白夜と藍嵐   作:凍星 奏雨

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【登場人物】
ーー月桜学園一年生
椛野(かばの)穂咲(ほざき)・赤毛の少女。銀狼隊戦闘部。
(つじ)誠也(せいや)・竜人の少年。月桜学園図書委員。
房嶋(ふさじま)豊鷹(ゆたか)・深緑目の少年。月桜学園保健委員。
真代坂(ましろざか)仁子(にこ)・猫又の少女。銀狼隊支援部
仙慈(せんじ)寿人(ひさと)・目隠れの少年。銀狼隊戦闘部。
金時(きんとき)射弦(いづる)・白髪の少年。銀狼隊戦闘部。

ーー月桜学園二年生
鳴島(なりしま)(じん)・黄髪の少年。銀狼隊戦闘部。
虎郷(こざと)景善(かげよし)・黒髪の少年。銀狼隊戦闘部。
彩上(あやがみ)八子(やこ)・深紅髪の少女。銀狼隊支援部。
住河木(すみがき)寿樹(ひさき)・黄色目の少年。銀狼隊支援部。

ーー反抗する火種(カウンターズチルドレン)
・《月面の麗人》木枯(こがらし)銀河(ぎんが)
・《強欲の吸血鬼》
・《穢れた神話》
・《拒絶の悪魔》
・《壊れた極彩》


第九話 割れた双月

 東京都内にしてはやけに田舎くさいその建物は、数年前から既に廃棄区画として認定された土地にある。

 都内の犯罪率上昇につき見放された学び舎は元より小さく、校舎一つとっても、大柄な異種族を格納して余りある、栄えある月桜学園体育館に劣る有様であった。そのところ、校長の手腕が為せる思い切った空間が凄まじいのであって、一般的な体育館となら良い勝負もしよう。

 ともあれ廃校、校舎の端に位置する職員室だった空間は多少の改装が施され、悪党の会議室にしては悪くない配置となっていた。

 朝早くから集まったそれらは計五人。

 鼠色の髪から一対の山羊めいた角を見せる少年。瞳は煌々と蒼く、表情は鬱蒼と暗い。木製の椅子に身を降ろし、ホワイトボードの前に立つ人物へ身体ごと向けている。――《拒絶の悪魔》。

 桃色髪を下の方で左右一束ずつ結んだ少女。蛍光ペンで塗ったような発色のいいピンクを瞳に浮かべておきながら、表情はハツラツと正反対な不機嫌そのもの。やや古びた机に座る彼女だが、軽さの甲斐あってか軋む様子はない。――《強欲の吸血鬼》。

 どちらも背丈は中学生の平均をやや下回る。

 壁にもたれ腕を組んでいる少年は柔らかな翡翠髪。柳のように被さる前髪が視線を断ち切り、人を近寄らせない雰囲気は蛍光瞳の少女と比類する。同じく背丈は小柄気味。――《壊れた極彩》。

 蒼天の朝にして曇りに勝る重たさを感じさせる室内に抵抗を試みるのは、眉を落としながらも笑みを形作る少女。今までの少年少女よりは背丈が大きく、160cm半ば程。赤みが強い桃色を腰まで伸ばしながらも、顔の(ふち)を緩くなぞるような一房の髪だけは、深紅に染まっていた。琥珀のような橙の瞳を困ったように開いて、人物の言葉を待つ。――《穢れた神話》。

 清々しい面持ちは誰一人いない中でも不敵に微笑む気丈な女性は、ホワイトボードを背に四人へ目を合わせていく。肩に触れない程度の金髪を川水のように滑らかに揺らす、見目麗しい女性。――《月面の麗人》。

 片手に教鞭でもあれば様になるであろう彼女だが、この場の誰よりも背が高いだけあって、纏め役としては既に馴染んでいた。否、彼女を越す何尺もの背があっても、優雅さを幾重にも束ねたカリスマに、取って代わる道標とはなり得まい。

