本来であればひとまずの生還を祝うであろう朝、ストームリーチは昨日の日没前にも勝る緊張感で張りつめていた。人通りが少ないのは、昨日のように街の住人が”ドルラー”に囚われていた影響も勿論あるだろう。だが、それ以上に大きいのは一人のストーム・ロードが昨夜命を奪われたというニュースのせいだろう。ロード・グレイデン──この街の最大の権力者のうちの一人が死んだことで、領主たちはお互いへの警戒を強めている。
その領主たちの緊張に影響されてか、所属の異なる私兵たちが顔を合わそうものなら一触即発で私闘が起こりかねない状況だ。なにせ、この世界の戦闘というものは先手に圧倒的に有利な仕様である。互角の戦力であれば先手を取った方が間違いなく勝つといって良く、襲われる可能性があるのであればこちらから仕掛けるべき、と考えても仕方がない。今日の中央市場はこんな状況でも商売することを止めない筋金入りの商人と、今夜に備えて必要な物資の買い込みを行っている冒険者かどこかの私兵集団しかいないような有様だ。マーケットの大テントは日ごろの活気とは程遠く、殺気に満ちていた。
だが、各領主の本命はここにはいない。すでに昨日の時点でこのスチームリーチにある目ぼしいアイテムの類は、そのほとんどがいずれかの領主に買い上げられている。今頃虎の子の《グレーター・テレポート》の巻物かオリエン氏族のサービスでシャーンなどの大都市へとバイヤーを送り込み、それこそ都市全体を覆うほどの《フォービタンス》の巻物などを買い込んでいる頃だろう。
それは途方もないほどの金貨を必要とするだろうが、それを可能とする財力をストーム・ロード達は保有している。その富の源泉は、彼らが共同で管理している一つのエルドリッチ・デバイス──古代巨人族文明の遺した魔法装置だ。ゲームでも登場したその装置の能力は単純なもので、『小さいドラゴンシャードを結合して大きなサイズへと作り替える』というものである。だが、そのもたらす富は莫大なものだ。
このエベロンにおいて魔法文明を支えている根幹にあるのが、それぞれのドラゴンシャードであることはいうまでもない。そしてその大部分はこのゼンドリックから運び出されるものだ。各ドラゴンマーク氏族が発掘してきたシャードは、その全てが一旦ストーム・ロードに引き取られる。そののちに適度な大きさに加工されたそれらをマーク氏族達は買い取り直し、コーヴェアへと輸送しているのだ。本来であれば使い道のないような小さな破片すら、数を集めることで天然ものではまずお目にかかれないような巨大なシャードへと作り替えてしまう。領主たちが各街区の支配によって得ている権益も大したものだが、このエルドリッチ・デバイスこそが彼らの富の源泉であるといっても良い──そしてこれこそが彼らを縛る"盟約”の根源だ。
初代オマーレンの魔女・デレーラ1世はこのエルドリッチ・デバイスを解析し、その動作に5人の領主の血を引くものの同意を必須としたのだ。それによりロード達はお互いを滅ぼすようなことは出来ず、繰り広げられる勢力争いは激しくとも街区の支配権の取り合いに留まっている。どれか一つの血が途絶えてしまえば、もはや彼らはこの装置を起動する術を失ってしまうからだ。毒蛇たちがギリギリのバランスで暗闘を繰り広げているのも、こういった背景があってのことである。ガリファー王国が五つに分かれた後もなお、この仕組みが彼らを盟約に縛り付けているのだ。
それだけに今回のグレイデンが(おそらくは、であるが)暗殺されたという事は、首謀者以外の領主にとっては相当にショックを与えただろう。グレイデンには確かに二人の子供がいる。だが、それが真実彼の血を引いているという確信はあったのだろうか。そうでなければ首謀者は魔女デレーラのようにエルドリッチ・デバイスを解析し条件を再設定する術を見つけたのではないだろうか。もしそうであれば、他の領主が排除されるのも時間の問題であるはずだ──実際に過去のオマーレン家の当主の一人が他の領主の排除を狙って武力を用いた前例があり、彼はその手段を発見していたのではないかと言われている。結局のところその男はアマナトゥによって討たれ、オマーレン家はペナルティとして支配する街区を一つ失った。今の状況が、その過去の記憶を呼び覚まし領主達に疑心を植え付けているのだ。
