白夜と藍嵐   作:凍星 奏雨

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【登場人物】
――銀狼隊戦闘部
椛野  穂咲《かばの・ほざき》――赤毛の少女
鳴島  迅《なりしま・じん》――黄髪の少年


第二話 彼は誰ぞ

 その日は久しぶりに夢を見た。息継ぎの出来ない、長い夢。

 

 

 盛る火焔が私を丸呑みにしようと舌鼓を打っている。もう待ち切れないと揺らめく炎にどうしても悪意ばかりを感じて、それなのに私は怒るのでも怖がるのでもなく、焦って逃れようとした。

 ここにいちゃいけない。私は許されていない――胸の中で、鳴りやまない反響が身体を締め付ける。

 高々とした背丈の炎に逃げ場を失った私は脚を止めた。走り疲れて、動けそうにない。

 諦めの感情に気付きながら、空を見た。夜空だった。

 視界の端はこんなにも赤いのに、青みがかった漆の空がはっきりと夜の明るさを教えてくれた。うっかり見惚れていると、一つの星が段々近付いてくる事が分かった。

 肌が焼かれ始める。

 邪悪な火焔に削り取られる身体は、それでも星に釘付けだった。その形は願いや期待で、子供のように小さな想い。子供のように、純粋な想い。

 もうすぐそこまで来ているその星は炎よりも遥かに大きい。希望に色があったらこんな配色なんだろうと思える色の、稲妻のような光を帯びている。

 何処に居ても見つけてくれる、月のような光だった。

 いよいよ星は視界いっぱいに広がった。手を伸ばせば届きそうな距離にいる星に、私は焼け爛れた腕を掲げる――

 

 

「――あ」

 泣いてる。

 瞳に溜まった雫が光を集めて、痛いくらいに世界を照らして見せる。思わずギュッと目を塞いだら、涙は夜空を駆ける流星群みたく一斉に散っていった。

 寝巻の袖で拭って時計を見る。

 午前五時過ぎ。起床時間には早すぎた。

 夜空と言えば、酷く哀しい夢を見ていた気がする。なにか……眩しさに憧れて手を伸ばしたところまでは憶えているけど、その先は霞がかってしまう。段々鮮明になる頭で夢の真相を追ってみても、まさに五里霧中。夢が遺した感情だけを抱いて、私の意識は今朝にピントを合わせた。

 二度寝という気にはなれない。妙に覚めてしまったせいで、寝付くのにも時間が掛かりそうだ。取り敢えず掛け布団を引き離して洗面台に歩いた。

 台風も目を剥く暴れ髪。毛束一つ一つがあっちこっちへ反り返っている。夢がどうとかでもない、これが通常。ありのままの私。でも、随分と長い間、この曲がりくねった癖毛を好きになれていない。

 念入りに梳かし尽くすのがいつもの日常。

 中学時代、起きる時間が遅くなった時はやむなく髪を一本に纏めて誤魔化した時もあった。それでも分かるものは分かるし、()()()()()()で髪を纏める事に余計な抵抗が入っている私はことさら、一日が駄目になってしまう気さえした。

 考え方一つで変わる問題だとは思いつつ、早起きを習慣にして私の望むストレートヘアに変えてしまう方が色々と楽なのである。

 起きる気満々の早朝なわけだけど、まだ始まって数日の学校生活、溜まる程の課題が配られるはずもなく。一応嬉しい悲鳴と表現しておこう。

 こうした時間に行なえる趣味もない。そもそも、趣味は何ですか? と言われたら返答に困ってしまう生き方をしてきた。素朴と言えば馴染みはいいけど、昨日の昼――映画の話をする三人の笑顔は少し憧れた。三人共笑顔の種類は違うけど、好きなものは同じ。それを分かち合うという喜びも同じ。幸せの凡例だとしみじみ思う。

 睡眠時間は短い私は、現行女子高生ながら年上の女性に『老婆の眠り』と言わしめた事がある。つまりは今日が特別珍しい朝というわけでもない。では過去、こうした時間をどう使っていたか。

 瞑想か運動。

 ……日向ぼっこと体操に言い換えたら、ほんとにおばあちゃんだな。

 瞑想は一旦無し。考える事、考えたい事が今は沢山あって、実の入らない結果になりそうだ。運動となれば銀狼隊本部の設備を借りるのも悪くないが、そっちは筋トレと言うのが適切な感じで、身体を動かす充足感に期待は出来ない。

