――銀狼隊戦闘部・一年
椛野 穂咲(かばの・ほざき)
……赤毛の少女〈種子〉
――銀狼隊戦闘部・二年
鳴島 迅(なりしま・じん)
……黄髪の少年〈放電〉
虎郷 景善(こざと・かげよし)
……黒髪の少年〈浄眼〉
――銀狼隊幹部・戦闘部管轄
彼岸崎 錦(ひがんざき・にしき)
……空色目の少年〈心剣〉
「ったく、お前は要らねえ遠慮をしねえよな」
訓練室の中央に立った彼岸崎の言葉に、鳴島は動きを止めて眉を下げた。
「それ……は……良い事っすよね」
「おう。気持ちが良い、俺は好きだぜ」
一年生が体育祭の準備をしている最中、放課後になって間もない時間帯だった。
シャツのボタンをひとつ開けて、鳴島は呼吸を整える。
「多分アイツも、お前のそういうところを気に入ってたんだろうな。ただ、鳴島も人に胸貸す立場になったんじゃねえの?」
「かもっすけど、まだまだ力が足りないっす」
投げかけられた鳴島は不敵に笑う。それに応じて、彼岸崎の胸が光を放った。
〈心剣〉――薄紅色で出来た闘志の光を抜き放つ。
「それですぐさま
「――目指すべき上ってもんを、見たいだけっすよ」
雷鳴唸り、心剣が奔る。
一見して、鳴島の優勢に思える戦いだった。
心剣に臆さず、素早く懐に潜り込んで格闘を仕掛ける鳴島。一方で、一度纏う電撃に掴まれば忽ち敗色が濃厚になる彼岸崎は、やや引き気味に立ち回る。
リーチを活かして、鳴島を近付けさせない。
鳴島の優勢に思える戦いだったが、実状は異なる。
赤い切先が目の前を掠める度に、自分の弱点を痛感した。
「ガントレットはどうした! アレがなけりゃ、俺には勝てねえんじゃねえの!?」
黄色の残光が断ち切られる。能力を切り裂く心剣に、電撃は伝播しない。
ならばこそ、実体として在る混紡を振るい、鞭のようにしてリーチの差を覆すのが得策と言えた。不知火朱輝のオーダーメイドガントレットの役割は、鳴島の近付かなければ何も出来ない能力を補う為にあるのだから。
「んなこと言って先輩、容赦なく切っちゃうじゃないっすか!」
床を転がり刃を避けると、彼岸崎の足を払いに行く。
が、読んでいた彼岸崎。後ろに跳びながら、逆に鳴島の足首を斬り返す。
「っ……」
出血はない。〈心剣〉とは身体ではなく心を斬る能力だ。
彼岸崎の闘志が鳴島を直接刺激する。闘志そのもので斬られた鳴島の精神は、その強さに萎縮し、身体の動きを鈍らせる。
電光に劣らず輝いたのは、鳴島の培った危機察知能力。模擬戦であろうと負けたくない、そんな意気が身体を突き動かした。
回避に専念し、赤い連撃を掻い潜る。
「そう何度も壊されちゃったら、不知火先輩に怒られるってもんすよ」
攻勢に出るのは精神統一を終えてから。一度乱された闘志を再び練り直す。
「それが冗談としても……いつまでも道具に頼ってちゃ、見つかるもんも見つからないっすから」
この模擬戦の原点。
「オレは――変わらなくちゃいけないんす」
勇猛なる雷が再び迸る。
その様子を目に焼き付けたのは、彼岸崎だけではなかった。
「すごい……」
零した言葉を、虎郷先輩が拾い上げた。
「椛野、お前が任務に行ってから、鳴島はすぐ彼岸崎先輩に模擬戦を申し込んだらしい」
思わず顔を上げて、虎郷先輩の表情を見た。
固い顔付きをしている。揺るぎなく、二人の戦いを、残光を追い掛けている。
私は埼玉への任務に行く前日、鳴島先輩と話したことを思い出した。
『オレも、変わってみせるから』
……気後れしちゃ駄目だ。
私も、任務を経て変わった。そしてこれからも変わっていく、より多くの人に手が伸ばせるように。
「……あっ!」
駆ける鳴島先輩の足を、彼岸崎先輩は自らの足で止めに掛かった。痺れる事を良しとして、強引に勝利を決めてきた。
手をついて転倒を免れた鳴島先輩だけれど――進行方向には壁。左右どちらかに躱すか、一か八かで彼岸崎先輩に迫るしかない。
