ゼンドリック漂流記   作:逃げ男

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閑話5
幕間5.ボーイズ・ウィル・ビー


広く明るいホールの中央に、小さなテーブルが置かれていた。錨をあしらった布が1メートルほどの直径しかない丸テーブルを覆っており、それを囲むように5つの人物が椅子に腰掛けている。その広いスペースに対して少なすぎる人数は、一見部屋の雰囲気を冷たいものへと変えている。だが、テーブルの周りからはむしろ熱気が迸っているように見えた。

 

 

「以上が報告だよ。何か質問はあるかい?」

 

 

5人の中でもひときわ小柄な人物──女性のノームが言葉を打ちきると、太い腕がテーブルを叩いた。

 

 

「ふん。エルフもどき共の船が沈んだくらいの事、わざわざこの場で報告することのことではなかろう。

 

 それとも氏族長でもその船に載っていたのか? もしそうだというのなら祝杯の一つでも挙げてやるんだがな!」

 

 

大声でがなりたてたのは老年のドワーフだ。編みこまれた長い顎髭の白さと長さがその顔に刻まれた皺以上に彼の年輪を示しているが、鍛えられた肉体がその衰えに抗っており、その力が健在なことは着込まれたミスラルのチェインシャツを押し上げる筋肉の束が教えてくれる。ストームリーチがガリファー王国によって開拓された時からストーム・ロードとしての地位にあり、今年で260歳を迎えてなおヨーリック・アマナトゥはその覇気を減じていない。

 

彼の一家は元々ラザー公国連合での王冠を巡った争いに敗れてこの地に流れてきたのだが、その時代にはリランダー氏族の商船を幾度も獲物とし、その護衛船と激しい戦いを繰り広げていただけに彼の氏族のことを良く思っていないのだ。むしろ自身の宿敵と考えているほどであり、今しがた為された報告についても文句をつけながらもその口元を歪めて笑みを浮かべている。だがストーム・ロード達は一枚岩ではない。そんな彼と立場を対極とする者が存在するのだ。

 

 

「事はそう単純な話ではない。

 

 順調に回り始めた新航路にケチがついただけではなく、目と鼻の先でこう何度も船を沈められては我々の沽券に関わるというものだ。

 

 それともその老体同様、矜持まで枯れ果てたのかね? もしそうであるならそろそろ後進に家長の席を譲った方がいい」

 

 

ヨーリックに食って掛かったのはハーフエルフの男だ。その体の半分を占める妖精の血がその年齢を判別しがたいものにしているが、見るものが見れば既に壮年に差し掛かった人物であることに気づくだろう。5人の領主の中で、唯一その祖をこの地を荒らした海賊に持たない家系。ガリファー王国から4人の海賊王をコントロールするために送り込まれた私掠船団の船長の末裔。港湾地区に君臨し、しかし実務は自らが任じたハーバーマスターに任せ半ば隠遁の身にあるストーム・ロード、グレイデン・ウィルクスだ。

 

港に寄港する船舶から税金を徴収する彼からすればリランダー氏族は上得意先であり、また航路の安定も欠くべからざる要素だ。その感情面から、また利害関係でも彼の一族は古くからアマナトゥの一家と対立してきた。肥大を続ける古ドワーフの野心は、領主間のパワーバランスを均衡させることで街の維持を図る彼にとって放置できない問題なのだ。

 

 

「キリス、貴方の網に穴が開きでもしたのか?

 

 普段であれば調子に乗りすぎた傭兵くずれや船泥棒など、その気になった翌日にはこの街の港に首を晒していたはずだが」

 

 

グレイデンは報告を済ませて茶を啜っているノームの女性を促した。彼女も支配者たるストーム・ロードの一角、法と影を司る"セル・シャドラ"の家長なのだ。陰謀渦巻くノームの国家、ズィラーゴを出奔した彼女の持つ網は広く深くこの街に浸透している。それを評して彼女のことを"蜘蛛"と恐れる者達は多く、しかしその誰もがその巣の網自体を認識できないでいるのだ。街に蔓延る数多の犯罪組織も彼女の糸に繋がっており、その鮮やかな操作でシャーンから勢力拡大を期して乗り込んできた"ボロマール・クラン"を粛清した事はこの場の全員の記憶に新しい。だがその彼女の口からはそんな評判を裏切るような言葉が吐き出された。

 

 

「それがね、このストームリーチに踏み入った連中は水夫どころかネズミの一匹まで洗ったんだが、どいつもこいつも白と来たもんだ。

 

 つまりこの街の連中ではなく、他所からやってきた街のルールを知らないお客様ってわけさ。

 

 ご丁寧に補給も荷捌きもこの辺りでは行なっていないようでね、どうやらこの街に腰を据えたままじゃ手の届かない場所にいるようだよ」

 

 

キリスはまるでその事が楽しくて仕方が無いとでもいうように笑いながらそう告げた。

 

 

「……本当にそうなのかしら?

