距離は数メートル。
地形は林と林に挟まれた一本道。障害は特にない。この状況なら壱ノ型で捌ける。どれだけ奴に剣の心得があったとしても、素早い自分ならたったの一歩で至近距離に近付ける。
懐に潜り込んで、その頸を切り飛ばせばそれで済む。
(終わらせる······ッ!!)
シィィィイ!! と。
呼吸が潤う。
揺らめく水面の刀身を夜にかざし、放つ一撃に覚悟を秘めて。
「水の呼吸·······壱ノ型!」
ドッ!! と。
アーデンの視界から青年の姿が消滅したとしか思えぬ踏み込みで疾駆する。そして今まさに青年に斬り込もうとしているアーデンの懐に潜り込み、横薙ぎに一閃、水の残滓すら幻覚する鋭い一撃が振るわれる。
「水面斬り!!」
それ以上は何も言わず、青年は刀を横に振るう。青く変色した刃は水面を切るように空間を渡り、アーデンの頸元へと、
当たらなかった。
「なに!?」
何もない虚空へ刃が通りすぎるのを見て、青年は驚愕に目を見開く。当たらなかった刃はそのまま力を失い、青年は辺りを見渡す。
青年が狙いを間違えたのではない。
突如として、アーデンの体が消えたのだ。
シュン!! と。
何か黒いものが通りすぎたような鈍い烈風が、青年の後ろから響いてくる。
「遅いねぇ」
「ッ!?」
平淡な声と共に、青年の頭の頂点、つむじ辺りに殺意を感じた。よってすぐに刀を上に掲げて防御の姿勢を取ると、重いものを落としたような衝撃が突き抜けた。
奴の持つ武器が勢いよく振り落とされたのだと、青年は定まらぬ意識でそう思う。
しかし重い。
重すぎる。
山でも持っているかのような一撃を受けて、青年は呼吸を集中させて姿勢を整える。
「よく受け止めたねぇ。これで結構死んじゃった人が多いんだけど、君はどうやらそいつらとは違うようだ」
「くッ!!」
彼はアーデンの剣を弾き飛ばすため、また勢いよく息を吸い込んで次の技を出す。
「水の呼吸、弐ノ型!!」
水車。
垂直方向に身体ごと一回転し、アーデンの剣を弾き飛ばした。三六◯度全てが攻撃範囲となり、加速が加わって威力も増して大型の敵に対しても有効な技。
弾いた次の瞬間には彼は体を傾けて横向きになり、そのまま水平方向に回転しながら技を繰り出す。
横水車。
しかしアーデンはそこにいなかった。
その場から真上に数メートルほど跳躍していたからだ。
「痛いのは御免なんでね」
パキンッ!! と。
ガラス製のものがひび割れたような音が鳴り響くと、アーデンの周囲に深紅の武器が展開される。それらの武器の矛先を青年へと向けると、ビュン! という風を切る音と共に空間を突き抜け、青年の元へと高速で叩き込む。
「防げるかなぁ!」
「ッ!?」
たん、というアーデンの着地音すら青年は聞いていられなかった。
凄まじい速度で、鋭い刃を生やした武器達が複数一気に襲いかかってきたからだ。
(血鬼術!?)
見たこともない、人間離れした芸当に青年はそう思うしかなかった。
血鬼術。
鬼が持つ超常的な現象をも引き起こす異能の力、鬼が自身の血やエネルギーを消費する事で発動できる特殊能力。
たしかに、アーデンの武器は全て赤かったため、血鬼術に見えなくもなかった。
全方向からの攻撃。
一本の刀でこれを防ぐには至難の技。よって青年は早くも奥の手を出すことに決めた。
「·······全集中」
全ての意識を集中させ、静かに息を吸う。
「水の呼吸······拾壱ノ型」
それは凪いだ水面のように静かで美しく。思わず見惚れるほどの剣技。
「······凪······」
□■□■□
それで勝負は決した。
勝敗は火を見るよりも明らかだ。青年、“冨岡義勇”が放った技『凪』。
抜刀しての自然体から無拍子で繰り出される無数の斬撃。刀の届く範囲内に入った対象全てを縦横無尽に斬り刻む。言ってしまえば『猛スピードで手の届く範囲のものを斬りまくっている』というひどく単純な原理なのだが、間合いの全てを無に帰すようなその動作から、無風の海面を意味する『凪』の名がつけられた。
受けの型である水の呼吸を極めた義勇だけが扱える剣技だ。
全てを無力化してしまえば、どれだけの威力だろうと届かなければ意味がない。
最大の防御術。
放たれた武器達はその技を前に無力化され虚空へと消えていく。その上で、彼の死角となる位置から素早く動き、その頸を跳ねる寸法だった。