とはいえこんな状況ではあるが、彼ら領主たちの争いはどうやら街の存亡には関わらないようだ。なぜかといえば、俺が今から領主全員に《ドミネイト》の呪文を行使して回って争わないように仕向けた場合の未来を占術で見通そうとした結果も、今までと同じように何も情報を得ることが出来なかったからだ。それはストーム・ロードだけではなく、ドラゴンマーク氏族の有力者たちを含めた一定の権力をこの都市で振るっている全員に対して同じ結果だった。そこから推測されることは、今夜この都市を消し去るのは権力者たちの争いではないということになる。
では一体何が原因だろうか。占術師達はこの街が破壊される未来を見たのではない。『この街の未来が見えない』と言ったのだ。個人レベルであれば占術からの探知を免れる手段は多い。占術に加えて精神作用を無効化する《マインド・ブランク/空白の心》は高レベルのプレイヤーであれば大抵が愛用しているだろうし、”セキュアー・カヴァーン”は同様の効果を屋敷全体に与える。さすがに建物一つと街全体では規模が違いすぎるが、今夜以降なんらかの形で街が占術による探知を受け付けなくなるのではないか、というのが俺の考えだ。何より、俺と仲間達で撃退できないような戦闘力なり規模を持ったクリーチャーというものが想像し辛い。おそらくは物質界が別次元界と密接に接触することによるなんらかの自然現象──物質界と『黄昏の森ラマニア』の接点である"黄昏の谷"が占術で探知できないことと同じではないか、という考えだ。
勿論、だからといって押し寄せるデーモン達を放置するわけではない。俺の糧になり得るような敵であればしっかりと経験点にしていくつもりではある。それに多くの街の権力者たちが自己保身に走っている中で、ドライデン率いるシルヴァー・フレイム教会達は街の防衛に大きな役割を果たそうと、日も高いうちから精力的に活動していた。”リング・オヴ・ストームズ”の探索行であの巨大なシベイ・ドラゴンシャードを持ち帰ったストームリーチの教会の事は今やコーヴェアにも広く知れ渡っており、政治的に断絶しているあちら側の大陸に住む信徒達の中にも協力を惜しまない者が増えているという。現在ストームリーチ及びその近郊ではあのシベイ・ドラゴンシャードの効用か、シルヴァー・フレイムの信仰呪文はその威力が最大化されるという状況もあり、デーモンとの戦闘において非常に頼りになる集団だと言えるだろう。
さらにドルラーの次元特性が有利に働く。この死の次元界では時の流れが曖昧なものであり、《ファイアー・ボール/火球》などの瞬間的に効果を発揮するもの以外の呪文を除いて、その持続時間は解呪されるまで永遠に続くのだ。信仰魔法には集団戦を優位にするための支援呪文も多く、これが一度かければ夜明けまで効果が継続するのだ。本来であればそのバランスをとる様に呪文の発動が困難になるという枷があるのだが、見たところ司祭たちの呪文行使に支障はない。これは街全体の戦力を大きく押し上げることになる。
勿論、懸念は残る。その際たるものは昨晩シティ・ガードを襲ったライカンスロープ達だ。シルヴァー・フレイム教会が《浄化/パージ》と称してコーヴェア大陸のライカンスロープを殺戮し始めたのは170年ほど前だ。それから50年ほどの間彼らの”聖戦”は続き、コーヴェアのライカンスロープ達はほぼ絶滅した。ラピスの祖先のように隠れ里に身を潜めた者を除けば、生存者のほとんどはこのゼンドリックに逃げこんだだろう。彼らにしてみれば銀炎教会は怨敵であり、この最近のストームリーチにおける教会の影響力拡大は再びの迫害の日々の到来を予感させたのかもしれない。捨て鉢になった獣人たちが、自暴自棄なテロに走ったとしてもおかしくは無いだろう。
獣の身体能力に人族の知恵と武器を併せ持った彼らは、その獣の種別によっては素体が一般人であったとしても熟練の兵士を上回る脅威となる。熊や虎が武器や罠を駆使して襲ってくるとしたら、どれだけの者が互角以上に戦えるだろうか。せめてもの幸いは、この『死の接触』の期間において夜は暗闇に覆われ月が出ていないというところだ。ライカンスロピーは感染する病気である。ライカンスロープに噛みつかれ感染したものは次の満月の日に発症するのだが、このエベロンには13もの月があり満月の頻度が段違いに多いため下手をすれば感染した翌日にはもういずれかの月が満月を迎えているなんてこともあるのだが、夜がドルラーに囚われている限りその心配はない。少なくともこの期間の間は、新たな発症者が出ることは無いからだ。