 かくして、精鋭少年兵『反抗する火種(カウンターズチルドレン)』の集いであった。

 やはりと言うべきか、金髪の女性が口火を切る。

「まぁ、今回集まってもらったのは今後の方針が決まったからだ。特に、二人には働いてもらうよ」

 釘を刺すように鼓舞した先は少女二名。暖色系の髪を持ったそれぞれは、その信頼に喜びを見せる様子は無く。それが当たり前のものとして先を促した。

「……決行日は決まった。というか、あのバカ道化のアラームがそこになってるから、速めることは出来ない。というわけでそれまでに我々は撒ける種を撒いておく。具体的には――」

 大人しく耳を傾けるのは、彼女に実績があるから。

 能力に頼らずとも人心に寄り添い、仲間を救済した実績が。

 デコボコな少年少女でも、共通して《月面の麗人》――木枯(こがらし)銀河(ぎんが)は道標であった。

「――というわけだ。何が起きても私が迎えに行く。決して、今が命の懸けどころではないのを肝に銘じておいてくれよ」

「ちょっと待ってよ。今回も(れい)達仕事してないじゃん」

 少年二人を指差し、机から立ち上がる《強欲の吸血鬼》。視線は木枯へ、鋭く抗議を見せている。

 一方差された二人は毛ほども気にした様子もなく、続く女性の言葉に任せた。

「そんなことはないさ。二人だって欠けると困る、適材適所だとも。私達は女子が武闘派だからね」

「むぅ……」

「というか、だ。呼び名は徹底したまえよ、折角記名者(エニグマ)が銘じたんだから」

 ちゃっかり本名を呼ばれた角付きの少年は同調する気もなく、かと言って名前呼びにさしたる情動もなく、呼び名自体に興味はないようだった。

 エニグマと呼ばれた者はこの場にいないが、それでも他の四人の頭に浮かぶ姿はある。黒豹隊の、幹部でこそないが重鎮に近い者だ。

  記名者(エニグマ)自体が為した実績は音にも聞かない。しかし、目の掛けた人物はもれなく黒豹隊に勝利をもたらしてきた。それを知って、翡翠髪の少年、《壊れた極彩》は言う。

「俺達の潜在能力の抽出。名の『覚醒』なんて、物にでもなったみたいだ、全く」

「どちらかと言えば能力だろう。まぁ、分かっているなら心掛けてほしいものだよ。馴染めば馴染む程『覚醒』は近くなる」

 具体的な反論もなく、《強欲の吸血鬼》はつまらなそうに鼻を鳴らす。

「で? 話は終わりなの」

「あぁ、解散だ。決行は今日の夕暮れ時、収集前には連絡が出来るようにしておいてくれ」

「了解です」「んっ」「……」「はーいっ」

 四者四様に返事を返し、三人の姿が廃校から消える。

 残ったのは《月面の麗人》と《強欲の吸血鬼》の二人。

 いつしか白月街を襲った時以来に、少女らは二人きりとなった。示し合わせたわけではない、残って資料の確認をしている木枯銀河へ、気まぐれの働いた少女がたまたま核心に迫る質問を思いついただけで。