 

 大陸側からこの辺りまでやってきて、補給をせずに取って返すのでは相当に足の早い船でなければ水や食料がもたないわ。

 

 こちらの街から補給物資を積んだ船を出して、被害を装ったり海上で受け渡しを行なっていると考えたほうが自然じゃないかしら。

 

 ここ暫くで突然取り扱う船便を増やした連中なんかはその役割にうってつけではなくて?」

 

 

次いで口を開いたのはまだ年若い人間の女性だ。敵意に満ちた視線を隠さずにヨーリックに向けているその人物はパウロ・オマーレン。ストームリーチの開拓時、近海を支配していた海賊女王デレーラ・オマーレンの四代目だ。家訓として決闘で家長を決めるそのしきたりを勝ち抜いたことからも、彼女が若くして最もその偉大な開祖に近い才能の持ち主であることを示している。そしてその女領主は、この中で最もドワーフへの敵意に満ちあふれていた。

 

それは彼女の祖父が政争の末にヨーリックの手によって討たれ、その結果として彼女の一家の勢力を大きく減じることとなったことに起因している。その怜悧な双眸は目の前のドワーフを射ぬかんとばかりに向けられている。ヨーリック・アマナトゥはクンダラク氏族と深い関係にあり彼の氏族は金庫番という役割で知られているが、それは同時に錠前に最も深い造詣を有しているということでもある。あらゆる防護を掻い潜って送り込まれる暗殺者、それがこのドワーフの懐刀なのだ。そして十倍以上の長い生を送っている歴戦の老兵はその敵意など歯牙にもかけぬとばかりに平然と言葉を返した。

 

 

「そういえば貴様のコレクションしているあの鉄クズども──ウォーフォージドであれば水も食料も必要とせんだろうな。

 

 血の代わりにオイルが流れているのなら食い扶持をあてがってやる必要もないわけだ。貧乏人らしい苦労だな!」

 

 

兵権を司り、ストームリーチ・ガードのほぼ全てをその支配下においているアマナトゥに対抗するためにオマーレンは懇意にしているカニス氏族とのコネクションから多くのウォーフォージドを私兵として抱えることに成功していた。最終戦争が集結したことで行き場を失った"戦の申し子"達は自らの能力を活かすことの出来る場を求めており、彼女はその受け皿として彼らをこの街へと招いたのだ。さらに彼女はこの街におけるデニス氏族の責任者であるグレイゴール卿と愛人関係にあり、その戦力を自己の影響力下に置こうと画策している。アマナトゥとオマーレン、それはこの街で最も危険な火薬庫であり、其処に火がつく日は遠くないと誰もが考えている間柄なのだ。

 

 

「その辺りにしておこう。唾を飛ばして言い争いを続けても酒が不味くなるだけだ。どうせ喉を乾かすならもっとマシな手段があるだろう」

 

 

二人が言い争う様を見て、人間の男がため息を一息ついてから仲裁に入った。ヴァレン・ラシート、この中で唯一他のストーム・ロードと敵対的な関係を持たない中立の存在だ。彼は月に一度、ここ"ストームヘイヴン"の会議場で行われる領主たちの会合において毎度同じような役回りを務めている。オマーレンとアマナトゥの確執は彼が先代から家長を継いだ頃からの因縁なのだ。今は引退して趣味の醸造業に専念している先代はこの役目を嫌って自分に押し付けたのではないかと考えるようになったのは随分と前のことだ。

 

 

「ここで意見をぶつけあっても良い結果は生まれないだろう。

 

 新航路にケチがついたのは残念だが、遅かれ早かれ蜜の味に惹かれて虫どもが集まってくるのは予想していたことだ。

 

 私としてはこれを機に、一気に近海の掃除をしても良いのではないかと思うがね。

 

 この季節の羽虫は鬱陶しい。害虫を退治することは領主たるものの勤めだ、そうだろう?」

 

 

彼の視線が残る四人を突き刺すように移動していくと、ヨーリックは大きく口を歪めて笑みを作る。レディ・オマーレンはその双眸を閉じて瞑目し、セラ・シャドラはその小さな身体をせいいっぱいに竦めてやれやれと首を振った。グレイデンは静かに首肯することで同意を返す。その四人の反応をじっくり見極め、再び調停役たるヴァレン・ラシートが口を開く。

 

 

「皆にも異論はないようだね。ならば"協定"に則って細部を詰めようじゃないか。

 

 面倒事は他にもあるんだ、とっとと片付けてとっておきの極上のカーイェヴァで喉を潤そうじゃないか」

 

 

ガリファー王国がかつてこのストームリーチの開発を決定した際に、5人の領主にそれぞれの役割を割り振った"協定"は未だ彼らを縛っている。だが主を失った戒めは既に半ば以上に朽ちており、領主たちはいつでもそれを振りほどくことが出来る。それをしないのは偏にそれは他者が自身を攻撃する口実になると信じているからである。最も強大とされるアマナトゥを持ってしても、他の2家を相手にしては苦戦を強いられるだろう。かつてのオマーレンが四家を敵に回して伍していたのは過去の話。いまや彼らはいつか訪れるその時に備え、様々な表情をその顔に貼り付けながらも水面下で多種多様な手を伸ばしていた。導火線はいたるところに伸びており、そのどこに最初に火が点くのかは彼ら自身にも見通せないままに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゼンドリック漂流記

 

幕間5.ボーイズ・ウィル・ビー

 

 

 

 

 

 

 

 

鳥の囀りを耳にしながらカルノは目を覚ました。今日は鍛錬や当番が休みの完全な休日であるにも関わらず、習慣でいつも同じような時間に目が覚めてしまう。魔法具によって過ごしやすい一定の気温に保たれた室内では温度の変化から時間の経過を判断する事は出来ず、間取りの都合から日差しの入りづらい部屋であることもあって頼りになるのは自身の体内時計のみだというのに、慣れというのは凄いものだと思う。

 

暫く前までは暑く暗い地下の下水で外敵に怯えながら断続的に睡眠を取ることしか出来なかった事に比べれば、今自分たちが置かれている環境はまるで天国のようだ。カルノの仲間たちも最初は夜に魘されたり目が覚めてしまって眠れないといった事があったのだが、今はすっかりとここでの暮らしに順応してしまっている。

 

シャワールームに繋がる洗面所(なんとここでは部屋ごとにシャワールームやトイレが備えられている!)で顔を洗い意識をはっきりさせたころには、同室の3人も目を覚ましたのか寝具から体を起こし始めていた。チュニックとズボンを着替えた後でまだぼやっとしている一人を寝具から引き剥がす。

 

 