だがこれ以上広がることは無いとはいえ、既に入り込んでしまっている毒については対処療法を取るしかない。シルヴァー・フレイム教会には《ディテクト・ライカンスロープ》というかつて猛威を振るった呪文が存在するが、今から兵士一人一人を確認して回るには時間もリソースも不足しているからだ。ライカンスロープ達は昨夜街を滅ぼすことには失敗したが、確実にその種を撒くことには成功している。人々の心に猜疑心を植え付けたのだ。隣人が実は獣人かもしれず、突然襲い掛かってくるかもしれない──そういわれて不安を感じない者はいないだろう。またそれを煽るように、獣人の脅威を吹聴し排除を謳う連中がマーケットのテントなど数少ない人の集まるところに出没していた。
かくして、測り切れない不安要素を抱えたまま四回目の夜が訪れる。カタコンベの頂点からは清冽な蒼い光が投げかけられているが、それがあくる朝まで続いていることを保証するものはどこにも無かった。
ゼンドリック漂流記
7-6. ドルラー ザ・レルム・オヴ・デス 4th Night
「撃ェ!」
外壁の上に並んだシルヴァー・フレイムの信徒達がロングボウを構え、指揮官の号令に合わせて迫りくるクアジットの群れへと矢を放った。魔法によって強化された弓から放たれたアローはデーモンの外皮を容易く突き破り、飛行する下位デーモンを撃ち落としていく。大地には昨夜にも増して群れ集うアビサル・モー達で地面が見えないほどであるが、彼らは街を覆う結界を乗り越えることは出来ない。だが今夜は敵に飛行能力を持つデーモンが加わったことで戦況は一方的なものではなくなった。
シルヴァー・フレイム教会においてはロングボウを信仰武器として扱っており、信徒は皆その扱いに習熟している。彼らが結界の上を飛び越えてくるデーモン達へと矢を放ってくれるおかげで大規模な侵入は防げているものの、弓の射程外から街の中央部へ直接侵入を計られては街壁からでは防ぎようもない。そういった連中の相手は必然的に、各街区に駐屯している自警組織や領主の私兵たちが相手をすることになっていた。
とはいえ昨日のライカンスロープによる奇襲の効果は如実に彼らの士気を落としている。隣人がいつなんどき、獣に姿を変えて襲い掛かってくるかもしれないのだ。一時的に武器に銀のコーティングを付与する錬金カプセルが各人に支給されているとはいえ、半人半獣の牙や爪の脅威が薄れるわけではない。誰もが疑心暗鬼になりながら同輩に背を預けられないでいる。強力な結界に守られているとはいえ、その内側を護る防人達はちょっとした弾みで崩壊してしまいそうな弱さを抱えていた。
幸い、今のところの敵はデーモンの物量のみだ。脅威度1から2程度の雑魚が大量に押し寄せているだけでありさらに飛行能力を有している敵の数は全体からすれば僅かなものだ。おかげで特に大きな犠牲が出たという話もなく、ただし緊張を緩めることは許されない状況で戦況は推移している。延々と続くデーモンの襲撃──だが二日目ともなると、その全貌がうっすらと見えてくる。デーモン、と一くくりにしてもそこにはいくつかの種別が存在するのだ。
“オビリス”──太古から存在するクリーチャーであり、狂気の体現。”タナーリ”──オビリスに奴隷として創り出された種族であるが後に反逆してその地位を奪った、残虐さと罪の体現。この二種がデーモンの大勢力であり他にも”ロウマーラ”などといった比較的新しい種族が存在するのだが、この『死の接触』でストームリーチに押し寄せてきているのはそれらのいずれにも属さないデーモン達なのだ。アビサル・モーを初めとし、アビサル・スカルカー、アビサル・ラヴィジャー。クアジットにナシュロウ、カルネージ・デーモンといった下位のデーモン達がその殆どであり、この中で脅威となるのは飛行能力を持つクアジットのみだ。仮に中位程度のデーモンが来たとしても飛行能力や解呪能力がないのであれば《フォービタンス》を通り抜けることは出来ず、出来たとしても瀕死となったところにシルヴァー・フレイムの炎で焼かれるのみだろう。
