白夜と藍嵐   作:凍星 奏雨

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【登場人物】
――銀狼隊・一年
椛野  穂咲《かばの・ほざき》――赤毛の少女〈種子〉
真代坂 仁子《ましろざか・にこ》――階調髪の少女《猫又》
金時  射弦《きんとき・いづる》――白髪の少年《剣士》

――銀狼隊・二年
鳴島  迅《なりしま・じん》――黄髪の少年〈放電〉
虎郷  景善《こざと・かげよし》――黒髪の少年〈浄眼〉
彩上  八子《あやがみ・やこ》――深紅髪の少女



第五話 私のつぼみ

『分かった、構わないぞ』

「よし! 助かるよ虎郷!」

 携帯越しじゃ見えないだろうに、ハツラツな笑みと力強いガッツポーズを浮かべる。

 あのフリで行けることあるんだなぁ。

『訓練室にいるならすぐに着く。何番だ?』

「えーっと……」

 何番というのは、そのまま訓練室の管理番号みたいなもので、鳴島先輩は部屋内にあるそれを探して首を回す。

 さっきとうってかわって、電話の相手は優しげな落ち着きを見せる男性の声。依折先輩とのやり取りと態度が変わらない辺り、電話先の二人とは対等に友達している感じなのだろうか。

 幹部と対等な友達関係を築いているのか、と感心を覚えた次の瞬間には首を捻る。あのやり取りもさることながら、依折先輩が二年生で幹部となれば、それは対等な友達が幹部になった……という流れが想像できる。

 対等な友達が幹部になったら。私で言えば金時君や…………仙慈君、とか、か。

 ふむ、実感が湧かないまま、漠然と悔しくなる。

『分かった。今から行こう。……そうだ、こっちからも一人連れてきて構わないか? 前から言ってた奴なんだが』

「全然大丈夫。金時君(・・・)、だっけ」

『ああ、そうだ』

 思わず鳴島先輩の顔に食い入る。どうして先輩からその名前が。

 いや、そもそも虎郷先輩から出てきた話か。それにしたって疑問は晴れないけれど。

 先輩は穏やかな顔のまま携帯の画面を見ている。まるでそこに人の顔があるようにして、目と目を合わせて話すような態度。

 仕方なく真代を伺うと丁度視線が絡み合って、お互いに首を捻る。

「縦の繋がりあるんだね……金時君も」

「ねーっ」

 教室では金時君の隣の席に座る彼女も、やはり知らないようで。

 なんだか意外な話だけど、私の周りを見てみると順当なのかもしれない。

 銀狼隊の施設を見て回った日から時間が経っても――仙慈君は朽羽先輩と、真代も支援部の先輩からここに逃げてきたようだし、私もこうして鳴島先輩を頼っている(今は鳴島先輩()頼っているけど)。

『それじゃあ詳しい話はまた後で』

「うん、また。……よしっ」

 小声で付け足された言葉は聞かないフリ。

 携帯をポケットに仕舞う様子を見つつ、これからやって来る先輩を想像する。スピーカー越しに聞いた声だと、質実剛健とかの言葉が似合う、真面目で余裕のある人という印象。

「虎郷さんってどんな人なんですか?」

「同級生。オレよりよっぽど真面目でしっかりしてるから、師匠とかは虎郷の方が向いてると思う。で……能力とかに向き合うなら、多分あいつの能力はかなり役に立つよ」

「ならその人が師匠やればよかったんじゃないの?」

 踏み込んだ質問に嗜めるのも少し躊躇う。実際、朽羽先輩がどう買っているのか見当が付かないが、聞く限りでは誰かに教えるのは鳴島先輩より向いていそうな人だ。

 特に驚きも、気を悪くした様子もなく先輩は相槌を打つ。それから口を開いたところで……扉が開いた。

「待たせたな」

「おぉっ、全然待ってないよ。わざわざごめんね」

 現れたのは二人。一人はやたらに長い一束の白髪を揺らす糸目の少年、金時君。

 彼の前に立つのは対照的に黒髪短髪の、黒く壮健な瞳をした少年だ。金時君よりも背は低いものの、ガタイが良いシルエットは房嶋君のように健康的でしっかり者という印象を覚える。

