アーカイブ・ドロップアウト 作:カムラン
更新遅くなってすいません。
バイト忙しくて帰ったらすぐ寝る生活をずっと続けてたので、書く気力がありませんでしたが、久々に暇だったので勢いで一話書き切りました。
さて本格的に過去編に突入しましたが、原作キャラはしばらく登場しないです。たぶんあと10話くらいしたら出てくる気がする(未定)
自己設定モリモリですが気にせず見てくれると幸いです。
またしばらく投稿遅くなりますがよろしくお願いします。
──”エンハンス・コスメティックス・ホールディングス”は、キヴォトス大手の化粧品メーカーである。
ㅤ総人口のうち、女性の比率が高いキヴォトスにおいて化粧品の需要とは常に高いものだ。それ故に多くの企業が化粧品事業を行っているが、その中でも高いシェアを誇るのがこの企業”ECH”であった。
ㅤプチプラコスメからハイブランドまで多くの商品を取り扱う彼らは、創立から何十年か経つ今も尚、キヴォトスの若い女性たちからの強い支持を得ている。
ㅤそんな大手企業の代表取締役の一人娘として生まれたのが、青山カサネだった。
ㅤカサネの父親はストイックな仕事人間で、常に会社と部下のことを考えている人間だった。
ㅤ家に帰ってこないことなどざらにあるし、帰ってきたところで二三時間程度寝たらすぐに出社するので、幼時のカサネは父がゆっくりしている姿など見たことがなかった。
ㅤしかし、かといって家庭のことを疎かにしているわけではなく、たまの休みには家族全員で旅行やパーティなどに連れて行ってくれた理想的な父親だった。少なくともカサネは、父親に対して寂しさを抱くことはあれど嫌ってなどいなかった。むしろ大好きな部類に入る。
ㅤそんな彼を支える母親も、これまた理想的な母親であった──とは言い難い。
ㅤ良く言えば教育熱心、悪く言えばスパルタ的な所謂意識高い系の母親である。アッパークラスの人間にはアッパークラスの人間に相応しい振る舞いがあるのだと、何も分からぬ幼いカサネに淑女の何たるかを叩き込んだのが彼女であった。
ㅤそもそも母自身はアッパークラスどころか、むしろ貧困層の出身であったのたが、そうだからこそ余計に娘には”それらしい”振る舞いをして欲しかったのだろう。よく使用人たちに「ただの玉の輿結婚」と陰口を叩かれていたし、そう見られて欲しくないという思いがあっただろう。
ㅤしかし幼いカサネにそれの心中を察しろというのも無理がある話で、将来のことを考えて厳しく育てる方針の母親に嫌気が差すまでさほど時間は要さなかった。
『父に会いたい。母は怖いから嫌い』
ㅤ幼心にそんな思いを巡らせていた五歳の春だった。
ㅤその日は、バケツをひっくり返したような豪雨の日だった。窓の外は暗く、雲の向こうで稲光がパッと光るのがよく見えたのを覚えている。ザァザァと地面を叩きつける雨の音は、今でもカサネの耳にこびり付いている。
ㅤ悪天候による偏頭痛のせいだろう。
ㅤその日の母は、いつもより機嫌が悪かった。
「かあさま、とおさまは何時帰ってこられるのでしょうか」
「……知らないわよ。雨が酷いし、今日はオフィスで泊まるんじゃない?」
「……そう、ですか」
ㅤ心底悲しそうに、カサネは眉を下げる。
ㅤ父親とは帰ってきたら遊ぶ約束をしていた。といっても、母の目もあるので、ままごと等のごっこ遊びに興じるわけではなく、彼女の奏でるヴァイオリンに父がピアノ伴奏をするという、母の自尊心を満たすためだけの遊びである。
ㅤ育児に関しては妻に一任しているということから、父はそれを分かっていても口に出さない。仕事でなおざりにしているという負い目があるからだろう。
ㅤカサネもしっかりと、そんな夫婦間の目に見えぬやり取りを理解して、それでも父との穏やかな時間を楽しみに待っていた。父が居る時だけは、母は何も怒らないから。