いや。彼岸崎先輩の方が速かった。
膝を折った姿勢の鳴島先輩に赤い心剣を突きつけ、場は静止した。
ガラスを隔てた待機室からでも分かる、雌雄の是非。
「足を払った時、自分の身体を心剣で斬っていたんだ。能力由来の電撃を最小限にする為に」
「そんなことまで出来るんですか……」
「俺も信じがたいが、確かに視えた」
虎郷先輩の断言に、私は再度顔を見上げた。
本来ならば凛々しく無雑な黒い虹彩があるはずの瞳は、光の停滞した白い虹彩に成り代わっていた。
虎郷先輩の能力を視る能力ならば、間違いはないのだろう。彼岸崎先輩は、自らを斬って電流を防いだのだ。
徐に片手を上げる虎郷先輩。どうやら、鳴島先輩と彼岸崎先輩がこちらに気付いたらしい。
「珍しい組み合わせだなぁこりゃ」
「そうっすか? 虎郷も、結構手伝ってくれるんすよ。オレや椛野さんに」
待機室までやってくると、二人は水分補給を挟む。
「そういえば、虎郷先輩はなんの用なんですか?」
「俺か? 俺は……なんの用ってものでもないが、強いて言えば椛野に用があった」
「私ですか? えっと……」
「強いて言えば、だ。加えるなら、この二人の模擬戦が見えたら観戦したくもなる。なんだっけ? 朽羽先輩に言わせてみれば……銀狼隊最強と? 能力格闘戦最強? だったか」
「虎郷テメー分かって言ってやがんな!?」
「絶対思ってないだろ! なんなら最強じゃなくてトップクラスだし。というかこれ彼岸崎先輩の丸々劣化ポジだし!」
「はっはっは」
ヒヤヒヤする揶揄い方するなぁ……。
「ったく、弟子が試験合格したから、調子乗ってんだよ」
鳴島先輩が目を瞬かせる。緊張が滲んでいるようだ。
別に、先んじて合格した人へ嫉妬は抱いていない。すぐ追いつくつもりでいるのだ、気にしてもいられまい。
……仙慈君なら話は変わるけど。
「弟子って、金時君ですか? そういえば、どういう関係なんでしたっけ」
「ん? ああ、入学前の付き合いでな。だが椛野、お前は用があるんじゃないのか?」
む、それもそうだ。
相談したいことがあって鳴島先輩を訪ねたけど、虎郷先輩がいるなら一層都合がいい。
「ですね、えぇっと……」
部屋中にアラートが響き渡った。アラートか、アラームか。
強い電子音が繰り返し発せられる。
「なっ……!?」
立ち上がって周囲を見渡す。彼岸崎先輩も立ち上がって……待機室の壁に触れた。照明スイッチのようなボタンを押す。
しん、と鳴り止んだ。胸の鼓動ばかりがうるさい。にしても三人は随分と落ち着いていた、座ったままの二人は警戒どころか、携帯端末を眺める始末だ。
「あー、椛野にはまだ話してなかったのか」
「何がですか……?」
「隊員呼び出しだよ。……椛野、お前に急ぎの任務が入った!」
演技と分かりつつも、私は肩を強張らせる。
「だが模擬戦をしていて連絡に気付かなかった。これじゃあいけねえ。だからって、端末を肌身離さず持ったまま模擬戦なんか出来ないよな。そこで開発されたのが呼び出しアラームだ。訓練室に入る時、隊員証をかざすだろ?」
頷いた。銀狼隊本部に入る時も、資料室でログを閲覧する時も、この待機室に入る時も、私達は隊員証を使う。
「隊員証は行動ログになってんだ。隊員に連絡する時、ログを見て、訓練室にいるようなら今みたいに呼び出し音が鳴る」
「じゃあ、今のは私達四人の誰かが連絡を受けていたってことですか?」
「用事が余程急ぎでもなけりゃ、連絡に応答がない時に呼び出しを鳴らされる仕組みになってる。観戦してたお前らよりは……。…………」
彼岸崎先輩は急いで自分の携帯端末を見た。
しかし、次に口を開いたのは、今まで端末を眺めていた鳴島先輩だった。
「オレっす。ちょっと先のショッピングモールで警護の任務が入ったんすけど……」
彼の視線は彼岸崎先輩や虎郷先輩ではなく、私に止まった。
