白夜と藍嵐   作:凍星 奏雨

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異種族と能力者を迎え入れる有数の学び舎、月桜学園。
しかし入寮当日、華やかな春を脅かす影が現れた。
赤毛の少女、椛野穂咲は覚悟を決めた者として立ち向かう。

苛烈な春風が、数多くの宿命を運ぶ。


序章
第一話 始まりと薄暮


 漂う冷気はとても春に居着いていいものではなかった。けれど身震いしたのは寒かったからなのか、畏れたからなのか、判別がつかない。

 ご丁寧にてっぺんが均された氷波の上に立つ私達へ、張った声が聞こえる。

「思った以上の奴らとバッティングしている。絶対に逃がすから、今回は退()いてくれ!」

 切羽詰まった声の、なんと満ち溢れた自信だろう。彼の抱いている自責は、単に自分の至らぬ想定のみに向いているようだ。そこからは数多くの人を救ってきた実績が滲む。

「だそうだ。君達はどうする? 無論、僕は戦うよ」

 片目を隠した少年がニヒルに笑う。視線を向けても、彼が見ているものは私ではなく相対すべき敵だった。

「私は逃げるよ、無論ね、無論。戦えないし」

 この状況で最も心細いのは彼女だろうに、言葉を借りておどけたように言ってみせた。そのしたたかな器量が、今は心地いい。

「願ってもない好機です。私も出ますが──かといって、貴女を強制するつもりはありませんよ。お気遣いなく」

 平坦な少年の声が私に向けられる。さも当然のように貴女は戦わなくてもいいと言い切るのは随分な物言いだと思う。それとも、彼なりの発破だろうか。

 だとしたら余計なお世話だ。願ってもないなんて、誰よりもまず私が言いたいのだから。

 立ち上がり、皆と同じ方を睨む。きっと運命に、悪に立ち向かう目的は皆違う。それでも今だけは確かに、同じ志を共有できた気がした。

「私も戦うよ。だって、その為に来たんだから」

 

 

「それじゃあ、私はこれで」

 そう言って老婆に微笑み掛ける。私から大きなカバンを返された彼女はくしゃっと笑って、去っていった。

 姿が見えなくなってから、私は振り返る。そして、カバンよりも大きなトランクを持ち上げて、今下ったばかりの階段を上り直した。

 駅のコンコースを通る最中、お店のガラスに近寄る。なんてことのない駅中コンビニに用はないけれど、思いがけない労働で見た目が崩れていないか気になった。

 ハネの無い赤毛は腰までまっすぐ。濃紺色のセーラー服はシワがない新品のまま。少し安堵して、私はさっきと逆方向の階段へ降りた。

 大きな音を奏でるトランクが描くのは如何にもな旅立ち、ずっしりと背負われたリュックが放つのは新芽の如き初々しさ。新入生に相応しい姿をしているであろう私は見上げる。薄桃色で塗りたくられた山の中腹に遠くそびえる学び舎、新しき住まいを。

 不規則に踊るトランクを宥めながら、つい早足気味に向かう。

 そうして駅から少し、同じ目的地に向かっているらしい人が増えてきた頃に息を呑む。一般的な少年少女と同じ数並んだ、露悪的、そして世間的に言ってしまえば──魑魅魍魎の存在に。

 学園支給のセーラー服から青肌を覗かせる少女。額に対となる角を生やした少年。獣の表皮。ゲルの身体。十人のうち十人が人間じゃないと判定する容貌が、私と同じような表情を浮かべている。不安とも、好奇心ともいえる表情を。

 この光景に指差して、人間の社会から逸脱した魔境と、(のたま)う人間もいるだろうが。

 実際自分はどうだろうか。悍ましいとは思わないけど、こう考えている時点で気を遣っていることになる。果たしてそれは相手にとって快いものだろうか。横断歩道の停止に乗じて、少し気持ちの整理を試みる。

 すれば、予期せぬ衝撃が私のリュック越しに伝わった。

「きゃっ」

「ぶえ」

 深く吸った息が予期せず吐かれ、つい大袈裟に振り向く。衝撃の小ささ通り、頭一つ低い少女が鼻を抑えて見上げている。どう言葉をかけるべきか迷ったところに、少女の口が開いた。

「ごめんごめん。よそ見しちゃってた、大丈夫?」

「う、うん。こっちこそ、急に止まってごめんなさい」

「いいよぉ。気持ちは分かるしねえ」

 リュックを背負い直してはごく自然に私の横へ位置取る少女の姿、それはどこをとっても特徴だらけだった。三年間の生活を預けるには心許ないリュックしか背負っていない様子は、高く活発な声も相まって、誰かの妹が兄姉愛のあるがまま着いてきたという方が納得出来る。