 問いの意味の大きさを知らぬまま、少女は言葉を口の中で転がす。

「……どうした? 《強欲の吸血鬼》」

「別に。いや」

 咄嗟にそっぽを向くものの、どこか馬鹿らしくなり、穏やかに笑う木枯を見つめ直す。

「大体の奴は、復讐が目的の集まりでしょ?」

「まぁ、過半数はそうだね」

 心優しげに質問へ意識を向ける麗人。資料を机に置き、子供らしくあどけない響きの語調である少女を見つめる。蛍光色的な桃色の瞳は、丸い垂れ目で攻撃的な印象はない。

「私はいつの間にかこうなった感じだけどさ、義姉(ねえ)さんは? 誰に復讐したいの、何が目的なの?」

「目的は……結成声明の時に言ったろう? 私は皆に反撃の機会を与えたいのさ、あとは拠り所をね」

「ほんとにそれだけ?」

 鋭いものだ、と木枯――木枯銀河は思う。長い時間を共にしたわけじゃない、と銀河は認識していたが、眼前の義妹にとってはそうでもないらしい。

 約四年の月日は、歳が幼い程大きく影響する。齢十五の《強欲の吸血鬼》にとってはかけがえのない人格形成の中途であり、時に姉貴分の彼女を見返して見せる。

「別に根拠はないけど。でも、義姉さんってそんな献身的だっけなって」

「酷いな。私は心優しい導き手だとも」

「性格は悪いよ」

 肩をすくめる銀河。このまま適当に煙を撒いてもいい、自身の本懐を知る人間は誰一人として必要としていない。

 ただ――そういった時間がもう僅かと、一縷の侘しさが口をついて出た。

「結成理由自体は、別に……私個人が目論んでるものはないよ。私兵でもない」

 少女はざらついた机に手を置き、再び腰をかける。

 黒いミニスカートからはタイツに包まれた細い足が揺れている。髪と瞳の色は他者を惹き付ける清々しい発色だが、纏う服装は一貫して薄暗い雰囲気を与えた。

「ま、ただ……そうだね。結成理由じゃないけど、折角皆の力を借りれるなら、成し遂げたい事はある」

「勿体ぶってないで、早く聞かせてよ。別に知ってたって……何かするとかじゃ、ないけど」

 口を尖らせて鼻を鳴らす少女。絵に描いた強がりの素振りに苦笑をこぼして、銀河は記憶を掘り起こす。

 蒸し暑さを打ち落とす大粒の雨、抱えた身体の軽さ。

 雨粒を迎え入れても微動だにしない、虚ろな瞳。

 足に伝う水と血の不快感すらも細かく覚えている。

 二時間後の晴れ間も、一週間後の憂鬱も、現在への怒りに繋がって息をしている。

 憎しみが常に横たわっている。

「私の弟は――銀狼隊に殺された」

「……それが、月桜潰しの理由?」

「いいや。でもモチベーションだよ。私個人にとっては、原動力だ」

 笑みはいつの間にか哀しさを帯びて、瞳には諦念が満ちている。

「弟がいるって、知らなかった」

「誰にも言ってないからね。まぁ星久里達幹部や、黒豹隊(うち)の諜報は知ってるだろうけど……やっぱり、言っといてほしかったかい?」

「……別に」

 いじらしく笑うから、少女は言葉を見失う。瘡蓋を見せながら、それでもあやすように姉ぶるのが、悔しくて堪らない。

 枯れた花を見るように寂しげな義姉の眼差しには、雨も光も新たな種も必要としていないような気がして、少女の胸に虚しさが空回る。

「私がこうして人並みの喜怒哀楽があるのは、それからすぐにキミと出会えたからだよ。桜花(おうか)……私の、唯一の家族」

 銘じられた名を徹底――しばし、自分の取り付けた決まり事を隅にやり、妹の名前を転がす。

 木枯桜花。自分なんかが拾ってしまったばかりに、とんだ組み合わせとなった吸血鬼の名前。名前を呼ぶ度に失笑を覚えてしまう。

「死んだからって、家族じゃ無くなるわけじゃないじゃん。……それで、どんな子なの。私より下?」

「生きていれば高一だから……残念、一歳上だね。要領が良くて、人付き合いが上手い子だったよ。私みたく能力を持って産まれたわけじゃないのにね」

 言葉尻が萎んだのを立って誤魔化し、銀河は窓へ近寄る。

 外からは中が見えないよう加工されているが、無くても見つかることは無いだろうと思わせる閑散とした景色だった。実際に街に住む人物はおらず、足を運ぶ者もいない。

 世界にたった二人だけ。そんな幻想を、麗しき復讐者は抱く。

「当時の銀狼隊の能力に、巻き込まれて死んだ。全く、笑えないとも。身に宿す運命ならば受け入れることも出来たさ、でも違う。運が悪かっただけだ。……いや、それだっておかしい。未熟なまま戦場に出た、あの隊員が悪いんだ……!」

 

 

