白夜と藍嵐   作:凍星 奏雨

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【登場人物】
ーー銀狼隊戦闘部・一年
椛野(かばの)穂咲(ほざき)・赤毛の少女。〈種子〉
小森(こもり)蜜歌(みつか)・桃毛の人狼。〈桜援〉
土内(どない)游游(ゆうゆう)・黄緑髪の両性。《植人》

ーー銀狼隊戦闘部・二年
夜桜(よざくら)(ゆき)・銀髪の少女。〈獣人化:狼〉

ーー銀狼隊幹部
彼岸崎(ひがんざき)(にしき)・空色目の少年。戦闘部管轄。
朽羽(くちば)那由多(なゆた)・三つ編みの少年。支援部管轄。
不知火(しらぬい)朱輝(あき)・深青目の少女。支援部管轄。
依折(いおり)(けい)・瑠璃髪の少女。医療部管轄。


第十五話 白羽の矢も三本あれば

 土内さんに案内された先も、符号一つない森の只中だった。

 強いて言えば、花の甘い香りがする。これが土内さんの言う『香り高いダミー』とやらか。

 彼は草むらに声を掛ける。

「お待たせいたしました。ご加減は?」

「うぅん……少しの間は鼻が利かないかも……」

 草むらの中央は白々しくスペースが開いていて、そこで身を伏せていたのだろう小森さんが、衣服に葉っぱを付けながら顔を覗かせる。

 私にとっては少し良い匂いがするだけでも、獣人である小森さんにとっては強い匂いなのだろう。そしてそれは夜桜先輩にとっても。だからこそダミーを用意していたのだろうけれど、しかし。

「やっぱり危なかったんじゃない……? 小森さんと防衛対象をこんなところに」

 見る限り、特別何かに守られているわけでもない。こんなところに放置してまで助けに来るほど、私は頼りなかったのか。

 八つ当たりと知ってか知らずか、土内さんは肩をすくめるだけで私の言葉を躱す。

「あの、ほんとにごめんなさい……私、何も出来なかった」

 ……小森さんが、酷く調子を落として言う。

 三人チームだ。非が一人に集まることなんてあるもんか。私は首を横に振る。

「いや。私も迂闊だった」

 狙撃の腕を知っていたら、あんな開けた場所に陣取ることはしなかった。

 言い訳だ。実践で相手にする時、手の内を知っているケースはいったいどれ程あるだろうか。それを踏まえたら、あの私の行動は軽率すぎる。

「本当に、迂闊だったなぁ……」

 こうして先輩に見逃されると、自分の安易さが浮き彫りになっていくようで、思わず呟いた。慰めでもない、本心の呟きが。

 いけない。

 空気が重くなっていく。

「あー、とにかく。対策を立てよう」

「このまま守り切るじゃ、だめ?」

 小森さんの見上げる視線に、土内さんも乗じる。

「私も。各個撃破を狙ってくると思しき相手には防衛でよろしいものかと」

「よろしきじゃないんだ。……ああいや、うん。私もそう思ったけど」

 言葉が詰まる。

 私はどうして今、防衛では駄目だと思ったんだ。

 口を押さえる。心臓の激しさに気付かないよう、思考に耽る。

 防衛が駄目な理由……なんだ? 思い付かない。それならこの抵抗感はなんだ。合っていないと分かっているテスト用紙を提出するような、及第点と言い訳して課題を適当に済ますような、どことなく不快な抵抗感が、防衛という響きに内包されている。