「まぁ、能力とかは本人から聞いた方がいいね。虎郷景善、オレと同じ二年の戦闘部」

「虎郷だ。よろしく頼む」

 片手を上げて挨拶する姿は存外気さくで、鳴島先輩と親しいのも意外ではなかった。

 挨拶を受けると、私は慌てて前に出て頭を軽く下げる。

「椛野穂咲です。よろしくお願いします。こっちが支援部の真代……っ坂仁子です!」

「おねがいしまーすっ」

 真代を真代と呼ぶのに慣れ過ぎた。……ちょっと耳が熱い。

 虎郷先輩の後ろに控えてた金時君は、初対面同士の紹介を終えたところで前に出てくる。顔付きが真面目で、どうしたものかと警戒に近い感情を抱く。

 一緒に戦ったとはいえ、直接背中を預けた訳ではない。同じクラスとはいえ、積極的に話す仲でもない。彼がどういう基準で行動を起こすのかは未だ判然としないのだ。虎郷先輩と一緒にいた邪魔をしている現状でもあるので、顔色を伺う気持ちになってしまう。

 彼は鳴島先輩の前で立ち止まると――私よりも深く、その頭を下げた。

「以前の戦いで私の命を救っていただいたと伺いました。その節は誠に感謝致します」

 彼は緩やかに顔を上げる。

「本来なら先んじて礼をお伝えするべき立場でした。ご容赦を」

「えっ……いやいやいや! そんな大げさなっ。むしろ駆け付けるのが遅くなったし、あとあの、敵もすぐ撤退したから本当にオレはなんもしてないっていうか!」

 優しい目付きをしていた鳴島先輩の表情が途端に慌て始める。

 金時君は先輩の言葉を受け、何か口を挟むようなことはしないまでも、雄弁な瞳で今も尚思いを伝えているようだ。

「二人って、もう知り合いなんですか?」

「いやぁ……」

 身体の前で両手を横に振っていた先輩の動きがピタりと止み、代わりに視線が泳ぐ。その先は苦笑を浮かべる虎郷先輩に行きついた。

 助け船を呼ばれた先輩は金時君に肩を置くと、言葉を引き継いだ。

朽羽(くちば)先輩が君達を連れて木塚街に行っただろ? 俺は別の任務で行けなかったんだが、夜桜(よざくら)や鳴島が救援に行ったはずだ」

 夜桜先輩には覚えがある。確かあの人も二年生の戦闘部だったか。

 彼女に助けられた直後、真代や金時君の安否を即効確認したのを覚えている。その時、仲間が既に助けたと聞いたが……つまり、分担した金時君らを助けたのが、鳴島先輩ということ。……真代は初めましてのつもりだったけど、そこはまぁ、金時君が先に逃がしていたとかなんだろう。

「まぁ、そう、なんだけど……命を賭けたのはオレより皆や朽羽先輩だからさ。お礼っていうのも……」

「当時の私の身体は既に許容出来る負傷を超過していました。貴方が現れなければどうなっていたか、想像に易い」

「うぅん……」

「まぁ、今は置いておこう。椛野の能力についてなんだろ?」

 何故金時君がいるのか触れたいところだけど、虎郷先輩の言う通り、このままじゃ好きなように脱線してしまう。

 なんか、私の為にここまで集まってもらっているのは申し訳ない。申し訳ないのだけれど、凄く嬉しい。何か満たされるような、大事にすべき感情がここにある気がする。

 それを大切にしながら言葉を考える。教え甲斐がある奴だ、くらいには思われたいものだ。

「はい、えっと――」

 私の出来ることを纏め、それから能力を並行して使えるようになる方法を探していると伝える。要所要所で思慮深く頷いて真摯に聞いてくれるものだから、逆に少し恥ずかしい気持ちにはなった。

「なるほどな。そういうことなら一旦()てみるか。……一度、種子と枝木を出して操ってみてくれ」

 何をするつもりなのか分からないまま、ひとまず従う。

 開けた場所、高さは目線より少し下に種子を出す。大きさは拳大。

 それからすみやかに枝木を伸ばし始める。

 枝木は一つの種子に一本。別方向から二本三本と伸ばすことはできない、一つの種子に一つの枝木が原則だ。

 そして、一度出した枝木は結構応用が利く。操るという指示に応える為、それらを実演してみせる。

 まずは大きさ。極端に太さを変動させることは出来ないが、波線くらいの調子で太さを変動させるくらいなら可能だ。だが種子の直径より太くすることは出来ない、太い枝木を作るには初めから種子を大きく生み出さなければならないのだ。そして当然ながら枝木に私の神経は搭載されていないので、どれぐらい細ければ千切れてしまうのか定かではない。

