白夜と藍嵐   作:凍星 奏雨

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【登場人物】
――月桜学園・一年

椛野  穂咲(かばの・ほざき)
……赤毛の少女〈種子〉
仙慈  寿人(せんじ・ひさと)
……目隠れの少年〈万華の右眼〉


――月桜学園・二年

雉子雨 佐久雲(きじさめ・さくも)
……ゴーグルの少年〈演算〉
彩上  八子(あやがみ・やこ)
……深紅髪の少女


――月桜学園・三年

春秦  命(はるはた・みこと)
……青髪の少女


――中学生

菊池  拓郎(きくち・たくろう)
戸井  淳平(どい・じゅんぺい)
茉理  香織(まつり・かおり)
……イヌ科の獣人


第三十三話 黒夜を壊す

 耳元で通信が鳴る。彩上先輩の声だ。

『聞こえる?』

「聞こえます」

『こっちは無事設営完了したわ、ドローンも定位置に着いてる。そっちはどう?』

 道なき道を進んでいる感覚だけはあって、言われた山小屋がどの辺かはまだ想像が付かない。歩いてそこそこが経ったと思うけれど。

「もうすぐだと思いますよーっ」

『分かったわ』

 通信は切れた。振り返ると、葉と葉の間に夕景と住宅地が覗いている。切り絵のようにくっきりと、黒めいた木々が私達の足取りを見送る。

 返事をした春秦先輩に視線を合わせると、真剣な表情で頷くのみだった。彩上先輩と入念に打ち合わせしていた彼女が自信をもって頷くのなら、私が疑う余地もあるまい。

 そうして先輩の目算通り、数分程度の歩みで開けた場所に出た。

 道なりを、はみ出た草木が妨害している。無造作で管理のされてない山道沿いには、田舎の離れ家を思わせる木造の建物が鎮座していた。

 壁に使われた板が壊れていたり、蔓が這ってたり……追い詰められていたとしても、健全な家庭に身を置いていた中学生が暮らすには、精神的に少し難しそうに思える。

 耳に挟まった通信機に指を当てて、呟いた。

「着きました。予定通りいきます」

 皆の応答を聞いて、慎重に近付いた。

 奇襲は仙慈君や雉子雨先輩が防いでくれる手筈だ。私は目の前の事に集中するべきだろう。

 山小屋に近付くことはそう困難でもなかった。

 足元では草花がへこたれている。足跡だ、靴の形状からして人間のものではないことが分かった。ここを出入りする人物がいる事実は緊張感に実感を伴わせてくる。

「あ、ちょっと待ってるッス」

 雉子雨先輩が引き留めたかと思えば、彼は近くの木をグングン登っていく。背中に狙撃銃を背負ってるとは思えない程身軽に。

 樹木の真ん中程で登るのを止め、小屋を見下ろす態勢に入った。

 雉子雨先輩は狙撃位置に着いた。春秦先輩も、その真下で待機の構えを取る。

「大丈夫よね」

「ああ。問題ない」

 目を合わせて小屋に向かう。けれど、なんとなく予感があった。

 何も言わず鎮座する扉。聞き耳を立てても、喋り声はおろか足音一つ聞こえない。

 徹底抗戦の構えだろうか。

「――銀狼隊よ。貴方達と話をしに来たわ。開けて頂戴」

 風音すらもなく、張り詰めた声は虚しく溶けた。

 扉は引き戸になっている。奇襲されても扉を盾には出来ない。

 手袋に汗が滲むのが分かった。

「椛野君」

 ボリュームを下げたなだらかな声。視線だけで返事をすれば、仙慈君は言葉を続けた。

 他所には聞こえないよう、内密に交わす。

「……やってみる」

 仙慈君は少し後方に下がった。私にとっては格闘の邪魔だし、彼は彼で、戦場を見渡せる位置じゃないと力を万全に発揮しきれない。

 結局私が先行しているのも、各人の適性なのであって、優劣の話ではないのに。

 ……雑念は消して、私は想像する。

 引き戸の奥には何があるだろう。玄関か。きっと多喜根さんの家より数段小さい玄関がある。

 待ち伏せをするなら、その玄関を巧みに使って陣形を配置するのだろう。

 ならばその玄関に――突如として球体が出現したら?