 ところどころ跳ねっぽい毛束は幾つか見受けられるものの、ひとまず及第点。これから運動するならどうせ整え直すのだ、妥協上等。

 一旦外に出てみて、それから決める事にする。校庭はそのうち運動部が使うのだろうし、そうなった時撤収するのは少し気まずい。敷地の外側とかでうまい具合に運動欲を収められないだろうか。

 春の早朝、加えて山の中腹は侮れない。長袖のスポーツウェアでは対処しきれない肌寒さに身体が引き締まった。

 寮を出てまず見る事になるのは桜。昇降口まで敷き詰められた薄紅色は遥か先の青空へ、地上の豊かな色彩を知らしめて見せる。複数の種類が植えられているらしい桜並木を沿って歩けば月桜学園、そのまま通り過ぎれば銀狼隊本部。どちらも、今行く気にはならないかな。

 そういえば、複数の種類が植えられているのは分かるが、どれがどれなのかは分からない。桜の種類を答えられずにいるせいで不幸が起こる場面なんてないだろうけど。

『おや、椛野君の知見を買いかぶっていたのかもしれないね。言いたい事は分かるとも、桜を知っても強くはなれない。だが豊かな人生という強かな骨子が――』

 黙れイマジナリー仙慈。

 ……ちょっと調べてみようかな。また今度にでも。

 試しに反対方向に歩いてみても、いつも通り校門が待ち受けているだけ。なのだが、その校門が少し開いていて、それから校門の外側で準備運動をする一人の少年が見えた。

 少年といっても背丈はかなりあるように見える。一目で少年と断言したのは、その服装が学生用のジャージだからだ。

 ルートを変えるか少し迷っていると、バッと効果音のしそうな勢いでその人は振り向いた。

 思わず瞼を持ち上げたけど、あくまで彼は準備体操の最中で、身体を捻ったのがたまたまそう見えただけだった。知らず知らず、彼を目印のようにして進んでいた私はその人と視線が交わる。私の視力は良い方で、お互いがお互いの目を見ている時間がしばしあった。

 ポーズとして驚き混じりの表情を浮かべ、彼もまたそんな印象を抱く顔をこちらに向けている。偶然を見事にかち合わせてしまった以上、この場を離れるというのも難しい。彼と私は他人で、話したこともない。だからここで踵を返しても大した禍根にはならないけど、後味は悪いし行く宛てもない。部屋に戻っても若干のもやを抱えて真代の起床を待つ事だろう。

 だから私は軽く会釈をして、彼――というよりあくまで校門を目標に、少し速度を上げた歩きで向かうのだった。

 視界の端に見えるその人は先程の、偶然人を見つけた驚きと別種の気付きを得ているみたいだ。「あれっ」と呟いた声は鳥すら起きていない朝だと明瞭に聞こえる。話すとしても近付いてからだ、それには聞こえないフリをしておく。

 それもすぐに準備運動の続きに移る。とはいえ、私が来るのを見越したのかかなり手早い動作だ。

 彼の後ろ姿は長身な事を差し引いても目立つ。うなじを覆うくらいの長さの髪は、絵の具をベタ塗りしたように素直で混じり気のない黄色。透き通った印象は特になくて、先日――敵でも認めざるを得ない程、見目麗しい金髪の女性と関わっていたせいか、金髪と黄髪の差が認識よりもかなり違うものだと分かる。とにかく、綺麗というより元気という方がとてもしっくりくる色の髪だ。

 降ろした前髪は目に掛かるかどうか、男性にしてはちょっぴり長めの髪だ。

 ポニーテールの房嶋君、一本に纏めた髪を腰ほどに伸ばした金時君、三つ編みを両脇に作った朽羽先輩を見ると……ちょっぴりというか、全然短い方かも、と考え直しちゃうけど。

 前髪が見えるくらいの距離感に来たわけだけど、どう声を掛けようか。そう気負わずに口を開く。

「おはようございます」

「おはよう」

 清涼感のある声だ。先輩であることにさして驚きはしない。高いと思っていた背は並び立ってみると、大体金時君くらいの大きさ。その金時君の身長は、気兼ねなく尋ねてみたところ『180と余りでしたかと』だそうで、高校生にしてはやはり高い。