「――力の及ばない戦闘員なんて、いつ誰を殺すか分からないだろう。間引かれたって文句は言うまい。彼岸崎錦」

「……テメェのことは報告でしか知らねえ。容赦があるんだかねえんだか分かんねぇ動きに何があるんだと肝を冷やしてたよ。でも、そうか。単純だったな」

「あぁ。繕おうが煙に巻こうが、嘘で謀ったことはないとも」

「自分なんかに殺される奴は銀狼隊なんかやめちまえ、ってこったろ?」

 浅く笑って、彼岸崎先輩は切っ先を降ろす。

 鮮やかな赤色がアスファルトを照らして、危険信号を通り越した最終勧告は路面に傷を残した。

 ただ撫でるだけで、彼の切っ先は易々と。

「――何様のつもりだ、テメェ」

 青い炎を思わせる、落ち着いた烈怒が先輩を突き動かす。

 なにもかもを意に介さず、彼は木枯へ肉薄した。

 口を挟む余地はなく、木枯は後ろへ跳躍し――消える。

 〈月〉の瞬間移動。

「クソッ……逃げ回られるとマジでクソゲーだな」

 強く握った心剣の柄を、投げ出すように放る。動きの勢いに反して、心剣は蛍火のような光となって即刻消えていった。

 それから彼岸崎先輩は半身振り返り、心身共に取り残されたシンパの一人を見つめる。空色の瞳を鋭く向けられたその男は靴を擦って後退った。

「ま、それならお前の口から聞くだけだよな」

「ひっ……い、いや俺は何も」

「落ち着いて話せよ。急かしたくなるだろ」

 大股で距離を詰めていく先輩。声色も完全に脅しだ、重ねて漆黒の羽織が輩感を際立たせている。不幸にも、男が後退したところで雑居ビルが待ち受けるのみ。

 同情というか、不毛に思う。

「あの、先輩。多分本当に知らないです」

「ん?」

 今後は素直に疑問を浮かべる顔をまっすぐ向けてくる。ギャップがむしろチグハグで、一瞬言葉に詰まった。

 唾を飲み込んで、私は振り向く。彼岸崎先輩がやってきた方向だ。

()()()()、全員その場で従ってたので」

「……魅了、か。効く奴はとことん効くんだなー」

 今にも胸ぐら掴みそうな距離感だった二人は、先輩が離れることで場の緊張を解いた。

 男に背を向け、先輩は私の方へ近寄る。

「荒して悪かったな。……あー、もしコイツら。十――八人が起きなかったら医者なり呼んでやってくれ」

 先輩は歩みを止めず、やって来た方向へ戻る。男が気がかりながらも後に続いた。

 〈心剣〉が一瞬で斬り伏せた四人と――それ以前に私が倒した十四人が寝転ぶ道を、通って行く。

 しばらく無言が続き、私はふと黒い背中に問う。

「先輩、その……私を助けに来てくれたって言いましたけど、誰から……真代からですか?」

「マシロ? いや。あーそうか、そうだよな」

 一人で納得したと思えば、軽く唸って言葉を絞り出した。

「鳴島達から頼まれたんだよ、任務で近くまで来てたからな。で、俺もちょいと別件で近くに来てたんだが、たまたま稲袋駅で色々あったんだよ」

「色々?」

「おう。……あの女が取り仕切る『反抗する火種(カウンターズチルドレン)』の一人、《穢れた神話》とやらが暴れてる最中でな」

 駅で暴れてる? それはつまり、真代達……いや、問題は銀狼隊にいない彼らまで巻き込まれているかもしれないことだ。

 今になって、後悔と焦燥が胸に立ち込める。

「近くに居た鳴島達が椛野拾いに行くって言ってたから、代わって向こうは任してきた。足あるし」

 先輩は死屍累々(殺してはない)の道を過ぎてからすぐに止まる。横からのぞき込めば、黒塗りのバイクがそこに。

「虎郷いるし心配してねえけど、さっさと合流しに行くぞ」

「……はいっ」

 バイクの後ろに乗るなんて初めてで、緊張もそこそこに期待を少々。

 彼岸崎先輩が全然焦らないものだから、私もつられて楽観してしまうけれど、まずい事態に変わりはないはず。渡されたヘルメットをかぶりながら、辻君達の心配に馳せる。

 いや、どうだろう。

 房嶋君も辻君も、銀狼隊に入ってないからと言って弱くなんかない。むしろ私よりも周りを見て、実際に身体が動くしっかりした人だと思う。金時君も、彼には実績がある。木塚街での一戦で、彼は一人で多くのことを成し遂げて見せた。

