白夜と藍嵐   作:凍星 奏雨

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【登場人物】
――中学生

菊池 拓郎(きくち・たくろう)
戸井 淳平(どい・じゅんぺい)
茉理 香織(まつり・かおり)
……イヌ科の獣人
篠露 枝璃是(しのつゆ・えりぜ)
……褐色の悪魔


第三十六話 菊池拓郎

 中学生になったのと同時に、俺達は道を踏み外した。

 

「帰ろうぜ」

 クラスメイトが制服を身に纏っているだけで、厚い鎧を身に付けているように見え始めた。

 種族の差が関係ないのは小さい時分までだ。

 じゃあ、何を持って小さいとするのか。大人からしてみれば、中一なんて小さい存在だろう。けれど、自らを小さくないと定義付けるくらいなら、市立中学の学生証で充分だったんだ。

「うん」

 同じ獣人の男子、戸井(どい)淳平(じゅんぺい)、同じく女子の茉理(まつり)香織(かおり)と、俺達三人を同じクラスに纏めてくれたのは嬉しいことだけど、クラスメイトにとっては三人集まった異種族でしかなかった。無視したい存在感が本来の三倍って考えると、向こうの気持ちもやるせないのが分かってしまう。

 だから部活はやらないし、学校が終わればさっさと帰る。それが、人間の尺度で共存させてもらう為の暗黙の了解だと思っていたから。

 桜が散り始めた頃、共存の為の境界が一方的にぼかされた。

 教室の出入口には小さな人溜まりが出来ていた。こういう時、野次馬しに近付けば怪訝な顔をされるか、舌打ちをされたりする。俺は手に持ったカバンを傍のジュンの机に置いた。

