白夜と藍嵐   作:凍星 奏雨

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【登場人物】
椛野(かばの)穂咲(ほざき)・赤毛の少女。〈種子〉
仙慈(せんじ)寿人(ひさと)・目隠れの少年。〈万華の右眼〉
瑠璃梅(るりうめ)千代(ちよ)・純黒髪の少女。

真代坂(ましろざか)仁子(にこ)・猫又の少女。
小森(こもり)蜜歌(みつか)・桃毛の人狼。〈桜援〉
鴻上(こうがみ)(しの)・白インナーの少年。〈影絵〉
霞ヶ浦(かすみがうら)兎子(ばにい)・兎尾の少女。


第二十話 椛野穂咲、仙慈寿人、十四歳

 中学二年生、春。

 私達は関東のとあるショッピングモールに出かけていた。

 私はそう深刻に捉えてもない受験なのだが、使命を背負った中学生はそうでもないというのを、私は既に心得ている。というのも共に来ている少女から力説されたからであって、今回は本腰を入れる為の大ショッピングなのだと。

 大ショッピングというのも彼女の言ではあるが、聞いたところあまり違いはないように思う。

 自転車を走らせて数十分、駐輪場に運びながら少女は言う。

「ね、ね、今日はどうする?」

「いつも通り、任せるよ。千代(ちよ)

 瑠璃梅(るりうめ)千代。名前に反して純黒の髪を持つ同い年の少女。ついでにいうと親戚である。

 こうして遊ぶのは多くないのだが、その数少ない機会は全て千代が私を牽引していた。

 進学校に進む予定である彼女。家でも窮屈な思いをしているらしく、声を掛けられれば即座に馳せ参じるくらい、報われてほしいものだと思っている。

「軍資金を聞こうではないか!」

「これもいつも通り。あ、でもお師匠様にちょっと」

 千代はわざとらしく口を開ける。ハッ、と発音してからに、とことん演技くさく目を光らせてきた。

 言うんじゃなかったなぁ、なんて、軽い気持ちで抱く。

「いいなぁ~、お姉様に今日のこと言ったらなんて来たと思う? 『楽しそうで素敵ね』だよ!?」

 ただ睦まじい姉妹の会話にしか聞こえないが、皮肉を内包した言葉だと知っている。

 前のカゴに入れた鞄を持って、千代に着いて行く。

 白いワンピースにクローバー色のカーディガンをゆったりと羽織っている姿は、軽やかなサンダルも相まってとても素敵なコーディネートだと思う。例え羽織っているのがアロハシャツだろうと法被だろうと、私は自由に纏えばいいと思う。それを踏まえ客観的な事実、背の低い童顔が纏うには、やや大人らしすぎるなぁと思った。

 カジュアルな文字入りTシャツとジーンズの私も、千代に言わせてみれば逆に若くないとでも言うのだろう。既に口を出し合って、ちょっとした喧嘩もしたから分かる。

 あれはどれほど前だったか。その頃から今まで、私達の幼き反骨精神は変わっていないらしい。せめて千代には、もっと広々と脱ぎ去ってしまえる幸運が訪れてほしかったものだ。こうして私を呼び出している都合、この祈りが的外れとも言うまい。

「お互い大変ね」

「でも穂咲ちゃんはオシショーさまがいるじゃーん」

 一瞥もせずに言ってくれる。我々は血盟を越え比翼連理を結び、羽根を並べて飛んでいくと思っていたのに!

 いやぁそうでもないなぁ。

「実家での私の肩身の狭さは知ってるでしょ……」

「えへへ、まーね」

 そう。硬く結ばれた血の繋がりには、絶対に交わらない立場の違いがあるのだ。椛野(わたし)には私の、瑠璃梅(あの子)にはあの子の苦労や宿命やなんなりかがある。

 我々はどちらもはぐれもので、なんなりの多さもひとしお。こうして遊んでいるのも、家の人間からしたら失笑物である。

「やめやめ! 今回は諸々忘れる為に来たんだから! 思い出してちゃ世話ないよ」

「それもそうね」

 切り替えの早さに感心しながら、私達は自動ドアを潜った。

 四階建てのショッピングモールは別世界を見るような気持ちがした。たまにしか行かないもので、入ってすぐの景色を浴びると、懐かしさや期待が綯い交ぜになった感情に感じ入る。