「椛野さんも来るっすか?」
「あと一時間後に、モールのイベントスペースでコンサートがあるみたいなんですが、モール内に不審な人物が何人か確認出来たそうなんです。御三方には、念の為に警護をお願いします」
山を下る車の中で、助手席に座る支援部の人が簡潔に説明してくれた。
後部座席の中央に座る鳴島先輩が補足をする。
「警察は起こってないことには動けないって、朽羽先輩や依折がよく言ってる。心配だから来てほしい、っていうのは、少なくないんだ」
気持ちのいい声で先輩は言った。
言葉にはしていないけれど、鳴島先輩の意気込みに深く同調する。もし何もなくても、私達が来たことで気兼ねなくイベントを楽しめるなら、それでいい。
今日の車は特急スピードの運送車『銀雪』ではなく、また別の車だった。指定された時間通りに着けばそれでいい、ある種緊急性のない、銀狼隊のベーシックな形なのかもしれない。
「にしても、虎郷も着いてくるなんて」
「非番だからな。深く手出しするつもりはない、部下を使う気持ちでいてくれたらいいさ」
「ムチャ言うなぁ……」
目的地が近付けば緊張感も漂い始め、口数も減った。
私は昨日、キチンと正式に任務を終えたんだ。〈破壊工作〉の男を倒して、脅かされていた子供を守った。
今回も大丈夫。私はやれる。
駐車場はかなり混んでいた。運転手は停められる場所を探すと、先に私達を降ろして行く。
張り切ったはいいものの、この段階で私達がやることは限られている。彩上先輩が多喜根さんへ取り次いでくれていたように、今回担当してくれる支援部の少女が率先して進めてくれている。
依頼人と支援部の話が纏まるまで、私達はモール内のマップを見ていた。
「時間が時間だ。モール外周も含めた総洗いは難しい」
「三人で手分けすれば出来ませんか?」
先輩二人は難しい顔をする。
「虎郷」
「ああ。好きにやれ」
「……分かれるなら二手だ。椛野さんは、オレか虎郷と一緒に着いて」
「私は一人でも……」
「今回は、何か被害が出た時点で駄目なんだ。それは椛野さんにも同じことが言える。椛野さんだけじゃない、俺達みんなが、お互いをすぐカバー出来るように動こう」
……全てを一人でやりたいだなんて、物心ついた子供みたいな話だ。
「分かりました」
「俺は一人の方がいいだろう」
「だね。〈浄眼〉で周囲の警戒、頼むよ」
「ああ。地下駐車場も確認しておきたい、ついでに、外周も視るだけ視ておこう」
「よろしく。何か分かったら連絡して。オレらは一番上から順に見てくよ」
アイコンタクトを交わして、私達は二手に分かれた。
エスカレーターで最上階の四階に上がっていく。その最中、鳴島先輩に倣って辺りの構造を確認した。中央は円形の大きな吹き抜けとなっていて、イベントスペースを上階から見下ろすことも出来そうだ。
支援部の人から伝達された不審な人物とやらは、やや挙動が怪しい異種族グループ、人間の同行者も居たらしいが、目を離した際に見失い、現在の動向は分からないらしい。
「……ただ買い物に来ただけって可能性はありますよね」
「うん。……仕方ないけどね」
まるでそう思っていない。そんな顔付きだった。
この人はもう分かっているんだ。見掛けで疎まれる社会に誠実を説いたところで、何も変わらないって。
「今頃、入ってる店の責任者さんに外見が伝わったと思う。もし見つかればオレ達の方に連絡が来ると思うから、それまでは実際に歩いて立地を確かめよう。何か危ないものが置かれていたりしたら大変だしね」
「はい」
流石に大きめなショッピングモール、しらみつぶしだと演奏が始まるまでに洗うことは難しそうだった。やや駆け足気味に、四階、三階と確かめていく。
ふと右耳から真っすぐな声が聞こえた。
『駐車場に何か仕掛けられている痕跡は見当たらなかった。外周も、一目で分かる能力質なものはない』