「かあさま、とおさまにお伝えください。カサネはヴァイオリンを用意して待っておりますと」
「……あのねぇ、お父さんは多忙な人なのよ。あなたのワガママで困らせてどうするの。大体もし帰ってきたって夜中になるわよ。そんな時間まで起きているつもり?」
「……でも、カサネはとおさまと約束しました」
「はいはい。約束なんて今度別の日に回して、さっさと寝なさいな。夜更かしは肌の天敵と、前から言っているでしょう」
ㅤ段々と、母の眉間にシワがよっていく。ただでさえ頭が痛いのに、娘のいつものワガママが始まった。そんな二重の苛立ちが彼女の心を強くざわつかせる。
ㅤしかしカサネは父親のことで頭がいっぱいで、そんな母親の様子に気付けなかった。気付けないままに、尚も母親に逆らい続ける。
「おねがいします、かあさま。とおさまにお伝えするだけでいいのです。カサネは、ただとおさまとヴァイオリンの演奏を──っあ!?」
ㅤカサネの頬に衝撃が走り、乾いた音がだだっ広いリビングルームに響いた。床に尻もちを着いたカサネは、ジンジンと痛む頬を抑えながら呆然とこちらを睨みつける母を見上げる。
「──うるさいっ!!」
ㅤ母に、叩かれた。
ㅤそう理解した瞬間、カサネの脳内は真っ白に染まった。驚きと、恐怖と、母に暴力を振るわれたという悲しみからくるショックで思考が完全に停止していた。
「いっつも、いっつも、アンタはあの人のことばかり! アンタの面倒を見ているのは私なのに、なんでアンタは私じゃなくてあの人を……!」
ㅤ彼女の、どこか悲しみ混じりの言葉もカサネの耳には届かなかった。ぴたりと静止した視界の中で、髪を乱雑に掻きむしる母親の姿だけが動いて数コンマ遅れて見える。
ㅤまるで電波の悪いスマホで動画を頑張って見ているときかのような、そんな感覚だった。カサネはボーッとそれを眺めていると、しばらくして我に返ったらしい母親の表情が真っ青になった。
ㅤ慌ててこちらに駆け寄る母親は、呆然と座り込むカサネを強く抱き寄せて「ごめんなさい、ごめんなさい」とうわ言のように謝った。
ㅤけれどカサネは、カサネの脳はまだ先程の出来事を現実のものと処理できていなくて、されるがままに母の体温を感じることしか出来ずにいた。
ㅤ五分ほどした頃だろうか。謝り続ける母親を遮るように、カサネは無意識に口を開いていた。
「──申し訳ありませんでした、お母様」
「……え?」
「確かにお母様の言う通り、私の我儘でした。どうかお許しくださいまし」
「……か、カサネ……? どうしたのよ」
──きっと、後の青山カサネが自分を取り繕うようになった大きなキッカケはこの出来事に違いない。
ㅤA.D.C総帥という仮面。頼れる先輩という仮面。学校の人気者という仮面。嘘を嘘で塗り固めて、自らの本心を奥底に隠すというカサネの悪癖はまず間違いなくこの瞬間に生まれたのだ。
ㅤ母親に叩かれた。その原因を考えたとき、カサネは自分が「母親にとっての理想的な娘」ではなかったせいだと幼心に思った。
ㅤ先程とは打って変わって、自分を抱きしめて必死に謝ってくる母にどうしていいか分からなかったカサネは、混乱した幼くか弱い心を守る防衛本能から「母親にとっての理想的な娘」を演じ始めたのである。
ㅤつい数分前までどこか舌足らずだったカサネの口から、流暢な声が発せられた。それは正しくカサネの母親が常日頃から口酸っぱく言いつけていた、「淑女らしい」物言いであった。
ㅤだがしかし、カサネの母親は困惑しきっていた。
ㅤ確かに普段頑張って育児をしている自分を見ず、たまに帰ってくる夫をせがむ娘に思うことがなかったといえば嘘になる。