 おおっぴらとした吹き抜けを見上げている暇はなかった。なにせゴールデンウィークの始まりだ、人混みは普通の休日よりも遥かに多い。

 これは参ったと思う私に、これはよしきたと盛り上がる千代。

 私は諸手を挙げて、我が手綱を握らせる。

 先ず一階から四階までを巡り尽くしてから、間髪入れずに往復を始める千代。彼女好みのショッピングというなら、下の階のおしゃれな服屋さんがまっさきに行くべきだと思ったのだけれど、どうやら四階からじっくり下っていくことを選んだらしい。

「オシショーさまとはどうなの?」

 ああ、この為か。確かにご飯を食べるには早い時間だし、現役女子中学生の足腰はおしゃべりを興じる為に働くことを厭わない。

 それは、私が師匠の話をするのにも厭わないという話ではなかった。

「どうって……別に普通だろうけど」

「いや、師匠がいるJCとか普通じゃないし!」

 パッと脳内に挙がるものがなくて、未知の名詞を曖昧に解釈してみる。私を構成するいずれかだろう。

 なんとなく軽いイントネーションに聞こえるものだから、どう言ったものか。ここで深刻に言って空振るのもやるせないな。

 千代が雑貨屋に吸い込まれていくので、声のボリュームを下げながら適当に物色する。

「仲はいいと思うよ。相変わらず、自分の事話さない人だから……よくわかんないけど」

「そんな人にお金貰っていいのぉ?」

 うぅん。そこだけ汲み取られるとな。

 確かにと同意するのも癪なので、当時の私の浅慮を今の私が擁護してみよう。

「もう三年目になるかな。小六の時に知り合ったから。もし悪い人なら既にどうにかなってるよ。それに、お母様とも相談したし……」

「いや、どうにかなっちゃ駄目じゃん。やっぱり」

 やっぱ無理だよ。被告人チャイルド穂咲にはギルティの印を押さざるを得ない。

「でもやっぱり、ちゃんと考えても手を取ったと思う」

「ドラマチックー。男だったらなぁ」

「男だったら手取ってないよ。事案じゃん」

 知りたての言葉を使ってみると、千代にもウケた。

「ねえもっかい聞かせてよ」

「えー……」

 どうしてか、千代はやたらと馴れ初めが好きだ。全人類の馴れ初めを知り尽くしたいという、関係性全知を志している話は聞いたことがない。そんな素振りもない。むしろ意外にも恋愛話はあまり好まない様子だ。

 ところが、赤子に謎の沸点があるように、千代にも押せば笑うツボがある。笑いのツボって何を意味してるんだろう。

 よく知らないキャラ物のキーホルダーを二つ手に取った。やたらと可愛げのあるものと、恐らくは可愛くないことを狙ったもの。千代が手に取ったものは分かるぞ、マイメロだ。

 悩む素振りで渋々話す。

「中学生と喧嘩して……お師匠様が間に割って中学生転がしたから、弟子入りさせてもらった」

「……っ、んふふふ」

 案の定これでもかと肩を揺らす千代。どれだけ言ってもとことん笑うから、もう小恥ずかしさとかはなくなった。

 ウサギに肉球があるのが余程センスに刺さったのであろう女子中学生は、耐え兼ねて商品棚に戻してしまう。私もシナモンが犬と知った時は得も言われぬ笑いを誘われたものだ。

「ほんっと好きだよね……」

「だってその時の穂咲尖りすぎだもん。降って湧いた師匠もパンクだし」

 降って湧いた、はちょっと沸点を刺激するぞ。

 私にしてみれば、戦うすべを伝授してくれる人生の分岐点がお師匠様なのだ。それを降って湧いた扱いは、じゃあずっと空を見ていれば何事も上手くいくとでも。あれ。じゃあ何処から湧くんだろう、何処を見れば降って湧くのだろう?