「ありがとう。じゃー……えっと」
『イベントスペースを見張っておく。それでいいか?』
「あぁ、うん、よろしく」
通信が切れる。虎郷先輩の抜かりなさは任務でも抜群、安心してモール内を捜索出来る。
建物内の突き当たり、映画館になっているスペースを流し見て、私達は踵を返す。館内までは、確証もなく捜査出来る範疇を越している。警察手帳でもあれば話は変わるのかもしれないが、警察がここまで軽いフットワークで動くこともあるまい。
「そういえば、初めてだよね」
すれ違う人が多くなってきた。小さな声では伝わらず、聞き返す代わりに視線を送った。
「稲袋では……色々あったし。一緒の任務になる機会はなかったなって」
「あの時は、私が独断で皆に迷惑かけちゃいましたね……。もしもそれが無かったら、駅に現れたっていう《穢れた神話》も、倒せたんでしょうか」
「え? ……まぁ、彼岸崎先輩が合流してたし、皆で掛かれば、もしかしたらね。でも、椛野さんは追い掛けるべきだと思ったんでしょ?」
追い掛けるべき……まぁそうか。私は、偶然会ったあの少女の、辛そうに戦う理由を知りたかった。
『私は人を許さない。……復讐が出来るなら、何を差し出したっていい』
蛍光的な赤い目付きの、吸血鬼の少女。《強欲の吸血鬼》と呼ばれているけれど、あの時知れた事は、哀しい目的があるってことだけ。
「木枯銀河……《
「です、かね」
木枯銀河の目的もまた、復讐。かつての銀狼隊が奪ってしまった、彼女の弟の命に報いるべく、私達を目の敵にしている。
なら《
「……オレはね。沢山の人を助けたい。より多くの人を、オレの背中で安心させたい。椛野さんもそうなんでしょ? なら、応援するよ」
「――はい」
今傍にいるのは、《月面の麗人》でも《強欲の吸血鬼》でもない。鳴島先輩だ。
「初めてですけど、頼りにしてます」
「……上手く先輩出来るよう、頑張るよ」
照れ臭そうに、先輩は言った。
それから一階を除く全フロアを確認したけれど、不信なものは見当たらない。首尾がないまま、時が来る。
「一階は虎郷に任せて、オレ達はここから見張っておこう」
「そうですね」
その通信は、まるで見計らったかのようだった。
『五名でご予約のお客様。206のTUKIです』
片手に持っていた紙のマップを急いで開く。
「206……この階です。あ、あのアクセショップ!」
吹き抜けの縁から、少し離れた対岸の店を指差す。
「行こう。なるべく静かに」
「はいっ」
アクセサリーブランド『TUKI』。例の如く、通りがかる程度に確認したけれど、扱っているアクセサリーは手頃なお値段で、数万する商品を並べた別店舗があるこのモール内でわざわざ強盗に押し入るような店じゃないと思う。
二個前の店で減速し、なんでもなさそうに通りがかる。
静かに息を整えた。
「ぁ、ここちょっと見ていいかな!?」
「ぇえ? はい、そうですねっ。見ましょうか」
裏返った。
声が、二人共。
店員さんの『本当に大丈夫?』みたいな視線が痛い。鳴島先輩なんか、耳真っ赤だ。
……変な緊張のほぐし方だけれど、とにかく言ってた五人組は見つけた。というより、そこまで大きくもないお店のスペースに五人もいたら一目で分かる。
五月上旬、春真っ只中だというのに、一人を除いて長いコートのようなものを羽織っている。唯一の一人は、情報にあった人間だ。
ピアスがぶら下げられた棚を壁にしてそれとなく伺っていると、不意に二人が店から離れ出す。人間と異種族が店の外へ。残された三人の異種族は、妙に二人を視線で追っていた。
「……オレが後を尾ける。何かあったらすぐに言って」
小さな声に頷くと、先輩は迅速に行動へ移した。私達にヘタな芝居なんか要らなかったんだ。
さて、一人になってしまった分、より慎重にならないと不自然になってしまう。あまり姿を見せず、聞き耳を立てるに留めておこうか。