「んー? やっぱり私も不思議?」

 自分に向けられた視線を感じ取ったのか、小柄な少女は腰の隙間から伸びる二股の尾を揺らした。それは特徴の多い彼女から、敢えて一つ選ぶとしたら絶対に挙げられるであろう明確な要素だ。ネコ科のそれは根本で二つに分かれ、時折別々に動いてもいる。煙じみた妖しい動きは実際の猫と似つかない、外見から分かる唯一にして決定的な異種族的要素が揺れている。

 ちゃんと視界に入れたうえで、少女の問いにはっきりと答える。

「不思議だけど、ちょっと安心してる」

「もしかして初めての友達が私なことかな」

「あぁー、それもそうだけどね」

 丸っこい目を瞬かせ、首と共に尻尾を傾げた様子はあさとくも愛嬌がある。行き先に視線を移して、本心を打ち明けた。

「異種族ばかりの環境も、不安だけど怖くはないんだなって、そんな自分に」

 返答がない。進みながら様子を伺ってみると、大きく鮮やかな紅い瞳が吸い込みそうなくらい私を見つめている。黙って、笑うでもないその様子に、少し緊張を覚えた。

「そっか。さっきは冗談だったけど、ほんとに友達になってほしいかも」

 そう言って、少女は優しく笑った。胸を撫で下ろして頷く。

「勿論。私は椛野(かばの)穂咲(ほざき)。木へんの花に野原で椛野、……聞き慣れないと思うけど」

「穂咲ちゃんね、よろしくー。私は真代坂(ましろざか)仁子(にこ)

 苦笑して、頷いた。

 人間の尺度で進むこの世界には二つの異分子が存在する。

 一つは異種族。

 純粋な人間ではなく、一定の知能と言語が在る者。鬼、獣人、幽霊などと、それはオカルト殺しの常識外だ。彼らは時折、思想の前提から人間と違うこともある、仮に例えれば幸福の基準からしても、誰かを傷付けなければ至福が訪れない種族だっているだろう。思想が違えば、怪物同然の姿かたちである者達は、人間社会からの排他を余儀なくされた。思想の違いなんて、マンションの隣人ですらそうだろうに。

 私達が目指す学園、月桜(げつおう)学園は世にも珍しい異種族を歓迎する学園だ。かれこれ長い間、人間である私が老衰しても届かない程にそこの教鞭は振られている。校長の理念はとてもおおらかで、生命は排他されるべきではないという至極美しい理想を三年の間確約してくれるそうだ。

 そんな学園にどうして人間の私が通うのか、それは二つある異分子の後者に属するからだ。

 並走する少女を見下ろすと、さっきは気付かなかった毛並みの美しさに心が惹かれた。頭頂部から毛先まで、薄紫色が段々と濃くなっていく階調的な髪だ。所々銀髪も垣間見えて、染物じゃないと断言出来る輝きがそこにはある。

 見惚れている、とも言える視線に気付いて、彼女は小首を傾げた。

「あぁ。見た時から思ってたけど、荷物少ないなって」

「皆が多すぎるだけだよ。ママに色々送ってもらうし、必要なら買う」

 ふむ。自由な雰囲気も、その母親から大切にしてもらった証なのだろうか。私はこの子を知らないけれど。

「そっか。この辺りのお店とかも知っておきたいね、これから長い間お世話になるし」

「三年ってあっという間だと思うけどなぁ。でもお店は賛成、今からでもいいよ」

「この荷物で行くのはちょっと。荷ほどきもしたいし、明後日とか」

 自分が軽装なのを良い事に無茶を言う子だ。

 和やかに彼女は頷く、たったそれだけなのに胸が軽くなった。駅前のカフェや道すがらの洋食屋、行ってみたいところは程々にあるし、それ以上に新しい友達、新しい価値観と関わってみたい。

 本来の目的をより彩る脇道が早々にできたところで、花弁運ぶ春一番が私達の口を塞ぎに掛かる。正面から迫るそれに思わず立ち止まる、隣に立つ小柄な体躯が飛ばされそうだと肝を冷やしたが、それも杞憂で済む。細目で覗いた、風に撫でられ終えた髪の蠱惑的な美麗さに息を呑む。