「あ……ごめん、いや僻むつもりとかじゃないんだけどさ。でも、いい収まり所見つけたんだなって思って、それがすごいパンクな流れで出来てるのが面白くって」

 不服が伝わったのか、笑い疲れた表情で千代は微笑む。

 なんだか随分と優しい笑みで、私は両手のキーホルダーを商品棚に戻した。この一瞬ばかりは、人が笑ってて私も嬉しい、と呑気な感情に浸かることは出来なかった。

 暗黙の了解で店から出る。きっとマイメロだけは報われたことだろう。

 言い分を黙殺するというのも気まずい。身の上を引きずり出された分、甘えてやろうという気持ちがあったのかもしれない。それほど思考を介さずに呟いていた。

「空回り……してる気もするんだよね」

「ふーん。いつから?」

 これまた根幹に一足飛びな相槌をしてくれる。私すらも気付いていなかった問題の始発に、頭を悩ませる。

「気付いたのは結構最近……かな。まぁずっと空回ってばっかな人生だけどさ」

 真剣すぎる話になるのを感じて、笑い交じりにそう締めた。

 横目で千代を見る。丸っこい錆色の目は、欠片も笑っていなかった。

「……」

「大変なのはわかるし、んなことないとは言えないけどねー……」

 終盤は身体を伸ばしながら言っているので、気安くも聞こえた。

「結局何がしたいかは、ハッキリしてるんだったっけ?」

 ふう、と雑な前置きをして切り込んでくる。やっぱりこの子に演技は向いてない、千代の姉とは大違いだ。

「誰かを助けたい。……それだけ」

「家の事なんも関係ないね。いや良いんだけど。穂咲はそれで良いと思うんだけど」

「うん……まぁ、私が頑張って、私と一緒に良くなっていくなら……家の事もどうにかなったら良いなって思うよ。

 でも、今の私じゃきっと無理。

 だからお師匠様に師事してるんだけどね」

「それよ。師匠なのに喧嘩しか教えてないじゃん」

 軽んじる言葉に思わずむっとなるけど、少し考えると疑問がついて来ていた。

「喧嘩じゃなくて戦い方だけど……でも、それが何? そういうものだと思うけど」

「いやいや。もっと穂咲には教えてあげることがあるじゃん。進むべき道的なのさ」

「あー……」

 師匠というか、先生というような感じか。

 言われるまで一切気付いてなかったな。

「今更というか……」

「今更ぁ?」

「進むべき道って、進んじゃいけない道を避ける事だったから」

 咎めるような視線で見てくる。今度は言いたいことが分かるぞ。

「だってそうでもしなきゃ……私こうして千代と会えてないよ。実家以外で」

「まー、穂咲の尊い選択によってこっちに引っ越してくれたんだから、そりゃ責めるとかじゃないけどさ。学校の先生はなんか言ってるの? 進むべき道」

「いや全然。多分もう、お父様がお母様に色々伝えてるんだと思う」

「でそのお母様が既に決まってると先生にチクる……もうスパイじゃん! 穂咲の人生の」

「いや誰の何よ、そのスパイ。それにお母様は悪く言わないで。私が迷惑かけてるの、あの人だから」

 本当は家の人全員だけど。特に世話を焼いてくれてるのはお母様くらいだし。

 しおらしく口を尖らせる千代だが、これ以上何かを言うつもりもないようだ。

 誰かを助けたい。そして助ける為には力が必要だ。

 そこまでは分かっていたが……そうだ、誰かを助ける人というのは相応の立場にいるのが元々の姿なのだ。

 勿論先の事を何も考えていなかったわけではないが、ハードルが高い。

 例えば警察というのも、きっと母以外了承しないだろう。警備組織に勤めるつもりでも同じことだ、志望高校を伝えるだけで目論見は暴かれてしまう。

 ならばこのまま、師匠と共に研鑽しながらパトロール? 未来の話で思い浮かべることじゃない。

「人の頼り方、知っとくべきだよ。穂咲は」

「んー」

 我が家で頼れる人がいない以上、やはり師匠に頼るべきなのだろうか。身の上を話さない人に頼るというのもあまり健やかな気分ではないが。

「……もう」

「ん。ごめん、なんか言った?」

「そろそろお昼食べようって」

「あー……そうだね」

 遅くまで居るつもりもないので、混み過ぎる前にさっさとご飯を済ませてしまおうと、三階のフードコードに足を運ぶ。

 

 

 黒豹隊――そう名乗る五人組は、たちまちに占拠した。

 家族連れの多いフードコートに乗り込んだ黒豹隊は、一人の能力で出入り口を封鎖。残る四人は身体機能や武装を駆使し、警備ごと場を制圧していく。

 封鎖は悪い夢みたく物理的で、床がのっぺりと壁を兼ねる形だ。

 しかし、空間だけで言えばあまり圧迫感を覚えない。フードコートの片面はガラス張りであり、テラス席も存在する。そこから差し込む陽光は皮肉にも沈痛なフードコート内を明るく照らしていた。

