「びっっっ……くりした。心臓すっぽ抜けるかと思った」
「す、すいません……」
多くのヒーロー達が治療を受けている病院のとある一室。机を挟んだ向こう側で恥ずかしそうにしているのは許されざる犯罪者であるはずの渡我被身子だ。
ぶっちゃけ表の世界を堂々と歩いていい立場じゃないはずなのだが間飛も警備員も、その場にいる誰もが特に疑いもせずにクシャクシャとティッシュを片付けていた。
間飛がドアを開けた所、室内には真っ赤な液体をぶちまけたらしいトガが慌てふためいていた。その隣には腹部を赤く染めた警備員が立っており、誰がどう見てもサクッとヤっちゃってるようにしか見えなかったのだ。
尚、実際の所は血液は血液でも警備員のものではなく輸血パックに入れようとしていたトガの血液だ。決して警備員をかぁいく血染め化粧してあげようとしていたわけではない。
「……だとしてもああはならんだろ」
「あ、あはは……その、中途半端なところで針が抜けちゃいまして……ね?」
「その拍子にパックを取り落とし、拾おうとした私の服にかかってしまっただけですので私自身は何ともありません。驚かせてしまって申し訳ない」
「何だその悪意しかねェピタゴラなスイッチ」
そうはならんやろ、と言いたいところだが『なっとるやろがい』という返事が分かりきっているので口には出さない。実際なったものはしょうがないし。
まあ自分の中にいる誰かさんの個性因子と平行世界云々の事を思えば大抵の事象には『そんな事もあるか』としか言えない。何なら一番とち狂っているのは自分なのかもしれない。
あまり関係ない話にこれ以上脳のリソースを割いてたまるかとばかりに、間飛は変な方向に行きかけている空気を変える為に話を切り出した。
「で……どうなったの?“保釈”の件」
「そうですね、どこから話しましょうか……あ、話してもいいんですよね?」
「……あまり大きな声で話さなければ構わない、と」
間飛がトガの元を尋ねた理由。それは渡我被身子に対して公安が取引を求めたという話を聞いたからだ。
公安……正式には『ヒーロー公安委員会』という名前の組織だが、正直に言うと間飛はあまり公安の事を信用していない。
先に言っておくと偏見だとか毛嫌いだとかそういうものではない、内部事情まで知っているからこその警戒心がある。
というのも自分のいた世界の話だが、個性に起因する吸血欲求に悩んでいた高校1年生に対してカウンセリングどころかスカウトをかけていた。
トガ本人が了承したのだから、と言われればその通りだ。しかし悩みを抱えて相談に来た未成年を『ほーん……有用な個性やんけ』と吐かすのはオール・フォー・ワンと何が違うのかと言いたくなってしまう。
過去のそうした経験から公安への印象はあまり良いものではなく、こっちの世界でもトガを利用するつもりかと不信感が生じた。
まあ蓋を開けてみれば大量殺人犯への取引としてはかなり健全なものだったようだが。
「私の【変身】を使って輸血パックを作って欲しいとの事でして。まだ不安定ですが今日も10個くらい作りました!」
「ええ……?それ貧血ってレベルじゃないのでは?」
「それを解決したのがここの看護師さんで、確か……【増血】*1?っていう血の量を増やせる個性を持ってる人と共同で作ってます」
保釈の対価としてトガに課せられたのは『誰かに血を分け与えること』だった。
あれだけの大規模な戦いであれば当然それだけ負傷者も多く、怪我人を受け入れたはいいものの血が足りないなんて悲鳴がそこかしこで上がっていた。
そこで【変身】と【増血】だ。
【変身】だけでは分け与える量に限りがあるのでそう多くの血液は確保できない。【増血】は誰か一人なら助けられるけど一斉に輸血出来るだけの血液を確保することは出来ない。
ならば【変身】して血液を分け与えた後に【増血】でトガの血液を元通りまで増やせばいい。そう考えたのだ。
これを提案したのは公安所属……いや、元公安所属のレディ・ナガン。ああでもないこうでもないと頭を悩ませる公安職員達の様子に思うところがあったのか、それとも単純にグチグチと耳障りだったのか。
──話が聞こえてたんだが……それなら渡我被身子に対して【増血】を使えばいいんじゃねえの?
