――月桜学園・一年生
椛野 穂咲《かばの・ほざき》――赤毛の少女〈種子〉
辻 誠也《つじ・せいや》――青鱗の少年《竜人》
房嶋 豊鷹《ふさじま・ゆたか》――深緑目の少年〈治癒〉
真代坂 仁子《ましろざか・にこ》――階調髪の少女《猫又》
仙慈 寿人《せんじ・ひさと》――目隠れの少年〈万華の右眼〉
金時 射弦《きんとき・いづる》――白髪の少年《剣士》
第一話 ヘキサグラム
昼休み。次の時間を確かめた後にスルりと席を立つ。辺りの同級生、具体的には翼人と蛇人や人狼を尻目に教室の出口を目指した。目指すと言っても障害がある訳ではないのだが、しかし心持ちは挑戦となんら変わりない。
空いた扉を人の波に紛れながら潜ろうとしたところで、やはりというべきか、そんなことを思うのは自意識が高くてやってられないが、けれど予定調和のように声を掛けられる。足を止めて、はっきりとした女声の音源を見やる。
「辻君、お昼一緒に行かない?」
椛野や真代坂だけではなく、二人の少年が付き添っていた。一人は金時射弦、入学早々『私とお手合わせ願いたい』と宣って以来関わりはなく、扱いの置き所に困る。
もう一人は房嶋豊鷹。席は対岸、端と端、話す機会など陰キャが陽キャに話しかけられる準備をしてから実際に話しかけられる時くらい無いが、オレらのクラスで彼の名前を知らない人はもういないだろう。房嶋は早速クラスの中心となっており、授業にコメディを足しながらも真面目な時は真面目と、輪を乱すことのない模範生徒である。髪を切ればもっと爽やかさも出てくる気がするが、そこはこだわりだろうか。
食堂へ行く道すがら。椛野、真代坂、金時三人の共通の話になった辺り。赤毛と紫色のグラデーション髪と白房がいずれも長く垂れていて、少し面白い絵面だ。
ベージュをポニーテールにした房嶋がオレに懐っこく笑う。
「辻君、昼は何派?」
今日が入学後始めての昼休みなのに何派もない気はする。まぁ、これからのスタイルを聞いているんだろう。
「購買のつもりだけど」
「えーっ、勿体無いぜ。うちの学食すげぇ美味いって噂なんだよ」
「へぇ」
「俺なんか学食食べたくてここ選んだもんな。マジ楽しみ」
ちゃんと目を合わせて話してくるのが、少し居心地悪い。嫌じゃない、房嶋の振舞いには不快と感じる要素が欠片も混入されてない。つまりはオレの問題、負い目とか罪悪感とか、そういうものに近い。
オレの左側に立って、よく顔を見て話してくれるわけだが、それはつまり嫌でも目に入るという事。青々と張り付いた首筋、頬の鱗が。に左の額に生えた異物、黄色の角が。
声を抑えて、背けがちの目を合わせた。房嶋は曇りない緑色の目なのだとようやく分かった。
「嫌じゃないのか。アレなら、抜けるけど」
椛野みたいなタイプは、断り続けたらなんとなく角が立ちそうな気がして、付き合える時は付き合うつもりで接しようと思っていた。真代坂も、あれで裏表があるとか嘘だろう。金時は知らない。
兎も角、オレに付き合わせるのは酔狂者だけでいいと思う。そもそもの話、辻誠也という異物がないこの四人の方が、纏まりだって良く見える。
「何が? ……って言いたいけど、まぁ多分異種族とかの話だよな」
眉を落としつつも発音は軽く、声量も廊下の喧騒に紛れる程度へ。付き合いの上手い奴なんだと実感するには尚早ながら充分過ぎる。
「俺は気になんねえよ? でも、辻君が気になんなら、俺も気にしとく」
「……いや、いい。あと、辻で構わない」
「おっけー、んじゃこれからもよろしくな!」
お盆を持って食堂を歩く。やたらと広く小綺麗だ。確か百年そこらを悠に越す歴史らしいし、この空間が満杯になる時代もあったのかもしれない。二、三年生は賑やかしく馴染んでいて、この土地の強さを感じる。
オレは天ぷらうどん、金時はざるそばを持って三人に合流する。席は六人席で一個余る形だ。
提供場所が近くて並び立ったはいいものの、会話とかは特にない。気まずさを感じるタイミングを逃してしまったようで、微笑みを携えた顔面に掛ける言葉も求める言葉もない。それにしても所作がいちいち綺麗だ、感性は疑わしいが、基本的に無害なコミュニケーションを取る金時は椛野達のグループから浮いているような雰囲気はない。いや、オレにして見れば個性豊かなあの空間で浮いてない時点で、曲者ではあるのだが。