 瞬く間にひと纏まりにされた。

 机は乱雑に退けられ、空間の中央に人々――所謂、人質は集まった。全員が後ろ手に縛られており、それは眼帯をした少年も同様だった。

 眼帯は薬局で手に入るような白い規格品であり、少年はそれで右目を隠している。目が留まるのはその他にも、彼を包む服装が礼服のような高級感を纏うところにある。

 尤も、彼が貧困だろうと富豪だろうと、人質の荷物は一様に壁へ纏め上げられているので、幸いなことに彼がより強く目を付けられることはなかった。また、人質の荷物以外にも値札の付いた商品が乱雑に積まれている。もしかしたら流れ作業だったのかもしれないと、この場の数人は気が付く。それを声に出して糾弾などと、間違っても出来はしないが。

 少年は反感を買わないよう、こっそりと黒豹隊を見上げる。

 床から壁を這い出させた能力者と、軽々しく鉄筋を持っている男は、出来上がった壁の近くで待機している。今すぐにこちらへ手出し出来そうにはない、元々の役割を全うしているのだろう。

 一人はガラスの先を見つめている女。盗み見る形なのでこれと言った特徴は測りかねるが、奇術のように銃や鉄筋を取り出して見せたので、能力者であることは違いない。

 人質に最も近いのは二人だ。

 剣を持った厳つい顔の男は、毅然と人質を睨みつけている。ほんの一瞬でも目を合わせたくなくて、少年は怯える振りをして僅かに視界に入れただけだ。

 最後。携帯を耳に当てている異種族。蜥蜴のような皮膚と黒い眼球が特徴的な彼は、腰にナイフホルダーを身に付けていた。

 そう、人質と言えば身代金だ。あまりに見境がない規模だが、それゆえに警察が強硬手段を取ることは出来ない。

 五人を確認して、少年はうつむいた。

 眼帯で隠された右目ならば打開が可能だったかもしれない。そう後悔を覚えて、すぐに諦めで洗い流した。

――眼を晒す度胸もなければ、五人を相手取る度胸もない。僕に出来ることは、ない。

 耳をくすぐられたような気がした。

 思わず見てみれば、二人の少女がほんの僅かな声で話していた。

 もし黒豹隊に聞こえてしまえば、今度は殴打じゃ済まされないだろう。気が気じゃない心持ちではあるが、これで黒豹隊に視線を送るわけにもいかなかった。

 少年は二人を横目で見やる。

 黒髪の少女と赤毛の少女だ。赤毛の少女の頬には赤い痕がある。抵抗した際に殴られた痕、鈍い音は今も鼓膜に残っている。

 黒髪の少女の声はあまり乗り気ではなかった。しかし、どうやら赤毛の少女が思うような展開になっていく。

 少女はさりげなく大人に埋もれるように位置を微調整する。それから赤毛の少女はもう一人の少女に背を向ける。

 明らかな工作に抵抗感を覚えているのは、少年に限らない。

 上等なシャツが汗に滲んでいくのも、人の密か緊張のせいか、まともではない頭じゃ判断の付きようがなかった。

 止めるべきだと思う。しかし声が(つか)える。自分の失態で少女の革命を邪魔するというのは、この瞬間、正体不明の組織を敵に回す事よりも恐れることだった。

 ゆっくりと赤毛の少女が背中を見せる。手首を縛る縄は、他の人よりもいっそう強く縛られているのが分かった。少年が同情を孕む間、いつほどけたのやら、黒髪の少女は、見せられた緊縛に手を伸ばす。

 止めなければ状況が変わる。

 好転するわけがないと少年は思う。なにしろ少女二人、きっと自分とそう変わらない年だろう。大人には如何に無力か。

 

 でも、勇者のような顔付きで立ち向かった赤毛の少女が、脳裏から離れてくれない。

 見てみたいと思ったのは、三割ほど。曖昧ながらも抱えた少女への希望は、少年自身、自覚していた想いだった。

 残る七割。後に振り返ってみれば、あれは無謀への抵抗感ではなかった。

 変えてみせてくれ――初めて椛野穂咲の双肩に掛かった願望だった。

 

