白夜と藍嵐   作:凍星 奏雨

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注 未リメイク

《月面の麗人》を相手にしていた椛野、仙慈。星久里巡子を相手にしていた朽羽、金時、真代坂は、椛野達を助ける形で無事合流する。思わぬ強敵に対して選択を強いられる彼女達は、当然と言わんばかりに戦う意志を見せるが、それに抵抗を見せる朽羽は命令を下す。
芽吹き始めた望みを胸に、銀狼隊は悪意を退け仲間を守る事が出来るのか。


第九話 始まりの終わり

「……一度下に戻る。立体戦闘はまだ早い」

 私達の啖呵を受け取ったのかどうか。屋上を見上げる私に先輩の顔は分からない。

 マンションの丁度半分くらいの高さにいる今、最も不安定な足場を頼りにしている以上窮地を脱した訳じゃないだろう。幸いにもさっきまで感じていた強い重さは無くなっていて、じっくり機を伺うような形にはなっても、降りる事自体は可能に思える。

「じゃ、いくよ」

 身体が傾き、足元が滑る。

「わっ」「うわぁ!?」

 真代、仙慈君共々驚いて、逆に冷静になった感じ。

 今まで足場にしていた氷がスライダー状になる。じっくりの対義となる速さで私達は地上に滑り込んだ。

 接地を助けながら、朽羽先輩は言葉を続ける。彼にとってはこれが、最後の忠告のつもりかもしれない。

「あの赤青黒髪ピエロメイク(ふざけたあたま)は黒豹隊の幹部様だよ。何年もそうだ、私の数倍は格が上だろうね。能力は見た能力を見たまま使う〈再現〉。あの〈月〉と合流した今、勝てると思うかい」

「……」

 相手の能力を使うだなんて、そういうものまでアリなのか。能力に適応した体機能から、能力を操作、管理するための頭まで、能力者の培ったそれらすべてが再現によって嘲笑されるのだとしたら。品格の欠片もない、見下げた能力だ。

 別に、産まれた子供は能力を選ぶことは出来ないけど。でも能力を使わない事は選べる。なのに喜々として、ああも見せつけているのだとしたら、私は軽蔑を持って奴を打倒する。他人の能力で殺人を犯すなんて以ての外だ。

「お言葉ですが、《月面の麗人》は椛野君と僕でも充分勝機があったように思えます。彼女の能力は〈月〉とバリアのようなもの。外傷を防ぐことに特化しているようで、椛野君の打撃の衝撃までは防ぎ切れていなかった」

 首肯する。まだ底が見えない彼女だが、少なくとも私達との相性は悪くない。

 意気を見せる私達に溜め息を吐いて、先輩は作戦を告げる。

 

 現れる二人。月に座す金髪の女性に加えて、彼女に肩を置いた黒豹隊幹部星久里(ほしくり)巡子(じゅんこ)

「三人、足りんナ。菩薩よろしく知恵を絞らせてるって訳でもなきゃあ、戦力外通告、ってやつカ」

「逃げられたって言うんだよこの場合は。キミが悠長にしているから」

「同意見だ。享楽主義の上司は持つと苦労するね。ま、インターバルはありがたく使わせてもらった。足手まといもいなくなったところで、正々堂々相手をしよう」

 朽羽先輩と私。《月面の麗人》と《再現者》。十メートル弱離れて相対する。

 能力者としての側面が強い先輩と星久里巡子。そして武闘派の私と《月面の麗人》とのマッチアップになるだろうか。とはいえ、私単騎で〈月〉をどうにかする事は出来ない。よって、役割も相応に単純だ。

 許せる二人ではない。許さない覚悟だってした。でも、終わらせるのは今日じゃない。

 今はただ、生き残って次に繋げる。

「舐められたもんだゼ、ヒヨコ一匹残して正々堂々なんてナ。それとも問題児なだけか、なんにせよ、ウチは楽しくなってきたところダ。今更ヒヨるなよ」

「そのヒヨコに一杯食わされて、切札とやらを使ったんでしょう? ……ところで、無粋だろうけど、これこそ今更だろうけど、一応」

「ウン?」

「貴女、人は殺した?」

「――ッ、ハ、ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!! 何を、何を言うかと思ったラ! 傑作だな、最高だゼ! あー? 人を、人を殺したね、そう言ったか! あー、もう、ウチが言葉をただただ丸々反芻しちまうしかなかった、帰国以来の名言だゼそりゃあ! アンタのその言葉だけは唯一にしてやるヨ。笑い種にしようがなんだろうが、ウチの言葉にはとてもできねえ」

 溜め息も掻き消える哄笑。ツボを突くどころの話ではない有り様に、従者然とした金髪の女性もたまらず頭を抱えている。

 何度か言葉にならない声を発して、星久里は再び口を開ける。

「あぁ、そんでな、質問だったな。……そりゃあ殺した、人を殺して殺しまくって飽きても空かずに欠かさず殺し尽くした。勿論人じゃねえ奴らも存分に殺した。で、責めるのは時間の無駄だゼ。そういうのは、ウチにゃーなんも響かねえから」

「別に目の前で起きてもなければ、私に関わりのない事なら、それを憎んで責めたりなんて出来ない。けれど、でも、貴女がそういう人間だって事なら、貴女を殺す理由には充分」

「おいおい、二度も笑わせんなよ、嬉しくなっちゃうだロ。いいぜ、本気を出してやれないのが悲しいが、披露するもんを見直してやる。言い残す事はあるカ?」

「何回も死にかけて、そんなものは更々ないわよ」

「同感だね。君達に残すような言葉なんて持ち合わせちゃいない」

「結構。手持ちも決まったところダ」

 空気が凪いだ。肌を掠める涼風がなくなって、それらにぬくもりを感じていたような錯覚さえ覚える凪が私を包む。かじかむなんてありもしないけれど、戦う事に恐怖なんかないけれど、でも、銀狼隊の一員という責任が、今は重たく圧し掛かっている。

「さぁ、際限ない再現の時間さ! 威厳なんて踏みにじってナンボだロ!」

 〈刃根〉

 星久里の背から一対二枚の翼が生える。それらは全て剥き出しの刃で構成されており、羽毛なんてすれ違いざまにバラバラと刻まれてしまうようなものだった。間髪入れず羽ばたく彼女に警鐘を聞いた私達は即座に対応へ入る。

 朽羽先輩の視界内で発生した出来事は全て任せ、背後を護る事に専念。背中合わせで拳を握る、右腕はまだ痺れが抜けきれないが、使う分には充分役に立つラインまで回復した。

「読まれてんのかヨ。ま、妥当かネ」

 恐らくは氷に弾かれた刃が、甲高い金属音を連続して奏でる。大回りして氷から逃れた数本の刃は回転しながら先輩の背中へ襲い掛かるが、つまりは私の正面。迫り来るのは五枚、右翼に二枚と左翼に三枚だ。

 右翼の軌道先に種子を生成、これで切り裂かれる事があれば四肢のどれかを使うしかなかったが、深く突き刺さって動きは停止した。残る三本は、軌道先を予測して種子を同時に発生させるより遥かに容易い。

 地面を蹴って身体を捻り、一度の蹴りで二枚を叩き落として、蹴りに使った右足で着地。即座に回し蹴りを放ってもう一枚を蹴り飛ばす。

 先輩はきっと背後の護りは自分で出来る。でもそうじゃない。首だけを振り向かせて様子を伺えば、氷波で攻勢に出ている様子が見える。

 足手纏いにならない事が最低条件、そこから状況を作り上げていく。ただのガードマンなんて、まっぴらだ。

「撃ち合いじゃ殺したくて堪らねえナ。ストレス溜まらねえ内に、雑魚能力を消化しとくカ」

 刃の連なった見せかけの翼で上空に飛んで、一方《月面の麗人》は凍結されたまま放置。表情的からは『やれやれ、仕方ない』みたいな、小癪な余裕さが滲んでいる。凍結との能力は最悪みたいだ、いざとなれば初めにやったようにワープで逃げれてしまうのだろう。