 悪い予感があるのか? 無意識に受信した何かが妨げているのか。

 それとも、ただ私が――嫌なだけか。

「…………いやそんな、ことは」

「カバノさん?」

 仮に嫌だとして、何が嫌なのか。これが思い当たらないなら、ただの杞憂だ。答えが出ない事に焦って私が取り付けた、根も葉もない杞憂だ。

『防衛戦で、どれほど私に役割があるだろう』

 過去の思考が睨み付ける。

 瞬発力で負けていて、立ち回りの柔軟性でも負けている相手に、私はどれほど貢献出来る。

「あ、そっか……」

 小森さんが呟く。

「時間制限、分からないんだもんね」

「ふむ。危険と思いますか? コモリさん」

「うぅん……」

 鉢を回されると途端に目を瞑る人狼の少女。

「ならやっぱり、先輩と戦った方が――」

「カバノさん」

 細まった目で微笑を携えると、黄緑色の長髪を指で解きながら、土内さんは言う。

「何をそこまで焦っているんです」

「え……」

「私はコモリさんへ質問をしています。貴方へ、結論を促したわけではない」

 何も言えなかった。

 焦っている――私が、焦っている。

 馬鹿なそんなと否定したい気持ちを、理性が引っ掴んで離さない。なにせ照合して見れば、今までの私の行動はあまりに逸りすぎているのだから。

 認めたくない。でも、彼は正しい。

「……ごめん」

 整理は別途で必要だけれど。でも、この場において私は正しくない。

「そんな顔をして謝られても」

「あのえっと……! そのね。ごめんなさい、私がすぐに答えられなくて」

 小森さんが重ねて謝ると、流石にいたたまれなくって、それは違うと声をあげたくなる。

 でも、柔らかな桃毛に潜む薄紫色の瞳が、今ははっきりと主張する。握った拳を腰に付け、まっすぐに彼女は見つめてくる。

「私椛野さんの、決断が早いところ、すごいと思うから……それに、土内さんの、余裕のあるところもっ。だから、ね。――みんなで、勝ちたいの」

 何かが胸を貫いた。モヤついた心中が彼女の一声で晴れるような気がして、思わず何かが通りすがった錯覚を覚える。

「皆で……」

「うん、あのっ、まだ何も出来てない私が言うのは、おかしいんだけどね……」

「そんな事ないよ」

 彼女の意志が伝播したのか、拳に力が入る。

 土内さんに叱責されて、小森さんに励まされて、何が私の役割だ。

「――そんな事、ない。ありがとう小森さん。それと、土内さんもごめん。……皆で勝とう、だから力を貸して」

 いつの間に私は思い上がっていた。

 ついこの前まで、ようやく実戦だと意気込んでいたくらいだぞ。それを、何様のつもりで、皆を置き去りに。

「えぇ、現状お二方は口だけですので、挽回しましょう」

「今そういうのじゃないでしょう!?」

「うぅ……」

「冗談です。申し訳なき」

「もう……」

 空気が読めないのは、なんか標準装備らしい。

「それで、時間制限の話だけど」

 私が切り出す。でも、細心の注意を払おう。

 意見を突き通す為の話し合いではなく、これは真っ当に相談だ。

「……小森さんって、どれくらい持久力ある? 能力無しで」

「持久力? どうして?」

 首を傾げると、ふさふさの桃毛も応じて傾く。

 時折土内さんにも視線を合わせながら、私は応じた。

「……改めて、私はやっぱり迎撃に行くべくだと思う。これは、私の考えがもし合ってたらの話。夜桜先輩の能力は狼化でしょう? 狼の持久性に合わせて防衛時間が設定されていたら、人狼の小森さんの持久力を、考える頼りにしても良いと思うの」

 土内さんは合点がいったように頷く。小森さんも、頬に右手を添えて黙りこくった。考えている間、彼女を妨げないよう小声で土内さんに話し掛ける。

「夜桜先輩って、土内さんからみたらどれくらい勝算ある?」

「勝算ですか。本気となれば我々が束になっても瞬殺だとは思いますが、実弾でもないですし、なにより加減を感じます」

「加減?」

 彼は瞼を閉開して首肯を示す。

「ヨザクラさんのスタイルは基本銃撃ですから、貴方の土俵に合わせてくれているのでしょう。試験官に相応しき配慮」

「そう……」

「んっ。いいかな」

 土内さんの言葉を噛み砕いていると、小森さんが間を見て口を挟む。

 罪悪感は多少晴れたようで、言葉は先程よりも滞りがない。

「私、持久力なら自信あるよ。お父さんから、かなり持久力に長けた種族って聞いたし。だから、夜桜先輩もきっとそうだと思う」

「まぁ、能力でどれだけ再現されてるかって話ではあるけど……」

 ――第五段階。先輩が言う段階には狼そのものになるような形態があった。狼そのものや、獣人程ではないとしても、持久性に富んだ彼女を汲んだ試験内容になっていたって、おかしくはない。

 でも、おかしくないだけだ。もしかしたらこのまま待っていたらクリアなんてことも……いや。

「それなら、なんで先輩は襲ってこないかって話だし……うん。やっぱり私は、夜桜先輩が持久戦前提で動いてるように思う。私はあんまり、慣れてる相手に持久戦はしたくない」