 少女らの手元を一瞥してみると、緊迫した状況では不釣り合いのチープな赤色が見える。何かの刃先のようにも見えるが、金属質な光沢がないので違うだろう。

 彼は目を疑った。

 片刃そのものらしく折られた折り紙が、赤毛の少女を縛る縄に切り込みを入れている。音もなく擦り合わせれば、どんどんと食い込むのが分かった。

 縛る時に軽い持ち物調査のようなものをされたが、確かに折り紙一枚程度見つかることはあるまい。仮に見つかったとして、紙切れ一枚に目くじらを立てるというのは――今もなお電話で鼻につくような話をするような輩のプライドが許さないこと請け合いだ。

 少女らの行ないは見つかったらただじゃ済まない。そう思考した彼もまた、ささやかに移動する。無論少女から離れるように。

 この期に及んで、巻き込まれたくないと避けたわけではない。むしろその逆、眼帯をした少年はただ、一枚噛みたいと思った。

 小さく口を開け、少年は近場の、剣を持った男を見上げる。

「ぁ――ゴホッ、ゴホ!」

 小さく詰まった声が先走り、それから咳き込んだ。演技らしさは何処にも感じられない。

――しまった。

 少年が本来考えていた流れとは全く違った。

 トイレをしたいなどと騒ぎ立てるつもりが、緊張で喉を詰まらせ、咳き込んだ拍子に頭が白紙となってしまった。

 言葉が何も出てこない。

 剣を持った男は大人げなくも鋭く睨みつけ、少年が秘めた小賢しさは呆気なく貫かれて沈黙した。

 奇しくも。

 少女は見事やり遂げた。縄はパサりと足元に落ちる。

 言い換えれば、音を立てて縄が落ちた。

 その小さな、しかし明確な落下音は隊にとって不穏極まりない異分子だ。ともすれば確認するのになんの躊躇いも生じないことだろう。

 しかし奇しくも、少年の咳と縄の切断は同期していた。おもむろに男へ咳を見せつけた眼帯の少年と比べたら、ささやかな落下音なんて小耳にも入らない。

 そんなこと、少年はついぞ知ることはないのだが。

 

 

 自由になった手でもう片方の手を揉む。手を変えて同じことをする。キツく縛られすぎて感覚が曖昧だ、思わず見て確認したい衝動に駆られるけど、誰かが咳き込んだせいで黒豹隊と名乗りをあげた奴らはピリピリし始めた。妙な動きは少しでも見せられない。

 踵で縄を後ろに押し隠し、白々しく後ろ手に組んだ。監視の目は千代を始め、他の大人で隠している。

 電話をしていた異種族は苛立った様子だ。緊張で会話の内容は断片的だったけれど、特殊な要望はなかった。ただ単に要求が通らなくて苛立ってるのだろうと考える。

 先ずはその苛立った異種族を挑発することから始めよう。奴は腰にナイフホルダーを見せつけているけど、それはつまり銃はないってことだ。だからどうにか近付いてもらい、気絶させる。それから千代から譲ってもらった『折り紙』を奴の首にでも突き立て、逆に人質をとってやる。

