――銀狼隊・一年
椛野 穂咲《かばの・ほざき》――赤毛の少女〈種子〉
真代坂 仁子《ましろざか・にこ》――階調髪の少女《猫又》
金時 射弦《きんとき・いづる》――白髪の少年《剣士》
――銀狼隊・二年
鳴島 迅《なりしま・じん》――黄髪の少年
虎郷 景善《こざと・かげよし》――黒髪の少年
忙しなく地面を叩く二人の足音。鈍く跳ね回る音が止む時には必ず竹刀が衝突し、沈黙の長さだけ拮抗を示している。
幾度となく。それこそ年月を跨げば、途方もない回数鍔迫り合った二人の、例を見ない長期間の沈黙。一意専心の情がひたすらに目の前の好敵手を見据えた。
二名の剣士、その片割れ――金時射弦が呼吸を研ぎ澄ますのを合図として、二人の目付きが切り替わった。
久方ぶりの手合わせに終止符が打たれようとしている。
強く力を込めた金時の竹刀が相対する男の姿勢を崩しにかかる。距離を詰められていたその男は、対処するにも無常な体格差が際立ってしまう。上から下へかかる力を覆すのにはそれ相応の膂力を必要としたが、今までの拮抗からして不毛な反旗となるのは明白だった。
突き放されることを良しとして、僅かな抵抗を残して後退る。足使いは見事なもので、畳みかける事を徹底して拒んだ歩法が距離を保とうとする彼の助成をした。
完全に姿勢を立て直す前に鋭く繰り出された刺突が一際大きな衝突音を響かせる。人体に当たればこうも快音は鳴らないだろう、狙い澄ましただけに凌がれたのは惜しい。
猛攻は止まらない。続いて突きを放った自分に繰り出される反撃を竹刀で受け、振り払うように力を込めた。
ここで払い退けられれば男の胴体はガラ空き。その隙が数秒足らずだとしても、金時にとって余剰に他ならない。そんな高い敏捷性の金時を持ってして追撃は叶わなかった、力の動きに従った男の竹刀は円を描いて金時へ切り上げられる。
ここはやむなく一歩下がって対処する金時。無数に垂れた柳のように凛々と揺れる白い房が、緩やかに動きを刻んで減速していく。
行雲流水――長く垂れさがった金時の髪が静止した様はピンと張られた緊張の糸というイメージを彷彿とさせた。
「はぁッ!」
気迫に相応しい振り下ろしが男の眼前を切った。間合を見誤る未熟者はこの場にいない。いるのは、受けて立とうと勇壮に見極めた男と、藪に紛れた蛇の如き凶手の者。
素早く姿勢を落として金時は下段から喰らい付くような突きへ転じる。視界から消えたコンマ数秒間、確かに不意を突いた絶対的優位にいた。
であればその迎撃は、優位という不確かなイメージでは凌駕出来ない次元の速さというだけの事。
懐に入り、自らの顎へ突き上げられた竹刀。それを仰け反って躱す事で次手を打つまでの猶予を僅かながら確保する、その猶予に迷いが介在する余地はなく、滞りなく竹刀を手放した男の手は、代わりに金時の竹刀を握り止めていた。
自ら武器を捨て去った男が与えた迷いは、金時の判断に斜陽を落とす。
「セェアァッ!」
金時の腹へ、深々と刺さる――膝。
「カハッ……」
痛みを伴って内臓が動き、たまらずよろける。喉から下で立ち込めている嘔吐感がその言葉を詰まらせたが、既に分かっている男は悠然と待った。決して急かすことなく、竹刀すら拾わず金時を直視した。
「ふぅ……負けました」
靴を履き直し、二人は壁に身を預けて腰を降ろす。
竹刀はただの武器、道着も試合めいた取り決めもなかった。銀狼隊本部の中で行なわれる模擬戦に膝蹴り禁止という決まり事はない。暗黙として、両者の納得出来る勝敗の付け方をするべきなのだが、その件についても実に晴れやかな金時の表情を見れば問題はないと分かる。
晴れやかと言って、目を見開き歯を魅せて笑うなんてことはない。普段となんら変わらない糸目と微笑から機微を感じ取れるのは、それこそ相対している人物――
「あそこで膝蹴り、妙手でした」
「蹴りだがな。……伊達に一年間銀狼隊で戦ってないのさ」