ㅤひとりの親として、自らの子供には決して見せてはならなかったはずの、そういった積もり重なった不満が思わぬ形で爆発してしまったことは自分の不徳の致すところではある。
ㅤけれど──これは、目の前に居る彼女は本当に自分の娘なのだろうかと、母親は疑わざるを得なかった、
ㅤ思い切り叩かれて痛いであろう頬は、赤く染まっている。けれどカサネは穏やかな、それこそ「淑女らしい」清楚な笑みを浮かべて母を見つめていた。雰囲気も、表情も、言葉も、何もかもが先程までとは違って見える。
ㅤ自分は、とんでもないことをしてしまったのだと母親が気付いた時には既に遅かった。
──カサネの心は、この日からずっと閉じられている。
***
「カサネさん! おはよう!」
「えぇ、おはようございます。今日もいい天気ですね」
「あっ、カサネさーん! おっはー!!」
「ふふ、走ったら危ないですよ先輩。」
ㅤ時は変わって、十年後。
ㅤ中学を卒業したカサネは、かねてより進学を希望していたトリニティ総合学園の通学路をゆったりと歩いていた。時おり挨拶してくる同級生や先輩に挨拶を返しながら、背筋をピンと伸ばして視界の端に聳え立つトリニティの校舎を見据える。綺麗に磨かれたローファーが、地面のアスファルトとぶつかって軽やかな音を奏でていた。
ㅤ先月にあった入学試験において全教科で満点を記録したカサネは、教員から「ここ数年類を見ない優秀な生徒」との太鼓判を押されていた。
ㅤそんなこともあり、首席として新入生総代を務めることになった彼女は、先日あった入学式で舞台に登壇し、全校生徒を前に十分ほどのスピーチを行った。
ㅤあれほどの数を前に演説を行うというのはカサネにとっても初めての経験で、多少なりとも緊張を抱えていたが、いざ終わってみれば大したことは無かった。そんな欠片の緊張感も見られぬ佇まいに、集会をセッティングしていた上級生からは感心が寄せられていたが、実際のところ、内心ではずっと「どうしよう、どうしよう」と慌てていた。
ㅤそのことには誰も気づいていないだろうが、その苦労の甲斐あって、今のカサネはほぼ全ての同級生から顔を覚えられている存在となっている。まだ数は少ないが、何人かの上級生とも既に知り合っていた。
ㅤちなみに今日この時点で、まだ入学から二週間ほどしか経っていない。
ㅤ勉学に秀で、誰にも優しい人格者で、更にカサネほどの年齢層の女性ならば大半の人間は知っているであろう同族経営の大企業の出ともなれば、トリニティの少女たちの興味関心を買うには十分過ぎる話題性がある。
ㅤ根は小心者なカサネ本人からしたらたまったものでは無かったが、「かくあれかし」と望まれるのであれば、そうせざるを得ないのが彼女の悪癖であった。
ㅤ言わば、ロールプレイ依存性ともいうべきか。
ㅤ母親の望む理想的な娘を演じるがあまり、彼女にもはや素の自分を表せる機会はほとんど来ない。来たとしても、相手が相手ならやはりカサネは演じるであろう。
ㅤ彼女が素を見せれるのは、それこそ本当に心の許せる人間でなくてはならない。
「……あら、カサネさんじゃない。おはよう」
「……はい、先輩。おはようございます」
ㅤカサネがトリニティの校門に着いた頃、登校してくる生徒たちに挨拶を行っていた上級生が声をかけてきた。
ㅤ彼女は現在3年生で、三大派閥サンクトゥスに籍を置く有力者のひとりでもある。まだ知り合って日が浅いが、カサネは目の前の上級生のことを苦手としていた。長年鍛えられたポーカーフェイスによって、思わず浮かびかけた苦々しい感情は凛々しくもキリッとした表情に隠されている。
ㅤ派閥という不可視の壁によって生徒間が分断されて久しいトリニティでは、毎年春になると新入生を自派閥に取り込もうとする奪い合いのようなものが水面下で繰り広げられている。この上級生も例に漏れず、入学から二週間で新入生の話題をかっさらうカサネを派閥に取り込もうと画策しているようで、会えば必ず声をかけてくる。
