白夜と藍嵐   作:凍星 奏雨

6 / 59
注 未リメイク


第六話 銃声、急転

 立ち入り禁止を踏み越えて、明かり一つない夜の一角へ進み入る。朽羽(くちば)先輩や私に続く金時(きんとき)君、真代(ましろ)。そうした皆を躊躇いがちに見やる仙慈(せんじ)君へ声を掛けた。

「銀狼隊の活動は警察とかの機関から許可も出てる。大丈夫だよ。ですよね、朽羽先輩」

「うん、よく知ってたね」

「以前人に教えられました」

 そういう事ならと仙慈君も続き、私達はもれなく再開発地区に立つ。

 異種族や能力者の不平不満が爆発した結果、大規模な被害が出るのは珍しくない。シャッターのひしゃけた店や粉々に割れた植木鉢、人工的な明かりが見受けられないこんな退廃的な区画でも、街ごと廃棄されてないだけマシである。

 インフラの通りはまちまちだが、生きている区画が隣接しているこの地区では通っていてもおかしくはない。そうなると薄暗い活動を行なう際のアジトとしてうってつけだが、果たして。

「もし戦闘になったら余程の事がない限り私から離れないように。私が護れるのは、護ってもらおうとしてる人だけだから。後は──」

 先輩は言葉と歩みを止める。理由は目前、月が現れたからだ。

 小さな住宅程の規模の球体は仄かに白く発光していて、やはり頂点には人がいた。クレーターの如き凹凸を浮かべモノクロな配色を纏っているそれは間違いなく月で、故に既視感のある非現実を見間違うはずはなかった。

「子守に散歩かい? 殊勝な事だね」

「……知らないだろうけど、普通子供連れは日中に散歩するんだ。君のは、見下しているんじゃなくて常識知らずなだけだよ」

「冗談じゃないか、全く嫌われたものだね。銀狼隊、随一の出世頭さん」

「はは、そうだね。出世の秘訣を一つ教えるなら──誰かと話す時にはそれなりの準備を並行しておく事かな」

 先輩の言葉を皮切りに、月面に座る女性へ白い靄が立ち込めた。それが冷気ということに気付く頃には、彼の言う準備が何を意味するのかも理解する。

 鋭い目付きの先は十メートル程先の空間、捉えるべき相手をしかと収め先輩は呟く。

「捕まえた」

 冷気に覆われていた彼女は突如として氷像と化す。青く透ける物質に閉じ込められた姿は琥珀にも思えて、内部から砕ける程の余剰もないように思えた。青い琥珀の牢獄が、早くも敵の一柱を確保する。私達が関与する出来事は何も起こらず。

 いいや、これは戦いの始まりを告げただけに過ぎない。

「皆、まだいるかもしれない」

「そうだね、幾ら脱出手段があったとしても単独は考えにくい。そも彼女の能力、一人では何もできないだろう」

 苦い顔をする仙慈君。警戒だけでは浮かばないであろう皺根には察するものがあるが、一旦置いておく。

 周囲の住宅、その一軒一軒に敵が潜んでいるような錯覚。金髪の女、言うに《月面の麗人》が待ち伏せていたとしたら、迎え撃つ黒豹隊もまた情け容赦なく私達に牙を剥くだろう。