「悩ましき判断ですが、頷ける」

「うん……」

「じゃあ、迎撃に動く作戦で、大丈夫?」

 ……恥ずかしい話だけれど、どうにも緊張した。自分から誰かを頼るのはいけない事だと思っていたから。

 今までの活動にしたって、木塚街(こづかがい)では勝機にしがみつくので精一杯だった。稲袋(いなぶくろ)では、思いつきもしなかった。家では汚点だったし、師匠にだって、本当ならあれ程世話を焼いてもらうつもりはなかった。

 一人でどうにも出来ないままじゃ、あの日仙慈君と《月面の麗人》を打倒した時と変わらない。私だけがそこと変わらないのなら、きっと仙慈君に追い抜かされ、背中を見せつけられ、視界の端程度に収められて終わるだけだ。

 それだけは絶対に嫌だ。

 

 

 退屈を改めて、彼岸崎は背もたれに預けた身体を起こす。

「やっと纏まったかー……踏ん張ったなぁ小森」

 一室に会した他の幹部も表情が引き締まる。一代しか変わらぬ最年長であれど、空気を変えるだけの一声を持ち合わせているようで、場面が佳境にあるというのも皆々に伝わった。

 人差し指で二度ソファを突くと、依折が話し始める。これまでの毒々しい口振りからは脱し、据わりのいい落ち着いた声だった。

「纏まっただけで、結局正面衝突には変わらない。今までの作戦立案じゃどうにもならないぞ」

「それは、問題なさそうだよ」

 別チームの試験に思考を巡らせていた朽羽も、顔を上げて椛野達を注視し始める。彼の視線の先には、椛野が作り出した枝木で、抱っこ紐よろしく背中に防衛対象を巻き付ける小森の姿があった。

 種族単位で瞬発力に長けた小森ならば、夜桜の強襲にも対応出来るという判断だろう。思考の及ぶところを見て、依折は鼻を鳴らす。

 挽回のチャンスをものに出来るか、桃毛の人狼へ注目が集まる。

 既に熟達した格闘技術を持ち、危険人物と数度の邂逅を果たして尚気丈に燃ゆる気鋭の新人。

 少ない経験の場で試験に選ばれる程の、達観した自己理解。緑茂る神秘に生まれ落ちた神童。

 いずれも実力だけで言えば本隊員級の働きを期待された二人。ならば下駄を履かされて試験された少女が、小森蜜歌と言えた。

 実力の平均化されたチーム分けで、噛み合いの悪い椛野と土内をどう抑えるかが、今小森に望まれた立場――転じて、彼女が二人との実力を埋める工夫である。しかし、依折はそのような人に甘える受講態度を見過ごさない。彼女の厳しさは皆も知るところで、試験が始まって以降の毒舌はその表れだ。

 その彼女が、小森蜜歌を整然と見守る。

「あとどれくらいで終了?」

 不知火が彼岸崎へ問う。藪から棒な質問にはたと考え、Bチームの防衛戦の事だと思い当たる。

 彼は腕時計を見て答えた。

「一時間ちょいだな。昼休憩は取りてえから」

「なら、そろそろ準備しておかないとね」

「おう。頼んだぜ」

 溜め息を零すと、不知火は携帯端末で連絡を飛ばす。

 連絡相手と淡泊に交わし終えたところで、朽羽が声を漏らす。

「ん……夜桜さん、迎え撃つね」

 愉しげな様子を隠さないのに眉を落としつつも、依折と彼岸崎は押し黙る。

 夜桜を追うモニターと椛野達を補足するモニターが、段々と景色を共通させていく。

 傾斜がある木々育んだ土壌を、先陣切って駆け上がる椛野。対するは高所をいち早く抑える為に動き始めた夜桜。

「見えてるみたいに動くな……」

「制限時間が長い分、手詰まりにならないよう意識はしたからね」

 彼岸崎の呟きに涼しい顔で朽羽は答える。いつの間にか背筋をしゃんと伸ばした彼岸崎と、足を組みかえ、膝に肘を置いて頬杖を作る朽羽。互いが放つ集中は空気を掻き混ぜ、部屋中にプレッシャーを立ち込ませた。

 静寂の修羅場。ひと時も目を離せない最終戦闘が巻き起こる。

 

 

 攻める上で何より欠かせないのは夜桜先輩の居場所だった。アテもなく彷徨っているところを狙撃なり迂回なりされれば目も当てられない。

 その点、小森さんの嗅覚、そして土内さんの植物を通じた視野は大きなアドバンテージだった。

 大まかな居所を突き止めた私達は迷うことなく距離を詰める。

「……近付けてるっ」

 私の後ろを付かず離れず追随する小森さん。彼女の背にはぴったりと、防衛対象が文字通りに貼り付いている。抱っこ紐というにはあんまりに粗悪だが、強めに巻いただけあって人狼の疾走に引き剥がされることはなさそうだ。種子のひと枠を使い続けるくらい、今の私にとって痛手ではない。

