白夜と藍嵐   作:凍星 奏雨

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【登場人物】
椛野  穂咲(かばの・ほざき)
……赤毛の少女
真代坂 仁子(ましろざか・にこ)
……階調髪の少女
仙慈  寿人(せんじ・ひさと)
……目隠れの少年

朽羽  那由多(くちば・なゆた)
……三つ編みの少年

星久里 巡子(ほしくり・じゅんこ)
……繰り言の女
〈月〉の能力者
……金髪の女性


第四話 極彩

 軋む木製の床を愉しそうに歩む女性が一人、退廃的な教室を吟味しながら鼻歌を鳴らしている。

 そんな彼女の三歩後ろ、羽虫も飛ぶような埃くさい環境で何をそんなにご機嫌なのか、理解が出来ないと言わんばかりに顔をしかめて男性がついて行く。女性は純白の吊り目の焦点を、目の先にある空間へ合わせた。

「楽観しちゃう程楽しい気分だゼ、こりゃさながら楽屋みたいなもんだロ?」

「よく分からんな」

「ははー、ウチの本懐は本みたいな物語を本物にしてやることサ。役者ロールプレイはもう始まってるってことヨ」

 小言すらも喜んでしまうのだろう眼前の女性に、ため息一つ寄越して押し黙る。そんな様子に目線もくれず突き進んで、彼女は(ひら)けた部屋へ辿り着いた。あくまで彼女らが歩んでいた廊下と比べてであり、全長二十メートルもない荒れた部屋は然してこの建物の最も広い空間だった。

「やぁやぁ! やかましいやつがやんごとなき君らをやむなく助けにきたゼ!」

「んん、声量を落としてくれないかな。寝不足なんだ」

 右手を大きく振って繰り言の女性は辺りにアピールする。彼女らを待ち受けるのは金髪の女性、蜥蜴じみた男性、白手袋の男性だった。五人揃えば部屋を象る木々が逆立ってようと、何かを決起するのに充分な空気が流れる。

 しかしこの場で活力のある者は目に見えて口数の多い女性、星久里(ほしくり)巡子(じゅんこ)ただ一人。背後に追随する男性は彼女に辟易しており、他三人は既に別件で疲弊済だ。そんな中でも代表し、星久里を諫めた金髪の女性が進める。

「うちのがまだ戻ってないけど、まぁいい、後で私から伝えよう。先日の月桜(げつおう)墜とし、結構悪くなかったよ」

「へぇ、屁理屈こねてへりくだると思ってたのに平気そうな出だしじゃないノ。誰一人死んでないのによく平然と言うね」

 自然の香りに包まれ日光がよく入る空間に、悪しき空気が渦巻いた。

 挑発めいた相槌を物ともせず、金髪の女性は頬を緩める。彼女──〈月〉の能力者は噛み締めるように想起する、白昼の下行われた月桜学園新入生の襲撃の記憶を。

「そういうのはもう少し後でいいんだ。ひよっこの確認が出来ただけで充分。こっちの子達は本番でも問題なかったし、向こうの子らはあんまりだ。良さげなのは二人程度だね」

「どんな奴らだ」

 星久里の付き人が後者について聞き出す。茶々を入れられる前に話し合いを円滑にさせんとする意志が届いて、進行役の機嫌が直っていく。

「一人は治癒能力の男の子、周りを落ち着かせて上手くいなされちゃった。顔も良かったけど、ロン毛は趣味じゃないんだよねー。次、多分こっちは上物。赤毛の女の子で、木の枝を出して操る能力者」

「強そうには聞こえんな」

「実際うちの子に負けてたよ。けど、あれはほっとくとまずいね、命を蔑ろに出来る動きだった。力を付けると厄介だよ」

 星久里の口角が吊り上がる。恍惚めいた様子で声高らかに場の空気を持っていった。

「素晴らしい事じゃないカ! 素直に素人の間にやろうなんて勿体ない!」

「ちょっと、月桜墜としは貴女の案だろう。若芽を摘む事はあっても、悠々と見逃す手はないよ」

 高ぶりを諫めようにも聞く耳を持たない様子に、諦めた金髪の女性が慣れた調子で窓の外に関心を向け始める。こうなると会議はグダついてしょうがない、ぼやくついでに壁へ姿勢を預けた。