「……何事もないみたいで良かった」

 早い朝、働かぬ頭。

 面識はない。少なくとも見覚えがないのだが、まるで私を見てきたかのような口振りだ。今までの例と比べて違うのはそこにある。私が行なった事ではなくて、私自身に関心が向いているというのは、やっぱり実際に関わった人でなければ不自然だ。

 ここでかしこまった聞き方を自然に出せたらカッコの付く話だが、私はただピンとこない顔で首を傾げるだけに終わってしまう。

「あ、えーと。まぁ…………気にしないで」

 困りと焦りが混在した反応を見せられて更に困惑。

 確かになんとなく既視感を覚え始めてきたものの、それが錯覚であるかどうか判別は付かない。具体的な名前もなければ、こんな目立つ髪色の持ち主も脳内記録にヒットしない。流すのも忍びないくらい、なんだか純朴な反応だったので、私は恐る恐る尋ねる。

「すみません、何処かで会いましたっけ……」

「会ったというか、ううん」

 言葉を選んでいるようだった。手持ち無沙汰を紛らわすように、私も身体を運動用に切り替えていく。

 校門を出た先は短い幅の歩道に出て、直進すれば車道とガードレール。ガードレールの向こう側は草っぱ茂る山の領域だ。山だけあって緑一色の傾斜、視界に映すと自動的に街並みや地平から顔を出す太陽が見える。私は誰も通らない道を悠々に使って、昇る太陽を浴びながら身体を伸ばし始めた。

「あの時、オレが遅くなったせいで……君が無茶してたから」

 要領がふんわりとしている。言葉を区切ってこちらを見つめる少年、先を促す必要はなさそうだ。

「オレ、二年の鳴島(なりしま)(じん)。銀狼隊戦闘部で――入寮式襲撃の時は、朽羽先輩とギリギリ間に合ったんだ。あの怪我、痕になってない? なってても、オレには治せないけどさ」

 胸の中で快音が響く。パズルが完成して、打球をフルスイングして、瓦を叩き割って……その記憶を思い出した時の爽快感といったらそれくらいの気持ちだった。

 

『銀狼隊戦闘部、ただいま現着しました!』

 

 忘れもしない入寮式の襲撃事件、戦いを収める為に現れたのは朽羽先輩のほかにもう一人いた。

 さっきの既視感は声質だと思う。あの時は声も状況も張り詰めていて、現在の時間に応じて控えめな声量は印象と直結させにくい。気絶寸前に見ていた景色というのも遅れた理由に大きく加担しているだろう。確か、当時は前髪を降ろしてなかったはずだ。

 総じて、早朝仕様の鳴島先輩は当時の様子と色々なものが結びつかない。それは先輩も同じ条件なはずなのに、彼は私が喋る前から気付いていた様子だった。恩人の姿を忘却し、言われるまで気が付かなかったというのがひどく恥ずかしい。

 程々に照れ隠しをして、言いそびれていた言葉を装飾する。

「痕には、全く。駆け付けてくれたおかげで、今じゃなんにも影響がないです。あの時はありがとうございました」

「いや。オレは本当に何もやってないよ。あれからも朽羽先輩が中心になって動いてたし。だから礼は先輩と、治してくれた人にね」

 謙虚な人だ。まぁ、やってもいない事を感謝される時の抵抗感は理解できる。

 先輩は何をしに? というのも愚問だ、ジャージを着て準備運動をする人は運動する人でしかない。

 と、大事な事を忘れていた。

「私は椛野穂咲です。あの時駆け付けてくれなかったら、友達がどうなってたか分かりません。ですから」

 笑いかけると、困ったように眉を下げながらも、彼は照れくさそうに微笑んだ。

 

「朝早いね」

 本当にそうだと思う。これは朝焼けを客観的に言及したわけではないだろう、私の事だと考え――思ったことを率直に伝える。

 彼の準備運動は終わったみたいで、のびのびとした立ち姿のまま遠くに見える青と橙に馳せていた。

「先輩こそ。習慣ですか?」

「まあね。毎日じゃないけど」

 そう言った先輩は私に背を向ける。往く方角は上り方向、私はまだ行った事のない方角だ。

「椛野さんはこれからどうするの、着いてくる?」

「先輩がいいなら、是非」

 首だけ振り向いた先輩の横に立って気合を入れた。意識して吸う山の空気の、なんと美味しいこと。

 合図もなく先輩は走り出して、私は並走する。特段早いテンポではなくて安心した。戦闘部の先輩だろうと、特別な事情が絡まない限り一般的な走力らしい。それか、私に合わせてくれてるのかもしれない、ルートの見通しが付かない以上ひとまずは甘えさせてもらう。