「つってもウチじゃあ昇華だろうがヨ。水を得た魚ってやつは、干からびてるもん含めて面白いもんだゼ!」

 逆巻いた氷波の先が直上へと伸びていた。そして、忍び寄る雨雲のように平たく面積を確保した氷の天井は、もう一人の朽羽先輩と同じ役割を果たすのだった。

 天井と先輩自身から氷塊が押し寄せていく。飛行能力で掻い潜るのが精々、そう思っていたが、道化の女性が浮かべた笑みに優位は覆される。

「ハ……〈氷雪操作〉ッ!」

「――それもアリなのかっ!」

 足元から発生した氷と高く突き上げた氷波、そして天井という形で連なった……この空間全ての氷が私達へ牙を剥く。

 先輩の服を掴んで後ろに引き寄せるも、凍て付いた鋭利な槍は止まる事を知らない。

 と、胴の辺りに冷たい感触を覚えたところで勢いよく身体が後ろに飛んでいく。今までに体験した事のない浮遊感を纏って、先輩と共に大きく氷から離れ始めた。冷たい感触というのも、切っ先が触れた訳ではない。

 即効性のない距離感を保って、カクンと動きが止まる。引っ張られて、体の中まで動く感覚に気持ち悪さを覚えながらも、今の襲撃をそれだけで済ませたのが幸運と言える。

「こっちの台詞になっちゃうゼ、そりゃあ。競り合っても構わんガ、案外挑発には乗らんタチでナ」

「なんだ、つまらない。……人の能力で細やかな能力対象の判別は困難だろ。だから簡単な命令をしていた、槍を作った後、私らを追従する命令を。だから彼女と私に氷の幕を貼れば自動的に推進力を得て、槍とは何もせずとも距離を離せる。まぁ、氷の体積によって速さが変わるのは棚ぼただけれどね」

 だからあの動きか。お腹で溶けた水を服越しに拭って、再び場面はにらみ合い。氷を引き剥がされて自由の身になった金髪の女性も、私と同じような働きになっている。となれば〈月〉の奇襲がある分向こうにアドバンテージがある。

 そう、思わせる。

 奇襲を躱されて見るからに気落ちした星久里は、懐から一枚の紙切れを出した。メモ帳から切り離した変哲の無い紙にしか見えず、彼女はそれと見て、何か確認する素振りをする。

 〈刃根〉を閉じて《月面の麗人》と並び立つ赤髪の道化は、一つ咳ばらいをする。

「ウチの〈再現〉の出力結果が二種類ある事は、どうせ推測済みだろ?」

「……軌道をそのまま持ってきて再現するものと、発動すれば自由に操作出来るもの、この二種類の事を言っているのかな」

 口振りに何かを感じたらしい先輩が、怪訝そうに眉を(ひそ)める。そんなのは露知らずと、気分良さそうに首肯した彼女が再び発言する。

「良い目だ。モノクロ写真にすればウチと同じ眼になるだけあるナ。そう、キャパを使うから、オートマ再現が楽で好きなんだが、この場合はそうもいかん。そもそも雑魚能力ばかり自由操作権があるしナ。まぁそんなワケで、ウチが自由に能力を行使するのが不自然ではないんだが、そりゃあこういう事が出来る」

 まっすぐ腕を伸ばした星久里の手の先、宙に浮いたメモからは稲妻混じりの音響がエネルギーの発生と収縮を騒ぎ立てている。そして、何かのシルエットを象っていきながら肥大化していく。

 〈式神〉

 〈符道徳〉

 〈四天竟術〉

 〈命令〉

 〈テレパス〉

 〈憑霊〉

 〈非痛〉

――顕現したのは一匹の白虎。それは唸り声一つ上げず、女性の前で静謐に佇む。

「自律思考能力生体《識織(しきおり)四季折(しきおり)式神(しきがみ)》さぁ、秋と冬は御役御免だゼ」

 圧倒的な存在感。脈絡なく現れた肉食獣はこの場において圧倒的な狩猟者であり、ずっしりと筋肉を蓄えた四足の動向が全て私達への殺意として現れる。

 言葉もなく、私達は危機感を共有している。

 エンジンのように小さく吠えた白虎は、後ろ足で地面を砕く。発生した烈風に生み出した星久里自身が吹き飛ぶ有り様だ。

 人を殺す技を習ってきても、獣を相手取る方法なんて全く知らない。思わず躊躇いが先に出て、それからすぐに恐怖が追い付いた。

 爪で裂かれ、牙で砕かれる。そんな、原始から蔓延るありふれた死が猛追してくる。

 一直線に距離を詰める白虎へ、先輩が腕を振る。呑み込み凍て尽くす波ではなく、淑やかに通り抜ける白の風が獣を包み――そして、蒼の琥珀に住まう虎が造られる。虎を包むように凍結された空間は、その周囲をむやみに凍らせず、氷塊だけがそこに鎮座する。

「チッ」

 嫌な予感はしていた。それが実現されれば、失意なんかよりも予想通りだなぁという、無感慨でしかない。

 氷塊に亀裂が入る。気味良く次々と破損していく氷は抵抗を見せず、呆気なく爆ぜ飛んだ。

 すると、四方へ飛散した氷が杭のように鋭利な円錐となり、白虎に突き刺さらんと伸び始める。これで突き刺さればやりようはあるだろうが――やはり突き刺さらない。けど、それは私の予想していたものと違う形だった。

 白虎の身体が蒼炎に包まれる。無数の氷は滴り落ち、やがて姿を消した。

「いーねっ! プログラマーの気持ちが分かっちまったゼ」

「いや……他は兎も角〈四天竟術〉は勿体なかったんじゃないか」

 猛る蒼炎が熱風を引き連れて迫り来る。

「構わない、ギアを上げるだけだ」

 後退しながら先輩は言う。そうか、味方まで侵蝕する低温も、押し寄せる高温が相手となるなら保護膜のようなものだ。

 白虎の駆ける道が氷上と化す。それから、まきびしと評するにはあんまりにも暴力的な、一メートル弱の大きな氷柱が張り巡らされる。

 跳躍を警戒し、冷気の照準を空中に向ける先輩。

「先輩!」

 氷柱群にその脚を止めた白虎は炎を纏わず、何か溜める素振りをする。地面を砕いた時の風が、もしも自然的な物ではないとしたら?

 跳躍し、種子を踏んで更に高度を稼ぐ。寸断された氷柱は切株を呈していて、付近の塀が削れる音を放った事で私達の足元を不可視の刃が通り過ぎて行ったのが分かった。

「能力のキメラ、いよいよだな全く!」

 炎が消えたのを良い事に、塀伝いに走る氷膜が白虎へ忍び寄る。能力を放った後の獣へ、遂に一撃が入った。

 氷膜から弾丸のような速さで放たれる氷槍が白虎の肉を抉り取る。危機察知能力の高さ故か、貫通とはいかず背を削る一撃だったが、その決定的な反撃に勝機を感じ取る。

「そうでもねえゼ。〈四天竟術〉……使い手が居ない今、ウチが一瞬使うだけじゃあ勿体ねえってもんだガ、もうありゃあ一つの生命体、死ぬまで死なん」

「そう。ま、死にそうだけどね」

「だからウチが戦ってないんだロ。〈テレパス〉だゼ? 頭が大騒ぎだ。つーわけでオマエ、いつまでサボってるんだよ」

 先輩が畳みかけようと構えた時、背後から月影が被さる。

 既視感。

「ぐっ!」

 冷たい感触に衝突する。月へ張り付く前に氷壁を挟み込んだらしい。私や仙慈君にやったような強制転移は免れた。だからといって引力が解除されるわけではない、私と先輩共々、白虎の眼前で磔となる。

