椛野 穂咲(かばの・ほざき)
……赤毛の少女
辻 誠也(つじ・せいや)
……青鱗の少年
房嶋 豊鷹(ふさじま・ゆたか)
……深緑目の少年
真代坂 仁子(ましろざか・にこ)
……階調髪の少女
金時 射弦(きんとき・いづる)
……白髪の少年
紫谷 凍真(しだに・とうま)
……老年の教師
教室に入った私を迎えたのは常識、心構えを凌駕する異種族の数だった。
人間の多い地区で生きてきたこの人生、異種族がクラスに居ることすら珍しい経験である。だか今は、既に片手で数えられない異種族がホームルーム前の時間を過ごしている。私が進んだ学校が如何に特殊なのかを実感するのに、充分すぎる光景だ。
挨拶をしながら席を探すが、視線を動かすのも慎重になる空気が漂っている。
獣の体毛を持つ者、眼球が黒い者、緑で半透明な者。これは邪推と言われて然るべきだが、人間に避けられたり訝しい目を向けられた過去を持つ者にとって、物珍し気な視線は苦痛なのではないだろうか。そう思ってまっすぐ視線を定めても、今度は目線を合わせない拒絶の意図と捉えられてしまいそうだ。
思考の袋小路に活路はなく、結局椅子を引く音を抑える程度の気遣いしか出来ない。
混むのを避け早々に来た甲斐があって、周囲はまだ誰も座っていない。
今日は入学式当日。あれから大変なことはなく、無事にこの日を迎える事が出来た。
「おはようっ!」
快活な少年の声が教室に響く。
出方を伺うように張り詰めていた生徒らが一斉に扉の方面へ向いた、私も例に漏れず、反射で声の主を見やった。
その快活な笑みは崩れることなく皆を照らす。ベージュの髪をポニーテールにした少年は、道すがらの生徒に挨拶を交し、首を忙しなく動かす。かと思えば自分の席を見つけたようだ、廊下沿いの席に焦点を当て──私の隣にある机へ手を付く。
彼は歯を見せて笑った。
「隣だな、しばらくよろしく! 俺、
「……
「うおー、良かった。やっぱ皆緊張してるからかな。ちょっと重たい感じしてたけど、明るそうな奴が隣でちょっと安心したわ」
「ん、私も思ってたな、それ。他の人もこんな調子だといいけど」
彼の声量はクラス中に届くもので、きっと各々が漠然と、クラスの中心人物になるのだと眺めているだろう。見たところ異種族めいた特徴はなく、深い緑色のつり目にガタイも上々、頼れる雰囲気を醸し出している。
はねっ毛も明るい人格と上手く噛み合っており、早くもムードメーカーとしての素質を辺りにアピールしていた。それは取り繕って纏える雰囲気ではない、天性の気質にしか思えない。
天性の愛嬌と言えばもう一人、その方向性で連想する人物がいる。
「おはよぉー」
ゆるっとした締まりが高い声に乗って鼓膜を揺らす。扉から入ってきたのは階調髪の少女、
次第に彼女は私の背後に腰を下ろす。偶然形成された周囲の雰囲気の良さに、怖い程の幸運を感じるのだった。
それからしばらく、席が全部埋まったところで初老の男性が前の扉から入ってくる。白髪のオールバックは気品のある艶を宿しており、物腰の柔らかそうな表情筋が生徒に優しげな顔を見せる。
足音一つ立てずに初老の男性は教壇まで進み、慣れた様子で生徒を見回した。
「皆さんおはようございます。そして、ご入学おめでとうございます」
ハキハキとして聞き取りやすく、耳馴染みの良い年相応の安らいだ声だった。チョークの音を響かせ、黒板に名前を綴る。
「私は
人間という音に力を込めて放つ紫谷先生。国語分野の教師なことに納得のいく振る舞いだった。
「さて、ここ
先生は教室にいる全員に目を合わせるよう、改めてゆっくりと顔を見ていく。図星を突かれた顔、真面目に傾聴している顔、興味なさげな顔、どれにも理解を示し、肯定するように微笑んだ。
「この学園の意図は異種族や能力者が安心して学べる場所を用意することですが、そこに人間と異種族を区別し、隔離したコミュニティを作るという手段はありません。隣人が誰であっても気に留めなくなる、そんな普通をこの学び舎で育んでほしいのです。皆さんはまだ青い、そのうちから周りを拒絶してしまう生き方に進ませる事など私には出来ません。尤も、自らが選んだ道であれば後押しはしますが」
一通り言い終わった教師は息を吐き、締めの言葉を放つ。
「私は貴方達を否定しません。どうか貴方達も隣人を受け入れられるよう育っていただければ、教師冥利に尽きる話です」