「ほらギル、今朝は家事当番だぜ。朝食の準備に遅れるとまたクリスがうるさいぞ」

 

 

少年組の中でも一番年下の少年をそうやって洗面所に放り込んだ次は、寝具を折りたたんで洗濯物と一緒に廊下に出していく。そうすれば食事の後で家事当番のチームが回収してくれるようになっているのだ。向かいの部屋と隣の部屋の仲間たちも起きだしたようで、それぞれの部屋の年長組がドアを開けて洗い物を廊下へと出し始めている。

 

 

「おはよう、カルノ。今日もいい朝ね」

 

 

向かいの部屋の扉から顔を出して、少女が挨拶をしてきた。エルフの血が薄く混ざった彼女はやや背が低いものの、しっかりとした性格で少女たちを纏めているサブリーダー的存在だ。カルノやこの少女も元は捨て子だった所を、この街に数あるストリート・チルドレンのグループに拾われることで生き延びてきた。当時彼らを拾った年長組は既に何度と繰り返された縄張り争いなどで命を失っており、いまやこの2人が最年長となっている。

 

『竜の公子』の怒りが街の区画を一つ滅ぼした際に発生した争いは特に激しいものであり、力のない最年少組や荒事を担当していた少年組から多くの犠牲が出た。それによって彼らの仲間は10歳から13歳の少年少女16人にまでその数を減らしていており、この屋敷に拾われなければ遠からず全員が薄暗い地下道で骸を晒すどころか骨も残さずに平らげられてしまっていただろうことは想像に難くない。

 

 

「おはよ。そうだな、今日も天気は良さそうだ」

 

 

カルノが挨拶を返した目の前の少女──ローゼリットはその時に切掛となった高次秘術の巻き起こす破壊を目撃して生き残った運の良い生存者であり、いまはカルノと共に秘術を学ぶ生徒同士だ。とはいえ前衛としての戦闘訓練も行なっていわば二足のわらじを履いているカルノと違い、彼女は訓練を秘術一本に絞っている。既に入門の初等呪文である《ディテクト・マジック/魔法の感知》を成功させるなど適性の高さも見せており、先生であるハーフエルフのメイからも筋の良さを褒められていたのは記憶に新しい。もっか秘術分野における競争相手だ。

 

身支度を整えたギルが食堂に向かって走り抜けていくのを横目に、朝食の時にまたと挨拶を交わしてそれぞれの部屋に戻るとカルノは棚に置かれた本を取り出し、クッションの上に腰を下ろして読み始めた。休養日とはいえ自分が同じ班の皆に比べて習熟が遅いことは判っており、生来の負けん気の強さがその現状を良しとしないため最近は時間があればこうやって自習に充てることが多くなっていた。戦闘の訓練と同じく秘術の訓練も反復することで体に──この場合は脳に──覚えこませることが重要なのだ。自分の裡にある未生成の魔力を集め、本に描かれた秘術回路に精製する作業に集中する。意識した回路が目を閉じても瞼の裏に焼き付くようになるまで、何度も何度も繰り返す。それは朝食の用意が終わったとギルが彼を呼びに来るまでの間、ずっと続けられた。

 

 

 

 

 

「今日の一日の恵みをアラワイ様、そしてソヴリン・ホストの神々に感謝して──」

 

 

挽いた小麦に刻んだ果物を加え、水とハーブを混ぜて焼かれたパンケーキが甘い匂いを放っている。その他にも食卓には様々な野菜や果実が並んでいた。平穏を取り戻したセルリアン・ヒルはかつてのように新鮮な食材をストームリーチへと提供し始めている。特に港湾地区で行われる朝市にはストームリーチ中の料理人が優れた食材を求めて押しかけており、もぎたての木苺や林檎などが果樹園から運び込まれている。この家の食卓もその恩恵に与ったおかげだ。近くにある酒場の主人に仕入れの一部を分けてもらう契約を結んでおり、やり手のハーフリングの目利きに適った良品を毎朝家事当番の子供たちが受け取りに行っているのだ。

 

そのあたりの段取りをあっという間に整えてしまった家主は食卓のテーブルにその姿がない。彼は先日布告された海賊の討伐令を受け、北部の島にある海賊たちの屯する港へと単身乗り込んでいったのだ。聞いたところでは無頼達の参加する競技に飛び入りで参加して優勝をもぎ取っただとか、海賊の墓に巣食っていたトログロダイトを蹴散らした上で亡霊となっていた海賊を倒して財宝を奪ったりと随分と暴れているらしい。半年前、お上りさんよろしく港の方から歩いてきた男の事だとはとても信じ難い話だ。

 

だがその男の気まぐれが彼らを拾い上げ、今の暮らしを与えているのだ。身に着けている衣服から今口にしている食事、そして安全な寝床。少年が自分の力で得たものは何一つ無い。だが怠惰に流されるということはない。厳しい訓練がその身を律しているからだ。朝食を終えると家事当番と休暇組を除いた面々はそれぞれ決められた場所へと向かい、鍛錬を始めていく。だがその表情に暗いものはない。各個人の適性を見た上で希望を聞いて割り当てられた訓練の内容は彼ら自身にも納得がいくものであり、非力故に居場所を失った自分たちが力を得るために必要なことだと皆が理解している。

 

そんな仲間たちの後ろ姿を見送った後、カルノは一人階段を登る。二階に上がってすぐに見えるのは書庫兼作業部屋の扉だ。扉を開けると、更にその内側には小部屋がいくつも並んでいるのが見える。そこでは家主が作成した小さな職人たちが、主の作業を引き継いで魔力の付与を行なっているのだ。50cmに満たない、三頭身の小さな人形にも見えるその職人は主にアーティフィサーと呼ばれる技術者達が自らの血を混ぜ込んで作成する人造──ホムンクルスだ。