「はぁ、全く。……入学式が終わった頃かな。手を出せないのがもどがぎゅっ!」

 寄りかかった木の板が粉々に割れ、無様に倒れ込む。土煙に包まれた姿を四者一様に笑うのだった。

「──全くっ、私は廃校を拠点にするのはナンセンスだと言ったからな! 聞いているのかい星久里!」

 

 

 休憩スペースと思わしき空間を抜けていく。やはり幹部がいるからか、周囲の隊員から視線を感じる。「丁度いい」と戦いを見学する気の朽羽(くちば)先輩の案内に従って進む最中、私と仙慈(せんじ)君の口は開かなかった。

 このまま目的地まで静かなのだろうと思った矢先、口数の少ない金時(きんとき)君が口火を切る。

「しかし残念です。椛野(かばの)さんとも仙慈さんとも戦って見たかった。というより、折角所属したからには誰でもいいから戦いたいのですが」

 山なりの瞼からイメージと違う好戦的な言葉が飛び出してきた。丁寧な敬語と温和な応対からして、てっきり優しさから戦闘のモチベーションが来ているのだと思っていたが、実はこの場の誰よりも戦い自体に意味を見出しているのかもしれない。

 首だけ振り返り、先輩が独り言とも言える発言を拾う。

「じゃあ、二人が終わったら相手しようか」

「おや、それは僥倖。是非に」

 私と仙慈君の間で緊張感が共有される。当事者二人の気楽さに流されてしまいそうだったが、つまりは幹部の力が見られるという事でもある。現銀狼隊最上位層の力が。

「支援部なのに戦うの?」

 真代(ましろ)が興味深そうに問う。尾を揺らめかせて出てきた疑問は案外バカに出来ない内容だ。何せ元々支援部の管轄だと自らを称していた。

「うん。なんなら、今本部にいる隊員の中で一番強いよ。多分ね」

「おぉー」

 気の抜けた相槌が余りにも不相応すぎる。この感想は隣に立つ少年も同じく抱いたようで、眉を上げて驚きを隠さずに口を開く。

「失礼を承知で挟みますが、それは隊長を凌駕してという意味で解釈して構いませんか」

「少し語弊がある。今の銀狼隊に隊長は居ないから。さて、着いたよ」

 言葉は固く、誰かを責める意図が滲んでいるような気がした。

 際限なく湧き出る疑問だが、先輩は質問の余地を与えずに自動扉の先へ進む。これ以上掘り下げれば戦いの雑念になると思い、閉口したまま着いて行った。

 白ばかりの部屋は無機質という言葉がこれ以上なく似合う。部屋は二つの空間に分かれており、足を踏み入れる事になる手前の空間にはベンチやロッカーが置いてある。ガラス張りの壁を通した先には何もない、壁自体が光を発しているのか天井も平らだ。

 先輩が荷物をベンチ付近に置くよう指示すると、そのままロッカー方面へ歩く。

「君らは武器使う?」

 そう言って見せてくるのは、大小様々な木剣や拳銃が入った中身だった。拳銃は流石にエアガン的なものだろうか。

 生憎武器の扱いは学んでいない、首を横に振って仙慈君の様子を見た。

「検討はしてますが、この戦いでは身一つで望むつもりです」

「そう。じゃあ私らはここで見てるから、好きに始めちゃって」

「頑張ってね、穂咲(ほざき)ちゃん」

 軽々しく言い切ってベンチに腰を掛ける先輩。足を組んで試すような姿に嫌な緊張を覚え、目を背けるように仙慈君へ目を合わせた。互いに言葉を必要とせず頷き、奥の空間へ進む。真代にカッコ悪いところを見せられないという見栄の感情も抱きながら。

 正方形の横幅は大体五十メートルくらいだろうか、狭くはないが広すぎもしない。間合のやり取りを組み込んで戦える丁度良さがある。天井は五、六メートル程、全体的に好印象な広さだ。