ㅤしかしカサネは、たかが3年過ごすだけの狭い空間で派閥だの何だのの政治ごっこに興じるつもりはなかった。それ故に多数の先輩からの派閥加入への誘いをのらりくらりと躱しながら過ごしていたのだが、まさかこんな朝から嫌な相手と出会うとは運がない。
「カサネさん。こんな朝に悪いけど、この前の話……考えてくれたかしら?」
「……」
ㅤ声をかけてきた彼女の傍には、二年生であろう先輩方が揃っている。ボランティア精神というか、早朝から校門に立って挨拶をするその姿勢には素直に感心するが、それはそれとして派閥に関する話はしたくなかった。
ㅤ断れば、少なくともサンクトゥス分派の上級生たちから目をつけられることになる。かといって嫌がりながらも入ったら、否応なしに政治に巻き込まれる。それだけは嫌なカサネは、曖昧な笑みを浮かべて返答を濁した。
「申し訳ありません。まだ、考えがまとまっていなくて……もう少し他の派閥も見て決めようと思っておりますので、どうかご容赦いただけると幸いでごさいます」
「……まあ、まだ日も浅いし仕方ないか。えぇ、分かりました。領袖にはそのように伝えておきますわ」
「寛大な心に感謝の極みでございます。では、私はこれにて」
「えぇ、ありがとうね」
ㅤ上級生……いや、そもそも歳上の人間という存在そのものに対してカサネは根っこの部分でどこか忌避感を抱いていた。それには間違いなく母親が影響していて、彼女に頬を叩かれて自分の立ち振る舞いが一変してからも変わりない。
ㅤカサネは傲慢なきらいがある。
ㅤ他者の理想に適う人間を、他者の理想から寸分違わず演じることが出来る能力を持っていることが、それに拍車をかけていた。
ㅤ同年代や歳下に対してならばいくらでも騙すことが可能だが、歳上に限っていえば彼女は後輩らしく在らねばならない。理想の後輩とは、歳上に対してリスペクトを示すというある種儒教的な振る舞いをするべきだとカサネは思っている。
ㅤ歳上を立てる、ということに忌避感を抱きながらも、理想的な後輩を演じるが為にそうせざるを得ないというジレンマにカサネは苛まれていた。
「はぁ……」
ㅤ今さら、演技することに気疲れなど感じない。もう十年以上それをしているのだから、普段呼吸をするように、あるいは歩行をするように、彼女の演技は人間の無意識の領域に入りこんでいた。
ㅤしかし歩き続ければやがて体力が減っていくように、演技をするのもいささか億劫ではある。
ㅤ本来の彼女は芸術家タイプというべきか、誰かと過ごすよりも一人で居る時間を大事にする類の性格である。そもそも交友関係にしたって広く浅くよりも狭く深くのそれを望んでいるが、現実ではそんな彼女の望みよりも真逆の有様であった。
ㅤスマホの連絡帳には、これまでに知り合った同級生や先輩たちの名前がずらりと並んでいる。こんなに交換したところで自分から連絡するつもりはないので、ただスマホのデータを浪費するだけであった。
ㅤ正直、面倒くさい。
ㅤ出来ることなら優等生を演じるのなんてやめて、部屋にこもって永遠に読書でもしていたい。クラシック音楽をBGMに、お気に入りの紅茶を呑む。ただそれだけで、カサネの擦り切れた心は癒されるのに、しかして現実は無情にもかくあれかしと彼女に演技を望むのだ。
ㅤ今さら素の自分をさらけ出すなんて、身内や周囲の目が怖くてカサネには出来なかった。
ㅤこの日も、カサネはいつも通りの日を過ごしていた。
ㅤ教室でつまらない勉強をし、友人との雑談に花を咲かせて、嘘に染った笑顔を見せる。心のヒビが軋む音に気付かないフリをしながら、ただ場の空気に流されるままに話を合わす。
ㅤ何もかもが、嘘だらけの日常。
