――月桜学園・一年
椛野 穂咲(かばの・ほざき)
……赤毛の少女〈種子〉
辻 誠也(つじ・せいや)
……青鱗の少年《竜人》
仙慈 寿人(せんじ・ひさと)
……目隠れの少年〈万華の右眼〉
金時 射弦(きんとき・いづる)
……白髪の少年《剣士》
――月桜学園・二年
雉子雨 佐久雲(きじさめ・さくも)
……ゴーグルの少年〈演算〉
彩上 八子(あやがみ・やこ)
……深紅髪の少女
――月桜学園・三年
春秦 命(はるはた・みこと)
……青髪の少女
翌日の月曜日。
宣言通り、先輩方は躊躇いなく埼玉へぶっ飛んだ。重要な用事なんて無い事を見抜かれていた私達も、埼玉にぶっ飛んだ。
打ち合わせの後、朝八時から五人でバスに乗り山を下りる。東京から埼玉まで約一時間弱電車に揺られて、最寄りに着いてからは平凡な街並みを歩いて向かった。
彩上先輩の先導で辿り着いた時には丁度昼前、休日の昼時って住宅地でも良い香りを醸し出してくれる。今はそれが少し憎い。
「えーっと、ここね。ここで間違いないわ」
周りへ言い聞かせるように先輩は言った。
彼女の足取りに迷いはなかった。それだけあって、間違いないとの判断を疑うような理由なんてないはずだけれど、気持ちは分かる。
目の前には塀で囲まれた敷地がある。
……庭園を分かつ石畳の先には和風の家が建っている。大きな庭園は手前側にあって、屋敷の奥行きは測れない。
日差しを受けた瑞々しい緑が、ビビッドな桃色のサツキで飾られている庭。他にも果物の木らしいものが生えてたりするが、時期ではないのだろう、緑一色だ。
人の家があるというより、敷地と言うしかない規模感で在るこの空間が、今回の依頼者の宅らしい。
「んー……」
「どうしました? あやちゃん」
「インターホンが無いのよ」
灰色の塀には荘厳さを帯びた『多喜根』という表札がある。依頼主の苗字に違いない。
しかし郵便受けもインターホンもない。幸い柵は開かれているので、私は歩きながら言った。
「なら家の方でしょうし、お邪魔しましょう」
「本当に肝据わってるわよねぇ……」
「あやちゃんがこっそりビビりなんですよ」
「言うじゃない」
肩に泊まり込みを前提とした荷物を下げて、私は後ろに目配せした。
大丈夫そうなのでインターホンを押す。気の抜けた電子音の呼び出しが、引き戸越しに響いたと分かった。
擦りガラスの引き戸。後から来た彩上先輩が横に並んでもまだ余裕があるくらい、大きな玄関だ。
次第にとんとんとんっと足音が聞こえて、擦りガラスに人の靄が見える。
「どうも、どうも。ご苦労様だね、みんな」
現れたのは、顔に皺を蓄えた白髪の男性。長袖の部屋着から身体の細さも伺える。問題を起こした異種族をたった一人でどうにかする力は、失礼だけれど垣間見えない。
丸眼鏡の奥で剽軽な細目が笑う。
「ひとまず入って、入って」
「あ……お邪魔します」
話が早い。彩上先輩が少し戸惑いながらも家に入り、私達はそれに続いた。
五人の靴が玄関に並んだ。それでも悠々としたスペースがあるのは、ただ大きい以外にも理由がありそうだった。
屋敷で一人過ごす大変さに馳せながら、廊下の突き当たりにある部屋へ案内された。
台所と空間を同じくした居間だ。側面には庭へ続くベランダがある。
ベランダを閉ざしたカーテンから漏れた光は、ローテーブルを囲むように置かれたソファと、少し不釣り合いな二つの座椅子を照らしている。
私達は座るよう促され、自然と女子がソファ、男子が座椅子に落ち着いた。
少し待つと五つのコップが盆に乗って運ばれる。