「ちょっと待つか」

「だな」

 少し経って、茉莉が呟いた。

「ねぇ、こっち見てない……?」

 だからなんだという気持ちを腹に収めながら、促されるままに扉の方を見る。

 人溜まりの中に俺達を盗み見る奴がぽつぽついた。何か具合の悪い時に視線が来るのはいつもの事だ。ただ、今回ばかりは、俺達に視線を送るだけの信憑性がそこにあった。

 人と人との隙間から、妙に目を引く瞳を持った女が立っていた。

「あぁ……?」

 褐色肌のその女は俺達を見ている。吸い寄せられそうな碧眼と目が合って、それから女は、確かに手招きをした。

 無関心でいるわけにはいかなそうだった。俺は鞄を手に取って、二人に呟く。

「ちょっと、行ってくるわ」

「僕も行くよ」

「私も。関係あるかもしれないし」

 後になって思えば、無理にでも止めるべきだった。

 これが最悪な分岐点なんて、この時の俺に気付けるはずもなかった。

「なんですか?」

 努めて声を平坦にして、扉の前で待っていた女に話し掛ける。

 俺らが近付けば人混みも掃け、流動性を帯びていく。それでも留まる人の気配は、話をするのにやや疎ましい。

「私は三年の篠露(しのつゆ)枝璃是(えりぜ)。貴方達が、菊池(きくち)君、戸井君、茉理ちゃん?」

 このクラスで張り込んでいたってことは、しらを切っても無駄だろう。

「そうですけど」

 今度はなんの因縁だ。

 半歩引いて、篠露と名乗った先輩の全体像を見る。

「話したいことがあるんだけど、ここじゃ目立つから場所を変えたいの」

「……」

「菊池君?」

 顔を覗き込まれて、俺はつい頷いてしまう。

「良かった。んじゃ上に行こう」

 もっと警戒するべきだったのに、俺は視界に入ったものを見て、呆気に取られていた。

 篠露先輩の短く折ったスカートから、黒く艶やかな尾が垂れていたから。

 俺達は一言も喋ることなく階段を上り、屋上前の階段に陣取った。解放されていない屋上に寄りつく生徒はいないようで、密談には丁度良さそうだ。

 いの一番に発言したのは戸井(ジュン)だった。

「それでっ、篠露先輩、僕らになんの用ですか」

「エリゼで良いよ。こっちの方が気に入ってるの」

 碧眼を細めて笑うと、階段を更に上って上手(かみて)に立った。

「一年に異種族の子がいるって聞いて。大変だったでしょ?」

 ひと気が無くなったからか、エリゼ先輩の尾はゆらゆらとその存在を示し始める。尾先は錨のようになっていて、馴染みのないシルエットだと漠然に思った。

 ジュンが躊躇いがちに頷ければ、先輩は何処か嬉しそうだった。

「私も、この学校には(・・・・・・)あんまり友達がいないんだよね。だから放っておけなくて。良かったら、この後空いてる?」

 ジュンも茉理も、段々緊張がほぐれているのが分かった。

 希望が僅かに滲んだ視線で、俺の判断を待っている。

「ちょっと、考えさせてください」

「OK。じゃあ、明後日の夕方にここで待ってるから。えーっとね……」

 後輩のあからさまな警戒にも快く応じて、先輩はノートにペンを走らせた。

 明後日は土曜で休日だ。そんな日に屋上前(ここ)で待つこともないだろう。思った通り、先輩は住所と簡易な地図の描かれたノートの切れ端を手渡してくる。触れた指先は、ほんのりと冷たかった。

 切れ端を鞄に入れた時、ほんの一瞬別の鞄を持ってきてしまったかと思った。

 虫の死骸がこれ見よがしに入っていた。騒ぎもせずにいたのは、珍しくもないことだったからに過ぎない。

 普段来ない場所なのを知ってか知らずか、エリゼ先輩は校門まで送ってくれた。実際に何処までついてくるのだろうと思ったら、先輩は自転車通学らしく、わざわざ遠回りをしてくれたようだった。

 部活の声から逃れるように、そして訪れた日常の異変から背くように、俺達の足取りは静かで素早かった。

 登校する時の待ち合わせ場所兼、下校時に別れる公園で、俺達は誰から言うこともなく足を止めた。

 ここでジュンが別れ、俺と茉理は結構近い家の距離だから、そこまで一緒に帰るのが通例。二人が止まったところに、どうした? とは聞くまでもない。その代わりに。

「どうする」

「僕は、良いと思ったけど」

 視線は茉理に行く。一番警戒していた俺を慮ってか、少し申し訳無さげな態度だった。

「私も……考えてみたけど、これから三年間ずっとこのままは、ちょっと怖いかも」

「それに、きっと大人に近付く度に苦労するよ。僕ら。だったら今のうちに、似たような異種族の知り合い、見つけてもいいんじゃない」

 一理ある。というか、渡りに船なエリゼ先輩の誘いを断る合理的な理由はない。

 俺が怯えているのは、もっと単純な『知らない人について行ってはいけません』だ。

 ……なら、あの人を知る為に言われた場所へ向かうのは、やっぱり正しいんじゃないのか? 知ってから、着いて行くかを決めても、遅くはないだろう。

「そうだな、一回行ってみよう。これは俺が持ってていいか?」

「うん」

「たっくん物持ち良いし、なくさないよ」

 ノートもクリアファイルも安全圏ではないから、俺は笑ってポケットに入れた。

 翌日になってもエリゼ先輩と学校で会うことはなく、普段の時間が通り過ぎていく。そうして俺達は約束の日の夕方、公園に集まっていた。勿論エリゼ先輩が描いた地図がたまたま俺達の使う公園だったわけじゃない。

「行くって決めたんだろ? 腹決めようぜ」

「うん……」

 何度目かの励ましにも、ジュンは上の空で応える。

 一日かけて覚悟をした俺と違って、ジュンは一日かけて熱を冷ましてしまったらしい。無理もない話だ。

 ここでやっぱりやめよう、とならないのは、ここにきてかなりの気合を見せている茉理に由来する。見るからにここ最近で最も張り切った服を着ているのだ。獣人用の服は割高になるから、しょうがなしに尻尾を工夫でどうにかしている俺らだけど、茉理は久しぶりに尻尾穴から尻尾を出している。自転車に乗っていくから、茉理自身の如何にも可愛い系な服って程でもないものの、張り切っていることは疑いようもない事実だろう。

「やっぱ、僕は待ってるから、二人で行ってよ」

「ええー……。ジュンくん……」

 ほら、あからさまに残念そうだ。

 俺もかなり抵抗を見せていたわけだし、ジュンの提案を非難する権利はない。

「……けどさ。俺はジュンとも行きたいよ」

 もしも後からジュンが合流するとなっても、先に仲良くなった人を交えていれば、居心地の悪さはどうしても浮き出てくる。やっぱり合わない、なんて思いにはなってほしくない。