 距離を離して適当に示し合わせようと、目隠れの少年から距離を取ろうとする。しかし私の考えとは裏腹に彼は足早にこちらへ寄って来た。身体が強張り、騙し討ちなどが脳裏に過ぎるものの、先輩が見ている前でそんな事はしないだろうと止まってみる。

 彼は私の正面に立ち、右手を差し出した。意図を測りかねて彼の瞳を伺う。

「僕は君に対抗心を向けているが、それ以上に敬意もあるんだ。断じて貶める気はない。誠心誠意戦うと誓おう」

 思いも寄らぬ言葉の羅列。不敵な笑みは、裏を返すと大胆さを表していると思う。きっと彼のそれには謀り事もなく、代わりに自信と余裕が詰め込まれているのだと感じ取った。

 気負いなんて以ての外、私は感じ取った全てを跳ね返すように笑う。

「分かった、私も誓うよ。勝っても負けても、恨みっこ無しね」

 力強く握る。男の子にしては綺麗な手触りだが、並々ならぬ意志が通じてきた。

「軽く伝えておくよ、僕の能力」

 距離を開けながら彼は呟く。シャツの胸ポケットから当たり前のようにコインが出てきたことに意識が向くが、フェアプレーを心掛ける彼に傾聴しようと頭を振った。

「僕の能力は条件があってね、満たした相手に作用する物体を出現させ、操る。君が出来た人間で良かったよ、その条件はね──」

 笑いに混じる皮肉、怪訝な顔を浮かべた私に構わず彼は右手に自分の髪を乗せた。めくるように、隠された彼の右眼が露わになる。

 そこに描かれたのは、極彩色の瞳。

()()()を見た時間、だ。目を見て話してくれて感謝するよ!」

 歯を見せて高らかに叫ぶと同時に、左手に持ったコインを放り投げた。思考する猶予は僅か、感情を抑えて落下を待ちわびる。

 推察は後で良い。まずは先手を取って流れを作る、能力者との戦闘の鉄則は相手に対応させることだ。

 彼の体格や手付き、至近戦闘は考慮されていないように思う。能力は物体操作、私と似たものと考えれば充分勝機がある戦闘。能力のタネはひとまず度外視、間合を詰めて即決める!

 コインと床が奏でる音に弾かれ、私は駆け出す。正面最短距離、私の速さなら逃げを許さないはずだ。

「はぁぁぁ!」

 飛び上がり、右足を横に振り抜く。身体の向きから力の流れ、隅々までをこの一撃に賭した飛び蹴りを情け容赦なく繰り出そう。加減は無し、これで決めてやる。

 腹にめり込む硬質に、息を奪われる。忽然と現れたそれは形容しがたい。特徴だけ挙げるならば、極彩色の板、だろうか。

 接触した極彩が動きを得て、私が地に落ちるより早く撥ね飛ばす。

「い、まのは」

「〈万華の右眼〉の前に、敵はないのさ」

 傲慢に笑う仙慈君の目を、どうしてか完膚なきまでに叩き潰してやりたいと思ってしまう。

 

 組んだ足に肘を乗せ、頬杖をついた朽羽が笑う。愉快そうに身を前傾させて初撃のやり取りを分析していく。

「固有物質系の能力か。良いものを持ってるね、彼」

 ステンドガラスのような煌きを放つ物体が椛野と仙慈の間で回遊している。その仕組み、状況は外部からの目でようやく正確な理解が出来るものだった。故に能力の解説を後回しにした少年の判断に合点がいく。

 仙慈寿人(ひさと)を中心にして、白く発光する正円の細線が浮かんでいる。それ自体に直接的な働きはないのだろう、椛野が身体を重ねようと影響がある素振りは見せない。レーザーポインターのように、指標でしかないと朽羽は見る。

 能力の本命は、白線の内側で巡る極彩色の物体である。線と並ぶ位置関係で、減速と加速を繰り返し椛野の動きを捌いている。

 椛野の劣勢に真代がつまらなそうな口調で零す。

「なにあれー」

「仙慈君を中心にした、いわば衛星軌道かな。彼が動くと白い円も動き、それに基づいてあの板も動いている。加えて逆戻りはしないらしいね、わざわざ加速させて椛野さんを追い払っている」