 ……やっぱり、心配なのは。

「ま、戦闘で言えば鳴島と虎郷がいる。支援部の彩上も住河木(すみがき)も、有事の行動力は二年でダンチだ。先輩信じて、まずは飛ばされないようしがみついてな」

 バレてる。

 先輩の言う通り、今私に出来ることはない。促されるまま後ろに座り、腰に手を回す。

 羽織の背面にはエンブレムが刻まれている。気高き銀狼隊の刺繍が目前へと迫り、肩に掛かる重さを想像した。

 計り知れないままエンジンが入り、僅かな振動。

「行くぞ」

 これから十分足らず、銀狼隊の乗り物は軒並みスピードがおかしいことを思い知るのだった。

 

 

 彼岸崎、と呼ばれた先輩がバイクで去っていくのを視線で追って、オレ達は問題の元凶を揃って見上げる。

 火焔に包まれた蛇の怪物。エキドナ、と呼ばれたのは真に迫った表現と思う。

「……椛野の方は任せて良くなったな。問題は」

「効くかな電気……まぁ、効かなくても変わんないけどさ。彩上さん、皆のことお願いね」

「はいはい。仁子も手伝いなさいよ、丁度いい実習だわ」

「はぁい」

 眉を下げたり苦笑いを浮かべたり、勿論のこと抵抗を見せる先輩達だが、後ろ向きになる人は誰もいない。

 それは、オレ以外の皆もそうだった。

「よし。金時――お前の力も必要だ、手を貸してくれ」

「無論」

「僕も――」

「いいえ」

 仙慈の言葉を遮ったのは、剣士でも電気能力者でも女性でもない、やや背の低めな少年だった。

 こいつよく反論されるな。

「彩上さんと真代坂さんでここ周辺をあたっても、避難の人手が足りてません。僕と一緒に行動です。僕と、周囲の避難と追撃の予防をする為に行動です」

 付け足すようにして、強くハキハキと喋る。

 よく分からないが、言い分は妥当だと思う。でも間が悪い。とことんまで。

「――僕だって! 僕は朽羽先輩にも認められている、実績だってある! 僕は戦えます、先輩!」

「…………?」

 何が逆鱗に触れたのかと、口を挟んだ先輩は怯えの混じった困惑を露わにする。

 彼が気の強い後輩へ声を掛ける前に、戦闘チームは覚悟を決めたようだった。

「そろそろ警察が持たない。鳴島、金時、建物から引き離して時間を稼ぐぞ」

「オーケー」「ええ」

 怪物はいましがた尾で大きく薙ぎ、こじんまりとした駅前の建造物が吹き飛ばされていく。

 瓦礫は高い走力で駆け抜けた三人には届かず――通り越し、それらは近付いて来て。

「逃げて!」

 女性の先輩の鋭い声。彩上、と呼ばれていたか。

 大きく弧を描いた瓦礫は映画みたいに時間が引き伸ばされるわけでもなく、一瞬の迷いで身体が潰れる理不尽な砲丸でしかなかった。

 蜘蛛の子みたく散っていく各々。オレも大きく一歩踏み出して、それから、思わず踏みとどまってしまう。

 横には、今も尚瓦礫を見上げる仙慈。影が被さる様だけは、スローモーションに見えた。

「仙慈君!?」

「辻!?」

 先輩の声、友達の声。

 天秤に乗せる手はそれほど早く動かない。

「っ……ぁ」

 瓦礫が放つざらついた衝突音の中に、小さく漏らした仙慈の声を拾う。

 どんな感情が乗っていようと、それはとっくに遅くて、オレの能力(・・)を止めるには至らなかった。

「え、ぶ、無事!? どんな身体してんの、君……」

 彩上先輩の声がする。

 身体が熱い。血流が細部まで行き届いているのを感じる。

 見上げたら、瓦礫は砕け散っていなくなっていた。代わりに、朱く輝く丸い月。

 重なってしまうのは、丸い月が地に降り立ったあの日、名も知らぬ同級生の前に出た自分のこと。

「辻、くん」

 声の震えた仙慈。苦悶の色は感じないから、瓦礫の二次被害は被っていないらしい。ここまでしといて傷があれば動いただけ損ってものだ。良かった。

――〈血輪(げつりん)