「戦場に立つ支援部は戦況の変化、異常を感じ取ってサポートする事になる。友達と同じ場所に立つなら忘れずにね」

「えぇぇ、無茶だよぉ」

 弱音を吐きながらも、懸命に首を回す真代。傍には金時君が付き、護衛の構えはそれなりといったところ。

 仙慈君に背中を合わせ、小声で問う。

「右眼の能力、私で溜めた分は使えないの?」

「残念ながらね。あれは対象を決めて使うんだ。君の思い描く広範囲殲滅は、誰にも目を合わせてない現状不可能だ」

「そっか」

 私が囮になるというのも思い付いたが、敵一人が凍っている状態でこっちが急く事もないか。

 誰もか閉口し、張り詰めた空気に涼風が通る。均衡を破るのは真代、そして彼女の視線の先にいる人物だった。

「あ、あそこ──」

 意識を撃ち抜く遠くの破裂音。振り向くとそこには、真代の眼前を阻み護る氷壁が現れている。

「銃器か、面倒な」

 愚痴混じりに真代を見やる先輩。しかし、彼の前にはあるべきものがない。月は消えていた。

 かき混ぜられた秩序。動乱の始まりは一発の銃声で、便乗するのはやはり潜んでいた者達。

 最寄りの塀からナイフを片手に持つ異種族が現れた。それだけに留まらず、骸じみた住宅街は一斉に活気を放ち始める。

「狙撃手は私が詰めます。真代坂さん、案内を」

「わっ、えぇ!?」

「待った。離れたら私でもカバーが出来ない」

「銃弾程度でしたら、捌いて見せましょう。では後程」

 耳にするのが精一杯、銀の刃を後ろにいる仙慈君へ向けさせないよう対面の相手へ集中する。

 この戦いの鍵は仙慈君が握っているのだ、決して邪魔はさせない。

 

 

 真代を左腕に抱え、白髪の少年は宵街を駆ける。

 幾ら小柄といってもあくまで人体、易々と持てるものではないはずだが、右手で刀剣を突き出しても彼の疾駆は衰えを見せない。そこで快適ではない運搬に苦言を呈すのは、また別の問題である。

「一人で走れるよー」

「私、枷がないとつい全力で走ってしまうので。敵は何処です?」

 猫の眼らしく、夜目が利く階調髪の少女は確かにその目と合った。スコープを覗き引き金を引いた狙撃手と。

 事態の真面目さに沿って、誘拐さながら小脇に抱えられたまま思い出す。確か、ドアが並んだ高い建物に居たような。

「この体勢じゃわかんない。さっきまではー、マンションかな? の真ん中位にいたよ」

 金時が見渡す限り人影の在るマンションはない。そもそもマンションか買物施設か、それとも別の建物か、明かりが無くて距離が有る現状は人を判別する段階にすら立っていない。

「随分と視力が良いのですね」

 賞賛を述べた金時へ、一発の弾丸が放たれる。銀狼隊の狙撃手が使った非殺傷性のものではなく、頭蓋に命中すれば脳漿を飛び散らせる銃弾が。

 寸分の狂いなく白い頭へ撃ち込まれる予定だったそれは、気味のいい金属音をもって阻まれた。

 遠くの破裂音に身体を向けた金時は数瞬立ち止まり、刀剣を構え直す。

「嘘ぉ」

「居場所、知らせてくれましたね」

 闇を撫でる銀色が軌道をズラし、弾は仕事のこないカーブミラーへ衝突する。弾痕代わりに抉れた鉄柱を振り返らず、撃たれた方向へ少年は直進した。

 彼の刀剣は在る一点に秀でた特異な刃であり、和製の柄に合わぬ異質な刃境の長さがそれを示している。

「ご安心を。まぐれではありませんから」

 視界に銃手はいないが、己の技量と得物に通ずる余裕が態度に現れていた。いまいち乗り切れず、抱えられたままの真代は訝しむが、少年と視線が交わる事はない。

 彼の走行速度と言えば、ものの数分で帰り道の分からなくなる程。人がいないのをいいことに無理矢理な近道を数回挟み、まさしく孤立無援のフルアクセル。しかし廃棄された区画と言ってもそれはせいぜい街全体の数割、一般的な高校生をゆうに超える速度で駆け抜ければ、そこは街灯並ぶ通常区画。

 呆気なく変わった景色に再度止まった金時が、笑みを剥がして眉を上げる。

「厄介ですね。帯刀して走れません」

「わたしはね、とてもおなかいたい」

「それは失礼。仕方のないことです」

 抱えられた少女の腹筋と世間体をいたわり、ゆっくりと地面に降ろす。足が引きずられないよう力を込めて堪えていた真代は、流れるままに座り込んだ。冷えたコンクリートも今は愛おしい安心感である。

