白夜と藍嵐   作:凍星 奏雨

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【登場人物】
――月桜学園・一年

椛野  穂咲(かばの・ほざき)
……赤毛の少女〈種子〉
仙慈  寿人(せんじ・ひさと)
……目隠れの少年〈万華の右眼〉


――月桜学園・二年

雉子雨 佐久雲(きじさめ・さくも)
……ゴーグルの少年〈演算〉
彩上  八子(あやがみ・やこ)
……深紅髪の少女


――月桜学園・三年

春秦  命(はるはた・みこと)
……青髪の少女〈青廉癒合〉


――依頼人

多喜根 守(たきね・まもる)
……丸眼鏡の老人


――中学生

菊池  拓郎(きくち・たくろう)
戸井  淳平(どい・じゅんぺい)
茉理  香織(まつり・かおり)
……イヌ科の獣人


第三十五話 図る瞳

 布団の重さを感じながら瞼を伏せた。そして、一度途切れた意識が戻ってきた頃、やけにハッキリと瞼を開いた。

 部屋が暗い。いや、窓がないから、朝になっても分からないだけだ。

 枕元の携帯を探ってみる。

「……」

 一時前。……三時間しか寝てない。

 胸がザワつき始める。もう一度寝付けばいいと思う中で、眠気をすっかり清算してしまったことも理解出来ていた。

 翌日が控えている時に限って、文字通り早く目が覚める。あるあるだけど、今はいよいよ笑えない。

 しばらく布団の中で睡魔を乞うも、これは長くかかりそうだ。

 同じ部屋で眠ってる春秦先輩と彩上先輩を起こさないよう、静かに布団から出た。

 台所と居間が同居しているので、水道水を飲むためにもだだっ広い暗がりへ足を踏み込まないといけないわけだが、どうにも思うところがある。この、多分私の寮室以上にある空間が丸ごと、多喜根さんが普段感じている孤独感に通ずるのとしたら、ナーバスになるのもやむなしというか。