 走る最中も私は街に視線を落としていた。すぐ傍にありながら、機会がないとまじまじ見ることもない。

 異種族と能力者ばかりを入学させる学び舎がある土地は、拍子抜けに普通だ。正確に土地というならこの山の事だろうけど、だとしてそんな山があるにしては特別なものがない。

 遠くには小学校や中学校が見えて、それら住宅圏にはマンションがある。駅の周りには背の低くて特徴のある建物が幾つか……そこに含まれる、真代と行ったカフェだって、印象深いものはケーキの味くらいだ。

 足音と呼吸ばかりが続いていた。そこに一つ違うものが聞こえれば、勿論音源の方を向く。私はその表情を見上げた。

「良い街だよね」

 薄橙に照らされた先輩の顔。煌びやかに見える茶色の瞳は、ひとの築き上げた生活の結晶をめいっぱいに取り込んでいるのだろう。

 夢中、と言ってもいいかもしれない。それくらい、陰りなく感情が乗った表情。

「私、名前も好きです」

白月街(はくげつがい)?」

「はい」

 正面を向いて当時の感情を思い出す。

 走りながらなので、当然会話には間が生まれる。

 東雲の光を、空気、匂い、音を、噛みしめるような間に、私は思えた。

「綺麗な名前。私はここに住むんだって知った時は、家から旅立つ時の感情とは違う誇らしさが、なんだかありました」

 静かな相槌を大切に聴いた。

「オレ達は三年間、ここを護るんだよ」

 見上げた視線に映ったのは、逞しい笑み。一年の厚さをすぐに感じ取った。

「なんて、ちょっと先輩風吹かせてみたかっただけなんだけどさ」

 逞しいと思っていた表情が柔らかに変形する。つられて笑った。

 肩の力が正しく抜けて、走りが軽やかになった気分。

 笑いが溶ける頃を見計らって、前から気になっていた事を聞いてみようと思う。それは鳴島先輩ではなく、銀狼隊という繋がりから連想したものだった。

「そういえば、朽羽先輩のメールって先輩にも来ました?」

 メール。銀狼隊のやり取りは多岐に渡るらしいが、その中でも組織として隊員に共有されるのは大抵メールだそう。初めて来た銀狼隊からのメールはつい昨日、昼休みが始まったタイミングの事だ。

 真代、金時君と顔を見合わせたその内容は端的に噛み砕くと――銀狼隊幹部、彼岸崎(ひがんざき)(にしき)()()()()()。と、そんな内容。

 しかも帰ってくる日は今日。それが朝か夜かもわからない。もしかしたら、背にした校舎には既に何某が帰還を遂げているかもしれない。それが、今日に限って瞑想は無理と判断した要因だ。

 銀狼隊の施設については最初に色々教えてもらったけど、組織図については結構曖昧。知っている事と言えば朽羽那由多が幹部の一角という事、そして。

 隊長が存在しないという事。

 思わずシリアスになりかけた私の思考は、嬉し気な相槌で引き戻される。

「来たよ。彼岸崎先輩が帰ってくるやつだよね」

「それなんですけど……帰ってくる、っていうのは?」

 謹慎でも食らっていたのだろうか。それにしては先輩の声は明るい。直感だが、謹慎を言い渡される人間の帰還をこうも手放しに喜ぶ人格ではないように思う。でも、今の先輩に何かを慮る様子は感じ取れない。