 平時はかなりの長身だが、姿勢を下げたまま疾走した挙句両手が塞がってまでいれば、運搬してる者の体勢まで気は回らない。仮に回せる人物だとしたらあんな乱暴に人は運ばないだろう。

 次手にこまねいた金時へ再び凶弾が襲う。右側面、刀剣の支点となる肩へ向けて。

 手先で柄を反転、切っ先を上にして刀剣を振り上げる。ハエを払うようにかち合った得物と飛来物は双方衝撃を受け、金時が弾かれた刀身の勢いを殺す間に、鉛は明後日の方向へ着弾した。

「しまった。跳弾というものがありましたね」

 追撃に備え睨んだ先、小高い建物はマンションと分かった。三棟集まる等間隔の明かりは疑いようもなく、恐らくは屋上にでも居るのだろうと推察する。厄介な事になったと小さく息を吐いた少年の下、座り込んだ少女は同じくマンションを見上げて呟く。

「飛んでる」

「ふむ? 移動が速いとは思いましたが、なるほど。してどちらに?」

「あ。目が合っちゃった。降りてっちゃう」

「目が暗闇に慣れている。翼もあるとなれば、悪魔でしょうか」

 身体の調子が戻ったのか、真代は立ち上がりながら相槌を打つ。続きを促された少年は、腰に差した鞘へ剥き出しの刃を収めながら語った。

「悪魔という種族は個々人で大幅に身体特性が変わりますが、中でも有翼というのは多い。加えて、基本光には弱く暗視に秀でた眼球も。やりやすくなってきましたね」

「なんでやりやすくなったの?」

「移動手段が飛行なら貴女が空を見上げていればいい。徒歩なら銃は携行出来ないでしょう。私があの方面へ詰めれば、じきに抑えられます。(いとま)があれば椛野さん達の戦況にも関わりたいですが、それは過ぎた願い。致し方ありません」

 あれこれと自己完結してしまった相方を不安そうに眺めながらも、真代は次第に了承した。

 アキレス腱を伸ばし、ランニング直前のような気軽さで金時は張り切り出す。一方で言われた通り空を眺めながらも、少女は携帯を取り出した。

「私はもう一人で大丈夫だと思う。なんかあったら連絡するから、電話繋げておこ」

「そうですか。でしたら気兼ねなく。単独でいかせて貰いましょう」

 スピーカーにした携帯を上着に埋めて、刀剣の調子を確認する。居合も心得があるのか、即座に抜刀出来るよう。

 塀にもたれ掛かり空を見る真代。念の為すぐに遮蔽へ隠れられるよう確かめながら、彼女は全員の健闘を祈る。大切な友人や、癖のある奇縁へ。

 そんな癖の代表とも言える金時へ一瞥し手を振れば、これで暫くは落ち着くかと気を抜く。少年の背中を眺め、躊躇いなく屋根へ跳躍する姿に最後まで驚かされながら。

 長い足をめいっぱいに使いこなし、パルクール顔負けに最短距離を往く。正面突破という言葉がここまで似合う状況もそうない、風を切っているのか夜風が吹いているのか分からなくなる疾走だが、糸目が功を奏して眼差しは一点を絶えず向いている。

 建物が途切れても最低限の受身を挟み、速度を殺さぬまま登り駆ける。時折住民に見られる事はあったが、これより騒動になりそうな者がこの先にいるのだから気に留めることは無い。

『今のところは異常なしだよー』

 真代の声を信じて目撃地点までの距離を縮める。絶えず泳ぐ白髪の束が夜闇に映えて、だからこそ彼の姿は見つけやすい。

 金時の眼前数百メートル。目が合ったとしたら、それはスコープ越しであった。

 発砲音は先程より近く大きく、故に着弾の猶予も少ない。抜刀の択を瞬時に捨てて身体を捻る、面積を搾って被弾を押えた回避行動は、しかし左腕を抉られた。貫通もせず、肩から肘の間にある機能性の乏しい肉である為問題は無い。出血に直近の危険性もなければ、痛みも彼の鉄面皮を揺るがすに満たなかった。