入学から数日、色んなものが拍子抜けだった。トラブルらしいトラブルは入寮時のテロ以外なくて、良くも悪くも予想していた通り。
人間は人間だけのまま牧歌的につるんで、異種族は、お互いを腫れ物のようにして反発し合う。変わっているところなんて一つもない、現代社会らしいヒエラルキー。
そう、思ってたのに。
「お、こっちこっち!」
冷めてしまうご飯もあるというのに、オレみたいな奴まで待ってくれている房嶋達。
ふと脳裏に過ぎるのは隣接した席の奴ら。
オドオドとした人狼の
なのにオレだけ。
「どうした?」
なのにオレだけ、椛野や房嶋……こいつらの傍に近寄っていいんだろうか。
「いや……なんでもない」
いやなんでもはあるか、全然ある。オレは房嶋の隣にお盆を降ろすが、思わずうどんの汁を零してしまいそうだった。
卵で閉じられて尚も存在感を放つ大きな大地、もとい大盛のカツ丼を囲むようにして並ぶは三品。自分だってやれるといった気合が感じられるコロッケ二切れ、漆黒の見た目と反して良心を担うのは
「すごい食べるよね。私もびっくりした」
「見てるだけでお腹いっぱいになりそうってあるんだねえ」
そんな椛野の前には麻婆豆腐。女子の割には、という言葉は時代錯誤として、房嶋と比べてしまえばどうしても見劣りはするものの、並盛を越した量。こっちはなんか、それくらいが妥当だよな。
その隣に真代坂。少し小さなどんぶり容器にピンクの輝きを見せるネギトロ丼。なんか、何がとは言わないが安易だ。まぁ焼き魚が繰り出されたら流石に突っ込むかどうか迷う余地が生まれるので、さりげなくて助かる。
「んじゃ、いただきまーす」
房嶋が音頭を取る。この人数の同年代と食卓を囲むのはノスタルジックな既視感があって、うっかり古傷を掻いてしまったような気持ちだ。
少し不安定な情緒は多分、この時間が素直に楽しいからだ。羨んでいた理想の生活がここにはあって、でも、オレには持て余してしまうと実感する。
かぶりを振って麺を啜る。オレは哀しく生きたい訳じゃない、平和的に生きられたらそれで満足なんだ。
美味い。今まで考えていたことはどうでもよかったかもしれない。
「うま! あー、俺この学校受かってよかった……!」
「え、房嶋君って本当に学食が目当てだった?」
どうやらさっき言っていた学食志望は椛野達にも伝わっているらしい。世界中の幸福を一纏めにして頬張っているとすら思える姿を見ると、持ちネタというよりは更に踏み込んだガチ感がある。
重厚感のあるカツと箸で持てる最大限の白米をよく噛んで飲み干した後、房嶋は椛野の問いに勢いよく頷いた。
「まー何割かは
後半の言葉にピンとこない面々、かく言うオレもその一人。就職でもあるまいに、そこまで厳格な基準があるとは思えないが。そんな空気を感じ取ったのか、彼は口に運ぼうとした手を止めて言葉を続けた。
「ここの校長は嘘が分かるって話。OBから聞いた噂話だけどな」
それを聞いてもまだ懐疑的なオレや椛野を差し置いて、真代坂が口を開く。
「ちょっと違うけど、私も未来が分かるっていうのは聞いたことあるよ」
「……真代坂もそういう話聞くんだな」
「ママから聞いたからホントかは分かんない。あと真代でいいよぉ」
さりげなく愛称を促してくる。これは、むしろ断った方が波風が立つか。
校長と核心に迫った話をした覚えはない。眉唾物な噂話だ。オレ程やる気のない惰性的な新入生の吐く言葉なんてたかが知れてるし、蓮っ葉な竜人の未来なんて蛇足が続いているだけに違いない。本当にわかっていたら、今年の新入生が何割減っていることやら。
異種族は皆犯罪者予備軍。そんな揶揄も、デタラメな言葉ではない世界なんだ。
「ま、なんにせよ。実際この学校で不祥事とかあんま聞いた事ないしな。こんだけ能力者と異種族集めても美味い飯が食えるのは、校長の目が確かって裏付けなんじゃねえかな」
それを皮切りに胃袋へ詰め込み始める姿を見て、オレも海老天に喰い付いた。美味い。
「やぁ、ごきげんよう。同席しても構わないかい?」