 そうして調子よく伸ばしていく、スペースを取り過ぎないよう適度に折り返させて、時に円を描き螺旋をなぞる。

 長さで不自由した記憶はなく、今もやれるだけ伸ばしているが、恐らく既に二メートルを超えている。……段々と枝木の先端がどう動くか想像しにくくなっているから、上限自体はあるように思えた。

 こうして能力をめいっぱい使うのは初めての試みで、推察に思考を割けないのが惜しい。

 速さを気にしてみる。

 初めは調子が良かったものの、段々とローペースになる。僅かな残量を絞り出すようなみすぼらしい速度だ。種子の大きさに応じて遅くなるほか、伸ばせば伸ばす程枝木の速度は失われるらしい。順当な図式に思える。

 すっかり枝木の操作に夢中になっていると、虎郷先輩から声が掛かる。真面目な声色に目線を向けようとしたところで、身体がビタりと止まってしまった。

「伸縮は出来るか?」

「やって……みます」

 アリの巣の数倍は無造作な枝の蛇行から目が離せない。魅入られるなんてとんでもない、ただ、それらを注意深く見つめていないと、次の瞬間消えてしまいそうな感覚が脳の何処かにある。

 今までの能力使用ではここまで顕著な制約はなかった。

 大きな質量を出せば、その分維持に時間が掛かる。これまた順当だ。

 深呼吸して、先輩に言われた伸縮を試す。

 神経は通っていないとなれば、目視で試行錯誤するしかない――というほど、私の能力は不親切でもない。

 頭の中にコントローラーのスティックがあって、それをグイグイ動かすような感覚。脳内に能力を操るスペースと感覚は確かにあって、それは今、入学以前よりもハッキリと感じ取れる。

 枝を適当に伸ばしていたのを戒め、それから脳内にある能力の実感を……グッと押し潰すように念じてみる。

 無意識に任せていた身体の様子は、いつの間にか指の腹を五指全部合わせていて、どこにも見ない不思議な祈りを捧げているような絵になった。

 構わず続けてみること、十数秒。

「ダメ、ですね……」

 ため息交じりにそう言うと、目の前のうねり曲がった樹木のはらわたが瞬時に消滅する。必要以上に力を抜いてしまい、維持できなくなってしまったようだ。

 心臓が一度、一際強く鼓動を打つ。

 それを知覚するのがやけにスローだった。不思議に思っている間も、聴覚や視覚の働きがゆっくりで――気付けば身体が傾く。

「わぁ」

 耳の傍で気の抜けた真代の声が聞こえる。声の方から身体が支えられているのを知り、ようやく倒れかけていたのだと気付いた。

 真代の小さな身体で私を支えているのを想像し、少しばかりいたたまれない気持ちになる。大変だろうとふんばりを効かせれば、案外すぐに直立することが出来た。その時には五感も正常な体感速度を取り戻していて、みんなと正しく時間の流れを共有する。

「ご、ごめん。ちょっとふらっとしたけど……もう大丈夫」

「気を付けてねぇ」

 あんまり驚いてなさそうな態度に、むしろ安心感にも似た感情を抱く。

 それからすぐに虎郷先輩を見た。指示に応えられず不甲斐ない気持ちがないわけでもない、目を合わせるのにも遠慮がちになった。

 その遠慮はすぐに驚愕へ塗り替わることとなる。

 虎郷先輩の凛々しい黒目が白濁している。光が停滞した白い瞳で、私を見つめている。この世を視ていないような、言葉を選ばずに言えば、死人が宿すのにふさわしい――生気のない白目。

「大体は理解した。良い能力だ」

「流石っ、頼んでよかったよ」

 その変化に関心を寄せているのは私と、まじまじ見ている真代くらいだった。金時君は一切の反応が読み取れず、鳴島先輩も主題である私しか触れない。

 虎郷先輩は私の目を見て頷く。まるで脳内を読んだように、何かへ応える素振りだ。

「話す前に俺の能力を伝えておく。〈浄眼(ジョウガン)〉、つまり、本来見えないものを視る能力だ」

 見えないものとして思い浮かべた代表例も、すぐに彼の口で肯定される。

「生き物では霊の類が該当する」

「……どうしたの、真代」

 真横では透き通った赤色の瞳を大きく見開かせて、尻尾までもピンと吊り上げる程反応を示す真代の姿があった。

 その様子を見て声を掛け、他の三人も彼女に注目を見せる。

「んーん、なんでもない。幽霊って生きてるんだなぁって」

 猫又はパチクリと数度瞬きすれば、すぐに普段の調子に戻った。確かに霊に生き物という表現はどうも矛盾している、伝えたいことは分かるが。

「ああ、それは俺の主観だ。話を戻す。〈浄眼〉の真髄は能力を視ることにある。操作されている能力がどのように力を加えられて成り立っているのか、その能力に含まれた力の流れはどうなっているのか……言葉で説明しても飲み込み難いと思うが、サーモグラフィで体温を色分けするように、能力が働いている箇所を暴いて視ることが出来るのだと解釈してくれ」

