セリーヌの『神の手』料理譚   作:雪月/Yukiduki

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海豹も喜ぶ鮭のムニエル

パトリシアは無性に魚が食べたかった。

慣れない地上での旅に、慣れない人間と触れ合い、子どものためとはいえ何とか結婚式は見届けた。

息子夫婦は幸せそうで何よりであったし、息子も自分が顔を出したことを喜んではくれたが、それはそれとしてあまりに慣れないことをしたせいで、故郷が恋しくなってしまったのは事実だ。

 

そして、息子夫婦の引き留めも程々にあしらい、帰ることにした前日。「このあたりで魚を食べられないか」と問うてみれば、「あそこなら」と一つ紹介された。

無理難題を言った自覚はあったが有り難くその紹介に飛びつき。ただ、はしたない姿を見せてしまいそうだったので一人で行くことにしたのだった。

 

「翼の生えた馬……ね。確かに。こうしてみると、奇妙な生き物」

 

見慣れぬ(・・・・)生き物の看板を何とか見つけ出し、扉を開ける。

陽はまだ昇り始めたところ、昼食を食べるにも早い時間帯。

人混みが苦手なパトリシアは息子夫婦からせめて空いている時間を聞き出し、開店直後か夜ならば良いのではと聞いて、早めの時間を狙ったのだった。

 

扉を開けてみれば、店内はがらんどう。

これは自分が本日最初の客になれたのでは、とパトリシアは満足げに頷く。

そうしているうちに、すすっと若い男の給仕が声をかけてきた。

 

「お一人様でしょうか?」

「えぇ。あの席の隅っこに座らせてもらえる?」

 

パトリシアが指した席は店の隅。目立たぬ場所。

給仕は一瞬怪訝な顔色を浮かべたが、直ぐさまにこやかに笑い、案内してくれた。

 

サービスとして出された冷たい水を飲み干し、ひと心地。

地上はどうにも暑い。この水のサービスは有り難いものだった。

 

「ご注文はいかが致しましょう?」

 

メニューもありますが、代読しますか?

そのように問われ、パトリシアは少し黙って考え込む。

 

人の文字は読めないし、何よりこういう店も初めてだ。

だからこそ、自分の希望を素直に言うことにした。

 

「アー、魚が、食べたいの」

「なるほど、魚料理ですね」

 

それでしたら幾つかおすすめがありますが。

再度の問いに、改めて考え込む。

 

折角である、できるならしっかり調理されたものを食べたい。

そうすると生魚のようなものや単なる塩漬けの魚はあまり良くない。

 

そう考えながら、幾つかおすすめの品を聞いているうちに一つ、気になったものがあった。

 

「鮭のムニエルが良い」

「かしこまりました」

 

秋鮭。この時期ならば身がしまっていて美味しいだろう。

それに、息子が昔好んで食べていた、気がする。

故郷に帰ってから暫く。記憶も薄れてきていたが、何となく朧気に覚えていた思い出に、パトリシアは飛びついた。

 

「暫くぶりのお魚。楽しみ」

 

珍しくパトリシアの顔には笑みが浮かんでいた。

 

※ ※ ※

 

やってきた鮭のムニエルは期待以上のものだった。

そもそもこのあたりで保存用の処理がされていない魚を食することができるとは思っていなかった。

内陸部であるというのも大きいし、川や湖でとれる魚というのは貴族などが独占すると相場が決まっているからだ。

こうして街中の店でありつけることが、やはり稀なことだとパトリシアは理解していた。

 

「おっきな身……」

 

もう少し身も小さいと思っていたし、料理とてここまで美味しそうな香りがするものであるとは思ってもみなかった。

香ばしく鼻を擽る香り。上にかけられた何やら白くトロリとしたソース。

このまま丸呑みにしてしまいたいほど美味しそうだが、人の身(・・・)であるからして、見苦しい真似はできない。

未だに違和感を抱きながらもなんとかその身を切り分け、口に運ぶ。

 

「はむ」

 

パトリシアは思わず目を見開く。

カリッとした外側の食感に内側のふわふわな柔らかな魚の身の食感のコントラスト。

バターの豊かな風味、口に広がる鮭の脂身の味。

生で頂くのとはまた違う味わいで、久しぶりの魚ということもあり思わずうっとりしてしまうほどだった。

 

パトリシアは料理がそれほど得意ではない。

必要に駆られて何とか覚えたが、好物の魚も直火で焼くぐらいでしか食べてこなかった。

それでも息子や……かつての夫は美味しいと食べてくれたものではあったが、とはいえこのような食感と味わいの料理は作ったことがない。

 

この身はセルキー。人とアザラシの姿を持つ者。かつて、夫に惚れ込まれてアザラシとなるための皮を奪われた女。

 

結婚生活は悪いものではなかった、と思う。

少なくとも息子に情はあったし、夫とてある意味では情熱的であり、優しくもあった。嫌いではない。

とはいえこの身は海に生きる者であったから、故郷への想いは募るばかりだった。

 

今こうして陸に上がれば、やはり自分は海に居るべき存在だと思う。

だが、心残りであった子どものこと。結婚式を見届けることが出来たのは良かったとも、そう思う。

 

「……この酸味のあるソースも、美味しい」

 

それにこうして凝った料理というのは人の領域でなければ味わえない。

陸に上がる理由にまではなるまいが、陸に上がった言い訳や慰めにはなる。

そんな味わい。

 

息子夫婦の幸せそうな顔を思い起こす。

心底にホッとした気持ちになったし、妻となる女性も悪い人ではなさそうだった。

少なくとも自分などよりはよほど、良い妻になるであろう。

 

結婚というものに息子が複雑な想いを抱いていたことも知っていた。

自分のせいだと少しばかりの罪悪感もあった。だからこうして見に行った。

 

「また何年かしたら。会いに行ってもいいかも」

 

その時はまたここで魚料理を食べて帰ろう。

パトリシアには、それがとても名案なように思えたのだった。

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