白夜と藍嵐   作:凍星 奏雨

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【登場人物】
――月桜学園・一年生
椛野  穂咲《かばの・ほざき》――赤毛の少女〈種子〉
辻   誠也《つじ・せいや》――青鱗の少年《竜人》
房嶋  豊鷹《ふさじま・ゆたか》――深緑目の少年〈治癒〉
真代坂 仁子《ましろざか・にこ》――階調髪の少女《猫又》
仙慈  寿人《せんじ・ひさと》――目隠れの少年〈万華の右眼〉
金時  射弦《きんとき・いづる》――白髪の少年《剣士》


第六話 遊びのない事実

 目覚めた時に一つ呟く。またこの夢か、と。夢の中のオレはそんなことを知らずに、身体を悪夢へ没頭させてゆく。

 

 ひどく熱く、大きな身体に意識が宿っているのを感じる。

 周りは遠い空に星々の見える、優しい冬空が壮観な、自然の真ん中。そこに随分と不釣り合いなオレの身体。苛立ちすら覚える身体の熱さは全てオレを由来とする、生命としての体温がそうさせていた。身体を巡る血が熱湯に置き換わったような、嫌な熱さだ。

 遠い星空を見上げるオレの身体は、周りの人間よりも遥かに空へ近かった。

 凍星の煌めく真宵に別れを告げて視線を降ろすと、オレは渾身みなぎらせて、背中から忌々しく主張する大翼に破壊命令を下す。

 同時に、地面を耕す怠惰なる尻尾へ意識を向け、まるで芝生のように青々とした木々を横薙ぎに破壊し始める。

 気持ちが悪い。

 破壊をしなくては収められない嫌悪感が頭に詰まって思考を許さない。

 気持ちが悪い。

 破壊する度に奏でられる騒音で嫌悪感が加速する。

 写真アプリをスワイプする気軽さで、オレの立つ景色が移り変わる。

 一面の緑は煌々と輝く夜の営みに変化した。

 つま先に小石がある。

 踏み潰すと砂岩のように呆気なくグシャりと潰れた。

 それを皮切りに、オレの頭から嫌悪感が消えた。

 そこには何もない。行動指針となる思考を介さず、オレはひたすら、本能のままに、無意識の赴くままに、蹂躙を尽くした。

 蹂躙を尽くした。

 蹂躙を尽くした。

 蹂躙を尽くした。

 瓦解した社会に埋もれる大きな翼竜は、ただ変わらぬ星に憧憬を見る。

 火に包まれたトカゲが、燃え去らぬよう星に願う。

 

 

「――ハッ、は、はぁ……!」

 漂う空気すべてを吸わんとするばかりに、大量に息を取り込む。

 嫌な汗が全身に張り付いている。鱗に汗腺はないから、壮絶な不快感でもないけれど、とても補いきれない夢見の悪さがやはり苛む。

 ずっと前から、ずっと見ている、災厄に成る悪夢の断片。

 高校に入ってからは見ていなかった。環境が大きく変わったおかげかと、こないだふと気付いてからは、少し喜ばしく思っていた。でも実状はこれだ。今まで見てこなかったのは偶然に過ぎない。

 見る度にへばりつく幻の感覚。一度も生えたことがない翼、一度も生えたことがない尾に、森林を薙ぐ感触やビルを瓦礫に変える感触がくっついている。居所の分からないかゆみが悪辣になって宿る感じだ。

 なんだってこんな日に限っていつもの夢を見るのか、忌々しいったらありゃしない。

 呼吸が整い始めて、ようやく今日へ意識を向けられ――ジリリリリリ! 鼓膜が殴られる。

 自分でも驚く早さでアナログ時計を止める。傍から見れば叩くような具合だが、オレの力でそんなことをしたら最悪ひしゃけるので、寝起きでも抑制された力加減が染み付いている。

