白夜と藍嵐   作:凍星 奏雨

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【登場人物】
――銀狼隊戦闘部・一年
椛野  穂咲(かばの・ほざき)――赤毛の少女〈種子〉
霞ヶ浦 兎子(かすみがうら・ばにい)――兎尾の少女〈因幡跳び〉

――銀狼隊戦闘部・一年
鳴島  迅(なりしま・じん)――黄髪の少年〈放電〉


第二十八話 貴方の飴はなあに

 十時ぴったりに彼女はやってきた。

 霞ヶ浦兎子。動き易そうなノースリーブとショートパンツの姿で、頬は僅かに赤くなっている。

 白い無機質的な訓練室は、仙慈君と初めて戦った時のように障害物一つない広々とした空間だ。特に指定が無かったので、最もスタンダードであろう部屋で私は待っていた。

「お待たせ。やる気充分じゃん」

「おはよう。貴方もね、霞ヶ浦さん」

 額の汗を拭う。

 お互い、既に準備は万端だった。

「一応確認しておくけど、本気でいいのよね」

「あたしはそのつもりだけど。出さなくてもいいよ、言い訳しやすければ、それでも」

「冗談」

 発端は昨晩。彼女の一声でこの場が設けられた。

 目的がなんなのかはわからずじまいだ。でも、きっと口頭で聞いたところで、実際に戦わなければ理解に実感は得られないのだろう。

「やりすぎないように、先輩とのルールだと三撃か五秒ダウンってことにしてるの」

「いいねそれ。じゃあノーガードで三発か……」

「五秒ダウン、或いはギブアップ」

 私は普段通りに構えた。一方で、彼女はその場で数回跳ねた後に、右足だけを前に出す。そういう型というには、あまり力のない構え方。

 悠然とした立ち姿のまま、霞ヶ浦さんは手で扇いだ。見せつけるように、二度。

 言葉の少なさに居心地の良さを感じる。雑念を取り払い、私は誘われるがままに駆けた。

 

 回し蹴りが空振り、軸足を変えもう一発。彼女はワニのジャンプ台を使わずにこれを受け止める。

 止められた足を更に押し込んで距離を取り、間髪入れずに攻め入る。

 今まで地に足を付け、出方を伺うように戦っていた。詳細の分からない能力に対処する為に。

 彼女は高い跳躍力を用いて空中によく逃げる。裏を返せば高い打点を警戒されていない、無論だ、見せていないのだから。

 ならば――地面を叩き、捻り蹴りで飛び込んだ。

「っ……」

「あと一回!」

 跳び始めの霞ヶ浦さんへモロに蹴りが入った。跳躍が墜とされ、彼女は地面を転がり受け身を取る。

 かくいう私もあと一回でアウト。

 お互いに後がない。もしもこの戦いに何かが懸かっていたら、ここで退くだろうか。

 ありえない。

 霞ヶ浦さんは淀みなく地面を蹴り、そしてもう一度空中を蹴る。空中へワニの足場を出し、即座に踏んづけたのだ。

 私の頭上を悠に飛び越す高度。私の瞬発力では着地に間に合わない。私の脚力では高度に手出しが出来ない。

 また仕切り直し――にはさせない。

 背後、つまり霞ヶ浦さんの着地予想地点へ振り向きながら、宙へ伸ばした右手の先に種子を出す。

 枝木を巻き付け、強く地面を蹴り身体を運ばせる――あの日以来の新技。ブランチ・スクリプトで――!

「あれっ……」

 滞空中、予感を覚えた。

 思い返せば、枝に離させるのが遅かったのだろう。上に持ち上げられすぎて横幅が足りない。投げ出された私の身体は、彼女にとって絶好の的。

 上半身が枝木に持ってかれて着いてこない、反して下半身は前に出る。勢いも足らず、迎撃も出来ず、私は嫌な予感と共にそれを迎える。

「ええ……?」

 グサりと刺さる呟きと共に、文字通り私は一蹴された。

 

