――月桜学園・一年生
椛野 穂咲《かばの・ほざき》――赤毛の少女〈種子〉
辻 誠也《つじ・せいや》――青鱗の少年《竜人》
房嶋 豊鷹《ふさじま・ゆたか》――深緑目の少年〈治癒〉
真代坂 仁子《ましろざか・にこ》――階調髪の少女《猫又》
仙慈 寿人《せんじ・ひさと》――目隠れの少年〈万華の右眼〉
金時 射弦《きんとき・いづる》――白髪の少年《剣士》
「さて……どうだった」
「ふむ、筆舌に尽くしがたいけれどね」
鋭い眼光を見合わせる少年二人、方やおおらかな新緑、方や聡明な群青を大きく携えていながら、今は緊迫感というものを強く押し出している。
言うなれば刃物のような視線を交わす二人を初めて目撃した。いや、オレとて当事者であるからして、鍔迫り合った瞳はふっと外れ、オレへ向けられた。普段なら臆するだろうが、状況が状況だ、そんなことは言ってられない。
ようやく一肌脱いで、或いは椛野の残影を探るようにして、オレは強く意思を放つ。
「あぁ……」
「「「良かった!!!」」」
「よーござんした」
「にゃはは」
時は進んで夕方頃、チェーン喫茶『ヨネダ珈琲』にて、幸運なことにさらりと六人すぐさま案内された次第である。
正面には通路側から順に真代、椛野、房嶋。オレの右に仙慈、左に金時という具合で座っている。
或る時から道中まで口数は少なく、ここに入る房嶋の提案以外に、オレらの間で会話は無いと言っても過言では無かった。オレらというのは六人の集まりというより、房嶋仙慈とオレといういわば映画愛好家の括りだ。他三人は普通に談笑していた。
タブレットで注文を済ませながらに、口火を切る。
「音が良かったな。主張しすぎてない」
「分かる」
「挿入歌の加わる意図が分かりやすかったね、好感を持てる監督だ」
「分かる。……ああいうのだよな、観たいのって結局」
「ああ」「分かるとも」
東京都豊島区
真代に次いで低身長の甲斐あってか、フードを被っていればあまり悪目立ちしている気はなく、真代の尻尾が嫌に視線を集めるなんてこともなかった。そこら辺、高一ながら180cm越えの金時や170cm半ばにしてガタイの良い房嶋辺りが良い牽制になったような気もする。二人共ロン毛だし。
映画館は特に、周囲の視線を全く気にせずいられるのもあって、今朝の卑屈に愚行を折り重ねたようなオレへバカバカしいと声でも掛けてやりたかった。
映画の内容はSFを混ぜた青春アニメ。勢いに任せない繊細な情景描写が話に説得力を持たせていて、映画組はこのように大絶賛の様子だ。
が、しかし。以前も思ったが、こう白熱している様を外野はどう思うか。二時間弱の拘束が苦に思わないのはそう多くないだろう、特に真代とか。余韻に任せて話し続けていたいところだが、前に座る女子陣の様子を見る。
それと房嶋が声を掛けるのはほぼ同タイミングだった。
「そんで、三人はどうだった?」
「ん~~、おもしろかった!」
「素晴らしいものでした」
金時の感性は未だ測れないので一度捨て置くとして、苦に思っていなそうな真代に少し安心する。機微を感じ取るのに長けてるなんて思わない、ましてや一ヶ月もない付き合いでどうこう判断は出来ないが、今はひとまず言葉通りに受け取っておこう。
「うん。皆と観れてよかったな。私あんまり映画観たことないから、まだちょっと変な気持ち」
「そりゃあ良かった」
「全くだね。これを機に他の映画もどうだい? 今回観た映画と同じ系統なら――」
「ほどほどにな」
房嶋に同意。趣味へ勧誘するのも熱量によっては逆効果だ。
真っ二つにされて口を噤む仙慈を他所に左から声がした。情があるんだかないんだか分からない普段の口振りと違い、嘆息めいたものが混じった言葉だった。
「私も今回が初めての観劇です。得難い経験でした」
「そんな人間いるのかっ」
若干演技めいた房嶋を見やる椛野。
「流石に大袈裟……」
「辻君はカラオケが初めてだったもんねぇ」
『それマイク電源入ってなくない?』
『あ? 道理でだ』
『ふふふ』