私の目にはそれが酷く真摯な想いに映った。共感も理解も出来る、けれど同調を示すには、余りにもその瞳が語る希望と覚悟が眩しすぎた。
教室に漂う疑惑や不安が中和されていく。何十人ものが抱えていたそれを、たった一人の人生で導かれていく。
大袈裟だと言われてしまうだろうけど、私は教育者に恵まれる事の幸福を知っていて、だからこそ感動すらした。学業は程々に、と思っていた自分が恥ずかしくなる。
それから私達は入学式へ出て、再び教室へ戻ってきた。正直なところ放課後が楽しみで、あまり集中していなかった節がある。
ぼんやりと年度始めの作業を受け流し、今日最後の授業がやってきた。
「それではコーヒーブレイクといきましょうか」
付近の四人で班を作り、改めて交流を促す時間が始まった。普通の学校通り、授業や行事では都度、班行動を求められるらしい。
房嶋君、真代坂さんに加えて右斜め後ろ、真代坂さんの隣に座っている少年で計四人。周りがざわつき始めるのに従って話し始めた。
「じゃあ、私から。椛野
「私は
「おっけ、真代さんに椛野さんな。俺は房嶋
学食で……? 反応すべきか迷っている内に彼女が再び口を開いた。
「あ、私はさん付けとか要らないよ」「あぁ、私も。気軽に接してほしいな」
早くも弾み始めている私達を、糸目の少年が微動だにしない微笑みで見つめていた。自ずと視線を向ければ、平坦で無感動、申し訳程度の感情が乗ったくらいのなだらかな声で少年は喋り始める。
「
彼は、糸かと思える純白な長髪を携えて話す。作り物のように丁寧な口振りと歪曲一つ見せない髪が一線を画す存在感を作り上げていた。房嶋君も私もポニーテールに出来る程度の長さはあるが、彼の髪はそれを悠々と越す長さだ。立てば腰まで届くだろう。うなじ辺りで纏めて一本垂らしているが、彼の身長がもう少し低ければ、椅子に座るだけで地面に着いてしまいかねない。
「え、全然そんなことなさそうだけどな」
房嶋君の言葉に真代共々頷く。礼儀正しい人が嫌われる道理もなかろう。まぁ世辞と捉えたのか否か、金時君は変わらぬ微笑みで返すのみだったけれど。
「あれ? もしかしてこの班で異種族って私だけだったりするのかな」
「そういや言い忘れてたけど、俺も人間だしそうなるんかな」
「ふふん。なんと私、猫又なのです」
「獣人種とは違うの?」
「らしいよぉ、よくわかんないけど」
困惑の言葉が房嶋君と重なる。適当な彼女を見て全くの無反応を示す金時君が気になりつつも、異種族に対する慣れの度合いは人それぞれだろう。
自己紹介も終えて自由な会話に差し掛かる。話題に困った時用の話題を先生が黒板に書いてくれてるが、私達には必要なさそうだ。
「もしかして真代と椛野って元から知り合い? もう仲良い感じだけど」
「元からって程長くはないよ、入寮のタイミングが同じだったからその時に」
「あっそうそう! 大変だったんだよ」
少し食い気味に話す真代へ、金時君が初めて興味を口に出した。
「おや、それは
「もしかしてバス停前のやつ?」
「あぁ、そうだね。大変だった」
「あの時の穂咲ちゃんかっこよかったんだぁ。会って間もない私を守ってくれたの、キリって」
「へー! すげぇじゃん」
二人の純粋な眼差しが若干後ろめたい。視線を逸らすと、私達と真反対にある窓際の席に、
結局のところ、私は助けて貰えなかったら死んでいた。生徒が死ねば学園の問題にもなりかねないし、友達が死ねばトラウマにもなる。力が伴わない限り、過度に祝福を受けるべき結果ではないのだ。……後悔はないけれど、反省の余地くらいは、自覚している。
視線を移したのが照れ隠しのように見えたのか、事件の話へ舵を取られていく。
「俺もあそこにいてさ、バス停の方。暫くしたらアイツらどっか行ったけど。もしかして怪我で運ばれてたのって椛野だったりする?」
「え? あー……恥ずかしいね、多分そう」
「度胸に満ちた人なんですね。素晴らしい事です」
とうとう金時君まで褒め始めて、耐えきれずに弁明する。
「いや、そんな大した事じゃないよ。私だって助けて貰えなかったら今頃は」
「あぁ、銀狼隊のこと?」
「ねぇ、前から気になってたんだけど、ギンロウタイってなぁに?」
「珍しい。あまり流行りを知らない私ですが、それでもよく知っています。知り合いがいるからですが」