しかし三人共、声が小さい。というか弱々しい。会話がどれも震えていて、これじゃ不審と言われても、不思議ではない。不審と思われて当然、とは思わないけれど。
「や、やっぱ僕、かえ、帰りたい……」
脅されているのか? 二人は引き留める言葉を放つも、やんわりと同調する素振りがある。
『二人はじょ、女性用のトイレに並んでる……』
了解です。監視するとは、大きな声じゃ言えないですね。
今も三人からは「どうしよう」「やめておけばよかった」なんて声が聞こえてくる。
平常ではないことは確かだ。いや、明確にどういう状態なのか、彼らが何をするつもりなのかを、言葉で表す気も湧かない。
困っている、ならば助ける。それだけだ。
……。
もしもこの人達が黒豹隊だとして、もしも私が手を貸して、そうすると未来で不幸になる人を増やしてしまうのだろうか。
「馬鹿。違うでしょ」
目に見えないものを疑って人を助けないなんて、バカバカしい。
「先輩。三人……困ってるみたいで。ちょっと、話します」
『…………分かった』
背中を押すように力強く、鳴島先輩は認めてくれた。
不思議と足取りは軽やかになって、私はなんでもなく三人の前に姿を晒した。三人は面食らった様子で、すぐに行動を起こす気配はない。
「あの、何か困ってますか。力になれますか?」
背面からでも尻尾が覗いていた通り、爬虫類に近い顔の作りをした異種族だった。成行きで真ん中にいる青年に話し掛けたが、唇を震わせるだけで、意志表明は曖昧だ。
他の二人を見ても同様。
相手の立場になってみれば、今は叱られているような気持ちなのかもしれない。
「え、えぇと、ごめ、なさっ……」
「私は貴方達の敵じゃないです。困っていなければ、それでいいんです。困っていたら、力にならせてください」
短い時間で話を聞いてもらう、そして聞かせてもらうには、人の目を真っすぐ見て正直に話すしかないだろう。
緊張させないよう、穏やかな空気を作っているつもりだけれど、どうだろうか。これ以上言葉を重ねたら、逆効果だろうか。……分からないけれど、とにかく対話だ。人を助けたいならその人を知らないと。全人類に通用する救済なんてありはしない。大袈裟だけれど、本質だと思う。
「あの……わから、なくて」
「分からない……?」
「ごめんなさい……」
「あぁいや、えっと……取り敢えず、一旦お店から出ますか?」
蛇口を捻りすぎてしまったみたいに、青年の語気が突然強くなる。
「此処から離れたら、はぐれるっ、ので」
「お連れの人がいるなら、すぐそこにしましょう。…………因みにどんな関係なんですか?」
我に返ったように、銀狼隊としての振舞いを努める。不自然かもしれない。朽羽先輩とか……辻君とかも、もっと上手く誘導するのかな。
青年が言い淀んたところを、女性が代わって言葉を繋ぐ。
「恩人のようなものです。血縁とかでは、ない」
「そうですか」
明るい語調で応えて、店の正面の手すりに集まった。もうじきコンサートが始まるからだろう。多くの人が吹き抜けの手すりに集まっていて、少したむろするくらいならなんてことなく紛れ込める。
さて、アクセサリー売り場で困るとしたら。二度目になるけれど、特別高いわけでもないから、お金の問題は一旦考慮しなくても良いと思う。私がアクセサリーを売るところで困るとしたら、どんな理由だろう。
『――誕生日おめでとう。どうか志の往く先、幸運があらんことを』
贈り物。
……あぁ、もう、インパクトがありすぎて、芋づる式で記憶がよみがえってしまう。モール内の人混みが、記憶の中の商店街と同期して、むやみに注目を集めているような錯覚さえ起こる。
ひとまず仙慈君を抜きにしても、振るには無難な話題だろう。
「誰かへの贈り物、とかですか?」
言葉少なでも視線は雄弁だった。四方に動き回る瞳がぴたりと止まった後、青年はこくりと頷く。