「冬からかな。先輩は支部に遠征してたんだよ。京都にある銀狼隊支部に。オレは支部とか分かんないから、そこについてはなんも言えないけど」

 銀狼隊に支部があるというのは――聞いた事がある。というか、京都に銀狼隊支部があるというのを元々知っていた。なのでそこは驚く事もない。

 幾つ支部があるのか、本部とはどんな関係なのか、そういう疑問は尽きず出てくるものの、今鳴島先輩の口から聞く事ではないように思う。なので、話は彼岸崎先輩に戻そう。

 帰ってくるという内容に後ろめたいものはないのを聞けて安心した。次に聞くなら。

「どんな人なんですか?」

「んー。まっ、いい先輩だよ」

 楽しそうな表情で言葉に詰まらせている。その様子に善い先輩ではないのかもな、とか思う。

「あとやっぱ、強い。あの能力は彼岸崎先輩じゃないと駄目だと思う、少なくとも幹部にはなれない」

 踏み込む道が車道に変わった。もう横を見ても校舎は見えない。

 強さが取り上げられるという事は、朽羽先輩が支援部の管轄であるように、彼岸崎先輩が戦闘部の管轄なのだろうか。仙慈君と戦う前……案内してくれた時に朽羽先輩が言った『今本部にいる隊員の中で一番強いよ』という言葉も、今になれば合点が行く。

 隊員にこうも言わしめる能力がどんな複雑なものなのか。興味があるが、どうせ今日帰ってくるとするならば後にとっておく。

「慕われてる人なんですね」

「ははっ、適当な人だから、ウケが悪い場面は結構あるけどね。でも、根はすごくまっすぐだから。きっとみんなが信頼してる」

 後の内容は、含みがあるような口調だった。もしかしたら先輩の帰還に私の知らない感情があるのかもしれない、それならそれで知る由の無いものだ。でも、気のせいかもしれない、悔やむように私は聞こえた。

 ここで顔を見上げれば露骨すぎてしまうだろう。深く切り込んだ話にしないよう、前だけを見て走る。

「会えるの楽しみです」

 率直な本心だ。

「椛野さんはどうか分からないけど、彼岸崎先輩は気に入ってくれると思うよ」

「それは、入寮式の襲撃の話ですか?」

「あの人はあんまり、実績で人を見ないかな。向上心のある人とか、自然に他人を護れる人が特に好きってだけ、だと思う」

 自然と照れくさくなった。

 そう、私は成し遂げた事を評価してほしいんじゃない。ただ、何かに打ち込む時の感情、動機に含まれた衝動を見て、私の事を判断してほしい。新入生なのに、とかではなく。

 ――この家名だから、とかでもなく。

 それがどんなに難しい事かは分かってる。

 起きた事を見て解釈するのは簡単だ。絵の才がある子供が書いた絵を見て、幼いのに凄い、子供なのに上手い。そう感じて、その子を評価するのはとても自然だと思う。いったいどれほどの人が、その子の筆を取るまでの感情や、その絵を書こうとした心情に視線をくれてやるだろうか。

 ……だからこそ、真代が隣にいるのが嬉しいんだと思う。

 初めて会った日のやり取り、どうして助けたのかという当然の帰結に、私は、私が思う以上に陰りを見せた気がする。思わず動転した内心のまま、稚拙に表現した言葉を聞いても、彼女はまるで態度を変えないでいてくれた。大義や信念というものに結び付けなくてもいいんだと、まず最初に教えてくれた。