ジョークめいた言い回しをする金時君。若干的外れた空気に構わず説明をし始めた、この場で一番銀狼隊に詳しいのは恐らく私だ。
「流行りは関係あるかな……ほら、敷地に校舎とか部活棟とは別の高い建物あるよね。あそこが本部になってる警備組織だよ、学園と協力関係なの」
「あー、言われてみれば学校決める時にママから聞いた。なんか戦うんだよね」
ふんわりした捉え方だが、直すべき誤解はない為に頷く。
この世界は異種族と能力者、二つの明確な要因が複雑に、念入りに絡まっている。銀狼隊はそうして起こる事件、事故の収束に向かい、時には原因をその身で鎮圧する事が使命の組織だ。
「丁度いいや、私は銀狼隊に入りたくてここに来たの。この後行くつもりだから一緒に来る?」
「私戦えないよー」
「戦うだけが銀狼隊の仕事じゃないし。二人はどう?」
微笑みながら、二人の括り髪にもパスをする。既に知っている口振りだ、深い説明はこれ以上必要ないだろう。
「あー、俺はいいかな。興味出たらその時案内してな」
「私は行きますが、野暮用があるのでその後に向かう予定です」
「ん、戦わないなら気になるし、一緒にいこ」
各々の返答に相槌を返し、話題は移りゆく。
全員が長い髪の事、房嶋君だけ一人称が違く疎外感を覚える事、真代だけ背が低く首が疲れる事、今度やりたい事。きっと事細かに注視するのがキリのないそれを噛み締めていった。
あっという間に時間は終わり、私と真代は荷物を持って発つ。
「二人とも、また明日ね」
「じゃあねー」
「おう、また明日」
「えぇ。さようなら」
房嶋君は周りのグループへ突っ込む。金時君はどうやら窓際の方へ用があるらしい。
視線で追うのも程々に、私達は昇降口を出て寮とは反対、教育機関としては少々歪なビルじみた建物へ歩き始める。
高く
春の日差しが容赦なくぶつかる窓際席で、幸福感のある陽気を言い訳にしながら会話を流し聞く。オレの班は全員異種族で、なんなら曰くのありそうな奴が二人いた。
人間と近い容姿のオレに一切目を合わせようとしない黒眼球の翼人と、浅黒い肌の蛇人が妙な意気投合を見せ付け、あぶれた桃色毛皮の獣人が気まずそうに目配せをしてくる。ここで獣人の少女に反応しても溝を深掘るだけだろうし、青天に見惚れた事にして欠伸でも見せておこう。
彼女が威勢よく
言い訳ついでに邪推を始める。誰と共有するでもないが、きっと少しでも正しいと思いたかったのだろう。
学園側もこの縮図は予測しているように見える。でなければ様々な要素が露骨過ぎだ。長年続いている所以は、決して敷地の絶対的な頑強性だけではないと信じたい。
先ず、このクラスの席順は名前順じゃない。一見して男女分け以外の規則がないと思う不揃い具合だが、俯瞰してみると教室にはとあるグラデーションがある。それは人と異形の階調だ。
廊下側には人間に近い姿、及び人間が集められる傾向が見える。逆に窓際は悪魔やら獣人やらが集まっている、それこそオレを始めに、偶然を装える程度の人間味はあるが。
小森には適当に相槌でも返しておこう。今この空間で仲良くする気がないだけで、
……人間と異種族を分けたかったというのはしっくりこない。担任や入学式の学長の話を聞く限り、安易なカテゴライズをするような理由がなかった。なら結果的にそうなっただけで、別の目的があるのだろう。
それこそ、オレの目の前にある光景こそが予想通りなのではないか。
つまり、異種族を固めて仲間を作らせる意識があるんじゃなかろうか。
人間にトラウマのある奴が人間に囲まれた空間でのびのび生きろなんて無茶な押し付けに過ぎないが、仲の良いグループという拠り所を作らせて選択させるのは、恐らくその限りでもない。
担任も問題の扱いに慣れた風の老年だ、多少の諍いはどうにでも出来るのだろう。感情は理論に出来ないが、理論で感情を促す事は出来る。最終的なクラスの団結を見越して精神の土壌を作ってもらうのが、この一年一組に向けられた期待ではなかろうか。
廊下方面から聞こえる明るい声。クラスの中心人物になりうる奴が浮かないよう健全な区画へ保護されてる、というのは、流石に悪趣味な考えな気もする。クラスに数人、牽引性を持つ人がいると楽なのは事実だろうが。
一切に割り込む終わりの鐘が鳴る。したがって担任が進行をしていった。