芝居がかった少年の声が背後から聞こえる。顔を上げて振り向く最中、目に映った椛野と真代の表情が嫌な予感を象っていて、また一つ心をザワつかせた。
青色の前髪で右眼を隠している点は目を惹くものがあるが、それ以外は身なりの整った少年という無難な感想だった。振り向いたついでに周りの席を見てみるが、特段満席という訳でもなかった。女子組に面識があるという事は、邪な動機でもあるのだろうか。
咀嚼中の房嶋に代わって言葉を見繕っていると、今まで気配のなかった金時が先んじて口を開く。
「おや、仙慈さん。息災で何より」
大きく喉を鳴らして房嶋が続く。
「三人共、知り合い?」
「まぁ……ね」
「初対面で穂咲ちゃんに喧嘩売った人」
ナンパとかより面倒くさそうな事情だ。問題の渦中にいそうな椛野と言えば、悩ましい顔のまま麻婆豆腐を口に運んで早々に飲み込む。そして、渋いスパイスが利いていたのかと思える表情で頷いた。
「痛み入るよ。それじゃあ失礼して」
オレの正面、椛野の隣に座るセンジとやら。あまりいい印象はないが、房嶋はどうなんだろうか。オレは何故か恐る恐る、隣に視線を向ける。
「仙慈、確か二組の奴だったよな」
「もう同級生を把握しているのかい? 流石だね、まだ僕は自分のクラスで手一杯だ」
「どの口……」「椛野君は事情が違うさ」
「濃いキャラが二組にいるって、友達から聞いたんだよ。俺房嶋、呼び捨てでいいよな?」
「勿論だとも。是非親交深くさせていただこう」
歓迎ムードだった。
椛野もなんだかんだで強く忌避感がある様子でもない。強いて言うなら真代の尻尾が定期的に強く波打っているのが気がかりだが、文句の一つもない辺り、椛野が許してるなら、みたいな態度だ。
自然と仙慈の視線がオレに向く。片目だけだというのに、椛野や房嶋と通ずるまっすぐで無垢な瞳だった。オレはつい群青色の眼に絆される。
「辻誠也。オレも呼び捨てでいい」
「辻君だね。改めて、僕は仙慈寿人だ。三年間仲良くしよう」
他クラスの五人が集まってる席へ単身突っ込んでくるのは序の口、そんな気さえする自信満々の声音。さりげなく君付けは続行された。別にこだわりは無いのでそこは何も思わない。
六人、集まりとしては五人よりも柔軟で七人よりも親しげで、ポッと出のオレや仙慈を加えた今こそが完成形のような気さえする。そんなの思い上がり甚だしい。
そもそもの話、オレは人間が好きな訳じゃ、ない。
たわいのない話で着実に仲を深めていく皆。房嶋や椛野が中心となって会話を回し、そこに仙慈や真代が乗っかる。オレと金時は相槌程度、それでいて自然に会話を回してくるもんだから、変に気落ちするような展開にもならない。
「にしてもやっぱり、よく食べるよね……」
みるみるうちに減っている房嶋の皿。ガタイもよく背も平均以上な彼の身体を見て『どこに入る余地があるのか』とは言わないが、それにしたって、疑問視せざるを得ない。
それに比べて、妙に量の少ない仙慈は細身の彼らしい。
「まあな。……俺、能力者でさー、使うのに結構エネルギー要るんだよ。おかげで不健康な太り方はしてないけど」
「驚きはしないな」
ただの人としてこの高校に入学するのは余程の酔狂だ。ただの人間であれば選びようもあるし、能力学や異種族学だってここより学びやすい環境も多くあるだろう。
学びやすいというのは、周囲に当事者しかいない環境でその分野を学ぶ事が学びにくいと定義して、の話で。
「へへ。ぱっと見じゃ分からんから言う事もないんだけど、まぁ明日にでも知るような話ではあるからさ」
「そうなの?」
「おう」
椛野の興味に頷くと、断りを入れてから箸を置く房嶋。そうして空いた手には黄緑色の……半透明のオーラが纏わりついている。
「〈治癒〉。今日委員会決めじゃん。折角だし保健委員に立候補しようかなって」
「へぇ――良い能力。なんか房嶋君っぽさあるし」
うんうんと首を振る真代がほんのりやかましい。そもそも一ヶ月も経ってない付き合いに
房嶋は箸を持ち直して仕切り直す。
「俺はそんな感じだけど、皆はどうすんの? この後の委員決め」
「私は銀狼隊との兼ね合いが不安だからパスかな。そんなにしっかりしてる訳でもないでしょ?」