 月の出てる間にしか許されない、身体強化能力。椛野みたく、仙慈みたいに、或いは房嶋のように、能力に向き合うなんてしたこともない。だからこれ以上の事は知らない。使った晩には必ず悪夢に苛まれるということ以外、知らない。

「…………」

 言葉は出ない。何を言うべきか、そもそも何か言うべきなのだろうか。

 何も、受け付ける気はない。

「仙慈さん。……虎郷さんが金時さんを必要としたように、僕にも貴方の力が必要です」

「ほら、君もこっち!」

 残った先輩二人が、瓦礫の散らばるオレらに声を掛ける。

 あくまで避難を促すか。でも、果敢に突っ込んだ三人と言えば、火焔渦巻く大蛇女に防戦一方。剣士と電気を纏う程度の暴力で太刀打ちできる程、敵は現実的じゃない。

 どうせ能力を使ったのなら。

 ……オレは、多分アレを倒せてしまう。

「辻さん」

 オレの名前を呼ぶのは、仙慈を諭した先輩だった。名乗った覚えはない。

 彼の黄色い瞳は迷いなく言葉を告げる。握る拳が軽く震えている事、見ないフリをして。

「彼らなら大丈夫です。この時の為に、生きる為の戦い方を知っている彼らなら、大丈夫です。辻さん、貴方も僕らが守るべき人ですから」

 行きましょう、と仙慈を促し、二人は駅の近く――先程まで戦っていた警官や暴徒の方へ繰り出した。

 振り上げた拳の行先が無くなった。経験はないのに、そう思った。

 身体は熱く、心臓は否応なしに強く跳ねる。普段のように落ち着いて行動することも出来ず、オレはぼんやりと、戦う三人を見た。

 彼らは淀みない動きで炎の爪を躱し、熱気を余裕持って回避する。一人が囮になり、一人が迎撃、残る一人はカバーに入る。阿吽の呼吸だった。時折金時が崩れても、先輩が置いていく瞬間は一切無い。時に、瓦礫を打ち上げて野球のようにノックする金時、真剣じゃアレは出来まい。