 

主と魔法的に繋がったその人造達は魔法の効果を道具に焼き付けるために必要なもののうち、"時間"を肩代わりしてくれる存在だという。ある時一気に作成されたそのホムンクルスの数は20体ほどもあり、それらはこの小部屋から滅多に出ることもなく忠実に作業を続けている。

 

 

「今日も来たのか。勤勉なのは何よりだが、たまには羽根を伸ばすことも必要だぞ。

 

 休息は凝り固まった思考を解きほぐし、知識を受け入れる柔軟な素地を養ってくれる。水を撒きすぎても草木は繁るどころか枯れてしまうものだ」

 

 

人影のない室内に響いたのは紛れも無い共通語による言葉だ。声の元へ少年が視線をやると、そこには薄暗い室内でなお暗い影を塗りつぶしたかのような漆黒の大鴉が止まり木にその体を休めている。この屋敷の最も新しい住人はカルノの秘術の師が最近招来した"使い魔"だ。彼女はこの砕かれた大地に残された古代のエルフの秘術の残滓を研究の末に束ねることに成功し、今までは不得手としていた分野の呪文系統についてもその身に修め始めた。その幅広い知識と遥か高みにある技術は教えを請う身としても頼もしい限りだ。だがその使い魔であるこの鴉は主に似ず説教臭い上に理屈っぽいところがあり、カルノは苦手としていた。今よりもっと昔、食べ物を争って鴉の群れとやりあった苦い記憶の影響もあるのだろう。10歳程度の子供にとっては、鴉は一匹でも十分な脅威足り得たのだ。

 

 

「大丈夫だよ、昨日もちゃんと寝たし充分すぎるくらい休んでるさ。

 

 それより早く開けてくれよ。忘れない内にこの間の続きを読みたいんだからさ」

 

 

そういった意識もあってか、はやく用件を済ませたいカルノは手短に要求を突きつけた。大鴉はそんな少年のことを暫く値踏みするように見つめていたが、しばらくすると諦めたかのようにその嘴を開いた。

 

 

「我が言っているのはそういう意味ではないのだがな……

 

 まあ土を腐らせるようなことになる前には主が止めるであろうから、その時は大人しく言うことを聞くのだぞ。

 

 暫し待て、今望みの本を取ってこさせよう」

 

 

鴉がそう言うと不可視の存在が奥の扉につけられたノブを回し、ゆっくりとその扉を開いた。《アンシーン・アーヴァント/不可視の従者》が使い魔の手足となってこの区画の整理や掃除などを行なっているのだ。この部屋は価値の高いものが多く置かれていることなどもあって罠も数多く仕掛けられており、手入れするにも高い秘術等の知識を必要とする物も多い。そのためカルノ達はこの部屋の掃除をすることはないのだが、その役目をこの大鴉が代わりに勤めているのだ。使い魔は知識や技能を主と共有しており、主が多忙な際は授業を代わりに受け持つことがあるほどだ。魔獣として覚醒した使い魔は人間並みの知力を有している上、さらにこの鴉はその足に知性を強化する魔法の指輪を嵌めているため初等の秘術の教師としては十分な能力を有しているのだ。

 

 

「ほら、先日の呪文書だ。前回同様ここからの持ち出しは禁じておるから、その空いている小部屋を使うといい。

 

 昼時には合図してやる故、専心することだ。どうせやるなら徹底的にやってみせよ」

 

 

大鴉が従者に呪文書を差し出させ、さらにその止まり木の幹部分を嘴で何度かつつくと居並ぶ小部屋のうち一つの扉が自動的に開く。広めのテーブルの前に置かれた椅子にカルノが座ると、扉は音もなく閉じた。分厚い壁と重厚な樫の木の扉で閉鎖された小部屋は外界の音を遮断しており、集中するにはもってこいの環境だ。呪文書を開き、朝方焼き付けた秘術回路を意識しながら自らの内部へと意識の手を伸ばす。そこには確かになんらかのエネルギーを感じる。だが、それは手にしようとしてもするりとすり抜けてしまう。未熟な少年の言葉と動作がかみ合っていないためだ。

 

だが彼は諦めずに何度も何度も試行錯誤を繰り返す。もはや少年の意識にあるのは自らの裡のエネルギーとそれを汲み出す動作、言葉だけとなる。まるで目の荒い網で狙った砂粒ひとつを拾い上げようとするような感覚。だが長い挑戦の果て、ついに歯車が噛み合う時が来た。エネルギーを掴み取ることで湧き上がるような理解が心を満たしていく。その感覚のままに腕を振り、"力ある言葉"を口にすると突如視界が啓けた。

 

魔法のオーラの存在が知覚できる。それは初めはぼんやりと存在を意識できるだけだったが、徐々に鮮明さを増していく。直前まで意識していなかった目の前のテーブルや呪文書の装丁、羽根ペンなど様々な物が防御術や変成術といった種類や強度の異なるオーラを放っていることが理解できるのだ。まるで視界に一枚別のフィルターが被せられているかのようだ。だが間もなく《ディテクト・マジック/魔法の感知》の発動に成功したということを理解したことでカルノの心を興奮が揺さぶり、精神集中が乱れたことで術は効果を失った。視界は元に戻り、テーブルや調度品は再び無色の沈黙に沈んでしまった。

 

しかしそれでもカルノは飛び上がりそうな達成感に包まれていた。ついに呪文の発動に成功したのだ! 第零階梯という初歩の初歩、見習いが最初に学ぶ呪文ではあるが、今まで手応えすら感じることの出来なかったものを成功させたことは彼にとって非常に大きな一歩だった。先ほどの手応えは確かにカルノの中に残っている。

 