ㅤ今日も今日とて、嘘で始まり嘘で終わる一日なのだろうと、どこか他人事のように自らの立ち振る舞いを客観視していたカサネであったが、そんな思考は教室の戸を開いた音で遮られた。
ㅤ多数の視線が扉の方へ向かう。カサネもクラスメイトから主の方へ顔を向けると、そこには一人の上級生が立ってるのが見える。
「失礼します。青山カサネ様はいらっしゃいますか」
ㅤそう聞いたクラスメイトたちは、今度はカサネの方に視線を向けた。内心でまた面倒事かもしれないと溜息をつきつつも、無視する訳にもいかないカサネは椅子から立ち上がり名乗り出た。
「はい、私が青山でございます。如何なされましたか」
「ああ、良かった……初めまして、私はパテルの者です。青山様にティーパーティーからの言伝を持って参りました」
「ティーパーティーから?」
ㅤその単語を聞いて、にわかに騒めく教室。カサネは眉を顰めながらも、驚いたように相手を見やった。
ㅤティーパーティー。それはトリニティ総合学園を事実上支配している三人の生徒を指すものである。
ㅤキヴォトス三大学校の一角に数えられるトリニティをまとめているのだから、立場も知名度も権力も、入学間もない1年生でしかないカサネとは天と地の差がある。
ㅤそんな、それこそ雲の上の存在といっても過言では無い彼女たちとの接点なんて、いかに人気者とチヤホヤされるカサネといえど、入学式のスピーチやら何やらの準備に多少会話した程度の接点しか持っていなかった。
「……差し支えなければ、場所を変えて頂きたいのですが」
「えぇ、構いません。では此方へ」
ㅤ嫌な予感しかない。
ㅤだが、こんなにもクラスメイトからの注目を集めている中で断ることなんてカサネには出来ない。それを分かっているのかは定かでは無いが、初対面にして既にカサネは彼女に苦手意識を持っていた。
ㅤ教室を出た二人は、人目のつかない階段の踊り場に場所を移した。トリニティ校舎の片隅に位置するそこは、上に行こうが下に行こうが使われていない教室や物置しかないため、生徒が寄り付くことはほぼ無い。
ㅤ密談をするには最適な空間だ。
ㅤ到着するなり暫しの間見つめあって、まず口を開いたのはカサネだった。
「それで、ティーパーティーからの言伝とはどのような内容で?」
「……まずは自己紹介といきましょうか。私はパテル分派に籍を置いております、三年の有坂と申します。お時間頂きありがとうございます」
「ご丁寧にどうも」
ㅤ見覚えのない顔だとは思ったが、まさか三年生とは。カサネは内心の驚きを顔に出さないように軽く頭を下げる。
ㅤそれにしても、あのパテル分派からの使者──嫌な予感がフツフツと湧いてくる。
ㅤトリニティのパテル分派といえば、特にゲヘナ嫌いの生徒が多くを占めていることで知られている。カサネはゲヘナであろうがミレニアムであろうが差別意識は持ち合わせていない類の生徒であるため、もし仮に自分が派閥に入ることになっても、パテルだけは選択肢から外れていただろう。
「本題に入りましょう。ティーパーティーは、青山様に何れかの派閥に属されることを望んでおられます」
「……なぜ?」
「貴女の影響力を加味してのことでしょう。入学間もなく多くの生徒との交流を重ね、新入生たちの間での地位を固めた。貴方の良い評判は二、三年生にも届いておりますし……もちろんティーパーティーにも」
「……そう、ですか」
「しかし仄聞するところによると、青山様は勧誘を断り続けているようで。成績も人格も問題のない貴方が無派閥になる可能性を危惧する声は、それぞれの派閥からも上がっています。何か特別な理由でもあるのですか?」
ㅤカサネはあまりにも面倒な話にヒクヒクと痙攣しそうな口角を必死に押さえつけた。
ㅤ今日は厄日かもしれない。