 今見つめているのは憧憬からか、それとも別のなにかか。

 火焔に踊る誰かを見て、ただ動けなくなってしまっただけなのかも、しれない。

「っ――!?」

 手首に冷たい感触がして、思わず大袈裟に振り返る。振りほどく形で感触の正体を知った。

 怯えもしない、笑いもしない。ただ冷ややかな、真代坂がそこにいた。

「行こ」

「……あぁ」

 後を追う形で、オレ達は稲袋駅を離れる。

 案内されたのはカフェ。店名に見覚えは無く、自営業なのかと思う。雑多な店の群れにこじんまりと建ったカフェはモダンな雰囲気に加え点いてる明かりが少なく、客もいない。

 緊張感のある建物に入れられたオレと房嶋は、街へ赴く真代と彩上先輩を見送る。

 最後まで真代は笑わなかった。

「彼女も言ってたけど……僕は月桜学園のOBでね、有事の時は避難所や銀狼隊のアンテナになってるんだ」

 店主と思わしき人はふんわりと白髪を誂えた男性で、愛嬌のある顎ヒゲも管理されている印象を受ける。

 彼は優しげな声でカウンターに立ち、窓際のテーブルに座るオレらを見つめて言う。

「寮母さんが心配しちゃうからね。もう少ししたら運行してる路線まで送るから」

「ありがとうございます」「どうも……」

 温和な表情を見るのがどうにも億劫で、窓に視線を向ける。

 壁掛け時計が殊勝に音を刻む。

 新宿区に置いてった椛野も、〈血輪〉を使えば助けられたのだろう。

 椛野を孤立させた事。立ちすくむ仙慈を見逃す事。どちらもそう変わらない。

 あの時決断した本心も、あの時動いた身体も、嘘偽りはない。だからこそ、オレは酷くタチが悪い。

「……辻、それさっき言ってた能力?」

 物憂げに窓を見ていた房嶋が、頬杖をついて視線を流してくる。

 ムードメーカーの彼も流石に明るくは振る舞わず、静かなものだった。

「それ?」

「目」

 言われて、窓に映る自分自身を注視する。実際、心臓の動きと身体の熱で能力が継続していることは分かるが、何か見た目が反映されるものがあったかは判然としていないのだ。

 窓にぼんやりと映るオレの瞳に、見慣れない色が灯る。

 警告灯のように強気な赤色が、オレの瞳に。

「…………」

「あ、まぁ……わざわざ鏡とか見ないよな。能力使う時に」

 どんな顔で言ってるのか分からない。苦笑を更に薄めた響きに聞こえたそれは、多分気を遣ってくれたのだろう。

 爬虫類じみた瞳孔に血が貼り付いている。暴力的な赤色。

 暴力、という程文明的な言葉ですらない。この瞳はただ、怪物のそれだ。

 先輩の手が震えた理由も、真代が笑わなかった理由も、ここに至るまでの不穏さは全てこれのせいなんじゃないかと、そう思えてくる。

 そう思わなくちゃいけない気持ちになる。

 怪物は怪物と自覚していなくちゃ、人と関わる資格はないのだから。

「……辻」

 返事する気力は出なかった。この喉さえも呪いの笛が人並みに音を出しているような、そんな気がして。

「あの時助けてもらわなかったら仙慈は大怪我してた。それなら取返しが付くけど、瓦礫に潰されてたら、きっと俺の能力も間に合わない。だから……あの時仙慈を助けたこと、誇っていいんだからな」

「……あぁ」

 唸るように、辛うじて。

 人らしく居たいのか。怪物で在りたいのか。

 二律背反だ。矛盾をやり過ごしているだけだ。

 今一度答えを出すべきなんじゃないのか。

 また誰かが、目の前から崩れて去らないように。

「用意出来たよ。おいで」

 店主の声が後ろから聞こえる。

 あの怪物、《穢れた神話》と呼ばれていた女を理由に、今ここで相打ちにでもなれば――

「辻」

「……」

「一旦、帰ろうぜ」

 一旦。自分で言うと重たく、愚かしい言葉であるそれが、人から言われると途端に軽くなる。

 房嶋の言葉を言い訳に腰を浮かせる。

「……悪い」

「なんで謝んだよ」

 心臓は穏やかになって、鼓動の音も聞こえない。身体も冷めてきた。そんな中で見る房嶋の顔は、やっぱり小さく笑っていた。

 店主の運転する車に乗り込み、いよいよ稲袋から離れていく。ところどころで通行人が団子になっていて、事の大きさがじんわりと鮮明になっていく。

 緩く進む車。助手席にいる房嶋が、窓を見つめて小さく呟いた。

 つられて窓の向こうを探ってみる。

「……真代」

 朗らかでもない。冷めてもなければ必死でもない。警察と混じって、ただ真剣に避難誘導へ取り組んでいる真代が居た。

 声は届かないが、口の開き方から相当の声量を出しているのは理解出来る。

 対抗心なんて欠片も。でも、何処か寂しく、悔しかった。

「すごいな、あいつも」

「……房嶋も。さっき、あの人助けに行ったろ」

「え? あぁ」

 零すような感嘆に、まだ六人纏まってた時の事を告げる。真代が旗を持って声を張り上げるのと同じ、房嶋は痴れ者の腕を掴んで悪魔の前に立った。

 それは椛野が使命感を胸に抱いた時と同じでもあって、金時が怪物に畏れない事とも同じで、仙慈が自分の能力を活かそうとした事にも重なって。

 ……房嶋にとってはきっと、オレが瓦礫を跳ね除けた事でもある。

「もしかしたら俺ら、結構凄いのかもな。高一になったばっかなのに」

「どうだろうな」

 ぼかさないと、きっと太陽のようなこの男から、答えを貰ってしまう。従っても良いと思える導の言葉を言われてしまう。

 だから曖昧に答えて、車が進むのを待つフリをした。

 店主は待ち時間になにやら調べものをしている。カーナビに目的地は点いていて、そこ繋がりではないのだろうが。

「ふーむ……」

「どうかしました?」

 立てた携帯を見て不審がる店主に、房嶋が尋ねる。

 言葉にするか迷ったのか、ややあって答えた。

「都内でほぼ同時に起きてるみたいでね。こういう事件が」

「あの……仲間ってことですか」

「だろうね。ただ、稲袋駅(ここ)みたく社会的にみて重要な場所で起きてたりもすれば、あまり被害が大きくならないところでも起きてる。僕らにとってはありがたい話だけど……まぁ、一般人にはあんまり関係がないね」