 扉の先の空間へ、私は種子を打つ。

「…………」

 無事能力が出ているのは実感する。何かに塞がって不発したわけではない。

 けれど無音。長時間過ごせば、静寂が耳に痛くなるくらい何も起きない。

 種子を消す。そして扉に向いたまま、私は後ろ手で突入の意を示す。

 騒々しい音を奏でて開け放たれた扉。その先には明かり一つなく、そして、人影もない。

 或いは逃走。

 首を横に振って、後ろの先輩に合図をする。状況を伝えるのは任せて、中の調査に入ってしまおう。

 靴を脱ぐかどうか、倫理的な壁が立ちはだかったのに対して、検討する余地はなかった。玄関から既に荒れ果てている。隙間から雑草が生えており、青臭さと埃臭さが混在したなんとも言えない空気が漂っていた。

 家電も家具も用意されていない、何もかも抜き取られた抜け殻のような小屋だった。

 ゴミと布ばかりが生活痕として残っている。菓子の袋や割引シールの貼られたお弁当が散乱している下には、衣服や寝床がぐちゃぐちゃに放られていて、それは三日程度の荒れ具合ではないと思う。

「妙な心地だね……以前より使用者がいて、合流したということかな」

「どうだろう」

 荒れているように見えるのは、トイレを除き小屋の空間が一つしかないのも起因していると思う。荷物やゴミを纏めてみれば、三人三日分に収まるかもしれない。

「……正直無理もないと思う。ちょっと前まで小学生だった子が三日間もここで暮らすなんて、少し過酷すぎる」

「山の動物に襲われていないといいが」

 それも犯罪に手を染めて、警察までやってきているときた。

 もしかしたら、三人を引き戻すのはさほど難しくないのかもしれない。

 問題は、その引き戻した先が、彼、彼女の居るべき場所かどうか。そして凶行の理由を根本まで解決出来るかにかかっている。

「誰だ!」

 幼い少年の声が外で響いた。

 抜け出したんじゃない。出かけ、戻ってきたんだ。

「見えますか」

『三人ッス。件の子ッスね多分。オレらは多分気付かれてないッスよー……』

 つまり彼らは開いた扉が見える位置にいる。先ず木の上に人がいるとは疑うまい。不味い展開は春秦先輩が先に見つかるパターン。隠れ潜んでいた人をすぐに守れるのは狙撃手、発砲すれば対話の難易度が間違いなく上がる。

「仙慈君」

「……分かっているさ」

 暗くて表情は分からない。ともかく、対話の為に待機してもらう。

「接触します」

 彩上先輩含め全員に聞こえるよう通信を飛ばし、私は扉から外へ飛び出した。

 すぐ開けた場所に行って、状況を把握しようと心掛けた。包囲されていれば無傷にするのは難しい。

 しかし出てみれば、三人の獣人が固まって動いている。それなら、存外好条件な邂逅と言える。

「私に敵意はない! 私は――」

「オ、……ラアアァァァっ!」

――いきなりか。

 悲痛な雄たけびと共に、獣人は爪を振るってきた。近付いてようやく種別を判断出来るくらいに、月の光が遠い。

 がむしゃらに腕をかき回す犬人の少年。

「来るなッ! 俺らに近寄んなッ!」

「聞いて! 貴方達を助けに来ただけ!」

 後ろに下がり過ぎれば皆とはぐれる。かといって回り込める程、この山道の成れ果てに横幅の余裕はない。

 抵抗を覚えながらも、彼の両腕を掴み止める。

 手先がどれほど獰猛でも、間合がないなら根元から押さえればいい。

 腕に痛みが走る。

「……ぐっ……!」

 肘だけの動きでも爪は振るえる。――構うものか。幾ら表面を引っかかれたって、躊躇う理由には及ばない。

「話をしに来ただけ! 力づくなんて望んでないの!」

「離してっ!」

 少女の声が(かぶ)さる。懇願が鼓膜を通じて、身体中に響く錯覚がある。

 押しのけて距離を取るつもりが、思ったよりも少年の身体が重い。いや力強いのか。どちらにせよ、仕切り直しには出来なかった。

 駆け寄ってきた少女が大きな口と鋭い牙を覗かせる。間一髪、ガチンと空を噛ませた。

 もう一人の少年も襲い掛かって来るのを、手を振り払う形で捌き、最初に爪を振るってきた少年の蹴りは勢い付く前に止める。

 埒が明かない。

 陣形のない三人の攻撃。隙間を強引に作り出して、闇に手を伸ばす。

 伸ばした右腕に巻き付くは、宙に打たれた種子の枝。私を持ち上げ小屋の方に抜け出す――ブランチ・スクリプト。

 枝が私を離した時、既視感のある浮遊感に包まれた。

「痛っ……」

 跳ばされ抜け出すのではなく、投げ飛ばされるように前へ転がった。手は付けたけど、勢いを殺せず地面に顔を擦る。また失敗だ。土壇場でも叶わなかった。寝ている暇はない、立ち上がって、口を動かせ。