そうなると注意しなければならない対象は限られる。飛行能力を有する中位デーモンのゾヴト、ウィスパー・デーモン、シャドウデーモン。そして上位デーモンであるデス・ドリンカーとブラッド・フィーンドだ。中位までであれば手練れの冒険者たちがチームを組んで当たれば対処できるであろうが、上位デーモンともなると相手が務まるものは限られてくる。
もっとも激戦区となるであろう市街区南部《サマー・フィールド》の上空から、俺はそういった敵を求めて戦場を見下ろしていた。西部方面にはラピスが、自宅周辺の北部方面ではエレミアとメイが子供たちを監督しつつ防衛が破綻しない程度に介入を行っているはずだ。海に面している東方面には誰も人を向かわせてはいないが、港湾地区の様子はここからでも見て取ることが出来る。これは毎晩の事だが、海側からは敵は来ないようでそれは今夜も変わりないようだ。
空中で俺が構えているのは、身の丈を越えるほどの巨大な弓だ。弓弦を張られたその全長は2メートル近く、重量は3kgほどか。通常の大型弓であるロングボウよりもさらに一回り大きなそれは、”コンポジット・グレートボウ”と呼ばれる特殊な武器だ。MMOには実装されていなかった部類の武器であり、この世界でわざわざ特注したものでその特徴は『射程』にある。
ゲーム時代は残念ながら遠隔攻撃に射程という概念が無かったためにあちらの武器はその基本的な射程距離を延ばすという能力をもっていなかった。そのためこちらでわざわざ特注したのがこの弓だ。このような巨大弓は一般的なロングボウの射程より3割増しであるところ、武器自体に魔法を付与することでその射程距離を+1倍、さらに巻物から起動したドルイド呪文の力で風を受け+1倍に、”ファイター”としての技量によりさらに+0.5倍に──残念ながら倍率どうしを乗算することはできないが、それでもこの弓から放たれた矢は1300メートル以上先の敵を貫く。これは20レベルの術者が遠距離に投射できる呪文の射程距離のほぼ2倍となる数値だ。遮蔽もなく、ドラゴンシャードの光が地平までを照らすこの状況に置いてはこれに優る武器は無い。最初に自分に付与した支援呪文以外は矢しか消耗しないという点も、リソースの温存という面から優れているだろう。
眼下を見下ろしながら矢を番え、支援呪文によって50を超えた筋力で弦を引き絞る。狂乱し超大型化したゼアドに伍するステータスの俺に最適化されたため他の誰にも使いこなせないであろう弓から、死を告げる矢が放たれる。シャドウデーモンやゾヴトといった脅威度10に満たないような敵は自分に何が起こったのかも知ることもできず知覚範囲外からの1矢で葬られていく。矢弾は無限でこそないが、放っても75%の確率で破損することなく手元へと戻ってくるというものを数千と所持しており注意すべき敵を葬り去るには十分な量だろうし、もしも不足するような事態になれば補充する術もある。この射程に加え、一定速度で巡回を続けることで俺一人でこの街区をカバーするというわけだ。地表を歩いてくるのは結界に任せ、隠れようのない空中を飛ぶデーモンのうち脅威度の高いものだけを射落としていく。まるでインベーダーゲームをやっているかのような気分だ。
だが、想像していたよりも敵の数は少ない。大部分は地上を這いまわる雑魚デーモンであり、《フォービタンス》を越えることも出来ずに死んでいく。昨日であれば結界の切れ目から街に侵入できただろうが、いまや街の全周が呪文で覆われているためにそういった有象無象の相手はする必要がない。悪い場合の想定として街を蹂躙するほどの高脅威度のデーモンが大量に攻め寄せてくることも考えていたのだが、どうやら肩透かしに終わったようだ。空を飛んでくる敵の侵入を完全に遮断は出来ないため被害ゼロとはいかないだろうが、街が壊滅するような事態は避けられるだろう。
問題はやはり街の内側だ。狂人たちが今日もどこかのタイミングで仕掛けてくるだろうことは明白だ。それは外壁近くの防衛隊を狙ってかもしれないし、あるいは都市内部に引き籠っている要人を狙ってのものかもしれない。昨日のライカンスロープによるシティ・ガード達への攻撃は、私兵を前線に押し出して各領主の護りに穴を開け、暗殺を確かなものとする布石とも考えられる。グレイデンの次に狙われるのは果たして誰か。アマナトゥ、オマーレン、セル・シャドラ、ラシート──外敵に苛まれながらも、毒蛇たちは他の頭を喰いとる機会を今か今かと窺っているだろう。