だが、それを試すには既に彼の中のエネルギーが不足していた。見習いにようやく足がかかった程度の彼が一日に準備できる呪文の数はこれ一つだけ。次の挑戦は休息を挟んだ明日に持ち越す必要がある。ずっと集中して張り詰めていた緊張が解けたことで、一気に疲労感が押し寄せてきたのを感じて思わず溜息が出た。だが、それすらも今は心地よい感覚だ。そうやって一息ついた後で、再びカルノは呪文書をめくり始めた。次はどの呪文に挑戦しようか。その吟味は大鴉が扉を開き昼食を告げるまでの間、ずっと続くのだった。

 

 

 

 

† † † † † † † † † † † † † † 

 

 

 

 

うさぎのシチューに焼きたてのパンという昼食をとった後、カルノは屋敷の外に出ていた。真夏は既に過ぎたといっても赤道近くに位置するストームリーチの日差しは凶悪だ。特に気温が調節された敷地から出た瞬間は、体を包む熱気に意識を漂白されそうになる。建物のつくる影を渡るようにして歩き、太陽から身を隠しながら街並みを進む。港湾地区に通じる大門をくぐり、倉庫区画を背にしてハーバーマスターの屋敷を横目に『志願者の広場』の手前までやってくると同じくらいの背格好をした少年が隣までやって来た。そのまま連れ立って歩き、カルノは広場の隅の日陰に置かれているベンチに腰掛けた。もう一人の少年もその隣に並ぶように座った。

 

 

「何か変わったことはあるか?」

 

 

カルノが椅子の上に滑らせるようにして銀貨を何枚か飛ばしながら問うと、それを流れるような動作で拾い上げてもう一方の少年が答えた。

 

 

「冒険者が海賊刈りに夢中になって大勢出ていったけど、最近増えたエルフの一団がこの辺りの仕事を片付けているから大した変化はないな。

 

 元からこの街にいる密輸商人たちはコインロードのえげつなさを知っているし、当分は大人しくしてるだろうさ」

 

 

この少年はかつてカルノがこの辺りに縄張りを持っていた頃に協力関係にあった別のストリート・チルドレンのグループの一員だ。当時のカルノ達より幾分か恵まれた環境にあったこのグループはメンバーの多くがこの区画の様々な商店などに下働きとして雇われており、幅広い活動を行なっている。もう少し年長のグループが縄張りを超えて彼らの仕事を奪おうとしてきた時にその排除に協力した頃からの縁だ。

 

こういったグループが港湾地区には10ほども存在している。大人たちの犯罪組織の縄張りの隙間を埋めるように、力ない者たちが寄り集まって生活しているのだ。ものによってはその犯罪組織の下部組織のようになっているところもあるが、今カルノが接触しているグループは比較的真っ当な仕事を生業にしている方だ。

 

 

「エルフについてはこの辺りじゃ人気者だぜ。砦を建てるだとかで荷運びの仕事は増えたし、人が増えればガイドの仕事にありつける。

 

 買い物客としても羽振りがいいし、わざわざ腕利きとわかってる戦争好き達に喧嘩をふっかけようだなんて連中もいない。

 

まあその辺りの事情についてはお前のほうが詳しいかもしれないな」

 

 

相手もカルノが今どうしているのかについては把握している。一夜にして家を築いたバード、さらに最近名を挙げてきた冒険者のところに子供が住み込んでいることは特に隠しているわけでもなく知られていることだ。短絡的な相手であればその身柄を攫ってしまおうと企むこともあるだろう。だが既にそれを実行した犯罪組織が一夜の内に全員が行方知れずとなり、さらに屋敷に侵入を試みた盗人が誰一人帰ってこないとなれば話は別だ。不確かな実入りを求めて命を賭けるにはリスクが高すぎると、今や誰もが考えている。

 

今カルノが接触しているグループにもそういった不審な動きはない。それが義理によるものか、定期的に金銭のやり取りをする関係を維持することによる利によるものなのかは不明だが、無駄に争わないに越したことはない。そしていまカルノの隣に座る少年は、指を一本立てていた。周囲を確認し、視線が集まっていないことを確認して金貨を一枚滑らせると再び相手が口を開く。

 

 

「海賊に襲われる商人の件だけどな、どうも随分と運に偏りがあるみたいだ。立て続けに船を沈められる奴がいる一方で、その逆の奴もいる。

 

 航路に不安があるおかげで無事に荷揚げ出来た船の売上は随分と好調らしいし、まさに天国と地獄ってやつだぜ。

 

 『きまぐれ海老亭』で酒を飲んでる商人連中の顔色は蒼白か興奮した赤ら顔の両極端って話だ。ここらでそのうちデカイ動きがありそうだな」

 

 

そう告げると少年は立ち上がり、軽く腕を振ると広場から立ち去っていく。その背中が角を曲がって見えなくなるまで見送ってからカルノも腰を上げる。そして今聞いた内容を反芻しながら歩き始める。情報の精度や質などにはカルノは頓着しない。これは噂話程度でいいからなんでも話を集めてきて欲しいという家主の要望に沿った契約だからだ。集めた情報の精査はカルノではなく家主が行うことになっている。とはいえこれも訓練の一環であると彼は考えており、雇用主には全ての情報をありのままに伝えるとして、その上で自分の中でも整理・分析しておくことが習慣になっている。

 

その後も何人かのストリート・チルドレンから情報を買い、支払わずに余った情報料を夕市で果物などに替えて帰路につく。屋敷の間近にあるジョラスコ氏族の管理する空中庭園に辿り着くと、人気の無い地下の庭園へと向かった。そこでは日差しを必要としない種別の薬草などが植えられているのだが、カルノの目的は勿論鑑賞などではない。草木で覆われた壁面の一部に、鉄柵で覆われた地表が露出している。その鉄柵の一部を持ち上げるようにしながら引くと、その奥にある地下構造物への入り口が現れる。そこはかつて"デッド・ホール"と呼ばれていた古い墓場で、アンデッドの巣窟として知られていた。