「これも経験だよ。もしも合わなかったら、俺達は異種族のグループにだって合わないものがあるって知れる。それはこの先、あんまり身に付かない経験だ」

 そうそう、なんて気軽に相槌を打つ茉理。

 カラスの群れが唐突に叫び鳴いた頃、ジュンは顔を上げた。

「分かった」

 

 

 自転車に乗って二十分しないくらいの距離に、言われた住所はあった。

 午後五時前で、空はうっすらと暗さを思い出している。休日なのに何故エリゼ先輩はこの時間を指定したのか、そういえば疑問に思っていなかった。

「あ、来た来た」

 駐輪場の前で二人の女がいる。声をあげたのはエリゼ先輩だ。黒いジャケットを羽織っている割に、短いズボンで足は出している。これが大人っぽいんだろうな、と服に疎い俺でも感じ取れた。

 もう一人は、先輩よりも背の高い金髪の女だ。

――人間として異様に美しいことが、俺でもハッキリと分かった。

「どうも。おまたせしました」

「いいのいいの。時間言ってなかったのは私だし。ね?」

「うん」

 ダウナーな声で金髪の女は頷いた。ほんの数ミリ動いたような素振りでも頷いたと分かるくらい、その人の動きは色んな意味で分かりやすかった。

 おもむろにスキニーパンツのポケットに手を伸ばすと、女は煙草の箱を取り出した。流石にギョっとしたのが分かったのか、箱を持ったままくつくつと笑う。

「私は成人済みだよ。……でも、そうだね。早く行きたいか。じゃあそこの駐輪場に停めてきて。お金は出すよ」

「は……はい」

 なんだか、小さく纏まった俺が恥ずかしく思えてきた。

 指定された住所そのものが、エリゼ先輩の案内する目的地ではなかった。俺達は自転車を停めて、少しの間歩かされる。その間、妙に歩きにくい道も通ったりした。

「帰りはちゃんと送るから大丈夫だよー」

 と、道を覚えてなかった俺らはその一言で安心した。

 先頭を歩くエリゼ先輩が、ふと足を止めた。突然だと感じたのは、辺りに、ひと気のない、如何にもな異種族の溜まり場は見当たらなかったからだ。

 しかし予想と反して先輩は振り返る。

 俺達の傍にあった建物は一つだけだ。

「ここだよ。じゃあ行こうか」

 言うと、何の躊躇いもなく――傍のホテルへ入っていった。

 建物に入るだけで音がサッパリと消えてしまう。ホテルの雰囲気はなんの後ろ暗さも感じない、普通……と言えばそれはそれで語弊のあるような、清潔を通り越して潔癖感があって、立ち入るには人物としての高級さが求められそうな、そういうホテルだ。

 スタッフもなんてことのない人間だった。エリゼ先輩が話に向かうと、ものの数秒で俺達に腕で丸を作る。俺にはホテルで〇を作る度胸はないと思う。

 エレベーターで三階に昇り、更に先へ進めば、カフェとオフィスの融合体みたいな空間が広がっていた。

「このラウンジが、私達の居場所」

 カフェ……じゃなくて、ラウンジには、何人かの人がいる。人とは言っても人間じゃない。角の生えた少年や、俺達みたいに身体から毛の生えた人型がいる。

「好きなところに座っていいよ」

 金髪の女が、穏やかな声色で言う。

「え……っと」

 頑張って馴染もうとしている茉理の肩に手を置いて、俺はエリゼ先輩に声を掛けた。

「俺達、場違いじゃないですか? ……なんで、ここに案内したんですか」

「え? 学校で言ったこと、忘れちゃった?」

「いや……。でも、先輩にとって俺らは、知らない一年生でしょ」

「でももう知ってる」

 声を割り込ませたのは金髪の女だ。上着を畳んで腕で持っていて、よく出来たドラマに居ると錯覚してしまうくらい、この人の放つ空気は違った。

「私は古木(ふるき)玲河(れいか)。大人と子供の間に、友情が芽生えるとは思うかい?」

 俺は、こないだまで連載していた少年漫画がすっごい好きだ。

 その世界では性別も年齢も問わず、かけがえのない一つの要素だけが彼らを『友達』という言葉で結んでいた。

「イヤなら強制はしないよ、勿論」

「エリゼ先輩……」

「だから、エリゼでいいんだって」

 そう言って、彼女はくしゃりと笑った。

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