 結局何がしたかったの? と、休憩所で霞ヶ浦さんは言った。

 その気はないのだろうけど、中々手酷い言葉だ。

 情けで奢ってもらったスポドリのペットボトルを両手で包んで、座ったまま項垂れる。

「新技で距離を詰めようとしたんだけど……ね」

「ふーん。どんなん?」

「私の能力は枝を操れるから、それでターザンみたいに移動するんだけど。昨日一回成功しただけだったんだよね、思えば軽率だった」

「よくやるわあ」

 呆れられてしまった。

 イメージは間違ってなかったはずなのに、なにが足りなかったんだろうか。

 検討を口走ろうとして、すんでのところで止まる。鳴島先輩や、たまに虎郷先輩に見てもらう時ならまだしも、向こうが持ちかけてきた模擬戦の後で私の話をするのは少しふてぶてしい気もしたからだ。

「因みに、期待には沿えた? なにか昨日言ってた気もするけど」

「あーアレね。部屋戻ってから頭冷えたわぁ。変なこといきなり言っちゃってごめんね? まぁ、期待って程でもないけど……んー」

 霞ヶ浦さんが考えている間にスポドリを喉へ流し込んだ。部屋の時計を見上げてみれば、まだまだ鳴島先輩との約束まで時間がありそうだ。

「よくわかんないもんだねえ。兎の頭にも」

 兎関係あるかな。

「そもそも何を確かめたかったの」

「聞いちゃう? ま、付き合ってくれたしねえ。ほらぁ昨日言ったでしょ? きみたちが必死にしてるって。あたしも感化されるかなって思ったけど、模擬戦一回じゃわからないもんだねー」

 まぁ、そうだろう。私に感化された人がどれくらい、そしてどれだけいるかは想像付かないけど、私は何も懸かっていないつもりで戦っていたのだ。全力ではあるけど、必死で戦ったわけではない。

 ここで突き放すのも、後々に心残りとなりそうな気がした。

「先輩、言ってたよね。試験に呼ばれた人は既に力を見てるって。霞ヶ浦さんにとってのそれは思い当たるの?」

「一回仕事したからそれじゃない? 先輩達に紛れて参加しただけで、あたしは特になんもしなかったけどね」

 取り付く島もない。その一回でどう思ったとか、何が起きたかとか、そんなインタビューは不毛そうだ。

「あー、誤解させそうだけど、あたし別に困ってないよ」

「……そうなの?」

「気になっただけだってば」

 笑って言うと、霞ヶ浦さんはベンチを立った。

 後ろ姿、ショートパンツには兎の尻尾分のふくらみがある。銀狼隊に入った理由を聞く必要はないと思った。

 

 取り残された私は階段を使って二階に上がった。エレベーターよりも階段の方が近かっただけの理由だ。

 銀狼隊本部の二階は丸々資料室になっている。真代達、支援部一年の試験会場になっている部屋もある都合、設備を使う場合は静音をどれだけ心掛けても余剰はない。

 資料室の中には、電子媒体が置かれた、それこそ学校のコンピューター室のような部屋がある。鳴島先輩との約束の時間まで、丁度いいと思ったのだ。

 昨日の本入隊試験のうち、『防衛迎撃戦』と『殲滅対抗戦』は撮影されたログが公開されている。パーティの最中に朽羽先輩が言っていた。『私達は記録された映像を元に君達を本入隊させるか検討するわけだけど、そのログはうちの設備で公開して構わないね?』と。音声が乗っているのかどうかをその場で聞くには些かハードルが高かったので、こうして確かめている――というのも、否定はしないけど本筋ではない。

 足音を立てないよう気を付けながら、私は隊員証を取り出す。この仮隊員証もそろそろ手放すとなれば、多少の名残惜しさがあった。

 隊員証は本部内の至るところでカードキーの役割を果たす。例えば本部に入るのも隊員証が必要だ。そして、映像を確認するのも。

 通り過ぎた部屋の一つで、擦りガラス越しに人の影が多く座っていた。部屋の引き戸には、試験中なので静かにしてください(要約)と文章の書かれた紙がヒラヒラはためいている。