「殺させるなよ。いきなり大当たりを引けたんだから」

「分かってるヨ」

――計画通り。

「仙慈君!」

 狼は時に狡猾に、得物を追い詰める。引力は掻き消え、月が破砕された。

 

 

「以上だ。あの《月面の麗人》を打倒するなら能力無効化を持つ君は不可欠。仙慈君と連携を取れる以上椛野さんを対麗人に使う」

「問題無いです。インターバルを挟んだ今なら、また相殺させる事が出来る」

 作戦会議、金時君だけが不服な表情でそれを聞いている。無理もない、戦意だけで言えば彼は私を越していた。決着を付けないまま離脱するというのが芳しくないことくらい想像に容易い。

「私もまだ……」

「君が居ないで誰が真代坂さんを護るんだ。一人で逃がすわけにはいかない、近場には動ける人が必要だ。銀狼隊は戦う組織ではなく護る組織というのを鑑みて、君の適性を見せてもらう」

「適性がなかったら私は……?」

 閉口する長髪男子ズ。時間も押している、先輩は茶番を咳払いで切り上げ、手に持っている端末を真代へ渡した。首を傾げる真代、画面を見てみれば様々な電話番号がある。

「救援を呼んでくれ、異能課と銀狼本部だ。異能課は私の名前を出せばゴリ押せる。さ、逃げ遅れる前に早く行ってくれ」

「……行きましょう」

「ぐぇっ」

 ごく自然に抱えられる真代。こういう運搬っておんぶとかじゃないのか。

 仙慈君も彼らとは別方面へ、住宅地に紛れ始める。

「金時君」

「なんですか?」

 彼は首だけを振り向かせて動きを止める。真代も私へ注目していて、これから伝える事を思うと少し目を合わしにくい。

「真代を頼むね」

 金時君は深く顎を引いた後、駆け出して往く。言葉にならない声を吐いた真代を同情しつつ、黒豹隊を迎え撃つ準備をし始めた。彼の動作が首肯か否か、測り兼ねつつも迷いを捨てて。

 

 私と仙慈君対《月面の麗人》、朽羽先輩対《再現者》の状況を作り、あくまで勝ちに行く。

 問題は星久里の作り出した白虎だったが。

「このまま計画通りに行く!」

 私を、月の消えた金髪の女性ごと強く氷で突き飛ばしながらそう宣言する。月に乗っていた為、それが消えた彼女は空中に放り出された形になる。それから氷で押し込まれて崩れた体勢から更に追撃、星久里との距離を離していく。

 脚撃を数度、追い込む為に繰り出していく。崩れた体勢からも防がれるが、それも織り込んで威力は低く、とにかく連打でボロを待つ。

 背後で氷結の奏でる音が大きく聞こえる。眼前の女性が見せる不機嫌そうな表情から鑑みるに、距離は取れたらしい。あの〈再現〉に距離はどれほど有意義なのかという話だが、彼女らの口振りからして、星久里巡子がここで本気を出す事はないというのは前提にしても良いのだろう。

 だとして。

「貴方達、何が目的なの?」

 強く伸ばした右脚を下げながら、後退る彼女へ問いかける。

 入寮の一件、あれは死人が出てもおかしくなかった。《月面の麗人》自体が手を下していなくても、下手人には違いない。その時点で相容れない人間、許しがたい咎人と断ずるに余りある。

 奴の敵意の由来が何処に至るのか、聞いておかないと戦い切れない。

「『救われる機会を失くした』者の反撃が、こんな事に繋がると思えない」

「あー、そうだね……我ら反抗する火種(カウンターチャイルド)の目的は、銀狼隊への復讐に限った話ではないよ」

 顔を顰めて続きを促す。銀狼への復讐、なんて、防衛組織にとんだお門違いだ。彼らは人を護ることはあっても、人を傷付ける為に活動する事はない。

「とはいえ、それはシークレットだ。今回の話だけで言うなら、ただキミ達が欲しかっただけだよ」

「欲しい……? 無理矢理連れ去れば軍門に下ると思ってるの?」

 種子一つを手元に出して、不機嫌を露わにする。どんな佳境に放り込まれても、命惜しさに人を傷付ける外道にはならない。断じて、それこそ私の巡る血潮に誓っていい。心臓が鼓動する限り、決して裏切るなんてことはない。

「はは。いやー、キミの同級生のどれくらいがそう言えるかは気になるところだけど。そもそもね、意志なんかは関係ないし、元々の目的は彼――朽羽那由多だよ」

 思わず振り向いてしまう。住宅を悠に越す氷山の頂点に立つ先輩へ白虎が襲い掛かり、身を翻した彼に星久里の〈再現〉した能力が放たれて往く。誰がどう見ても劣勢だった。

「ま、どこまで本気で言っているのか好きに取ると良い」

「ッ!」

 忍び足で間合を詰めた彼女が掌底を繰り出す。足技に頼るには距離が近い、《月面の麗人》の右側面へ回って回避する。右利きなのだろう、攻撃の初撃に多用している右腕の外へ往けば追撃のキレは落ちる。

 予想通り開いた脇腹へ回し蹴りを叩き込む。

 攻撃に使った右手をそのままガードに回され、足の裏を持たれる形で受け止められる。本来なら容易く受け止められるはずはないのだが、厄介なバリア能力だ。

 そのまま投げるように押し返される、体勢を崩れた私に追撃を目論んだのだろうが、私の体幹は伊達ではない、片脚で踏みとどまり、そのままバク宙で蹴り上げながら距離を取る。命中せずとも間合から逃れ、仕切り直し。

 向こうは攻撃の緩急をつけ、滑らかに姿勢を落として足払いを仕掛けてくる。地面と摩擦する音が素早く足元に這い寄り、跳躍か後退の二択を刹那に迫られる。

 身体は自然と第三に伸びる。吸い込まれるように身体は跳躍し、されどその向こうへ身体を飛ばす。

 前進。足払いを飛び越えながら攻撃態勢を取る。弓弦のようにしなやかに身体を絞り、叩き付ける形の右脚で薙ぐ。が、思い付きで大きな隙を晒すような相手ではなく、身体を半周させた状態、いわばこちらに左肩を向けた状態で静止。そのまま上体を傾けられ、まるで鎧を付けているかのように肩で受けられる。衝撃だけで脱臼まではいかないようで、打ち込みの勢いに反しダメージは見られない。

 肩を押し返して着地。一方後退しようとする彼女を、すぐさま追いかける。立ち上がるまでの時間があれば打ち込めると踏んだが、彼女は地面に手を付いて宙返りをする。それならそうと、着地の寸前にタイミングを合わせて身体を構え――《月面の麗人》が消滅する。勢いだけが先行した身体を宥めて、周囲を把握しようとする。

 私の姿を正円の影が呑む。〈月〉を用いて上空に飛んだようだ。

 首に腕が回る。しなやかな腕に込められた力は存外強く、気道が絞められていく。目だけを動かして上を見てみれば、月の真下に直立で張り付いた彼女が朗らかに笑っている。まさに息の根を止められている最中というのに、間近に迫った彼女の顔に心のどこかを渡してしまうそうな気持ちになる。なんて、一瞬でもそんな感情を抱いてしまった自分が恐ろしい。

 腹に物を言わせて逆上がりのように脚を振り上げると、引力に誘われ容易く上昇し始める。そんなところで仙慈君が介入し、月が砕けた。その変化を逃さず、彼女の腕を掴み取る。そこから無理矢理に腕を解き、落下が始まる。