 風は一仕事終えた、と言いたげに花弁を残して消えてゆく。

「凄い風だったねぇ。飛ばされちゃうかと思った」

 間延びした喋りに雅な髪飾りがなんとも出来上がりすぎていた。入寮当日に自然体で居られる器量もさることながら、彼女を彩る物全てが魅力に加担していると錯覚してしまう。

 日に当たる薔薇のような色の目が、私より上に焦点を合わしていることに気が付く。

「にゃはは、髪に桜ついてる。可愛いんだぁ」

 頬に明かりが灯ったのが分かる。今しがた麗人だと思わされてからに羞恥心は大きい。仕返しの気分で私は言葉を返す。

「そっちだって、ほら」

 梳くようにして髪に触れ、桜の花弁を持って見せる。予想だにしなかった自身の姿に面食らったのか、二人して桜を身に着けるという間抜けた様子を想像したのか、彼女は先の笑いとは別の愉快な声で笑い始める。

 つられて笑い、残った緊張すらも吐き出して、ひとしきり笑い合った後に確信する。これから何が起ころうと、良い春だ。

 桜が転々と敷かれた道を歩くこと数分、人の集まりがより濃い場所が見え始めた。

 流石に荷物を持って山を登るなんて無茶は言わず、山の麓にあるバス停から学園までを送迎するバスに乗る手筈だ。学園側からも同様の移動らしく、きっと何度もバスに乗る。

 一本の横断歩道を跨げば、歩道はバス停までずっとまっすぐ。目的地が見えて、お互いどことなく安心した声を吐くのも束の間のことだった。

 バス停と私達に割って入る形で眼前数メートルに何かが現れた。不自然に、前触れなく。

「え……?」

 疑問の声は溶け合って、私のものか真代坂さんのものか分からない。どんな困惑の表現もこの場面ではひとしく当然と言える、なにしろ目の前に現れたのは──月だった。

 比喩でもなく、間違いなく月なのだ。表面が荒く凹凸のある球体は色素のない寂しげな白色で出来ている。大きさこそ人型大であるものの、それは確かに月だった。まるで状況が分からず、自然と後ろへ退いていた。

 惑う時間を与えず、その月の上に一人の女性が現れる。ゲームのように音も動作もなく現れた様子は、例える言葉を、瞬間移動としか知らなかった。足を組んで座っており、見下した視線と私の視線が交差する。

 うっすらと歪めた口角には、喜色以上の悪意があるような気がした。これが入学歓迎の一貫ならいっそ問い詰めてやろう。私は口走る。

「逃げて。嫌な予感がする」

 少しの間の後、横合いから相槌が聞こえる。さて、私はどうすべきか。

「キミは逃げないのか。勇敢だね」

 私は沈黙を選んだ。

 月に座る女性は成熟したハスキーボイスで、金髪のセミショートに相応しい小粋さがある。真代坂さんとは別アプローチの魅力的な容姿だが、好印象とはいくまい。

「いや怯えて竦んでいるにしては、目付きが怖いかな。手早く始めるとしよう」

 女性は目を伏せて笑う。奥に見えるバス停ではこっちを見てなにやらザワついていた、学園側の出し物と考えるのは難しくなってくる。

 よそ見が出来る余裕は、遂に消え去る。

 緩く上げた右腕で、金髪の女性が指を鳴らす。パチンと呆気ない音と共に、月には三人が新しく立っていた。またしても瞬間移動。

 この世界に生み出される二つの異分子、先程後者と述べたもの。

 それは、人の機能や科学を始めとしたあらゆる前提を嘲笑う異能を持つ者。火を放つ、人心を掌握するなど()()()()()()()()()()()()

 即ち、能力者。

「狩猟者は我らなり、この白昼を惨劇の序章たらしめようか!」

 新たに現れた三人は、その号令に弾かれ動き出す。その内二人はバス停、より人の多い方へ。金髪の女性を除いてもう一人は、まっすぐ私の瞳を射抜く。

 黒い外套に包まれた小さな輪郭の、そのまた小さく覗く桃色の眼光は、一際攻撃的な印象を抱いた。

 純粋で研ぎ澄まされた、憎悪。

「穂咲ちゃん……」

 右腕が後ろに引かれる。華奢な手の輪郭には力強い感情が籠っていた。

 一瞬だけ、確かめるように私は振り返る。柔和な少女の顔は面影もなく、深刻ではっきりとした紅い瞳。案じてくれている、それが最後の一押しになって、私は右腕を強く振り抜く。