 椛野達の敵が、何かしら目的の為に行動している。

 店主の言う通りだ。椛野達……身内が報われればいいと思うが、しかし関係はない。どうにも、することはない。

 そう掛からず車は滞りない走行を見せる。

 心地いい車の揺れが、薄暗さも相まって眠気を誘う。どうせすぐ起きる事になるのだから、と寝付かないようにだけ気を付けて瞼を閉じた。

 深呼吸して誤魔化す。

「……」

 夜の街。火の海。

 あの怪物のように、オレもいつかは?

 今朝の夢が、オレの肩に手を置いて嗤う。伝承された孤独の種は決して他人事ではないのだと。

 いつか災厄そのものとなってしまうかもしれない。あの悪夢のように、破壊衝動に身を任せて、皆が必死に守った人間の街を。

 ……人間の、街を。

「着いたよ」

「辻、起きてるか?」

 穏やかな店主に続いて、爽やかな疑問符が静かに鼓膜へ届く。

 瞼を閉じた分眠気は払拭された気もするが、代わりに嫌なものを思い出した。

 所詮、夢は夢だろう。

「あぁ。……ありがとうございました」

「今どき竜人も珍しいね。気を付けるんだよ」

 肩が跳ねる。夕方まで徹底していたフードを忘れていた。

 車を降りる前に深々と被り、房嶋共々店主に礼をする。

「月桜学園は、自分の答えを見つけられるようにちゃんと導いてくれる。君達の先輩もきっとそう、助けてくれるよ。……皆に頼って、それから皆を助けてあげてね」

 降り際、店主は言い残した。

 まるで誰もが誰もと助け合いたいような、そんな口振りだった。

 帰りの電車は少し混んでいたけど、オレ達の周りだけは静かな膜に覆われているのかと思えた。

 たった二人で重大な秘密を抱えている、そんな疎外感が世界中の音を遠ざけて、白月街への道程を侘しいものにした。

 皮肉な事に今日の楽しさはちゃんと思い出せる。初めてのカラオケも、人と見る映画も、同級生とチェーン店で語らうのも、受け入れ難い程楽しかった。

 今日の丸一日全てが夢でも構わないくらい、オレには持て余す一日。

 また椛野達と一緒に遊びたいのも、もう椛野達と袂を分かちたいのも、どうしようもなく本心なのが救えない。

「……辻。グループ」

 一瞬なんの事か分からなかった。思わず顔を上げる。

 乗った時よりも大分人が減った電車内、席に座る房嶋は携帯を見ていた。顔は……真剣そうなのは分かるが、普段見ない表情に感情を推測するのは難しい。

 グループ。それから携帯を持ってる事で、それが分かれた皆からの連絡なのだろうかと思い付く。

 ゆっくり息を吸うのを、気付かれないよう慎重に。

「……!」

『心配させてごめん! 無事皆と合流出来たよ』

 それは椛野からのメッセージ。続いて、無言で写真を投稿する真代。写真の中にはオレと房嶋以外の四人が写っている、真代以外はボロボロだ。

 ボロボロなまま、なにかやり遂げたように微笑んでいる椛野。

「良かったな。辻の言った通り、先輩に任せてよかった」

「いや、オレは別に。ただ見捨てただけだ」

「……大事だと思うぜ。嫌々助けに来られるのも、無茶されるのも、気にさせそうだしさ」

 アナウンスが白月街を告げる。間のいい事だ。

 山の麓まで歩き、バスを使って寮まで。オレ達は何も喋らず、平穏無事に帰宅を果たした。

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