「オレのだったら、放電する直前に心臓から電気が走って視えるんだったよね」

「そうだ。他にも朽羽先輩なら、右腕によく青白い力が集まってるな。椛野も実感はないと思うが、そういう力の起伏はあった」

 実際のところ、言われても半信半疑だ。

 能力を出す時に私が拾っている情報は、出した時『出した』と分かる脳内の知覚や、破壊された時に起こる喪失感のようなものの錯覚、あとは消滅させた時に『消えた』と分かる知覚くらいなもの。枝木を伸ばし、操作する時も伸ばしていることは分かるが、そこに感覚の指向性はない。

 総じて頭でそう分かるもの、という認識だ。鳴島先輩が心臓から放つように、朽羽先輩が右腕に力を集めるように、私が何処かから何かを放っている――そう言われても、思い当たるのは見つからない。

「まあ、分からないだろ。……俺達は吸った空気が喉を通って、肺に行き着いて生きている、体内を行き来する空気の動きを全て四六時中自覚している人間は誰もいないさ。能力の流れっていうのは、痛み程気にすることが出来るものじゃないと俺は思う」

 多分な、と念を押して言葉を区切る。

 彼の能力は〈浄眼〉だとして、その能力の力の流れがどうなっているかは、想像に易い。

 能力は一人に一つ発現するという原則に基づけば、虎郷先輩が話したものはきっと全て他人と感覚を共有して見つけた答えなのだと思う。そこまでたどり着くのに何人と心を通わせ、時間を使ったのやら。

 〈浄眼〉と、それが暴くものについては理解出来てきた。

 今までの時間は、私が種子や枝木を操ることで発生する力の流れとやらを視ていたのだろう。本題は、それがどのように私へ影響を及ぼすかだ。

 先輩が良い能力と断言した理由も気になる。それは力の流れで判断出来るものなのだろうか。

「それで、椛野の能力が上手く使えるようにだったか。視たところ操作に滞りがあるようには感じなかった、筋肉と同じく、使い続ければそのうち慣れてくるだろ」

「あれ、それだけ?」

「……俺を買いかぶってる節があるが、視えないものが視える以外、俺は無能力者同然だぞ。能力操作の経験なんてない、それこそ鳴島の〈放電〉と同じ立場だ」

 しまったと片手で頭を抱える鳴島先輩。

 いたたまれない。

「詳しく言うなら、そうだな……あまり理解させにくい感覚だ、長々話すつもりはないが。椛野の種子に――」

「すっごい響き」

「真代」

「はい」

「――能力に、一つの強いエネルギーが内包されている。伸ばしても減少する様子は無かったのを見るに、やろうと思えばいつまでも出し続けることが出来るんじゃないか」

 茶々にも動じず告げる先輩。

 種子の中にエネルギーがあって、それらは枝木を伸ばしても減らない。

 減らないというのも変な話だ、てっきり種なのだから、中に在るものを育てて伸ばしているのだと思っていた。成長には糧が不可欠で、種を育む能力ならその道理に基づいているのが自然だ。

 だが違う。

 種の中に存在するエネルギー。

 例えば、種から枝木ではなく――種や枝木という一つの形の在り様から段階を変え、何かを放つというなら、備わって当然の機能と言える。

 一区切り終えた虎郷先輩の指導、知らない概念を取り込んでいく会話でありながら……最後だけは、ごく自然に理解が及んだ。

「能力の見た目は案外、見た目だけという場合もある。『風を操る能力』ではなく『操った風に医療効果がある能力』みたいに、自然と使える能力は一端の領域に過ぎない。まぁ鳴島みたく見た目通りの例も多く存在するが……それを判断する為に、まずは能力の使用を日常に組み込んでみることから始めるといいんじゃないか。使っていくうちに『能力の本質』を自覚してくるはずだ」

「能力の本質……」

「ああ、能力は自分の体機能だ。それは俺や鳴島のように身体を変容させたものに限らない。氷雪を操る〈雪哭〉や空間に色を残す〈着色〉に、心情を刀へ変える〈心剣〉……あげていけばキリがないが、どれも使い手が使い続け、能力の使い方やその名前を識っていく」