……それを掘り返すか。
曲は聴いても歌うことには関心がなかったし、そんなオレをわざわざ連れて行く変わり者は誰もいなかった。十五年の間に道楽の一つへ赴かない程度、そんなおかしくもないだろ。おかしくない。
と、ささやかに忌々しげな視線で抵抗してみるが、効いている様子は無い。
話を逸らすなり戻すなりして焦点をオレから離そうと試みるが、実行するまでもなくオレ達の会話は中断された。料理が運ばれ始めたからだ。
店員と目を合わせないよう、フードを深くかぶり直してテーブルに視線を落とす。なるべく角を隠れるようにでもしておけば、金時が壁になって見えないだろう。
流石に六人、テーブルは余すことなく埋まっていく。
オレの分は結構適当に、慣れているらしい房嶋のオススメに従ってみた。
「おい」
だからこれは、椛野や房嶋の手によってオレの前に置き直されたこれらは、房嶋の仕業だ。
艶めく小麦色を豊満に膨らませたカツサンド、ズラりと敷き詰められたミックスサンド。挙句天高く伸ばされたホイップの映えるシロノワール。一つで一食ずつだとしてもオレには充分だと思えるそれらは、小柄なオレに勧めるのに適した量なわけもなく。
「房嶋…………!」
異種族を騙すとは、おのれ房嶋悪逆非道。
「なっはは、いや悪い悪い」
ケタケタと笑う房嶋の前にはバーガーとホットサンド。学食であの大食いを見せていた房嶋が二品という時点で気付くべきだった、タッチパネルへ注視しなかったばかりに。
「あー、それが見たかった」
「お前も分かってただろ……」
オレの視線は椛野へ向かう。なんだか険しい視線を向ける相手がすべからく正面席に座ってるな。
奴は苦笑して罪を認める。懺悔ならば聞いてやらんこともない、オレは案外信心深いのだ。
「まぁ、房嶋君食べるでしょ?」
「おー、流石にな」
「たく……」
いやに暖かく微笑む真代に、満足げな仙慈。何処に視線を送っても妙にやるせなくて、唯一不変な金時の笑顔を軽く見上げてはサンドにかぶりついた。
「辻君って博識だけど、やっぱりアクティブなことはしない感じなんだね」
「するように見えてたか」
「うぅん……」
「博識っていうのもそうでもない。物覚えが良いだけだ」
「ぐふぅっ」
「何故真代坂君へ被弾を?」
眉をこれでもかと落として黙りこくる真代に代わり、カツパンを飲み込んだ椛野が答えた。
「先輩からね……言われたんだよね……」
「んん……」
口をとがらせて頷く真代。途端に年の離れた姉妹っぽさを感じさせる。
「そう聞いてよ、先輩がさ? 宿題出してきたの。支援部にいるならこれくらい知っとけーって。でも私達授業まだ先じゃん」
「待て色々言葉が足りてない」
「あー、っとね。銀狼隊の先輩に色々教えてもらってたの、昨日。異種族とかは、確か二学期からでしょ?」
「だったか。よく覚えてるなあ」
椛野が引き継ぎ説明をする。覚えているオレが思うのもなんだが、椛野もよく具体的に把握してるものだ。
月桜学園では通常の科目の他に、中学で見られなかった特色のある授業が幾つか入っている。代表例は能力学、異種族学辺りか。チープで人間基準な名付けだ。学問は人間の財産だと考える学者は未だに多い、命名の転機はきっとまだ先だろう。
能力学は昨日掴みをやったが、椛野の言う通り異種族については二学期から。理由も想像に易い、自分の種族について触れられるのに抵抗がある生徒はそこそこいるだろう。異種族と差別は切っても切れない関係な分、鬱蒼とした授業にもなりそうだ。入学したての生徒にぶつける内容じゃあるまい。
「だから知らないのも無理はないと思うんだけどね。それで、先輩が色々叩き込んでたんだけど……」
「宿題出されました」
「ニュアンス的に追試じゃないか?」
「ぐふぅぅ」
「トドメを刺されてる……」
そんな気はなかったが、割としっかり落ち込んでいるらしい。通常の課題に加えてお出しされたそれが、いったいどんな規模なのかは知る由もないが、折角遊びに出かけておいて意識したくはないだろう。