 猛追は止まらず、屋根を跳躍する。

 飛行で反動に抗い、二発目が放たれる。地上よりも圧倒的に選択肢の少ない空中へ、狙い済ました鋭利な鉛が飛んでいく。

「巧い」

 柔らかな音の消えた、それは独り消えゆく感嘆の表れ。銀閃を解き放ちながら呟いた言葉には敬意が乗っているが、それが銃手へ届くことも、望んだように実を結ぶこともない。

 居合の要領で弾いた銃弾は乱回転し打ち上がる。

「先程のやり取りが無ければ、弾く先に気を遣う事は無かった」

 煩わしいレバーアクションを行なう銃手の目には、淡白に追い詰める冷徹な剣士が写っている。逃亡は難しいと判断したのか、背を向けられない矜恃があるのか、無常にして無情な死神へ銃手は立ち向かった。

 三射目。既に反射は困難な間合にある金時だが、その身体に致命傷が増えることは無い。

「素直な方ですね」

 長距離狙撃でもブレを見せない敵の腕前を信じ、銃口の先に従って刀身を振るう。思惑通り、地面へ強く弾かれた銃弾は無害な飛来物となって住宅地に転がるだろう。

 数秒かからず一軒駆け抜ける金時の脚力を持ってして、銃手との距離は残り四軒。

 屋根の先、闇夜の翼で浮かぶ銃手は狙撃銃を放棄し、ベルトで止められた背中の火器へ手を伸ばした。

「舐めるな」

 抜刀のように引き抜かれて現れたのは、散り広がる無数の弾が至近の敵を凄惨なレンコンにしてしまうような散弾銃。落ち着きのある憎悪が引き金へ指をかける。

 散弾銃の宛先は無形の夜空へ、最後まで金時射弦(いづる)を撃ち抜く銃弾は現れなかった。

 振り上げた刀剣が弾き、散弾銃がコンクリートへ転がる。疾駆のままに飛び掛かられた銃手はなすすべなく銃と共に倒れ伏した。

「お前、隠していたな……!」

 銃手が散弾銃を取り出した時、間違いなく間合は正しく在った。刀剣では幾らか足りず、散弾銃の独壇場となるはずの空間が。発砲の寸前銃手が見たのは、打撃めいた衝撃音と共に加速する金時の姿だった。

「私、全力は出さない主義でして。これは顔を隠していた無礼と分けにさせて頂きます」

 銃手の胴に馬乗りとなって、刀剣を地面に突き立てる。耳元で劈いた音に銃手は委縮し、次第に己の行く末を察する。

 静止した二人に、春風とは名ばかりの冷ややかな風が通り抜ける。何気なくその方面を見てみれば、再開発地区の方面にはささくれだった氷塊が家を飲み込む勢いで顕現していた。

「真代坂さん、聞こえていますね。私のいる場所へ警察をよろしくお願いします。その後の判断は委ねましょう。私含め皆さんと合流するならば、場所は分かりますね?」

『う、うん。正直なんもわかんないまま終わったけど、分かった』

 携帯を上着へ直せば、引き渡す相手が来るまで銃手の上で待つつもりのようだった。以降は何が起こっても戦闘ではないのだろうと、銃手は悪魔の証である黒翼を収め、目を瞑って脱力する。五体投地だ。

 肺が圧迫されつつも、喋れない程ではない。言葉を短く選んで銃手は発語した。

「何故全て弾けた。両断ではなく」

 あぁ、と何気ない相槌を交わす少年。少し考えた後、刀剣を持ち直して、自分の口を隠すように見せびらかす。怪訝ながらも律儀に、銃手は少年の語りを待った。月の光を受けて輝く銀色の刀剣、横に長い和製の柄や刃境の広い刀身は、銃の巧者でもピンとくる程に扱い辛さが目に見える。

「この通り得物に秘密がある訳ですが、恐らく私、今後何度も説明する予感がありまして。故に沈黙で返しましょう。貴方の未来には長い空白が訪れる、不可解な事柄は退屈凌ぎになるでしょうから」