だが俺はそういった内憂には目を向けないことにした。俺にとってストームリーチは護るに値する都市だが、その領主間の争いに手を出す必要は無いという判断だ。たとえ首がすげ代わっても都市が無事でさえいればそれでいい。TRPG設定では最初からグレイデンは先代として死去しておりMMO設定からの過渡期とすれば領主たちの勢力図に大きな変化は起こらないであろうという考えもあるが、最大の理由は彼らの争いに下手に干渉することで手を取られ、今夜訪れるであろう真の危機への対処が遅れてしまうかもしれない事を嫌ったのだ。
優先すべきは都市そのもの、その原則を変える必要はないという判断だ。そしてその対すべき危険は街の外から来るのではないかと考えていたのだが、どうにも目ぼしいターゲットが見当たらない。デーモンの軍勢は日を追うごとに徐々に強大化しているのは間違いない。だがそうはいっても俺から見れば誤差の範囲に過ぎないのだ。極端な話、名前付きを除いたなかで最も強大な種別のデーモンが数体現れたところで、今の自分であれば一瞬で駆逐することが出来る自負がある。地平の先まで見渡しても、そんな恐るべき存在の気配は毛ほども感じられないまま時間だけが経過していく。
複数の占術師が決まって予知した問題の夜がこのまま終わるとは到底考えにくい。しかし現実としてどんどんと朝を迎える時間が近づいてきている。街を背に西方の地平を睨みつけるが、視界に映るのはアビサル・モーの軍勢だけだ。やがて東から薄明かりが広がっていくのが背中越しに感じられた。死の領域の大地が青い光に照らされていき、そこにいた悪鬼たちは溶けるように消えていく。このまま夜が明けて、いつものように朝を迎える時間が訪れるのか──一瞬そんな楽観的な思いが頭に浮かび、だが背中を駆けあがってきた違和感に体を震わせた。
“青い光”──それは朝日のものではありえない。東を振り返った俺の視界に映るのは水平線から顔を出した太陽の光、などではなく。
「──あれは、一体、なんだ?」
街の中心、カタコンベの塔に据え置かれた巨大なシベイ・ドラゴンシャードが脈打つように強い光を放っている。溢れるように零れ落ちた強い光はまるで途中から液化したかのように地上へと落ち、そこにいた敬虔な信者へと降りかかった──その直後、その信者は爆発したかのように膨れ上がる。いやそれは正確な表現ではない。”獣化”だ。体が倍以上に大きくなりさらに体表を覆う様毛が生えたことで爆発したように見えたその信者は、あっという間にワー・ベアとして顕現していた。
空には獣化を励起する月もないというのに、このような光景が街のそこかしこで見られるのだ。それは一般の信者たちだけでなく、厳正な審査を経たはずの高位の聖騎士の身の上にも起こっていた。まず間違いなくつい先ほどまで普通の人間だったはずの者達が、突如としてライカンスロープへと変じさせられている。ワーベアだけでなく狼、鼠、犬──様々なライカンスロープがこの瞬間にも次々に街中に誕生していく。
「《獣の悪夢/ワー・ドゥーム》か!? いや──」
最高階梯である第九位には、人型生物をライカンスロピーに感染させる混沌にして悪の呪文が存在する。だがそれは通常数人に対してのみ影響可能なもので、今俺の眼前で起こっているように街中で何十、あるいは何百といった対象を一斉に変じさせるようなものではない。そしてそれを成しているのはシルヴァー・フレイムの象徴たるべき青い炎を内に宿したシベイ・ドラゴンシャードなのだ。
──あれを放置しておくのはまずい。あれは良くないものだ
状況に流されながらも展開している占術には未だになんの反応もない。だが呪文の効果ではない、第六感とでもいうべきものが俺の中で最大限の警鐘を鳴らしている。だがどうすればいい? ここから攻撃を加えて破壊できるか、あの巨大なシベイ・ドラゴンシャードを。硬度、耐久、素材、射程距離から選択できる攻撃手段──それらを思索していたのは実際には瞬きにも満たない一瞬の事に過ぎない。だが、その刹那の間に大きく世界は変わってしまった。
脈動する青い光が一際大きく膨れ上がり、文字通り光の速さで広がったのだ。鮮烈な蒼い青い光──それが通り過ぎた後に訪れたのは待っていたのは全てを塗りつぶす漆黒の闇。それに至ってようやく、俺は街ごと喰われたのだということを認識できたのだった。