短く切られた黒髪に堅く表情を作る黒目。鍛えられた丈夫な身体以外、きわめて平凡な外見の少年が自慢げに笑う。見た人に緊張感を与える引き締まった目付きだが、それは虎郷の内面を表わすものではない。むしろよく笑い、友に誠実な少年だ。
反して自らに厳しいのが彼なのだが、金時相手だと柔和な一面を覗かせるのも少なくない。
幼馴染、距離感としては兄弟に近い。月桜学園以前の関係である。
立てた片膝に腕を置き、虎郷は金時の右手に視線を向ける。
「どうだ。入学してみて」
視線に気付いたのか、それとも癖か。金時は右手人差し指にはめられた銀色の指輪を、同じ手の親指で確かめる。この春、学校において片時も離さず身に付けていたものだ。入学式の最中でも、寮の大浴場で身体を清める際にも身に付けていた。
真代や
「…………友人と言ってくれる方々が、出来ました」
「そうか。良かったな」
「はい」
虎郷の変わらない穏やかな表情には、表に出さぬよう強く秘めた感情があった。後ろめたい感情ではない事は彼にも断言出来たが、ここで大袈裟に喜ぶというのも金時の結んだ友情に水を差す話だ。それを分かっている彼は、ただ祝福を述べた。
訪れた沈黙も二人にとって珍しくはない。元々自分から話す事の少ない二人は沈黙すらコミュニケーションの一環だった。
静寂を切り裂いたのは虎郷の鞄だ。初期設定の着信音に応じる少年は断りを入れて携帯を手に取る。友人の名前が映し出されている画面を見て、迷いなく通話に出た。
「どうした? 鳴島――」
連れてこられた鳴島先輩の代わりに、
嘘一つ混ぜずに話した中でも、鳴島先輩を師匠にという点だけは伏せておく。朽羽先輩に言われたので師匠にしてください! というのはなんとも、丁寧な人付き合いとは言えまい。
そうしてお互いの認識をすり合わせた直後、颯爽と現れたのは真代だった。
曰く『お仕事から逃げてきましたっ!』だそうで……強制送還も考えたが、鳴島先輩の計らいにより最終的には三人で頭を悩ます事になった。
「じゃあ、鳴島先輩ってつよいの?」
清々しいド直球な質問に、先輩は頬を掻く。
入寮式で先輩の姿を見ているはずの真代だが、その事を覚えていないらしい彼女は初対面のつもりの相手にこれを聞いている。勇敢なものだ。
「朽羽先輩は絶対に盛ってる。オレ言われた事ないよ、トップクラスとか」
「もしかして朽羽先輩って……」
「……まぁ、投げる時は投げるよ。色んなものを」
あの初任務、実はかなりギリギリだったのでは? 今更ながら背筋が冷える話だ。
これは私が窮地に陥った事に対してではなく。割と軽いノリで重要な決断をしてしまう朽羽先輩自体にヒヤヒヤさせられる。ふと、氷の能力者であることに気が付き、首を振って追い出した。脱線はいけない。
「あっ、でも頼まれたからには精一杯力になるよ。椛野さんが能力を使えるように、だよね?」
「穂咲ちゃんもう使えるじゃん」
「そうなんだけど、朽羽先輩的にはもっと自然に使えって事らしいの」
「……? 使ってたよ。ほら、あの、初めて会った時さ」
「そうなの?」
鳴島先輩に見つめられ、首を捻る。
言われてみれば、後日仙慈君や《月面の麗人》と戦った時よりも流暢に扱えてた、ような。どうだろう、そんな気がする程度の認識だ。
まぁ、格闘戦に種子と枝木の妨害を落とし込めていたのはあの戦闘が一番な気もする。仮にそうだとして、何故その時は上手く使えたのだろう。
「余裕が、無かったからかな……」
「逆に」
「穂咲ちゃん結構ずっと余裕ないよ」
「や、まぁ、そうなんだけど。あの時は初めての実践だったし、助けないといけない人も沢山いたから。だから……自分の出来る事は全部反射でやってみてた感じなんだと思うの。多分」
緩い締め方になってしまった。
疑問の残る表情でそれを伝えてみれば、存外真面目に取り扱ってくれる鳴島先輩。腕を組んで宙を見て、なにやら考え事をしている様子。