 気分転換に、座敷へ戻る為の道を変えてみる。

 真代と電話で話して、多喜根さんと花札をした縁側。私は、月明かりを受けたあの庭を、少し気に入り始めていた。

 角を曲がればガラス張りの縁側が見えて。

「わっ……」

 一見してお化けのように、幽かな気配で佇む少年もいた。

 自分ひとり分だけ戸を開けた彼は、表情を変えずに私を見上げる。

「椛野君。寝られないのかい」

「……」

 子供らしいと思われるだろうか。生理的な働きなもので、別に落ち度がある話でもないけれど。

「いや、こんな夜に引き留めるのもなんだね。おやすみ」

「気にしなくてもいいわよ」

 月に照らされた彼は青白い素肌を晒して、何処か力なく居る。

 私がやってきたことに驚かなかったのは、私が起きていたことを知っていたからなのかもしれない。水を飲む為に襖を開けた音から、既に。

「何、枕が変わると寝られない?」

「ちゃんと持参したさ」

 したんかい。

 少し力を込めて、ガラス戸を開けた。立て付けが悪くなっているから、音がうるさくならないよう気を配るのに中々苦心する。

 足を畳んで横に座り、何もない庭を見渡す。例え世辞でも絢爛や豪華とは挙がらない、鳴りを潜めた土地だ。

 こういう夜には、丁度いいかもしれない。

 虫の声。

 通り過ぎる自転車の音。

 木々が代弁する風音。

 何も言わないでいると、それらに混じって、仙慈君の息使いが聞こえた。

「僕の能力は寝ることでリセットされる。正確には、ノンレム睡眠に入って少しの時間が経つことで、僕の右眼が溜め込んだエネルギーは消えていくんだ」

「だからって、仮眠で繋ぐだけじゃ持たないわよ。折角先輩を説得出来たのに」

「分かっているとも。……分かっている」

 静かに息を吐いて、片脚を木製サンダルに預ける。もう片方の膝を抱えながら、私は言った。

「ナイフの調子はどうなの。少しは使えるようになった?」

「一からの修得なんだ。君に見せた通りの扱いから、劇的に変わってはいないよ」

「そう」

 上手く行っても、そうでもなくても、私はこう答えるしかなかったと思う。

 慣れていないのが自分でも分かった。これではきっと逆効果だ。夕方、手前勝手に仙慈君へのイメージをぶつけた私がすべきようなことでも無かったのだろう。

 春秦先輩なら心の具合を元に戻すのだってお手の物だろうし、いっそ起こしてしまおうか……。

「時間が経ったからかもしれないが、余裕は生まれたかもしれない」

「余裕? 貴方が?」

「そこまで強調される謂れはないが。……いや、確かに君には驚くべきことと思えたんだろうさ。僕より何歩も先を行ってる君だからね、見える景色の違いはあって当然だ」

 これはまた、今日の夜は一段と。

 そもそも夜を共にした時なんて、木塚街と、稲袋での帰路くらいか。

「たった一ヶ月で、何を分かった風に言ってたのかしらね。さっきの私」

 言ってて頬が緩んだ。

「余裕って、なんの話?」

「……雉子雨先輩が銃を扱うように、僕はナイフを修めるべきだったと、判断がついた。一から格闘術を習っても君には勝てないと、認めるだけの余裕は出来たよ」

 それはあまり看過できない言葉だった。

 目を細めて、仙慈君に眼差しを寄越す。

「弱気なことを言うのね」

「これを弱気じゃないと認めたのが、余裕と言った理由さ。強いものを使った方が強いのは当たり前な話だろう? 腕より足の方が筋肉があるように、人間の身体より武器の方がより効果がある。そういう話だ」

「ん?」

「ふむ。僕は、そこまで見当はずれなことを――」

「ちょっと黙って」

 仙慈君に寄り添おうとしたほんの数分、やっぱり私は私だった。

 言われた通りに口を閉じている仙慈君のことを、視線から外して考え込む。

 耳を通り抜ける音のことなんて、もう考えていない。覚めた目の冴えた頭で、無駄なく、点を結び付けていく。

 作り上げるのはたった一つのイメージ。

 既にこの時、仙慈君のことはかなり優先順位を下げていた。

「いきなりどうしたんだい。椛野君」

 急いだ様子でサンダルを引き寄せる私に、仙慈君も耐え兼ねる。

 答える必要性を感じなかった。

 私は広々と土の広がる庭に立つ。彼も、今に分かるだろう。

 

「はぁっ……――これだ」

「――これだ、じゃない!」

 顔を上げて、彼の姿を見上げる。

 同じくサンダルを履いた仙慈君が庭に駆け出ていた。もうその必要はない、黙って手で制すが、仙慈君の語調は強い。

「さしもの僕でもその無茶は止めるしかないぞ。全く……」

「ごめんごめん……」

 両手についた土を払って、私は立ち上がった。

「初めに寝ることを勧めた君が、冴える真似をしてくれるとはね……」

「ごめんって」

 幸いにも、汚れは叩けば消えるようなものだった。自分を元の姿に戻してから、ふと仙慈君の足元を見る。

 気を取り直して縁側に戻ろうとした時、彼の説明を求むような視線が目に付いた。

「いや。サンダル……二足あるんだなって思っただけ」

「ん……。僕が気になったのは、いや今の君の意味ありげな目線も気になったが……本当に感心があったのはそれじゃない」

 仙慈君の心境よりも気にしたいのはさっきのフィードバックだった。仙慈君も深く追求をする気はないようで、私達は改めて縁側に足をつける。

「少し、散歩でもするかい」

「え?」

「互いに目も覚めてしまっているだろう。……どうかな」

 瞬きをして、私は答える。何処かにやけた言い方になってしまったが。

「誘い方が下手。……ええ、いいわよ」

「すまなかったね。それは。それじゃあ着替えてくるよ、玄関で待っている」

「私もしておくけど、書き置きはちゃんとしといてね」

「分かっているとも」

 そうして別れた。夕方の意趣返しのつもりかと思っていたけど、仮に、彼にその気もなく正真正銘散歩のつもりだとしたら、どうしようか。

 いや、どうするも何も、ただの散歩だが。

 真代とも房嶋君とも、辻君や鳴島先輩とも、二人で歩くイメージはつくし、ままあるけれど。……仙慈君と?

