アーカイブ・ドロップアウト 作:カムラン
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ていうかドレスヒナ出そうと思ったらワカモと水着ホシノとチェリノ一気に来たんですが、ガチャ運使い果たした気がして素直に喜べない。もう天井まで回すっきゃねぇ!!(やけくそ)
ㅤ〈災厄の狐〉と〈鉄の女〉の一年越しのリベンジマッチが勃発してから、少し遡ること約十分。
──とある建物の一室では、会長代行の七神リンが一人の男と話していた。
「キヴォトスへようこそ、先生。私は連邦生徒会の幹部、七神リンと申します」
ㅤ丁寧な所作でお辞儀をしたリンの前には、とある男が座っている。
ㅤ彼の名前は■■■■。
ㅤ行方知れずとなった連邦生徒会長が特別に指名し、外部から招かれた”先生”であった。
ㅤヘイローも持たない、角や翼もない、ごく普通の人間などキヴォトスでは見かけない。そんな稀有な彼がキヴォトスに来る詳しい経緯はリンも他も知らなかった。
ㅤしかし、彼が赴任してきたことによって、ようやく先行き不透明なこの現状に一筋の光が見えてきたことは僥倖である。
ㅤサンクトゥムタワーの行政制御権。
ㅤその最終管理者であった連邦生徒会長が居なくなったことで、連邦生徒会はタワーへのアクセス権を事実上喪った。
ㅤカサネたちがD.U.の治安維持任務に奮闘している間、山のように積み重なる多数の書類を処理するのと同時並行的に、リンはそのアクセス権の認証をどうにか掻い潜ろうと試行錯誤していた。
ㅤ無理だと分かっていても、やらなければキヴォトス行政が崩壊してしまうから。
ㅤしかし、先生が来たことによって制御権確保のための苦労も今後はしなくてよくなる。
ㅤ先生は元々、失踪前の連邦生徒会長が立ち上げたとある部活の顧問として呼ばれていた。
──その部活の名前は〈連邦捜査部S.C.H.A.L.E〉。
ㅤ”部活”といっても、その性質は一種の超法規的組織といっても過言ではなく、あらゆる学園の生徒を無制限に加入させることが可能で、更には各自地区での制限のない戦闘活動を行うことすらも可能という強力な権限を有している機関だ。
ㅤなぜ連邦生徒会長がそんな部活を立ち上げたのか、リンにはよく分からなかったが、とりあえず先生をシャーレのオフィスへ連れていかなくてはならない。
ㅤあの地下には、連邦生徒会長からの命令で「とある物」を持ち込んでいる。
ㅤ正しくキヴォトスの命運がかかった
ㅤリンは未だ混乱している様子の先生を引き連れて、エレベーターに乗った。
「キヴォトスは数千の学園が集まった巨大な学園都市です。そして、これから先生が働くところでもあります」
ㅤきっと先生が元いた場所とは、様々なことが違っているのだろう。当の彼本人も、あまり現在の状況を理解しているとは思えない表情を浮かべている。この様子では慣れるまでは難しいかもしれない。
ㅤだがリンは、さほど心配していなかった。
「先生ならきっと大丈夫です。なにせ、あの連邦生徒会長がお選びになった方ですもの」
「連邦、生徒会長……?」
「……それは後でゆっくり説明いたします」
ㅤ超人と呼ぶに相応しい人だった。
ㅤ今は何処かに行ってしまった上司の顔を思い浮かべながら、リンはそう回顧する。
ㅤ会長代行としてその地位に就いたからこそ実感する、その双肩に伸し掛る責任の重さ。キヴォトスを一身に任されていて、しかして疲れを周りに見せなかったあの彼女は、その心の内に何を思っていたのだろう。