「能力を使う事はもう出来てて、椛野さんが上手く扱う為に必要な事が……。…………?」
「……?」
首をかしげる先輩。続いて真代。
呑気な沈黙に耐えかねて、差し出がましくも口を挟む。
「…………えっと、取り敢えず非常時だったし、一旦脇に置いときませんか」
「うぅん……」
「うーん」
「雑に真似しないの」
「はい」
片意地を張ってたさっきまでと違って、緊張感の欠片もない話し合いだ。つまらなくはない。落差に戸惑いはしたものの、むしろ和むのを感じる。
とはいえ、今は私の問題に付き合わせている(真代は勝手に居るだけだけど)。私がこの空気に甘える訳にもいかないのだ。
というか。
「多分、朽羽先輩はこうして考えさせるつもりはなかったんじゃないですかね? もしそうなら、助言の一つでも残していきそうですし」
「確かに。先輩、オレが頭悪いの知ってるし……」
そうなんだ。まぁ、なんか意外ではない。
「いい気付きだと思ったのに」
「まぁね。その事は後で考えてみるよ、ありがと真代」
「んっ」
凛々しいお顔。仙慈君で溜めた毒気が浄化されていく。
「よしっ、椛野さん」
一度強く頷いてから、組んでいた腕をほどく先輩。迷いのない眼差しに期待を潜めながら視線を送る。
「取り敢えず戦ってみよう。二回」
「二回ですか?」
「うん。一戦目はお互い能力無し、二戦目は有りで。やっぱり一度、実感してみないと分からないかなって。というより、オレが出来るのは多分その位だと思う」
拳を強く握り、かと思えば優しく開いた掌を先輩は見つめる。重要なものを見つめる、真剣な眼差しだった。
「戦うどころか、まともに訓練したのは丁度一年前から。そんなオレが今は隊員としてやれてるのは間違いなく能力のおかげなんだ。だから、まずは普通の高校二年生と能力者の違いを知ってもらいたいなって」
銀狼隊最強。本人は釈然としていなかった肩書きではあるが、むしろ自称よりも存在感が違う。そんな人物との模擬戦で軽く麻痺した感覚を直すにも、鳴島先輩の申し出は望んでいた展開ですらあった。
「はい、やらせてください」
「オッケー。真代坂さんはどうする、見てる?」
頷く真代。彼女が日常生活に溶け込んで知った事だけど、印象よりも真代は静かだったりする。勿論人と話す時は比較的接触的に会話する子なのだが、そうでもない場面だと自己主張が薄いのだ。他人の行ないには他人としての目線、振る舞いというのが一貫している。その為か、何かしら観戦する真代が邪魔だと思った瞬間は今の今まで訪れていない。
正直なところ、そういうところが心底心強い。
「一応全力でいこう。真代坂さん、合図お願い出来る?」
「はぁい」
距離を取って肩を回す先輩。倣って、軽く跳ねて具合を図る。問題なさそうだ。
まずは能力無しの手合わせ。入学して以来初めての試みで、師匠以外の人物とそういった事をするのも初めて。緊張は覚えるものの、鳴島先輩が相手で良かったと思う。
「本気の目つぶしとか、マジで殺すつもりのは流石に禁止ね」
「あ、はい」
まぁ流石に。
流石に過ぎて、あんまりライン越えかどうかの判別には役に立たない。
「一応、骨くらいなら最悪動くから……オレには遠慮しないでいいよ」
「……! はい」
顔付きが変わったのは先輩と、きっと私も。
腕を構え、真剣にこちらを見据える彼の瞳には、幾度となく潜ったであろう勝負を幻視する。
どれほど刻み付ければ、ああも勇敢な目付きが身に付くのか。
瞳に写し出された私の目には、何が映って見えるだろうか。
ひとまず、深呼吸と共に思考を追い出す。
ただ、全力を。
「よし。真代坂さん」
「はぁい。よーい……」
控えめに右脚を引いて動きの用意をしておく。
沢山の動きを思い描いて、今の私の身軽さを知った。
「はじめっ」