 土曜の朝六時。変な期待とけだるさを交えて、オレはシャワーに向かった。

 汗を洗いながら思考に馳せる。

 本来なら二度寝してもいい時間帯にも関わらず、活力的な行動の前段階として嫌な寝汗を根こそぎ落とす。最中にもこれからの動作を線引くように想定して、まるで用事があるように思考を深くする。まさか。これまでのオレにはなかった行動ルーチンだが、そのまさかである。

 いつぶりかな。学友との休日。

 正直憂鬱が勝つ。寝る前はどうだったか、寝不足を感じていない辺り、不安や楽しみで眠れなかった夜でもないだろうが。

 その点現実感が無かったのが昨晩までのオレで、今になって実感しているわけだ。

 中学の頃から、友達と呼べる奴はいない。

 硬く機械的な滑らかさを持つ鱗、額を貫く異物のような角。それらが寄せ付けなかった人数がどれほどになるか、途方に暮れるというものだ。しかし、オレの性根が深く関わっていることも否めない。

 房嶋や椛野なら土曜の朝、これから友達と遊ぶっていうときに、こんな暗澹な気持ちを抱えることはなさそうに思う。中学でも両手で足りない友達と席を囲み、汗を流し、健全に笑い合って。

 オレと言えば、結局声が掛けられない限りずっと一人だ。

 シャワーを止める。もう充分だろう。

 何もかも今日で判断が付く。オレは皆の友達に相応しくないっていうのも、分かってもらえるはずだ。

 後ろ向きだなとつくづく思う。渇いた笑いは自嘲にすらならない。

 

 寮を出たのはそれから一時間半のこと。

 向かうべきバス停と寮の距離を考えればもっと遅くても約束の時間には間に合うのだが、部屋にいても持て余して仕方がなかった。

 暖かな春の陽気に強張った心が少し溶ける。もしも雨なら実った稲穂のように俯いて歩いたことだろう。……この喩えだと縁起がよさそうで語弊があるな。

 星といった基準となるものはないのに、空が遠いことは分かる。澄んだ空というのも登校する際によく見上げるもので、段々と慣れ始めていることに寂しさがある。

 そういえば、何度も重ねたあの悪夢。普段というほど高頻度で悩まされてはいないが――恒例化したシチュエーションでの破滅の景色でも、今までとは違う惹き込まれるものがあった。

 星々を初めて見たと思う。オレはあの夢で、ずっと暗闇に浮かぶ新月を疎んでいたから。

 変化の兆しとでもいうのか。そもそも何を表しているのか判然としない夢で、兆しもあるまい。せめて無用な心配をかけないよう、皆が来る前に気分を払拭しておこう。

 校門を出て左手側に進むとバス停がある。基本は生徒が山の昇り降りに使うためのものだ。待つ間は道路を挟んで街を一望出来るのだが、オレの座高で果たして満足に見られるだろうか。

 またしても後ろ向きな考えの最中で、前方に予想外ながら見知った姿がある。

 いやまさか、朝に弱いイメージはなかったが。

「あれ、辻君。早いね……おはよう」

「椛野こそ……おはよう」

 前方であって正面ではない。バス停の向かい側にあるガードレールに手を置き、山を駆け上がる風に身を洗わせている椛野の姿がそこにあった。悠々とたなびく赤毛が、蒼天の下では少し浮いていた。

 足音に振り返った椛野は挨拶を交わすと、バス停に戻る素振りもなく、横目で街を見下ろしている。

 確かに車通りはない。一応右左に視線を動かしてから、オレも並んだ。

 並んでから少し後悔した。

 ここでバス停の椅子に座り、文庫本に目を落とす。そういうペースを自分から望むべきなんじゃないのか。

 オレが自分から隣にいくなどと、それは少し、様になってしまっている。

 椛野は当然気にしないだろう。椛野だけじゃない、きっと今回のメンバーである五人全員、友達という単語に深い意味や隔たりを感じてはいないと思う。ただオレだけがくだらない一線を引いているだけだ。

