エピソード・アーデン~羅刹の刃~   作:織姫ミグル

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第三章

 

 

風が強い。

 

真夜中。獣道となっている林と林の間を逃げ回るように少女は走っていた。

 

 

「ハァ···ハァ···ッ!!」

 

 

草履が片方脱げた。

 

片方だけ履いていても逃げるために邪魔だと判断した少女は緊迫した状態ながらももう片方も脱ぎ捨ててなお走る。

 

子供サイズの小さな羽織を着込んだ綺麗な黒髪の女の子は得体のしれない者から逃げ回っている。

 

いつも通りの日々を過ごしていた時、それは起こった。家で家族皆が眠りにつこうとしたところで、家の扉が強引に突き破られた。

 

あまりの出来事に家族全員が起き上がって事態を把握しようとした瞬間、内側に倒れた扉の向こうから、人型の影が一つ襲ってきた。

 

目にも止まらぬ速さ。

 

事態を把握する前に襲撃の手は確実に向かってきていた。

 

グチャッ!!

 

と、まず目の前で家族を守ろうとしていた父親の頭から大量の鮮血が撒き散らされた。まるで火山の噴火だった。蓋のなくなった蛇口から漏れだすように、そして真っ赤な液体が勢いよく噴き出して、天井や布団に粘りつく。

 

そのまま父親は倒れ、ピクピクと痙攣するように動いていたが次第に動かなくなり、そのまま停止した。

 

残った二人、母親と娘は自分の父親の見るも無惨な姿を見て、思わず悲鳴を叫び、驚愕して、息を詰まらせて、

 

そして、

 

 

『······ウマイ』

 

 

と、真後ろからおぞましい声が聞こえた。

 

二人が振り返ると、そこにいたのは作務衣を着た中年男性。あごひげと顔の大部分にあるひび割れが特徴の人間。

 

いや、人間じゃない。

 

瞳をよく見ると、そこにあったのは人間のような瞳孔ではなく、左目の中に『下弐』の文字が刻まれていた。

 

そいつは主人の首をムシャムシャと喰い、ばっくりと割れた顎から溢れ出る鮮血を飲み干している。

 

顔に集中している鬼は、残り二人を視界にいれていない。だから、チャンスだと思った。傍らにいる娘に声をかけ、逃げようとした。

 

 

『逃げるよ弥栄子!! 急─────ッ!!!??』

 

 

その言葉が続くことはなかった。

 

ドパァ!! と、顎関節が外れる音と共に、母の口の中から手が生えてきたからだ。

 

 

『折角のご馳走を逃がすと思うのか?』

 

 

人外は笑みと共に、まるで猫の首を鷲掴みするように地面から足を離させ、そのまま父親の遺体の上へと投げ捨てた。

 

ドチャ、と湿った音が響いてきた。

 

少女の足は震えていた。

 

どうしたらいいのかわからなかった。

 

一体何が起こっている?

 

一体なんでこんなことになっている?

 

一体なんでこんな目に遭わなきゃいけないことになっている?

 

涙腺に涙が溜まる。歯をガチガチと鳴らし、目の前の男を見る。

 

すると、『下弐』と書かれた左目が蠢く。

 

 

『さぁて、食事の時間だ』

 

『ッ!!』

 

 

その瞬間、少女は正気を取り戻した。

 

扉のなくなった所から、彼女は突撃するように出ていく。

 

 

『なんだ? 鬼ごっこか?』

 

 

後ろからの声に反応せず、とにかく少女はそこから逃げ出した。

 

奴には余裕があるのか、逃げてもすぐには捕まえなかった。

 

少女の耳に聞こえてきたのは、『壱、弐、参、肆、伍───────』といったカウントダウン。陸からは聞こえなかった。それぐらいまで離れたという実感を得る暇もなく、少女は走り続けていた。

 

元々少女は足が早い。

 

遊び盛りというのもあって、近所の友達とよく追いかけっこをしていたからだ。いつも捕まえられる、捕まらないほどの素早さの持ち主、追いかけっこで彼女に勝てるものはいなかった。