 金時君なら必要ない話はしないで済む距離感なんだけど、仙慈君はおしゃべりだし、その例でもないだろう。

 着替えると言っても上着を羽織るくらい。うちに試みていた心構えも、残念ながら間に合わない。妙な緊張を覚えながら、私達は外へ繰り出した。

 寝静まった夜だった。

 この街の何処かに黒豹隊も眠っている。

「……何か飲むかい。このところ、昼は暖かいが、深夜だとまだ冷える」

 声のした方を見れば、仙慈君は自動販売機を指している。

 寒かったから顔を険しくしたわけでもないが。

「そうね」

 口寂しさに私は頷いた。

 彼が携帯片手に目配せするものだから、首を横に振る。

「自分のは自分で払う。変に気遣わなくていいわよ」

「変な気遣いとは言われたものだね。借りは作りたくない、か」

「そういうこと」

 仙慈君が買うのに続いて、私はホットココアを買う。

 電子決済の音が止んだ頃、なんとなく呟いた。

「まだ売ってるんだ」

「ん? ここに居た時期でもあるのかい」

「いや、五月にもなってまだ売ってるんだと思っただけよ」

「ああ、なるほど」

「……」

「…………」

 気まず。

「ふ、形無しだね。女性を誘って引き出す言葉がそれでは」

「あっ、声に出てた? ごめん」

「いいや。距離を掴みかねているのは、僕も同じだ」

「貴方が? 距離を掴むつもりあったの」

 電灯を通りがかったせいで、仙慈君の呆れ顔が明確に映る。

 すれ違う人影を見送って、彼は言った。

「……まあね」

 たったその一言だけを。

 ……。

 軽率だったのかも、と。仙慈君との付き合いで、もしかしたら初めてそう思った。

 蓋を開けるタイミングを逃して、余程暖が欲しかったかのように持ち直した。

 私達は互いに期待しあってる。霞ヶ浦(かすみがうら)さんに言われたっけ、似てるって。私はそうも思わないけど……通ずるものは、無くもない。

「私達ってなんなのかしら」

「能力者。同じ学園の同級生で、銀狼隊」

 少しおどけたように言うものだから、やや食い気味に返す。

「それは公約数でしょ。地球のことを聞いて星って答えるようなものよ」

「答えかねる問いだったものだから、ついね。椛野君はどう思っているんだい」

 念を押すように、続く仙慈君の言葉には僅かばかりの強さがこもった。

「分からないから聞いたとしても……ただの同級生ではないとは思っているらしいが」

 それはそうだけど。

 口に出さず。……出せず。言葉の代わりに缶の蓋を開けた。

「僕にとっては、ライバルのつもりだった」

「……だった」

「君が疑問を持つからさ。――ライバルは対等でなくてはならない、それが相場と決まっている。君に認められていない限り、ライバルとは言えないさ」

 赤信号で私達は止まった。車通りはなくても対岸に待っている人がいた。いや、目的地のない散歩なのだから、ただ真っすぐ行かず曲がれば良かった。

 それでも足を止めて、彼も止まったのは、足を止めるくらいに引っかかっただけのこと。

 信号の行方は知らず、仙慈君へ身体を向ける。

「それは矛盾してる」

「矛盾?」

「私、なんで貴方がここまで気に入らないのか……」

 そして、何故嫌いになりきれないのか。

「それが、少しだけ分かった」

「…………?」

「自信ありげに振る舞うくせ、仙慈君――私に認められようとしてるでしょう」

 缶を握る手に力が入る。

「それならやっぱり、ライバルとは言えないわよ。別に対等かどうかがライバルに重要とは思わないけど、何処にライバルへ媚を売る奴がいるの」

「媚を売るだって? 心外だな」

「言葉そのままじゃないわよ」

 語気が強くなる。私の背後を通り抜ける音が聞こえた。

 言葉は、進み続ける。

「私は勝手に強くなる、貴方もそうでしょ? 朽羽先輩に弟子入りして、私の知らないところで力を付けてる。それなら私の具合なんか気にしないでいいの。貴方も勝手にしなさい」