お茶を入れてもらう間、誰からともなく手伝おうとしたものの、男性はまるで気にも留めずに「いいから、いいから」と用意してくれた。柔和で、何処か声色も跳ねていた。
如何に人助けの組織だろうと余計なお世話のしどころは弁えるのだ。
向こうのもてなしに甘んじよう。
「ありゃ、僕の分忘れちゃったね」
そう言って、彼はドカッとカーペットに座った。
「「「いやいやいや!」」」
流石に余計なお世話のしどころだった。
春秦先輩がもう一杯のお茶を汲む間、私と仙慈君がもう一つの座椅子を取りに動く。初めてお邪魔する家なので、流石に案内はしてもらうけど。
「いやぁ、そろそろ背中も腰も辛いのにねぇ。何やってんだろうねぇ僕ぁ」
「家主を見下ろしながら、話を伺うわけにもいかないので……」
仙慈君が真っ当なことを言う。一瞬成立したあの絵面、明らかに若者による尋問だった……。
静かで広々とした家を歩いて突き当たり、男性は木製の扉を開ける。薄暗く、小さなそこは物置らしかった。物を置くスペースがあるというより、使わない部屋へ雑に物を放り込んだ感じがしている。
そこからもう一つの座椅子を引っこ抜く。来てから気付いたけど、座椅子一つに二人も要らなかった。
手が空くのが気まずいのは仙慈君も同じようで、半ば競争じみた座椅子の受け取りは敗北に終わる。男性が直接男子へ受け渡そうとしたのが敗因だろう。構うまい、面子を立ててやる。
仙慈君を先に行かせ、その後を追う。
通り道の縁側からは涼風が通った。板の軋む音と、何処か作られたような匂いに、知らない懐かしさを浴びていた。
「ああそうだ。
誰だろうと軽く考えてみる間に、仙慈君が一瞬こちらを向いた。
「もしかして、
「うん、そう。まだやってるみたいだねえ」
学年主任とは言え、よく担任でもない先生の下の名前まで覚えてるものだ、まだ一ヶ月なのに。……私も別に忘れていたわけじゃないけど、男性が紫谷先生と知り合いとは思っていなかったのだ。
私は男性を見た。彼の背丈は仙慈君と同じくらいで、視線が並ぶ。
「同級生なんですか?」
「いいや。僕が三年生の時に、彼が一年生だったんだよ」
「へえ……」
一から六ある学校でこの表現は多分使わない。中学か高校が一緒なのかな。
学生時代の紫谷先生には少し興味があったけれど、生憎終点だった。
一つのテーブルが三方の座椅子と一つのソファに囲まれる。
これにて、ようやく本題だ。
「……ええと、改めて。依頼された
「うん、うん。今日はありがとう。それじゃあ……どこから話そうかな」
少し悩んだ後に、多喜根さんは話し始めた。なるほどこれは、お茶の一つもほしくなる。
つい最近のことだったんだよ。
僕の受け持ってるクラスには三人の獣人がいてね。
入学したての時は問題のない子達だったんだけど、丁度四月の真ん中辺りかなぁ、段々と態度が悪くなっていったんだよ。余裕が無いように見えたかな。
時世柄、イジメを真っ先に疑ったんだけど、学内ではそれらしいことも起きてないみたいで、参ってたんだよ。
だから僕、ご家庭に電話して色々聞いてみたんだけど、中学に上がって――ああ、僕は中一の担任だからね。皆進学した前後に夜出かけることが多くなったらしいんだ。
聞いた限りじゃあ、夜遊びってわけなんだけど、行ってる先を教えてもらってる親御さんはいなかった。
机に新聞を広げながら、多喜根さんは喉を唸らせる。
三日前から、標識を折る、信号を割る、そして特筆されているのは線路へ異物が置かれた件。どうやら脱線には至らなかったようだが、確認の為運行に影響が出たことが書かれている。