ネガティブキャンペーンにしか思えない思考の着地点だが、オレは感心に近い感情を抱いている。
問題の抱えた青少年をやり過ごさず、将来を見据えた教育を提供するのは紛れもなく善性の行ないだ。その点人間の容姿というだけで遠ざける異種族の方がよほど悪趣味だ。きっと椛野辺りは思いもしないだろうが、
紛れもなく八つ当たりだ。半端に人へ傾倒し、半端に異種族然としたオレの在り方はオレ自身度し難い。被害者面して翼人と蛇人につるんだ方が楽だろうに、友好的な獣人の手を取って常人とつるんだ方が楽しいだろうに、学園の持つ生命賛歌を肯定しながらも消極的に過ごすなんて。
窓の外から視線を戻して、知り合いの姿を見る。
椛野や真代坂の未来にオレがいる日は遠そうだ。優等生やムードメーカーに手を伸ばしてもらうには、この席は遠すぎる。
別れの号令を皮切りに、やがて教室内の導線がごちゃ混ぜになっていく。軽く見渡した限り、やはり似た種族同士がつるみ合っていた。このまま寮に帰るのは味気ない、図書室にでも寄っていこうかと思いながら荷物を纏める。
誰かが近寄ってくる気配に顔を上げる。まさか、と思いながらその姿を見れば。
「失礼、よろしいですか?」
一切知らない白髪の男子が薄気味悪い笑みで立っていた。
あぁいや、やたらと長い髪で思い出した。椛野を助けた後、妙に視線を寄越してた気がするが──やはり面識は思い当たらない。記憶力にはかなりの自信がある上でこれだ、思い当たる要件を探しながら口を開く。
「あぁ、まぁ」
「そうですか。私は金時射弦、貴方とお話願いたく、差し当たっては名前を伺いましょう」
「辻
随分と丁寧な人間だと思った。取り繕い方が、あまりにも丁寧で綿密だ。
警鐘に似た心音を自覚する。上っ面で繋がりを求める異種族らとは違うし、椛野や、今しがたグループへ単身突っ込んでった人間の少年とも違う、この男からは孤島のような精神性が感じ取れてしまった。
接する事自体に正解か不正解がある、そんな気がする。
「気に食わない? いえ、お互いに無難な立ち位置だと思いますが」
「そうだな。だからまぁ、なんの要件か聞いてるんだが」
「そういう文脈でしたか。では単刀直入に言いましょう、私とお手合わせ願いたい」
正解とか不正解以前の問題だこれ。
「手合わせって、いや、もうちょっと段取りとかあるだろ」
「その点はご心配なく、銀狼隊に入隊すれば面倒事もなく戦えるようですよ」
「そうじゃない。なんの手合わせ……いや銀狼隊ってことはそういうことだよな。じゃあ、えー、なんでそうなった」
初対面の同級生に開口一番喧嘩しろと言ってきやがる。途端に
表情は凍り付いたように微笑みから動かない。眉変えず、当然のように金時とやらは言い放った。
「あの場では、貴方が最も強く見えましたので」
「どういう基準してるんだ。後からやって来た奴の方が絶対強いだろ」
「そうでしょうか。──私の目利きの是非はこの際二の次です、改めて伝えましょう。私は貴方と戦ってみたい。颯爽と現れていましたから、嫌ではないと思いましたが」
一呼吸置いて本心を口に出す。思慮なんて大それた間じゃない、呆れの表れと言葉の誇張だ。
「断る。オレは戦いたくなんてない。この後は読書と予習の予定が詰まっている」
金時の表情が初めて変わる。目付きは相変わらず山なりの糸目で、変化というのも口元がほんの少し開いただけだ。それが落胆や驚きか、或いは別の感情なのかも読み取れない。
読み取らせないまま、再びデフォルトの微笑を浮かべた。
「そうですか。それは失礼しました。ではまた」
「また来るのか」
「また来るでしょう」
やたらと長い足を動かして、直線的に扉へ歩いていった。ひと昔前のゲームが見せる挙動みたいにすんなりと。
大半が消えた教室、その静けさが居心地悪くオレも動き出す。
まったくもって不遜な奴だった。オレは戦いたいから戦う訳でもないし、誰かを助けたくて戦う気もない。アレは言うなれば、転がって来たボールを蹴り返してやるくらいの、気まぐれに近い行ないだった。だからオレが助けた椛野が将来英雄になったとしても、さして胸を張る気もない。
「早く時間経たねえかな」
いろんなものが定まった流れの中で、出来れば安寧を貪っていたい。これは、平和主義な少年のささやかな戯言だ。