 先輩との格闘戦に追いつく能力行使は、せいぜい種子一つが限度。展開は最大二つまで。なら惜しまずに有効活用していこう。

 鳴島先輩達に見てもらった能力の特訓は、そうすぐに芽を出すものじゃないけれど、十数分出しっぱにするくらいなら脳の容量も軽微で済むようになった。これは紛れもなく特訓の成果と言える。

 まっすぐ夜桜先輩へ近付くと、目の前はやや傾斜となっていた。私の目の前は、こぶし大の石が何個も顔を覗かせている上り坂、整備された道を挟み、再び坂が続いている様子だ。

 このままでは夜桜先輩と戦うにも不利になる――後ろ二人に伝えようと口を開いて、それは無駄だと気付いた。

「今度は三人全員で、ですか」

 白銀の毛並みをなびかせた、狼耳の先輩。坂の頂上から見下ろすようにして、彼女は冷たく言い放った。

 息が詰まる。

 一足遅かったのではない、先輩が先回りしていたのだ。

 そうして立ちはだかる、狩人としての夜桜雪。その冷たき敵意に当てられ、心が逸りそうになる。

「カバノさん。作戦は分かっていますね?」

「作戦と言えるほどのものじゃないけど……うん、分かってる。それと、あそこ(・・・)は私がどうにかするから」

 耳の働く夜桜先輩が目の前にいたところで、つまびらかにしてもまるで困らない程度の作戦だ。

 でもそれくらいがちょうどいい。型を作ったところで、今の私達に徹底的に実現する練度はないのだから。

 全力を尽くす為の準備はした。

 残るは、私個人の弱気を潰すだけ。

 退路を無くす――自分を、追い込む。

「……今度は逃げないですよね? 先輩」

「今度は見逃しません。さぁ、いきますよ」

 先輩の瞳と火花を散らす。狩猟者の眼は気高く輝いて、群れの動きを逃すまいと睨み付ける。

 彼女の右手がホルスターに伸びた時、背後の小森さんが駆け出した。彼女が突き進むのは、退路ではなく活路。

 続けて土内さんが宙を泳ぐ。右手は植物らしく形を崩し、伸びた腕が目先にある木々の群れを掴んでは、遊具のラダーを進むようにのびのびと夜桜先輩へ接近していく。

 あっという間に私を置いていく二人。無論、私も先輩へ距離を詰め始める。

 作戦なんて感じさせない、全軍特攻の陣。躊躇いない接近に彼女の銃口は何を見るのか。

 引き抜かれた拳銃は狙いを定める隙を見せず、流れるように土内さんへ放たれる。

 私達と違って空中機動を働く土内さんは、上り坂の影響を受けない上に私達三人を視界に収める難易度を厳しくさせる要因だ。よって想定内。

 想定内だが、私も小森さんもなすすべはない――!