格子の向こう側から気だるげな声で提案された意見は単純ながらも切羽詰まっていた公安の人間には思いついていなかったらしく、その手があった!と慌ててトガの元へ話を持って行ったのだとか。ナガンはようやく少し長く眠れるようになった。監視付きの病室前で騒いでやるなよ。
「なるほどねえ……それで、どのくらい刑期が短くなったんだ?」
「……さあ?」
「え?」
「元々の刑罰を把握してないので今がどのくらいなのか……とりあえず輸血パック1個で10日分短くなるとは言われましたが」
「……今、何個作ったの?」
「確か……400mlのを130個くらいは作りました、よね?」
「141個です」
「個人から採っていい量じゃないのよ普通」
その結果がこれである。
10日×141なので1410日分の刑期短縮、またはそれに相当する減刑が叶った。張り切りすぎだろと思わなくもないが、下手をせずとも死刑の可能性が高いので割と必死である。
公安としては如何に【増血】ありきでも限界があると思い、どんなに頑張っても死刑から無期懲役まで落とすのがせいぜいだと思っていたのかもしれない。
ところがどっこい、まさかのトガちゃんフルスロットル。常人ならミイラどころじゃないレベルで血液を提供しまくったお陰か、少なくともこの近辺の病院では輸血パックが足りないという事態は避けられそうである。
しかしだ。流石に今回は大規模な戦いの後という事で問題はないものの、ぶっちゃけ平時だと作り過ぎまである。負傷者は多いと言えば多いが、400mlの輸血パックをこんなに使わなきゃいけないかと言われると首を傾げてしまいそうだ。
「血液も【変身】解けたらトガちゃんのに戻るんじゃないのか?」
「輸血パックに入れてまで切り離されると別物カウントみたいなんですよねー……それなら仁くんの血液もそうすればよかったかなあ」
「シャレにならんからやめてくれ」
甘い想定だった事に頭を抱える公安を余所に、ヒーローとヴィランであるはずの二人の会話は終始和やかな雰囲気だった。
あれだけ憎悪と憤怒、悲哀に満ちていたヴィランはすっかり普通の少女のように笑っていて、自称ド三流のヒーローは困ったように笑っている。
軽い雑談を10分ほど挟んだ後、再び真面目な雰囲気を取り戻した部屋の中で間飛はトガに尋ねた。
「これからどうしたい?」
「どう……とは?」
「何かしたいこととかないのかなって。アレがしたい、これが欲しいとか」
【変身】の個性は輸血に限らず社会貢献に活かせる部分がそれなりに多い。今のペースで模範囚を続けていれば釈放されるのも時間の問題ではないだろう。
おそらくその時には間飛も流石に元の世界に帰っていると思われるので、聞けるうちに聞いておこうと考えたらしい。
しかしトガからすればまた自由を得られるなんて想定もしていないので、パッと尋ねられても首を傾げるばかりでこれといった考えが口から出てくることは無い。
「……わかんないです」
「ま、そりゃそうか。普通は出られねえしな」
その時になって考えてみよう、とトガは未来の自分に丸投げする事にした。多分夏休みの宿題に頭を抱えるタイプである。
トガからすればこれから先の人生を全て擲っても構わないくらいの願いが叶った後なので、そこに『何かしたい事とか欲しいものとかない?』とか聞かれてもしばらくは何も思いつかないだろう。
一つずつ思い浮かべてはそこまで興味がある訳でもないし、と世捨て人のように欲望を投げ捨ててしまっている。
とうとう困り果ててしまったのか、軽く俯いたまま上目遣いで間飛をチラチラと見つめている。そこまで問い詰めてるわけでもないんだからそんな必死にならんでも。
「ははは…俺がいる内は相談に乗るし、ゆっくり考えるといい。トガちゃんなりの普通を見つけられるといいな」
「……はいっ!」
監視の目がそろそろ鋭くなってきた。どうやら面接時間の終わりが近いらしい。
間飛は苦笑いを浮かべ、ヒラヒラと手を振りながら部屋を後にした。
「……そういえば私、どのくらいの血液を提供したんです?」
「400mlを141個なので56400ml。56.4Lですね」
「…………それって何人分ぐらいあるんです?」
「人の体重の13分の1が血液量で、体重70kgの人なら約5.4Lで人間1人分ですので……およそ人間10人分の量ですね」
「もしかしなくてもヤバいことしてました???」
公安「んじゃよろー」
トガ「はーい」
公安「どのくらい出来たー?まあ使い物になるのがせいぜい10個も作れりゃ御の字なんだけどーww」
トガ「141個できましたが」
公安「」
病院「医療技術の進歩舐めんな」
公安「」