「学校にも来てなくて、お山の誰も使ってない小屋に、今はいるんだけど」
「対話拒否の構え……でしたね」
「そもそもね、あんまり動いてくれないんだ。警察が。何があるのかって聞いても、忙しいばっかりで。僕も行こうとしたけど、仕事しながらじゃ、山道を行く準備も出来やしない」
概ねが、事前に知らされていた通りの内容だった。
「だから悪いんだけど、皆に話を聞いてあげてほしい。僕じゃぁ、出来っこないみたいなんだ」
自分の腕をさすりながら、多喜根さんは笑って言った。
どんなやり取りがあれば、ここまで寂しく笑うことになるのだろう。
「分かりました。……ここでハッキリと確認を取っておきますね。私達が直接、警察へ引き渡しますか? 話を聞いて、問題の解決へ尽力することに変わりはありません。ですが、その後生徒さんをどうするかについて、今のうちに齟齬の無いようしておかないといけません」
電源が切れたかのように、多喜根さんはストンと沈黙した。
机に広がる新聞から、何か希望を見出そうとしているようにも、忌々しさを黙して隠そうとしているようにも思える。
次第に、彼は言葉を絞り出した。
「今の警察に更生させる意思はないよ。ない」
多喜根さんは、力強く言葉を切った。これ以上の確認は不要そうに思う。
お昼ご飯を貰ってから、私達は貰った部屋に集まった。襖で仕切られた二つの座敷を、女子と男子で分けている。
荷ほどきが終わった頃、男子の部屋に彩上先輩が押しかける形で作戦会議が開始した。
「じゃあ、整理するわよ。学校近くの山にいる
「先輩。警察が動いてないのって多分……」
「ええ。連日のテロでしょうね。やってくれるわホントに……」
稲袋駅での攻撃を皮切りに頻発している、関東県内での黒豹隊による無差別テロ。今回の件と直接的に関係あるとは思えないが、こうもかき乱してくれると余裕ぶった金髪の彼女がより腹立たしくなってくる。
「言っててもしょうがないわ。今日の夕方までには行きたいし、それまでに色々詰めましょう」
「なんで夕方?」と雉子雨先輩。
「はぁ……ま、器損と往来危険罪だし普通に。犯行って言っちゃうけど……真昼のうちからやれるもんじゃないでしょ? それに夜に出歩いてたっていうのも」
「怪しいですよねっ」
「でも、関係ありますか?」
夜に集まっていたのは、作戦会議をしていたからというのは考えられないだろうか。中学生なら携帯を持っていなくても不思議じゃない。
山へ拠点を移した少年少女の動向を考えるのに、夜の足跡が重要となるかは疑わしい。
瞬きを数度して、なんでもなさげに先輩は言う。
「無い事は無いでしょー。何かを示し合わせたいならわざわざ夜じゃなく、放課後夕方に集まればいいんだもの。それに、何度も集まって綿密に企ててると思う? あたしは思わないわよ。だってもれなくバレて、追い込まれてるんだもの」
「それじゃあ、たまたま三人が出歩いていたってことですか?」
「まさか。これが夜までに事を済ませたい理由の一つよ」
あくまで推察だけど、と前置きを挟んで、彩上先輩は目を細めた。
「彼らは黒豹隊と接触している可能性がある」
「……夜じゃないといけなかったのは、人目についてはいけないから。では交通へ干渉する破壊活動も、黒豹隊に嘯かれたから行なっているに過ぎないということでしょうか」
仙慈君の言葉に彼女は首を横へ振る。
「そこまで断言はしないわよ。でも、中学生が拠点を家に移そうと、山に移そうと、黒豹隊の奴らが活動出来る時間帯が変わるわけじゃない。もし繋がりがあるなら、今晩たまたま何もないとは考えない。――先手を打ちに行くわよ」