「ああ、寮から校舎へ向かう最中にもよく草木の手入れをしている方々がいるし、寮内の警備員も随分といるものだ。この学園は想像していたよりも大人に支えられているものだし、最悪生徒が誰も立候補しない自体があったとしても通常通り回るのだろうね」
「よく見てるねえ」
真代の言葉に尽きる。偏屈そうな口調で積極的に輪へ関わるギャップから、人(異種族も指す)に興味があるのだとは感じていたが、裏切らないものだ。
「保健委員と言えばあの時も、先生がひょいって治してくれたもんね」
人差し指を振りながら椛野を見やる真代。あの時とは入寮式の事だろう。指揮棒を操るようにして怪我を無くした保健教諭、あの人が常駐していれば保健委員の一人や二人欠けていてもさして問題はないだろうが。
それでも人を助ける為に力を使うというのは、流行り病のような救済精神のものだろうか。
オレはどうだろうか。
あの時の保健室が、あの薄暮が、椛野の声と共にリフレインする。
お礼なんて求めていなかったけど、椛野の命を助ける為に動いた事は誤魔化しようがない。お礼が要らない人命救助なんて、それこそ房嶋や椛野が胸に秘める、博愛的な救済じみている。
それは違う。どう違うか理論立てて主張する事は叶わないが、それでもオレの行動が高潔なものではない事は確かだ。それこそ房嶋なら、オレの席の周りを漂うぎこちなさを払拭してみせるだろう。椛野なら、オレの目の前で無害に笑う孤独な獣人の手を迷いなく取るだろう。
何故助けたのか。聞かれた時――オレは言った。『オレは頑丈だし、目の前で人が死にそうだったから』と。白々しい。自分に可能で、もっともらしい倫理観をなぞっただけの言葉に本心なんか何処にもない。その場しのぎだ。
もう一度椛野が襲われたとしよう。そしてオレが助けたとしよう。その時、オレはまた、人を助けるのは当たり前だと、言えるのだろうか。そんなことを平気で言える自分を、蔑まずにいられるだろうか。
「辻君は?」
「……え。悪い、聞いてなかった」
「遊びにいかね? って。金時も来るってさ」
房嶋を通して金時の表情を伺うが、何か嬉しいことがあったような、ご機嫌そうな笑顔をいつも通り貼り付けているだけだ。一見すると遊ぶのが楽しみなのかと思えるが、オレと戦えだなんて言った日でも変わらずそんな顔の人間だ。読み取れるものなんて何もない。
「オレは……」
「ね。折角だし、行こうよ」
遠慮する。その簡単な言葉が詰まった隙を椛野が突いた。
別に、誘いを断っても付き合いの悪い奴だ、と判子を押して突き放すような人格はしていないだろう。でなければこの六人の昼食は成立していない。
この場は流される方が――何回目だろう。この言い訳は。
「そう、だな。何処に行くんだっけか」
「なんも決まってない。映画とか行く? 俺結構好きなんだよ」
「それはいいね。映画鑑賞や観劇は素敵な趣味だ、僕は賛成だよ」
「辻は映画とか行く?」
……極上のエサをぶら下げられてる魚の気分。
「まぁ、結構。最近はツェール・クリンプトンの劇作家シリーズを好きで追ってる」
「良いのを観てるね。実に慧眼だと支持するよ、まさか彼のファンがこんなにも早々に見つかるなんて、思いもしない幸運だ」
「俺、クリンプトン監督ならウィールソンが出てるやつ好き」
「『ダンディハンプティ』か」
「それも。あとは……あ、いや。とりあえず今度にしようぜ。椛野と真代が付いていけてない顔してる」
反省。しかしこれは話題が悪い。
知る人ぞ知る稀代の演出家にして、この期に珍しい風刺や皮肉、異種族差別の含まれていないユーモアを操る手腕の持ち主であるクリンプトン監督は、まこと残念ながら好きな同年代がごく僅かなのだ。というか映画の話が出来る同年代は周りに居なかった。……更に言い直すべきだろうか、そもそも友達がごく僅かだった、と。
兎も角、頬の鱗を掻きながら軽く詫びた。
「まぁ……少し驚いただけ。私もいいよ、映画」
「静かにしてられるかな」
頬張った海鮮丼を飲み込み、不穏な事を言う真代。ただでさえ一応異種族なんだから、公序良俗の意識は万全でいてほしいところだ。