身体を軽く前に流す。相手の初手を見定め素早く挫く為に、目付きに力が入るのを感じる。……直進してくるようだ。様子見は無し、ならば私も同意しよう。
前に傾いた身体をそのまま左足で蹴り出す。最大限の力で距離感を埋めて、相手の想定を崩したつもりだ。
先輩の脇腹辺りで構えられた右手が解き放たれる。その行き先に目もくれず、私は右脚を上げ始める。
イメージは弾丸。
右半身を前に出して攻撃を受ける面を限りなく薄くして、反撃をケアする。癖付いた姿勢変えから放つ、会心のハイキック。目標は先輩の顔面、整った人懐っこい顔はもういないから。
「ッ……!」
防がれた。とも、言い難い。
動き始めていた腕が私の蹴りを防ぐが、手応えは抜群だった。衝撃を殺せたように思えない。
素早く脚を引き戻し、両脚で地面を確かめた。仰け反った先輩からどんな奇襲が来ても、能力ではないのなら防げる自信があった。故に力を溜める。
「ハアッ!」
身体を螺旋させた捻り飛び蹴り、狙いは先輩の側頭部。
命中する寸前、先輩と目が合う。
今度も腕で止められた。顔を守った直後なら視界も万全ではないと思ったのに。あれはきっと反射ではない、目で見て予測しただけの模範的な防御だ。
けれど、だからと言って威力が全て削がれる程の達人ではないらしい。
ただでさえ仰け反った体勢で力の篭った蹴りを受けた先輩、身体の軸がブレて流されていく。このまま押し倒し、勝利へ持っていく。
なんて簡単には進ませてくれない! 片脚で踏ん張った先輩の覇気が私の追撃を制す、事実攻撃態勢に――まともに二撃打ち込まれた後で攻撃に淀みなく移った先輩を『流れ』なんて簡単なもので押し切れるイメージが湧かなかった。
低姿勢で猛追する先輩。彼の大きな背丈のせいで、上を潜るような芸当も出来ない。左右か、受け止めるか。
それとも迎撃? 初撃のように、出鼻を打ち砕くような。
いや――同じ手は使わない、甘えない!
蹴り上げを兼ねたバク転で牽制。一度距離を置いてから加速し、密着状態から引き剥がす。
縦に鋭く放った攻撃は空を切る、力強いイメージと裏腹に迎撃をすんなり躱されたという事。でも、それには蛇行せざるを得ないはずだ。
着地した私は顔を上げ――直接迫る、先輩の顔を見た。
まさか勢いを一切落とさずに近付いて来ていたとは。回避姿勢は見ていられなかったが、コンパクトでなければこうもいくまい。加えて、今朝先輩の走力は思い知っている。軽率な判断を悔める状態には、とうにない。
勢いを乗せた拳が放たれる。私はそれを辛うじて躱す、その場をターンして文字通り辛うじてなんとか。
続く攻撃が私の腹に衝撃を与えた。空ぶった右手を素早く推進力に変え、左肘の肘打ちが私に突き刺さったのだ。
ここで引くもんか。幸い腕だけで放たれた攻撃、痛いだけだ。
先輩の肩を両腕で掴み、身体を、特に膝を持ち上げる。最早身体の制御は先輩に委ねたようなものだが、だからこそこの攻撃に価値がある。
短い断末魔が、少年の声が初めて漏れた。先輩の身体で隠れて見えないが、感触が正しければ膝蹴りは顔面に直撃したようだ。このまま押し返せる。
「――まだっ!」
鼻の塞がった鈍い声。
先輩の勢いは止まらない――!
視界外で弧を描いた先輩の右腕が私の脇腹に命中する。加えて上体を起こされて、先輩の肩を重心の支えにしていた私の体勢が綻ぶ。一応体重は六十台なんだけども、どうして身体が起こせるのか。
よろけた身体が躓くように後退する。顔を上げた、顎に血を滴らせる先輩の表情。この時私の感じた、感嘆と恐怖と、その他さまざまな感情を総合した名称はどうも見当たらない。
大振りの右腕は、私の何処へ狙いを定めている。いずれにせよ、当たった時が形勢不利の瞬間だ。
どうにか躱そうとして――どうにもならない胴狙いと気付き、やむなく防ぐ。
左側に倒れ込みかけて、勢いを殺そうと必死に地面を弾く私の足。でも、それじゃあ彼は振り切れない。
……?