さっきは博識と言われ、それを否定した。自認識が変わることはないが、オレに出来ることはありそうだとは思う。あくまで興味を持ったものを軽く調べ、それをよく覚えているだけなのだが、幸い異種族や能力については思うところがあって知らべた時期がある。……そういうスタンスを博識の延長線でなければなんなのか微妙なところだが、照れ隠しというやつだ。
「あー、悪い。一応軽く力にはなれると思うが」
「そういえば朝も国家別にどうって話、してたもんね。丁度そういうのじゃない? 真代が言われてたの」
「うん……」
真代の瞳に光が灯る。売り物にでも出来そうな眩い紅だ。
「期待はするなよ」
「ん! えーと、なんだっけ穂咲ちゃん」
「プリントは持ってきてないのね……まずは能力者のことじゃない?」
「確かに。先輩に『能力者は沢山条件の重なった人間なのよ! まずは知識ではなく前提にすること!』……って言われたんだけど」
腰に手を当てて強気な演技をする真代。先輩とやら、あんまり良くは思われていないらしい。
真代は言葉を区切って黙してしまう。この先がないってことはつまり、能力者の条件を教えてくれって意味なんだろう。知識の一つ二つを共有するくらいの認識にいたものだから、試すような詰問を引用されてやや困る。
カツサンドを頬張って時間を稼いだ。授業でもなし、普通に知っていることを伝えるんでいいだろう。
普通に映画の感想会を始めた房嶋仙慈を羨ましく思いつつ、飲み干す。
「オレの知ってることだけだぞ」
「らじゃ!」
「どういう状況でその話が出たのかはいまいち想像付いてない。だから、人間が能力を授かって産まれる時の留意事項というていで話す」
本題に入ってすらないのにややこしそうな顔をさせてしまった。幸い椛野も聞いている、後は奴に託そう。
「先ず大前提、能力を二種類持つ事はない。二つ持ってそうな奴でも、一種類の能力がそう見えてるだけだ。その場合は炎を操る能力と氷を操る能力じゃなくて、熱を操る能力ってことだ。まぁ、例外はあるが……例外だし、省く」
「え、あるの。例外!」
……思わぬところから食い付いてきたのは椛野だった。この場の良心だとは思えど、第二の真代とは想像にもしてなかったが。
色んな意味で失言をした気がする。歯切れ悪く撤回するのもなんだし、今まで本で見てきた知識から犯罪者の能力を引用してみる。
「あ、あぁ。……〈能力を預かる能力〉でトラブルを各地に引き起こし、大きなデモを引き起こした男は、最初複数能力者として話題になったと言われてる。他にも、能力を自分の体の中で複製するなりして能力を幾つも持つってことは、不可能じゃない。実例はある」
「そっか、そうだよね。……因みにその男って?」
「ロシアの犯罪者、数十年前の話だ。……まぁそういうわけで、能力を二つ持つことが不可能っていうのを厳密に言えば――科学的に能力を二つ以上持つ、ってことに前例がない。って話になる」
真剣な面持ちを浮かべ両手で携帯を操作する真代。机に目を落とし、自分の知識を探り探り話してたものだから、その態度には今気付いたが、大方メモでも取っているんだろう。付き合う気のない話は振らないだろうし、続ける。
「戻すぞ。原則は他にもある。……異種族に能力は発現しない。あ、いや正確には――人間の血が混じっていないと能力が発現しない」
「じゃあ私はいつまで経っても能力は出てこないんだ」
真代は目線だけを上げて言う。その姿で一切人の血が混じってないというのか、それはまたなんとも。
「あぁ。そもそも能力は先天的なものだ、自我を形成する十歳くらいまでには能力の有無は把握出来る。統計だから例外はあるけど、椛野……房嶋もそうなんじゃないか」
仙慈は除外。鏡を見ればすぐに分かるだろ。
「え? あー、いつの間にか分かってたし、いつ頃ってのはなんともな。でも確かにそれくらいには知ってたと思う」
「……うん。物心ついた時には」
「だよな。で、血の話だが。人間と異種族とのハーフ、所謂半人も能力者になりうる。オレもそうだ」