 本人にその気がなくても、ないからこそ、真代の存在が私にとっての大きな幸運だと言える。

 そんなひとが学園にはまだまだいるんだと、そう希望を持たせてくれた鳴島先輩の言葉もまた、その気はないのだろうけど、私を大きく勇気付けた。

 私の心中を知らず、彼は細かく区切った呼吸に言葉を滑らす。

「だから、模擬戦とかも誘ったら受けてくれるんじゃないかな」

「模擬戦……」

 そういえば、仙慈君とやって以来一度も模擬戦をしていない。今までになかったものだから道理が分からない、というのが本音だ。

 人を傷付けるのも、部屋を滅茶苦茶にするのも、おいそれとしていい行ないではない訳で。誘うには遠慮が勝つ。

「あ、そっか。まだ地下には行ってない?」

「いや、朽羽先輩に案内してもらって……一回だけ、同級生とやりました」

「朽羽先輩が? そっか。オレも最初の頃は緊張してたけど、やっぱり気軽に沢山誘った方がいいよ」

 珍しいものを見た。と言わんばかりの疑問符に首を傾げつつも、話の焦点を合わせる。

「それなんですけど、やっぱり遠慮があって……」

「怪我が怖くないなら大丈夫だよ。うちの医療部は凄いし、技術部も凄いから」

 自慢するように笑う先輩。大丈夫なんだな、という認識は出来る。けど、それで変わる気の持ちようなら話は簡単だったのだ。

 未だ疑心の思いを晴らせない私の心情を見抜いて、先輩は言葉を続ける。

「折角だし、医療部と技術部の幹部も聞く? 興味はあるでしょ」

「えっ、いいんですか?」

 願ってもない話だ。飛びつくような視線を向ける私に、先輩は一瞬目を丸くした後、快く頷いた。

「朽羽先輩に会ってるなら丁度いいしね。支援部の朽羽先輩、戦闘部の彼岸崎先輩。そして医療部、依折(いおり)(けい)と、技術部の不知火(しらぬい)朱輝(あき)先輩。二人は自分から前に出てなんかする、って人じゃないけど、どっかのタイミングで顔出してあげたら歓迎してくれるよ」

「ん、依折先輩だけ呼び捨てなんですね」

「まあね。他三人は三年だけど、依折はオレと同じ二年だからさ。それなのに幹部で、実際見劣りもしてない。……まぁ、性格はアクが強いというか、気が強いというか、慣れるまでは困りものだけど。でも人嫌いじゃないから、根気よく関われば気を許してくれるんじゃないかな」

 実体験が込められた話だろうか。

「本当、天才だと思う。医務室に近いところに依折の私室があって、基本そこにいるだろうから、取り返しのつかなさそうな事が起きたら遠慮なく頼ってあげて」

「いや、取り返しがつかない事が起きたら駄目じゃないですか」

「それはそうだけど、依折ならどうにかしてくれるから。依折の能力は触れたひとを巻き戻すんだ。だからどんな大怪我でも大丈夫。例外があるって聞いたけど、オレはこの一年で困った事はないからきっと大丈夫」

「不安なんですけど……」

「でも、怪我の事は結構大丈夫に思えてくるでしょ?」

 そこは言い返せない。さっきの笑顔、自慢するような声の響きの正体が分かった気がする。この人は純粋に、自分の信頼する人を紹介したかったのだと思う。つまり自慢するような、ではなく、事実自慢なのだ。少し微笑ましくなる。

 頷くと、満足そうな顔で次の話に移る。

「不知火先輩は能力が凄いって訳じゃないんだけど、熱量っていうのかな。とにかく、技術力が高いんだよね」

 道路が突きあたる。辿り着いた先、バスの停められた駐車場には人気(ひとけ)がない。感じさせる空間の広さに少しソワソワと辺りを見回しながら、直進する先輩に従って減速する。

 行き先は整備された道の最端、丸い木の柵で阻まれた終着点だ。

 先輩は一息つくと、柵に両肘を置いてくつろぐ。慣れた様子で身を預ける先輩に倣って、私も少し身を乗り出した。

 山を駆け抜ける風は冷たくて、でも火照った身体には極めて爽快だ。速度を出していないとはいえ坂道を走ってきた訳で、心地の良い疲労感に気持ちが微睡む。

 思考の感度が落ちて、今はただ自然に抱かれていたい。

 世界はすっかり青々としている。空に程近いこの場所を独占してるのがたまらなく嬉しくて、自分でも驚くくらい満足そうな息が漏れた。

 先輩は柵からゆっくりと身体を離す。視線で追ってけば、すぐそこにある自販機に歩いてくのだと分かった。手持ちもないし、柵にもたれながらその様子を眺める。

「はい!」

 ぼんやり見ていたところで、はっきりと響く声に身体に力が入る。ペットボトルが軽やかに投擲されて、私はあわてて身体で受け止めた。風とは違う直接的な冷たさが手に収まる。