「僕、ずっと、人の多いところを避けていたから。でも、ずっと避けるわけにもいかなくて、一人じゃ駄目だから。けど、何が欲しいかも分からない……」
「……手伝っても良いですか? 贈りたい人の事、教えてください」
先程言葉を挟んだ女性が、やや気難しそうな表情に変わる。出過ぎた真似だったか、ここで不興を買うのも不本意だが。
「何故そこまで。追い払うのに賢くないやり方でしょう」
「え? ……いや、追い払うとかじゃないです。困ってるなら、助けになりたいって思っただけですから」
「どうしたの?」
年若い男の声が不意に飛び込んできた。見れば、鳴島先輩が後を尾けた二人組だ。ふむ、高い男性の声だと思ったけれど、童顔か女性か、土内さんみたくどっちでもないか、どうにでも見れる容貌をしている。性別を気にするべき場ではないのが助かるところだ。
「困ってる様子だったので、力になれればって思ったんです。贈り物を選んでいたんですよね?」
「…………ああ、そうだよ」
少年――男女分け隔てない意味を持つし――は明らかに怪しく思っていた。爽やかな受け答えに、なんでもなさそうな表情だけど、先ずは身内の眼差しをちゃんと見て、私のことを判断しようとしている。
ここでトラブルになったら不味い。こちらにトラブルを引き起こす理由は一切ないし、向こうもトラブルを起こしたくて起こすわけではないだろう。けれど、些細な不信感と守るべきものがある責任感があれば、激突する要素を充分満たしていると言える。このグループはお互いのことを思いやってるように感じたが、どうだ。
「うん、それなら。ワタシも実は困っていたんだ。普通の女子高生って何が好きなのか、イマイチ分からない。良かったら教えてよ」
「……! ええ。任せてください。一体どんな子なんですか?」
「やったね。椛野さん」
クラシック音楽が、慎重に空間へ注ぎこまれる最中、五人の後ろ姿を見ながら先輩は笑った。
父の再婚相手が連れた娘……平たく言えば継子である妹へ、入学祝いを渡したかった一人の青年。話を聞くうちに、私の中の世界に、ドンっと別の世界がくっついたような気分になった。私には、とても縁遠い話。けれど、贈る相手は私の同級生で、何処か親近感を帯びたりもしている。知れば知る程、後悔の影は消えていった。
「……ありがとうございます」
「オレはなんも。結局出ていくタイミング無くしてたもん」
バイオリンが胸を掴んだ。心臓に繋がる脈が、弦と共鳴するように揺れているような気がした。
無事公演されたコンサートに耳を傾け、安らかな想いで鳴島先輩の言葉を訂正する。
「鳴島先輩が許してくれなかったら、私はあの人達の笑顔を見られませんでした。……別に、笑顔が見たいからやってる事じゃないんですけどね。不幸な人がいてほしくないだけで。でも、笑ってるのと困ってるのじゃ、笑ってる方が気持ちが良いです」
「…………オレは、多分……最後まで様子を見てたかな。でも、それじゃ今回のようにはいかないよね。椛野さんに着いて来てもらってよかったよ」
「本当なら、先輩の方が正しいんだと思います」
「どうなんだろうね。オレは多くの人を守れるように、最後まで様子を見る。でも椛野さんは、多くの人を助けたくて、話し掛けに行った。守りたいと助けたいって、違うのかもね」
迷いのある言葉だけれど、清々しい声色だった。
クラシックのBGMが無くても、周りが交差点の雑踏でも、静かな放課後の廊下でも、私はどんな場面でも――先輩の言葉を今受け取ったように解釈をすると思う。答えの出せない宙ぶらりんな二つの始発点。どっちが正しいとかじゃなくて、二つの始発点から、より多くの人の手を取れると良い、そんな希望めいた解釈を。
「キャアァァァアアアアア!!!」
悲鳴が音階を崩した。クラシックの、平穏の、終わりの!