 今になって戻るのも不自然で、誤解を与えてしまう気もする。せめて二人分の距離を開けるのが、今できるオレ自身への抵抗だった。惰性で親密になるオレを咎めるための抵抗。

「朝強いんだな」

「まあね。早起きはなるべく習慣にしてる。辻君は少し意外だったけど」

 広がる街に特別なものはない。白月駅から月桜学園のある山までは長く広々とした路が繋がっていて、入学時期は幹線道路の街路灯みたく燦々花開く桜が等間隔に彩っていたのだが、今はもう満開から離れていて、これから更に桃色がやせ細っていくと思う。

 特別感を手放していくと、異人抱える白月街といえども、のどかな住宅地だ。異種族と能力者をよせ合わせた学園は傍から見ると蠱毒のような印象すら与えそうなものだが、それを考えるとのどかな雰囲気を醸し出していることこそ異常なのかもしれない。異常といえば聞こえは悪いが、特別な優しさを持つ土地と言えばいいだろうか。もし生まれの故郷がこの街なら、誰しもがまっすぐ生きるような気さえする。

 だから椛野の瞳が余すことなく街を秘めているのも当然のことだ。彼女の横顔を見ても、寂しさは感じない。

「いつも気怠そうだから、朝も弱そうに見えるか」

「気怠そうだとは思ってないよ。でも」

 突然、椛野がこちらを向く。飴がかかったように、つややかな茶色だった。そこへはっきりとオレが映るのが、どうも後ろめたい。

 切り替えされた言葉もあり、促す言葉が咄嗟に出ない。朝の陽ざしに照らされたオレは、ただ弱々しく見つめる。

「早起きな人って、好きな何かがある人か……やるべきことがあると思ってる人の印象があってさ。でも辻君、やるべきことはすぐやってるだろうし、好きなものは分からないから」

 最後の方は苦笑に近かった。椛野の挙げた偏見を一つ一つ拾う時間はあるが、その気にはならず適当に流す。

 こちらも苦笑まじりだった。これは愛想と言ってもいい。

「体質もあるだろ」

「確かにね」

 今度は屈託なく微笑んで、椛野はまた視線を街の方へ落とした。それに続いてオレも見下ろすが、展望台で星を見上げるような椛野の表情に共感することはなかった。

 顔を見ていないと、それはそれで間が不安になる。パーカーのフードを軽く伸ばして確かめたり、道路を走る車がないか確認したり、小賢しく時間を使うオレだが、そんな動作を椛野が気付いているのかは怪しい。

 だんまりを決め込むというのは、誰にだってするオレの通常行動だ。

 でも椛野に対しては、応えなくちゃいけない――そう急かされているような気がしてならない。椛野があれこれと要求しているわけでもないのに、どうしてこうも相性が悪いのか。