「そっか。名前も、そうなんですね」

 仙慈君が高らかに述べた〈万華の極彩〉も、彼が向き合ってその名前に()()()()。そういうことになる。

 まだ私は自分を知らない。

 知ることを遠ざけたのに後悔はない、それで得た技が真代を、皆を守ることに繋がった。

 それでも私が能力に向ける意識は――立ち塞がる、と形容するのがしっくりくる。能力を知るというのは、それくらい気後れする課題だ。

 でも。

「こわいよね、オレもそうだった。放電って言っても最初は耐性とか全然なくてさ、ちょっと使うだけであちこち痛くなるんだ。それに、色々知ってく度、先輩達――壁の高さを思い知る」

「……脅すなよ」

「いやそんなつもりじゃっ、ごめんね椛野さん、ホントにそんな気は無くてさ」

 独りじゃない。

 色んな人に助けてもらう分の責任には応えたい。

「――大丈夫ですよ、分かってます」

「ええ、彼女は肝の据わっている方です」

 思わぬところからの擁護。つい金時君を見やれば――いつも通りの微笑。

 いつも通りだろうか、どうだろう。感じた違和感は、貼り付けた笑顔ではないと信じたかっただけなのかもしれない。

 彼の笑顔の意味は彼自身しか分からない。今はただ甘んじて、少し照れ臭く笑ってみる。

 

「次の土曜、人が少し足りなかったな」

 私の話が落ち着いて、それから虎郷先輩が切り出した。

 発言の相手は鳴島先輩だ、少し考えた後、何の話か思い当たったらしい。

「確かに。丁度いいや、初任務がアレじゃあ少し誤解があるかもだしね」

「ああ、住河木(すみがき)彩上(あやがみ)なら一年を連れても問題ない」

 とんとん拍子の会話を眺める我ら一年三人。

 虎郷先輩から人名を聞くと、真代は一度大きく肩を跳ねさせる。また好奇心をそそるような発見でもしたのかと表情を読んでみるが……嫌な想像をしているような、観念したような青い顔だ。あまり快い発見ではないらしい。

 先輩の会話を邪魔しないよう、小声で尋ねる。

「どうかした?」

「私、彩上先輩から逃げてきたんだよねぇ」

 そう言えば呼ばれてもない真代が居る理由は――『お仕事から逃げてきましたっ!』だったか。

 逃走でも、嫌な思い出とかじゃないなこれは。因果応報だ、甘んじて運命に立ち向かうべし。

「悪いお方なのですか?」

「厳しい」

 一転して、ツンと唇を尖らせる。嫌がらせしてきているなら直接そう伝えてくる気がするものだ、仙慈君にあれほどオープンな敵意を見せている彼女だし。それでいてこの態度なら、深刻でもないだろう。

「居たーっ!」

 その場の全員が動きを止める。迫真な女性の声が、怒りを含んで通路に響いた。

 私達は彼岸崎(ひがんざき)先輩のいた部屋から移動しておらず、変わらぬガラス窓が横一線に引かれた見通しの良い部屋にいた。各々体勢を変えて、窓の外を見る。

 否、真代だけはその声に別の感情を覚えたようで、座った体勢のまま窓から背く。

 ガラスの向こう、通路を見てみるとひとりの女子がこちらへ迷わず向かってきている。目は合うようで絶妙に合わない。

「真代、逃げてきたってもしかして」

「ばれたぁ……っ!」

 どうやら年貢の納め時というやつだ。

 ガラスを貫通して聞こえた声には怒気が満点だ。活発に目を開いたその少女はかなり感情的で、この先怒っている人間を想像する時は彼女のことを思い浮かべるだろうとすら思う模範的な表情。私のように初対面の後輩が宥められる案件でもないだろう。