進行に憚らないどよめきが女子組に流れる。言うもんでもないけれど、見て分かるもんでもないからなぁ。
「だが、混じり気のない異種族が先天的に能力を持って生まれた例はない。これもあくまで、他人の能力の結果能力を持つに至った異種族もありえなくはないから、凡例としてな」
「気を遣うねえ」
「なんかその先輩、厳しそうだろ。だから念を押しとく。オレのは知識であって真代が見て知らべた事実じゃない、それでいて知識は例外に弱く褪せていくものだ。……一旦纏めるぞ。真代、何言ったか覚えてるか」
携帯を膝の上に降ろし、紅い瞳は軽く宙を見る。泳いでるようには見えないし、椛野に視線が揺れることもない。子供らしいとは多々思うが、加味しても付き合いやすい人格をしている。猫格? ともあれ思考中に二又の尾が躍動する程度では友達作りの邪魔にはならないだろう。友達の邪魔ではありそうだが。
話し終えてみると変な高揚感に気付く。持ってる知識をやたらと振り撒かないとは強く心に決めていただけあって、促されて適切に話を進めると言うのは、出された問題を満点以上の出来で提出するような誇らしさと満足感がある。そういう時は大抵外面よりも、自分の中で完結した嬉しさがささやかに渦巻くものだ。
出来た時間にこれ幸いと立ち並ぶご飯にありついていく。裏で房嶋がつまんでいった分、そう絶望的な量ではなくなっていた。
次第に真代が小さく頷く。寄越された眼差しに応えてオレも頷いた。
「能力は基本一個。
人か、人の血が流れてないと能力は出てこない。
能力がある十歳くらいまでに気付く。
どれも例外あり! こんな感じ!」
例外って便利な言葉だ。
「そうだ。ただ言っとくが、最後のは全然ただの統計だからな。自覚してなかった高校生が能力を暴発させるとか、パッと二件くらいは思い付く」
「うむむ」
「ま、とにかく。沢山重なった条件とやらはこんなとこじゃないか。多分目に見えた能力者は肩身が狭いとか就職断られるとかの話じゃないだろ」
「よしんばそうだとして、この場は遠慮していただこうか……」
「……そうだな」
仙慈も聞いてたのか。面接に困りそうな奴筆頭……オレに次いで困りそうな奴に言い聞かせるような内容じゃない。妥当な訴えだ。
「うん、とりあえずだいじょぶな気がする! ありがとぉ、辻君」
「…………」
気持ちゆっくり瞬きをして返答の意を示す。本当に何でもない自己満足の領分なもので、礼を言われるようなことを成したつもりは全くない。世話を焼いたというよりお節介をしたと、そう思う。
特段気にされず、真代は椛野と話し始める。移り変わりがハッキリしていてオレとしては助かるものだ。
ふと、さっきから鳴りを潜めている男に目線をやった。一番初めはそいつの目の前だが、皿もサンドイッチ一つ程度しか残されていない。話していた他の面々はオレ含めそこそこ残っているし、ただ黙々と食べていたらこんなところだったんだろう。
物足りなさは浮かべていないが、依然笑顔と名の付いた真顔のままだ、判断基準にならん。
「ずっとこっちで喋ってて、退屈だったろ」
「いえ、傾聴しておりましたが、とても有意義でしたよ。生き字引のようだ」
皮肉……ではないよな。いや分からん、金時射弦の言うことは一つたりとも真意が分からん。
「そんな大層じゃない」
「私には文武両道のように感じますよ。きっと貴方が誇らしい態度でも鼻につく思いはしないでしょう」
鼻につくとかお前でも感じるんだな。とかは飲み込んでおく。負目はあるんだ、正面でも横でもずっと話してた辺り、負目は。
「身体能力も、記憶力が多少優れてるのも、単に種族が竜人だからだ。オレの努力じゃない」
「記憶力は行動によって引き立つものと、私は解釈しています」
「…………」
優しいというか。
会話へ積極的に参加しない。でも振られたら結構よく喋る。人と意見をぶつけない。基本素直。……優しいというか、無害なんだよな。