 まさか本人に問うなんて。これは頭に引っ込める。

 瞼を伏せて巡らせる僅かな高校生活から、適当に見繕った出来事で意思疎通を確かめる。

「そういえば小森……オレの、隣の席の獣人が、銀狼隊に入るらしい。義理はないと思うけど、気に掛けてやってくれ」

 思わず補足したが、横目で盗んだ表情を見る限り必要はなさそうだった。

「へえ、小森さんが。大人しそうな子だったから意外だった。支援部?」

「いや知らない……たまたま銀狼隊の施設に行くところを見ただけだ。もしかしたら入隊希望じゃなくて別の要件だったのかもしれない」

「そっか。まぁそれはいいんだけど。辻君は」

 無難に、そう無難に。クラスメイトの他人の話をして、言葉の輪郭を確かめるものだと思っていた。どんな風に考えているのか、どんな言葉を使って感情を表すのかを。

 だから焦点が当たったことで驚いたオレは、無防備に隙を晒す。

「気に掛けてって言うなら、どうして辻君は入らないの? 銀狼隊に」

「…………」

「戦うのが怖いなら、私の前には立たないよ」

 嫌に優しい声だった。まるで椛野自身の事を語られているような聞き心地だった。

 その実、その言葉に優しさはない。少なくともオレには欠片も拾えない。

 適当に流すことを許さない言葉だった。自ら手繰り寄せた鎖で自分を縛れと、命じられているような気さえする。

 椛野がオレの性格に理解の及んだ熟年の友人なら、彼女の言葉が決別のきっかけになりうるだろう。

「部活も入ってないでしょ?」

 オレは好き好んで『人間』を助けたがる変わり者でも善人でもない。むしろ逆だ、オレが何かを助けるなんてバカバカしい。

 もし追手から逃げてみろ、オレは『あっちにいきました』と正反対の方向をソイツに教えてやる。でもそれは指先一つで充分な気まぐれだ、オレは何も懸けていない。せいぜい恩人にはなれるが、人助けを志す善人が望む立ち位置ではないだろう。

 正義や善はオレの手元にない。

 ならそう、伝えればいいんじゃないのか。

「早いな! 二人共」

 ――相変わらず、よく通る声だ。傾けていた姿勢を直したオレの目に映ったのは、房嶋豊鷹と金時射弦。

 道路の向こう側、バス停付近に二人はいる。

 房嶋は柄シャツにネイビーブルーの上着を被せ、ライトブラウンのパンツを気楽そうに履いている。対して金時、奴の私服を想像出来なかったものだが、それにしたって意表を突かれた思いだ。カッターシャツに黒のスラックスと、おおよそ学生服のそれを私服とするのは妙手だった。

「おはようございます」

「あぁ……おはよう」

「おはよう。もうそろそろ時間?」

 椛野はガードレールから身を離し、二人へ小走りに合流する。オレも続くが、足が重たいような気分は拭えない。

 もしかしたら物憂げな表情も浮かべているかもしれないが、これは元々の表情筋が衰えてる分そうそう目立つまい。

「いんや。バスはもうちょい後」

「そっか、真代起きてると良いけど」

 苦笑を浮かべる房嶋。真代が寝坊を犯す姿は失礼ながら若干似合う、逆に仙慈のようなやつは余裕をもってついてそうな気はしたが、まぁどちらも偏見だ。

 四人共々腰を掛け、残り二人を待つ最中。椛野も話を掘り起こすことなく、きままな雑談が始まった。

 やっぱりそんな漫談の中にいるのは慣れなくて、発言は少なくなる。椛野と房嶋が話し、時折混ざるオレと金時。普段ならば子気味よさがあった、だが今は間が悪い。そのところ房嶋には申し訳ないが、喋る気の湧かない心情だ。

 『私は誰かを助けたかったんだ』――オレは椛野のような善人の気質はない。

 『俺は気になんねえよ?』――オレは房嶋のような暖かな器量もない。

 正しさという言葉が似合う喉音を耳にする度、罪悪感と嫌悪感が入り混じる。

 いつもこうだ。オレはこのまま皆の傍に居ていいのだろうか。

 

 次に来たのは意外なことに真代だった。

 丈の短めな白いワンピースに軽い心地のサンダルと、オレの地元では見られない、段階の上がった女子のファッションという感じで妙に感心を抱いた。

「おはよぉ」

「負けたっ……!」

「よし、ナイス仙慈」

「えぇ、なぁに」

「賭けに勝ったんだよ、俺は仙慈が最後予想だったから」

「じゃあナイスは私じゃない……?」

 ごもっとも。

 やや忌々しげな目線から逃げるように、真代遅刻予想の椛野は目を逸らした。

「なんか最近扱いが雑じゃありませんか、穂咲ちゃん」

「気のせい気のせい……真代、化粧に時間かけそうだなってさ。思ってただけ」

「むぅ」

 不審げに見つめながらも、追求をやめて真代も座る。朝一番のバスに乗る生徒はオレ達以外にいなくて、バス停のベンチはもうじき埋まりそうだ。

 校門付近では職員らしき人物が見え隠れしたり、稀に車が出てきたりと、徐々に活動している人物が多く散見出来るようになる。バス停も随分賑やかしくなって、オレはようやく外で遊ぶのだと理解した。今までは漠然と、そういうことになるらしいと判断していたが、今の状態はもっと実感を伴ったものだ。本編上映を目前に流される予告の数々、映画館で言うところのそんな待ち時間に似たものを連想する。