「ナイスキャッチっ」

「落ちたらどうするんですか! ……ありがとうございます」

 懐っこく笑う姿に、思わず顔が綻ぶ。ゆっくり戻ってくる先輩を尻目にして、躊躇いがちにキャップを開けた。

 スポーツドリンクを口内に押し込んで、胃の中がキンと冷える。

 先輩と言えば特に何かを買ってる様子もない。折角なら先輩も買えばよかったのに――と思った自分を強く恥じる。

 走る為に外へ出た彼は果たして財布を持ち歩いていただろうか。いや、少なくとも購入のやり取りでそれらしきものを広げた様子はなかった。

 元々一人で来る予定だった先輩は、ドリンク一本分の小銭だけを持ってここに来たのだろう。

 思わず手に持った飲み物を見下ろす。

 もう口を付けたし、差し出すのも気が引ける。借りだと思うけど、本人に伝えるのもまた違う。

「……ありがとうございます」

「ん?」

 ここに来た時と同じく組みかけの両腕を柵に預けて、なんでもないように振る舞う先輩。私の控えめになってしまった声に一度目線を向けるも、何か言われる事もなく。

 一瞥した先輩は一度零すように微笑んだ後、街へ視線を戻した。

「で、不知火先輩だったっけ。そうそう、技術力が高いとは言っても、オレは機械とか詳しくないからよくわかんないんだけど。でも、一回先輩に聞いたんだよ」

「聞いた……。何をですか?」

 目を合わせず、少し頬の赤い彼。速やかに話題を戻したのは照れ隠しの一環なのかもしれない。ならばと、合いの手を入れて話を促す。

「作った物の数。『いちいち数えてない』って言われちゃった」

 凄い事だろうけど、少し肩透かしを貰った気分になってしまう。数えられない程作った、それはなんというか、よく聞く話だ。そんな内心を見透かしたのか、先輩はここが本題と言いたげに口角を上げる。

「『でも、三百は行ってると思う』……学園にいる二年の間で、最低三百。勿論、修理とかの作業もある」

「は……」

 具体的になったのにスケールが変わらない。三百って言うと、なんだろう。物を作るだから――いや規模にもよるか。作った物の規模にもよる凄さ。いや、なんであろうと自力で作り上げられる単位ではないのは確かなんだけど。

「三百も、何を作ったんですか?」

「基本的には、戦闘部の装備が主かな。オレも作ってもらったし……」

 不自然に口を噤む先輩。落としていた視線を持ち上げてどうしたのかと視線で伺う。

 遠くを見ていた。

 今だけ、彼の見ている景色はここではない何処かだった。私が入り込む余地のない世界に先輩は居た。

 彼の黄髪は蒼天とこんなにも似合うんだな。などと、的外れな感想で感傷に気付かないフリをする。

「……結構な人が先輩の武器を使ってるんじゃないかな。あと、今の送迎車。『銀雪』も不知火先輩が関わったって聞いた」

 掘り返すことはできない。

「そう、なんですね」

「うん。不知火先輩の独断から始まったから、朽羽先輩がルートの確保とか各方面との話に奔走しててさ、随分大変だったらしいけど。そういう訳で、そうは見えないけど、ずっとやる気のある人なんだ。色々あったから、今は忙しいだろうけどね」

 なんだか、しっとりした雰囲気で終わってしまった。

 かつての銀狼隊と今の銀狼隊を区別する、何か明確な事件があったのかもしれない。帰ってくるらしい彼岸崎先輩なら、教えてくれるだろうか。

 鳴島先輩に聞いても教えてくれるのだとは思う。でも、あの沈黙がある種の答えだ。口外の悔悟へ踏み込む勇気はない。

 それでも私は、いつか知らないといけない。ずっと追いかけてきた銀狼隊へ入った今、後悔の一つもしていられないから。

「そろそろ戻ろう」

「ですね」

 空になったボトルをゴミ箱に入れて、その間も脚を止めて待っている先輩に駆け寄った。

 辺りを見渡しながら一本道の帰路をなぞる先輩。彼は不意に笑顔を作る。

「折角だし競争しよう。今なら、車も来ないからさ」

 焚きつけるような視線に当てられ、自然と頷いていた。

 靴紐を直す先輩を傍目に腱を伸ばし、校門をくぐるシュミレートをする。妙な高揚感というか、余り気味だったエネルギーの正しい使い方を見つけられた胸が熱を帯びている。

「私、これでも中学は足腰鍛えてきたんですよ」

「オレも中学まではサッカー部。加減した方がいい?」

「全く」

 侮られるのは大嫌いだけど、こういうのは心地がいい。

 言葉の裏に潜んだ期待に報いてやる。

 

 呼吸が整ったのを見計らったのか、正面から風がぶつかる。今までより幾分か強い風に目を細め、けれど姿勢は微動だにしない。

「よーい」

 風に負けないよう張り詰めた声。身体に正しく力が入る。

 凪ぐ。

「ドンッ!」

 突き放す意志とは反して――内心ではそう来なくちゃと呟いたけれども、彼は隣でピッタリと駆ける。

 私達にとって校門は左手側。そしてハンデとして与えられた左サイドの優位を、決して無駄にはしない。私が追い越されぬように意地を張るように、彼も先輩としての意地を見せつける。