「ぁぁぁああっ!」

 肺に含んだ全てを吐き出して、地面に叩き付ける。

 頭が揺れる数瞬前、冷たい表情で迫る彼女の顔を見た。

「ぐ、あっ……!」

 金色の後頭部をコンクリートで砕く勢いだった。勢いだけで出し抜ける相手では、なかった。

 接地する直前に頭突きを放たれ、大きく視界が揺れる。このまま密着したままだとまずいと、本能のままに身体を起こす。

 定まらない視界で立ち上がり、追撃に備えた。

「私に至近戦闘を挑む時点で作戦立案は三流だよ」

 一息で接近しながら姿勢を低く、獣のように構えられる。私は払うように脚を動かし、伸ばされた右腕を相殺しようとするが、呆気なく掴まれる。引き寄せられれば、片脚だけの踏ん張りでは抵抗が出来ない。

「終わりだ」

 左胸へ、彼女の掌がめり込む。

 私は何かを吐き出しながら電柱に背中を打ち付け、それから間もなく、意識を取りこぼす。

 

 

 白房の少年が駆け出してからしばらく、二人は奇妙な静寂を纏っている。互いに居心地が悪い、或いはただ考えていたり。真顔に近い顔から読み取る事は難しい少年少女であった。

 端末を操作し終わった少女は背を向けた友を想う。

 以前守られてから、目隠れの少年と戦い、そして今。三戦目にして強大な敵を相手にした少女が白星を掲げるとは思えなかった、背信だとしても、真代は同情や憐憫じみた感情が捨て置けない。

 一般人に負けるような実力ではないが、それでも、能力を持った少年に引き分ける程度の実力。少女の瞳に映る椛野は、何かを叶える為の力が足りてないように思う。

「穂咲ちゃん」

 夕陽を背にした椛野の顔が忘れられず、手を強く握る。掌に握った感情が哀か怒か、それとも別の感情なのか、真代は自覚しない。

 報われればいいなと、他人事のような言葉を本心で抱くのみ。

「――!」

 危機は決して、他人事ではない。

「アンタらは……取り逃しか?」

 急停止した慣性に負けず顔を上げる少女。紅の瞳に向かい合うのは赤色の身体を持つ男だった。

 180センチを超える金時を更に超える男は、シワ一つない黒い礼服に身を包んでおり、ネクタイを緩めることなく装着している。異質なのは、首に巻かれた黒い輪か。

 思わず増援と勘違いする人物だが、連絡を受けたにしては早過ぎる到着に加えたった一人という点が違和感を与える。加えて金時の肌を奮い立たせた歴戦の香りが、増援という可能性を完膚なきまでに否定した。

「まぁ、やるよな。そういうところばかりある。勝手に抜け出して勝手に戦って勝手に逃がすところがある」

「星久里巡子の事でしょうか」

「そうだ。アンタの事は知らないが――」

 右手を握っては放してを数度。頭蓋骨なら片手で掴んでしまえるような巨大な手から人差し指を一本突きつけて、睨み付ける。

「生きてる程度に殺せば問題ないな?」

 身震いすら煩わしいコンマ一秒の死線へ突き飛ばされる少年。言葉を交わすような敵ではなく、疑問符が鼓膜に溶けるより早く回避行動を取り始めた。

 道を迂回して距離を離す。幸運にも十字路の中心部にいる金時にはそれが出来た。

「金時君っ」

 全速力で駆ける彼の速さは銃手を追っていた時を既に追い越した。それは速さの上限を意味するのではなく、限界を超えた120%という事。何かを訴える言葉も耳に届かず、その長脚をかき回す。

 場所は既に廃棄街を出て一般道。

 戦闘するにも住宅に住まう一般人が邪魔で、隊としては撤退が正しいと判断したのが一つ。もう一つは、抱えた少女に他ならない。

 護る術を知らない少年は、戦いを拒絶するしか出来ない。それは戦いを愉しむ彼にとって、最も不快な感情だった。不快といってその鉄面皮が崩れる事はないが、死線に立った金時が鋼鉄にして冷徹な無表情を浮かべているという状態が、状況の臨界を示している。

 このまま向こうが破壊を尽くしてくれば迎撃に出る他ないが、如何に。

 背中に激突する感情。少年は瞬時に理解する。

 圧倒的な闘気を帯びた拳が、疾駆に運ばれ金時へ届く。

 それは命中することなく、金時の左で空を切る。回避行動のまま身体を捻り、再び向かい合う金時だが、その剣を抜刀する事は叶わない。小脇に少女を抱えたまま相手をするには、眼前の赤色巨躯は苛烈過ぎた。

 身一つに内包する技術で相手をいなし、勝利の時を待つ。ここまで強いられているという言葉を思い知る場面は金時の人生にとって限りなく少ない時間だった。

「こっちは加減が不得手と言うのに、アンタは枷を抱えて相手取るのか?」

「……返す言葉もありません」

 低く響く少年の声。夜道に消え入る不甲斐なさが男にも伝播する。

 じっくりと時間をとって拳を構える赤色の男。

「同情する」

 そう言って放つのは加減の感じられない当身。拳という点でもなく蹴りという線でもない、構えをフェイクにした、車が突っ込むようにでたらめな打撃だった。迎撃は考えられず、防御も現状では生中な結果を招くだけだった。左に抱えた真代を庇うように、自身の身を左へ弾く金時だったが、想像よりも軸をズラし切れない――否、男が先を読み、更には読んでいる事を読ませない絶妙な調整で金時の行先に寄っていた。右半身が剛力に弾かれ、身体が翻りながら塀に激突する。

「くっ……」

 動きにキレが出ていないのは真代を庇っている事だけが理由ではなく、戦場を最も駆けまわった連戦の疲弊が身体を蝕んでいる事も強く加担していた。

 強かに背を打ち付けながらも、即座に斜め後ろへ跳躍し、寸時を惜しむ追撃から躱して見せる。

 正直に後ろへ跳躍していたら足場の塀を破壊されて詰んでいたところだった。

「金時君」

「すみませんが、今の私に要望を聞き届ける器量はありません」

 塀を呆気なく粉砕した男は瓦礫を握り締め、金時達へ投擲する。扇状へ放たれた粗雑な飛礫群は全て躱し切る事を許さず、真代を遮った右腕が被弾した。

「違うよ。ただ、朽羽先輩に借りてるのは守ってあげてね」

「――?」

 その意味を問う前に、真代坂仁子の感触が、姿が、腕の中から消え失せた。

 忽然と、服や荷物だけを残していなくなる。今まで居たのがおかしかったのかもしれないと錯覚する程、何気なく消息を絶った。

「な……?」

 思わず赤色の男も脚を止め、制服の落下から始まった時間の隙が生まれる。戦闘と戦闘の間にある、決着の存在しないインターバルが唐突に発生し――紫の影は意気揚々と隙を甘受する。

 地面に落ちた制服に異常な盛り上がりがある。消えたかと思われた制服の内側に、確かにそれは居た。居た、というのは、今現在、男から逃げるように疾走しているからだ。それは薄紫色の毛を纏った、言うなれば真代の髪色の大部分を占める色をした、一匹の小柄な猫。尾は二股に割れていて、二名は早くも少女と子猫を照らし合わせる。

「逃がすか」

 金時の脇を抜けて、一匹の猫へ闘志を向ける男。その疾走は横合いから繰り出された斬撃によって妨げられる。間一髪避けた男は、今一度白房の少年を見る。

「先程までは失礼致しました。遅ればせながら、お相手しましょう」

 血を流した右腕を意に介さず、傷だらけであっても、その構えは秀麗であった。

「……アイツの事、言えなくなっただろうが」

 首輪を確かめながら拳を構える赤色の男。黒豹隊幹部の拳撃と銀狼隊新米の剣撃は、されど両者に敬意がある。その暗黙こそ、彼らを対等たらしめていた。

 小さな手足を掻き混ぜて、無心にして無音の走者。

 少女にして子猫である今の真代も、持ち合わせる思考は人間時と何も変わらない。

 彼女はただ祈る。

 守って笑う皆じゃなくて、勝って笑う皆を見たい。

 身を滅ぼして報われる生存証明ではなく、燃やせど尽くせぬ命の輝きでこそ花めく人生があるのだと知ってほしい。

 決して真代坂(じぶん)は命を賭けるべき対象ではないのだ。だから、自分の為だけに、その命を燃やしてもらいたい。

――だから勝ってね。今度はちゃんと、勝って笑って。

 