振り切るというか。
止まっている。深く息を吐いて、先輩は直立している。
「ここらへんでやめにしとこう」
「え、なんで……」
鼻血を拭いながら、先輩は柔らかく笑う。苦笑に近いか。
「ほら、二戦やるって言ったでしょ? 先輩の言わんとすることもなんとなく、分がっだ気がするし」
私は全く分からない。いや、私の格闘は二年生にも通用するというのは確かに、朽羽先輩の言う通りだったか。
鳴島先輩の不屈性は確かに戦ってて脅かされるものがあった。攻撃も重たい、でもどうにもならない感じはなかった。前評判とのギャップは、次の能力戦で明らかになるという事だろう。
なんか先輩、訛ってなかったか。
「ごべん真代坂さん、バック取って……」
「あーっ! すみません!」
笑いながら手を横に振る先輩。よ、容赦なく蹴ったけど、普通に鼻を折りかねない攻撃だった。
慌てて駆け寄る。ダバダバ出てくる血に恐怖すら覚えるが、先輩はティッシュを当てて笑うばかり。ぼーっと見てる真代に、あたふたの私に、穏やかな先輩。そして鮮血。
カオスだ。
数分そこら経つ。それでも鼻血が止まらなかったら医務室を勧めるところだったが、杞憂に終わる。
「いやぁ、お待たせ」
「いや、いえ……申し訳ないというか……」
「大丈夫だって。よく顔面打つから鼻は鍛えられてる」
サムズアップする先輩。多分冗談のつもりなのだけど、なら良かったとか言えるわけない。
腰を降ろした二人に、私も並び落ち着くという気分にもなれず。ほんのり屈んだ膝に残る手応え(足だが)に感情の置き所を惑わされるばかり。
「ま、この感じならホントに大丈夫」
「でも念の為に行った方が……」
引き下がる私を困ったように見るが、しかし許してほしい。最早、腹に残る鈍痛より胃の痛みの方が存在感が強くなりかけている。
後輩が二年生の鼻を折ったとか、脳を揺さぶって深刻なダメージ与えたとか、勘弁こうむりたい。
「あの、折ったから分かるけどこれくらいならマジで大丈夫。というか、あのー……」
言い淀む先輩に首を傾げる。
「医務室も保健室も常連だからさ。こう、ね。行かずに済むなら、行きたくないというか、さ」
「あー……はい」
まるで宿題忘れ常習犯が、担任教師に怯えるような様子。
はい。としか、言えない。
「穂咲ちゃん強かったねえ」
今言われても困るよありがとう。
「ね。多分あのままやってたら、負けてたかも」
謙遜もおかしな気がして、瞼を結び評価に甘んじる。素直に褒められるのは慣れていない。だからって仙慈君の評価の仕方を認めるつもりはないけど。
それからまた少しして、先輩が一呼吸の後に話し始める。
「椛野さんは大丈夫そう? オレも手加減とかする余裕なかったんだけど」
「大丈夫だと思います」
「それじゃ、二戦目行こうか」
立ち上がった先輩の顔は晴れやかなものだ。
二戦目は能力有り。控えているものはないから、正真正銘全力を出し切って良い。とは言いつつも、一戦目だって何も考えず全力だったから今更変わる意識もないんだけど。
先輩の能力だが、実は言うとアタリは軽く付いている。というのも今朝、先輩と競争した時だ。あの時耳に入ってきたのは電気が迸る擬音で、日常生活で自然に鳴るようなものじゃない。なら、鳴島先輩の能力は電気関連という結論が妥当。
電気をどうするのかは空想の域を出ないが、対策を講じる材料には――電気の対策ってなんだ?