席も離れていて話す機会も少ないくせに、分かった気になるのはどうかと思う。だから口には出さないが、優しさとか慈悲とかではなく、ただ単に無害なだけのような性質だと感じる。少なくとも相手をしている分にはそうだ。
房嶋の明るさはありがちな喩えだが太陽みたいに、明るくて優しいものだけど、眩しくて暑くて、煩わしく思う奴だっている。今は要らないって思う時がある。それで言うと金時は街灯みたいなもんで、あってもなくても、街灯自体に何か思うことはない。
……そんな奴が初対面の相手に『お手合わせ願いたい』と行動した意味。いったいどれだけの重さがあるのか、それこそ未だ半月の付き合いで、判断することは叶わない。
あれからしばらく談笑して、今回は早いとこ帰っておこうという房嶋の計らいにより帰路を辿る。
稲袋に着いた時から一貫して房嶋が先導しており、今から起こったことも、だからこそと言えた。
午後六時前。店の明かりが点々とついていって、通りを歩く人々も愉しげな若者が増えてきたように思う。気温が下がっていくのと同じく、オレの頭も段々冷めていくような気がした。目深にフードを被ることも本当に些細な抵抗に過ぎないんだと、狂騒の声には感じ入るほかない。
仙慈や金時は房嶋の隣でなにやらポツポツ話しているようだが、聞き取る余力はなかった。
割と朝から騒ぎっぱなしだった。他意もなく疲れただけではあるんだろうが、真代や房嶋辺りが黙ると寂しさが際立つ。
そして、声が紛れることもなくなる。
「楽しかった? 辻君」
「……椛野は」
「うん、楽しかったよ。私もあんまり、友達と何処かに遊びに行くって、多くは無かったから」
「そうか。まぁ、そうだな。たまにならこういうのもって、思うよ」
途切れ途切れ。素直に口に出す難しさが最終的には勝ってしまい、強がるような形になる。椛野も椛野で多くは無いと少し遠回りな言い方で強がったのだし、おあいこだ。
角や頬を晒すのは気が引ける。見上げて表情を伺うことはできないが、きっと柔らかな表情をしてるんだろうと思う。
前を見て、房嶋を見失わないようにだけ気を付けて、適当に道を覚えていく。本当に人しかいない。制服姿の高校生グループ、スーツ姿の早足な男。そして――突然駆け出したポニーテールの少年。
「房嶋君!?」
放たれた声が誰のものか分からない。前と横から聞こえたとしか。
前三人が十字路を前にしたところで、房嶋は左に転換した。前触れのない爆走に硬直したオレ達は、数段遅れて後を追うことになる。
人混みを掻き分けながらで、あわや見失うかと危機感を抱く。ここで孤立するのが最悪の展開だ、せめて皆とははぐれないでいたいが。そんな心配を展開は進む。小さなどよめきを掻き消す怒気の混ざった声が前から聞こえた。例にもれず、房嶋の声だ。
「アンタ何してんだよっ!」
……まっすぐな人間がまっすぐに怒ると、それはもう実直に怒りを伝わせるものだ。横で椛野が動揺してるのが分かる。
速度が落ちてく仙慈、それに合わせた金時とも合流し、どうやら数人と揉めてるらしい房嶋に追いついたのは、五人揃ってからだった。
「……関係ないだろ子供にはさァ。離れてな、な?」
「なら早くこの『人』から離れろよ。見てたぞ、殴ったよなアンタ」
声を掛ける隙間もなく、一度状況を理解する必要があった。
房嶋が腕を掴んでるのは、房嶋と同じ背丈の男。ガタイは劣る、軽薄そうな姿だと思った。両脇にいる二人はニタニタと嗤いを浮かべて、たった一人の闖入者を面白がるなり、残る人物に鋭く視線を走らせるなりして引っ込んでいる。
房嶋と三人の男の他、駆け付けた少年の背に隠されるようにして立つ人物。横顔しか見えなくても、特徴の選出には事欠かない女性だった。
果実のように青い肌、黒い眼球に浮かぶ黄色い虹彩。デニムのショートパンツの上からは山羊じみた尾が垂れ下がっている。
喩えではない。悪魔の女性が、房嶋に守られている状態だった。
よく見れば女性は、左手を頬に当てている。糾弾は見間違いじゃないように見える。
「じゃあ何、なんかしたかなァ君に。な、言ってみ? なにかした?」