「大丈夫」

 向き直り、黒外套を注視する。依然として月の上に座ってる女性は、全体を見渡しており、干渉してくる気配がない。ならば私は、かの瞳が帯びる憎悪を受け持つだけだ。

 黒外套が地を蹴り、瞬く間に私達へ接近する。一足飛びじゃ到底埋めれない距離だ、何か仕掛けがあるのか、それとも純粋な脚力か。

 外套から華奢な細腕が覗き、ひっかくようにその右腕が振り下ろされる。リュックを投げ捨て、車道側へ飛び退いた。住宅のある歩道沿いよりも幾分か被害は出にくいはずだ。

 幸い私以外には目もくれない様子。真代坂さんの視線に臆目を見せず頷けば、彼女は塀の傍らに投げたリュックを持ってこの場から離れ始める。

 外套から伸びる双腕が私へ何度も繰り出される、獣のような暴れ方には攻勢に出る隙も見出せない。それでもって、私に向けられた憎悪を裏付けるような振舞いに合点がいく。

 この大地では争いが絶えない。

 人が生きている限り──なんて哲学じみた道徳問題を説きたい訳ではない。

 テレビをつけて異種族、能力者の事件を見る日は少なくないのだ。弾圧された感情が暴発し、悲劇は絶えず巻き起こる。その結果、異街一つを放棄することだってある。故にこの事態に驚きはない。こんな日に──ただ、それだけ。

 常人の身でこの瞬発力には及ばない。爪牙と称せる細腕が、私の身を明確に切り裂こうとする。対人用の足運びの実践は失敗を迎えてしまうか。

 否。その腕が私へ迫る直前、私と外套の間に握りこぶし程の種子(・・)が出現する。

「ぐぁっ!」

 幼気な悲鳴を漏らして、黒外套がはためいた。

 正面から黒外套を突き飛ばしたのは、種子から伸びる一本の枝木だ。宙を浮いて存在する自然の一端には、科学を告げようが馬に嘯くのと同義だろう。これが私の持つ非常識だ。

 して、忽然と種子も枝木も姿を消す。元から何もなかったかのように。

 人の機能や科学を始めとしたあらゆる前提を嘲笑う異能を持つ者。即ち能力者、即ち私。

 黒外套からは少女の声がした。それも私や真代坂さんよりもっと幼い、小、中学生くらいの声。外套の少女が私を見上げ、次第に立ち上がる。すると、オーディエンスよろしく月の方から声がした。

「頑張れ頑張れ、キミの悲願の第一歩でもあるんだから」

 その言葉の意味を考えるより早く少女が叫ぶ。

「うるさいっ! 見てるだけなら喋るな!」

 口振りは駄々をこねる子供のようだが、彼女の踏み出す一歩はやはり俊足だった。それもギアが上がっている。

 少女の横合いから種子を出し、阻むように枝木を伸ばした。それは丁度少女の動きと重なり──されど身体は吹き飛ばない。

 迫った少女は右腕で枝木を受け止め、勢いを殺すまで踏みとどまった。細腕と比べ、枝木の太さは電柱程、そうヤワな力で動いてないはずなのに。

 ……もう人の常識で例えられない戦いの当事者となっていることに、胸を満たす形で実感する私がいる。この時間に没頭出来る私を、いまいちど自覚してしまう。

 不謹慎な高揚は早々に打ち消された。

「うわぁぁぁッ!」

 外套の少女の背後、遠くから少年の悲痛な叫びが響く。月から降りたのは三人──残りの二人が向かった方向と同じだ。

 他にも襲われている新入生がいる。途端、自分はえも言わぬ責任を背負った気がした。

「アアアァァッ!」

 少女の咆哮が劈く。

 意識を散らした私へ鋭い熱さが走った。瞬きの間に距離を詰めた少女へ、辛うじて反応出来たのは腕のみ。

 新品のセーラー服は裂かれ、右腕からは血が滴る。その赤色が落ちるよりも先に、外套から続く腕が伸びた。

「くっ……」

 たまらず放った私の枝木を、彼女は目線もくれずに後ろへ躱してみせた。単調に伸ばしたツケが来ている。焦りと未熟の表れを手酷く指摘するように、二人を線引く枝木を潜って黒外套は間合を詰める。

