したのだ。その影響は色々と大きいのだろう。

 

対して俺はサプリメントで紹介されていたいろんな店で美食を堪能したり、便利なマジックアイテムを探し求めて魔法街を散策したり、モルグレイヴ大学の大図書館で調べ物を行ったりと気楽な日々を過ごしていた。

 

危惧していたブラックンド・ブックからの呼出なども無く、平和そのものの日常だ。今後シャーンに訪れる際の拠点として治安の良い区画の不動産をマーザの紹介で確保したりもしている。

 

将来メイが《グレーター・テレポート》の呪文を使用できるようになれば、高価なオリエン氏族のサービスに頼らずともシャーンとストームリーチの往復が可能になる。

 

今の時点でも巻物を使用すればその必要はないのだが、このエベロンでは高位呪文の巻物には稀少価値があることを考えれば実際には巻物のほうが高くつくのだ。残り300枚強とはいえ、限られたリソースである巻物を節約するに越したことはない。

 

 

「さて、皆忘れ物はないか?」

 

 

俺達は10日間ほど過ごしたホテルの部屋を引き払い、《タヴィックス・ランディング》へと向かう飛行ゴンドラへと乗り込んだ。

 

 

「また暫くはこの街並みともお別れですね~」

 

 

メイがゴンドラの窓から見えるシャーンの塔林を眺めながら呟いた。初めてこの街に訪れた時と同じように今日は晴れ渡ったいい天気であり、高度を高くとったゴンドラの窓からは塔を超えて遥か南方に広がるサンダー海が見える。

 

 

「私の都合で帰還が少し遅れてしまったからな。ラピス達も寂しがっているだろう。彼女たちにも済まないことをしたな」

 

 

そう口にしたのはエレミアだ。故郷から戻った彼女とも昨日合流している。

 

隣の椅子に腰掛けた彼女が抱える魔法のカバンには、彼女がヴァラナーやシャーンで買った土産物がたくさん詰まっているようだ。

 

彼女と合流したことでシャーンでの用を終えた俺達は、これからストームリーチへ戻ろうとしているのだ。

 

 

「そうだな。シヴィス氏族に頼んで『メッセージ』を送ってもらったけど、余計な心配を掛けているかもしれないな」

 

 

そう言いながらも、むしろ俺としては居残り組のことがかえって心配になってきた。ラピスがついているとはいえ、ルーとフィアはまだ文明社会に馴染みが薄い。

 

ドラウという種族柄、昼間出歩くようなことは少ないだろうが厄介な出来事に巻き込まれていないだろうか。狭い街中に山ほどのイベントが詰め込まれたストームリーチだけに、今更ながら不安になってきた。

 

三者三様の物思いに耽りながらもゴンドラは空を駆ける。やがて来た時とは逆のコースを辿り、ゴンドラは『ターミナス』で最も大きなタワー、ユニコーンの意匠が施されたオリエン氏族のエンクレーヴ・タワーへと降り立った。

 

 

「トーリ様とそのお連れ様方でいらっしゃいますね。どうぞこちらへ」

 

 

飛行ゴンドラの扉を開けたのはブレランド・ブルーを基調とした一目で上質と判る布地に、一角獣の刺繍をあしらった制服を着たオリエン氏族のポーターだ。

 

ゴンドラの御者にチップであるソヴリン銀貨を渡し、快適な飛行に礼を言ってゴンドラを降りるとポーターに荷物を預けて待合室へと案内されていった。入国の時同様、出国手続きがあるのだ。

 

とはいえこれから俺達が向かうのはコーヴェアの法の及ばぬ南方の大陸、ゼンドリックだ。この街で取得した報復許可証──ブレランドの王が、冒険者にゼンドリックの探索を許可した証──を提示すると手続きはあっという間に終了した。

 

元々は最終戦争時に他国への攻撃を冒険者に許可することを国が示した許可証だったものだが、今は未開の大陸から戦利品を持ち帰る許可証へとその姿を変えているのだ。今も残る「報復」の文字はその名残である。

 

普通は出国時にこのような検査が行われることはない。だが、万が一サービスの利用者が犯罪に関わっていた場合《テレポート》で国外への逃亡を図っていれば後々の面倒事となる。