あちらの攻撃は届かず、こちらの防御で敵の体力を削いだ所を叩く、そういう構図だ。
全ての武器を弾き終えた義勇はまた息を吸う。
「水の呼吸······肆ノ型」
ビュン! と義勇の機動力が一気に跳ね上がる。
足元の土を粉砕し、爆発的な推進力で一気にアーデンのいる上空へと飛び上がる。
そして。
「打ち潮!!」
岸辺に打ちつける潮の如く淀みない動きで斬撃を繋げる波状攻撃。汎用性が高くあらゆる場面で使える万能な技だ。
だが、
「やっぱり遅いなぁ」
至近距離で放たれたというのに、まるで世界の方が止まったかのようにスローモーションになる。唯一その中で動いているのはアーデンだけだ。
時間が停止したような中で、うっすらとした嗤い声を、義勇はたしかに聞いた。
そして。
「俺を倒したいなら、せめて瞬間移動くらいできないとね」
冨岡義勇は己の眼前で、ごあっ!! と、自身の持つ刀が中心から外周に向かって膨張するような妙な感覚を得た。
アーデンが召喚したハンマー型の武器。それを使い、刃を折る勢いの衝撃を叩き込んだのだ。
「ッ!!」
重い一撃を受けて何とか耐えているものの、空中で足場がなかったこともあり、冨岡義勇の身体は真下へと放り投げられる。
無事に着地したのも束の間、上を見上げたらそこにアーデンの姿はなかった。
代わりに、
「どこ見てる!!」
「!?」
アーデンはそれだけ言った。
そうして、先程助けた少女の目の前で、恐るべき一撃が放たれた。鋼鉄で作られたであろう全長二メートルもの巨大なメイスが横に振るわれ、義勇の脇腹に容赦なく突き刺さる。
『鬼王の枉駕・変異型』
温厚で誠実なれど戦場では鬼と謳われた王の証、そのレプリカ。そんなものを振るったことで義勇からは人体にぶつけるものとは思えないほどの轟音が炸裂し、林とメイスの間に挟まれた義勇の身体から全ての力が奪われた。
今度こそ完璧に意識の消えた水柱、冨岡義勇の体が巨大なメイスに寄りかかる。まるで布団を干すような格好になった青年を見て、アーデンは笑う。
笑って、アーデンは意識を失った義勇を引っ掛けたまま、横へ薙いだ。
少女の方へと飛ばされた義勇は傷だらけのまま倒れこむ。決死の思いで握られていた刀は手から離れ、地面に転がった。
日輪刀、と呼ばれる謎の武器。
これを使えば鬼を倒せるらしいが、いったい何故なのだろう? そう思ったアーデンは屈み込み、それを右手で掴んで持ち上げた。
「これが日輪刀ねぇ。どう見てもただの刀にしか見えないけど」
興味深く見つめていたアーデンは、その刀をゆっくりと真横に向けて、まるでこれから刀を地面に落とそうとするような姿勢にも見えるが、アーデンは躊躇いもせず空中に置くように手を離した。
瞬間。
パシュン! と羽音のような音色が響いたと思った瞬間、冨岡義勇の持っていた刀が赤い残像と共にその姿を消した。
「記念にこれもらってくね。ほら、勝者にはそれなりの褒美って言うじゃん? って、気絶してて聞こえてないか」
答えもせず、ただ俯いてそのまま動かずにいる義勇。身体中血だらけでボロボロで、指一本すら動かせない状態だった。
普段の彼なら、こうはならなかった。
しかし、
今回は相手が悪かった。
相手は鬼よりも厄介な不老不死者。
そもそもの前提で勝ち負けなんてものはない。殺すことが出来ない以上、冨岡義勇に勝ち目なんてなかったのだ。
「あ~あ、こんなことしてたらもう夜が明けちゃったよ~。こっちはただ道案内を頼んだだけなのにさぁ」
悪態をつくように言うアーデンだが、義勇には聞こえていない。それを見て鼻で笑ったアーデンは、次の町へと向かう。
「いや~、楽しいねぇ~」
彼は自然と笑みをこぼした。
アーデンの中には、ぐるぐると熱いものが蠢いていた。
自分をこんなところに飛ばした六神のうちの一人、『剣神バハムート』。あいつは今どこかの世界でくつろいでいるかもしれないし、夜明けが訪れた元の世界を美しいとかなんとか言って余韻に浸っているかもしれない。
なんにせよ。
クソヤロウに復讐するチャンスを与えられた。
体も魂も戻った。
ここがどこかわからなくても、いずれは出会うはずだ。
こんなところに飛ばした、あの神様と。
「生きているっていうのは、本当に楽しいねぇ~」