 真代の合格を祈って、私は足を進めた。

 映像資料室①と書かれたプレートで立ち止まる。そういえばあの先輩、どの資料室とか言ってない。

 釈然としないながらも、最新のログならすぐに見つかる場所だろう、私は引き戸を開けた。

 わざわざ支援部が試験中にここへ足を運ぶ人だって、戦闘部受験者なら理解は出来る。私が気になっているように、自分の動きや周りの出来が気になっている人はいるだろう。

 だが、よりによってその人がいるとは思わなかった。

 背後の空間に気を付けて、あくまで引き戸を閉め切ってから呟くように言う。

「鳴島先輩」

 ヘッドホンをしている(つまり音声が入ってるんだなぁ)鳴島先輩は、扉の方へ二度見した。

 鮮やかすぎて、更に気を遣って笑いを逃がすしかなかった。

「椛野さん、奇遇、だね?」

「なんでカタコトなんですか」

 先輩はヘッドホンをモニターやキーボードが立ち並ぶ白く長い机に置いて、疑問の強い顔を向けてきた。動揺の仕方に口角が下がらないのを、ちょっと口で隠して近付く。

「奇遇というか……ちょっと時間が余っちゃったので、折角なら、と」

「あの子とはもうよかったの?」

 なんで知ってるのか、という気持ちになったのも束の間。

 模造空間が作れる特殊訓練室みたいな例外を除いて、訓練室は事故防止の為にモニターで確認が出来る。大方それで確認でもしたのだろう。

「一戦で終わりました。特に怪我もしてないので問題ないですよ」

「そっか。それなら、もう訓練室(した)行く? オレは構わないけど」

 私も構わないけど、先輩の用事は中断させて良かったものか。モニターの側面で立ち止まって、私は聞いた。

「何観てたんですか?」

「ん? あぁ……」

 少し言いにくそうにして、鳴島先輩は椅子を机から離した。見るように促されたと解釈して画面を覗き込む。

 一見して市街地であるそれは、二人の男女が地対空の構図で相対している。

 言いにくそうにした理由はすぐに分かった。そして察せられなかった私を少し恨んだ。

 ほんの気まずさが残った後、鳴島先輩の方が先に口を開く。

「一回見ただけじゃ分からないと思って、先に確認しておこうと思ったんだ。椛野さんのブランチ・スクリプトを上達させるって言っても、オレが何も言えなかったら情けないしね」

 先輩は眉を落として、椅子を机に寄せた。彼がマウスに触れると画面内に小さなものが過ぎる。カーソルだろう。

 画面に映る私と仙慈君に吸い寄せられたけれど、改めて広く俯瞰して見れば、映像を映すウィンドウが別のウィンドウの上に重なっていたのが分かる。

 どちらのウィンドウも纏めて消しそうな鳴島先輩を慌てて止めた。

「先輩、そっちは……?」

 下に隠れているものは屈託なく聞かせてくれる。

 上書きする形で前面に出てきたのは、夜の倉庫街だ。人物は誰も映っていないので、どういう映像なのかは一目で判断できない。

「こっちはオレの試験――じゃないや。第一試験で、オレが戦った時の映像。比べてたんだ」

 何を比べていたのかを聞く前に、先輩はマウスカーソルで映像を遡らせた。

 場面は電気を纏った鳴島先輩が近く映ったところで止まる。見上げる形で映された先輩からは躍動感が滲み出していた。

 目配せにも満たない確認をして、鳴島先輩は映像を再生させる。

 映像の中の鳴島先輩は、右腕に装着したガントレットから黒く紐らしいものを、大きく振りかぶりながら射出した。黒い紐は吸い込まれるように淀みなく空へ昇っていき、映像は別の視点に切り替わる。その視点は少し引いて、一部始終を横から収める形となる。射出された先には『几』の字のような形状の建造物が高くそびえている。紐はてっぺんに勢いよく巻き付いて、即座に鳴島先輩の身体を引き寄せた。前に勢いづいた先輩の身体はCGのように軽々と進んで、それからひとりでに紐が緩み、鳴島先輩を投げ出した。