「んー? えっと、時計回りする物を周りに出すだけって事?」

 どうだろうね、と朽羽は行く先を推測する。少年の見せる余裕そうな表情から察するに、それだけで留まる性能とは思えなかったのだ。

 その認識は間違いではない。仙慈のギアが上がる。案内中に交わした視線こそが能力を使役するエネルギーとして計算される、展開時間に加え、能力の出力を上げる為にもそれは使われていった。

 

 私達を囲う円と同じ高さで板が動いている。仙慈君に合わせて上下するけれど、それはつまり極端な移動はないということだ。跳躍で越せる高さじゃなくとも、前のめりの中腰姿勢で駆け抜ける事は出来る。

「柔らかいな、まるでしなやかな動物だ」

「そっちは余裕そうだね、ほんと」

 地面へ手を付き見上げる。すぐそこに仙慈君の身体があるが、前傾のまま転ばぬよう支えてしまった為に勢いは落ちた。四足歩行? 無茶な、それじゃあ次の手もない。

 彼は幾度かも分からない後退を目論む、この状況なら距離を離し、戻ってくる極彩で迎撃できると踏んでいるんだろう。

 だが、彼の背中は私の能力の射程圏内だ。

「くっ?!」

 彼の身体が反る。仙慈君のすぐ後ろに出した種子が望まぬ支えとなり、思うように後退出来なかったのだ。

 板はやり過ごし、距離は詰まったまま。これなら入る。

「慢心したね」

 両手を支点に、残った慣性で身体を捻る。そのまま逆立ちの要領で腕に力を込め、地面から身体を突き放した。伸ばした足は確かに、仙慈君の顎をモロに打撃した。

「スカートだろうっ、君……!」

「何気にしてんのバカ!」

 種子に沿って倒れ込む間際、彼が受け身を取りながら変な事を宣うもので攻め手を止めてしまう。短パンを履いてるから問題はない、全くもって一切ない。

 足が止まったところを衛星軌道の板が襲い掛かってくる。受け止めて叩き割ったりとかはできず、どうにもその動きは阻害出来ないようだった、体勢を整える為に一旦距離を取って躱す。

 地面を離すのと蹴り上げるタイミングが合わなかったか、彼は未だ戦闘態勢を取れるらしい。細く吐いた息から無意識な侮りが抜けていくように見えた。

「能力の扱いが苦手かい?」

 動き出す私の身体が、核心の言葉に止められる。呆けた顔だろう私を見て、彼は口角を上げる。

 しまった、ハッタリやカマ掛けの類、いかにもじゃないか。

「万華鏡が一辺倒は寂しいだろう」

 彼の右眼が極彩色に光る。髪をかき分けて瞬いた時、私の視界がひっくり返った。

「つぅっ!?」

 次の瞬間には私の身体が横転した。足元が文字通り掬われて、即ちひっくり返ったのは身体ごとらしい。あの衛星軌道に踏み込んではいなかったはずだ、そもそも肩くらいの高さで周回している物にぶつかっても足元から転びはしないだろう。辺りを見渡せば理由は明らかとなった。

 二つ目の円が、縦に現れている。

 急いで身体を後ろに転がし全貌を見る。そこには確かに、私の足へ襲い掛かる軌道で巡る二つ目の極彩があった。

「仙慈君の身体が中心じゃないといけないんじゃ、まさかブラフ?」 

 初めに展開された白い円は仙慈君が中心になるように動いていた。けれど私の身体と平行になるように現れた二つ目の円に仙慈君が楔となっている様子はない。睨み合っているうちに二つ目の円が消える、だしっぱにする必要はないのは確かだ。

 これ以上は本格的に探りが必要だろう。向こうも近付くのはリスクがある、肉弾戦においては私の方が勝っているのはお互いの共通見解だ。猶予はあると見込み、私の両脇から種子を展開、二本の枝木で仙慈君を絡め取りに行く。

 