 一人だと寂しい映画の余韻、人数が増えればどう思うのかはまだオレは知らない。答え合わせは期待よりも、やはり疑心めいたものが勝ってしまい、広々とした青空に思考を丸投げしておいた。考えすぎで疲れることは滅多にないが、なにもメンツの概ねが揃った状態で耽る理由もあるまい。

 オレはなんとなしに携帯の、メッセージグループを開いた。今回出かける六人のグループだ。ここが風化するかは今日の首尾に左右されるところだが、会話が少ないオレのアプリ内において真の意味で風化するのは、きっと遠い未来の話だろう。

 内容と言えば、幹事めいたものが上手い房嶋がサクサクと確認を取ってるくらいのもの。個々人で返答の個性はあるが、房嶋とそれ以外という区別で事足りるものだ。

 実際深く決まってはなく、口頭で決めた行先で映画を観てカラオケをして、適当に飯とかを済ませる。そんな流れだ。

 映画の発案――というが行先含めすべからく房嶋が発案したが、映画については恐る恐ると控えめな提案だった。映画鑑賞が半数の共通の趣味と判明したので、きっとその辺を意識したのだろう。軽い心地で乗った女子陣に、果たして我々の趣味は満足いただけるだろうか。

 懸念はそれくらいだ。些細な不安、取り返しのつく心配はそれだけ。

 だが、明確に問題と言えるものに、オレはまだ言及出来ていない。それこそ大前提、行先の話だ。

「そろそろバス来るよなー……」

「あ、本当だ。もう時間だね」

「仙慈さんが遅れるとは。なにか災難がありましたか」

「約束したのは初めてだけどねぇ。置いてく?」

「こら」

 仙慈には妙にドライだよな。

 流石に初犯、真代も一応冗談のつもりらしく、房嶋が連絡を取ろうと携帯を取り始めた。

 視線が房嶋の方に集まる中、椛野が「あ」と何かを見つけた声。視線を追えば校門の方角、上の方からやって来るバスと――躍動溢れる疾走にて登場する仙慈寿人。他面々も()だの()だのを零して、走る姿がやたら似合わない少年の合流を待った。

「――すまないっ、こん、こんな直前になるつもりは、なかっ、たんだが……!」

「ま、取り敢えず乗ってから話そうぜ。お疲れ」

「なさけないなぁ」

「何目線……?」

 荒げた息を聞きながら、下山用のバスへ次々乗っていく。

 山を下りて住宅地に合流する辺りまでがバスの終点、そっから徒歩で駅に向かう予定だ。月桜学園の関係者用だけあって、なんと往復無料。学生に優しい送迎バスだ。山の中腹辺りにある時点で立地自体が優しくない学園なのだが。

 運転手以外は誰もいない、スクールバスらしい左右二座席ずつのバスだ。

 既にヨタヨタな仙慈を房嶋が連れ、椛野や金時も付いて行く。

「どしたの」

「あぁ、いや」

 行きたくないなら、ここで腹痛でも患えばいい話。

 違うんだよな。何か違う、オレは絶対に、皆が嫌いなんじゃない。それだけは自分の中で突き通したくて、ならそんな適当な理由で離れていいものか。それはもっと前から、さっさと取るべき手段だったんじゃないか。