 

だが、少女はそんな特技を手にしてさえ、追われる立場を逆転できなかった。

 

暴れ狂う心臓の鼓動。

 

不規則極まりない呼吸。

 

明滅し混乱する思考。

 

その一つ一つは、確実に彼女が狩られる側の人間であると証明している。

 

 

『見ーつけた』

 

 

背後に迫る影。

 

ほんの三メートルもない距離からそんな声が聞こえた。

 

少女は恐れのあまり敵を確認しようと走る足を止めずに腰を回して身を捻るように背後を見据える。

 

そこに、

 

 

「鬼ごっこは終わりだ」

 

「ッ!!」

 

 

少女の体が驚愕に凍りかける。

 

距離、零メートル。

 

そこまで近づかれたと把握した瞬間に、びずっ、と肉を潰す音が聞こえたと思ったら、少女の左足に赤い穴が穿たれていた。

 

男の手にもつ鋭い爪が、もう逃がさまいと少女の足をぶち抜いたのだ。

 

 

「ぁ······ぅ·······ぅうッ!?」

 

 

少女の体がよろめく。とっさに手をつこうとした所で足がもつれ、頭から土まみれの汚い獣道へと激突した。

 

転んで胸を強打した。

 

肺にあった空気が一気に口から抜けた。

 

 

「全く、手間をかけさせやがって。そこらの鬼とは違って、『十二鬼月』の俺に喰われるんだ。ありがたく思え」

 

 

狂笑。少女が頭上を見上げれば、見下ろしている男の足が全体重をかけて少女の頭蓋骨を踏み潰そうとしている所だった。

 

 

「ッ!!」

 

 

これから来る痛み。

 

その恐怖に思わず体を丸めてしまう。荒い息を吐きながらこれからやってくる死と向き合う。

 

そんな時だった。

 

 

「あ! ちょっとお邪魔するよ、っと」

 

 

そんな空気も読めないような、男の声が飛んできた。

 

仰向けに倒れている少女の位置からだと、ちょうど立ち塞がる男の体が壁となって彼が何を見ているのかわからない。

 

だが、中年男の『鬼』はそのまま凍りついていた。

 

彼にとってはこれから食事をするためだけにやってきたというのに、そんなことも忘れてしまったかのように踏み潰すための足を空中で固定していた。

 

 

「······なんだ、お前は?」

 

「いやぁ、ちょっと道に迷っちゃってねぇ。次の町に行きたいんだけど夜だと道がわかりづらくってぇ。どうやって行けばいいか教えてくれないかな?」

 

 

急に現れた第三者のその言葉に、『十二鬼月の下弦の弐』である“轆轤”は嫌そうに眉を顰めた。

 

静電気のように静かに現れた男に対し、鬼は言葉が詰ませる。しかもこの状況を見ても何も思わないのもどうかしてると思う。女の子が襲われてるのに、コイツは何も感じてない。

 

なにより、空気が読めないというのがムカついた。

 

これから食事だというのに、邪魔をされていい雰囲気が台無しにされて轆轤から霧のような殺気が周囲の空気へ漏れていく。

 

夜の闇全てが何億もの眼球となって、中折れ帽子の男を睨み付けるような、絶大な殺意。

 

 

「~~~♪」

 

 

それでも、男は鼻歌を唄っていた。

 

たとえ相手が誰だろうが、知ったことではないと。弐の文字が灼熱するその眼光は無言のまま告げていた。

 

 

「邪魔をしやがって」

 

 

轆轤の瞳が殺意に染まる。

 

鬼の瞳に、赤い狂熱が宿る。まさしく殺人鬼の顔つきだ。これから人を殺す、それを表すように笑みが薄く広く───まるで三日月のように口元が左右へと伸びて引き裂いていく。

 

 

「上等だ、お前から先に喰らって────やろうッ!!」

 

 

轟!!