「俺らに構うなッ! どっかいけ! もう、関わんないでくれ!」

――右腕に力が入らない。

 立ち上がれない。

 身体を起こして見上げた少年の表情は、ひどくひどく痛ましくて、それは思わず言葉を失うほどで。

 覚悟が間に合わない。

 彼らの痛みが、私の胸に杭を打つ。

「あ……」

 抵抗出来ない。

 抵抗もなにも、彼らこそが、抗っている。

「ッ君達!」

 後ろから声がした途端、辺りに軽いものが散らばった。

 私の顔にもその何かが飛んで、思わず一瞬目を瞑る。冷たさ、柔らかさからして土か。その間に少年と少女、二人の苦痛が漏れて、いつまで経っても私に痛みはやってこない。

 足音が迫る。正面、背後、どちらも誰かが動いている。

 どうにか立ち上がろうと地面に肘をついた頃――初めに爪を振りかざした少年へ、仙慈君が肉薄した。

「僕らは何も脅かさない……だからその大きな耳を、口を! 人と話す為に使ってくれ!」

 視界の隅で何かが落ちた。

 土の湿る音を錯覚した。

 荒い息が交錯している。罅の入ったガラスみたいに、後戻りが出来ない状況は、今にも痛みを伴って壊れていきそうな危うさがある。

「なっ、なんなんだよ! お前らはッ!」

「銀狼隊だ……! 君達を守る為の部隊だとも。僕も、彼女も!」

 右腕が使えない中でも、仙慈君が時間を稼いでくれているおかげで立ち上がることが出来た。

 先ずは、彼らに言うことがある。頬についた土を払って、戦意が曖昧になった三人に向く。

「勝手に中に入ってごめんなさい。私達は、貴方達の問題を解決したくてやってきたの」

「何が分かんだよ……帰れよ、関係ねえだろお前らなんか!」

「帰れない。任務じゃなくたって、帰らない」

 小屋に立ち込めた緩慢な絶望は、この子達から放たれている。もしもそれが錯覚なんだとしても、思い違いでお門違いだとしても、見てみぬふりはしたくない。助けないといけないはずだって、動かないと気が済まない。

「未来の話は今はしない。でも今、貴方達は、本当になんの助けもいらないの? 子供がこんな寂しいところで、肩を寄せ合うしかないって……貴方達は本当に納得出来てるの……?」

「……なんだよ今更っ……。もう、それでいいから、ほっといてくれよ……頼むからこれ以上、俺らに触れないでくれよ……!」

 犬人の少年の声は潤んでいた。

 私の胸に感情がある。今まで抱いていたのだろうものが、明確な名前を付けられるくらい膨らんでいる。――今は収めなくちゃならない。

 間違えてはいけない。私の誤りで三人の未来は握り潰されてしまうかもしれない。

 本心を織って紡いで、絡まってしまった彼らの糸をほどかなくちゃ。

 あの夜、友達がそうしてくれたように。

「貴方達の先生は、警察じゃなくて私達を選んでくれたの。私達なら、貴方達をきちんと、笑顔でいられる未来に連れていけるって、信じてくれた。私はそれに応える。貴方達を、助ける」

「ねえ……たっくん」

 少女が、顔を俯かせた犬人の少年に訴える。然して訴えられた側も、拳に力を込め、感情を震わせている。

「話を聞かせて。お風呂に入って、ご飯を食べた後にでも――」

 

 銃声が夜を揺らした。

 