「真代坂さん、よろしく」
「はいはーい」
いけない。相手に合わせた工夫が出来る程器用か私は。
やる事は変わらない。手札を全部使って、全力で迎え撃つのみだ。
「はじめーっ」
まずは枝木で先輩を捕縛しようと考えた。
でもフライングが怖くて、合図から余裕を持って行おうとした。していた。
出現させるのは先輩の真正面、突っ込んでくる対策として、出現場所は鳴島先輩から少し離れている。
そうして開始直後、種子を出そうとした私の意識は思わぬ結果に躓く事となる。
先輩は能力を無効化するのか? そんな考えが一瞬過ぎった。
それを訂正する結論よりも早く、速く――先輩は既に、私へ肉薄している。
「え――」
鳴り響く電撃音。先程とは違い、先輩の腕は振りかぶらずに突き出されて、私は防ごうとした。いや、防ぐのだが、手が触れる直前『まずい』と頭が焦りで満たされた。
黄色くまばゆい先輩の腕が、私に触れる。
「ぁ――ぐぅぅッ!」
頭が白い点滅する。
走っている、痛みが走って頭が動かない。
身体の状況も分からないけど体勢が崩れて、抵抗の仕方が、状況が分からない――
「止め」
「ハァ……ハァッ、ハ――」
点滅する視界。ゆっくりと私は状況を確認する。
私の身体は倒れていて天井を見上げていた。先輩は姿勢を起こして私を見下ろしている、反応を伺っているようだが、即座に何か出来る状態ではなかった。
ようやく、ピクりと指先が動いた。五体投地に近い体勢らしい。
深呼吸をする。身体の操作権が戻ってきたような、そんな感覚だ。
「大丈夫?」
「だっ……」
言葉が躓く。頭と体がまだ、上手く繋がっていない。
わやわやな言葉が出そうで、一度唾を飲み込み間を騙す。
「だいじょうぶ、です」
差し伸べられた手を取り、立ち上がって、今度は私が先に真代の傍で腰を降ろした。
種子が出なかった理由は簡単だった。私は生物の体内に種子を出すことは出来ない。もし可能なら、星久里巡子だって目じゃない凶悪な殺人能力だ。
そして、鳴島先輩と私の間を塞ぐように出そうとしていた種子が出なかったという事は、つまり、先輩の身体と重なって出てこなかった、という意味だ。
私はそれを危ぶんで、ある程度の距離を保って種子を出そうとしていたのだけれど。一戦目より、今朝の競争よりも素早い初速に、浅はかな考えは及ばなかったのだ。
「しつこいけど、大丈夫そう?」
「大丈夫です。確かにあれじゃ、格闘戦最強っていうのも頷けますね」
「いや、最強でもなんでもないんだけどね……まぁ、ともかく。先輩が言いたいのは、能力を使ったら強いよっていう話なんじゃないかな。簡単にしか言えないけど」
真代の『なに当たり前な事を言っているんだ』みたいな顔が私の心を代弁した。眉に力が入ってて、およそ淑女的見た目ではない。
それを察した先輩は腕を組んで考える。そのうちに私も言葉を解釈してみよう。
能力を積極的に使うっていうのは、どうだろう。なんとなく違う気がする。
私が能力を重視した立ち回りをするべきだと思ったなら、朽羽先輩の言い回しはおかしい。わざわざ格闘戦に触れず、むしろ否定して私の能力を伸ばすべきだと論じたはずだ。
「えっとね、つまり。殴る蹴ると、能力を使う、これらを同時に組み込もうって話だと思うんだよ。オレがやるのと他の人がやるのじゃ、多分結構違うんだろうけどね」
「違う、ですか」
「オレの能力は〈放電〉で、電気を身に纏う。だからあんまり並行して使うのに苦労はなかったんだ。でも椛野さんはそうじゃなさそうだから」
理解と首肯を含めて頷く。
「それでもオレを紹介したのは、素の戦闘能力と、能力を使った戦闘能力……ややこしいね。まぁそれがハッキリ変わってくるから、上手く能力を使ったらこれくらい強さが変わるよって事を伝えたかったんじゃないかと、思う。多分ね!」
確かに思い知るところはあった。二年生にも通用すると思い上がった次には文字通り瞬殺だったものだし。
銀狼隊の戦いは本来試合ではなくルールのない警備活動、強さの総合力が物を言う。能力のポテンシャルを全て引き出すことが、重要。
……自然と気が重くなった。胸に黒いモヤが詰まる。
不安とかより、もっと直接的な――
「まあさ!」
大きな掌を合わせて快活に笑うと、彼は頬を掻いて、親しみやすい眼差しを向けてくる。