 障害を掻い潜り、前傾姿勢で敵へ迫る姿はまさに狩人。それも理性と弓矢で戦うようなものではなく、本能と爪牙で襲う獣。

 足が動かぬまま、腹部に重い衝撃を喰らう。

 頭が揺れ、吹き飛んだ身体が止まった頃、漸く蹴り飛ばされたのだと分かった。骨も内蔵も多分異常はない。

 立ち上がろうとする私の意志に反して、思考は鈍く身体は重い。一度吐き出し切った息を取り戻そうとしても、意識せずには呼吸もおぼつかない。

 それでも視界の端で怯える人が見える。なら、私の身体なんて些細な問題だ。

「まだ……まだ、こんなものじゃない!」

 震える手を握り締めて、幼くも深い憎悪へ向き合う。蛍光色の桃色目が私を睨み、そして肉薄した。

 一心不乱に宙をかき混ぜる細腕をすんでのところで躱し続ける。

 踊りの方がまだ分かりやすい足運びは鍛錬の甲斐あったか。しかし攻勢へ出る暇がない。能力と自分の身体を並行して使うまで意識が及んでいない。

 博打だが、しかしそうすべきなのかもしれない。ただ時間を稼ぐだけでは彼女が目移りしてしまう可能性がある。逃げ遅れた人へこの腕が振られてしまった時には、きっと私は笑って生きられない。

 巻き付く蔦をイメージして、種子を出すのは外套の背後。

 自分を中心とした円に、一つ点を打ち込む感覚で世界に植える。

 腹部に春風が通りすぎる。一瞬思考を切り替えた間にも繰り出された爪撃は、衣服のみに留まって切り裂いた。足を止めれば内臓が抉れた事実に震える暇はない、種子から伸びた枝木はしなるように伸びた後、外套の横腹へ狙いを定めた。

 この不意打ちは二度とない機会だ。この少女は勘が良い、一度見せた技が通じないと思わせる柔軟さがある。なら代償は甘んじて支払おう。

 回避行動をやめ、両手を正面に伸ばし始める。姿勢制御に使っていたものがなくなり、慣性のまま呆気なく後ろへ倒れ込むのを感じた。防御から転じようとした私に外套の少女は容赦なく猛打を続ける。構わない、一発くらいはくれてやる。

 大振りに振るわれる細腕の内側──少女の頬を抱くように両手を伸ばし、半ばでそれは衝突する。

 少女の眼前で音が爆ぜる。古典的な炸裂音、即ち猫騙し。

 再び私の腕を爪が抉る。前に出した腕で防げたのは僥倖、けれど二度も裂かれば苦痛も漏れる。

 構うな、食いしばれ。この際何が起きたっていい、能力への意識は絶やしてたまるか。

「ぐッ──!」

 外套へ抱き着く枝木は、彼女の右腕も巻き込んで締め付ける。爬虫類の舌を連想させる動きで枝木は二重に縛り、持ち上げた。不意に巻き取られた少女の身体は見た目不相応の膂力をもって抵抗を図っているが、ふんばりが効かないと容易くいかない様子だ。彼女の足と地面はせいぜい一メートル、致命的ではないが畳みかける猶予には充分だ。

 右腕の感覚が無くなって来ている。ならばと、二つ目の種子を展開した。私じゃ同時に出せるのは二つまで。伏せていた要素を切るのはここだろう。少し小さく寄越した種から、枝木を少女の首へ伸ばす。

 抵抗はあったが、素早く行動不能にする手段はこれしかない。気道を締め上げ、気絶させる。

 阻まれることもなく少女へ二つ目の枝木が絡みついた。万が一拘束を解いた時にも、私を狙えるような近い位置で事態に備える。バス停周辺で起きていることに目を向けたかったが、今の私にそこまでの余裕はない。……断腸の思いを抱くのは、きっと傲慢だろうけど。