「なにをしたの」

「いやほんとに、逃げただけ……」

「噂をすれば彩上か。事情は知らないが、観念するべきだな」

「鍵しめてくる!」

 うなだれていた様子から一転、ハッと顔を上げた真代は俊敏に立ち上がり、扉へ駆け出す。

 一目散に向かった姿を見て、彩上と呼ばれた少女も更に素早く扉へ向かった。虎郷先輩を招いた時に閉めていなかったことが残念なチキンレースを作ってしまったらしい。

 軍配が上がったのは真代。走力は中々のもので、間一髪鍵を閉めることに成功した。

「更なる顰蹙(ひんしゅく)を買うように思えますが、よかったのですか?」

 金時君の言う通り、彩上先輩は最早見ることすら憚る不満げな顔を浮かべていた。先輩が持ち合わせた深紅の長髪も、どうしてか怒りの象徴のように見えてしまう。

 どちらかが諦めるかの根比べが始まるのだろうか、覚悟の決め所を予期する一方、虎郷先輩の携帯で着信が鳴る。

 もしや、と思い彩上先輩を伺う。眉を下げて携帯を耳にやっている彼女は、豊かに動く表情筋で強く何かを訴えているようだった。今のところ怒りばかりに満ちているが、恐らく喜ぶ表情だって豊かなのだろう。そこら辺、真代が仙慈君に怒っている時を重ねるくらいに似てはいる。

「……なんだ?」

 虎郷先輩はスピーカーにせず、半ば内密に会話を進めていく。

 必死に首を横に振って、扉に近付く先輩を牽制する真代だったが――

「あーっ!」

「すまないな、真代坂」

「もう逃がさないわよ仁子ーっ!」

 ……訓練室の防音性能に舌を巻く。

 虎郷先輩が開けた扉の隙間から、明瞭に響く大きな声が主に真代の耳を貫いた。

 逃げようとする真代だが、部屋内で追いかけっこは堪らないと判断したのか、それとも電話で何かが議決したのか、無常に腕を掴む虎郷先輩によって逃走劇は決着を迎える。

 

「えー、お見苦しいところをおみせしました」

「あたしの台詞」

「二人の台詞だろ。……なにがあったんだ?」

 変にうやうやしく頭を下げる真代を見て彩上先輩は困り気味に呟く。

「別に、聞けば戦闘部にくっついていきたいってことだから……色々教えてただけ。本当よ?」

「疑ってないけど……」

 鳴島先輩の反応を訝しく見つめた後、彩上先輩が「そういうことだから」と真代を連れ始める。

 手首を掴まれた真代は変に抵抗せず、口を尖らせたまま追随した。人柄の拒絶というより、単に厳しさにあてられたような感じだ。

 実際彩上先輩が悪い人なら、鳴島先輩や電話一本で後輩の力になる虎郷先輩と、勝手知ったる仲にはなるまい。むしろ安心して真代を任せられると言えるが。

 トボトボと歩く真代に、若干同情。

「鳴島先輩、虎郷先輩」

「ん、ああ」

「……だね。連絡先は交換したし、いつでも連絡して」

「ありがとうございます。金時君も、またね」

「ええ。また」

 察しの良い先輩に感謝して、私は三人の元を離れる。

 それから自分の鞄を回収して、駆け足気味に二人へ並んだ。

「良かったら見張りますよ。先輩」

「お? 君は……」

「椛野穂咲、真代と同じクラスです」

 先程までの怒りはどこへやら、彩上先輩の持つ橙色の瞳が興味ありげに見開かれた。現れた後輩に向ける難色は見当たらない。

「ははーん、君が穂咲ちゃんね。すんごく助かるっ。あたしは彩上八子(やこ)、仁子と合わせて十のにこやこコンビっ」

 片腕、真代の手首を掴んでる方を上げながら楽し気に主張する先輩。やや後ろ、されるがままの真代は感情の欠けた笑顔で「いぇーい」と同調している。彼女の焦点の不明な笑顔は初めて見た。

 不真面目ばかりが目立つ真代のことだし、こうなった呼び水も自分が招いたのだと思う。なので変な擁護はしないが、せいぜい――真代が傍にいて嬉しかった分、私も何かで寄り添えたら、と願うくらいだ。

 

 三人の女子が部屋から出るのを皮切りに、黒髪の少年が声に出す。視線は言葉の先に寄越さず、半ば呟き気味に。

「それにしても、鳴島が人を頼るのは珍しいな」

 当人にしては唐突な発言に、鳴島は明るい茶色の光彩を虎郷へ向けた。

「そうかな、そうでもないと思うけど。……ま、オレの事ならオレだけが頑張ればいいけどさ。でも人のことなら、オレだけが頑張っても力になれる事は少ないし」

 如何にも鳴島が言いそうなことだ、と一度は納得する少年。

 ただ、虎郷へ積み重ねた信頼では少々事足りず、言わば『カッコ良すぎる』……と、やや失礼な違和感を持って、少年はもう一押ししてみる。

「他には?」

「……後輩の女子に囲まれると緊張する」

「だろうと思ったよ」

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