「勝手に先輩から言われただけだから、師匠みたいな事は言えないし、出来ないけど。強くなる為なら相談は受け付けるし、オレの手にあまる事なら色んな知り合いを紹介する。勿論模擬戦だっていつでも受け付けるよ」
私は少し呆気にとられる。さっきまでのつまらない思考が雲隠れして、また別の疑問が顔を出した。
厚意に水を差すようなものだけど、少しの間の後にそれを言ってしまう。
「ですよね。先輩は勝手に言われただけ、なのに……どうしてそこまでしてくれるんですか?」
真代が興味深げに鳴島先輩の横顔を見る。
今度は彼が考える番になる。二人して見つめてくるものだから、妙な圧を与えているのかもしれない。誤魔化す言葉を考え始めた時、先輩は瞼を閉じてゆっくりと頷いた。
それは息を吸う音一つ一つも鮮明に聞こえる、清廉な言葉だった。
「オレは……最初、強くなる方法を知らなくてずっとがむしゃらだった。でも、手を引いて......正面から向き合ってくれた先輩がいたんだ。オレも椛野さんにとってそうなれるように、頑張って先輩したいと思ってさ」
照れ臭そうに笑うけれど、誤魔化したり見栄を張ったり、そんな蛇足は一瞬たりともなく――恰好がいい、と感じさせる振る舞い。
野暮なことを突いたのは否めないけれど、聞けて良かったと心底思う。
「……恵まれてますね、私」
「いやいや。まだオレ何もやってないよ」
それはそうだ。そうだけど――春に駆ける温風のような、背中を心地よく押される感覚は強く勇気づけてくれる。
つい零した……その程度の発言で済めばいいものだ。本当なら言葉を尽くすべき感動、誠実を精一杯に表現したいところ。でも、それで浮かばれるような人じゃないだろう。誠実は態度で。
鞄から携帯を取り出す先輩、その後の操作も淀みない。
「それじゃ、早速連絡してみるよ」
「誰に……なにをですか?」
コール音が鳴り始めた携帯を私達の中央に持ってくる。
若干退屈そうな真代の顔を申し訳なく思いつつ、そういえば彼女は彼女でやるべきことをサボって来ていた気がする。どんな感情でいるのだろうか。
「依折に、能力に慣れる方法とか……色々レクチャーしてもらえるかなって」
イオリ……依折! 今朝耳にして新しい、医療部管轄の幹部だったか。こんなカジュアルに頼っていい立場なのだろうか、あまりそうは思えない。もしくは、鳴島先輩と親しい関係にあるとかか。こっちの方がまだ
『断る』
頼っていい立場ではなかった。
「そこをなんとかさ! 一年にも挨拶したいでしょ?」
『それはボクが決める。ボクは忙しいんだ』
親しい関係でもなさそうだった。
耐えかねて口を挟む。
「えーっと……無理しなくても」
「いや任せて。その気にさせる切り札があるから」
自信満々な先輩。任せてって、少し前まではもっとカッコいい台詞だったろうに、今言われてもちょっと情けない。
携帯越しに、切り札とやらへ疑問を思う沈黙が流れた。
さっきまで煩わしそうに話していた少女――依折先輩の声は、事前に聞いていた『天才』『気が強い』とのイメージとかなりマッチする。それだけにいたたまれない感情にもなる。見知らぬ後輩の為に時間を割けというのは、上記の人物なら好ましくなさそうだという偏見が少しばかりある。
「依折……」
『何』
『人嫌いではない』というのはまだ、よく分からない。今のところは逆で、コミュニケーションを嫌っているような素振りすら感じる。その点は鳴島先輩の切り札と関わってあらわになるのかもしれない。
「またお菓子作るからさ! だから……」
『…………』
おかし。お菓子とはまた、文脈が。
なんというか……可愛らしい報酬な感じ。
「いいな……」
真代の戯言が向こうに聞こえたかは定かじゃない。
『……物で釣られると思っているなら、本当に極めて馬鹿だよお前は!』
電話が切られる。
刺々しい言葉が放たれる前に随分検討の時間があったな、とか。これが切り札な先輩ってどうなの、とか。置き所に困る考えを全部飲み込んで、結果哀愁の沈黙しか残らない。
「せんぱいお菓子作れるの?」
「うん……」
どうしてそこまで悲しい顔が出来るのか、鳴島先輩。
どうしてそこまで菓子に執着出来るのか、真代坂仁子。
「あの、まぁそんな急がずとも……」
「いや大丈夫! 次は大丈夫だって!」
駄目なヤツだこれ――!