 少女は左腕で身体をまさぐる。酸素不足に藻掻いているのだろう。上手く事が運んでいる証拠だ。

 深い息が私の喉から吐き出される。これは安心だ、初めての実践で動けた事の、過去の無念や努力に報いた事の。

 言い換えれば、油断だった。

 少女の左手に赤い注射器が見える。赤黒く不透明なものが入ったそれは、ガーターリングに幾つか揃っていた。

 すぐに駆け出す、このタイミングで現れる物なんて不吉に決まっているのだ。しかし、私の手が届くより、針が肌を刺す方が圧倒的に早かった。

 伏せた札は、向こうにも。

 耳障りな筋張った破壊音が鳴る。それは枝木が無残に千切り捨てられたことを意味した。

「な──」

「もういい、怒られたって知らない。本気で殺してやるから」

 子供が怒ったにしては酷く冷たい声。鼓膜を通じて、その小さな体に塗りたくられた鮮血を幻視する。

 少女は接地しない。外套を剥ぎ捨て、彼女は黒く蝙蝠めいた翼を出して浮かんでいた。獣なんて低俗な印象を拭い去る姿、足を竦ませたのは言うまでもなく私の弱さだった。

 上空から吸い込まれるように突撃してくる黒羽の少女。種子の防御は間に合わない。前進ですれ違うには遅く後退も意味がない。彼女は回し蹴りの構え──受け止めるしかない。

 重く、骨も軋む蹴撃が両腕に響く。

 両腕をもって防御も成立しない力の差は一方的な激突ですらある。技術では埋まらない溝を思い知り、私の身体は宙に吹き飛ばされた。

「ガハッ──」

 電信柱に支えられ、私の身体は地面へ崩れ落ちる。後頭部に痛み。思考が纏まらない。ただ危機を告げる心臓の音だけが他人事のように聞こえる。

 顔を上げれば追撃に空を飛ぶ少女の姿、ものの数秒で頭蓋でも砕くか。

 身体はまだ動かない。地面を這ってでも避けるべきなのに、口だけがぼそりと動いた。

「でしゃばったかな、でも」

 私がいなかったら奪われていた命は、一つより多くて、私より大事なはずなんだ。真剣に世界を変えようと学び舎へ来た人、垣根を越えて沢山の友達を作りに来た人、私と同じ志で私よりも誰かを助けられる人。その礎、いやもっと些細でもいい、きっかけや踏み台になれればきっと私は救われる。

 駅前のカフェの入店音すら分からないままなのは、少し勿体ないと思う。

 悔やみはしない。命を助けて悔むことなんてあってはならないだろうから。

 だから、私はただ憤った。自分自身へ。

 衝突音と突風を感じる。思いも寄らぬ未来に、閉じかけた瞼は引き上げられた。

「──ッ死んで……ないよな!?」

 切羽詰まった声が頭上で聞こえる。

 私の目の先、あの怪力を正面から受け止めている少年がいた。私に向けられた瞳は、見開いたまま問いを待っている。

 少女の足を弾き、少年は息を吐く。深々とした呼吸に余裕はない。

「うん。……向こうの人を、助けてあげて」

 バス停の方へ向くが、へたり込んだままじゃ上手く見えない。戦闘音は聞こえる、一方的な蹂躙と聞き間違えていない事を願うばかりだ。

「お前、自分の状態分かって言ってるのか……?」

 正論だと思う。けれど思考を介して物を言える状態ではない、ただ奪われる命が少なければいいと、理想しか言えない体たらくだ。

 彼の黒い学ランに着崩れた様子もない、きっとこの人も新入生なのだろう。日光が重なって彼の輪郭が眩く縁取られる、何処か手を伸ばしたくなる程綺麗で、なによりもまず憧れを見た。

 ほんの小さな風切り音が鼓膜を撃つ。

「な──、にが起きた?」

 少年の声の先で、蛍光目の少女が強く弾かれたように倒れる。

 由来を探すよりも早く、季節が逆行したような凍て風が吹いた。桜を舞い散らすのが的外れな寒さだった。

 電信柱を頼りに立ち上がる。

 私が焦がれた姿がそこに在る気がして、途端に胸が痛くなった。

 空から降り立つのは二人の人影、どちらも腕に統一感のあるモチーフを付けている。

 雷電を身に纏う長身の少年、冷気を漂わせる三つ編みの少年。口を揃えてその喉を鳴らす。

銀狼隊(ぎんろうたい)戦闘部、ただいま現着しました!」

 歪み倒れゆく視界で、何故だが伸ばしていた手を見つめていた。

 

 

 柔らかく沈むものに抱かれて私は目を開く。暑いくらい身体を包み込む布団の感覚と、消毒液に近い匂いが、状況に納得を覚えさせる。

 カーテンの白、天井の白、照明の白、潔癖すぎる色彩が取り囲んでいる。カーテンの囲いの内側には私の寝ているベッドしかなくて、ぼんやりと理解出来る、きっとここは保健室だ。

 やけに健やかな寝起きなもので、記憶の一端が夢想だったのではないかとすら思う。それならばどこからだろうか、実は早々に気を失っていたのならお笑いものだ、ピエロのように虚しくもある。

 不意に視界が開ける。カーテンが滑り、吸い寄せられるような瞳が現れた。

「ひゃっ」

「あ、起きてる。良かったぁ」

 思わず言葉を零した私に、真代坂さんが微笑む。鮮烈な色を伏せて山なりになる瞼、この慈しみが夢じゃないだけなんだか満たされる気がしたが、彼女の背後にいる姿を見てしまえば寝ぼけた事も言っていられなかった。