ㅤきっとそれを察することが出来たのは、程良い距離感の友人として付き合っていたカサネくらいだろうな、とリンは考えていた。
ㅤ頼れる上司は居なくなったが、頼れる先輩はまだ残っている。そして近いうちに頼れる先生になってくれるであろう一人の大人もやってきた。
ㅤつまりまだ、そんな余計なことを考える暇は生徒会にはない。代行としての勤めを果たさなくてはならない。
ㅤ物憂げな気分を振り落とすかのようにコホンと咳払いをしたリンは、窓の外を眺めていた先生を連れて共にエレベーターを出た。
「ちょっと待って、代行! 見つけた、待ってたわよ! 連邦生徒会長を呼んできて!……うん? 隣の大人の方は?」
ㅤレセプションルームは騒がしかった。生徒が数名、機嫌の悪そうな雰囲気で受付のアンドロイドにあれやこれや言いつけている。
ㅤつい先日までは暇そうにしていた受付のアンドロイドも、いざこうも忙しくなると困るのか、エレベーターから降りてきたリンをまるで救世主かのように見ていた。
ㅤリンの元へ駆け寄ってきた一人の少女は、心底不満気な顔をして彼女を呼び止めたが、リンの隣に見覚えのない大人の男性がいることに気付いて首を傾げる。
ㅤレセプションルームの有様にリンは思わずため息をつく。彼女が予想していたよりも遅かったが、いずれにせよ会長代行として応対せねばならない。
ㅤ受付にいた四人の生徒たちの学籍を示す制服はそれぞれ違っていて、連邦生徒会へ来た目的はすぐに理解出来た。蔑ろにしようものなら、それは高度に政治的な火種となる。
ㅤしかし、リンが質問に答えるよりも先に他の生徒が寄ってきた。
「首席行政官、お待ちしておりました」
「連邦生徒会長に会いに来ました。風紀委員長が今の状況について納得のいく回答を要求されてます」
「あぁ……面倒な時に面倒な人たちに捕まってしまいましたね」
ㅤ気怠げな雰囲気を隠そうともせず、リンはこめかみを抑えた。正直に言えばさっさと先生をシャーレに連れて行きたいのだが、不満を表す彼女達の気持ちも立場もよく分かる。
ㅤ現在、キヴォトスに存在する数千もの学園自地区は混乱に陥っている。一部の区域では風力発電所がシャットダウンし、電力供給にも支障をきたしていた。
ㅤその上、矯正局で停学中の一部生徒が脱獄したという情報もSNSを通じて既に流れている。そんな世間の混乱に乗じて、登下校中の生徒たちを襲うスケバンも増え始めてきた。
ㅤしかも、戦車や攻撃ヘリコプターなど出処がまるで分からない武器の不法流通が前月比2000パーセントも増加しているという有様。
「こんな状況で連邦生徒会長は何をしているの? どうして何週間も姿を見せないの? 今すぐ会わせて!!」
──にも関わらず、連邦生徒会長は未だ姿を見せていない。
ㅤリンに詰め寄る生徒たちの不満の矛先は、まさにそこにあった。彼女たちにしたって、自らも自治区の運営や治安維持に関わっているのだ。キヴォトス全土を管理する連邦生徒会に対しては一定のリスペクトを示していた。
ㅤしかし、その肝心の連邦生徒会から大した説明が未だにないのだ。ただ首席行政官のリンが会長代行をするという通達があっただけで、この混乱の原因も詳細も各自治区には伝えられていない。
ㅤこれでは彼女たちが不満を抱くのは当然である。
「……連邦生徒会長は今、席におりません。正直に言いますと、行方不明になりました」
「! やはりあの噂は……、」
「結論から言うと、サンクトゥムタワーの最終管理者が居なくなったことにより、連邦生徒会は行政制御権を失った状態です。認証を迂回できる方法を探していましたが──先ほどまで、その方法は見つかりませんでした 」