 何をどう考えても言い訳がましい。バスのエンジン音に急かされて、折角待っていた真代に目を合わせず乗り込んだ。

 なんとなしに先着の後ろへ位置取った。想像よりも広々としていて、柔らかな椅子に座った時、中学の修学旅行を彷彿とさせる期待感に近しいものを覚えた。半年もすればきっと慣れてしまうのが、やや勿体ない。

 オレの前には仙慈と房嶋、通路を挟んで右手側に真代、真代の前に椛野と金時という形。

 直近の様子が気に障った風でもなく、ご機嫌そうに座った真代を皮切りにバスは発進した。彼女の姿勢は意外と綺麗で、背もたれを必要としてる気配はない。尻尾を押し潰さないようにする気遣いが生活の随所で必要となるのは、結構ストレスが蓄積しそうなものだ。

「寝坊した?」

「それもあるし、準備に手間取ってね……」

「準備で人を待たせていいのは女の子だけだよー」

「女の子が言う台詞じゃないよね」

 嗜め役がすっかり板についた椛野。

「まぁ待ってはいないし、不問だろ」

「流石辻君、話を分かってくれるね」

「オレの何を知ってる……」

 

「結局色々任せちゃってごめんね」

 仙慈の呼吸が整った頃、そう切り出したのは椛野だった。仙慈を挟んで房嶋へと、幹事めいた動きのことだろう。

「いいって。昨日なんか凄かったもんな、ホームルーム終わったら一目散」

「う……」

「結局こっちが適当に決めたけど、稲袋(いなぶくろ)で良かった?」

 椛野だけではなく周りへ問い掛けると、まずは右側列から声が上がる。

 この時点で少し嫌な予感がする。いつ口を挟むべきか、今ばかりは用心深く会話を見なければなるまい。

「私は行った事がないので、ご手配の程助かります」

「手配て」

「私も行った事ない。どんなとこ?」

 真代の反応に、背もたれ越しながら思案する仕草を感じ取る。言葉を纏めている最中、みなが清聴の構えを取った。そうするとバスの揺れがちな走行音ばかりが聞こえて、易々と声を出しにくい真面目な雰囲気が醸し出てきた。

 オレから見える窓の外は緑一辺倒で、二分もすれば飽きてくる。だから視線の彷徨いところは反対側、真代の方にある窓だった。向こうも向こうで段々街並みと目線が合っていくだけで特別なものは見えやしないけど。

 すると真代の真ん丸く赤い瞳とバッタリ交わる。小首を傾げられて、妙に小恥ずかしくなってから視線を進行方向に逃がした。気まずくなった心持ちを、房嶋が救済に働く。

「まぁ言っちゃ普通の都会って感じなんだけど。俺の地元が結構近くてよく遊んでたんだ、大体なんでもあるから事欠かないし。あー、まぁ人は結構多いから歩きにくくはあるかもな。人混み無理な奴いる? 予約とかもしてないし、そういうとこは全然避けるけど」

 そうだ、普通の都会。東京豊島区の誇る王道なる遊び場が稲袋だ。

 白月駅からは一時間も掛からない、相互にアクセスの良い遊び場だろう。だが居心地が良いかと言われたらそれは、人混みに限らず――種族によると言わざるを得ない。

「……すまない! このことに昨晩気付いて、今になって言うのは水を差してしまうんだが」

 まるで告白を断るような、情緒あふれる必死さだった。仙慈の言いたいことはなんとなくわかる。ならばここだろう。

「いや、オレが言うよ。気遣われるのもなんだし……オレが一番迷惑をかけるだろうから」

 例え座席が隔たりとなっていても視線が集まったと分かってしまう。真正面から受け止めるのが億劫で、パーカーのフードを確かめながら極力誰の目を見ずに話し始めた。

「まず、色々前提を話すんだが。月桜に来てる時点で大方知ってる内容だとは思う。日本はかなりまんべんなく文化が分かれているんだ」

「話がおっきい」

 確かに。切り口を間違えたかもしれないな、とは思う。ただ言葉に欠片の誤解なく伝えるとなればきっと致し方ない。

「この文化ってのは芸術とかよりも、考え方の違いとかだ。アメリカ人がおおざっぱ、イギリス人が皮肉屋とか、京都人が雅とかな。あくまで傾向、考え方の傾向が地域ごとにあるって話なんだが。これが、異種族や能力者にもある。