 布団を剥いで地面を踏む。自分の軽やかな動きにはかえって不信感を抱くが、疑う時間が惜しい。カーテンの境を出てその姿を確かめた。真代坂さんの後ろに置いてあるワインレッドの革張りソファに、見覚えのある少年が確かに座っている。

「大丈夫そうだな。……じゃあ、俺はこれで」

「あ、待って」

 カバンを持って立ち上がる少年に静止の手を伸ばす。横に並んだ少女も振り返り、私と同じ方向を見る。階調髪が香りを撒きながら、調子良く彼女は口を開いた。

「そうだよぉ、待ってる間も心配そうにしてたのに」

「別にそんなんじゃ……」

「折角なんだしちゃんと顔合わせておこうよぉ、同じクラスになるかもしれないんだし」

 顔を背ける少年へ畳みかける真代坂さん、彼女がズイズイ行くのに人は選ばないのだろうか。変わらぬフレンドリーさに感謝を覚えながら、それを伝えるべき相手へ一歩近付く。

 もう夢なんて放言してられない。鼓膜に残る金槌めいた攻撃を受け止める衝撃音が、目に焼き付いた背中がその事実をありありと肯定している。

「私も、ちゃんとお礼を言わせてほしい。ありがとう、助けてくれて」

 ようやく正面から顔を見る。

 長い前髪、黒く跳ねっぽいそれは如何にも普遍的で、逆に言えばそれくらいしか一般的な要素がない。宝石のように澄んだ水色の目、その中を黒く切り裂く爬虫類じみた瞳孔は、この世の異物感とも言える雰囲気を写している。輪をかけて彼を異物たらしめるのは、頬に浮かぶ青い硬質、そしてなにより右の額から覗く黄色の角だった。

 彼は頬を、否、鱗を掻く。カリカリと鱗の合間を爪で弾く音がする、決して人体から出せる音ではない。

「結局助けたのは銀狼隊で、オレは何もしてない」

「まだそんなこと言う。私を助けた穂咲ちゃんを助けた君をギンロウタイが助けたーでいいじゃん」

 ふん、とわざとらしく頬を膨らます小脇の少女。事を単純にされたことが効いたらしい青鱗の少年は、じきに小さくため息を吐きつつ、「そうだな」と受け止めてくれる。つられて薄く息を吐き、春先に相応しい穏やかで澄んだ気持ちを思い出した。

「じゃあさ自己紹介しよ。私は真代坂仁子、こっちは穂咲ちゃん」

「か、椛野穂咲ね。三年間よろしく」

 逃がすまいと、出し抜けに名乗る彼女につられて続く。眉を落としつつも笑い、私は少年の瞳を見つめて待つ。

(つじ)誠也(せいや)。まぁ、よろしく」

 一区切りついたところで、全くの意識外から穏やかで不満気な声が飛んでくる。

「はいはい、元気なら出てった出てった。保健室で青春するんじゃないよ、胸が痛くなるだろ」

 肩を跳ねさせて、声のした方へ向く。灰色の教員机に頬杖をついて、中性的な顔立ちの大人が嫌気まじりに笑っている。白衣の似合う長身が猫背姿勢で台無しだった。

「ごめんなさぁい。あ、あの先生が穂咲ちゃんの怪我治してくれたんだよ、ひょーいって」

 私の腕と紅い瞳、加えて白衣の大人を順繰りに見る。先生と呼ばれたその人は苦笑しつつ「仕事だからね。礼はいいよ、飽きたから」と言ってのけた。どんな反応が適切かわからず、辻君へ常識的なコメントを期待しても、それはあえなくスルーされる。

「制服の事は残念だったね。まぁすぐに新品が来るだろうさ」

 実際、まるで後遺症を感じない現状はそれだけが懸念点だった。右の袖から荒々しく素肌を晒すという、前衛的でファンキーな装いで入学式を向かえないよう、私は祈るほかあるまい。

 ひとまず、軽く感謝を伝えて私達は保健室を出る。

 春休みの校舎はひどく静かで、スリッパの音が不規則に響く。

 結局流れで一緒になった辻君はどこか居心地が悪そうだ、初対面の異性二人と時間を共有する状態が好ましくないのはなんとなく察せる。私と彼がそれとなく気まずい雰囲気を自覚する中、相変わらずの弾んだ声が廊下に響いた。

「校門先まで一緒に行こうね」

「この際だし付き合うが……本当になんともないのか」

 提案に一呼吸置いて辻君は問う。命懸けとも解釈出来る救援の時点で言えたことだが、異種族がここまで自然に人へ優しく接する姿は中々見たことがない。彼を見ていると、異種族という括りも呆気ないような気がしてくる。