そういう訳で、カレンダーに一つ書き込むことが増えた。
オレは随分と卑怯だ。
人を避ける癖に人と関わる。
責任なんて持てないのに。大切なんて要らないのに。……唇の裏を噛んで自己嫌悪を誤魔化した。
昼休みも終わりが見えてくる頃、教室へ戻る事となる。当たり前についてくる仙慈がそのままクラスにも入ってきたらどう反応しておこうとか考えていれば、気に留める程でもないような状況に少し引っかかる。
見覚えのある翼人が食堂の出入り口に居る。
それは本当にただ見ただけで関わり合いのない人物。翼人と言えば近くの席に風吹が居るものの、それとは随分と違う印象を外見から抱かせる。有翼種族は色とりどりな身体が特徴で、羽だけでも個人差は大きい。更に言えばその翼人は、シルエットこそ人間に近くあるものの、人面というには憚られた。艶やかな毛で覆われており、滑らかなくちばしを携えている。
壁に寄りかかっている翼人は携帯に視線を落としている。待ち人だろうか。
オレが見たというタイミングは金時と昼食を取りに行った時だ、その時から待ちぼうけ……という割には、その態度におおらかなものを感じ取れる。
食堂の入口を背にして、その翼人を通りがかる寸前だった。
「あ!」
顔を上げた翼人はひょうきんな表情をしてはっきりとした声を響かせた。思わずオレらは立ち止まり、横にいるその翼人の少年を見やる。視線だけ他の奴に向けてみれば、興味や困惑がある面々と違い、金時は無を感じ取れる。つまり何も感じない。それは置いといて房嶋だけが、少し案じているような表情だ。何か首を突っ込む気でいるのだろうか……オレが邪推している間にも話は進む。
「君、椛野穂咲ちゃんだね!」
「え、はい。そうですけど……?」
「穂咲ちゃんに何の用」
間延びした発音で柔らかな問い掛けになっているが、真代の目付きは少々鋭い。
「いやぁ待った、ナンパとかじゃないよ! ボクは二年の
そう言って取り出したのは月桜新聞という直球な名前の学生新聞だった。一歩と書いてはじめと読むのも、新聞の筆者として残された名を見て気が付く。こちらは洒落の効いた名前だ。
月桜新聞はあくまで身分証のような使い方をしているだけのようで、オレらが一見したと判断したら丁重に折り畳んでカバンにしまい込んだ。そのタイミングで、いまいち反応に迷っている椛野を庇うように房嶋が過半数の総意を口にした。
「それで、新聞部の人が椛野にどうかしたんすか」
「そうそう、ボクや一部の新聞部は銀狼隊を追ってるんだけどさ。君すっごく注目株なんだよ! そんな訳で話を聞きにきたんだ。本当なら入学式前の
一を聞けば十は返ってくる。仙慈より分かりやすい性質な一方で、喋りたがり屋な分こっちの方が面倒かもしれない。相手は先輩、今オレが口を出すのは得策ではないだろう、邪険に扱ってしまいそうだ。オレだけなら困るものも困らないところだが、この場においてはそうも言ってられない。
穏健に扱おうとした房嶋だが、思わず一時硬直。知らない話題が挟まったのもあるだろう、脳内辞書を捲る手が止まってしまったようだ。
生真面目そうな椛野がこういう類を上手く躱せるのだろうか。真代が話をごちゃつかせたところでオレがばっさり切り、この場を去るというのも最適解になる状況が訪れるかもしれない。
ペンとメモを構えて椛野の反応を待つ小雀、オレも椛野の反応を伺う為に首を動かすが、そこに予想していたタジタジの椛野はいなかった。
「――アレというのは入寮式直前に起きた黒豹隊のテロですよね。木塚街防衛作戦、というのも聞き馴染みはないですが、三日前の作戦ならお話出来ます。ただ、お昼休みはもう長くないですし、友達もいるので後日でもいいですか?」
……スラスラと、それは十を聞いて十を返す子気味よい質疑応答の形だった。いや、実際のところ椛野は相手の欲しい情報を何も喋ってはいないのだが。
食い下がる余地のない言葉の羅列にオレは驚きの表情を隠せないでいた。相手の言葉にガッチリと言葉を嵌め込む事で、相手の発言は強硬のイエスか承服のノー、二つに一つという形に絞り込まされた。こう言っちゃなんだが、強情さを感じる一手だ。
小雀は椛野の返事を充分に咀嚼してから笑った。動物由来の可愛げを感じる。