 蜥蜴っぽい肌だけど、刺さらないことはないだろう。

 千代の能力は折り紙を操る〈不切織込(おりこみ)〉。強度、鋭さすらも操れるのだ。

 今の私は鋭いナイフを隠し持っているのと同義。切れ味を見せれば迂闊に手は出せまい。

「……どうしてこんなことをするの?」

 私の声は、閑静なフードコートによく通った。

 周囲の空気がガラっと変わるのが分かった。人を押さえつけるような緊張が、たちまち火の付いた導火線のようなものへ様変わりする。

「さっきから調子乗ってんなキミなぁ。殴られても足らない? もうその口要らねえか、ええ?」

 まだ聞いただけなのに……男は目元を震わし、ナイフに手を伸ばす。

 ゆっくりと近付く立てこもり犯。その動線上から、礼儀作法のように慎ましく人々は掃けた。中には子連れも居るから、それでいいと思う。

 一人の男性は動かなかった。

 いや違う、動いて――割って入るように、男の前に立った。それは明確な反抗意思に受け取られても仕方ない。

 後ろ姿から、シャツの上にエプロンを付けているのだと分かる。一般的な体格で、要するにただの飲食店スタッフ。

「ただの子供です、そう目くじら立てなくとも……!」

「お前みてぇなヤツがァ!」

 返す言葉は咆哮だった。

 再び静まるかと思いきや、何処かで子供が泣き出す声が聞こえた。

 騒然となっていく。

「……調子付いちまうんだよなぁ分かるか?」

「ただ話そうとしているだけじゃない」

 立ち塞がってくれた男が話すより先に、私は続けた。ここから歩けば別の見張りが私の縄がほどけていることに気付いてしまう。

 もしもエプロンの彼が強い意志で反骨したのであれば、状況はさらに混沌を極めていたかもしれないが、再び歩き出す異種族の男は何にも遮られることはない。

「あァ?」

 無鉄砲な私から皆離れていく。数十センチくらいなものだけど。動かないのは、別の見張りから手元を隠してくれている千代だけ。

「貴方のやっていること、大勢の人を脅かしてまで叶えるべきこと?」

「何が言いてえんだ。素直に助けてくださいって言えばどうだよ」

 頭が強く痛んだ。男は左手で私の髪を掴み、自分の顔へ近付ける。男の眼球は黒くて何も映ってはいない。

 きっと折り紙はもう刺せるけど、そんなことをしたら殺してしまう。

 

 殺すのでは助からない。

 

「私だけじゃ駄目なの?」

「…………は」

「人質。私だけでも構わないでしょう」

 何かのボタンを押されて、男は震え始める。それから下卑た笑いを高々と響かせた。

 天井を仰いで十数秒は笑った。いい加減手を離してほしくもなる。

 どうせ冷静になろうが言われる言葉は知れている。私は冷たく言った。

「椛野――聞き覚えはない?」

 男はとぼけた顔をするが、後ろから予想外の声が聞こえた。首を回して、窓付近に陣取った女性を見る。

 場所も相まって、初めは解放された手がバレたのかと思った。反応したのは『椛野』のことだったし、私の下げた手首が、人混みの中から見える訳もなかったけれど。

 驚いた表情を作る女性は、きっと思い当たるものがあるのだろう。

 丁度上手い具合に気を引いてくれた。どうせ元から、たった一人で捕まる気はない。問答は終わりだ。

 この隙にと、視線を男に戻す直前のこと。

 

 私達は流星を見た。

 

 赫く輝く灼熱が、外の青空を切り裂いて――付近にいた女性に衝突する。

 ガラスが砕け散った音、皆々のどよめきの間に、その流星は残る四人を辿った。

 剣を持った男を吹き飛ばす。大きな熱気を放って加速、壁を作った男と鉄筋を持った男をひとまとめに、壁へ打ち付ける。

 赫星が一人一人を殴り飛ばして回ったことまで、私は目を離さなかった。

 一秒にも満たなかったような気もする。

 焔を足に帯びたその少年は、いつの間にか私と異種族の間に立って、男の手首を握っていた、私の髪を掴んでいる方だ。相当な力が掛かっていることが分かる。

「手ェ離せよ――殴れねえだろ」

 身体が軽くなったような感覚の後――異種族は、聞くに堪えない音を発して壁に吹っ飛んでいった。

「ヤベ……」

 壁だと思ったけれど、それは飲食店の一つだった。

 思い違いはもう一つ。その少年は星でも灼熱でもなければ、人間でもなかった。

 整った短い黒髪、意志の強さをしたためる赫瞳(かくどう)。学ランを羽織った彼は、しかし人間らしくもない、一本の角があった。

 額の右隅に一本の角。謙虚なように見えて、むしろ輪を乱す我の強さを表している片角が、彼の勇ましさに飼い馴らされている。

 彼は虚空に返事をする。

「あぁ、終わった。…………分かった、すぐ合流する」

 言うと、少年は一面が無残に破壊された窓ガラスの方へ駆け出す。

 すっかり固まった人を手でかき分けて、私は叫んだ。

「待って、貴方は……っ!」

 いつまでも着いてくる月に、手を伸ばす幼子のような。

 夕景に沈む遊園地から、母の腕に抱かれて遠ざかるような。

 私は手を伸ばした。

 季節を先取りした熱風が仰ぐ。

「――銀狼隊だ」

 

 