「はっ……!?」

「先輩!?」

 目の前に変化はない。少年少女、驚愕を浮かべている三人も無事だ。仙慈君も首を回して、着弾先を探している。

『彩上チャン。敵影三つ確認ッス』

『……! ごめん、捕捉出来てないっ……!』

 今一度、視界の悪さを脅威に思った。

 小屋の傍らに人影二つ。ゆっくりと草を踏んでいく彼らは、雉子雨先輩が銃声を鳴らすまで気配もなかった。

 目を凝らすと見えてくる。

 暗影を歩むのはくたびれた風貌の男性と、確かな歩調の少女。

 胸を打つ警鐘に気を取られて、言葉が出てこない。

「おぉい……大丈夫かー?」

 くたびれた男性は、私達の方を見て安否を確かめた。軽々しく、知り合いに言うようなものだった。

 三人を心配している? いや。

「サーセンっ、いやビビりましたぁ! ギリです! 避けました!」

 背後から軽い口調が飛んでくる。聞いたことのない男性の声。

「仙慈君!」

「ああ、分かっている」

 挟まれている。前には不詳の男女、背後には保護対象三人を挟んだ先に、雉子雨先輩に迎撃されたであろう軽薄な男。

 私は三人を守りながら彼らを相手取ることが出来るか? ……いや、出来ない。仙慈君の能力は一対一が適しているし、雉子雨先輩がいなければ奇襲されていた相手にうぬぼれる隙はない。

 後ろは任せてあの二人を警戒する。これが私に出来る最大限。

「ねぇ――キミら銀狼隊?」

 くたびれた風貌の男は猫背気味で、髪も肩に掛かるほど長い。値踏みするような眼差しに感じ取れるものはなく、私の胸にあるのは不愉快さだけだった。

「えぇそうよ。彼らを守りに来た。貴方達は何者?」

「んー……ま、いっか。伝わってくれよ……? 黒豹隊、邑来(みやこ)伝介(でんすけ)。その子らのオトモダチだけど、キミはー、何を守りに来たって?」

 邑来と名乗った男は歩みを止めた。

 大きな図体を持つ彼に隠れるように、ショートカットの少女は一歩後ろで笑っている。何も響かないような男も、何かを分かっているような少女も、どっちも胸がザワついて仕方ない。

「……友達? 馬鹿言わないで」

「知らないのに言うもんじゃないと思うけどねぇ。今さっき出会ったキミらが何を知って、何を守りに来たの」

 息を吸って、私は言葉を見失った。

――言わなきゃ、見当も付かないのか。

「何って、決まってる。彼らの尊厳を、未来を守りに来たの!」

 この男はなんなんだ。悪意か、本当に興味がないのか、それとも他に重要な使命があるとでも。

 意味が分からない。星久里巡子も、木枯銀河も、この男も、結局は子供を虐げるような真似ばかりじゃないか。

 許容出来ない。否定しなくちゃ気が済まない。そうでもしなければ、誰が怯える子供の恨みを晴らせるというの。

「友達なら、どうして苦しんでいる彼らに寄り添わないっていうの。私一言も、何処からも、貴方達が来て安心した素振りを感じてない。……貴方達が、こんなところまで手招いたんでしょう!?」