 

今は既に彼の家主の手によって不浄の存在は一掃され、二度とアンデッドが生まれないように《ハロウ/清浄の地》の呪文で浄化されている。かつては石棺が並んでいたその暗闇の奥に向かってカルノが口笛を吹くと、しばらくして何か小さな生き物が動きまわる音が聞こえてきた。犬のような顔は毛の代わりに鱗で覆われており、頭には小さな角が生えている。爬虫類にも見える小型の人型生物、コボルドだ。暗闇を見通すその瞳をキラつかせながら、その小さな生き物はカルノへと駆け寄ってきた。

 

 

「よく来た! ホワイトテイルはお前を歓迎する!」

 

 

犬が吠える時のような甲高い声でコボルドは辿々しい共通語を発すると、カルノが抱えた果実の収まった包みが気になるのか鼻を近づけてスンスンとその匂いを嗅ぎ始めた。部族のトレードマークらしい白い斑の浮いた短い尾は機嫌の良さを示すようにぶんぶんと振られている。その様子を見てカルノはその包みをコボルドへと押し付けた。

 

 

「ほら、差し入れだ。こんな地下じゃ果物は手に入らないだろ、みんなで食えよ」

 

 

カルノのその言葉に反応して、さらに奥から数体のコボルドが現れる。彼らはたちまち袋の奪い合いを始めるが、袋が破れて中身の果実がこぼれ出すのを見ると大慌てで落ちた果物を拾って奥へと引っ込んでいった。きゃんきゃんと吠えるような声で話される竜語がカルノのいる入り口まで響いている。そんなコボルド達を見送って、残ったコボルドがカルノに向き直った。

 

 

「あー、ホワイトテイルは礼をいうよ、ケ、カ、カル?」

 

 

「カ・ル・ノ!」

 

 

「おお、そうだ。カルノ! 今度こそ覚えたぞ。そのうち採れたての茸を持っていく。楽しみにしているといい!」

 

 

このコボルドの群れは家主がアンデッドを掃除し、《ハロウ》を張り巡らせて暫くしてからこの地下墓地跡にやってきた部族だ。ある程度数を増したコボルドのコミュニティは分裂し新たな居住時を求めて旅立つのだが、彼らは自分たちの新居をこの地下墓地跡に定めたというわけだ。

 

勿論この新たな移住者についてどうするかは主に庭園を管理するジョラスコ氏族にて議論がなされたが、最終的には管理者の居ない構造物は荒れ果てて危険なクリーチャーが住み着く恐れがあるということで彼らの討伐は見送られた。これには彼らホワイトテイル族の肌の色も強く関係している。

 

この世界のコボルドは始祖竜の子孫であると自称しており、気性や生活様式などもそれぞれに分かれている。肌の黒っぽいイーヴィール・コボルドがカイバーの子孫であり悪属性に偏って人間社会にも害を与えているのに対して、この肌の色の淡いイレダール・コボルドはエベロンの子孫でありその性質は中庸だ。イレダール・コボルドであるホワイトテイル達はこの街の住人として認められたというわけだ。彼らは与えられた地下区画を管理しながら、秘薬の原料となる茸などの栽培を生業として生活を始めている。主な取引先はジョラスコ氏族、そしてカルノの屋敷の住人達だ。

 

実はこの地下区画はその奥が屋敷の直下まで伸びており、管理をどうするかは家主も考えていたところだったらしい。緊急時の脱出路として使う等いくつかの案はあれども、いつの間にかウーズなどの危険生物が住み着かないとも限らないため、友好的な隣人が住んでくれるなら管理の手間が省けるというわけだ。そういうわけで暫く前からホワイトテイル族に対して主に食料や資材の提供という形で援助を行なっている。

 

家主が留守にしている間は、その役目はカルノが引き受けているというわけだ。最初はおっかなびっくりだったカルノだが、まだ小さな子供コボルドがまるで犬のようにはしゃぎながら果物に齧りついたり転げまわったりしているのを見ている内にすっかりと慣れてしまっていた。

 

 

「まあいいけどさ。なにか困っていることがあるなら伝えておくけど。変わったこととかは無い?」

 

 

ここの地下墓地はある程度独立した構造になってはいるが、それでも小さな穴などで他の地下部分や地上と繋がっている。空気や水の流れがそうやって生まれているのだが、時折その穴を通じて粘体等の侵入者がやってくることがあるのだ。コボルド達はトラップ作成の名人であり大抵の場合は仕掛けで燃やしたり叩いて潰したりすることで対処しているのだが、移住してすぐの頃は資材の不足で罠作りもままならず何人か怪我人を出していたこともあったのだ。

 

 

「大丈夫だ! ねばねばした奴らも最近はこないし、近くの川で魚も採れるぞ。茸もよく育つし、ホワイトテイルはとても満足してる」

 

 

彼らがいう川とは、ストームリーチの街を囲むように支流をなしているコロヌー河のことだ。他のゼンドリックの沿岸部同様、この街も港湾地区を除けばまさに断崖と呼べるような崖で水面からは隔離されている。多大な労力を掛けて地面を掘り下げ、かろうじて船が接舷できる程度の波止場を設けている箇所もあるが、この《レスパイト》の区画にはそういった場所はなく崖から水面までの高さは20メートルほどもある。

 

彼らコボルドはその小さな体で絶壁を登攀し、水面までいくとそこから小さな槍を使って魚を仕留めているのだ。河口付近のため流れはそれほど速くはないが、万一高所から落下すれば衝撃で意識を失いそのまま溺死する危険もあって街の住人でそのような真似をするものはいない。そもそも獲物を狙うのであれば港から小さな船を出して釣りをするのが一般的だ。狩場を奪い合う競争相手は皆無といっていい。