それからも彩上先輩主導で、作戦を詰めていく。
終わったのは十五時頃だった。いつの間にか部屋に熱がこもっていて、首筋に湿り気を滲ませた頃、春秦先輩は廊下に続く襖を開け放ちに行ってくれた。そのまま廊下と庭とを隔てるガラス戸も開け、空気が入れ替わり始める。
彩上先輩はだらしなくも畳へ大の字となり、溜め息混じりに言った。
「はーぁ終わった。あたしの仕事もう大体終わったわ……」
「僕定期連絡してきますねっ」
「よろしく頼むわ、みこちゃん。……いい!? 次はアンタらだかんね! ちゃんと働きなさいよ!」
「「「…………」」」
「ちょっと!?」
勿論全力で取り組むけれど。
本入隊が掛かっているし、人生を握っているわけだし。……どうしても、気持ちが沈む。
「な、何故僕らだけではなく雉子雨先輩も……」
「いんやぁ俺こういう作戦向いてないッスもん。ねえ?」
「ねえ? じゃないわよ。…………なんか昨日朽羽先輩言ってたけど、あれ幹部級の任務って意味じゃないんだからね? あれは別に、私なら一人で充分って意味の自慢よ、じーまーんっ」
「マジ。じゃあ行けるッスわ」
「調子のいいヤツね……」
「私も、やれることは精一杯やります」
それ以上を息巻くことは出来なかった。
確約出来るものなんて一つもない。結局正しいと思うことを実行するに限るわけだが、それだって分岐点に立った少年少女の手をどこまで引けるかは展望のつかない話だ。
「アンタの負担が大きいのは、仕方ないとはいえ悪いと思ってるわ。でも、身体も言葉も、受け止められるのは穂咲、アンタくらいなものなのよ。頼れるはずの先輩はあんなザマだし」
「(下手な口笛)」
私の役割、私の負担。
普段は自信のほどを捲くし立てる仙慈君がずっと静かなのも、ここにある。
なんてことのない適材適所だ。――前より余裕が出来てる私はそう思うけれど、今の仙慈君は、以前の私なのだと思う。友達に、先輩に支えてもらったおかげで、自分の立っている場所がハッキリとしている私と比べて、今の仙慈君は試験に落ちた事実がその足を縺れさせている。想像だけど、肌で分かるような気がした。
思えばずっと、仙慈君は先回りをしていた。
初めて会った時も、稲袋駅でも、第三試験の前でも。彼は自分の意志で私の前に立ち、挑んできた。それだけじゃない。学校での日常も、真代や房嶋君、金時君に辻君と作られている輪に飛び込んで仙慈君は自分を主張してきた。時折、いや頻繁にそれが煩わしかったりするけれど。
静かになってほしくないとは、思えてしまっている。
嘘偽りなく、彼のことは苦手。挑発的で傲慢で、優れた能力でいながら優劣に拘っていて、会話だって噛み合わないし。
でも。
私が学園で出来た大切な人達に支えられてるのに、今の彼を見過ごすなんてあっちゃいけない。
「仙慈君、ちょっといい?」
「……? ああ、構わないよ」
「三十分後には出られるようにしてなさいよ」
「分かりました」
玄関を通り、何気なく庭を散策してみる。茫々とした土色と、影の落ちた緑の葉。やっぱり花は、入口のサツキぐらいらしい。
昔はもっと違ったのかもしれない。
「そろそろ聞いてもいいかい? 僕にも役目はあるんだ、調子は万全にしておきたい」
「そうね。ごめん」
本当は座れるとよかったけれど、誰かに聞かせたくはなかった。屋敷の外、一周するのにも時間を要する広大な敷地に甘んじて、何もないところで塀の上に浮かぶ茜雲を見つめた。
どう声を掛けたらいいのだろう。ただ気を遣えばいい? 何を悩んでるのか聞き出して、優しくしてあげたらいいの?