 

「キミの動きはあの人の互換に過ぎない。能力も取るに足らないようだしね」

 耳にした言葉が通り抜けていく。

「期待はしていたし、危機感もあった。認めるよ、力を付ければキミは我々の脅威になっていた。だが――何をどうしてそんなにも焦ってしまったのか。残念だがキミは、宝を(くさ)したよ」

 どれくらい意識が無かった? 数秒程度か。思考が出来ても動きようがない、前方の足音からは逃れられないようだった。時間は稼げているだろうか。自信はない。

 また私は負けたのか。

 そう言えば。蛍光色の瞳を持った少女は、何かに畏れているように見えた。金髪の女性とは浅からぬ関係だろうが、仲間なのだろうか。目の前の彼女と、その恐怖を共有したのだろうか。

 なら、負けるのも仕方ないのかもしれない。独りじゃ一人に勝てっこないのは当たり前だ。悔しい、認めたくはない。それでも、彼女らが何かを守る為に戦ったのなら、私は――

「ああああぁぁぁっ!」

 少年の声。ありったけ感情の込められた絶叫が胸で反響する。

 靴の擦れる音。女性が構え直した。

「そうだ、キミはそう来るだろう!」

――私は。

「っ――! く、ぅぁぁぁああ!」

「何っ」

 柱に凭れて曲がった身体の隅々まで、余すところなく命令を与える。

 戦え。護れ。戦え。救え。護る為、勝つ為に。

 誰かを救う為に。

 縛られる為に産まれたんじゃない。負けてやる為に戦うんじゃない。

 命を使い切るまで、私が諦める事は許さない――!

「指一本、触れさせてたまるかぁぁ!」

 心臓が爆ぜるように熱くなって、その足取りは不可思議にも軽やかだった。それから左胸を起点に身体の全てが熱くなって、半身を向けて不完全に構える《月面の麗人》を完全に捉えた。

 身体の全てが目的を共有していた。彼女が横目で見た仙慈君を私は見ない、私が見据えるのはこの一撃だけ。これまでの人生に懸けて地面を蹴った。

 全てがイメージ通りに動く。誰かに、勝つべきと太鼓判を押されているような動きだった。

 私の躍動へ警戒度の過半数を割く女性。構わない。既に様々な遅れを取っているのだから、それくらい正面切って打ち破ろう。

 一回転し、全力を右脚へ注ぎ込んで放つ。血気に満ちた決起の一撃、ガードされる直前になって、視界がやたらと広く見えた。

 コンマの世界で私達は手を取り合う。

 〈月〉に使用する制約を辞め、無欠の防御を剥がすべく放たれた極彩が《月面の麗人》に命中する。帯びている能力の消失と、再展開。そのわずかな隙間をこじ開けるように蹴り込んだ私の脚が見事、会心の手応えをもってして命中する――

「ぐッ!」

 初めてダメージに声を漏らした彼女が打たれた方向へ飛び退く。蹴りを左腕でガードしながらも、一方向から二つの衝撃を食らえば如何に彼女と言えども順当に体勢を崩した。

 接地した地面を踏み込んで追撃。明確に苦境を表情に出した彼女は二撃目を受ける直前で能力を張り直す。見た目で分かるはずもないのに、彼女の周辺の雰囲気がガラっと変わったような錯覚があった。

 予想外に押し込まれているはずなのに、動きに動揺は見られない。引き金を引くように一直線な蹴りをさっきとは別の腕でガードする。蹴った感触が様変わりするものの、衝撃を逃がせない能力では優勢を本質的に覆す事は出来ないようだ。

 故に攻勢に回ろうと繰り出される掌底。

 このシチュエーションに輝くものこそ師匠から継承された”相手を殺す技”に他ならない。

 軸足を使い腕を躱し、そのまま両腕で掴み取る。そうして相手の技の推進力を奪い取り、相手の弱点へ躊躇なく食らい付く。相手の技を絡め奪い、殺し獲る技。

 力強く腕を鷲掴んで、胴の中の上を膝で抉り込む。そのまま手を離し、私の推進力を次手に応用する。

 動線の死んだ《月面の麗人》へ、引き込んだ体制になった腕を構え直す。それはさしずめ、拳銃が弾を込める時のように。

「っ」

 今になって痛みを思い出す。痛覚が癇癪を起こしている右腕を本当に矛にするのか、それは理性からの最後の警鐘のように感じ取れた。

 関係ない。

 左腕で右肘を押し出す。攻撃に使った右脚が着地するのと同時に腰を入れ、最大のタメを用いて放たれた肘打ちが女性の胸部を穿った。

 彼女の身体が浮き、交差点へ倒れ込む。右腕には生温い感覚と共に血が吐き出されていた。直撃の瞬間を思い出すと、極彩色の光芒が辺りに散らばっていた。となると、二撃、私の会心を受けた事になる。

 火事場の馬鹿力がガス欠を起こして、身体が糸を失くした人形のようにふらつき始める。

 頼むからこれで終わってほしい。反抗する火種の企て事はここで終点、私達は白星を持ち去って帰るんだ。

 虫が良い願いとは分かっていた。彼女が背負うのと同じように、私にも仲間がいて、それは裏を返せば……彼女にも、意地の張りどころがあるという事。

「……認めるよ。私は、キミを雑兵として処理していた。侮っていた事を恥じよう」

 口元の血を手の甲で拭い、立ち上がる姿。見惚れてしまいそうな程に麗しい覚悟が秘められている。

 もう先程までの気力は残っていない。湧き上がった闘志を篝火にして気を引き締める。

 横には仙慈君が合流した。身を隠しての支援よりも私の隣を選んだ事が、誇らしくも悔しい。彼の手には一本のナイフが握られている、身を潜めていた住宅にあったものだろうか。持つ手には弱々しさがある。

 顔は苦痛に満ちている。それでいて最後まで戦う気高さも込められており、心配は必要ないと思わせるのに充分だった。

「あと二回が限度だ。長引かせようが、もう彼女は僕と目を合わせるつもりはないだろう」

「分かった。向こうは先輩を信じて、二人で勝とう」

 もう加減をして連れ去る選択肢はないだろう。これにより互いの勝利条件は一致する。私達が勝って捕縛するか、彼女が勝って好きにするか。非常に分かりやすい決着であり戦果だ。

 《月面の麗人》はかつて私の師匠やそれに連なる人物と出会っている。そして武を継承するという事は先達がいるという事で、私はそれに追い付く術を持っていない。これが意味するのは、もう師匠に教わった技で出し抜くことは不可能に近いという悲観的な事実だった。元とする戦い方は曲げられない、私の鍛え方は些か偏重していて、付け焼刃を構えるにも向ける刃が手元にはない。となれば、戦いの基盤は師匠直伝の動きで補填、最優先で用意するべきものは決め手だけ。

「血が消えている……?」

 睨み合いの最中、仙慈君が何かを見つけて呟く。目を凝らしてみれば、確かに口元の血が無くなっている。いやでも、それはさっき拭ったのだから当たり前ではないだろうか。まぁ、拭う瞬間を見ていなければ疑問には思うだろうけど。