 右目を隠した少年は、自分が妙な達成感に満ちていることに気付いた。

 気疲れしたのに、後悔というものは欠片も抱いていない。詰まっていた何かを取り除いたような、そんな錯覚があった。

 少年の右目に眼帯はない。比べると、視界は広々としている。

「……知られたくないのが誰かは、分かってくれたと思う」

 傾聴していた二人に、仙慈はそう締めくくる。

 面白い話を聞いたでもない二人は、物思いに耽るような顔にも、関心のない話を聞かされた顔のようにも取れる。どうであれ、軽率に憐憫を抱くような言葉を吐かない辺り、慮っているのは確かだった。

 霞ヶ浦が口を開く。

「人質が許せない理由じゃないんだ」

 平坦な声だった。

 思いもよらない受け取り方をされ、少年は苦笑する。

「いや……僕はそのつもりで喋っていたんだけどな」

「……?」

 次いで、鴻上も疑問符を喉で鳴らす。一人なら、妙な解釈をされたと思う。だが二人ならどうか。

 少し考えた後、仙慈は壁にもたれた背中を浮かす。

「僕は先の出来事のせいで、立てこもりや人質と言った手段に嫌気を示すようになった。そう考えている」

「でもさー。話してる間、ずっと椛野ちゃんか自分の事じゃなかった?」

 少年はうつむき、口を指で覆う。

 床を睨み付ければそこから宝が出てくるのだろうか。余程深刻そうに、彼は思案する。

「人質っていうか、きみがどうこうって、感じだった……よねぇー」

「え? あ、まぁ……」

 鉢を回されると、曖昧にも確かに頷く鴻上。そりゃそうだ、と頭に付きそうなくらい、当たり前のことに頷いたようだった。

「……ふむ、そうか。…………そうか」

「あー……」

 鴻上は白い瞳を右往左往させながら、二の句が継げないでいる。

 チームメイトがとんでもない致命打を繰り出してくれた。健気にも、内心はどう調子を戻させるかで精一杯だった。

「そ、その、あんまり気にしないっつか……深く考えなくても良いっていうかさ。俺別に、変とか思わないし」

「ん? うん、あたしも別に」

 強い眼差しに促され、霞ヶ浦も頷く。

 尤も、仙慈は見てもいないようだった。

「あぁ、気を遣わせたね。少し話し過ぎたようだ。飲み物を買ってくるよ」

 交互に目を合わせてから、少年はこの場を後にする。集合時間にはまだ余裕があった。

 

 