ㅤただでさえ朝から上級生に絡まれて気落ちしていたというのに、ここにきてティーパーティーから使者が送り込まれるとは予想外が過ぎる。
ㅤさてどうしようか──カサネは瞬時に思考を張り巡らせる。
ㅤここで「なら何処かに入ります」と首を縦に振ることは簡単だが、決して今後の自分にとって楽なことではない。思春期女子の泥々とした派閥争いに自らも加わるなんて、想像するだけで辟易する。
ㅤしかしかといって「派閥に入るつもりは無い」と伝えても、それも自分にとっては良くないことが起きるだろう。いくら評判が良いからといって、ティーパーティーものあろう人達がたかが新入生に使者を送るなんて面倒なことをするだろうか。
ㅤ本当に自分を派閥に入らせたいなら、直接呼ぶなり何なりすれば良いだけのことだ。
ㅤトリニティでの平穏無事な生活を望むカサネにとって、ティーパーティーは最も敵に回したくない存在だ。ティーパーティーから直接対面して勧誘されたら断る言葉は彼女にない。
ㅤこんな回りくどいことをする辺り、事前に軽くカサネの情報は調べてはいるだろう。であるならば常日頃からカサネが周囲に口にしている「楽しい学校生活を送りたい」という言葉も、ティーパーティーは既知のはずである。
ㅤだがそれをしなかったのは、単純にティーパーティーが忙しく新入生如きには時間を取れないからなのか──あるいはカサネの反応を確かめるためか。
ㅤ恐らく両方だろう、と彼女は推測した。
ㅤゲヘナとの対立……特に両学園の境界線では毎日のように何らかの犯罪が起きている。軽い喧嘩ならまだ可愛いものだが、生徒間の大規模な銃撃戦ともなると正義実現委員会やゲヘナの風紀委員会まで出張ってくることもある。
ㅤ事の次第によってはティーパーティーと万魔殿での調停も必要になるだろう。このゲヘナ問題に限らず、学園を統括する彼女たちはやることが多い。大して面識もない新入生如きに彼女たちが時間を作れないのは間違いない。
ㅤだが、それでもわざわざ使者を寄越すあたり、カサネを派閥に入らせたいのは本当らしかった。
ㅤ頷いてくれるならそれでよし、もしも断られたら別の方法で勧誘する──ティーパーティーの意図はこんなところだろうか。
「……有坂さん、ティーパーティーに伝言をお願い出来ますか」
「もちろん。如何なる返事であれ、貴女の言葉は必ずティーパーティーにお伝えすると約束します」
「ありがとうございます」
ㅤ
ㅤ新入生総代という大役に指名されたことへの嬉しさはあれど、こんなことになるなら最初から断っておけばよかったと後悔する他なかった。
ㅤただそれでも、カサネは派閥に加わる気は一切ない。
「──『青山カサネはどの派閥に入らない。今後、何度勧誘されても私の考えは変わることはありません』。ティーパーティーにはこう、お伝えください」
「……それは」
ㅤティーパーティーからの使者──有坂は少し驚いたように目を見開いた。
ㅤ無派閥。
ㅤそれがトリニティにおいてどのような意味を持つのか、目の前の少女は理解しているのだろうか。既にトリニティに入学してから三年目に突入する彼女はそのことを強く理解していた。
「……本気ですか?」
「えぇ、私は無派閥で結構です。三大派閥にも、正義実現委員会にも、シスターフッドにも、救護騎士団にも属する気はありません。御足労おかけして申し訳ありませんが……」
「青山様。貴女の先輩として忠告しておきますが、今のトリニティで無派閥は自殺行為ですよ」
ㅤカサネが派閥に加わろうとしない理由について、彼女は正義実現委員会辺りに入りたいのかと思っていた。
ㅤカサネの戦闘力は決して低くない。つい二日前にも、街中で暴れていたヘルメット団二十数人を正実到着前に単騎で撃退して集団の逮捕に貢献している。