「困った。……面倒なことになりそうだ。いいよ、連れて行って。そこまで言うなら、もうボクらは関わらない」

 は。

「えぇっ、本当にいいの? おじさん負けちゃうの? ねぇ負けちゃう?」

「勝つ負けるじゃない……殺して隠すより、さっさと手を引いてもらった方が互いに良いの」

 目の前で、男女が話している。

 友達と嘯いた口で何を言ったって、もう、何も響きやしない。あれは悪党だ、屑だ。何人も殺して、何人も闇に招いた、唾棄されるべき存在だ。

 野放しにしていたら、またコイツらは次をやり始める。

「ほら、お前もいいよ戻ってきて」

「ええ!? これ素直に戻ってきたら怒られるやつですよね!」

「怒んねえよ早く来い」

「はいっ!」

 木々が一層ザワめく。そして視界の端から一人の男が目の前に降って来る。

 目の前。瞳の色すら分かるくらい。

「二度とツラ見せんなカス、台無しにしやがって」

「はっ? ぼそぼそしないでハッキリ言ってみなさいよ」

 ……男は言うだけ言って、邑来の傍に向かった。終始軽やかだったのが、一層腹立たしい。

 邑来はポケットに手を隠したまま、私達の反応を観察している。

 警察がどれだけ見過ごしていようと、叩いて引き渡せば突っぱねることはないだろう。そうすれば教唆されていたと、背後の皆を守ることにだって繋がる。繋げられるはず。

『椛野チャン』

「分かってます」

 背後の皆を守るなら。

 不安を取り除くためなら――。

「分かった。ここで手を引くわ」

「ん」

 ……先ずは、明るいところで休ませてあげないと。

 息を呑む音が聞こえる。

「今はこれが最良だと思う。……きっと」

 首だけで後ろを見て念を押した。強がりじゃないって、強がった。

 本当なら今すぐにでも蹴り飛ばしたい、さもなくばこの苛立ちはきっと収まらない。……でも、きっと、試験が終わって言われたのはこういうことだ。

 元凶を叩いて解決したとしても、元凶の蒔いた悪意を発芽する前に摘まない限り、私にとっての正しさを果たすことにはならない。

 それに八つ当たりは済ませたし……。

「あぁ、そうだ。行く前に。ボクは名乗ったわけだけど、そっちは? 休戦するにも、これじゃそっち贔屓すぎる……」

「はぁ……ま、いいけど。私は――」

「――仙慈寿人だ。折角縁起のいい名前を、ゆめ忘れないようにしてくれたまえ」

「ちょ……」

 ふざけているとは思えない真剣な声色だった。仮におどけた話し方でも、ここじゃ釘を刺す気にはならないが。

「えー……と。キミ何? 女の子の陰にいたわりには、目立ちたがり屋? 悪いけどキミの話はしてないんだよね」

「ご不満かい? 貴方の名前も僕の名前も、そう大した差ではないだろう。それとも、その女の子の名前でなくてはならない理由があるとすれば――年下趣味とでも?」

「調子乗りやがって、なァ!?」

「いい、いい。そういうのはいいや。この馬鹿には別だけどさ、挑発はむやみにやらない方が得をするよ。じゃ、引き留めてごめんね」

 正真正銘用済みらしい。彼らはカラスのようにジッと瞳を固めて、私達を見ている。

 本当なら皆の荷物も纏めてあげたいけど、そう悠長なことをしている暇はない。

 先輩が狙撃した時点で三人目のことは共有されている。耳元を触って呟いた。

「撤退でいいですか」

『オーライ、問題ないッスよー。春秦センパイと先に行っちゃってくれたら、オレも合流するッスから』

「……行こう、皆」

「ちょっと、マジで……言ってるんですか。俺らもう、帰るとこなんて」

「大丈夫。貴方の先生が待ってる。私達も付いてるから」

 たっくんと呼ばれていた――菊池(きくち)拓郎(たくろう)君だろう、彼は困惑を露わにする。幾ら提案を受けても敵に背中は見せたくない、向かい合って安心させることは出来ないけれど、代わりに、彼らにとって大きな背中であれたらいいと思う。

 もしもここで、現状の緩やかな破滅を選ぶのだとしたら、私に引き戻す言葉は残っていない。その時はもう、理性じゃ覆いきれない感情をぶつけるしかなくなる。

「ジュン、茉理(まつり)……俺、もう、騙されたっていいと思ってんだ。情けねえけど……」

「いいよ。いい。僕も、もう気付いてる」

「…………うん。ごめんね、私も――」

「茉理。……皆さん、ごめんなさい。俺らこっから出たいです、……助けてください」

「大丈夫」

 彼らは伸ばした手を取ってくれた。後は見せた希望を裏切らないよう、明るいところまで送り届ける。

「仙慈君、先行お願い」

「分かった。皆、僕について来てくれ」

 疎らな足音が茂みを掠めていく。

 通信の先で春秦先輩が合流の段取りを進めている。少し離れているとはいえ、相手の油断には甘えられない。ほんの一瞬でも意識を向けられたら気付かれてしまうかもしれない。

「一応聞くけど、貴方達、目的はなんなの?」

「一応なら言わねえよ。見逃すってのも、お腹見せてるんじゃないんだからさ」

 邑来がポケットから右腕を取り出す。それから緩慢に頭上へ持っていく様子に緊張を滲ませるのも束の間、その手はボリボリと自分の頭を掻く。

「いい事してますって言ったら手伝ってくれんの。まぁそう言われてもイヤだけど……戦う理由がほしいんなら、人に聞くとか、やめといたら?」

「戦う理由は心に決めてる、余計なお世話。……でもそうね、忠告通りにさせてもらうわ」

 時間稼ぎも充分だろう。後で合流に時間が掛かるのも美味しくない。早いとこ離れて、皆と山を下ろう。

 足を動かした時、その小さな呟きは確かに届いた。

「ま、多少は壊しておこう……」

 男の腕はゆっくりと動き――そして大きく弾かれる。

『撤退ッス! 急いで!』

「了解……!」

「ってえ……威嚇射撃とかねえのかよ、すごいな」

 狙撃弾は確かに着弾し、男に何かをさせる前に弾き飛ばした。男の腕から血は出ていない。

 私は全力で駆け抜けた。

 発砲音が二度三度と続く。それに重ねて、舎弟みたいな男性の、荒げた声を聞く。

 背中越しにもしやと思うけれど……撤退の合図は取り消されない。欲をかくべからず、だ。

 