嫌に間延びしていて、棘があるのになだらかな声色。
周囲の景色を見ると人混みが、段々と人だかりになっていた。まるで透明なドームでもあるかのように、オレら十人を避けた円形で出来ている野次馬が囲い始めていた。
流石に不味い。オレはオレのことを考えるべきだった。……今からでも遅くはない、走って外れかけているフードを直して、房嶋を異種族の居るグループという認識から外れてくれるよう願った。
「俺じゃない。この人を殴ったよなって、そう言ったんだ」
「カッコいいなァー、でもさァ。ちょっと調子乗り過ぎ――」
二人駆け出す。
赤毛、白髪が見えた辺りでオレも気付く。左手側にいる男が拳を振り上げる様、右手側にいる男が足を引く様が緩慢に見える。身体は動かない、眼差しに釘を打たれているような気分だ。
拳が届く。微動だにしない房嶋へと届く。
椛野が、金時が脇の男らへと届く――
「ぐぁっ!」「アァ!? んだよテメェ!」
引いた足を放った男を、椛野は当身で体勢を崩し押し倒す。
かたや金時は静かに拳を掌で受け止める。
「貴方のしたことは知らないけれど、しようとしたことは見てた。文句を言うなら私が相手になるけど」
「……人目があります。引き際では?」
きっと男達が自分に暴力を振るうのを、ちゃんと見えていたろうに、房嶋は固く腕を掴み続けている。背中しか見えない。でもあの深緑の瞳が怒りに燃えているのだとしたらそれは……見ないでよかったと思ってしまう。燃ゆることを知らないままでいたかったとも、思う。
「あの女がぶつかって……」
「アンタが」
言葉で殴るような、追突する声だった。
「――アンタが、殴ったんだろ」
「くそ、つまんねぇな……!」
腕を乱暴を振り払うと、人混みに突っ込むようにして男は消えていく。金時に拳を掴まれていた男は、元から解放する気だったのだろう、振り払うまでもなくすんなりと後を追って行く。首でも絞めるんじゃないかと思わせる椛野に敷かれた男は、尚も緊迫したまま硬直していいる。
十割男が悪いのは前提として、あれじゃにっちもさっきも行かないだろう。
「……おい」
人目がある中で名前を呼ぶのは躊躇った。ぶっきらぼうに呼び掛けただけだが、椛野はすくりと立ち上がる。それから間もなく、悪態を言い残して去っていった。
人だかりは悠長に去っていく。いっそ蜘蛛の子を散らすように消えてくれたらいいものを。
「結局アイツ、謝んなかったな……あの、大丈夫ですか。すんません、なんか目立たせちゃって」
それはオレらも悪いっちゃ悪いか。そうか?
女性の声は柔らかかった。おっとりとしていて、とても悪とは程遠い響きに聞こえる。
「いえ……その、ありがとうございます」
振り返った房嶋は大層満足そうだった。その頬に腫れがないこと、堂々と立っていられることを飛び出した両名には感謝せねばなるまい。
口を挟むと拗れかねない。分かってるのだろう、何事もなかったかのように二人は観測している。ふと横を見やれば、ぼやっと見ている真代と若干眉を落とした仙慈。……仙慈も飛び出していくタイプだと思ってたんだが。
「頬……ちょっといいすか」
「え?」
女性の背は仙慈くらいか。オレよりは大きく、推定160cm台だと思われる彼女は、ふさふさと毛量のある紺色の髪を腰まで垂らしている。房嶋が声を掛けて少し、髪を割いて尻尾が持ち上がった。
その様子に視線が上がれば、房嶋の右手から出る黄緑色の……光はあまり放っていない、オーラらしきものが女性の頬に移っていく。なんとも分かりやすい、アレが以前食堂で言っていた〈治癒〉か。
手を離して、ほんの少しタイミングがズレて頬の黄緑色も消える。
「痛み、無くなりました?」
「――うん。ありがとう」
おずおずとしていた声色が晴れやかだ。
房嶋はオレら五人を見渡しながら口を開く。
「悪い、先駅まで行っててくれ。……目的地まで送りますよ、俺のせいでちょっと目立っちゃったし」
「いいえ、悪いですよ。そんな……」
殊勝だが、椛野が聞き入れるとは思えん。