ㅤしかしその正実にも入らないとはどういうことか。それでは無派閥どころか、無所属ではないか。
ㅤ他の学園ならいざ知らず、それはあまりにも──”今”のトリニティでは危険過ぎる行いである。
「現政権はゲヘナ学園との”ありうるかもしれない”全面衝突に備えて、総力戦体制を構築しています。実際、今の二三年生に無派閥は居ませんし、無所属すら皆無です。そのおかげで正実も層が厚く、トリニティの現有戦力は歴代でも有数……それは貴女も知っているでしょう」
「えぇ、存じ上げております」
「ならどうして、そんな危険な真似をするのですか。我々三年も卒業が近い。主導権を握るための派閥争いもますます過激化するでしょうが、対ゲヘナで一応は纏まっている──この体制下で無所属なんて例外をティーパーティーが許すと思いますか?」
ㅤトリニティ総合学園とゲヘナ学園の対立。
ㅤそれはキヴォトスに住む者なら大半の者が知っている常識的なものだが、ここ数年のトリニティとはそれが行き過ぎている傾向がある。
ㅤそれが顕著になったのは先々代のティーパーティーが政権を握った頃からだ。
ㅤゲヘナを忌避する空気は三大派閥全体に蔓延していたものの、当時はパテル分派を除けば割と穏健的な意見の方が強かった。手を出されればやり返すが、こちらからは手を出さない──このような意見が学内で主流だったのだ。
ㅤ
ㅤしかし先々代のティーパーティーが発足してからは一変し、起こりうる可能性の一つでしかなかった「ゲヘナとの全面衝突」に備えて総力戦体制を築いた。
ㅤその最たる施策のひとつが、派閥あるいは部活への強制加入だった。
ㅤ未加入無所属という例外は絶対に許さず、故意にイジメや嫌がらせを仕掛けて、「加入せざるを得ない状況」を作り出すなんて真似も平然とするようになった。
ㅤそうして時が流れて、今のティーパーティーにもその体制は受け継がれている。
ㅤ無所属の生徒は非国民ならぬ、非トリニティ扱い。
ㅤそれが今のトリニティの実情だ。誰しも好き好んで嫌がらせやイジメは受けたく無い。
ㅤ加入しなくても表向きの罰則は無いものの、無派閥・無所属の生徒がそういう扱いをされることはもはや暗黙の了解である。だからこそ今の二、三年生に無派閥や無所属は居ない。
ㅤ
ㅤきっと今の一年生たちも、今月中か来月の初めくらいには殆どの生徒が派閥か部活に属していることになるだろう。
──しかし。
「(えぇ……何それ面倒くさいわね)」
ㅤ凛とした顔で有坂の話を聞いていたカサネの心中は、大して乱れていなかった。
ㅤもちろん彼女もトリニティの内部事情はある程度は知っている。知り合った先輩からそういう話は聞いていたからだ。
ㅤだがしかし、「明日のことは明日の自分に任せる」がポリシーな彼女は、有坂の話を聞いても何とかなるだろうと楽観的に構えていた。これは彼女の傲慢な一面の表れであったが、実際これまでそうやってどうにかなってきてしまった試しがある。
ㅤ華やかなお嬢様学校の裏の顔は、あまりにも異常だった──だがカサネも中々おかしな思考回路の持ち主だった。
ㅤ根はビビりなくせして、いざこういう事態に遭遇した際は常人は絶対に選ばないであろう不可能な選択を何も考えずに選ぶ。頭のネジが二三本外れているとしか思えないが、当の本人は至って普通のつもりであった。
「構いません。そのままお伝えください」
「……本当に、よろしいのですね 」
「はい」
「………………忠告はしましたよ」
ㅤ有坂は心配そうにカサネを見やったあと、背を向けて歩き始めた。きっとそのままティーパーティーの元へ行くのだろう。カサネは彼女の重い足取りを見送りながら、気張っていた肩を溜息を吐くと共に落とした。
「──まあ、何とかなるでしょう」
ㅤ空虚な自信から放たれたあまりにも軽い一言が、誰もいない踊り場に木霊した。