 黄電が弧を描いて向かった先は、鳴島先輩が映像を止めたことで分からなかった。

 さっきは倉庫街と思ったけれど、引きで景色を見てみれば、倉庫ではなくコンテナの集合地なのだと分かる。映像の鳴島先輩が巻き付けたのはきっと作業用のクレーンだ。

 でも、コンテナの密集したところで使われるクレーンは相当の高さがあるはず。目算があっていれば、映像内のクレーンはコンテナを四つ積んでも届かない。

 私の衝撃をよそに、先輩は朗らかに話す。

「こうしてみると、思ったより違うよね。オレと椛野さんのワイヤー機動。確認しておいてよかったよ」

「昨日はああ言ってくれましたけど……全然違うじゃないですか……!」

「ほんとにね、一緒にしない方がよかっ――」

「いや、そういうのではなくっ」

 彼の語調は明らかに気遣いとか、鳴島先輩自身の判断を訂正するような物言いだった。

 少しでも得意げになっていた私が、凄まじく恥ずかしい子じゃないか。こんなの。

「私と鳴島先輩には、やっぱり差があります」

「……オレのは能力じゃない。不知火先輩が凄いだけだよ」

「能力ですよ。先輩が持つ、技能です」

 結ばれた口から、そういうことじゃなく――と言いたげな意思を感じる。

「不知火先輩の作る武器が、誰でも簡単に使える武装だったら、今の銀狼隊にこれほどの向上心はきっとないと思うんです。先輩は、自分を磨かないと使えない武器を使う為に、技能を磨いた。……違いますか」

 言い終わって、意地になっている自分に気付いた。

 でも、さもなくば、私が能力に向き合わずに師匠と鍛錬を重ねた日々さえ、肯定できなくなってしまう。

 能力に向き合わないことは私の理想にとっての遠回りだと分かってる、でもそれが修行の日々の価値を損なう理由にはならないはずだ。

 ……それを認める為に鳴島先輩を介するのは、すごく卑怯だけれど。

「いや」

 先輩は小さく息を吐いた。何かを飲み込んだように。

 それが先輩にとって、飲み込まされたものではないようにと、私は祈った。

「違わないよ、言う通りだと思う。……励ましてくれてありがとう。オレも早く力になれるよう頑張るよ」

「も、もう色々力になってますって!」

「ならもっとだね」

 鳴島先輩は椅子から立ち上がり、机に手をついてウィンドウを消していった。

 流れるように終了処理をしていき、最後にPCと繋がったカードリーダーへ隊員証をスライドさせる。最後に誰が使ったのか、足跡を残す事で、万が一を起こした隊員を追える仕組みだそうだ。

「行こう」

 机の下に忍ばせてあった鞄を拾い上げて、鳴島先輩は扉へ向かう。

 一言も喋れないまま、私はただ後ろを歩いた。

 

 特別訓練室で待機スペースみたいなものがあったように、基本的には待機所を挟んでから訓練室の空間が広がっていく。待機所の作りは部屋によってまちまちで、私と仙慈君が戦った時はガラスの壁で仕切られ、内外相互に見れる作りだった。今回鳴島先輩に案内された部屋もガラスで仕切られている。故に、その作りの異様さをすぐ理解出来た。

 待機所に入るなり、先輩は鞄からガントレットを出した。銀色の、見るからにずっしりとしたものを右腕分だけ。

 最低限の物しかない自分の鞄が少し恥ずかしくなる。兎も角端っこに置いて、今回の訓練室を見渡した。

「オレがワイヤー機動を練習した訓練室。事故が多いから医務室に一番近いんだよ、ここ」

 ヘラヘラと言うが、それを踏まえてみると中々末恐ろしかった。

 ガラスの向こうは白一色、その無機質さは見覚えのあるスタンダードな訓練室だ。

 だが、部屋に上下の空間が広々とあるのが分かる。

 一面真っ白で部屋の構造を正しく理解するのが難しい。眺めている間にも、鳴島先輩はガントレットを嵌めて扉を開けた。

 直感で、縦に長い直方体の空間と分かった。天井は廊下と同じ高さで、空間の長さは下へ続いている。見下ろすには、鳴島先輩の横に立って足場(・・)に踏み入らなければならなそうだ。