 長々話しても仕方がないから、事件直前のことは口に出していない。千代のことも友達とだけ。親戚というと面倒になりそうだし。

 でも、喋っていく中でどうしても思い出してしまった――元々あまり思い出さないようにしていた――から、真代や小森さんにとっては冗長な語りになってしまったと思う。

「直近だとこれくらいで、それからは巻き込まれたりとかはしてないよ」

「そう……なんだ」

 感情の置き所に迷っていそうな小森さんを傍目に、真代は味噌汁を飲む。啜るとかじゃなくて、ほぼ減ってない味噌汁を飲んでく。

 不思議なくらい思い出してなかったことが、不思議なくらい鮮明だった。

 それから二年弱、師匠の教えが本格化したのもあると思う。あの頃、懐旧は余計だったから。

 もしくは――あの赫星だけを、私は熱烈に想っていたのかもしれない。そうなれば、思い出すまでもなく焼き付いているのだから、とても当たり前のことだった。

「だから銀狼隊なの?」

「え?」

「穂咲ちゃん、元々銀狼隊に詳しかったから」

 境遇について話しているつもりだったから、咄嗟に言葉を返してしまったけれど、話のオチ的にはごく自然な問いだった。

 黒塗りの器を両手に抱えて、表情を変えずに真代は見つめる。紅い紅い瞳。とても星とは似ていない。

「うん。私がこの学園に決めたのは、それが一番の理由かな」

「そーなんだ」

「あんまり楽しい話でもないよね」

 感情のない声に、自分がどれほど反応に困る話をしていたか実感する。笑ってごまかすけど、真代の表情は緩む気配を見せない。

 真代が聞いたのにな。みたいな感情は少しあるけど、これは概ね私が悪い。互いに試験終わりだしね。

 なんなら、横の人狼は私と一緒にこれから最後の試験へ投じるのだ。

 場にフォロー(自分が引き金なのだが)を入れようと小森さんへ視線を向ける。そして、言葉が半ばで中断された。あまりにもまっすぐに、私を見つめていたから。

「話してくれてありがとう、椛野さん」

「いや……」

 彼女は立ち上がる。椅子が擦れる音も構わずに。

「頑張るからね、私。……また、時間になったらっ」

 言うと、お盆を持って去ってしまった。返却口に向かった小森さんが次にどうするかを、目線で追う必要はないのだと分かった。

 結局、彼女の抱えていた憂いがなんだったのかは聞けずじまいだけど、あの様子なら、もう私が考えるようなものではないのだろう。

 水を含む。飲み切るのを躊躇ったから、底には浅い水溜まりが揺れる。

 もう一言も話しません、みたいな領域にいるが、私だって真代に聞きたいことはあるのだ。

 つまり何を聞きたいのかを纏めているうちに、初めて出会った時のことを思い出した。言うに及ばず、真代との最旧の記憶だ。

 大袈裟に言ってもたった一ヶ月程度なので、すぐに思い出せる。でも、例え一年後でも十年後でも、赤い記憶は褪せることはないと思った。

 

『──なんで二人は助けてくれたの?』

 

 辻君と纏めて、少女は尋ねた。

 暴力的な夕焼けの色は鮮明で、彼女の表情も、鮮やかとしか言いようがなかった。

 私は、私の衝動が自己本位だとも分かっていたし、実を言えばうわべの友達なんて必要ないとも思っていたから、結んだ脆い縁を断ち切る思いで理由を答えた。

 ずっと前から助けたかったから、と。

 ずっと前から好きでした! 一度言ってみたかったんです、誰かに。……これくらい、浅はかだと思う。今でも。

 助ける人の顔も知らずに助けたがってるのは、なんというか、それこそ乱暴だ。この認識だって私一人で辿り着いたものではないけれど。

 それなのに真代は笑った。答えを聞いて、屈託もなく笑ったのだ。

 友達だから、質問に答えてもらって嬉しかった? じゃあ、今彼女の目の前に、友達はいないというのか。

「……真代」

「ん?」

 いつも通りの相槌だった。軽く首を傾げて、一緒に尻尾も揺れ動く。

「なんの為に、聞いたの?」

 言ってから後悔した。少しの間もなく答えてほしい、さもなくば言葉を飲み込むから。

 ――吐いた唾はどうにもならない。

 プログラムじゃないんだから、考える時間は当然あるべきだ。

 その時間は私が覚悟したより遥かに短かった。

「気になったから」

 それ以外に何があるの? と、口外に伝えてくる。

 身も蓋もなくて、笑って頷くしか出来なかった。




【補足】
作中では語られることのない、省かれた描写はこういう形で拾うと思います。

少女二人が切った縄は足元に落ちましたが、立てこもり犯が迫る直前、後ろにいる大人の女性が足で縄を引いています。文章内に無い通り、椛野さんは気付きませんでしたが、目を隠した少年のみならず、彼女の蛮勇は周りを微かに奮い立たせていました。

一章も二十話まで来ました。序章を含めると二十九話です。
どうして序章を十話までやらなかったのでしょうか。そもそも五話で済ますべきでしたね。

ようやく明確に明かされた椛野少女の過去の一つでした。同時に、仙慈少年が燃やしていた対抗心の由来も判然とします。
同時に、より一層、高校生以前の立場は謎めいてきます。まだ誰にも言わないのは気が進まないのか、不信の表れなのか。


このエピソードは私が白夜と藍嵐を書こうと決めた当初から構想していたものです。
他にも数多く、そのようなエピソードがありますが、今話で初めて形にすることが出来ました。(鳴島君と椛野さんの邂逅なども、詳細は執筆時になって詰めたものでした)
これから巡ることになるハイライトという点が、どういった線を踏まえて形になるのか。今はまだ不鮮明ではありますが、スタートラインを越えた実感のおかげで、遥かなスタンプカードを握り締める好奇心と近しい気持ちに浸れている気がします。

今話サブタイトルは『あかいほし』とも迷いましたが、過去回想のリンクに相応しいのはこういうものだろう、と素直なものへ。
一人称を書く人物を絞っている都合、仙慈寿人の憧憬を行動以外で書くというのも憚られました。


これにて本入隊試験編は折り返しに差し掛かります。
寸断されてしまった因縁ばかりの中、試験の合否という明らかな答えを受け取る彼女達は、いったいどのような戦いを経るのか。
次回『深く短き因縁よ』
長らくお楽しみいただければ幸いです。
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