 口を挟むべきか検討しつつも、血の有無で劇的に何かが変わる訳でもなし。先に仕掛けられて困るのは回数制限のあるこっち側だ、あらかた動きのシュミレーションを済ませられたし、こういう時は変に重く考えず切り込むに限る。

「椛野君」

「っ、何?」

 タイミングを外してくる人だ。志以外のものを共有するのはまだ遠い話らしい。

「君、自分の能力を勘定に入れてるかい?」

「……」

 しまった、という顔を浮かべる。やはり、という困り顔を貰う。

 熱中し始めると能力を使う事が選択肢から無くなってしまう。これは恥じるべき指摘で、ぐうの音も出ない。一度深く呼吸をして改める。

 春にしては冷たい空気が喉を通って、火照った身体を冷ましていく。インターバルは充分、勝負は一瞬、一発のタイミングを合わせて終わらせる他ない。

 互いに最短距離を詰める。これまでのような駆け引きはなく、故にこの場は真剣勝負と相成った。

 素早い動作で放たれる掌底をこちらも手で捌く。掴み取れれば御の字で、回転率の挙がった連打に両手で一本捉えに行くのは些かリスクが高い。

 力強い踏み込みで圧を掛けてくる、実際思うように切り返せずジリジリと追い込まれていく。幸い交差点に出ていて道は広い、打開の仕方は数え切れない程にある。

 例えば目を盗んで金髪の女性の背後を取った彼。

「はぁっ!」

 声を上げて存在をアピールしながら、手に持った安そうなナイフで斬り掛かっている。どうしてわざわざ、と思いつつ、妥当な可能性に行き当たった。それは刃物が通らない可能性、ともなれば仙慈君はいよいよ能力の介入以外で渡り合える方法は無い。

 よってこの場はまず振り向かせる方が先決と見た彼の行動だが、ここは彼女が上手(うわて)だった。

 両手で私を追い詰めている最中だった彼女は途端にラッシュを止め、踏み込みを効かせた一発を用意し始める。そうして私が右腕に注視したところで、彼女はまっすぐに脚を後ろへ突き出した。ノールックで、その脚は仙慈君の腹にめり込む。

「仙慈君っ!」

 受身を取れずにナイフを取り落としている姿を最後まで見ている暇はなく、仲間を攻撃されて意識が散った私へ構えていた一発が振り翳される。

 途中まで普段の掌底だと思い、対応しようと構えたそれは急停止後、瞬時に軌道を変えて放たれる。寸止めに身体が硬直したところを、上からの瓦割りが襲う。

 動け、出せ、今動くのは脳だけだ。

 種子が手の側面とかち合う。軌道を作り直したが為に速度をリセットした攻撃は、そこに現れた種子によって初速を潰された。その時間さえあれば身体は動く、更には(意図せず)相手に刷り込んでいなかった能力の発動で一瞬を奪えたはずだ。

 肘打ちでダメージの入った箇所に真っ直ぐ蹴り放つ。攻撃に使っていない左腕で防がれ、そのまま距離が開く。

 傍目で見た彼はまだ動けるらしく、蹴られたところを庇いながらも立ち上がっていた。今の状況だと私の動きが見えず連携どころでは無い、横軸を使ってフェイントを入れ、牽制しながら立て直しを図った。

 フェイントの本命は私ではない。彼女の背後を取って現れた種子が枝木を伸ばし、後ろから《月面の麗人》の腰を縛り付ける。音もなく巻き付くこの捕縛は一度見た程度では躱せまい。

 大袈裟に構えた一撃で王手、と行きたいところだがそうもいかない。彼女は肘で素早く砕き脱出する。

 その間、大きく見せた構えから瞬時に脱力して、彼女の視界から消える。上半身への警戒が高かった彼女は私の姿を見失い、下へ警戒を示した時にはもう攻撃を始めていた。手を付いたしゃがみ姿勢で溜めを作り、右脚を除いた四肢をバネのようにして、右脚を槍のように突き上げる。

 顎を狙ったこの攻撃は当たれば気絶も有り得たのだが、咄嗟に防がれてしまう。跳ね飛んだ勢いで身体を捻り、左脚での回し蹴りを繰り出すも余念はないようだった。

 ボルテージが上がっていく。敵と互角に渡り合っている。想起される過去に背中を押されて、今の私を更に加速させる。

「キミ……」

 眉を落とす《月面の麗人》に思わず脚を止めそうになるが、力強く振り切って蹴りを放っていく。

 ラッシュを受けていた防戦と打って変わって流れを掴み始めている。仙慈君の存在感もあるのだろう、攻撃を的確に捌かれつつも鋭い反撃を繰り出してくる様子はない。

 膠着にも限度がある。今も初めての全開戦闘にアドレナリンが過剰噴出しているだけであって、ふとした時に全て瓦解したとして不思議じゃない。

 そんな思考の時点で集中力が落ちかけている。

 自分を引き締める為に一発重たいのを打ち込ませてもらう。飛び上がり、右肩目掛けて踵落とし。例え岩でも粉砕してみせる確固たる破壊のイメージを持ってして、振り翳した。

 引き締めるまでもなく集中の真っ只中にいる彼女は私の乱打に潜む隙を見つけ出す。

 振り上げた右脚が頂点に達したタイミングで突進する《月面の麗人》。適切な距離を確保出来ず、右脚の勢いが殺されるだけではない。如何に誇るべき体幹を持ってしても、人一人の突進を片脚だけで抗える人間は存在しないだろう。

 私は押し込まれ体勢を崩す。

 だが、大きく打って出た彼女へ極彩が迫る。勝機に手を伸ばす金色の流麗を〈万華の右眼〉が逃しはしない。

 発生地点は彼女のすぐ近くだというのに反応される。白い予告線が極彩の軌道を示しているとなれば無理もないか。

 私を押し込んで即座に防御姿勢を取る《月面の麗人》。割れ物が命を尽かす音が響いている最中に私は受け身を取って、彼女はバリアを帯びる。残り一回、ならば均衡が崩れた今しかない!

 低姿勢から飛び上がって旋風脚。後退して躱す彼女の瞳には、決起を纏った赤毛が見えた。

 世界を押し流す時間の流れが細かくなっている。世界が私達に収束して、全てが思うままに知覚出来るような気さえした。脳味噌が空に幾つもある気がして、無我夢中で勝利に駆け出す。

 鋭くまっすぐな蹴り上げ。顎を逸らして躱しているうちに、『決め手』を用意する。

「仙慈君!」

 声から数テンポ遅れて、白い軌道が再び女性の身に着けるシャツを貫いた。

 彼女は笑みを浮かべて、強く地面を突き放した。

 私の視界に入る極彩は今までの認識よりも遥かに小さい。使用上限に比例しているという事か。問題ない。元から当たってくれるとは思っていない。

 私はそのまま突っ切って《月面の麗人》の腕を掴み取る。

「何ッ」

 そう、このままでは私に当たると、彼女は()()()()()()だろう。

『残念ながらね。あれは対象を決めて使うんだ』

 金髪の女性を対象にした〈万華の右眼〉は決して私に当たる事はない。極彩色の塊は私の腹を通過し始める、そして思わぬ思惑を目の当たりにした彼女の腕を逃さず引き寄せる。

 速度が遅延した極彩と、《月面の麗人》の肉体が接触する。後ろへ弾かれた彼女の、狙うは顔面。

 拮抗は我楽多のように粉々となり、露わになるのは決着の刻。

 不意を突き、体勢を崩し、万全を砕き、格上を食らう為の用意は全て揃った。利き腕にして決め手を振り被る。引き寄せる時に使わなかった右腕は強く枝木に覆われていて、その手の中には種子を握り込んでいる。

「即興独創――プラント・ガントレットッ!」

 骨にぶつかる感触が枝木越しに伝わって、私の拳は彼女の身体を突き飛ばす。人を殴った感触が指から肩へと迸った。何かに妨げられたようなものではなく、正真正銘明確正確に《月面の麗人》を打倒した。

「ハァッ……ハァッ……よし、よし――!」

 〈月〉

 思わず綻んだ顔を浮かべて仙慈君に目を向ける。相変わらずの満身創痍だ、私だって人のことは言えない。初陣にして大戦果だ、勲章みたいなものだろう。

 だから、晴れない顔なんかやめてしまえばいいのに――?