私は嫌だ。真代になら、房嶋君、辻君になら肩を預けてもいいと思えるけど、仙慈君にだけはやっぱり嫌だ。
もし、彼も同じ気持ちになるとしたら、私はどう案じれば正しいか。
……。
「――私、期待してるの」
「…………はっ?」
「実働は非戦闘員の春秦先輩と、サポートの雉子雨先輩、そして私達。木塚街では朽羽先輩も金時君もいて、私は私のことだけを考えられた。でも今回は違う、前に出て話を聞く私と、それをサポートする貴方が失敗すれば、そのまま今回の作戦は総崩れ。仕切り直せるかどうかも分からない」
嘘だけは言わない。おだてる言葉なんて絶対に口走ってやらない。
彼は左目を大きく見開いて、口を閉ざしている。如何にも固そうに結ばれたそれを、どうしたら両手でほどけるか。
「最初の共闘から、貴方がどれだけ変わっているのか、それを見てみたい」
《月面の麗人》――木枯銀河を打倒したあの瞬間が仙慈君を信じるに値する。
「私はこの任務に余計なものを背負うつもりはない。貴方はどう、仙慈君」
「……僕は」
鳥が鳴きそうな小さな穴から、短い呼吸が漏れていく。
「僕は君のように強くない。買い被りだ。僕は簡単に、昨日の事実を切り捨てられない」
「切り捨てるなんて心外。私が身軽に見えるなら嬉しいことだけど、別に強いからじゃないの、それは。……これでもやっぱり、いっぱいいっぱいなんだから。あれからブランチ・スクリプトは一度も成功しない、特訓に付き合ってもらった人に八つ当たりして、おまけに試験は落とされた」
それにあれから一言も、師匠と話していない。まだ、話したくもない。
「けど私はやるの。人に支えてもらった以上、やらなくちゃいけないの。余計なものは全て預かって貰ったから。私はやらなくちゃいけないし……貴方が自滅するなら、それは止めないといけない」
「自滅……!? それこそ僕の台詞だ、心外に尽きる! 僕は僕の持つ能力を正しく使って、この任務を成功させるつもりでいるんだ」
「正しく使うって言うなら、先ずは正しく見なさいよ。今ここで奮い立たず、いったいどう勝つつもりだったの? ――私が知っている仙慈寿人は、勝ちに行く為に、自分を信じ切っていたように見えたけれど」
押し付けるように言い放って、私はこの場を後にした。
まっすぐに進む先立つ影、背後からもう一本の影が伸びてくることはなく、木葉が袖触れる音が胸をザワつかせるだけだった。
この一ヶ月で、私達は押し付け合ってきた。闘争心、敵意、期待、どれも交わることなく、一方通行に突き刺し合っていた。
思えば一言も、素直に認め合ったことがない。
私達銀狼隊を乗せて、多喜根さんの車が発進した。時間通り十六時、本来ならまだ教室にいる時間。
車内は重々しい沈黙が通常だった。その中で、幾度も祈るように、多喜根さんが呟いた。
「頼んだよ」
助手席に座る彩上先輩が、その度頷く。
夕景が降るアスファルトはいやに眩しくて、もし今日が楽しい遊びの帰りだったら、箱に入れて大事にしたいような道だった。今はただ、悪意が焦れているようにしか思えない。
幾度の信号を経て、多喜根さんの車はとある敷地に入った。色んなところで覚えのあるそれは、多喜根さんが教鞭を取る中学校なのだろうと察するに余りある。
グラウンドには誰もいない。近辺地区の小学校共々、短縮授業にしていると聞いた。
エンジンの揺れが止まり、皆が車を出る。視界に飛び込む橙色を睨み付けて、先生のクラスが皆仲良く過ごすところを想像した。
「っと……んじゃ」
雉子雨先輩が車からギターケースを取り出す。寮から宅までずっと持っていた、黒く大きなケースだ。
「ええ。屋上から様子見てるから、なんかあったら伝える。……頼んだわよ」
「任せてください」
私、仙慈君、雉子雨先輩、春秦先輩の計四人で、すぐ近くの山に踏み込んだ。
戦う能力のない人を沢山連れていく訳にはいかない。多喜根さんからは強い押しがあったけれど、それでも結局、小屋に向かうのは私達になった。