「いや私も行くよ。この後近くで任務あるし、どの道残る予定だったんだ」
「僕は聞いていないんだが……」
「はい。昨日貴方が居ないところで決まりました」
「…………」
ドンマイ。
真代も当然任務がありますみたいな顔をしている。じゃ我ら残り者男子はお先に帰ります、とは如何なものか。苦々しい口元をみるにちゃんと凹んでいる仙慈と二人きりは気まずいぞ。
「まぁ
見ず知らず六人の厚意は若干恐れに近いものを感じるが、先の出来事があった分女性も断りづらそうだった。
遠慮がちに首肯し、やがて駅から離れて往く。銀狼隊四名、保健委員一名、図書委員一名の護衛パーティが誕生した瞬間である。
流石に物々しすぎるので、静けさのあった先程と打って変わり房嶋が話を回していく。
「お姉さん、さっきの人と知り合いですか?」
「私は、知らないです。……肩がぶつかっちゃって、本当にただそれだけです」
「それは災難でした。分別の履き違えた粗野な方々も、そう珍しくはないのでしょうか」
金時がこうもはっきり言葉を尽くして人を罵倒するのは初めてみた。いや、そもそもこいつらの罵倒する姿を知らんが。
にしたって感情が実直なのだろう。表情筋が死滅してる代わりかもしれない。
しかし言葉は選んだ方がいい。場が静まり返ってしまった。……視線がオレに集まる。この場合金時か、もしくは助け船を乞いに房嶋へ向かうのが妥当な気がするが……。
「……あオレに言ってるのか」
「えぇ」
「いや知らない……言ったろ、東京に来たのは今年が初めてなんだ。こうして白月街以外の場所を練り歩くのもな」
「おっしゃってましたか。失礼」
「まぁでもむしろ……拍子抜けしたよ」
軽率な発言だと言って気付いた。僅かに寄越された房嶋の眼差しが一際鋭いもののように感じるが、そこまではオレの不信が招いている錯覚だろう。
言葉を上手く止める方法を思い当たらず、吐露する形でどうにか真意を明かす。半ば独り言のようなつもりだったけれど、こうも静かだと充分伝わるものらしい。
「オレはもっと、迫害に積極的な場所だと思ってたから。故郷よりも……歩きやすい」
「…………」
やはり言葉は選んだ方がいい。場が静まり返る。視線だけは外れていくけれど。
いや、なんというか。
静かすぎるな。
「あ、因みに。どこまで行くんすか?」
「あぁ……新宿区の方まで」
「えっ」
オレと椛野、房嶋の声がハモる。仙慈も物思いに耽ているが、何も言葉の意味を理解出来なかったわけではないだろう。金時や真代は相変わらずよく分からないが、ともあれ今の行ないの危険度を共有出来る奴がいてまずは良かった。
東京都新宿区。インフラも通り活気が溢れているというだけで、廃棄宣言がくだされていない魔境。異種族能力者の住まう荒んだ悪性の温床。……偏見ではない。事実逮捕された異種族や能力者は、足取りを追うと新宿区へ消えていく。人間禁制の空間だ、故に消えていく。
最早そこは、血の香るブラックボックスと同義。
道理で静かなわけだ、既に人の影はかなり少ない。
穏当な女性だと思っていたし、新宿区を住処にしていたとして悪事を働いていると判断するのは早いだろう。だが、そこで活動が出来る時点で一定以上の
「えっと、別に中まで来なくても大丈夫です。そろそろ近いですし……」
「……っすね。それじゃあ」
「はい」
穏やかな二人の会話を他所に、真代かこそこそと椛野に話し掛けている。知らなかったのか。
房嶋が止まり、女性が数歩出て振り返る。
曇りのない微笑を携えて、彼女が腰を折り曲げる――その時だった。
「あぁ居た……遅かったから迎えに――!?」
女性の背後から、あどけない少女の声。質は違うが、確かにオレは、オレ達は聞いたことがある。
フラッシュバックするあの日。忘れることなんて出来ないあの日。
蛍光的な桃色の目をした、薄紅の少女。月と共にやってきた襲撃者が、姿を現す。
「――アンタ」
「貴方――!」
赤毛の少女が最も早くに地を蹴った。
多くの者を置き去りにして、混乱の夜が訪れる。