 能力者絶対排斥主義みたいなイギリスやインド、うってかわって異種族に傾倒した中国、あとは……能力者が実権を握っているアイルランド。この辺りは国単位で異種族や能力者の扱いが違うんだが、日本は混在してるんだ。さながら多神教みたいにな」

 真代の難しげな話に、話そうと思っていた一部を自粛。説明を少し巻いてみる。

「問題は、混在――地域ごとに違うくらい細分化された日本国内の異種族の扱いなんだが。稲袋はな、まぁ、オレも東京に来たのは今年からだから、聞き及んだ知識なんだが。

 異種族差別の蔓延る区画が千代田区や豊島区、というか東京23区の大半だ。都会なだけあって、異種族や能力者の犯罪とかもよく聞くが、まぁこれは余所者だから余計に見かけたってだけだろう」

 自分を博識だとは思わない。当たり前の知識をそれらしくひけらかしたような気がして、達成感というものはなかった。それ以上に、緊迫しかけている空気の方がより問題だ。

「わ、悪い……知らなかったってか、考えてなかった……!」

 説明をしただけで今日の問題点を察する辺り、房嶋の気配り能力は疑うべくもない。

 一応そこら辺を加味して場所を選んだのだとも考えていたが、まぁ確認しなかったオレの落ち度だ。人間の房嶋にとって、地域に根差した意識は中々自覚しにくいだろう。

 房嶋に問題点が無いとして、しかしバスは止まらない。

「これは、言わなかったオレが悪い」

「いや、僕が……」

「まぁまぁ」

 困り声で宥める椛野、空気を打開する奇跡的な言葉は続かず、彼女もまた思案に戻ってしまう。

 無情にもバスは目的地へ、無事に下山してしまった。

 

 どう行動するにせよと、少し重い足取りの面々が出口に歩いていく。真代といえばあまり、深刻そうな面持ちは見せていない。オレと同様に普段通りの歩調だ。一応真代も真代で異種族、この話の中心人物ではあるのだが。

 まぁ、言ってしまえば尻尾だけの違い、愛嬌でむしろお釣りが来るか。深紅の瞳、銀色のまぶされた頭頂部から髪先にかけて濃くなっていく紫の階調髪、非人間らしい惹き付けるものはあるが、真代の使い方は妖美でもなんでもなく、特段気になりもしない。

 オレを最後にして、代金もお釣りもない出口を降りる。

 背後に巨大な緑がわんさかあるだけあって住宅地を前にしても空気はまだ澄んでいる。半月前ほどにあった、入寮式に合わせたテロの痕跡は一切見当たらない。既にこの街が戦いを忘れてきているようだった。

 それもひとえに銀狼隊の行動が招いたとすれば、やはり気高い善行だ。

 椛野はゆっくりと駅方面へ歩く。深く思い悩んでいる房嶋とは対照的に、ただ真面目な無表情のように見える。

「もし三人がさ、大丈夫なら。私は一旦行ってみるのも悪くはないって思う。房嶋君の地元も近いんでしょ? だったら、何かあってもそっちにいこう」

 房嶋は頷きを保留して、他面々の確認に移る。

 三人と来た。オレが入っているのは分かるが、メンツの全員でもなければ異種族の人数でもない。些細な疑問だ、ここは一つ棚上げにして首肯した。

「オレは今更気にならない。皆がいいなら構わないんだが」

「私もいいよぉ」

「僕も、滅多なことがなければトラブルに発展することもないと思う」

 次々と並ぶ賛成意見に、深く頷くことで同意らしきものを示す金時。

 これで予定は変わらずに済みそうだが、オレは少し意外だった。

 誰かを守りたいという椛野は、決して物理的なものに限らないだろうと思っている。もしも守れるならば、尊厳だって名誉だって、心の痛みを徹底排除するような、そんな人物だと思っていた。だからこの機において決行を判断したのは、少し驚く。