 

そのためオリエン氏族は独自にこのような手続きを設けているのだ。

 

 

「お連れの方の審査が終わるまで、もう暫くこちらでお待ちください」

 

 

審査室を通り抜けた先、広い廊下の壁際に備えられた椅子に腰掛けた俺に、オリエン氏族のアテンダントが飲み物を渡してくれた。

 

通路の先に見える扉の奥には、《テレポート》系の呪文を使用する際に《移動のマーク》のパワーを誘導する"アストラル・ビーコン"が埋め込まれた儀式場があるはずだ。

 

これから俺達が利用する《グレーター・テレポート》にはその手の補助は不要のはずだが、それでもこういった場を使用するのは格式のためだろうか。

 

意匠を凝らされたコップに満たされているのは、心を落ち着ける効果を持つハーブを煎じたらしいお茶だ。いろんな店で同じ香りのお茶に触れた経験からして、かなり有名なブランドなのかもしれない。

 

俺に比べればエレミアとメイは身元もしっかりしているし、それほど待たされることもないだろう。椅子の柔らかいクッションを感じながら二人を待とうとした俺の視界に、突然一人の影が現れた。

 

 

「……随分と腑抜けた顔をしているな、冒険者。

 

 四日振り、といったところか」

 

 

調度の行き届いた通路に似つかわしくないボロのローブを目深にかぶったその男……"腐れの"バルは音も気配もなく現われると距離を詰めてきた。先日とは対照的にこちらが腰を下ろした状況での再会だ。

 

いつの間にか廊下からは氏族の職員らの姿が消えており、音すらも遮断されたかのように失われている。その無音の空間に唯一、バルの呟きと俺がお茶を啜る音だけが響いた。

 

 

「随分と男振りを上げたようじゃないか。あのままドルラーに向かうものだとばかり思っていたんだがね、流石に頑丈だな」

 

 

コップを傾けながら正面に立った男の様子を観察する。紋様竜に侵食されていたチラスクのように目に見える肌すべてが不気味なドラゴンマークで覆われている。

 

 

「ドルラーではない、カイバーだ。いつか我が身が滅ぶ時が来れば、その力はすべて地下竜へと還り我が同胞を導く光となるだろう」

 

 

バルが口を開くたびにそれらの紋様が僅かに光を発して赤い光を放っている。

 

その紋様のパターンは一定ではなく万華鏡のように移ろっており、しかしそのすべてが強力なパワーを秘めていることを俺に感じさせた。

 

 

「そりゃ悪かったな……。で、わざわざ見送りに来てくれたってわけでもあるまい。用件を聞こうか」

 

 

先日まで昏睡状態で、生死の境目をさまよっていたような男がどうやってかわざわざこんな所までやってきたのだ。敵対的な様子には見えないとはいえ、紋様に覆われたその表情を読み取るのは至難の業だ。

 

仮にあのマークの力を十全に振るえるとすれば、この男は"アースシェイカー"タルカナンのようにシャーンの塔林を薙ぎ倒すことも可能な力を持っていることになる。

 

さらにあの時のチラスクのような高い呪文抵抗や防御力場を有しているとすれば、今この男はシャーンで最も危険な存在といっても間違いないだろう。

 

 

「なに、貴様がシャーンを離れると聞いてな。余計な事をしてくれた返礼がまだだったと思い出しただけだ」

 

 

《カイバーズ・ゲート》にある拠点の連中を叩きのめして、魅了の呪文でこの男を支配したことだろうか。その辺りの話はタイランツが調整を行ってくれたという話だったが、バル個人としてはやはり思うところがあるということだろう。

 

バルのその話を聞いた俺はコップを椅子の前に配置されているテーブルの上へと置き、姿勢はそのままで、だがいつでも対応できるように意識をある程度アイテムへと向ける。

 

この廊下はそれほどのスペースはない。大規模な攻撃呪文を放てば建物自体が崩壊する可能性があるし、あの紋様に覆われたこの男に尋常な呪文は通用しないだろう。

 