「それでは、今は方法があるということですか。首席行政官?」
「はい。こちらの先生が、フィクサーとなってくれるはずです」
ㅤリンは彼女たちへ現在の連邦生徒会が置かれている状況を直截簡明に説明し、隣に立つ先生を紹介する。
ㅤ彼女達の視線が一斉に向けられた彼は、しかして決して物怖じすることなく笑顔で挨拶をした。
「こんにちは」
「こ、こんにちは、先生! 私はミレニアムサイエンススクールの早瀬ユウカです──ってそうじゃなくて! 何か色々こんがらがってきたわ……」
ㅤ少女……早瀬ユウカは混乱していた。ユウカの傍に立つ他の三人も口には出さなかったが、反応としては似たようなものだ。連邦生徒会長失踪という事実は、キヴォトスに住まう生徒たちにとってそれだけ大きな意味を持つ。
ㅤ確かに本当にそうであるならば、連邦生徒会が何の発表もしていない理由にも渋々納得がいく。そんな状態であるなら連邦生徒会が混乱に陥るのも無理は無い。
ㅤとはいえ、そういう噂がちょくちょく流れてはいたものの、それがまさか真実とは彼女達の誰も思わなかった。キヴォトスの危機、そんなワードが四人の脳内に浮かぶ。
ㅤだが、リンは行政制御権の確保に目処が立ったかのような言い方をしていた。であるならば危機を脱する方法が見つかったということだろう。
ㅤ続けてリンはそんなユウカたちと、まだ何も知らないであろう先生に向けて説明をした。
ㅤ失踪した連邦生徒会長が立ち上げた、強力な権限を有する超法規的機関”連邦捜査部シャーレ”の存在。
ㅤそしてその部室に運び込んた”ある物”の場所へ、先生が行く必要があるということを。
「モモカ」
『ん〜?』
ㅤリンが同僚の名を呼ぶと、ホログラム通信が表示された。
ㅤそこには特徴的な桃色の髪をした少女がスナック菓子を食べている姿がある。
ㅤわっと驚く先生を横目に、リンは彼女にシャーレの部室へ直行するヘリについて訊ねた。
ㅤここからシャーレオフィスビルまでは、約三十キロの距離がある。徒歩では遠すぎるし、かといって車でも少し時間がかかる。
ㅤ幸いあのビルの屋上にはヘリポートがあるので、近くの格納庫からヘリを出せばひとっ飛びでシャーレへ迎えるだろう。
ㅤそう考えてヘリの運用状況を訊ねたリンだが、しかし由良木モモカ──連邦生徒会交通室に属する幹部の彼女が放った言葉に、リンは目を見開いた。
『シャーレの部室? あー……外郭地区のアソコなら今大変なことになってるね。矯正局から逃げ出した生徒と青山総帥がバチバチにやり合ってて、あの辺りはもう滅茶苦茶。しばらく近づかない方がいいよ?』
「……うん?」
ㅤシャーレ付近でA.D.Cが不良集団と交戦している、という件に関しての報告は小一時間前に耳に入ってきていたが、そんなことになっているとは知らなかった。
ㅤリンは自らの脳がその事実を理解するのを拒むかのように思わずモモカへ聞き返したが、しかして現実は決して避けがたいものだった。
『シャーレの建物を占拠しようとしているみたいだけど、あの総帥さんが必死に止めてる。このままヘリで向かったら多分流れ弾で堕ちると思うな──あっ、近くの雑居ビル一棟崩れた』
「……」
『まあでも、とっくに滅茶苦茶な場所なんだから別に大したことないでしょ……あ、さっき頼んだデリバリー来たからまた連絡するね! バイ!』
ㅤプチっと、モモカとの通信が切れる。
ㅤリンはワナワナと身体を震わせて俯いていた。額には血管が浮かび上がっている。彼女は明らかにキレていた。