 先輩が気がかりそうな顔で振り向くので、慌てて並び立った。

 扉を開けた少し先で、既に足場が途切れている。前も左右も、一足飛びで空中行きだ。

 そして眼前に広がるのは、真っ白の奈落。

 鳴島先輩はガントレットのついていない左手で空間を指さした。そこには大体二メートルの長さの棒が壁から生えており、先端には平べったく丸い足場が付いている。まるで棒付きキャンディのような形状のそれは、四面の壁から幾つも、幾つも伸びている。

「鬼でも折るのに数回必要だったから、強度は気にしなくて大丈夫」

「ワイヤー機動を練習って、まさかですけど……」

「うん。ひたすらあっちこっちに跳びまわる」

 私は足場から下を細目で見ながら先輩に聞いた。自分で測定するには、少々おっかない。

「下まで大体どれくらい……」

「こっから下は十メートルくらいだったかな」

「死にませんか!?」

「大丈夫大丈夫。下はクッションになってるから、跳ね返らずに沈み込むよ。ここまで上がる為のエレベーターもあるし! ……足場は、全然硬いけど」

 それ途中でぶつかったらまずいんじゃ。

 やるべきことは分かってる。私も鳴島先輩が歩んだように、数メートル先の足場群をブランチ・スクリプトでスムーズに移動できるようになるのが理想。

 まず普通の跳躍じゃ無理だ。下っていくくらいならどうにか出来そう距離だけど、それは跳ぶではなく落ちると行った方が良いし、十メートル分落ちていくのは流石に何処かでミスしかねない。落下先が足場を繋ぐ棒なら、そのまま打ち付ける可能性だって充分ある。

 やらない理由がこれでもかと湧くとんでもない訓練室に、思わず足踏みしてしまう。

「因みに、どういう意図なんですか、ここって」

「オレが入学した時にはあったから分かんないけど、鬼は跳んで昇れるし、羽根持ってる人の飛行訓練とかにもなってるし、ここで模擬戦する人もいるよ。オレはもうあんまりやりたくないけどね」

 纏めると、常人向けではない、と。いや異種族を常人ではないと主張したいわけじゃなくね。

 決心の一声が喉に詰まる。啖呵を切るのには慣れていると思っていたのに。

 危険をただの通り道にする備えなんて、今までしてこなかったから。

「手本、見せるね」

 顔を上げた。それでようやく、自分が俯いていたことを知った。

 鳴島先輩は返答も聞かず、足場から身を投げる。

 途端に炸裂するのは電撃。先輩が稲光を纏って落ちていく。横合いの足場に届きはしない、踏み切りは十全、阻むのは身体機能の限界。彼の身体は落ちていく。

 突如先輩から黄電が閃く。続き、ガントレットからまっすぐ放たれたのは映像でも見たあのワイヤーだろう、電気を帯びて先輩の斜め上に伸びていった。

 ワイヤーは繰り出した足場に勢いよく巻き付き、鳴島先輩は速度を落とさぬまま振り子運動で突っ込んだ。

 勢いが強すぎる。ワイヤーも長い、あれでは壁へ衝突してしまう。

 ぶつかる――息を呑み、手を伸ばした先で、放電は沈黙した。

 まさに電池が切れたかのように、ワイヤーがふっと離れる。描き途中だった弧は間延びしていき、一度は高く昇りかけた鳴島先輩の高度が落ちる。向かう先は、ワイヤーを掛けた足場より先にあり、尚且つ下の方にある足場。

 ダン、と力強い着地の音。無事に跳んだ先輩は見事力の流れを殺し切って、丸い足場に立っている。

 私の斜め下にいる鳴島先輩とは直線距離でも中々遠い。軽く見上げて鳴島先輩が道中に巻き付けた棒を見てみるが、幾つもある白い棒付きキャンディで、既に何処に引っ掛けたか分からなくなってしまう。ただ、私と鳴島先輩が着地した足場、どちらからもあまり変わらない距離――つまり中間くらいにあったとは思う。

 同じだ。

 土内さんに中継の種子を打ったように。そして初めてブランチ・スクリプトを使った時のように。

 事前に何処でワイヤー機動をするかがハッキリしているからこそ、自然体で鳴島先輩は数メートルを易々渡れたのだ。

 達成感なんてないように、鳴島先輩はすぐ私の方へ身体を振り返らせた。

「もう一回!」

 声が少し反響する。再び放電する鳴島先輩はガントレットから垂れた紐をさっきよりも短く取って、私ではない何処かを見上げた。思わず視線を追いそうになるが、見逃してはならないと強く警告する意識がそれを引き留めた。