「皆!」

 山を抜けて少し見渡せば、離れたところで五人が待っていた。春秦先輩も無事合流出来ていて、残るは雉子雨先輩だけだ。

 もうすっかり夜。とはいえ流石に人の住む土地、近場に学校もあるわけで、街灯や住宅の光、少し先にはコンビニもある。光の尊さをよく知れる光景だった。

「椛野君。無事で良かった」

「そっちもね」

 彩上先輩達はまだ待機だ。もし向こうが手段を選ばなかった場合を考えると、まだ安全とは言えない。

 三人の顔は浮かない。……今は何を言っても、心を融かすには至らないだろう。心の整理に割り込んでまで言えることはなかった。

「お怪我したところ、今のうちに見せてくださいっ」

「警戒は僕がしておく。問題ないよ」

「……じゃあ、お願いします」

 両腕がじんわりと熱を持つ。引っかかれたり、食い込んだところが血を流している。

 ……山にいたんだよな私。薄ら寒さが今頃追いついてくる。

 もっと言うなら右肩か。ブランチ・スクリプトに失敗した時、脱臼まではいかなかったようだけど……。

 春秦先輩に両腕を見せる。袖を捲れば、あまり綺麗でもない凹凸が血にまみれて出来上がっている。

「そういえば、椛野さんにするのは初めてですね」

 暖かい手が私の手を掬い取った。そして、春秦先輩の青いショートカットが淡く光り出す。

 突如、彼女の髪が伸び始めた。

「〈青廉癒合(せいれんゆごう)〉――切られたものなら繋ぎ止めます、開かれたものなら覆います」

 暗闇に浮かぶ光は海ほたるの如き静かな精彩だった。

 短く快活な雰囲気を装った先輩の髪が、見る間に胸まで伸びていく。そしてひとりでに動き、私の腕へ触れていく。冷たい色に照らされていても、春秦先輩の表情は温かな微笑みを変えなかった。むしろ光がハッキリと照らすことで、私の不安を拭い去ってくれてるように思う。

 彼女の毛先は慰めるように傷に触れる。不思議と痛みは無くて、曖昧な暖かさが輪郭を解いていく。

 熱を伴う痛みを、とろりと消していく。

 繊維とも表現出来る、光を帯びた髪は、次第に規則的な動きを働いた。一つの傷口に注目して見れば、それはまさしく縫合の仕草だった。

 きっと大丈夫だと、私は傷を委ねる。

 どれほど経っただろうか。そう長い時間は経たないうちに、春秦先輩は頷いた。

「今、僕に出来るのはここまでですっ」

 青い光がふっと消える。それと同時に、今まで光が膜を張っていたような私の傷痕が露わになる。もうそこには痛みも傷もなくて、結び繋いだ彼女の髪の痕跡も残っていない。

 伸ばした髪は縫合の際、ひとりでに切り離されており、すっかり普段通りのハツラツな雰囲気に戻った春秦先輩は、一度しっかりと握った手に力を入れる。

「僕が治せるのはあくまで外傷だけですからね。骨が折れても、内臓に傷が出来ても、一般的な治療しか施すことは出来ません。無茶はしないでくださいっ」

「……はい、ありがとうございます」

 余韻を確かめて、手が離れていく。

「皆、誰か来る」

 仙慈君の声だった。私は春秦先輩を庇い、前に出る。

 すぐに葉が擦れる音が聞こえた。

 ひとしきり緑はざわついて、影は姿を明かす。

「撒いたっつか、途中から来なくなったッス」

「雉子雨先輩! 無事で良かったです」

 一人置いてきたことが気がかりではあった。ところが大怪我のない姿で戻ってきて、不安は杞憂だと証明される。

 葉っぱが頭についていたり、枝か何かで傷付いた手の甲を見るに、必死さは覗かせていたが。

「向こうにやる気あったらヤバかったかもッスけどね! んじゃー春秦先輩、彩上チャン達呼んどいてくださいッス。俺は休むんで」

 必死だったろう彼は、ニコニコと無邪気な顔を私達に見せる。

 私はまだ対等になれていないんだって、思い知るには充分だった。

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