 

と獣道の砂利を蹴散らして轆轤は砲弾のように中折れ帽子の男目掛けて駆け出した。両者の距離は何メートルもあったのに、そんなものはものの数歩で縮められた。

 

まるで水面を跳ねる飛び石のような動きで、轆轤は懐へと潜り込む。

 

に対し、

 

 

「へぇ、なんだか知らないけど俺を倒すつもり? ってことは、適当に済ませる感じじゃないか」

 

 

たん、と。

 

男はまるでリズムを刻むように足の裏で小さくステップを踏むと、

 

 

「そう簡単にはやられないよぉ」

 

 

パキンッ!! と。

 

瞬間、男の周囲に武器が展開された。

 

 

「!?」

 

 

驚愕に染まるのも束の間、直後。

 

唐突に、轆轤の体重を支えている感触が消えた。ずるっ、と。まるで椅子から転げ落ちるように、一瞬だけ体の重さが消える。

 

ぐるり、と視界が回って背中から汚い地面へと落っこちていった。背中を軽く打つ痛みに、林と林に区切られた夜空を見上げることになる。

 

 

「······は?」

 

 

とりあえず起き上がろうとしたところで、ふと違和感を覚える。轆轤は立つために手を地面へと伸ばそうとしていた。

 

が、ない。

 

今まであった腕が、ない。

 

それどころか、手足すらなかった。

 

すぐに回復はしたから何かを掴もうとする。何か危機感のようなものだけを掴もうとした瞬間、

 

 

ザシュ!! と。

 

仰向けに倒れる轆轤の左足が消し飛んでいた。

 

 

「がッ!?」

 

 

灼熱する痛み。体の中で何万もの虫が這い回るような感触。耳ではなく、体内を直接通って響き渡る鈍い音。

 

目をやれば、回復した左足がまた切断されていた。その近くに、赤い半透明な剣が浮かんでいる。見たこともないデザインに混乱する轆轤に、彼はこう続ける。

 

 

「なんだ、やっぱり大したことなかったな」

 

「なッ!?」

 

「あ~あ、折角夜明け前に人に会えたっていうのに、無駄な時間を食っちまったぞっと。ま、良い憂さ晴らしにはなったよ」

 

 

それを聞いて轆轤は驚愕する。

 

東の方向を振り向き、山の奥からわずかに薄い白い光が現れようとしているのが見える。

 

今まで狩る側だった轆轤は手足を再生させると、

 

 

「殺す······」

 

 

低く唸るような、歪んだ声。

 

じりじりと、炎で炙った肉から脂がしみ出るように、轆轤の全身から汗が浮きだっていく。

 

 

「絶対、絶対に殺してやるッ!! お前だけは!! この下弦の弐の轆轤が絶対に殺してや────ッ!!」

 

 

そこまで言ったところで、あることに気付く。

 

 

「そう、まあお手柔らかに」

 

 

声に、そちらを振り返れば、男が笑っていた。

 

これだけの状況で笑っていられるのは勝利を確信している時。それを表すように、男は涙腺から溢れ出る黒い液体を含んだ口から笑みを浮かばせ、瞳に満月のように黄色い眼光を灯しながらこう言った。

 

 

「精々がんばんなよ·······ま・け・い・ぬ・さん?」

 

「ッ!?」

 

 

奴は睨まれた眼光にビクッと肩を震わせて、そのまま負け犬のように逃げていった。枝の生えた林の上に飛び乗り、その次には更に遠くの枝目掛けて跳躍する。

 

人間じゃない。

 

相手は人間じゃないッ!!