「それじゃあ、改めて君を訪ねるよ! 邪魔しちゃってごめんね、君達も」
「いんや。二人が良かったら同席させてください、そんで……新聞も楽しみにしてます」
「嬉しい事言ってくれるねー。君の名前も聞いておきたいところだけど、それは今度に取っておくよ。それじゃ!」
上げた腕をピンと張ってハツラツに別れを告げると、オレらの反応に構わず去っていく。
「良かったのー? 穂咲ちゃん。引き受けちゃって」
「うぅん。まぁ、断っても簡単に引き下がらない気がしたから」
困り笑いを含ませた言葉を切ると、椛野は進み出す。騒動の渦中にいる人物が歩き始めれば、オレを含め周りにいる奴らも当然に動き始めた。とはいえ椛野の応対に意外性を見た面々がそれを指摘するのも迷いを覚えるところで、会話の進みは足取りと比べ数段遅々としている。
それを知ってか知らずか、続けて話し始めた。六人の中で最後尾にいるオレは、どんな感情を浮かべてそれを話しているのか想像するしかない。
「昔から困った人、困った話題を話すのが変に多くてさ。ケチ付けたり、こっちを無理矢理流そうとする人とか、身の回りには結構居たの。だから色々慣れたんだよね、それで気付いたの」
「気付いたの」
「ふふ。うん、そう。気付いた」
真代のとぼけた相槌にありのままの笑いを零して、椛野は首だけ振り返る。確かに、表情を見ないまま後に続く言葉へ耳を傾ければ、その言葉の意味を深く考えて解釈してしまうところだった。今は違う。それは呆気にとられるくらいに信じる者の表情だったから、オレは何も考えず、ただそうなのだと言葉を受け止めてしまった。
「正しいものは何処まで行っても正しいんだから、それを突き通せば困る事なんてない。って」
椛野の言う正しさはオレにとってのなんなんだろうか。今までの人生で出てこなかったものだ、教室までの道程でそれが出るはずもない。
仙慈は付き合いがあるから、と休み時間を少々残し、教室へ入るオレらから離脱した。
新聞部の自称エースと遭遇してから奴の口数はかなり少なかった。人見知りとか、団欒とした空気が一度リセットされたからとかではなさそうな様子だった。
憂鬱をほんの僅か滲ませた表情をして、それなのに少しも目を逸らさず椛野の話す姿を見ていた。オレにはそれが、なんとも痛々しく見えた。
一時間も経っていない関係の相手に痛々しいも何もないだろうが、仙慈が椛野に何かしら執着していることくらい誰でも一目で分かるものだ。分かった気になる、と言い換えても別に本質の違いは生じない。だって、オレはどちらにせよどうもしないのだから。
委員決めは滞りなく進んで、房嶋は宣言通り保健委員に着いた。オレは図書委員、中学ではお邪魔虫になるしかない役職でもこの学園ならば違うだろう。
意外なのは金時だった。奴は美化委員に配属された。特にみんなの興味を惹かなかった委員会に『では私が』と無駄に綺麗な挙手で任命された訳なのだが、事前に話していた通り、美化委員が居なくて致命的な事が起こるなんて話はないのだ。清掃員や園芸士がいる環境では特にそれが顕著だと言えよう。
気まぐれなのかもしれない。オレとしてはそのまま「戦闘なんて野蛮な事、お辞めにしましょう」と闘志を捨ててほしいものだ。……いや、かえって気味が悪いか。
些細な驚きが紛れ込みはしたものの、実に学校らしい時間で今日の学校生活は幕を閉じる。
席周辺の空気が悪いのも、むしろそれらしいと言えてしまうオレだ。いつもと違う昼を過ごしたオレでもそこは変わらない、誰とも関わらずに教室を出る。
靴を履き替えて下駄箱を後にすると、寮へ行く道、銀狼隊の施設へ向かう道、大きく分けるとその二つの方角を選ぶ事になる。
後ろ髪を引かれた訳じゃない。ただ気まぐれで、そう、空を見るついでにその建物を見上げた。山に建つには驚くほど不自然な高層の建物だ。銀狼隊の施設は既に人が集まり始めている、なんなら駆け足で駐車場に向かう姿もあった。
その景色に、やたらと目立つ桃毛の少女が混じった。その人狼は迷いなく建物へ入っていく。小森だ、心優しき臆病者は、その殻を破く事に決めたらしい。
おめでとう。そう内心で告げてオレは寮に帰った。