ㅤそんなリンのただならぬ雰囲気に気圧されて、ユウカたちは何も言えず、先程まで騒がしかったレセプションルームは静寂に包まれる。
ㅤしかし、空気が読めない頓珍漢なのか──あるいは敢えて読まなかったのか。
ㅤそんなリンの顔を覗き込み、先生は彼女に声をかけた。
「大丈夫? 深呼吸でもする?」
「……だ、大丈夫です。少々問題が発生しましたが、大したことではありません。それよりも──」
ㅤニコっと微笑むリンの顔は美しかったが、ユウカにはもっと別の恐ろしい何かに見えていた。正しくアルカイック・スマイルと呼ぶに相応しい綺麗な笑みなのに、しかしてリンの背後には阿修羅観音の姿が見えそうである。
ㅤふと、リンはジーっとユウカたちの方を眺めた。
「……?」
「な、なに? どうして私たちを見つめてるの?」
ㅤ戸惑いをあらわに、ユウカは一歩後退った。他の三人も不思議そうに首を傾げ、リンの様子を窺っている。
「ちょうどここに各学園を代表する、立派で暇そうな方々が居るので、私は心強いです」
「……えっ?」
「キヴォトスの正常化のために、そして先輩に外郭地区が粉微塵にされないためにも、暇を持て余した皆さんの力が切実に必要です──さあ、行きましょう?」
「ちょ、ちょっと待ってよ、どこに行くの!? ていうか代行の先輩って誰──!?」
ㅤコツコツと歩くリンの背に向けて叫んだユウカの声は、虚しくレセプションルームに木霊した。
****
ㅤ走る、走る、走る。
ㅤ一秒の油断も一縷の慢心も絶対に許されない戦場で、カサネは
ㅤかつて木から落ちたリンゴを見て、万有引力を発見した大昔の科学者が見れば卒倒してしまうであろう光景。
ㅤ約3.5キロのライフルを構えながら壁を走る彼女の姿を誰かが見れば、二度見どころか三度見するに違いない。
ㅤ的確にこちらの頭を狙って放たれる弾丸から逃れるように、カサネは軽快にビルとビルの間を跳び回る。ジグザグとターゲットの方向へ進みながらも、被弾は避けている。
ㅤまるで動物じみた身体能力は相変わらずのようだ。
ㅤ自分もやろうと思えばできるだろうが、狙う方からすれば鬱陶しいことこの上ない。ちょこまかと動き回らないで少しは大人しくして欲しいものだ。
ㅤそんなことを考えていたワカモは自らの真紅の災厄を構えながら、機敏な動きで攻撃を避け続けるカサネに対して発砲を続けるが、これもまた当たらず忌々しげに舌打ちをした。
「いつから貴方はそんなに臆病になられたので? 前はもっと好戦的だったでしょうに……」
ㅤ真剣な面持ちで全神経を張り詰めてカサネを警戒していたワカモは、濃密な敵意を向けられる中で彼女の何かが違って見えた。
ㅤカサネの攻撃に積極性がまるでないのである。
ㅤその違和感に気付けたのは、ワカモが今までに数々の戦闘経験を積んできたからこそ──否、ワカモが幾度となくカサネと戦ってきた好敵手と呼べる存在だからこそ、だろう。
ㅤ確かにカサネの動きは素早い。
ㅤ”銃弾を見てから避ける”という離れ業を軽々とやってのける反射神経と動体視力、そしてそれらの知覚に寸分の狂いもなく付いていける身体能力──もはや敵ながら天晴れと言う他なかった。
ㅤだが、何か形容しがたい部分が決定的に違うのだ。
ㅤ実力はかつて戦ったときよりも上がっているし、射撃のスキルも、判断力も精神力もかつての彼女と比べて成長しているのは間違いないのだが──。
「……ああ、そうでしたわね」
ㅤかつて戦った時のカサネはもっと攻撃的だった。
ㅤ獰猛な獣の如き気迫で、死に物狂いで勝利をもぎ取ろうとする強い意志があった。