 私が立ち返るきっかけをくれた貴方が――いちいちこっちを気にするな。

「……椛野君」

「ええ」

 

「――()だ」

 

「え?」

 仙慈君は翻って、歩いてきた道を向く。

 そこには何もない。さっき信号を待っていた、長髪の人物がいるだけで。

 ……そして、その人物は足を止めた。

「体格は女性よ。それに夕方、邑来(みやこ)と一緒にいた女の人はショートだった」

「僕には分かる。いや、僕だから(・・・・)分かる。椛野君、すぐに電話を――」

 向かいの長髪は振り返り――

 目の前で、極彩が爆ぜ散る。

「早くッ!」

 

 

「なんで繋がんないのよバカ共……っ!」

「あやちゃん」

「っ、分かってるわよ……」

 三方が閉じられた寝室。壁や床を荒く叩きつけた音へ、二人の獣人と一人の老年が身体を竦ませる。

 暗がりのまま、残る二人の少女は襖の一点を見つめた。

「皆、絶対にこの部屋から動かないで」

「タク……」「たっくん……!」

「――お願い、雉子君を信じて」

 間もなく屋根の下。

 襖の更に先――もう一人の獣人の行方から、菊池(きくち)拓郎(たくろう)本人の絶叫がこだまする。

 

「あ、ああ、あああぁぁぁ……!」

「ッ……よくここだって分かったッスね。外岡(とのおか)兵太郎(ひょうたろう)、サン」

 硬い床へ血が滴る。

 痛みを堪えた雉子雨の声は、不敵な色を孕んでいた。

「そりゃあよう、だってソイツら。獣臭えから」

 下卑た笑みで雉子雨にナイフの切先を向けるのは、邑来と行動を共にしていた男。

「聞いたッスよ、名前も能力も。能力は〈獣性〉……あれあれ、臭えのはお互い様じゃないんスか?」

「ア?」

 雉子雨と拓郎はやってきた気配に、いち早く勘付いた二人だった。

 その中で雉子雨は、来襲する何某かへ、ひと固まりで備えるよう彩上に指示を送る。

 確認していく上で想定外だった不在は三人。

 書き置きを残した一年生二人。

 そして、責任感が昂じて先鋒に猛った獣人。彼は、三人の中でもリーダーと言える立ち位置にいた。

「き、雉子雨さんっ、腹っ……腹が」

「大丈夫ッス」

 もしも拓郎が突出していなければ、奇襲は多喜根の喉元へ届いただろう。

 そして雉子雨でなければ、拓郎の動向を察し庇うことも、出来なかっただろう。

「挽回したかったッスよね。分かるッスよ、そういうの」

「っ……すみ、ません」

「俺も、同じッス」

 外岡の凶刃が迫る。

 迫り――爆発的に加速する。

「きじっ」

 銃士は接近を許す。

「――カ、ハッ……」

 一直線に見えたナイフの軌跡は、態度と裏腹に繊細なフェイントを織り交ぜられていた。

 ……それでも、苦悶の声は外岡のものだった。

 速度に合わせられた肘鉄が外岡の腹に深々とめり込んでいる。元から、来たる場所を予知していたかのように。

「すげぇ」

 続けざまに、手に持った拳銃で零距離射撃を放つ雉子雨。

 しかし躱していく。きわめて浅い踏み込みで人一人越す程の跳躍力を見せて、外岡は間合を離した。

「クソッ……」

「あーあ、また躱されちゃったッスよ。――三流パシリなんかに」

「――――」

 外岡の中で、何かが切れる音がした。

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