 自ら投獄させる相手へ気遣いとも取りにくい対応をする少年へ、銃手は呆れ混じりに口を閉じる。

 それはどのような拘りなのか金時は知る由もないが、銃手は最後にもう一つ質問を投げた。

「じゃあせめて、銘は聞かせろ」

「あぁ、そういえばそんなものもありましたね」

 刀剣を地面に突き立て、身体を踏みつけながら金時は立ち上がる。少々月を見上げたかと思えば、白い房をなびかせて彼は答えた。

「忘れました。物覚えが悪いので」

 なんなんだ、と吐き捨てる銃手。困惑というよりは嫌悪、自分の扱う武器に対してのアンバランスな執着に示した不理解であった。武器を尊ぶ銃手の感情は、やはり知り得る事はないのだろう。

 絨毯にされるのもそう長くはなく、赤い明かりを振り撒きながらやって来たパトカーが二人の傍に停車する。耳うるさいサイレンに眉を落としながらも、金時は軽く腕を上に挙げて警官に応じた。

「話は何処まで伝わっていますか?」

「あぁ。君達が出動した経緯と、君が戦って確保した事は聞かされたよ」

「話が早くて助かります。では、この場は任せました」

 金時が銃手から足を退ける。パトカーから現れた一人の警官が歩み寄った時点で、少年の関心は別の戦場、椛野達の方へ向いていた。また一つせりあがった氷塊を、もどかしそうに見ている。

 銃手は立ち上がり、そして、再び黒翼を展開した。

 警官は咄嗟に後ろへ飛び退きパトカーにぶつかる、予定外の脅威に声を漏らしながら。

「なっ」

 果実のように青く染まる肌、黒く塗られた爪、おぞましく表面化された人間社会にとっての異物。銃手はそれ以前として、悪魔だった。

「少しでも、多くの戦果をォ!」

 警官に向けて動脈じみた青い腕を振りかぶる。目に冷徹さはなく、その代わりに悪魔の内包している加虐性が満ち溢れていた。運転席に座ったもう一人の警官が刮目するのは、悪魔に襲われる上司ではなく、地面から刀剣を抜き──躊躇いなく振りかざす少年の姿だった。

 宵闇色の翼ごと悪魔の右腕を切断する金時。その表情に熱はなく、無関心に血を浴びる。

 響く絶叫に構わず直立する糸目の少年。熱も情もないその眼差しは、見下しているとも嫌悪しているともとれる顔であり、この場の誰もが恐怖を抱く。次の狂暴を咎める為に刀剣を構える金時だが、地面に転がる右腕と悪魔を見て、小さく息を吐いた。

「悪魔に隙を見せたらこうなります故、次からは迅速に麻酔を使用してください。右腕は、くっつけておけば繋がるでしょう、彼にそのつもりがあるなら」

 目で促された車内の警官は、怯えながらもスプレー缶を手に取り出てくる。強盗に命令された店員のようだった。

 もう一人の警官は悪魔の救命に動く。振るわれながら切断された腕は彼の顔面に飛んでいき、非現実的な感触でぶつかった。彼もまた巣食うのは恐怖と戸惑いだった。右腕をくっつければ早くも繋がり始め、気味の悪さを隠さないまま金時を見上げる。その視線に応え、金時もまた警官を見下ろす。

「君のような隊員は初めてみたよ」

「えぇ。今日は初の出動ですから」

 スプレー缶から噴射された煙を吸い、悪魔は眠る。刑務所の繁盛は未だ絶えないだろうし、麻酔の調合も止まる事はない。

 去っていくパトカーに脇目も寄越さず金時は駆け出した。

 吸えば痛む鼻。開ければ乾く目。疾走する彼の手は赤くかじかみ、しかし顔には確かに、触れればうつる熱があった。

 

 

 黄土色で均一の図形が並んだ皮膚、爬虫類じみた肌の男が私の前に立ちふさがる。右手にはナイフ、なるべく慎重に相手をしたいところだが、背後の仙慈君や朽羽先輩の為にも時間はかけていられない。