彩上先輩と多喜根さんには山に近付く人や、逆に出ていく人を監視してもらう。仮に私達と反対の方向へ目標が下山したりしても、屋上から飛ばす技術部産、通常規格ドローンが確認出来る手筈だ。
それでも全方位の監視には程遠い。結局のところ、早く辿り着くに越したことはない。
山道らしいものが見当たらず、ただ感覚を開けて木々の生えた傾斜という印象だった。軽く人目がないのを確認して、いざ進もうとした時、雉子雨先輩が口を開ける。
「そろそろいいッスよね」
「はいっ、大丈夫だと思います」
ギターケースを下ろしてチャックを開けると、そこには剣呑なシルエットが横たわっている。
黒塗りで、グリップや筒がある。思わず銃口から引き金までを舐めるように見て、それを認めた。狙撃銃、真贋は抜きにして、先ず人目に晒してはならないものだ。
ケースは春秦先輩が預かり、雉子雨先輩は額のゴーグルを降ろした。
「基本武装は非殺傷弾ッス。彩上チャンの言う通り、黒豹隊が繋がってるってんなら……その時に、また」
頷いて、私達は山を登った。
誰も使っていない山小屋までそう時間は掛からない。
放課後が始まり、自然と廊下側にある空席へ視線が行った。
朝礼で触れられたことだが、椛野は今日から公欠らしい。理由までは話されなかったが、十中八九銀狼隊の関連だろう。
今日は誕生日だろうに。
……思い違いだったか気になって、メッセージアプリのプロフィールに飛んで確認した次第だ。登校していれば飲み物でも奢ってやろうと思うが、そこは帰ってきた時に労いを兼ね、気軽に渡せると考える。
まぁ、機会があれば。
教室を後にする人の群れ。他人事ではない、オレも委員会の仕事がある。
「休みってなぁ。ただの学校生活より大事なもんがあるなんて、うらやましい限りだぜ」
「ボクなんか前の学校、行きたくても下駄箱すら使えないくらいだったのに……ま、そんな経験ないんでしょうけど。周りの環境がいいから、欲をかくようになるんだろーね」
席を立って、背中越しに聞いたのは二人の生徒の声だった。隣接席にいる二人、皮肉めいたことを言う奴と笑い難いことを言う奴。誰のリアクションも待たず、二人は示し合ったかのように笑った。
まったく、いい環境だ。……本当に。椛野や房嶋に目をかけられた事はオレの人生にとって相当な幸運だろうな。
耳を澄ませばまだ声は聞こえてくるが、実のならない弁明をするほどわざわざ疲れてやる義理はない。黙って教室を後にした。
嫌がらせを受けた事は一度としてないが、こういう言葉はよく増えた。
オレのような日陰者がクラスの中心人物に気に入られてる、受け入れられているのは、あまり穏やかな気持ちにもならないだろう。舌が空回りしないようオレを槍玉にするのが、丁度いいのだろう。
不愉快ではない。異種族には学校という環境がとてつもない逆風なのを知っている。強がりな自覚もひとまずない。ただ少し……目には余るか。
時間が矯正するだろうか? オレはそう思わない。この学園は異能者を受け入れる学び舎なのであって、屈折した異種族を健全な思想へ促す為の施設ではないのだから。
あのニクい台詞も、アイツらの
ただもし直近に問題があるとすれば、月末――体育祭が控えてることくらいか。
茫漠な思考を経て図書室に辿り着く。このまま考えていても業務に何も支障はないだろうけど、切り上げるのには良い機会だ。どうせ心地のいい思考でもない。
図書室の扉を開けると同時に天を仰ぐのが、どうやら癖になっている。
大柄な体格の種族でも問題がないよう、一階ごとの天井が広々とした校舎で、重ねて多階層の図書室。冗談みたいな規模のスペースを余すこともなく、生中な図書館をゆうに越す規模で各地様々な記録を貯蔵している。こんな所、学園に関連した人物しか閲覧出来ないというのはなんらかの支障が発生して然るべきだが、不思議とこの一ヶ月間、何も異常はなさそうに思う。