 ウィングスパンでギリギリの足場で、ささやかな助走から勢い盛んな跳躍を繰り出した。

 今度も斜め上にワイヤーを引っ掛け、慣性でこちらに近付く。飛び乗るであろう何処かを目端で探しながら、先輩の動きに注目する。

 勢いが生きているギリギリまで、先輩はワイヤーを離さない。そしてそのまま、まさしく振り子のように戻って行ってしまった。失敗か? と胸に過ぎった時、彼の右腕に力が入ったのが分かった。

 次の瞬間、ワイヤーは私と遠のく形で、先輩の上の足場に放たれた。一度勢いを増した鳴島先輩の運動は今までの速度を超過して、今度こそ壁にぶつかりそうになる。

 ワイヤーを掛け直した時に体勢を変えた先輩は、きっと壁にぶち当たることはないのだろうと予感を思わせてくれる。

 期待を裏切らず。先輩は勢いのまま――壁を走った。

「え……」

 環境の一助があれど、重力に逆らう人の動きは驚きを隠せるものではない。間近で見るには、突然見るにはダイナミックすぎる。

 数歩天井へ走った先輩は、落ちる前に身体の向きを真下へ変える。そして重力を振り切るように、両脚で壁から発った。

 いつの間にか長々と伸びていた、黄電帯びるワイヤーは、最も高い位置にある足場を繋ぐ棒に放たれた。

 無事に巻き付き、端から端までを躍動する迅雷。

 刹那の道中に鳴島先輩を阻む足場があったものの、身体を矢に見立てて足場の上を通り過ぎる。

 けれど、先輩の身体が思い通りに動いても、ワイヤーはそうもいかなかった。無数に生え並ぶ足場の数々、ワイヤーの軌道を妨げる足場がグイと先輩の身体を引き留め、鋭角に持ち上げる。

 一気に勢いは削がれ、このまま戻れば躱した足場に背面を打ち付ける形になってしまう。

 拳を強く握る。私の能力なら支えになるかもしれない。でも、私はかの迅雷に割り込めるか。

 信じて眺めるしかない。

 降下が始まる頃、先輩の放電が止む。それと連動して、巻き付いていたワイヤーがするりと抜け始めた。

 その動作に迷いはなかった。

 自動で巻き取られるワイヤーは微調整ほどに短くなり、今度は下から掬い上げる形で放たれる。それは遂に端の足場へ巻き付き、間髪入れず身体を滑り込ませた。

 鳴島先輩は見事、端から端までをワイヤー機動で辿ってみせた。

「危ないからちょっと下がっておいて!」

 先輩は見下ろしながら言った。過程を見れないのは残念だけど、待機室の方へ退いておく。掛け声が聞こえてから数秒後、再び力強い音を立てて先輩は戻ってきた。

 パシンッとワイヤーがガントレットに巻き付いて、雷電は残響を置いて去る。

 前屈みで息を吐く先輩が纏う雰囲気は、所謂残心みたく、自分の本能を丁寧に鞘へ収めるようだった。

 もう一度、今度は軽く息を吐いて、背筋を伸ばして私を見た。その表情は懐っこい明るさを取り戻していた。彼は流れるように言う。

「椛野さんなら、もっと簡単に出来ると思う」

 ひとまず言葉を飲み込んだ。そして極めて冷静に、加えて至極真っ当であろう言葉を用いる。

「買い被りすぎです」

「あぁいや……うんまぁ、正直すぐに出来たら、オレもちょっと自信無くすかも」

 筋肉の緩んだ笑みで、先輩は続けた。

「ただ、出来るとは思うんだよね。椛野さんのブランチ・スクリプトって要は、オレがワイヤーを使った足場を、自分で自由に出せるってことなんだから」

 言葉一つ一つに感情を込めた言い方だった。

 買い被りとは言ったけれど、それはやらないって意味じゃない。

「……勿論、出来るようになります」

 彼は、ハッキリと口角を上げた。

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