チラスクに通じた『魔術的防護貫通』が、この紋様と一体化したバルに通じるのか? それが最初に確認すべき事項だろう。だがそんな俺の心情を見通すように、バルは言葉を続けた。

 

 

「そう身構える必要はない。俺もまだ本調子ではないし、お前もここで事を荒立てるのは本意ではないだろう。今日はほんの挨拶だけだ」

 

 

そう言い放つとバルはテーブルの上に懐から取り出したものを置いた。白地に薄い黒の模様が渦を巻くように螺旋を描いている石、俺がネレイドを通じてバルに届けさせた”ストーン・オヴ・グッドラック"だ。

 

だが俺の手を離れた時と異なり、その石は中心から真っ二つに割れていた。かつてその石に宿っていた幸運を招く力は霧散しており、今はすでになんら効果のないただの石へと成り果てている。

 

割れてしまったことで宝石としての価値も著しく減じたことだろう。強大な特異型ドラゴンマークのパワーに耐えられなかったのだろうか。

 

わざわざ価値を減じた品を持ってきて何のつもりかとバルの思惑を測りかねていた間に、さらにこの男は新たな動きを行っていた。

 

バルがその宝石の破片に手をかざすと、如何なる早業によるものか、それぞれの破片は全く別の輝きを放つ宝石へと入れ替わっていた。特徴的な輝きと魔力の波長を放つそれは、シベイ・ドラゴンシャードだ。

 

 

「これは返すぞ。我らタルカナン氏族は施しなど受けぬ。自身の牙の対価としてのみ、我らは糧を得るのだ」

 

 

テーブルを挟んで立ったバルの体から、赤い輝きが放たれた。何らかの瞬間移動に関するパワーか、それともこの場に投射されていたのは幻影だったのか。

 

目に焼き付いたその光の残照を残して、彼の姿は掻き消える。そしてその姿が消えて暫くの後、廊下に彼の声だけが響いた。

 

 

「今回の事は水に流してやろう。だが、次我らに牙を向くようなことがあればカイバーの御名に掛けて貴様を滅ぼす」

 

 

その声が消えるやいなや、廊下が音を取り戻した。吹きこむ風に揺られて植えられている観葉植物の葉がこすれる音と、離れた廊下で氏族の職員が歩く際にブーツが床を叩く音が耳に届く。

 

まるでこの空間だけが周りから切り離されていたかのようだ。今となってはあの男がここにいた証は机の上に残された宝石だけだ。

 

その宝石をブレスレットへと仕舞い込んだところで審査室へ通じる扉が開き、メイが顔を出す。

 

 

「トーリさん、お待たせです~」

 

 

そういって彼女はこちらに寄ってくると、俺の隣に腰を下ろした。彼女の手入れの整った髪から漂う香りが俺の鼻腔をくすぐり、それにより先程まで俺の心に残っていたあの男の残滓は溶けて消える。

 

 

「どうかしましたか?」

 

 

そんな俺の様子がおかしく感じたのか、首を傾げるようにメイがこちらを覗き込んでくる。

 

 

「いや、なんでもないよ」

 

 

最後に少し想定外の出来事があったが、どうやらこれで本当にシャーンとも一旦のお別れのようだ。

 

先程メイが現れた扉からはエレミアが姿を見せ、彼女を案内してきた氏族の職員が俺達を別室へと導く。

 

開かれた扉の向こうには、円形の魔法陣を刻まれた部屋の中央に前回も世話になったオリエン氏族のシベイ・マークの継承者が立っていた。

 

 

「我々オリエン氏族のサービスのご利用、誠にありがとうございます。

 

 シャーンでの滞在が、貴方達のこれからのゼンドリックでの活躍に寄与できることをお祈りしておりますわ。

 

 ソヴリン・ホストの導きが貴方達の上にあらんことを」

 

 

微笑みと共に伝えられたその言葉に応じて、彼女の体を伝う蒼の紋様が光を放つ。オリエン氏族の《移動のマーク》、その最大級のマークから放たれる《グレーター・テレポート》のパワーだ。

 

その光に触れた肉体が物質界から遊離し、アストラル界へと遷移していく。

 

こうして、俺の短くも激しいシャーンでの最初の滞在は終りを告げたのだった。

 

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