 

その背中は焦燥に駆られ、ほとんど自失しているようにも見えた。

 

 

 

□■□■□

 

 

 

町を越えるまでの道のりは険しすぎだ。

 

看板もなければ標識もないこの国では、どこが右でどこが左なのかわからなかった。

 

よって、ふらふらと真夜中を歩いていた彼は獣道を進んでいると、ある二つの人影を見つけた。だから話しかけに行ったのだが、どうも相手からすればそんな場合ではないらしく、いきなり襲いかかってきた。

 

ならば仕方ない。

 

相手をしてやるだけだ。

 

武器を召喚して遠隔操作をし、手足を両断してみたところ、奴の腕と足は生え代わり、再び襲ってきた。

 

その時気付いた。

 

 

(あぁ、こいつも鬼っていうモンスターの類なんだな)

 

 

っと。

 

よって追加で左足を切断したところ、屈辱を味わったのかかつてないほどの殺意を向けられた。

 

だがアーデンは無視した。

 

どうでもよかったのだ。

 

小物に殺意を向けられても、別にどうってことはない。

 

一先ず、何もかも面倒だからそいつ以上の殺意を込めて言葉を発したところ、尻尾を巻いて逃げていった。

 

なんだったのだろうか、と疑問に思う前に、少女の方に振り返る。

 

見ると、少女の方はかつてないほど震えており、

 

 

 

「こ、来ないで。来ないで来ないで来ないでッ!!」

 

「······あ~」

 

「こ、殺さないで······お、お願い、しますッ!!」

 

 

ガタガタガタガタと、寒さに耐えるように腕を組んでアーデンに恐怖感を抱いている様子の少女。

 

アーデンからすれば、別にこんな女の子などどうでも良いのだが、道を訊ねられるのは生憎とこの子しかいない。

 

アーデンはらしくもなく、宥めるようにして膝を折り、少女の視線に合わせて聞く。

 

 

「大丈夫、おじさんはなにもしないよ。それより聞きたいんだけどさ、次の町までどうやって────」

 

 

そこで息が途切れた。

 

唐突に、

 

 

ザシュ!!

 

 

と、アーデンの首はくの字に折れて後方へと飛ばされる。

 

いくつも横に生えている枝を折り、真っ暗闇の奥に吸い込まれていくアーデン。それを見た()()()()()()()は、少女に冷たく声をかける。

 

 

「·····無事か」

 

「!?」

 

 

声をかけてきたのは、青年だった。

 

身長は一七六センチメートルと高く、整った顔立ちに切れ長でハイライトの無い青い瞳をしている黒髪の青年。

 

半分に分けられた柄をした羽織を着込んで少女を守るように現れた青年は、少女の安否を確認しようとして膝を土につけた瞬間、

 

 

 

「全く、いきなりひどいなぁ」

 

「!?」

 

 

闇の奥から、そんな声が聞こえてきた。

 

 

「相手が何者なのかもわかってないのに急に刃を振るうなんて、人としてどうかと思うよ?」

 

 

無傷。

 

頸ごと吹き飛ばしたというのに、彼は一切傷を負わずに戻ってきた。

 

その姿を見て、青年は眉をひそめた。

 

 

「······確かに·······頸を斬ったはず」

 

「あぁ、確かに。痛かったよ······もう本当」

 

「······日輪刀で斬ったのに、死なないだと?」

 

「へぇ、それが日輪刀かぁ。まあ、確かに変わった剣だねぇ」

 

 

言葉と共に、二人は睨み合う。

 

 

「にしても······」

 

 

アーデンは襲いかかってきた青年の持つ剣を見つめる。

 

青い刃をした刀。

 

それ自体別にどうというわけではないが、だとしても嫌な思い出が蘇ってしまう。その刀を見て、アーデンは独り言を呟くように言う。

 

 

「ムカつくねぇ······どうもそういう『青い剣』を見ると、あの忌々しいアイツを思い出して嫌になるよ」

 

 

アーデンはそう言いながら片方の手に赤い剣を召喚させる。その様子を見た青年は目を見開いているが、アーデンはそんなことどうでもよいかのように剣を向け、ヒョイヒョイと誘うように振っている。

 

その動きに腹が立ったのだろう。普段表情が死んでいて無口な彼だが、この時ばかりはこめかみに青筋を浮かばせるくらいに怒りに感情を支配されていた。

 

よって、

 

 

「ふっ!!」

 

「ハハッ!」

 

 

二人同時に動き出していた。

 

悪鬼のような形相をしたアーデンは、襲いかかってきた青年を泣かすべく、赤い刃を振るう。

 

 

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