 ルーキーとして、先輩としての余裕を気にしている者はこの場にいない。

 走るルートは、直線を緩やかに曲げ続けられたような、大きなカーブもないこそ穏やかに曲がり続ける道。制し方が鍵となる。外周を走る先輩にとっての鬼門であり、私にとって、それを抜きにしても優位に立つ要素だ。

 遠心力を飼い馴らす体幹――鉄棒にだって直立してみせる私に、姿勢の問題は些細な壁でしかない。

 だとして、見ずとも分かる気配。少しでも気を抜けば追い越されてしまうという危機感が常に右から発せられている。

 人命も使命も関係ない勝負とは、これほどに燃ゆるものか。

 この時点、私自身知らない事だが。仙慈君との模擬戦において、強く心を埋め尽くしていた対抗心と裏腹に、その時間違いなく感じていた熱と重なっている。裏腹でもあれば業腹な事だ。まぁしかし、それを自覚するのは仙慈君の存在感が更に大きくなった時の話。

 ゴールが見える。

 ポジションに寸分の狂いはなく、私が校門に近いまま。

 最初にして最後の直線。彼の振るう腕が視界に映るのはこれが初めての事だった。

 もしかしたら、最初からこの直線で追い越すつもりだったのかもしれない。そう気付いた時、無意識に温存していた体力がここぞとばかりに解放された。

「――――ッ!」

 わずかな差を埋め直して迫る校門。

 右足を強く蹴って校門の内側に飛び込む映像を反復する。既に勝ったつもりでいた事は、恥ずかしながら否定できない。

 切り裂く風に混じった雷音。

「……!」

 音の違和感を確かめる猶予もなく、校門へあとわずかというところで――鳴島先輩が台頭する。

 私達は一秒の誤差もなく校門へ突っ込んだ。

 人間、急には止まれない。徐々に速度を落とした私達は、示し合わせたかのように倒れ込む。アスファルトがひんやりしていた。

「せん……ぱいっ、能力…………使ったでしょ……」

「加減しないでいいんじゃ、なかったの…………?」

 私達は一言も能力に言及していなかった。それが無粋だと思っていたし、能力は自分の身体機能と同じようなもの。制限するのも道理に欠ける。欠ける、けど。

 釈然としない悔しさが胸に立ち込める。

「負けてないです……」

「勝ったよ、勝った……」

 息も絶え絶え。他の生徒の声が聞こえ始めても、私達は地に寝転んだまま。

 身体を反転させ、視界いっぱいに青空を見上げる。

 何を言っても難癖だ、負け惜しみだ。だって鳴島先輩よりもっと速ければ済む話、なんなら事前のアドバンテージは私にあった。

「また、ね。何度でも……受けて立つよ」

「……負けてないです」

 勝者然とする先輩に、最後の負け惜しみを強く言い放って、上半身を起こした。先輩も続いて起き上がらせて、呼吸を取り戻す時間を黙って共有した。

 身体も心も冷めやらぬ最中、横から――といっても鳴島先輩より更に向こう側から声が聞こえる。聞き覚えのある声だ。

「何してるの、君ら」

「……朽羽先輩」

「後輩いじめてましたっす」

「負けてないです!」

 前言撤回。負け惜しみリターンズ。

 どうしてこんなところに、と言いかけた声は鳴島先輩に掻き消される。負け惜しみについてではなく、駐車場から姿を現した朽羽先輩の、そのまた背後を追従する少年へ。

「彼岸崎先輩!」

「よー。跪いてくれてんのか、くるしゅうない」

「久しぶりなんすから……もう」

 苦笑しながら立ち上がる鳴島先輩。こちらへ近付く両名に、私だけ座ったままじゃ示しがつかない。細長く息を吐いて、私も腰を上げた。

 少し野暮ったい前髪に、似合わない眼鏡をかけた空色の目の少年。彼岸崎と言われた彼が笑う。不敵に、大きく口を歪ませて。

「おう、久しぶり鳴島。そんで……初めまして新入生、話は聞いてるぜ」

 このままじゃ遅刻する事を、この時の私は知る由もなかった。

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