頭上から聞こえた。上階からだ、何があってもエスカレーターじゃ遅すぎる。私達は弾かれたように柵から身を乗り出す。
上から――吹き抜けを子供が落下している!
「ッ!」
「椛野さん!?」
考える時間はなかった。
柵を飛び越えて、落ちる子供を抱きとめようと両腕を伸ばした。論理的思考はない。
「ふっ……!」
両腕に収まった瞬間、重力が万倍にも膨れ上がった。落ちる、コンサートのど真ん中、酷ければ楽器を――人を下敷きにする。
脳が弾ける。
唯一の解法が過去から今へ翻る。
夜更け。仙慈君と、人の屋敷で二人喋っていた。
『強いものを使った方が強いのは当たり前な話だろう? 腕より足の方が筋肉があるように、人間の身体より武器の方がより効果がある。そういう話だ』
あの時も、私は閃きのままに――。
ピンと伸ばした足に種子が触れる。刹那の感触に反射するんだ。
自分の足に種子を巻き付けるだけじゃ骨が抜ける。だから巻き付けた後、即座に自分を放り投げる。
心の中で唱えろ。より強いものを軸に、空中を奔る――《
「かはっ、……ぅ、う……」
上階からの自由落下が、横へぶん投げられる……衝撃を殺し切る猶予はなかった。店の壁に私の背中が叩き付けられて、べしゃりと身体が地面に落ちる。
心臓がうるさい、酸素が足りてない。
「椛野! 大丈夫か!」
聞き覚えのある声。
……。
「ぁ、大丈夫……です。君は……?」
強く強く抱きしめていた子供を、ゆっくり離す。
そしてワンワンと、少年は泣き始めた。
結局コンサートは一時中断、私達は最後まで聴くこと叶わず、送迎車で月桜学園に帰ることになった。
「本当に大丈夫? なんならオレ達トランクでも良いけど」
「良くはない。その時はタクシーで帰るぞ」
「あ、うん……」
苦笑して、私はシートベルトを付けた。
「打ち付けた場所は痛いですけど、骨は問題ないと思います。すぐに立てましたし」
「そっか、良かった……」
「大手柄だったな。下で待機していたのに、不甲斐ない話だ」
エンジンが掛かると背中が地味に痛む。まぁ、数十分もしないので、我慢我慢。
どうやら少年の落下は完全に事故だったようで、押された拍子に、母親の腕から子供が抜けてしまったらしい。パニックになった少年だけど、怪我もない、脳震盪とかの心配もないとのこと。
「土壇場でしたけど、良かったです、本当」
四階からの落下。間違いなくただでは済まなかった。
「出来るようになったんだね。ブランチ・スクリプト」
「まぁ、任務中……ちょっとしたアイデアを見つけたんです。私、今までずっと、腕に枝を巻き付けて自分の身体を操ろうとしてました。でも、思うように制御が出来なくて。けど……腕より脚の方が筋肉がある。腹筋も鍛えてますし、高度さえあれば、脚の方がずっとやりやすかったんです」
「サーカスの空中ブランコみたいだったな」
「あの、膝でブランコにぶら下がるやつ?」
「正確にはブランコじゃなくて鉄棒なんだが。兎も角、ブランコを枝木に見立てれば、重ならないか? ブランコの遠心力を腹から下で制御して空中を滑るのは」
言われるまで気にも留めなかった。一度脳内で空中ブランコの絵を思い描いてみる。
膝で鉄棒に宙づりになって、ブランコの振り子運動を利用して飛ぶ……。これは枝木を振り子運動させて空中を走る技だ、案外、想像以上にしっくりくる
「いいですね……ちょっと、後で参考にします」
「……」
「自分の能力、すっかり掴んできてるみたいだな」
元気よく返事をするはずが、喉のすぐそこで言葉が詰まった。
車が信号に阻まれる、ウィンカーが焦燥感を駆り立ててきた。私は未だ私の能力を知らない、向き合っていない。ゆめ忘れるな。そう言いたげに。
「どうした?」
「その、昨日の任務で……妙な事があって」
二人は静かに聞いてくれる。私は〈破壊工作〉の男、邑来と戦っていた時のことを思い出しながら言葉を選んだ。