 男はまっすぐ突進し、現れてから間髪入れずナイフを突き上げてくる。下段から心臓めがけたそれを軸足起点に横へ躱し、そのまま相手の手首を引く。

 存外抵抗もなく、受け流しの派生で地面に叩き付ける。身体が回り混乱した頭にはやはり速攻が利く、皮膚の硬さを考慮し肘を構えて、私は鳩尾(みぞおち)に肘撃ちを放つ。

 吐き出される息と言語ではない声。構わず力の抜けた手からナイフを奪い取り、投げ捨てる。

「テメッ」

 男が叫ぶより早く、頭部を掴んでコンクリートに二回打ち付けた。鈍い音を皮切りに、彼から音はしない。

 振り向けばもう一人のナイフ使いに苦戦を強いられている仙慈君がいる。

 腕を振って斬撃を急所から外すも、彼の顔は引き攣り苦悶を浮かべた。これぞ好機と追撃する獣人は、塀に背を付けた仙慈君へ走る。前準備もない遭遇戦は不得手と見えた。

 彼らが肉薄するよりも、やはり私の介入の方が速い。

「椛野君!?」

 獣人が前傾姿勢で助かった。さもなくば、頭部に腰の入った蹴りは当てられなかっただろう。蹴りを喰らって獣人はひっくり返る。強く頭を打ち付ける音が聞こえるが、異種族の耐久性は未だ掴めない、踵落としで追撃すると、手ずからナイフを取りこぼした。

「た、助かったよ。情けないけどね」

「本当は絞めたいんだけどね、ナイフ持ってると怖くて」

 能力で首を絞めにいけば後遺症の心配も減るのだろうが、咄嗟に出すのはどうしても能力より自分の身だった。

 眉を落として苦笑する目隠れの少年は、すぐに朽羽先輩の方面へ向き直る。

「腕は大丈夫?」

 返答はない。ナイフを蹴っぱぐって私も先輩の方へ目線をやれば、沈黙の理由は明白だった。

 両側へ氷波を放射し、何人もが凍り付いている。先輩の正面では戦意の喪失した男がしりもちをついて震えており、次第に凍らされた。身震いするのは私達も同じく、氷塊の放つ冷気は距離があっても皮膚が泡立つ。

 三つ編みを揺らし、先輩が振り向く。

「怪我はないね。雑兵で良かった。」

 一体どんな反応をしたら良いのやら。その顔に気苦労はなく、紙で手を切ったくらいのなんでもない雰囲気にかける言葉が見つからない。

 結局のところこれは、奇襲を捌いた私達は《月面の麗人》を逃しつつも制圧を果たしたという事でいいのだろうか。私達を誘っているというのが先輩の言だったが、これでは相手にとって割に合わないのではないのか。

「──ッしまった」

 眼前の朽羽先輩が鬼気迫る表情で言う。そして間もなく、背後の壁のような堅い感触に私達は吸い寄せられた。

「知らないだろうけれど、喧嘩を仕掛ける時はそれなりの準備をしておくのが、勝利の秘訣だよ。この子らは貰っていく。さらばだ、死神幹部君」

 離れようにも引力がそれを許さない。頭上で語られる女性の声は確かに聞き覚えのある、月の騎乗者のものだ。

 彼女の瞬間移動の条件が月に触れている人物だとしたら、私と仙慈君は、紛れもなく条件を満たしている──!

 

 振り落とされるようにして視界から地面が消える。そこは、建物の屋上らしかった。

「途中下車にはいかないよ。中継地点を挟むが、せいぜい怯えずにいたまえ──!?」

 身体が軽くなる。押さえつけていた引力が、月ごと消滅したからだ。落下し、恐らく腰でも打ち付けたのであろう女性の声が背後から聞こえた。

 能力に対する絶対的な相殺、それは種子だろうが月だろうが、例外なく発揮される。

「僕を乗せてくれて助かった。《月面の麗人》は元から、この〈万華の右眼〉がお相手する算段だったからね」

「全く予定外だ。しかし巡り合わせとは、随分と愉しいものだね」

 高所を吹き抜ける冷風に奮い立つ。麗人にしりもちは付かせた、反撃には充分の狼煙だ。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。