道程に非生産的な思考へ馳せていた通りなので、こんな図書室の図書委員と言えど仕事は少ない。一般的な図書委員と同じくらいか、むしろそれ以下か、司書に感謝しながら貸出カウンターに構える。
カバンから本を取り出し、なんの躊躇いも覚えず開く。
在籍している間にこの蔵書の何割何分を読破出来るだろうか。逸る気持ちのままにページを捲る。というのも手を付けたからこれを読んでいるだけで、思いの外たわいのない物語なのだ。主人公に起こる裏切りにも一切感慨を覚えず、見流していく。感覚としては調味料の側面を見ているようなものだ。
そんな惰性の読書をしているものだから、ハキハキとした声は否が応でも頭に入ってきた。
二人の少年、一人は聞き覚えのある声だった。
「こんにちは。
「
耳に障らない温和な口調で二人は喋る。図書室における節度を意識したと見せかけて、金時は元々の抑揚がない地声ではあるが。
白竹と呼ばれた方は知らない。姿を盗み見れば、数回廊下ですれ違った記憶がある。別クラスの一年かそこらだろう。
「いえ、粗相を働かれた記憶はありません。私は金時射弦、先日戦闘部として本入隊を果たしました」
「あーあ、そりゃあ合点が行きますわ」
言って、白竹は本を閉じた。奴はテーブルに腰をかけて、ハードカバーの本を読んでいたところらしい。読書中の同級生にも構わず突っ込んでいく金時の度胸は、ここじゃとても美徳とは言えまい。
そんな中でも煩わしさを醸し出さず、白竹は応えた。本を閉じた音の清々しさくらいが精々の抗議だろうか。
「試験が終わったと風の噂、しっかし突っかかられるのが早いもんで。手前の事は、朽羽先輩から聞いたんですかい」
ハネっぽいオレと違ってストレートな髪質の薄茶色に、白い虹彩の少年。この学園では取り立てて不思議でもない人間だった。ともすれば能力者か、そもそも見た目では判別の出来ない異種族という可能性もあろう。
「その認識で構いません。貴方の事を伺う為に彼を尋ねました」
「こりゃ親切に。大人しくしてたつもりですがね、よくも勘づいたもんです。ところで、何用なのかそろそろ尋ねてもいいですかい」
「手合わせ願いたく」
「……へえ、挑発的な人は嫌いじゃありませんぜ」
どうも嬉しそうに口角を上げて、白竹は椅子を引いた。声の通りとは反対に、仕草一つ一つが無音の佇まいだった。
オレは視線を自分の本に落とした。
二人の会話は見咎める程喧しくもないものだった。つい顔を上げたのも、本より興味を惹かれたからで、それ以上の意図はない。
「御免ですが、これよろしゅうお願いします」
言葉遣いに内心で首を傾げながらも、オレは応じた。
本は借りていくらしい。手合わせと言うが、オレは本が無事に帰ってくればそれでいい。
コンピューターを通じて学籍番号と本を記録。本は『サンタ・ムエルテ』……訳の都合か、読みにくさのある、種族的意味の悪魔にフォーカスした文学作品だ。アクの強い作者の倫理観で描かれた、悪魔や、欲望への信仰、甘美なる死と付きまとう死神。ああ、思い出すだけでここ三日間の嫌な事を連想したくなる。
気さくそうに思えたが、これを読みかじった上で借りようとする価値観をしているらしい。あれ冒頭からヤバいだろ。
「どうぞ。二週間経つまでには返してください」
「どうもー。ところで其方さん……辻くん。なしてこの委員会やってるんですかい」
本を受け取ると、白竹は藪から棒に聞いてきた。やっぱり口調妙だよな……。
儚げな白い瞳、優しい声色で覆い隠せない挑戦的な語り口。
なんてことのない雑談と言い聞かせて、オレは首を傾げた。
「……粗相をしたなら申し訳ないが、別のクラスなら関係ないんじゃないか」
「おっと、
ひと呼吸入れて答える。
「目に余ったなら悪い。やる事がなかった、もんでな」
「――ハハハ、こりゃいい。何って、都合が宜しいもんです」
「何が良いって?」