 背を壁に預け朽羽は溜息を放つ。単に膠着状態と見て気を抜いたものだ。

「躱す度に円は動いている、相当な能力精度って訳じゃないならやっぱり中心点には仙慈君がいないといけないんだろうね」

「でしたら、椛野さんを転ばしたものはどう説明致しますか?」

 顎に手を当て、視線を戦闘に向けながら金時が問う。朽羽の瞼が鋭く薄まり、やがて結論を出した。

「軸にするものの条件がピーキーなんだ」

「と、いいますと」

「仙慈君の右眼が中心なんだ。そこに縦横の軸は関係ない。多分だけどね」

 目を凝らし、やがて首を傾げる真代を尻目に金時がその思考を追う。

 結論からして朽羽の観察眼は紛れもなく本物であった。

 横に展開した円の中心は仙慈の右半身へ寄っており、縦向きに出した円も照らし合わせれば仙慈の右眼が中心となる。〈万華の右眼〉とは詮ずるに、彼の眼を中心とした円を周囲任意の座標へ展開、その中で極彩色の破片を回す能力だ。椛野の種子より多くの制約で成り立つ絶対軌道の衛星、その回遊は原則ただ一つの条件を除いて止められる事はない。

「膠着した今の内に君の事を聞いておこうか、金時君」

「失礼、忘れていましたね。金時射弦(いづる)、人間です。戦闘部にて前線を所望した次第」

「能力はどう? 無いなら無いで、出来ることとか」

 問われて黙している金時に疑問の目を向ける二人、思考時間は短く、次第に口を開いた。

「耳をお貸しいただけますか」

「えー、私も聞いてみたい」

 手で制した朽羽が耳を寄せる。伝えられた言葉を噛み砕くのに、そう時間を要さなかった。

 真代には見えない()()()()()の目が、まっすぐ金時を撃ち抜く。けれど揺らぐことなく、金時は微笑むのみだった。少女のつまらない思いを察し、朽羽は二枚の紙とペンを取り出す。子供をあやすために与えるものではなく、事前に用意していた入隊届である。

「ま、いいや。真代坂(ましろざか)さんは書いといて」

「用意周到だ。はぁい」

 再び変化を見せる戦況へ目を向ける中、朽羽は呟く。自己満足な独り言でありつつも、それは確かに金時へ向けられた思いだった。

「その生き方は大変だろうし、後悔もするだろうね」

「存じていますとも」

 雑念はそれっきり。仙慈の極彩と椛野の枝木が相克し、消滅した事で状況は動き、場の意識は研ぎ澄まされていく。

 

「消え……?!」

「おっと」

 非力ながらに機敏な動きをする仙慈君を縛るべく放った枝木が彼の能力物質にかち合う。何かにぶつかることで減速する様子がない衛星軌道だ、恐らくは叩き割られてしまうのだという想像は大きく裏切られる。

 周囲の白線共々、種子ごと全ての能力の痕跡が消え去った。

 仮説は幾つか。確かめるより先に駆け出していた。この機は逃せない。

 再び衛星を展開されるが、同じく種子を出現させる。常に虹色が動く物体と比べなんと無骨な能力か、でもこの場ではこれでいい。地味で無骨で、だからこそ足元に出現した種子に気付かないだろうから。

 大きく地を弾いて飛び上がり、捻り飛び蹴りを構える。最初と違うのは、推進力を受けている事だろう。

 愕然とした顔が見える。まるで私が、君の笑顔を横取りしたみたいじゃないか。

 二つの種子は二人の足元に出現した。一つは仙慈君の片足に巻き付き、もう一つは。

「踏み台にッ」

「ようやく笑みが剥がれたね!」

 種子から伸びた枝木が運び、跳躍は仙慈君の頭上まで及ぶ高さに到達する。即興だ、枝木に乗る練習なんてしたこともない。おかげで踏み込みは浅いものの、高さはそれ以上のアドバンテージを誇る。