ㅤいくら傷が付こうとも、いくら血を流そうとも、いくら銃弾を撃ち込もうとも、決して燃ゆる闘志がカサネの双眸から消えることはなかった。
ㅤその面に関しては好ましく思っていたのに。
ㅤ自分の邪魔ばかりしてくる鬱陶しい敵ではあったけれど、彼女との戦いに心躍ることがあったのは否定しきれないのに……今はそれを感じられない。
ㅤ自分が見ぬうちに彼女は戦い方を変えたのだろう。攻めの姿勢から守りの姿勢へ、単騎から集団での戦術行動へ。その理由まではさほど興味無いが、しかしてワカモにとっては些か残念であった。
ㅤ相容れぬ敵として相対している以上、こんな感情を相手に抱くのは筋違いかもしれないが──ワカモは彼女に、親しい友人から裏切られたかのような深い悲しみを抱いている。
「残念です。ええ、とても残念でございます。この不肖ワカモ、久方ぶりに涙が出そうです」
「──あらそう? お悩み相談でもしてあげましょうか?」
ㅤおよよ、と悲しげな雰囲気を出すワカモの視界の外から、突如としてカサネが飛び出してきた。攻撃の機会を窺っていたようだが、埒外の攻撃で倒せるならばとうの昔にカサネ自らが矯正局送りにしていただろう。
ㅤカサネはワカモがこちらを向きもせずに銃剣を振りかぶったのを見て、瞬時に体勢を整える。
ㅤやはりというべきかフィーアト・ルクスの銃剣はワカモを斬り裂くには至らず、真紅の災厄の三十年式銃剣との鍔迫り合いを演じた。辺りに大きな火花が散り、衝撃波でビルの窓が幾つか砕け割れる。
「ふふふ……♪ ありがた迷惑って言葉、ご存知ありませんので? 生憎、私の悩みの原因は貴女なんですが」
「奇遇ね、私も貴方が矯正局から逃げ出した件について頭を悩ませているのよ。同い年のよしみでストレス満載な私を労わってくれませんこと? 何ならこのまま何処か行って頂けるとありがたいわ」
ㅤ斬り結び、殴る蹴る。互いに未だ有効打はなく、二人の体にビルの崩壊や窓ガラスの破片が飛び散った際に負った多少のかすり傷がある程度だった。
ㅤ戦闘開始から約二十分、既に雑居ビル一棟が崩壊している。その凄まじい戦闘の光景を交通室のドローンが観測し、映像をサンクトゥムタワーへ現在進行形で送り続けている。
ㅤ不良が落としていったロケットランチャーを使ったはいいものの、しかし呆気なくワカモに避けられてしまい、彼女の背後にあったビルを吹き飛ばしてしまったカサネは、リンになんて言い訳しようかと内心で滅茶苦茶焦っていた。
ㅤそんな彼女の心中を察したのか不明瞭だが、ふと唐突に対面のワカモが口を開いた。
「……嗚呼、やっぱり……貴女は変わってしまわれた」
「……? どういうことかしら」
ㅤその言葉の意味がよく分からず、カサネは聞き返した。どちらからともなく二人は互いに後ろへ跳んで距離を取る。
ㅤワカモは銃を下ろして、じっとカサネを眺めている。その無感情な狐の面の裏で、彼女がどんな表情を浮かべているのかカサネには分からない。
ㅤしかしいつもの彼女とは違う様子に、胡乱げな目を向ける。
「──興が冷めました」
「…………ん?」
「少しこの気持ちの整理がしたいので、今日はもうおしまいです。また会いましょう、カサネさん」
ㅤ大きなため息をついて、彼女は背を向けて歩き出した。呆気にとられるカサネ。いつものポーカーフェイスはあっという間に崩れて、ポカンと口を開けた情けない姿を晒している。
ㅤ何度か目をぱちくりさせて、カサネも銃を下ろした。
ㅤ背を向けているからといって攻撃を仕掛けても、あの災厄の狐に大したダメージは与えられない。かといってドロップキックでもかまそうものなら、足を掴まれて地面に叩き付けられるだろうに違いない。
