武練亡者録   作:流々毎々

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迷い込む亡者

 

 山の頂は天まで届き、反り返った岩肌は剣山の如く鋭い。空気は薄く山を轟かせる風の息吹は全ての定命者()の熱を奪っていく。

 山を登り慣れた程度では決して辿り着けない秘境の山脈。

 

 天極山(てんきょくさん)

 

 その天極山で今、一人の男が―――否、老人が息を引き取ろうとしていた。粗末な荒布で身を包み泥の汚れと赤切れの酷い手足を大地に投げ出している彼の胸元は、そよ風の如くひゅーひゅーと繰り返す呼吸と共に辛うじて薄く上下していた。

 

 瞳は既に開けているのかもわからぬほどに細く閉じている。しかし年齢相応に深く刻まれた皺を持つ彼の顔には苦悶の表情は無く、ただ数刻後に訪れるであろう自分の最後の瞬間を待つように静かに凪いでいた。

 

 男は孤独の武芸者であった。既に家族はおらず、親しき者たちとの関係さえ断ち切り、厳しき環境にて修練することを己が定めと決め付けこの天極山へとやってきた。

 武に生き、武に生かされ、武に全てを捧げて来たこの男の末路は、当然の如く誰にも看取られることのない孤独な最後であった。

 

 だが男には後悔の色は一つも無い。本当の意味でただ己が思うがままに生き切ったその有様に、どうやって後悔の念を抱けと言うのであろうか。

 

 そう。男に後悔はない。しかし、彼にはただ一つ。たった一つだけの未練があった。

 

(我が道。未だ極地に到らず。ただ蒼天を眺めるに終わってしまうか・・・)

 

 全てを武に捧げ、己の生を修練に当てた男はされどもその道を極めるには至らなかった。それこそが男の唯一の未練。

 

(既に眼も見えず、音も遠くなって来た。本当に終わってしまうのだな)

 

 天極山に吹く極寒の風は男の最後の命の灯を容赦の欠片も無く消し去ろうとしてしまう。

 

「――ああ。我が生に悔いはなし、ただ・・一つ、願い叶わば、其は無情・・・なり」

 

 その呟きと共に男は眠る様に意識を失った。

 男が最後に残した辞世の句。その思い、どれほどのものであったであろうか。

 

 こうして一人の人間が秘境の山奥で誰にも知られることもなく息を引き取る。後に男の体は自然の猛威に晒され、肉一つ残さずこの世から朽ちてしまうのであった。

 

――――――――――

―――――

―――

 

 我が名は”タケル”。家名は無い。偉大なる武の英傑の名より一字をいただく修練者なり。定めに従いその道を歩めど半ばにて命尽きたる。

 

「・・・はず、だったのだがなぁ」

 

 そう言葉を漏らしながら(おれ)は自分の掌に目を向ける。見下ろした自分の視界に映ったそれは若々しく、玉の肌の如き張りを持った手は日の光さえ反射しているようであった。

 

 天極山にて枯れ木のようにボロボロとなっていた己の肉体は生命の活力を取り戻し、雄々しき漢の体を見事に取り戻していた。

 

「我は死んだ。されどもこうして生きている。天に昇らず地に沈まず。よもや我が肉体は亡者となりはてたか・・・。だが体がこうも若返っておるのが説明付かぬ」

 

 それに、とタケルは自分の体から目を離し周りの風景を見渡す。

 

「ここは天極山(てんきょくさん)ですらない」

 

 タケルのいた天極山は、全ての定命者の命を平等に刈り取りに来る極寒の烈風が吹き荒れる厳しい環境の場所であった。

 だがこの場所はどうか。

 

 木漏れ日から覗く日の光は暖かく、少し目端を凝らせば動植物や食べ物が見つかる自然豊かな山の中だ。

 

 ここは天極山とは似ても似つかぬ優しき活力に満ち溢れている。

 

「ならばここが話に聞く極楽の浄土であろうか。・・・否、我が歩みし道にそこまでの徳は無し。ありえぬ」

 

 タケルは降って湧いた疑問に即座に見切りを付けた。

 人に顔向けできぬような悪鬼外道に身を置いたつもりは無いが、かと言って人一倍に善行をなした覚えもない。

 

 ただ己の願いのままに生きて来た自分にそんな世界に到るのは過分だと思ったのだ。

 

「我に唯一あるのは武。これのみが我が生き様で誇れるただ一つのもの」

 

 ならば――

 

「天におわす情け深き神仏様のどなたかが我の最後の未練(願い)を聞き届けて下さったのであろうか」

 

 自分が天極山で残した辞世の句。それが天上の世界に届きもう一度、我が魂に命を吹き込んで下さったのだ。

 

「よもやこの黄泉がえりには何の理由もないのかもしれぬ。しかし我はそうだと信じたい」

 

 何故ならば武に捧げ続けた生だけは、我にとって唯一誇れるものなのだから。故に――

 

「情け深きどなたかの神仏様。我は勝手に感謝いたします。我にもう一度を(・・・・・)与えて下さりありがとうございまする・・・」

 

 そう言うとタケルは膝を折り、地に頭を付けると深い祈りの念を天に捧げた。実に長くその祈りを続けた彼は、太陽の傾きが変わる頃にようやく身体を持ち上げる。

 

 それからしばらくタケルは自然豊かな山道を歩き、腰かけるに良い岩を見つけるとそこに座り胡坐をかく。そしてゆっくりと大きく深呼吸を始めた。

 

 空に満ちる気を体に取り込み循環させ、不要となった気を口から吐き出す。そして再び気を体内に取り込む。これをタケルは幾度も繰り返す。

 所謂、呼吸を用いた身体の運気調整である。

 

 結局の所、黄泉がえりを果たそうともタケルのやる事は変わらない。千日を鍛とし、万日を錬とする鍛錬の日々。

 せっかく新しい命を得たのだから違う生き方をしよう、などと言う考えは彼には微塵もない。

 

 もとより武に捧げたからこそ天上より情けを貰えたと思っている身の上だ。だからこそ、黄泉がえりを果たした自分の命をそれ以外に使うのは不純でありまた天より見放される行いであるとタケルは考えているのだ。

 

 だから彼は変わらず、天極山と居た頃と同じように修練の日々に戻る。こんどこそ極地(天上の世界)に到る事を夢に見ながら。

 

 ここがただタケルのいた世界と同一であったならば、彼はまた孤独のままその生を終わらせていたかもしれない。

 しかしタケルが新たに命を得へて迷い込んだ世界は、彼が生きていた場所とは似ても似つかぬ異郷の地。

 

 忘れ去れた神秘が色濃く集まり、人とそれ以外の者たちが隣り合わせで住む地上に残された最後の楽園。

 

 望む望まずに関わらず、この世界に住む者は一人で生を終える事は決して無い。

 

 タケルのように、外よりこの世界に来たる者が辿る未来はおおよそ決まっている。

 

 かの者たち取って食われるか、超常の存在と縁を結ぶか、ただ嵐が過ぎ去るのを待つが如く人々と群れ生き永らえるか。

 

 いずれタケルは遠くない未来、彼らと相対することになる。彼の世界には存在しなかった、己の常識の理外にいる超常の存在たちに。

 

 しかし彼らもまた覚悟しなければならない。

 

 文字通り一生を掛けてタケルがおさめた武とは、そんな者たちに振るわれるときにこそ真価を発揮する刃となり得るのだから。

 

 ここは幻想郷。忘り去られしものどもが辿り着く最後の楽園である。

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