 

 

「そっか。んじゃ今日はこれで帰る。またな」

 

 

地下庭園の天井から差し込む光の加減から随分と日が傾いていているのを察したカルノは、雑談を切り上げてコボルド達の住処を後にした。手には土産として渡された魚の干物を包んだ革袋を持っている。そろそろ帰らねば夕食の時間に間に合わない。今から帰ってもメニューに一品加えることは出来そうもないが、彼の師の一人には酒の肴としてこの手の食材を好む人物もいる。それ以外にも身を細かく刻んでスープにしてもいい。ともあれ、手ぶらで帰るよりは心証も良いだろう。

 

 

 

 

† † † † † † † † † † † † † † 

 

 

 

 

夕食も終わり、日が沈んですっかりと暗くなった夜。カルノは一人中庭に佇んでいた。天候が崩れる前兆か、分厚い雲が天を覆っており月や星の光を遮っているため周囲は全くの暗闇に包まれていた。ともすれば二本の足で支えている上体の平衡感覚を失いそうになるその状態で、少年は利き腕で逆手に剣を握っていた。その瞳には目の前の暗闇ではなく、記憶の残響が映しだされている。

 

何ヶ月も前、倉庫区画で遭遇したオーガとそれを一太刀で屠ったドラウの少女の戦い。何倍もある体格差を物ともせずに敵を一蹴したその攻撃、その基盤となる純粋な剣技をカルノは何度も記憶の中で反芻してきた。攻撃を仕掛ける前の構えはどのようなものだったか。そこから動き出すに際して記憶の通りに体を動かすにはどうすれば良いのか。武器の扱いに慣れてから毎晩、こうやって少しでもあの時の動きを模倣しようと試行錯誤している。そうやって鍛錬している間に頭に浮かぶのは、この屋敷に住み始めてしばらくした頃に家主と交わした会話だ。

 

 

 

 

 

「なあ、良かったら教えて欲しいんだけど。どうして俺達にここまで良くしてくれるんだ?」

 

 

食事が終わった後の食堂で、魔法の竪琴を爪弾いている男と二人きりになったのを切掛にカルノは気になっていた質問を投げかけた。最初は金持ちの道楽で私兵として鍛えるつもりなのかと思ったのだが、暫く一緒に暮らしてみてそうではないと判断した。思想的な教育は一切行われず、訓練への参加は各自の意思に任されていて三日に一度の家事当番さえ行なっていれば毎週給金が支払われる。普通に考えれば逆にこちらが金を払わなければならないような環境だ。

 

自分たちの訓練を効率化するためといって設置された魔法の仕掛けの価値は相当なものだろうし、指導を行なってくれる同居人達はまさに伝説に出てくる英雄のような技量の持ち主ばかり。天国でもここまでは望めまいと言うほどの環境だけに、それを与えた存在の意図が気になったのは仕方ないことだといえるだろう。

 

 

「どうして、か。そりゃまたややこしい質問だな」

 

 

問われた男は弦を弾くペースを緩めて思案顔になった。音が絶えぬように一定間隔で指を動かし続けているのはおそらくそれが魔法の儀式の一環だからなのだろう。この屋敷自体が魔法の竪琴を用いて一晩で建てられたという話はカルノも聞いていた。ならばいまこの時も竪琴を通じて改装や手入れを行なっていても不思議ではない。そうやって男の様子を見ていると、暫くの後にその口が開かれた。

 

 

「最初は同情だな。屋敷を建てたはいいが、手入れのためには人手が必要だ。呪文で片付けることはできるが、長い間家を空けることもある。

 

 かといって外部から人を雇うのは色々とややこしい。それなら妙な縁もあることだし、お前たちを雇ってしまえばいいだろうと考えた」

 

 

男の人差し指が弦を弾くと振動が共鳴胴へと伝わり、柔らかな音が食堂に響き渡った。

 

 

「戦い方を教え始めたのは興味本位だ。

 

 お前たちくらいの年齢から本格的な訓練をはじめてどれくらいでモノになるのか、個人差はどれくらいあるのか。

 

 そんなことが気になったんだ。他の皆が乗り気になった理由はわからないが、俺の理由はそんなものだよ」

 

 

言葉が終わると再び弦の震えが周囲を満たした。

 

 

「それにしちゃあ随分と俺たちに手をかけてくれたみたいだけど。あの怪我や疲労を直してくれる装置や魔法の指輪とか結構な値段だろ?」

 

 

魔法のアイテムの価値は金貨千枚単位。そのくらいのことはカルノも知っている。確かに家賃と称してブラッドナックルとかいうオーガが使っていた魔法の武器を渡したがそもそもあれはドラウの少女が倒した敵の持ち物でカルノの財産といえるものではないし、それだけで訓練に使っている品々の費用が工面できたとはとても思えない。そして返って来た返事は少年の度肝を抜くものだった。

 

 

「そうだな、例えばあの指輪は一個で金貨5万枚分だ。普通に暮らしてれば一生かかっても買えない値段だろうな」

 

 

金貨5万枚! いまの彼が1日まっとうに働いても銀貨1枚が精々で、それでは石のように硬いパンと雑巾を絞ったようなスープ、そして口直しのエールを1杯飲めば無くなってしまう。手に職をつけて働く場所に恵まれれば1日の稼ぎは金貨1枚、しかし生活のことを考えればよほど切り詰めても半分と残らない。果たしてそれだけの数の金貨を稼ぐのにどれだけの時間を要するか、少なくともまっとうな手段では手が届かないであろうことしか少年には解らない。

 

 

「まあ使ったら消えてなくなるってわけじゃないし、滅多なことで壊れるもんじゃない。その代金を請求しようだなんて考えてないから安心しな。

 