ㅤそれにしても、とカサネは天を仰ぎながら考える。
ㅤ”変わってしまわれた”とワカモは確かに自分を見ながらそう言った。変わったというのは、具体的に何を指しているのだろう。
ㅤ実力? 否、一年前よりもかなり強くなった自信がある。だからといってワカモに勝てるとは思っていないが、かつてのように容易く負けるはずはない。
ㅤ言動? 否、自分の”A.D.C総帥”としての演技は完璧とまではいかなくとも洗練されてきている。素の自分との境界線が曖昧になってきたということは、それだけ演技が無意識に染み付いてきているという証左だ。
ㅤそれともあるいは──と、そこまで思考してカサネはため息をついた。
ㅤそもそも彼女とは仲が良くない。部下たちにそう言われたら一考の余地はあるが、連絡先も普段何をしているのかもよく分からない相手の言葉を深く考える必要はないだろう。考えるだけ時間の無駄だ。
ㅤしかし気分を切り替えようにも、ワカモの悲しげな雰囲気が思い浮かぶ。戯言だと切り捨てるにはあまりにもいつもとは違う態度過ぎて、彼女の言葉が頭から離れなかった。
ㅤ
「まったく、人騒がせな子ね───ってあの子どこ行くつもり?」
ㅤ少し休憩しようとガードレールに腰掛けたカサネだったが、視界の端でワカモがビルの中に入っていくのが見えた。
ㅤ何か用事でもあるのか?
ㅤ疑問に思って独り言を呟いたカサネだったが、次の瞬間、石像のように彼女の身体が硬直した。
ㅤ数十メートル先。
ㅤワカモがふらりと入っていったビルはシャーレのオフィスビルであった。そう、自分が必死に守っていたあのシャーレの───。
「…………ふ、ふふふふっ……いい度胸じゃない。貴女のお望み通り──ぶち転がして差し上げますわ」
ㅤ何が『今日はもうおしまいです』だ。
ㅤあんな事を言ってきた次の瞬間に、なぜあんな素知らぬ顔してシャーレに入れるのか分からない。
ㅤ自分があのビルを必死に守っていたことくらいは分かっていただろうに。一体どんな神経をしているのだろうか。
ㅤカサネの口角が怒りでヒクヒクと引き攣る。
ㅤ彼女のその震える拳には、この自分をコケにしたワカモへの怒り、そして最後の最後で油断してしまった愚かな自分への怒りが込められていた。
ㅤシャーレになんの目的があってワカモが不良たちをけしかけてきたのか分からないが、もはやそんな些細な事はどうでもよかった。
ㅤ舐めたマネしやがって──と下品に怒り散らかしたくなる衝動を何とか抑え、カサネは息を整える。
ㅤ少なくともブラックマーケットでは、相手に舐められたら終わりだ。完全実力主義のあのエリアにおいては、相手を下に見るということはかなり侮辱的な意味を持っている。
ㅤ権謀術数蠢く無法地帯で、敵対企業の抗争や土地取引で拡大してきた縄張りに秩序を形成し、治安を回復させ、事実上の自治区なんて呼ばれるに至った区画を統括する〈鉄の女〉の異名は決して伊達などではない。
ㅤ演技に演技を重ねて自分の心を偽ってきた彼女にだって、A.D.C総帥としての確固たるプライドがある。それを事も無げに容易く傷付けられたのだ。
ㅤ自分の無警戒が原因とはいえ、黙って見逃すはずなどない。
ㅤ幽鬼のようにフラフラと歩き始めたカサネは、あっという間に姿を消したワカモを追ってシャーレオフィスビルの中に入って行く。
「──あれ? あの子は確か……リンが言っていた」
ㅤその奇っ怪な後ろ姿を、サンクトゥムタワーから急いでやってきた『先生』が見ているとも知らずに──。