 振り抜いた足が清々しい音を立てて頭を打つ。彼の軸足を抑えた樹木が倒れる事を許さない、着地する寸前にシャツの背中を握り、枝木を消滅させた。

 思っていた通り、彼の体重なら浮かして叩き付けられる。

「はぁぁぁ!」

「まだだ!」

 脇腹に衝撃を受け、手が離れる。吹き飛ばされるような感覚がないという事は彼自身の打撃だろう、大方肘撃ちか。間合を詰めたまま振り返り、相対する。

 ふらついた足に荒い息、だというのに油断をさせてくれないのだから、彼の笑みが持つ力は計り知れない。

「バテバテじゃん」

「おかげさまでね、けど、踏ん切りがついたよ」

 なんの、と開きかけた口が閉まる。彼の背後数メートルに奥行きのある白線が幾つも展開された。

「これが僕の、万華たる所以さ!」

 極彩色の嵐が巻き起こる。彼を中心にして捉えきれない数の能力物質が一斉に輪転し始めた。彼の言う事が本当なら今まで節約するように円の数を絞っていたのだろう。この規模からして恐らく、時間制限はぐっと短くなったはずだ。

 円の奥行きは多様で、つまるところ即座に私へ襲い掛かる軌道のものは少ない。足元にも意識しながら、少数のそれらにアタリを付けて軌道上に種子を出す。

 やはりだ。勢いに関わらず、能力に接触した極彩は消滅する。一度当たれば連鎖的にぶつかってしまう包囲網だが、これなら捌き続けて粘り勝てる──

「それで勝てるつもりかい!」

 忙しなく動かす視線が釘付けにされる。彼が見せる迫真の表情、そして備え付けられた拳に。それは迷いなく私の顔へ放たれた。

 完全に不意を突かれ、躱しきれずにやむなく受け止める。気迫とは比べるまでもない威力だが、彼が移動する事で衛星軌道の座標が変わった。今も私達の背後で周回する千変万化の色彩を思うと軽率に移動は出来ないが、彼も自分にぶつかるような軌道は出せない。場は取っ組み合いの状態で膠着する。

「力比べで勝てるつもり?」

「知恵比べなら勝てるかもね」

 現状が頭脳戦だと錯覚させるためのハッタリだ。拳を受け止めた左手に力を込め、彼のもう片方の腕を捕まえる。右足で彼の足を踏みつけ、身動きを封じてみせた。

 苦悶の声に耳を貸さず、彼の背後に出した枝木が身体を巻き取っていった。胴を締め付ける枝木はギリギリと音を立て、勝色が濃くなる感覚がした。肺が絞まれば力も弱まり、能力を展開する集中力も切れるはずだろうと目論む。

 途端、腕が吸い寄せられる。彼の拳を固く握っていた事、枝がむしろ仙慈君の身体を支えてしまった事が仇となった。血気に満ちた彼の目、色とりどりな万華鏡の眼が迫る。

「ハアァァッ!」

 頭に鮮烈な痛みが走った。思わず後退した私を百花繚乱が襲う、身体が渦中へ放り込まれた感覚、痛み逐一拾う暇さえない。

 怒涛の乱撃にたまらず身体が投げ飛ばされる。おかげで全ての円の射程圏外に移動出来たが、痛む全身に乱調する視界。彼の様子を伺うだけで精一杯だった。

 彼は空いた手で自分の額を抑え、間もなく極彩色の乱流が消滅した。

 今がチャンスだと心臓が叫ぶ。応えようとする足はピクりとも動かず、拳はその場で握り締めるのが限度。

「くっそ……!」

 暗転する視界、せめて彼より長く意識を保っていたいと願うばかりだった。

 

「これって、引き分けになるのかな」

「二人の能力が意識の有無に関係するなら、長く枝が残った椛野さんの勝ちだ。些細だけどね」

 顛末を見届けた朽羽がベンチから立ち上がり、ガラスの向こうの少年少女へ歩み寄る。その胸には小躍りしそうな喜びがあった。両者は粗く半人前だ、しかしそう断ずるには憚る程の激闘が確かに繰り広げられていた。