「こっちの話ですぜ。それじゃあ、また」
また来るのか、とつい言いかけた。……これは困った、また来なければ、オレが困る。
白竹万珠――どうにも、曲者に目をつけられたような気がする。
追試編開幕です。
もっと良い言い方ないでしょうかね。
辻君の言及したサンタ・ムエルテや、更に遡って『ヘキサグラム』に出てきた映画監督のツェール・クリンプトン、並び監督作品の劇作家シリーズやダンディハンプティ等、辻君が絡むとサブカルチャーで謎の作品が挙がります。
これに関しては、差別などセンシティブで暴力的な題を扱う本作において、実際に存在する作品を取り上げると思いも寄らないヘイトを招きかねないからです。(例えば、作中で悪態をついていた辻君の隣人が実際にある作品を支持するだけで、思わぬ偏見を生みます)サンタ・ムエルテという本も、ツェール・クリンプトンという監督も実際には存在しません。(2025年11月現在)
この世界の太宰とか、居たら今よりかなりの顰蹙買いそうですしね。
稲袋と、架空の地名を使用しているのも同様の理由です。都道府県や区までは構わないという判断でやっていますが、いざ県庁所在地に言及する場面があったら......。
完全なる置換を行なう訳ではありません。
例えば、白夜と藍嵐にノーベル賞が存在するとすれば、元となったアルフレッド・ノーベル氏が存在したことの裏付けになります。しかし作中で賞の名前だけを置き換えても、分かりやすさを損なってしまうのは事実です。それに、どのようにノーベル賞へ触れられようとも、ノーベル賞はノーベル氏へのイコールを意味しません。
よってノーベル賞はノーベル賞のままであり、ノーベル氏が存在したことを肯定することになるでしょう。今後辻君か仙慈君辺りが、ダイナマイトの成り立ちについて説明する時にノーベル氏へ言及するかもしれません。
しかし上記の配慮と矛盾します。
これは所謂ダブルスタンダードと言えることが、今後発生しうるということです。
この事について触れた理由としては、作品を投稿していく中で、改変したものとそうでないものに、作者からの特別な思想や主張は含まれていないと宣言する為です。
展開や文章としての分かりやすさ、実際の人物や作品に対する尊重を秤にかけ、どちらかを優先しますが、ここで分かりやすさを優先した場合でも、特定のものを貶める意図はありません。
また、作者の浅学によって実際の人物が浮き出る場合もあります。なんなら物を描写するだけでその開発者が存在することを裏付けます。
配慮する中でも、存在の確立を避けられないこと。そして白夜と藍嵐にも居るとされる実際の人物や団体は、こちら現実のものと一切の関連を持たないことを、ここに改めて宣言しておきます。
......こうして宣言しておくことで、気兼ねなく新撰組や文学をモチーフにした団体や能力を作品に出せるようになりました。
では実際に喩えに挙げた太宰は存在しないのか、という話をします。
今後、やむを得ず桜桃忌について言及すべきだと思えば、間違いなく太宰の存在を認めることになるでしょう。
ですが、もしも言及しないまま作品が終わったとしても、私は太宰の代わりとなる人物が存在しており、現実世界での歴史を白夜と藍嵐がなぞるであろう、と解釈しています。
代役が一片の狂いなく歴史をなぞることもあれば、白夜と藍嵐という世界観では太宰の代役が天寿を全うする、ということもあり得る話です。
要約すれば、同質の別存在が居るということです。
現実の太宰≒白夜と藍嵐の太宰(仮称)という考え方で取り組みますので、皆様もそのように、白夜と藍嵐には私達の世界に生きる者を写した代役が生きているという考え方で読んでもらえればと思います。
次回
『二度とツラ見せんなカス、台無しにしやがって』
『はっ? ぼそぼそしないでハッキリ言ってみなさいよ』
白夜と藍嵐、深刻なる治安悪化。
よろしくお願いします。