 まるで見透かしたかのように、赤毛の少女は訥々と言葉を紡いだ。

「なんというか。ここまで来てやっぱり辞めにしても、避けて行くにしても、変に気遣っちゃう気がするんだ。しばらくの間は。私も気付いてなかったから、そこを棚に上げるのは違うけどね」

 果たして、懸念に目を瞑るのは気遣い合うことよりも良い結果を招くだろうか。

 オレには思い付かないことだ。消極的なオレでは取れない手段だ。今はそれだけ思っておく。

「まぁ安心して! なんかあってもそんな人、私が痛い目見せるから」

「ボケになってない」

「彼女はきっと真面目に言っているよ」

「うん……」

「野蛮ですね」

 こいつに言われちゃ御終いだ。

 

 椛野が身体を張ったことで皆の緊張も軟化し、一息ついたところで仙慈が切り込んだ。

「この流れで辻君、房嶋君にも言っておきたいことがあるんだ。向こうに着いたらとても公には見せられないからね。少し見苦しいものを見せてしまうが、不気味だと思ったら素直に目を背けて構わない」

 そうして仙慈は視線を集める。

 奴の服装はシャツにサスペンダー、ループタイと、礼服らしさが強い。これから向かうのはたかが商業施設というのに、貴族に呼ばれた少年のような風貌だ。あまり似つかわしくないのは、やはり長い前髪で隠した右目だろうか。房嶋しかり、別の髪型ならプラスイメージをもっと与えられそうな顔立ちなのだが。

 注目を受けた仙慈は脈絡なく前髪を上げる。いや、脈絡がないと思ったのはその行動に出た瞬間だけで、その瞳が露わになった時、恥ずかしくも狼狽えた。

 脈絡は明々白々だ。群青の対岸に万華鏡を携えて、規則的に煌めく右眼をオレに向けている。

 白系統の虹彩に極彩色が散りばめられ、緩慢な時計回りで瞳の中を巡っている。星が瞬くように、消えては見えてを繰り返して、思わずその瞳単体が見せる輝きに見入ってしまいそうだった。

 生来のものだとしたら酷く同情する。何を引き換えにしても絶対にそうはなりたくないと思う、人間の器には過剰過ぎる美しさだ。

 今までの評価が一転するのを自覚する、オレが掌を返すまでもなく前提がひっくり返っているのだから仕方のないことだろう。こんな尋常ならざる色彩を持ってして、よくまともに人と話す気になれる。オレなら絶対、奴のような人好きにはなれない。

「この特徴を隠しておくのは、今後の付き合いでフェアじゃないと思ったんだ。身勝手で済まない」

 言うと、髪を斜幕如くして極彩色の瞳は隠される。

「おー。俺は気にしてもなかったし、実際気になんないけど……それで仙慈が気にならないなら良かったよ」

「ああ」

「痛み入るね」

 まぁ、房嶋は兎も角、オレに言えたものじゃない。嫌に目立つ青い鱗も、吹き出物よりよほど異物めいた角も、隣に立たれては面倒に決まっている。

 ただなんとなく、フードが被りにくくなった、とは思った。

「変なとこ真面目だよね」

「変なとことは心外だな、椛野君。僕はいつだって至極真面目だとも」

「あんな初対面が真面目?」

「あっそうみんな聞いてよ、会ってすぐ穂咲ちゃんにさぁ因縁付けてきたんだよ――」

 懸念を皆で分け合いながら電車に揺られ、オレら一行は稲袋へ辿り着く。

 帰りの電車があんなに静かになるとは思いもせずに。

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