「ウチが独走したのはコイツが理由だゼ? なぁ、いつから倒せば倒したことになると思ってたんだヨ」

「え――」

 現れた月は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 月面の道化は肌に霜を貼って、霜より冷たい表情で見下ろす。その姿で美しいと言うなら、それは完膚なきまでに精確な絶望のみが卓抜していた。

「ここに来て享楽は無しだな。コイツも、随分相性の悪い奴等と当たったもんだぜ」

 幼さが混ざっていた彼女の声色が沈んでいく。沈殿していたものが表層に昇ってきているのだとして、それは今までの余裕と引き換えにした目的への綿密さ。地面に倒れている《月面の麗人》を抱え上げる姿を強張った身体が辛うじて警戒する。道化の目的が保護だとすればこの場はすぐに去るのが妥当なはずだが、果たして。

「不安の芽は摘まねえと、な」

 白と黒を内包した眼差しが私達を薙ぎ倒して四肢を捥ぎ、零れ落ちた臓腑を赫々たる灼熱で焼き焦がし、眼球の奥底を凍て付かせて尚足らぬ絶対零度があらゆる体組織を強張らせて粉砕する。言ってみれば殺意という二文字に内包された――錯覚。

 あらゆる端から端までを万能のままにする黒豹隊幹部が、私達に、殺意を。

「いんや、タイムオーバーか」

 虫から視線を外すように背いた幹部の目線を辿れば、それは急激に迫っていた。

 獣だ、四足で果敢に地面を蹴りこちらへ猛追する。十秒足らずで激突するのではないかという勢い。朽羽先輩を相手にしていた《識織四季折式神》がこちらへやってくるのだとしたら、既に先輩が足止め出来ない状態だという事。もう護ってくれる先輩がいないのなら、動かない限り何も守れない。

 でももう、動いてどうにかなる限度を超過している。

「もう、大丈夫ですっ」

 一際強く地面を蹴ってから、身体を反転させて私達の前に立つ獣。いや、それを獣というには理性が満ち足りていて、知性を象った形を保っていた。紛れもない人が、四肢を獣にしてこちらに駆けていた。彼女は誰で、目的はいったい。

「こちら夜桜(よざくら)! 新入生と合流しました」

 耳元に手をあてがう少女。癖の付いた白銀の髪と同色の体毛が、人間と違う骨格の四肢を染め上げている。『新入生』と確かに口にした。躊躇いなく〈月〉の傍の星久里と敵対態勢を見せたという事は、つまり。

「椛野さんと仙慈さんですね。もう大丈夫です、銀狼隊が来ましたから――!」

 

 

 木塚街住居地区。武の交わる空合(そらあい)にて。

「連絡には無い人っすけどね」

 ガードレールを水平に突き刺した金時射弦の相棒にして愛刀は虚しく光を反射する。

 カーブミラーを鋳型にするかのように凹ませて、人の身体が隣接している。力なく垂れた腕に血液が滴って、それは歪に道路を線引いた。

 白房の少年は顔を上げず、代わりに指先をわずかに動かした。

 対面には息を切らした赤色の男。無数の切り傷から紅を滲ませた身なりは、されど致命傷を負っているようには見えない。それでも肩で息をする男には、切羽詰まる異常があった。

 その姿に少年は同情をしない。どれほど首に付けた物が苦しかろうと、自分だけは今この場で同情をしてはいけない。

 黄電を身に纏い、夜を照らす。宵に浮かんだ月のように辺りを光で滲ませた。

「後輩がやられてるんで。本気っすよ」

 

 木塚街郊外。無秩序に敷かれた氷結世界にて。

「アアアァァァッ!!」

 人型の獣が喉を裂くほど吠え猛る。

 白虎の放った紅蓮を左腕で巻き取り、吸収する白の人狼が、もう片腕で獣の巨躯を受け止めた。

 赤色の男とは違う、機械的な首輪を身に着けた人狼に朽羽那由多は覚えがあった。それは銀狼隊内部ではなく、この東京を守る人種として。

 白虎と拮抗する人狼の構図へ割って入るもう一人の人物。形式に沿った公務員の服を装った水色髪の女性が、その手先から光沢の存在しない黒を細長く繰り出し、白虎を縛り上げる。

「警視庁異能対策班日鷹(ひだか)並びに桑野(くわの)、これより銀狼隊に助力します」

 

 

 増援が来てからの展開は早かった。

 星久里巡子は《月面の麗人》を連れて転移。『《識織四季折式神》も回収しねえとな』と不穏な事を漏らして、私の前から姿を消した。

 助けに来てくれた獣化能力者、夜桜先輩の通信に基づけば、状況は無事に終了した。

 真代は金時君と別れ、無事に搬送車『銀雪』へ辿り着いたらしい。そこから真代の指示に従って、別の先輩が金時君を救出。

 金時君には星久里巡子の付き添いを自称する男が立ち塞がっていたらしいが、なんとか命に別状はないらしい。私達の中で一番余裕のあった彼が一番の重傷というのは皮肉な話だけど、金時君だからこそ重傷で済んだのかもしれない。

 私達は夜桜先輩に案内されながらもう一台の搬送車へ向かった。車では銀狼隊医療部の隊員が待機していて、実は危なかったらしい私の身体も、後腐れなくバッチリ完治してもらった。仙慈君の方は能力による負荷が甚大で、痛みの抑制程度しか施せないとの事。それでも仙慈君曰く『何も問題はないさ』というわけで、また数日後にでも元気に突っかかってくるのだろうと思った。

 朽羽先輩は私達と違う帰路で戻ると連絡が入った。救援を呼んだ二つの組織のうち、銀狼隊ではない別の公的組織との話があるそうだ。元々支援部管轄と言っていた先輩は、そういう連携や調査の方が得意らしい。……私達が《月面の麗人》を相手にしている間、朽羽先輩は星久里と白虎の二つを相手したはずなのだが。

 二台の銀雪に乗って、私達は警戒態勢のまま寮へ帰宅する事になった。

「ありがとう。仙慈君」

 隣に座る彼の表情は、目を横一線に包んだ包帯のおかげで少々測りにくい。上を向いて口で呼吸を繰り返していたところを見るに、芳しい状態ではないのは確かだ。それでも言っておかないと、今日の出来事がひとかけらでも風化する前に言っておかないと、後悔するような気がしていた。

 二人で月に立ち向かったのもそう。それ以前だって、実践ですぐ身体を動かせたのは準備運動のように仙慈君と戦ったから。その経験がなければ、女性を出し抜く極彩の策だって思い付かなかった。

 あの瞬間《月面の麗人》に勝てなければ、夜桜先輩の合流までにどう事が運んでいたかは――分からない。

「言葉の割には、浮かない顔だね」

「いや、見えてない……」

「分かるさ。分かるとも」

 数年見てきたような口ぶりに少し眉をしかめながらも、続く言葉を待った。

 ゆったりと言葉を探す仙慈君。車内には独特の静寂が流れていて、誰も彼を急かすような事はしない。

 車内に充満した芳香剤に感覚を澄まして気分を落ち着かせる。変な高揚感もさることながら、身体の節々が焼けるように痛い。治療でも収まらなかった痛みを抱いて、穏やかに今日を想起した。

「悔しいんだろう。色んな場面の色んな事が、不甲斐なくて仕方ない」

 浮かない顔、見えていない私の表情を彼はそう評した。私は一言も訂正していない。

 その通り。後悔ばかりだ、結局朽羽先輩の足手纏いになって、二体一で辛勝して、そのあとやってきた星久里にはどうだ? 彼女が去るまで、私は一歩も動けなかった!