「よって私、弾避けです」

 硬い繊維が折れる音が、発砲に追って小さく鳴る。

「だ、大丈夫!?」

「言ったでしょう。端末さえ無事なら」

 反射で言ったものだけど、悠々と返されたらそれはそれで調子が狂う。

 視界の上では、端材のような木片を落とす土内さんの姿がある。高度は下がったものの、腕を破損した代わりに足を使って、尚も進んでいた。

 脳部分さえ無事ならどうとでもなるなら、端からそこだけを守れば大きな支障はない。話に聞いていたものの、少しデタラメに思う。

 夜桜先輩はその場から動かず、数発の弾丸で土内さんの勢いを殺す。かと思えば、瞬時に銃口が向いた。

「っ!」

 身体を横にして弾丸を躱す。殺傷力のない速度だからどうにかなるが、これ以上近付いたら反応出来るかどうか。

 同じように小森さんにも牽制する様子だが、彼女は私以上に余裕をもって躱している。弾丸は彼女の影ばかりを撃ち抜いて、桃色の疾駆を止められそうもない。

 ただ少し、離れてしまった。前進しながらも弾を避ける為に、小森さんは私から離れるようにして移動した。巻き込むのを恐れたのだろう。

 連携が出来る距離ではない。

 前方の土内さんはじきに舗装された道へ辿り着く。

 それは彼にとって最も険しい道だ。

 木々を伝って来た彼だが、そこだけは地面を往かねばならない。その隙を彼女が見逃すはずもないのだ。

「正直ですね」

 弧を描いた土内さんの身体は隘路へ降りようとしている。冷たく見下ろす夜桜先輩も、熱が入ったように身体を前へ傾け始めた。

 白銀の狩人が拳銃を収め、落下中の無防備な土内さんに一息で迫った。

 私はまだ追いつかない。小森さんは一歩届かない。

 ――だから私が、どうにかすると言った。

「素晴らしき架け橋」

「……!」

 土内さんは空へ腕を伸ばす。

 そこには根を張らぬ、一本の枝が浮いている。

 ハーケンの如く彼の動きの頼りとなり、道へ着地した夜桜先輩を、悠々通り越すに至った。

 あの道だけは彼の動きでも難所となるだろう。そうと分かってさえいれば――私が道を用意出来る。

 挟撃成立。

 夜桜先輩の正面には私、右手には小森さん、背後には土内さん。

 勝つ為の包囲。一人では出来ない、まさしく狩りの陣。

 透徹な排除意志が私を睨む。そうだ、ここでは私が一番浮いていて、狩りやすいだろう。

 彼女の四肢が毛に覆われていく。『第三段階』だ。

 高い瞬発力を有した身体で、しかし先輩は動かない。あくまで待ち受けるようだ。

 先輩の背後に二本の枝が襲い掛かる。土内さんの両腕が音もなく捉えようと目論む。一瞬でも拘束されれば、そのうちに猛攻をかけられよう。

「分かっていますよ」

 夜桜先輩は枝の片方を傾けて躱し、もう片方の枝を毛深な腕で捕らえる。その間徹底して、私から目を離さない。

 なんて空間認知だ。僅かな音源を聞き逃さないうえに、自分に自信がある者の動き。

 足は止めない。何故なら横合いから小森さんがその爪を振りかぶっているからだ。

「やぁぁぁっ!」

 先輩は土内さんの腕を引き、素直に振り被られた爪撃へ盾にする。

 途端に小森さんの動きは萎み、猛々しく開かれた手が怯えがちに握り込まれた。

 そのやり取りさえあれば、間合に持ち込める。

 獣化している四肢は狙っても効果がいまいち想定出来ない。先ずはその胴に、一発蹴りを打ち込む。

 身を屈めて蹴り上げるように構える。意識するのは槍、小柄な彼女へ情け容赦なく放った。

 枝を掴んだ手を離して、彼女は剥き出しの爪で迎撃する。

「痛ッ……!」

「っ……」

 鮮烈な痛みが右足を駆ける。身体全体までが冷え込む程の派手な傷だが、しかし手応えはあった。

 痛みよりも先に、芯を捉えた感覚を覚えた。

 私は思わず膝を付く。先輩は後ろによろめきながらも、まだ充分に動ける様子だった。

 体勢の崩れた夜桜先輩に二人が襲い掛かる。首元へ巻き付くような枝、そして私を庇うように取っ組みかける小森さんの姿。

 ふくらはぎがやられたけど、筋肉に問題はない。動く。

 確かめてから顔を上げる。

 小柄な夜桜先輩は小森さんに隠されて状況は分からないが、悪くはなさそうだ。

 立ち上がる際に声を漏らしたのを恥じる。が、言ってもいられない。拮抗を崩しに行かねば。

 そんな私を、小森さんが後ろ手で引き留める。

 

『私の能力は〈桜援(おうえん)〉……癒したり強化する花びらを、掌から出せるの。

 触れたら敵でも力になっちゃうから、あんまり使えないんだけど』

 

 手を開くと際立つ、黒い肉球が、淡く光を帯びる。それから薄桃色に煌めく桜の花弁が私へ――私の足へ放射されていく。

「……!」

 身体に触れると花びらは貼り付いて、身体に溶け込むように消えていく。傷口を覆った桜は、抉り取られた肉までもを補完し、湧き上がるような熱を与えた。

「やっ……!」

 小森さんの小さな悲鳴と共に、地面へ赤い血が滴る。

 両腕ならば或いは抑え込めただろうに――それでもと言うのなら。

『身体を失いすぎました。十秒貰いたき』

「……任せて」

 後退る人狼の肩を抱いて、通信越しの土内さんへ言い放つ。

 無常なる夜桜先輩の追撃を先と同じく――威力は数段上がった足刀蹴りで阻止する。

 手ごたえは、さっき肉球を殴った時と同様だ。威力を吸われている。それでも……明らかに顔を曇らせた夜桜先輩の姿を見れば、違いは言うまでもないだろう。

 小森さんの前に立って追撃。

 左足で根を張り、刻むように細やかな蹴りを放っていく。右足が軽く、思い描く以上の軽やかさで動いてくれる。

 数発目にして、足首を掴まれた。

「――想定済みッ!」

 足を引き戻せなくなった瞬間に左足を浮かせる。強く地面を蹴って、身体全体を一撃に込める。

 動きの流れを転用は出来ない。代わりに右足から腹までを巡る筋肉を総動員し――首を刈る!