「私の身体が、今までにないくらい絶好調に動いた時があったんです。普段の何倍も力が出ていて」
絶好調に入って嬉しかった、という話ではないのは二人も承知している。
けれど、と予定調和で話の舵を切った。
「それは……種子が壊されてからの事でした。種子が相手の能力によって壊されて、すると、何か…………夢のようなものを見てから、身体がおかしくなった。倒した後なんか、すぐに気絶しちゃったんです」
「能力暴走……?」
「いや、今までの能力運用を鑑みて、種子の能力が暴走した結果起きたとは思えないな。少し、じっくり考える必要があるかもしれない」
「あ、ありがとうございます」
「今日のところは休んで、また都合の付く日に、俺が能力を視て話を詰めていく。で……どうだ?」
「なんでオレに振るのさ」
「勿論椛野の意思が第一だが、その次に尊重するべきは鳴島だろう。師匠ではないにしろ、後輩に教えていた身だろ? そこで勝手に俺が方針を変えるのも、行儀の良い話じゃない」
「…………別に、オレは能力について力になれることは少ないしさ。椛野さんが良いなら、視てやってよ」
なんか、鳴島先輩にしてはすっきりしない口振りだ。
虎郷先輩はピンと来たのか、鳴島先輩に隠れて薄ら笑いを浮かべる。
「ま、そういうことなら。もうすぐ着く、話はまた今度詳しく聞かせてもらっていいか?」
「はいっ。よろしくお願いします」
私達は月桜学園敷地の駐車場に降ろされた。車から出ると、ビキッと背中が固まった感覚がして焦ったけれど、単にずっと同じ体勢だったからみたい。
すっかり暗くなって、見上げれば雲一つない宵空に大小様々な星が瞬いていた。
今日の支援部の人は口数の少ない人で、目を離したらすぐ消えてしまった。彩上先輩が際立っているだけで、誰も彼もが仲を深めたいというわけではないのかもしれない。
私達も寮に戻ろうと足を進めたところで、虎郷先輩が少し屈み気味に私へ近付いた。
「多分鳴島、拗ねてるんだ」
「へ?」
「……凹んでいるの方が、あいつの名誉に優しいか。あまりいいところがなかったし、車内でも口数少なかっただろ。聞けば鳴島の知らないところでブランチ・スクリプトを掴んだようだし、能力の話で俺がでしゃばってしまっていた」
「……疲れてるだけじゃないんですか?」
「さてな。ただ、このまま俺が椛野を盗ったような関係になるのは控えたい。お前からも、声を掛けてやってくれ」
「わかり、ました……」
私より付き合いの長い虎郷先輩が言うのなら、てんで的外れでもないだろう。言われてみると、なんだか先に行く背中が寂しそうに見えてくるような。
でも果たして、鳴島先輩がそこまで私に重点を置いているのだろうか。
『椛野さんは任務で見違えるのかもしれないけど、オレも、変わってみせるから』
……今日の私は、人の疑い方がヘタだ。
簡単な気持ちで誓って、簡単な気持ちで彼岸崎先輩と戦っていたわけ、無いに決まっている。
「鳴島先輩!」
「ん?」
しかし話し掛けてみると、朗らかな人好きのオーラを漂わせる、至って平常運転に思えてしまい、やや尻込みしてしまう。
そもそも何かを話すべきだとして、何を話すか全く考えていなかった。
「どうかした? 任務の報酬の話なら、多分夜か明日にでも連絡が来ると思うよ」
「いやっそうじゃなく。えっと……」
今度はさっきみたいに行かないぞ。さっきは『私は貴方達を気遣いますよ』と正直にアピールしてよかったけど、後輩の私が『先輩! 貴方に気を遣ってます!』はあんまりだ。あんまりにも悪い後輩だ。
えい、ままよ。
「わっ、私は……少しですけど、変わりましたよ!」
「……。……!」
茶色い、柔らかな瞳をパチクリとさせて、鳴島先輩は私の顔を見つめた。
気まずい沈黙が、寮の前で漂った。
だから、つまり、と続く言葉を探している間に、息の漏れる音がする。
「へへっ……。――うん。オレも、頑張るよっ」
「――! はい、頑張りましょう!」