 悔しくないわけがない。

 私は出来る奴だと思ってた。師匠に戦い方を教わって、優れた血をこの身体に巡らしているのだと、そうしていつの間にか、自負は驕りに変わっていった。もしかしたら、今歯を食いしばってる仙慈君もそうなのかもしれない。瞳の痛さよりも、過剰使用の頭痛よりも、上を知った悔しさに身を焼かれているのかもしれない。

 私達は《月面の麗人》を出し抜いた、それは間違いない。

 勝利したとは、言い切れない。

「お二人は奮戦しました。去年の私とは比べるまでもなく」

 助手席に座る夜桜先輩が暗い車内を明るい言葉で照らす。それでも気分が憂いてるのは、その言葉の重さが胸にのしかかっているから。

「我々は救援に遅れ、街にも被害を出して、後輩を危険な目に遭わせました。朽羽先輩も少しは反省すると思いますが……責任は、朽羽先輩だけのものではありません」

 責任。その言葉を語る時、声色が一層暗くなったような気がした。暗いというか、シリアス。丁重に悔い改めるような響きだった。

「……お二人に合わせる顔は」

「先輩」

 ミラー越しに交わらない視線がもどかしくて、後先の無い言葉が口をついて出る。

「責任って言うなら、私は私の意思で先輩に付いて行きました。というか、無理矢理連れてもらいました。その先で戦ったのも、私の意思です」

「そうですよ。今回の経験でどんなに苦渋を飲み込んでも、今日を刻んで僕らは強くなる。恐怖なんてありません」

 夜桜先輩の耳がピクりと動く。獣化を解いても耳は変わらず狼耳で、真代と同じくらい小柄な身体も合わせると随分可愛らしい印象がある。こうして静かになった場でもなければ思わないが。

「余計な心配、でしたね」

 戦闘後の暗雲も払拭して柔和な空間。

 それから少しして、表情の和らいだ仙慈君へ気になった事を共有する。

『血が消えている……?』

 対面した時、仙慈君はそう呟いた。深く考えなかったあの時の言葉だが、今なら違和感も分かる。プラント・ガントレットを纏い、殴る直前に見た金髪の女性の顔。口元には赤色が擦れていた。

 極彩に能力を弾かれての出来事だった。

「仙慈君。あの……《月面の麗人》って名前」

「あぁ。僕も同じことを思っていた」

 

 

 黒豹隊医療基地。所在不明の建物は古ぼけたコンクリートで出来ていて、その一室には革命集団『反抗する火種(カウンターズチルドレン)』の総指揮と黒豹隊幹部の一角が鎮座している。

 電灯が目に悪い点滅をして悲鳴をあげる最中、意にも介さず悠然とした口調で反省会を区切った。

「ま、最悪のマッチアップだったナ。上手く機能しなかったんだロ――〈麗人(うるわしびと)〉は」

「あぁ。右眼の少年は兎も角としてだ、剣士の少年、椛野の氏族にも効かなかった。まぁ、椛野の方は予想していたさ。入学式で阻んできた彼女が、そうだったとはね。構わない、それは元より副産物だ」

 〈麗人〉――その姿を保つ法則めいた加護。そして、生き物を拐かす毒。

「能力が何個あっても仕方がねえナ。んじゃ、ウチはしばらく寝るからヨ、月桜崩しの仕方を練るのは任せたゼ」

 そういって部屋を出る星久里。扉を開ければ赤色の巨漢が恨みがましく道化を見つめるが、怯える様子は欠片もない。通り過ぎる無口な星久里へ諦めたように溜め息を吐き、男は三歩後ろを歩いていく。

 悪夢の代謝産物のような人間は長い長い眠りに付き、取り戻すように夢を見る。再び(うつつ)を歩く時、白んだ太陽の下で悪夢の再現を披露するだろう。

 悪意は燻る。恩讐を巻き込んだ火種は恵みを焼き払い、一つの大きな焔を奮起させる。

「椛野穂咲……死地にいて、キミは笑っていたね。そういった人種をよく知っているよ。その眩しさも。だが、その光は星の死滅でしかない事、キミはいつ気が付く?」

 

 

 月桜学園駐車場へ立て続けに二つの車が出入りする。すっかり夜更けになっていて、目隠れの少年、赤毛の少女は微睡んでいた。夜桜の声で起きた二人は、のそのそと車内へ出る。

 先行していた搬送車は既に去っていて、駐車場にいる人影は僅かだった。

「穂咲ちゃーん!」「え」

 突っ込んでくる真代に反応が遅れた椛野はそのまま押し倒される。ほほえましいうめき声が小さく主張した。

 包帯を取った仙慈は辺りを見回して、もう一人の姿がない事を確認する。真代の乗っていた車に居る事は知っていた以上過度な心配はしていないが、労いの言葉を持て余して幾許かの寂寥を覚えた。聞くに最も連戦していた彼だ、心身共に疲れがあるのだろうと察するに余る、アスファルトに寝転んだままの椛野と真代を傍目に、彼も金時を倣って往く。

 気力を振り絞って引き剥がす椛野と、既に気力を持ち合わせておらずぐでぐでの真代。新入生同士の交流を邪魔する者は誰もいない。

「どうだったぁ、初任務」

「真代は?」

 服を払いながらゆらゆらとした歩調で寮を目指す真代。問われてから表情を変える事はなく、柔く眠たげな笑顔で追想する。

「辞めようとはならなかったけどー、皆には付いてけないや」

 寂しさを内包した言葉選びだが、口調はあっけらかんとしている。ここは残念がるところではないと、赤毛の少女は軽く同意して見せた。

「私が出来る事をやろぉって気持ち」

「そっか。私は……悔しいけど、ちょっとホッとした。自分から戦いに挑んだのは、初めてだったから」

 夜去の笑顔は晴れ晴れとしていて、入寮を目前にした夕焼けとは似ても似つかない。台風が去った空模様のように清々しい表情を、照らされたように目を細めて笑う真代。

 木塚街で人知れず起きた春嵐は終わって、それでも春は終わらない。

 嵐もまた、月を隠す日を虎視眈々と狙っている。




これにて序章『春嵐編』は終わりです。サブタイや章タイトルも変わるような発車で一時期はかなりの停滞を見せた白夜と藍嵐ですが、なんとか無事に次の話へバトンを繋げそうでひとまず胸を撫で下ろしました。

この場をお借りして【月明かりの下で】の世界観を使用する事に許可を出してくれた友人、そして誤字脱字の確認を手伝ってもらった方々、更にここまで読んでいただいた皆様へ感謝を述べさせていただきます。本当にありがとうございます。

人生で最も影響を受けた創作を祝福する為に始めた拙作は、やはり数多くの粗が目立ちますが、必ず完結させるという意志は間違いなくあります。既に結構な蛇行を見せる有様ですが、一つの一次創作だとしても恥ずかしくないように、土台へ甘えず、丁寧な創作を心掛ける所存でございます。


次話からは椛野さんの人間関係が主に取り上げられる予定ですが、既に沢山の名前が出た今作、流石にこれから何十人も出す真似は致しません。
銀狼新入生四人組以外にも、同級生の房嶋君や辻君。先輩である彼らや彼女ら。個性豊かな幹部達が、椛野さんを気にかけ、或いは逆に気になって。
交流を育んでいき、いつか来る嵐の再来に備えて参ります。

どうか今後とも白夜と藍嵐をご贔屓に。第十話、或いは春嵐編総集話でお会い出来ることを楽しみにしています。
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