「うん、大丈夫そう。……あれからどうなったの?」

「後からやってきた人がいい感じにしてくれたよー」

「話す気ゼロか。まぁ、銀狼隊が来てからは、奴らも退いてった。月に乗せられてな」

 辻君の補足でなんとなく察しがついた。あの規模からして、元より正面戦闘をする気はなかったように思う。結局のところ瞬間移動のカラクリはよく分からないが、ともあれ被害なく追い返せたからこその現在なのだろう。

「穂咲ちゃんより酷いケガの人はいなそうだったし、穂咲ちゃんを送る車に乗せて貰えてとっても楽だった」

「バス停はごった返してたしな」

 うんうん、と何故か満足げな真代坂さん。この様子なら荷物も運んでもらったと考えて良いらしい。

「そっか。良かった、なんも考えてなかったから」

「えぇー、あんな自信満々に言ってたのに。大丈夫。って」

「お前いつか死ぬぞ」

 来客用の玄関で靴を履き替える。歩幅が心地よく合い、昼過ぎの強い陽へ飛び出した。二人からの苦言を笑って誤魔化すが、結局のところ(ほだ)したのは暖かな春風だと思う。

「まぁ、二人とも無事で良かったよ。色々ありがとうね」

「ほんとにねぇ。荷物とか重かったんだから」

「持ったのはお前じゃないだろ」

「まぁ荷物なんて置いといて──なんで、二人は助けてくれたの?」

 それを純粋な疑問と定義付けるには、橙をまぶされた彼女の顔があまりに劇的な色彩だった。

 夕陽に眩んだ紅い瞳を細めて、振り返った私達を見つめている。

 空の向こうは冷たい色が侵食し始めている。

「……オレは頑丈で、目の前で人が死にそうだったから」

 彼は平然と言ってのける。声に乗る熱の無さは夜空に似ていて、私だけがこの空気に焦燥を錯覚している。

 沈む夕日が背中を刺して、私から生じた影が真代坂さんに覆い被さった。

 ここで友達だからと笑って言えたらカッコいいと思う、それに安心だってする。でも言えなかった。私の喉にその言葉が見当たらなくて、逆光に表情を隠してもらえていたらと願わずにはいられない。

 答えられずにいると、少女は重ねて言った。

「穂咲ちゃんは?」

「……助けたかったから、かな」

 決別する思いで、私は答える。

 助けたかった理由を聞いているのだ、そう言わんばかりの小さな口が結ばれる。

 地面を転がる桜の花弁、行く宛があるように彼らは私達を掻い潜って走り往く。

 私の視界で、持ち前の赤毛が夕陽を纏った。煌々と燃ゆるように靡く。山中を走る風はどうも不穏に寒々しい。

 風がもっと遅ければ、この一言もかき消してくれたであろう。

「前から、私は誰かを助けたかったんだ。自分のやりたいことの為には、不幸な誰かが必要だった。チグハグだよね、分かってる」

 分かってるけど、これが、本心。

 折角出来た友達を手放すのは心細くも軽やかだった。追い風のおかげだったのかもしれない。誠実さと引き換えなら、等価にもなろうか。

 目の前の表情が歪む。

 目尻をふっくらと盛り上げ、仄かに凹む頬が懐っこい笑いを象った。

 まるで安心したように、彼女は笑った。

「そっか、良かった!」

 道路の白線を跳ぶように、浮かれた足取りで彼女は近付く。そのまま私の手を取って、見上げた顔は澄ました微笑み。不可解なくらい自然だった。

「なら私も言わないとね、ありがとう、穂咲ちゃん」

 少し小さく冷たい手がしなやかに包む。抱擁よりも慎ましく、また誠実だとも思った。

「それと辻君も──って、なんで行っちゃうの!」

「なんか、場違いな雰囲気そうだったから」

 サラりと髪を揺らし、辻君のいた方向へ笑う真代坂さん。つられざま見てみれば、歩き途中の姿勢で止まった辻君はいつの間にか距離を開けていた。

 私の手を取ったまま駆け寄る彼女の後ろ姿はすっかりお転婆少女のそれだった。律儀に私達を待つ辻君もまた、先と同様に素直だ。

 置き去りにしないでくれた手を握り返し、私達は寮へ向かう。

 私達は不揃いな歩幅を合わせる。

 どんな風よりも刹那的で、少しくすんだ青い春が始まった。

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