 で、なんでそんなものを使わせたかというと……そうだな、さっきの興味っていうのも勿論あるが、次は情だな。

 

 長い時間を一緒に過ごせばそれだけ情が移る。ちょっと手を貸してやったところで大して懐が痛むわけでもない。

 

 こんな稼業を続けていれば、いつ何時ここに帰ってこれなくなるかはわからない。

 

 甘やかした後に放り出したせいで野垂れ死なれたんじゃ気分が悪い。だからそれまでは手に職つけてやろうと思ったのさ」

 

 

相変わらず竪琴に目を落としながら男は語った。

 

 

「そういう意味では、剣の扱いよりは呪文を学ぶことに専念したほうがいいと俺は思うけどな。

 

 どっちが先に身につくかといえば剣だろうが、それじゃその後も体を張っていかなきゃならない。

 

 秘術は初歩とはいえ使えれば危険を冒さずに生計を立てることが十分に出来る。

 

 せっかくある程度までは呪文を発動できる素養はあるんだ、あれもこれもと手を伸ばしていちゃあ大成は難しいぜ」

 

 

そこまで語ると男は再び弦を弾くペースを上げた。話は終わったという意思表示なのだろう。だがカルノはその音を掻き消すように不平を告げた。

 

 

「なんだよ、兄ちゃんがそれを言っても説得力ないぜ。武器を使ったらエレ姉より強くて、秘術の腕も相当なんだろ?

 

 俺もそんな風になりたいって思っちゃ悪いのかよ」

 

 

流れる音楽のトーンはその少年の声を受けて再び緩やかにその調子を戻した。その竪琴の主は視線を天井あたりに向けながら、記憶を掘り出して言葉を紡いだ。

 

 

「そうだな、エルフの太古の技術を汲んだ"ダスクブレード"っていうのは武器と秘術の扱いを融合させたスタイルだ。

 

 ジュマルってエルフを覚えてるか? 彼がその技術を下敷きに独自の秘術の研鑽を積んだタイプだな」

 

 

だがその言葉は少年には物足りなく感じたようだ。不満そうに口を尖らせる。

 

 

「ジュマルって人のことは覚えてるけどさ。それってそうやって鍛えても兄ちゃんには勝てないってことじゃないの?」

 

 

あまりにもバッサリと斬り捨てたその物言いに、男は竪琴を爪弾く手を止めて苦笑した。

 

 

「そうはいっても、系統の異なる複数の技術を束ねて昇華させるってのは並大抵のことじゃないぜ。

 

 単にそれぞれの技術を使えるってだけじゃなく、それを組み合わせてより高い効果を出せるようじゃなきゃ意味が無い。

 

 よっぽどの才能と適性がなけりゃ、いくら努力しても報われない。

 

その年齢までこの街で生き延びてきただけあって一般人に比べれば素地は高いほうだろう、だがそれでも随分と分が悪いと思うぜ」

 

 

年長者は忠告したが、しかし少年の熱意を冷ますには至らなかったようだ。カルノは気勢を削がれることなく言い募る。

 

 

「それは逆だぜ。そんな目標だからこそ『やってやろう』って気になるんだ!

 

 だいいち、俺達みたいなのに今みたいなチャンスが次にいつ訪れるっていうんだ?

 

 ここぞと思った時に有り金を全部賭金に突っ込んで勝ちをもぎ取ってなきゃ、俺達はとっくに死んでるよ。

 

 だから興味本位の実験台でも構わないから、俺に出来そうな事があるなら教えてくれよ。

 

 10倍努力が必要だってんなら努力するだけだ。賭けが外れてもそれは俺の責任だし、絶対に文句は言わない」

 

 

その言葉が口先だけのものではないことを示さんとばかりに、真剣な瞳でカルノは目の前の男を見つめた。音の絶えた食堂で視線が交差すること暫し、再び男が溜息をついて竪琴の弦をその指先で弾いた。一度演奏が途切れたことでその宿していた魔法の力は既に失われていたが、それを除いたとしても一級品の楽器としての役割をもったその竪琴は軽やかな音を響かせる。

 

 

「その負けん気の強さは俺には真似できそうにないな。いいぜ、それならこれからテストをしよう。

 

 それに合格すればその無茶な希望に向けて俺なりにサポートしよう──」

 

 

 

 

 

その出された課題が、今カルノの行なっている自己鍛錬に関わっている。これから4人の先達の持つ技術をその身に叩き込むにあたって、最も遠いと感じたのがドラウの少女の振るった剣技だ。その術理をその身に宿すことが出来なければ望む力を身につけることは出来ない。だから少年は頭と体でそれを理解しようと試行錯誤を繰り返す。

 

これまでは年下の仲間を導いてきたカルノだが、ここで訓練を始めたことで自分の欠点に気が付いた。体格で、機敏さで、論理的思考能力で、直観で。自分はいずれも人並み以上であると自負していたが、そのいずれもが仲間の中で最優ではなかったのだ。つまり同じスタートラインに立って学び始めれば、やがてそれぞれの得意分野で誰かが自分より大成するだろう。そして既に指導者がいる以上、彼が仲間を導く必要はもうないのだ。

 

ならば自分が目指すべきはどこか一つの系統に特化することではない。獣人の技術、ハーフエルフの秘術、エルフの双剣、そしてドラウの剣技。今得ることのできるその全てを飲み込んで、他の皆に欠けているオールラウンダーとなり他を支える。それがカルノの選んだ"道"だ。

 

代償として掛けた時間や労力は報われないかもしれない、だが天秤の傾きを決めるのは自分自身の才能と努力なのだ。ただ生き延びるためだけではなく、生きる意味を求めて自分の可能性を試す。その初めての経験に、その身に感じられる疲労すらも心地よく感じながら少年は暗闇で剣を振り続けた。

 

 

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