 あの万華鏡が如き虹色の嵐を掻い潜る隊員はどれほどいるだろうか。

 あの肉弾戦で見せたセンスに比類する隊員はどれほどいるだろうか。

 幹部は思う。確かに彼女らは、この隊の中で一握りになれる逸材だと。

 二人を抱き上げ撤収する最中、鼓膜に弱々しくも届く声があった。その気配に耳を澄まし、次第に笑う。

「まだ、私は」「僕はまだ……」

 返事をしようにも返答はない。それは夢うつつに発せられた勝利への執念だった。

 勝者は椛野穂咲と仙慈寿人の両者、朽羽は太鼓判を押してやりたい思いだった。立場的にも二人を真に尊重する為にも叶わぬ願いなのが口惜しい。であれば今後も安心してしのぎを削れるよう、暖かなベッドで包むくらいが唯一の労いになるだろう。

「ごめんね金時君、先に運ぶのを手伝ってくれ」

「お安い御用です」

 そうして五人は訓練室を出る。激闘に触発された者、感化され気疲れした者、それぞれがこの戦いを記憶に刻みながら。

 医務室の一部屋に二人を寝かせ、少年らは息を吐く。力の入らない人間を運ぶのは骨が折れるものだが、朽羽も金時も消耗した様子は見せない。むしろ二人の荷物を運んだ真代の方が疲れていた、というのに彼女もだんまりで、医務室相応に静寂が流れた。

 感情の衝突を見て、真代はいまいち普段の調子が出ていない。どのような感想を述べたらいいのかてんで思い付かない様子だ。取り急ぎ言えるのは感動から来るものではないということ。むしろその逆、何も懸かっていないのに激闘を繰り広げた彼らが理解出来ないでいる。

 その結果が思いつめているように見える表情であり、朽羽は少し外れた気遣いを提言した。

「二人の事はよろしくね、私らは戻るよ」

「んー、はぁい」

 煮え切らない返事に笑いながら扉へ手を掛ける寸前、勢いよくそれは開かれた。

 現れたのは小柄な体格の少年。支援部に属している彼は焦った様子で冷汗を垂らし、早速言葉を畳みかける。

「朽羽先輩ッ」

「ちょっと、ここ医務室だから静かに──」

「〈月〉の女の情報です! 木塚(こづか)街で、他数名の能力者と行動しているのが確認されました!」

 不機嫌に曇る朽羽の表情。気遣いに欠けた少年もそうだが、それ以上に胸をざわつかせる報告内容が彼の胸でリフレインしている。

 露骨な溜め息に肩を持ち上げる少年だが、そんな心境露知らず、気の毒そうな顔を作って金時に振り向いた。

「悪いね、模擬戦はまた今度だ」

「…………そうですか」

 医務室の空気が灰色に捻じれていく。暗雲のように思える雰囲気を少しでも払えるようにと、金時へ代案を持ちかけた。

「その代わり、今から行く現地調査に着いてきても構わない。君の思う前線とは違うかもしれないが、戦闘が起こる可能性もある」

「先輩!? 今日入隊なのにそれは」

「そろそろ本当に声量落とそうよ、じゃないと」

 朽羽は言いかけた言葉を呑み、ベッドで動く二人を見た後少年を睨んだ。懸念は的中し、鈍重に身体を起こす赤毛の少女と目隠れの少年。

「それ、私達も」

「行かせて貰えませんか」

「お待たせー、一年坊の初治療(ハジメテ)をいただきにきたよー」

 最悪なタイミングで現れた医療部隊員に、最早朽羽は苦笑するしかなかった。今更治療するなと追い返す訳にもいかず、かといって復帰した二人の頼みを無下にして金時だけ連れていく事も躊躇われる。

 絶妙な空間に来てしまったらしいと察した医療部の少女は無音で場を離れるが、覚悟を決めた幹部がそれを制した。自分の三つ編みを指で遊び、この場にいる一年生へ告げる。

「面倒くさくなってきた、この際だ。私が同行する限りどうにかなるだろうし、皆来るといいよ」

 一年四人、口元に多様な弧月が浮かぶ。共通していたのは、初任務という響きが持つ待望の成就だった。

 辞退する声はない。勝ち星が未だ掴めていないと歯噛みする少女、実践が未だやってこないと嘆く少年、自分の感情の輪郭を探す少女、闘志が空振り続けた少年、その全てに応える月が今宵昇ろうとしている。

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