「くッ……!」

 夜桜先輩に足を引き込まれ互いに身体が倒れていく。

 振り回される視界の正面、黒鉄の銃口が光った。

「――!」

 銃声が耳を劈く。

 身体が大きく揺れた。

 地面に受け身も取れずに地面へ倒れる。体内を衝撃が揺らし、空気が叩き出された。

 耳鳴りのする中、来たるべき痛みへ備えていた瞼を開く。

 見えるのは二つの毛並み。艶やかな白銀色と、柔らかな桃毛。絡み合った二人の両足は、桃毛が上になっている。

 二人の足しか見えない。

 立ち上がろうとして、足が引っ張られる感覚。上半身を起こして両者の状況を確認した。

「……小森さん」

「はぁ……はぁ……うごかしませんよ、夜桜先輩……っ!」

 先輩の両肩を地面へ抑え付ける小森さん。やがて先輩の頭部の方から、土内さんがやってくるのも分かる。

「第五――……いえ」

 せせらぎも葉擦れの音も聞こえない数秒間。

 段々と、先輩の左手が緩んでいく。右腕の拘束を抜けて、改めて臨戦態勢を作る。

 夜桜先輩は黄色い瞳に木漏れ日の光を蓄え、口角を緩めた。

「私の負けですね。試験終了です」

 時が停まった。

 滞留した時間が、すぐさまあふれ出す。

「やっ……」

「やったーっ! やったよ椛野さん! 土内さん!」

 恐るべき人狼の馬力。否、狼力。

 ふかふかな猛追に耐え切れず、私はなすすべなく抱き付かれた。

 勢いのまま地面に倒れ込み、言い掛けた言葉を飲み込む。

「素晴らしき戦果。著しき結果」

 調子が離れた拍手をして、土内さんが近付いて来る。その背後には立ち上がって土を払う先輩が見えた。

 なんだか小恥ずかしく、視線を逸らす。

「あくまでこの試験も判断基準です、合格したわけではないですよ」

「あ……」

 微かに花の匂い香る桃毛が、慌ただしく離れていく。

 私は立ち上がる。数秒ぶり二度目。

 ここは通過点、言うまでもない。それに悔いの残らなかった時間とは……言い切れない。

「ですが」

 顔を上げる。いつの間にか俯いていたのだと、その顔を見て気付く。

 清らかに微笑む夜桜先輩の表情を見て。

「健闘しましたね。皆さん、お疲れ様です」

 

 

 大きな怪我はなく、左肩や右腕は、小森さんの能力に治してもらった。

 夜桜先輩は別にやる事があると別れてしまい、私達は初めに集まった地下一階の休憩スペースへ戻る事となる。

 廊下は静かなもので、私達以外の足音も聞こえない。打ち破るには躊躇いのある緊張感が廊下に漂っていた。

 歩き続けてホワイトボートの佇むスペースへ出るけれど、誰もいなかった。虎郷先輩も。

 指示が書き残されてるわけでもなく、手応えのなさに雑念を覚える。

「他の二チーム、どうなってるかな……」

「どうなんだろう。上手く行ってるといいね。金時さんや、あの目が隠れた人、友達なんでしょ?」

 目が隠れた人ごと認めるのは少し憚られるけど、頷く。

「まぁ心配は要らないと思うけどね……」

「その通り。試験はまだまだ続きます。カバノさん、貴方に確認したいことがあるのですが……」

 言葉が区切られた。何故は言うまい、廊下から一人の少年が走ってきたからだ。

 住河木(すみがき)先輩。支援部の先輩で、朽羽先輩や仙慈君とよくいるのを見る人だ。表情は明るいものではなく、緊急事態なのだとは察するに余りある。

「皆さん……!」

「どうしたんですか、他の先輩は?」

 肩で息をする先輩を宥めながら、その瞳を見る。淡黄色の瞳が弱々しく揺れる。

「――皆さんの力を貸してください!」

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